集団ストーカーと電磁波攻撃Ⅱ【自分用のデータ保存】

こちらのサイトはあくまで私的なものです。 自分用のデータ保存のためのブログです。

殺されかかってます。

殺されかかってます。

もし、ここでの書き込みがなくなったときは
殺されたと思ってください。

隣の人間がテクノロジーの機器を操作しています。
警察の方は、きちんと調べてください。

急所を狙って夜中に何度も打ち込んできています。

私は、何度も戸塚警察に助けを求めに行ったはずです。
自宅マンションにも何度も呼んでいるではありませんか。

きちんと調べなかった警察の怠慢です。

2013年2月13日

しばらくこの記事はトップに置いておきます。


いつまでも少年の心を忘れずにいたい

・火事も起こそうと狙ってますね。
・無理な言いがかり・因縁付け(2014/11より虚偽の電話を警察にしている 部屋で暴れていると嘘の電話 毎日警察官が来る 多い日は1日に朝、晩2回 3ケ月続く)⇒被害届⇒逮捕させるという流れ
・瞼の裏に腫瘍を作る電磁波照射
・目への電磁波照射 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
・左の頭への電磁波照射⇒右半身不随 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
  1. 2020/02/13(木) 22:18:03|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9

心をカラにする秘訣
2017-02-19 11:52:24 | Weblog
昔から禅僧などが、
* 空(くう)に成りなさい。 空を目指しなさい。
と言ったものです。

「頭をカラにしなさい」と言われましても、生活していれば色々な思いが湧いて来るのが人間です。
アレが心配、コレが足らない・欲しい、アイツが腹が立つ、仕事が心配、病気の家族のこと、自分の将来、金の心配、・・・・。

朝の通勤時の人々を観ますと、それはそれは騒音のような独り言が道路に鳴り響いています。
声には出さなくても、霊的には誰もが大きな声で、小さな声で、何かを話しているものです。
心中が無音の人は、100人に一人もいないかも知れません。
でも、たまに見掛けるものです。落ち着いた人であることが見掛けからも分かります。

では、頭を空(くう・カラ)にするには、どうすれば良いのでしょうか?
これに関して、老子が面白いことを言っています。

* 家の中にゴミが天井まで詰まっていれば、人が住めますか? 
家の中の空間が無い家は、家としての用を成すことが出来ません。

* 空間が有るからこそ、人が家の中に入って来て暮らせます。

* 人の脳も同じであり、カラの状態であればこそ、良い知恵も湧いて来るし、知識も入って「来る」のです。

これは重要なヒントです。
私たちは、心を空にする理由も分からず、ただ無思考に成ろうとするから「出来ない」のです。
思考を消すという、何か消極的な意味から空を目指すから出来無いのです。

そうでは無くて、
* 知恵・真理という美味しい「鳥」を捕まえる為に、「心をカラにして待つ」という能動的な前向きな、ワナを仕掛けるような意味で無思考の空を心掛けますと、その実践が自分に教え、心が空の習慣が形成されると感じます。

話が変わりますが、格闘技などでは「何も考えていない奴が怖い相手」とよく聞きます。
動きを考えている相手は、動く前に既に目に次の行動が表示されていると言うのです。
だから相手の次の一手が事前に読めるから、防御が可能に成ります。
格闘技の達人は、無思考の人ばかりです。

心を心配で埋めていては生けません。
心をカラにしていれば、最善の方向が考えなくても見えて来るのです。

囲碁にしても、思考で読むのは限界があります。
でも、何となくの雰囲気が最善の一手を教えてくれます。
無思考からの一手を出せるか否かが、勝敗を決めます。

心が空・カラであることが大切です。
心に「空」を心掛ける人、この道理を知っている人は、良い知恵が湧き自由自在に生きられます。

先ずは、心をカラにして部屋掃除をしてみましょう。
釈尊の弟子である周利槃特(しゅり・はんどく)は、頭が悪い奴だとイジメに遭っていました。
でも、無心で掃除をする内に悟って、叡智を得て聖人と成りました。(https://goo.gl/gS9Ews)

人は、心をカラにして掃除に専念するだけでも、作務(さむ)を伴った大いなる修行となり、瞑想を超える心のカラに行き着くわけです。
ここに大いなるヒントを感じて頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/20(月) 13:32:39|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

霊を避けるよりも、先祖を供養したい気持ち、「情け心」を持つ人が救われて行きます。 「類は友を呼ぶ」(同類が自然と集まる)のは真理であり、法則です。 * もし困る先祖や縁ある霊が居れば、供養してあげたい。または先祖に感謝をしたいと思える人物。 * そういうモノは避ける、知らない、放置、自分が大事の人物。 このような二通りの人が居れば、どちらの人物と自分は一緒に働きたいか?結婚したいか?友達になりたいか? これは想像すれば分かることです。自分の死後は、自分と同じような性質の人だけが集まる世界へ逝くのが法則です。 情け深い人は、情け深い他人ばかりが居る世界へと、霊的磁気の引力で寄せ集められます。 嫌なことは避ける人は、やはり同じような人「だけ」が居る世界に引き寄せられます。 コノ世で自分がした行動により、死後の世界が決まって行く「最中」が今の時間です。 自分大事で生きて行くのか? 困る他人を何とかしてあげたいと思いながら生きるのか? その成果は別として、その人の「志」(こころざし)が、今生も来生も決めて行きます。 他人と比較した成果(結果)主義では無くて、誰もが自分自身の世界の中で今生も来生も生きて行く事になります。

「類は友を呼ぶ」(同類が自然と集まる)真理
2017-02-17 11:43:24 | 先祖供養について
【質問】
窓ガラスの前で先祖供養した場合、供養の光を見て外から無縁霊が入って来るのでしょうか?
これは床供養だけでは足りずに、守護霊の負担になってしまうのでしょうか?

家の中で奇妙なことは起きていませんが、もしかしたらそれは、ご先祖が必死で守護してくれているからなのかもしれません。教えていただければ幸いです。

(返答)
そのために、ヨリシロ短冊の名字をはじめ、供養対象を限定していますので問題はないです。
「縁ある」もろもろの縁者霊が対象です。

そして、家の中には、霊は簡単には「結界」(けっかい:仕切られた空間)により侵入が出来ません。重力の壁のような、本当に無理なことです。物理的な法則に感じます。
だから、人物に憑いて一緒に家内に入ることが8割、品物が2割と思ってください。

このために、宅配業者を始め来客がある玄関の外に注連縄(しめなわ:特に伊勢地方の形のもの)を飾るのは意味が有ります(玄関内も機能します)。
人に憑いて入ろうとした霊が掃除機(=注連縄)に吸着されます。
でも、注連縄が無くても、正しいヨリシロ霊位の有る先祖供養をしていれば、問題はないです。

建物を建てるだけで家内には、結界が生じています。
その代わり、「鬼門」(きもん:北東の角。霊の通り道「霊道」が自動的に形成される)も必ず生じるのです。
コノ世で囲いを作りますと、その中に「結界」と「鬼門」が必ず生じる次元の不思議が存在します。

外部の無縁霊は、窓の外から家内を覗き見すると思ってください。
心霊写真でも窓の外に写る知らない霊や、あるいは窓から顔だけを室内に突っ込んで見ている霊が写ることが有ります。高層マンションの窓外でも撮影されています。

普通は、正しい先祖供養がされている家では、これ以上の侵入はありません。生きる人が思う以上に難しいことです。
ただ、窓の前にヨリシロ短冊を置いて供養しますと、窓の外には「うらやましく思う」飢えた霊が居るという想定は出来ます。

従って、先祖供養は室内で、後ろが壁が理想です。
あとは襖(ふすま)や、家具の前で、ヨリシロ霊位を置いて供養することは、それは室内事情で仕方がないことだから良いです。
ただし、ヨリシロ霊位の固定・安定化。そして、安定した台で供養することが大切です。

アノ世では、言葉と思いによる「指定、ことわり、仁義」が外せない法則となります。
人が思う以上の契約が、今の生活中にも起こっていますから、自分の普段の「思い」と「言葉」が大切です。

人は霊の海の中で、既に誰もが暮らしています。
霊を避けることは不可能です。自分自身も霊のカタマリです。

これを供養せずに放置も自由です。
誰もが、色々な善悪の霊の中で暮らして行くことに成ります。
そのために、人の幸運・不運の運命も千差万別です。

ただし、霊を避けるよりも、先祖を供養したい気持ち、「情け心」を持つ人が救われて行きます。
「類は友を呼ぶ」(同類が自然と集まる)のは真理であり、法則です。


* もし困る先祖や縁ある霊が居れば、供養してあげたい。または先祖に感謝をしたいと思える人物。
* そういうモノは避ける、知らない、放置、自分が大事の人物。

このような二通りの人が居れば、どちらの人物と自分は一緒に働きたいか?結婚したいか?友達になりたいか?
これは想像すれば分かることです。


無理に先祖供養は不要です。
イヤイヤながら、怖がりながら、心配しながら、な人は供養は不要です。
これも、その人の人生です。

自分の死後は、自分と同じような性質の人だけが集まる世界へ逝くのが法則です。
情け深い人は、情け深い他人ばかりが居る世界へと、霊的磁気の引力で寄せ集められます。
嫌なことは避ける人は、やはり同じような人「だけ」が居る世界に引き寄せられます。


コノ世で自分がした行動により、死後の世界が決まって行く「最中」が今の時間です。
自分大事で生きて行くのか?
困る他人を何とかしてあげたいと思いながら生きるのか?

その成果は別として、その人の「志」(こころざし)が、今生も来生も決めて行きます。
他人と比較した成果(結果)主義では無くて、誰もが自分自身の世界の中で今生も来生も生きて行く事になります。


だからこそ、先祖を供養したいと「思える」自分とは、それだけでも意味深い貴重な人生だと私は思います。

あくまでも先祖供養は、自己責任・自主判断ですることです。
無理にすることではありません。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/18(土) 14:50:18|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0


獅子のごとく人も生きるべき
2017-02-15 10:43:20 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
ライオンならば、どんな声にも驚かない。
風は、どんな網にも掛からずに素通りします。
蓮華の花は、どんな泥水も身に付けない。

人も、このようにあるべきなのです。

だから、どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.71)

(感想)
非常に分かりやすく、人間のあるべき姿が指摘されています。
ところで、古代インドにライオンはいたのか?
インド虎の間違いでは?
と思われるかも知れません。

実は、ライオンは現在のインドの国章(こくしょう)にも描かれており、インドでは世界の王「転輪聖王」(てんりんじょうおう:過去生の善徳に保証された真の王)、
つまり「仏陀」を意味する象徴が古代からライオンなのです。

仏教で「獅子座」とは、星座のことでは無くて、仏陀が説法する場所のことを言います。
王の座という意味で獅子座思想とも言われ、説法が説かれた「場所」が未来への聖地として保存されました。

ブッダ・釈尊の足跡は、砂場でも長くその形が残り(足裏からの強烈な磁気放射による)、大地に刻まれました。
ましてや釈尊が座られて長く話をされた場所は、聖なる場所と成った訳です。

人は仏陀(ブッダ・真に悟りを開いた人)に誰もが成れます。
釈尊も仏陀の一人に過ぎず、釈尊以外にも無数の仏陀が太古から存在したことが仏典に述べられています。
これから人類は、誰もが仏陀に変身する可能性があります。そういう大きな節目の世紀に入りつつ有ります。

そして、人が目指すべき仏陀に成れば、どのような様相の人に成るのか?それが、

(1) ライオンのように堂々としていなさい。

他人からの悪口や噂話を気にして右往左往、気にして心を病む人が多いです。
もう他人からのどんな「声」にも驚かない自分、という姿を意識しましょう。
人は、自分が意識する人に、今から成れるのです。

(2) 社会の中の網に捕らえられては生けません。

世間には、色々な網が存在します。金銭・異性・地位・学歴・容姿・・・・。
このような、どんな網にも心が捕まらずに、素通り出来る自分であることが重要なのです。
何事にも捕まらない自分で居ましょう。

(3) 泥の中に入っても、心にまで泥を付けては生けない。

社会に泥は在るものなのです。これを無くそうとするほうが無理があるかも知れません。
泥を自分だけ避けようとして苦悩はしないことです。
どんなにあがいても、身の回りは泥だらけです。陰謀・悪口・盗み・不倫・不正・・・・。

でも、自分の心だけには泥を付けない決意をしましょう。
そうしますと周囲は泥だらけでありましても、自分は身に泥を付ける行動をしない人に成れるのです。
最初に、心に泥を付けることを思わないことが大事です。自分が悪事をしたいと思わないことが大切なのです。
不倫に憧れる人は、いずれ不倫をすることに成るからです。

そして、
* どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

これは会社でも孤立した変わり者に成れ、という意味ではありません。
他人とは常識的な態度、協力姿勢、調和、を努力します。
問題は、心の中のことなのです。

誰もが究極は、最後の時は、自分一人で裸で逝くことを忘れては生けないのです。
これを健康な内から心中で日々に思い出していますと、他人の悪口や、意地悪や、病気や不運でさえも、
すべてが愛おしい「思い出」に成ることが分かり始めます。
逆に、愛情が深い人に成れるのです。
これは実践が自分に教え、先行きを導きます。

人があるべき3つの姿を参考にして頂ければ幸いです。
どうせ終わる命ならば、いまさら何を悩むことがあろうか?
コノ世を思いっ切り生きてやりましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/15(水) 11:44:08|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0


今だけに集中して頑張る思考は、知らずに未来を変えている
2017-02-14 11:44:31 | Weblog
「自分の思い通りに行かない」「自分の願いが叶わない」
と言う人々を観ますと、

* その人は「挑戦する前から先に」その結果を望んでいます。
* 行動する以前に、先に結果を考えています。

そして、挑戦する前に、既に疲れています。
そして、結果的には何もしないまま。

このようなパターンが多くの人々に観られます。
しかも、このパターンに気付かずに何回も繰り返している人が多いのです。

そして自分で「どうすれば良いのか?」と分からなくなれば、
* 更に未来ばかりを心配しながら、今の生活を疎かにしています・ing。
* 占いで未来を知りたがります。(自分の努力放棄)

これでは、すべてが悪くなって行くのは、自然の道理・流れであり当然なのです。
何の不思議も、憑依も霊障も無い、自業自得で自ら選択していることに過ぎません。

* 挑戦する前から、自分が動か無いまま、現状の生活を捨てたまま、
まだ来ない未来ばかりを考えることを止めましょう。

* この夢想するパワーを、「今の目の前のことに努力する行動」に使いましょう。

「今の目の前のことに努力する」
・・・・これが今を生きる、今の中に没入する、という道元さんが目指した「作務(仕事)を通じた悟り」にも到達し得ることに成ります。

仕事や家庭で受けるどんな苦痛も、自分の魂を大きくするチャンスに自分で出来ます。
仕事を通じて、家族の困難を通じて、あるいは幸福感を通じて、人は悟ることが可能です。

悟れば、その状況の中のままでも、嬉々とした活力が湧きます。
そしていずれは、すべての現実もあれよあれよと必ず変わって行くのです。

世の中で本当に大きく成功する人間の多くは、先に結果ばかりを考えないのです。むしろ結果を考えません。
それよりも、自分が楽しくなるように、今の嫌な仕事の中でも工夫を始めます。
これは平会社員の時代から既にそうなのです。だから出世する人間は、見ていれば先に分かります。

確かに目標や結果を考えて努力することは大切ですが、これに囚われて大事を見逃したり、「幸運の機会に気付けずに」見過ごすことに成りがちです。
先に結果ありき、では自分の目を現状から乖離させて、目にフタを半分していることに注意しましょう。

今日に言いたかったことは、
* 今の先を心配する時間があれば、今直ぐに動きましょう。
ということです。

自分なりに、無心で動いて見ましょう。
動けば、見えて来ることが、分かることが、必ず有ります。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/14(火) 19:37:56|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

見てやろう、聞いてやろう、そして悟ってやろう
2017-02-09 11:40:39 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
心の奥の深層の欲望が滅した後のような静寂を求めて、真剣に求道すること。

家畜のような怠惰な生活を止めること。

よく真理を読む(当時は聞くしか無かった)生活を心掛けること。

常に、あるがままの今を正視することを意識すること。

コノ世のあらゆることをよく見聞きし、よく理解し、自分の中に確固たる信じるものを得て、

勇敢に自分の信じる道を行くこと。

以上のようにして、

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.70)

(感想)
釈尊が、日常生活のあるべき姿を示唆された項です。

(1)「欲望が滅した後」・・・性交や自慰で昇天した後のような一瞬の心の静寂は、正しい求道の生活の中でも垣間見ることが出来るということです。

悟った心境が住む「涅槃」(ねはん)という漢字を見ますと、少し性的に淫(みだ)らな、「快楽」を妄想する文字にも思わないでしょうか?
でも心が真の自由を得た心境とは、見るものすべてが喜びに満ちたまさに「快楽」と言えます。

性的快楽は一瞬で終わりますが、これと同等以上の快楽を求道で求めることが可能なのです。
実際に医学的にも、覚醒すると常に脳内麻薬が出ていると思います。
聖者ラマナ・マハルシがガンに侵されながらも、一切の医療行為を受けずとも常に深い笑顔で居たことの秘密がここにあります。生きながら涅槃に安住することが、誰にも可能なのです。

(2)人間は、誰もが飲んで食って寝るだけの家畜になって、貴重な限定時間を消費していないか?
と自分を振り返ることが大切です。
人は、自分に与えられた寿命期間を考えずに生活しています。

心は永遠に死ねませんから、「慌てない」とは確かに言えます。
でも、肉体が行動出来る時間は期間限定です。これを忘れないでいましょう。
時間限定だからこそ、逆に思いっ切り頑張ることも可能なのです。

(3)本当に正しいことは何か?真理とは何か?
これを求める好奇心を維持することは、心に永遠の若さをもたらします。
そしてこれが求道と成ります。

(4)自分の心が済んだ過去に住まないこと。
まだ来ない未来にも、自分の心を住まわさないこと。
常に今のこの場所に、自分の心を置いておくことが悟りには必須条件なのです。
今の自分と状況を、直視して行きましょう。

(5)悟りを求めるからと言って、社会情勢やニュースの現実を避けていては生けないということです。
コノ世のすべてを、見てやろう、聞いてやろう、とするバランス良い姿勢の上で、自分の中に信じるものを持つことが真の正道へと自分を導きます。
ただの「修行バカ」「信仰アホウ」では、悟りは得られないのです。

以上の生活を参考にして、自分の信じる道を勇敢に行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/09(木) 13:24:40|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0


(1)「無意識から溢れるものでなければ、多くは無力か詐偽(サギ)である。」(宮沢賢治)

無思考から自然と出るモノでなければ、続かない、価値が出ない、ニセモノである。と示唆されています。
これを逆に言えば、「人はどんなに悩んでも、考えているだけでは正しい答えは出ない」とも言えます。

答えが欲しい時は、ソレに関する「行動」を何も考えずに継続する中で、正解が「降りて来る」と言えます。
もし悩みが有れば、それに関する情報のすべてを最初に自分の脳に言い聞かせることが良いです。
そして、その後は、それに付いてもう悩まない・考えないのです。

でも、ふと、ソレに関して普段に悩みが湧き起こるのが人間です。
その時は悩み込まないで、ソレに関する「行動」をして行きます。
これを繰り返す中で、「無思考から正解が溢れて来る」と言えます。
その時は本当に心から、「もういいや」「これで行こう」と自分の中で腑に落ちます。

(2)「我々が出来ることは、今を生きることだけだ。
過去には戻れないし、未来があるかどうかも定かではない。」(宮沢賢治)

過去の嫌な出来事を思い出して、今でもその中で暮らしている人。
まだ来ない未来を心配して、今を未来への心配の中で生きる人。
とにかく生きている今の中で懸命に生きることが、人は苦手です。

今を生きずに、過去か未来の中に逃避して暮らすのが人は得意です。
「今を生きること」・・・多くの聖者が共通して言って来たことが、これです。
宮沢賢治さんも、この心境に達していたと言えます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/07(火) 12:44:04|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

やはりこうなったか。

元・プロレス興行団体「ノア(NOAH)」の運営会社が破産
帝国データバンク 2/6(月) 13:14配信

 (株)ピーアールエヌ(TDB企業コード981080681、資本金1000万円、東京都江東区有明1-3-25、代表田上明氏)は、2月1日に東京地裁より破産手続き開始決定を受けた。

 破産管財人は小畑英一弁護士(東京都千代田区永田町2-11-1、LM法律事務所、電話03-6206-1310)。

 当社は、故・ジャイアント馬場氏が立ち上げた「全日本プロレス」の人気プロレスラーとして知られ、99年から同社の代表に就任していた三沢光晴氏が、新団体の旗揚げに伴い2000年(平成12年)7月に設立し、初代代表に就任。選手、職員の大半が全日本プロレス出身者で構成されたプロレス興行団体「ノア」を運営し、本社および道場、合宿所を置く「ディファ有明」(東京都江東区)をメイン会場として、全国各地で興行を行い、試合会場での選手コスチューム、サイン色紙、タオル、ポスターなどの販売やリングマット上の広告料、ファンクラブなどの収入、テレビ放映権などを得て事業規模を拡大させた。

 しかし、2009年6月に三沢氏が広島市で行われた試合中の事故で死去する事態が発生。翌7月にプロレスラー兼取締役であった田上明氏が代表に就任したが、その後は有名選手の退団移籍なども重なり経営状態が徐々に悪化。2016年11月1日付で(株)プロレスリング・ノアから現商号に変更するとともに、興行事業をノア・グローバルエンタテインメント(株)<東京都千代田区、2016年11月7日付でエストビー(株)から商号変更>に譲渡し、破産申請の準備に入っていた。

 負債は調査中。

 なお、ノア・グローバルエンタテインメントに譲渡された「ノア」の試合・大会は予定通り行われている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170206-00010000-teikokudb-ind

2009年6月 三沢さん死亡
2017年2月 ノア消滅(破産)

自業自得、因果方法。
道を外れた行いをすればこうなるとうい証明か。
意外と結果が早く見れたのかも。
  1. 2017/02/06(月) 15:21:37|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0


今の生活を地獄と思うか、天国だと思うのか、自分次第
2017-02-06 11:30:20 | Weblog
人は、「今の自分の生活の中でも」天国を見られるか否か、が人生と運命、死後の行き先を変えると感じます。

(1) 今の自分の苦しい生活の中では、とてもじゃないが天国など見られないし地獄としか思えない。

と思う人が、この日本でも多いかも知れません。
でも、紛争地域から家族で来られた人は、日本は天国だと言うものです。
では、日本での生活を地獄と言う日本人が紛争地に住めば、何と言うのでしょうか?

最貧国のゴミの山に暮らす孤児の子どもたちは、大人が見れば地獄に暮らしていますが、なぜか笑顔でいます。
(2) 他の生活を生まれながらに知らないからです。

人間は、他の生活を知らないと、地獄の中に住んで居てもそこが地獄だとは思わずに、そこが楽しい天国だとも思えるのです。
すると(1)の人の苦しい地獄とは、
* 他人の生活と自分を比較した為の地獄
であることが見えて来ます。

(1)は、日本が地獄だったのでは無くて、他人と比較することでもたらされる地獄だということです。
そこで大切なことは、過去記事で何度も取り上げて来た、
* 自分を静観すること
* 自分を見詰めること

他人を見ずに、自分自身を見詰めることで悟りも開くと釈尊も述べていることです。
人は、自分がどんな環境の中に居ましても、自分の心の中に天国を観ることが可能であり、これが真実なのです。

他人の生活という幻想を見せて、自分が地獄に居ると思わせるのが悪魔のささやきだったのです。
悪魔は絶えず、代表人物という「他人」を拝ませ、物資の栄華を見せます。
それは、自分の心を観ることを妨害させる為の意図からです。

嬉々として幸福そうに暮らす人は、自分の世界に住むことが出来ている人です。
他人の生活に興味が無い人が多いです。
自分の生活が地獄だと言う人は、他人の生活ばかりを気にしているものです。

以上の話は、コノ世の次元と「悟り」に関する大切なヒントを説明したいがための話でした。
でも、まだこれは未消化な表現であり、言語で説明する限界を感じます。
ノドに言いたいことが引っかかったままです。

(2)は現実には可哀想なことなのですが、霊的には決してそうでは無いのです。
誰もが何時かは肉体を亡くす現実を見ても、ゴミの中でも「その笑顔」には神様が存在し、天国が在るのです。
どんな生活の中でも、人の「笑顔」は最高で崇高なものです。

今日も現実の中に暮らしながら、「自分の生活の中で」天国を観る意識を持ちましょう。
日本という恵まれた中に居ましても、地獄だと言う人は、やはり世界の現実から離れた「比較する自我」(ワレヨシ)の中に居ます。
これでは、いつまで経っても幸福は来ないのです。

私たちはコノ世で、確かにある意味では、誰もが何時でも死んでしまうという「地獄」の中に住んでいます。
でも、その中であっても、天国を自分で見ることが大切な人生の目的なのです。自分次第です。
地獄の中でも笑顔で居られる人が本当に強い人です。
コノ世の生死を覚悟し、これを乗り越えて行かれます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/06(月) 12:30:58|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

今の自分の、魂の、パターンに気付く重要性
2017-02-05 11:26:00 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
静かな環境で暮らす努力をし、心が平静に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を心掛けること。

常に心の真理に従って生活し、自分なりの修行生活を行うことが人には大切です。

そして無自覚に輪廻転生(りんね てんせい:コノ世に何度も生まれ変わること)をし続ける世間の人々を見て、

これは「悲しくて恐ろしいことだ」ということを思い知りましょう。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.69)

(感想)
釈尊いわく、
* 自分が静かな生活を心掛け、平静な心境を維持していますと、
* 社会に生きる人々が、同じことを何度も繰り返すことが分かる。
* これは魂の生まれ変わりについても明らかだ、と思い知ることが出来る。

と仰っています。
人間は冷静に生活を俯瞰(ふかん:全体を高所から見る視点)しますと、
仕事にしても、恋愛にしても、同じようなパターンで他人と揉めたり、成功体験をしたり、
喜怒哀楽を繰り返していることが分かります。

毎回同じパターンを100回も繰り返せば、
「あれ? 私は同じことを繰り返しているだけ?」

と人は気付けるのでしょうか?
その答えは「No」なのです。
心の平静を維持していない人には、自分が何度も同じことを「繰り返しているだけ」ということが分からないのです。

これは生死をまたいだ転生にも言えることであり、何度も似たようなパターンの転生を人は繰り返している最中です。
釈尊はこれを「恐ろしいことだ」と、この項で指摘しています。
これと同じことを、空海さんはもっと辛辣に表現されています。

「三界(さんがい)の狂人(きょうじん)は狂(きょう)せることを知らず」
(色々な世界において狂える人は、自分が狂っていることを知らない)

「四生(ししょう)の盲者(もうじゃ)は盲(もう)なることを識(さと)らず」
(真実を見ることが出来ない生きとし生けるものは、自分が何も見えていない者であることが分からない)

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く」
(生まれ生まれ生まれ生まれを繰り返して、生の始まりが分かっていない)

「死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」
(死に死に死に死んで、死の終わりを知りません)
『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)より。

何と、同じことを繰り返す人類のことを、空海さんは狂人だと指摘しています。
* 何度も、死に死に死に死んで、生まれ生まれ生まれ生まれ直しても、人は気付かずに毎回に同じことを繰り返しているだけだ。

と表現されています。
これは空海さんの愛情からの厳しい言葉なのです。
「頼むから世間の人々よ、気付いてくれよ!!」
という空海さんの心の叫びなのです。

現代世界の情勢を見ましても、紛争を繰り返し、また繰り返そうとしています。同じような破壊のパターンを何度も繰り返しています。
これを冷静に見れば本当に「悲しくて恐ろしいことだ」、という上記の釈尊の言葉が分かることでしょう。

この繰り返すパターンが、個人の人生にも起こっており、来世にも繰り返すのです。
これを脱却するためには、

* 静かな環境で暮らす努力をし、心が平静に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を心掛けること。
* 常に心の真理(良心・内在神)に従って生活し、自分なりの修行生活を行うことが人には大切。

ということなのです。
もし生活の中で自分の心中に怒りが湧いた時には、
* 以前にも同じようなことが無かったか?
* 自分が怒ったその先は、どうなったか?

ということを思い出しましょう。これだけでも、自主退職や、離婚も、不倫も、止めることが出来るかも知れません。
これだけでも、人の運命は変わるのです。 
今日も、自分の繰り返すパターンに気付きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/05(日) 19:03:52|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

それを楽しむ余裕を持ちなさい。病気をただ悲観して、自分自身を悲しみで殺して行く材料にはせずに、病気でさえも自分を明るく育て成長させる材料にしたいものです。 この辺りに、コノ世の秘密がありそうです。 起こる物事を悲観で見るのか? または、自分を成長させる機会だと見るのか? これが、その人の人生を変えて行きます。

誰もが自分という人生の俳優を完成させるために生まれる
2017-02-04 11:14:04 | Weblog
「ひょうひょう」と生きた細い仙人のような、昭和のコメディアン・俳優・名声優の御方が最近に亡くなられました。ご冥福をお祈り致します。

訃報後に晩年の様子がテレビで流れているのを見まして、
* 良い御顔をされているな。
* 仕上がった人。
という感想を持ちました。

悲しんでいる人がいれば、静かに側に寄り添って癒やす御猫様のような。
焦っている人を見れば、「自分なりのままで良いんだよ」と言いそうな。
怒っている人を見れば、「まあ、仕方がないじゃない」と微笑んでくれるような。
静かな人だったと思います。

どうして、このような良い仙人顔に成れたのか?と思い調べて見ますと、昔から大病の連続だったようです。大きな手術だけでも、肺気胸、胃がん、大動脈瘤、・・・・全身麻酔の手術を何度も経験されています。
子供の頃から線が細くナイーブで、少し病弱な優しい少年だったと思います。

高位な魂ほど、雑多なコノ世の振動数の世界では、肉体が弱く生まれることが多いと言えます。
彼の「慌てない優しさ」は、病気が教え育ててくれたとも言えそうです。
病気とは確かに嫌で怖いものなのですが、魂を仙人のように押し上げた意味では、霊的には大いなる修行に成ったと言えます。

病気をただ悲観して、自分自身を悲しみで殺して行く材料にはせずに、病気でさえも自分を明るく育て成長させる材料にしたいものです。
この辺りに、コノ世の秘密がありそうです。


起こる物事を悲観で見るのか? または、自分を成長させる機会だと見るのか?
これが、その人の人生を変えて行きます。

この点において、この御方は自分自身を良い御顔に完成させることに、コノ世で成功されました。非常に立派なことだと思います。

このような人格を形成するには、幼少期の祖母の存在が有ったようです。
祖母が何度も言い聞かせてくれた内容は、

* 自分が良い状況の時ほど、周囲の人の言葉に耳を傾けなさい。(謙虚な姿勢)
* そして、自分が悪いと思えば反省し、それを直すこと。
* 相手が悪いと思えば、それを許すこと。
* 心は広く持ちなさい。そして目的は高く持つこと。
* 他人と意見が違っても、それを認め、それを楽しむ余裕を持ちなさい。

という内容だったようです。
「それを楽しむ余裕を持ちなさい」・・・・まさに彼の生涯は、コレだったと思います。
すべてを楽しむ姿勢。なんて素敵なことでしょうか。
悲しいことも、それを楽しむ視点が持てれば最高です。これこそは「俳優」でもあります。

誰もが自分という人生の俳優を今生にしています。
泥臭く、かっこ悪くても良い。だって今回は、そういう役だから。
誰もが自分という役に徹底し、没入すれば、それをやり切った最後に良い御顔に成っていると感じます。
今生の自分の役を、とにかく楽しみ、最後までやり切りましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/04(土) 12:42:10|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

* どうせ同じ距離を歩くならば、もっと笑いながら歩けば良かった。 * 深刻ぶることは、何も無かったのだ。 * だまされても、酷い目に遭わされても、笑っていれば良かったんだ。とにかくコノ世は、完全管理、すべて録画記録、されていると思ってください。 * だから、ムダなことは一切無いのです。 誰にも知られない善行も、他人に見える善行も、アノ世ではすべてが厳正に正しく評価されます。

深刻ぶることは何も無かった
2017-02-02 11:32:45 | 人間が死後に思う10の内容
今朝に思いますことは、
「人は、自分が必ず死ぬ存在であることを忘れなければ、もっと良く生きられる」
「ただし、自分の心は永遠に死なない存在である自覚を持ちながら」

ということです。

もし、今が悩みの中に居るならば、
「私は、いずれは必ず死ぬ存在なのに、何を悩む必要があろうか?」
と自分に言い聞かせるのも良いかも知れません。

悩みながら、怒りながら歩く道(人生)も、いずれは終わります。
どうせ同じ距離を歩くならば、笑いながら歩けば良いのです。
まさにこれを死後に、どの魂も後悔しています。

いざ死んでみれば、肉体は無いが、自分の感じる気持ちはそのまま継続していることに驚き、麻酔から覚めたような感じて霊は最初は居ます。

その内に、知っている故人(親族や友人)に再会し、今生を走馬灯(そうまとう:流れる映像)のように見た時に、まさに感じることは、

* どうせ同じ距離を歩くならば、もっと笑いながら歩けば良かった。
* 深刻ぶることは、何も無かったのだ。

* だまされても、酷い目に遭わされても、笑っていれば良かったんだ。

なぜなら、神様も、閻魔大王も、本当に居たから。

* 自分の人生には、本当は何も起こっていなかったのが真相だった。
アレもコレも、死を体験してみると大した問題では無かった。

* それよりも、自分に善行が無かったことが、これほど苦しいこととは知らなかった。
これが死後の最大の後悔であり、苦しい問題だ。
家族にも他人にも、もっと優しく尽くせば良かったな。

* コノ世での善行こそが、アノ世の万能通貨・貯金だったんだ。
コノ世で金が無いのも苦しかったが、アノ世で善行貯金を持たない魂ほど、惨めで苦しいことは無い。
また、転生したいな。今度こそ、他人を喜ばせたい。

以上のような流れが、大なり小なり、誰もが体験することです。
私は今でも、このような故人の様相、アノ世の動きを日々の中に視ています。

チベット仏教では、「死」を聖なる最高の通過点の儀式と考えます。
国際空港の入国検査を、聖なる部屋で受けるぐらいに思えば良いです。
その入国検査官により、今生の自分の行いを映像と音声付きで画面で見せられます。

その映像を自分が見せられている最中は、その検査官が自分の目を、心を、無言で凝視しています。
過去の自分の映像を見ながら、もうウソも弁解も不可能であることが自分で分かります。

これが終わりますと、検査官は「あなたは、あちらの入り口から入国しなさい」と指図されます。
一番最初は5つぐらいの入り口が存在し、他の人も自分自身に指図された入り口に各人がそれぞれ進みます。その先には無限で広大な世界が待っています・・・・。
ただ、その先にも幾つかの入り口検査が待っています。

とにかくコノ世は、完全管理、すべて録画記録、されていると思ってください。
* だから、ムダなことは一切無いのです。
誰にも知られない善行も、他人に見える善行も、アノ世ではすべてが厳正に正しく評価されます。


この誘惑の多いコノ世でも、見えない先祖(遺伝子)を癒やし、何事にも感謝をしていた人は、何も心配がいりません。
完全な歓喜、慈悲に溢れたアノ世の世界に住むことに成ります。

誰もが短期間の旅行者です。
深刻なことは何も無い。それさえも体験したかった苦行のアトラクションです。自分で選んだオプショナル旅行です。

今日も笑いながら、感謝しながら生活を楽しみましょう。
これが最もお「徳」な生き方なのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/02(木) 13:13:40|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

人生とは自我(ワレヨシ)の心を無くして行く旅です。自分を無くした先に在るのは何か? その人は、全体と同化して生きる存在に成ります。 他人と会えば、その時は相手に同化して生き。 山を眺めれば、自分が山に同化し、 海や川や森を見ても、その中に溶け込む人に成ります。自分の自我を消滅させるほど、自分に会う他人は気持ちがよく成る。また会いたく成る。 ということを覚えて置いてください。人がコノ世に生まれるのは、 * 今度こそ、自分無くしをするぞ! と転生して来ます。 「では、自分の自我(ワレヨシ)を薄めて生活してみようか」 、と思って見ることも参考にしてください。 想像以上に、自分自身も周囲の人も、楽に成って行くものなのです。

『自分なくしの旅』
2017-01-28 10:57:22 | Weblog
会っていて気持ちの良い人とは、自我(ワレヨシ)の少ない人です。
相手の気持ちも、自分の気持ちも、お互いに「すっと」通る気がします。

反対に自我の強い人は、良いふうに言えば「個性の有る人」と世間で言われます。
でも自我の強い人と会いますと、その後はまるでステーキを食べた後のような気がします。
霊的にも相手のギラギラとした油を食べたのでしょう。

人生とは自我(ワレヨシ)の心を無くして行く旅です。
では、その人の個性は消えて行くのか? と質問されますと、
* 空気のように
* 清らかな水のように
人の理想の姿は成って行くものです。
だから、これを個性と言うのか?という問題に成ります。

このような人は滅多には居ませんから、やはり良い意味で個性と言えるのかも知れません。
では、自分を無くした先に在るのは何か?
その人は、全体と同化して生きる存在に成ります。

他人と会えば、その時は相手に同化して生き。
山を眺めれば、自分が山に同化し、
海や川や森を見ても、その中に溶け込む人に成ります。


こういう心境の時に、書や絵を書きますと、まさに見た風景を転写したかのような生きたモノを描くものです。
過去の禅僧や偉大な芸術家の作品に多いです。

また、そういう自我が少ない人に会いますと、その人は自分に同化してくれますので、
* 自分のことを完全にすべて理解してくれる気がする。
* 自分のすべてを、許してくれている人だと分かる。
* 自分が大きな海に抱かれている気に成る。
と自我が有る人は感じるものです。

自分の自我を消滅させるほど、自分に会う他人は気持ちがよく成る。また会いたく成る。
ということを覚えて置いてください。

もし、「自分は他人に避けられる気がする」と感じる時は、自分の自我(ワレヨシ)とは何か?を静観しましょう。

気に成りますのは、幼児教育です。
「その子の個性が大事」と言いながら、悪い自我(ワレヨシ)を増長させるだけの教育では、不幸に成る人間を養成するに過ぎません。

「三つ子の魂百までも」(幼児の時に受けた教育によって形成された習慣・性質は一生変わらないものだという意味)
つまり、3歳を超えれば、暴力性も、色情も、物欲も、怠惰も、既に有るのです。

これを個性だと言って放置しますと、まさに不幸な、成人後に苦しむ、大人を創ることに成ります。
規則正しい学校生活も出来ないような、個性という詭弁で逃げる人間を創ってしまいます。

たまにこれも利用して「高い霊性」と親が言い訳利用するパターンも昔からあるものです。その子の成人後、老後はどうなって行くのか?
半世紀も誰も観察が出来ませんから知られませんが、私の知るパターンでは100%ダメなのです。
自分で生活も出来ないダメ人間に成っています。

人がコノ世に生まれるのは、
* 今度こそ、自分無くしをするぞ!
と転生して来ます。

「では、自分の自我(ワレヨシ)を薄めて生活してみようか」
、と思って見ることも参考にしてください。
想像以上に、自分自身も周囲の人も、楽に成って行くものなのです。


(伊勢白山道)
  1. 2017/01/28(土) 13:09:05|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

* 過去の喜怒哀楽は、遠くに置き去りにしなさい。 * もう済んだことは、心から離して、遠くに置いておく心掛けを知って置きなさい。 ということです。これを人は意識すれば可能であることを知って置くだけでも変わって行きます。 * 人は、過去の中に心が住んでは生けないのです。 * 今の生活の中に心が住まなければ、人は改善も成長もしません。* 生活の中で「心を静止させる」実践。 * 今だけを見る・ありのままを見る・無思考への挑戦。まさに社会の中で、嫌な同僚や上司の中で、家庭でもストレスが有る中で、 * 心が平静で冷静な極みの中に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を目指すこと。 これを、ただ座る瞑想(ムダで贅沢な浪費です)では無くて、働く動きの中で目指すのです。 これは知らずに道元禅を自分で実践することに成ります。 今日も自分なりに、雑多な社会と生活の中で、自分の心を「平静」と「冷静」と「安心」に静止させる挑戦をしてみましょう。 この実践の継続が、嫌な過去も遠くに置き去りにして、心の革命を起こすのです。

心を安心に止めて置くこと
2017-01-27 11:11:20 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
過去の喜怒哀楽は、もう遠くに置き去りにしなさい。

それよりも今の生活の中で、心が平静で冷静な極みの中に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を身に付けていることが最大事なのです。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.67)

(感想)
禅定(ぜんじょう)とは、仏教において心が動揺することがなくなった一定・「静止」の状態を指します。

心が平静で冷静な極みの中に安住して静止している禅定の実践によって、心が見える景色や他人に一切乱されないとき、それは三昧(さんまい・サマーディ)の状態と呼ばれます。
また、禅定によって心を一切乱されない力のことを、心の定力(じょうりき)または禅定力と呼びます。

人は仕事をしながら、生活しながら、過去に有った喜怒哀楽や過去の異性に自分の心を静止させることが得意です。まさに「心ここにあらず」、が人は得意なのです。
これでは今の生活でも失敗や、愚かな間違いを繰り返すことに成るものです。
釈尊は、これではダメだと仰っています。

では、どうすれば良いのか?
* 過去の喜怒哀楽は、遠くに置き去りにしなさい。
* もう済んだことは、心から離して、遠くに置いておく心掛けを知って置きなさい。

ということです。これを人は意識すれば可能であることを知って置くだけでも変わって行きます。
* 人は、過去の中に心が住んでは生けないのです。
* 今の生活の中に心が住まなければ、人は改善も成長もしません。


以上の考察を読んで改めて思いますことは、道元さんの禅宗こそが、釈尊の直伝の「実践」「実行力」を現代にまで残していると思われます。

* 掃除・料理道・畑仕事などの労働・街に出て他者との触れ合い・・・・これらを「作務・さむ」として一日の大半において重視する実践。
* 生活の中で「心を静止させる」実践。
* 今だけを見る・ありのままを見る・無思考への挑戦。


そして私が思いますには、隔離閉鎖されてお膳立てされた環境の中でこれを行うのは、まだ半分なのです。
これを誘惑に満ちた雑多な世間の中で心掛けることこそが、大きな飛躍と成長を生むと感じます。

まさに社会の中で、嫌な同僚や上司の中で、家庭でもストレスが有る中で、
* 心が平静で冷静な極みの中に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を目指すこと。

これを、ただ座る瞑想(ムダで贅沢な浪費です)では無くて、働く動きの中で目指すのです。
これは知らずに道元禅を自分で実践することに成ります。

今日も自分なりに、雑多な社会と生活の中で、自分の心を「平静」と「冷静」と「安心」に静止させる挑戦をしてみましょう。
この実践の継続が、嫌な過去も遠くに置き去りにして、心の革命を起こすのです。


(伊勢白山道)
  1. 2017/01/27(金) 13:04:07|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

点で見るか、長期で見るか、で運命は変わる。 今を「点」で見ますと、確かに悩みは有る。 でも、「長期」で悩みを見ますと、悩みは無いわけです。 これはアタリマエだと思われるのでしょうが、私はここに次元の秘密が在ると思っています。 つまり、何を言いたいかと説明しますと、 * 物事を一点だけで見る人は、とにかく何でも引っかかり、悩みが増えるのです。 * 狭い視野で物事を見る人は、他人との摩擦が増えます。腹が立つことが増えます。 でも、「長期の視点」「広い視野」で物事を見る人は、 * 悩みが消えて行く。 * 嫌な他人も許せる。他人が愛おしい。それでも良い。 と成ります。見る視点の範囲の違いで、自分の人生が運命が変わって行きます。 今日の私が言いたかったことは、 * 広い視点・視野を持ちましょう! ということです。 これにより、「まあいいか」「慌てない」「これは止めて置こう」という選択が可能なのです。

点で見るか、長期で見るか、で運命は変わる
2017-01-25 10:48:11 | Weblog
今、悩んでいる最中の人は、
「100年後は、この悩みはどうなっているのかな?」
と思って見るのも良いかも知れません。

当然に自分自身もコノ世に居ないし、関係する人々も存在していません。
そして、その今の悩みも霧散して消えています。
そんな悩みは無かった。
と成ります。

しかし、今を「点」で見ますと、確かに悩みは有る。
でも、「長期」で悩みを見ますと、悩みは無いわけです。
これはアタリマエだと思われるのでしょうが、私はここに次元の秘密が在ると思っています。

つまり、何を言いたいかと説明しますと、
* 物事を一点だけで見る人は、とにかく何でも引っかかり、悩みが増えるのです。
* 狭い視野で物事を見る人は、他人との摩擦が増えます。腹が立つことが増えます。

でも、「長期の視点」「広い視野」で物事を見る人は、
* 悩みが消えて行く。
* 嫌な他人も許せる。他人が愛おしい。それでも良い。
と成ります。


どちらの視点の人に、他人が集まり、良い情報も幸運も金運も寄って来るでしょうか?
これは明らかなのです。
見る視点の範囲の違いで、自分の人生が運命が変わって行きます。

100年後の視野は長すぎるにしても、この10年後はどうなのか?という視点は誰もが持つべきだと思います。この視野により、
* 大事な物事(家族・仕事・・・)を捨てずに、本当に不要でムダな危険因子を捨てることが可能に成ります。


何かを自分が選択しなければ生けない時は、その10年後を想像した上で選ぶことが大切です。
これにより、未来の自分が後悔することを避けることに、今の時点で出来るのです。
今の「点」だけを見た自我(ワレヨシ)で選択して、周囲の反対を押しのけて突っ走る人は、必ず後悔するものです。

後から、アノ時の自分を殴ってやりたい!と思う人が居るものです。
でも、霊的には、これは有ることなのです。
今の自分が不運だ。何をしてもダメだ。と思う時は、未来の自分から殴られているかも?
という可能性を知って置いてください。

多くの人の悩みを視ていますと、その人の守護霊・先祖が善意から妨害していることや、そのままの場合の未来を知る本人の生霊が、今の自分を殴っていることが意外にも有ることなのです。
今の自分が、より間違った方向に行くことを未来の自分が心配して怒ってくれている訳です。


今日の私が言いたかったことは、
* 広い視点・視野を持ちましょう!
ということです。
これにより、「まあいいか」「慌てない」「これは止めて置こう」という選択が可能なのです。


(伊勢白山道)
  1. 2017/01/25(水) 13:15:09|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

* 自分が被害者になった場合でも、相手を憎まなくても、必ず相手は自業自得に成ること。 * 自分が被害を受けた場合でも、自分にとって有利な相殺(そうさい:自分の霊的な負の借金が消えること)が必ず起こるチャンスであること。 * 人の不運も悪く無いことだった。 自分が不運な時は、思いっ切り受け切るほうが、後から大きな幸運が来ます。中途半端は、未消化の不運を持ち越します。 ・・・・という見方も参考にしてください。ただし、正当な自己防衛への努力は大切です。 * 自分が悪口やイジワルをされた場合でも、その相手は未来の本人自身を傷付けていると思って静観で良いです。嫌な他人が多い中ほど、ある意味では自分の善徳を積み、自分の垢を昇華させるチャンスでも有るわけです。

他人への態度が自分の運命を決めて行く
2017-01-24 11:08:35 | Weblog
今朝に思いますことは、
「他人への態度が自分の運命を決めて行く」
ということです。
運の良い人の他人への態度を見ていますと、

* 他人に対して思いやりがある。
* 他人の話を聞く態度がある。
* 他人を褒める。
* 他人にモノを上げるのが好き。
* 他人への愛情がある。

こういう人は、自分で望まなくても幸運・金運のほうから来てくれます。
霊的には、こういう人の他人への態度は、
* 明日の自分を創る態度だった。
と言えます。

祈願で幸運が欲しい人には、果たしてこのような他人への態度が有るのでしょうか?
神様をも使おう・利用しようとするワレヨシな自分だけ大事の人が多いです。
これでは幸運が逃げ、不運に成るのは道理です。神様でも避ける人間であることを自分から申告しています。
注意が必要です。

* 他人への悪口が好きな人 ⇒ その人は陰口を言われることに成る。
* 他人をイジメる人 ⇒ その人は未来に痛い思いをすることに成る。
* 他人の物を盗む人 ⇒ その人は、その10倍のモノを失くす。健康も含めて。

つまり、私が何を言いたいのかは、
* 自分が被害者になった場合でも、相手を憎まなくても、必ず相手は自業自得に成ること。

* 自分が被害を受けた場合でも、自分にとって有利な相殺(そうさい:自分の霊的な負の借金が消えること)が必ず起こるチャンスであること。

* 人の不運も悪く無いことだった。
自分が不運な時は、思いっ切り受け切るほうが、後から大きな幸運が来ます。中途半端は、未消化の不運を持ち越します。
・・・・という見方も参考にしてください。ただし、正当な自己防衛への努力は大切です。

* 自分が悪口やイジワルをされた場合でも、その相手は未来の本人自身を傷付けていると思って静観で良いです。


コノ世のすべてが、1つの大宇宙(自分自身でもある)の体内での出来事だと想像しましょう。
体内には善玉菌も悪玉菌も必ず両方が居るのです。
悪玉菌がゼロならば、善玉菌も成長する必要が無くなり、弱って行くのです。
でも、悪玉菌は、いずれは他の善悪両方の菌に食われて行きます。

自分の生活の中で、「他人という鏡」を有効利用して、明日の自分を創造して行くチャンスが誰にも今も常に与えられています。
嫌な他人が多い中ほど、ある意味では自分の善徳を積み、自分の垢を昇華させるチャンスでも有るわけです。

どんな環境・場所でも、幸運へのチャンスが存在しています。
今日も先祖に感謝し、自分の生活の中での善徳と昇華をして行く視点を持って、明るく暮らしましょう。すべてにムダは一切無い。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/24(火) 13:03:03|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「花よりも、花を咲かせる土になれ」* 思いやりのない人間は、何をやってもだめだ。商売するにしたって、人を教えるにしたって、経営者に成るにしても、思いやりのない人間は絶対に成功しません。 

正しいことは、どの道を極めても同じ境地に行き着く
2017-01-22 11:59:54 | Weblog
プロ野球選手を何人も育てた、高校野球の有名監督の言葉をニュース番組で見ました。
昔から講演会などでよく発言されている内容だそうですが、

* キャッチボールは、なぜ相手の胸の真ん中に向かって投げるのか?
* 相手が球を取りやすいようにするための、思いやりからだ。
* 思いやりのない人間は、何をやってもだめだ。商売するにしたって、人を教えるにしたって、経営者に成るにしても、思いやりのない人間は絶対に成功しません。 (以上)

私は、これは良いことを仰る監督だと思いまして、他の発言も調べましたところ、

* 野球で有名に成ろうとすることよりも、真面目な社会人に成ることが大事だ。
* 肉体・素質が一流でも、思想が二流の者は伸びない。
* 監督が一番好きな言葉は、「花よりも、花を咲かせる土になれ」 (以上)

この監督の言葉を読んで改めて感じますことは、
* 正しい真理は、どの道から登りましても、極めれば同じ境地にたどり着く。ということです。

以上の言葉の数々の中に、コノ世の大事な要素・要点の大半が既に述べられています。
私も以前から「思いやり力」が、その人の人生を決める。
自分が思いやり力を強く持てば、自分自身が観音様と成り、奇跡は起こる。
と書いて来ました。

野球道を極めた上でも、「思いやり」に行き着く訳です。
自分が相手の取りにくい場所にボールを投げれば、受ける側が球を落として点が取られる。
夫婦間でも、伴侶への思いやりが無ければ、いずれは離れて行くことに成る。

勉強を教える場合も、生徒の立場になった思いやりの有る教え方が理解度を変える。
システムエンジニアでも、思いやりの無いプログラミングの書き方は、他人がメンテナンス出来ずに停止する。
思いやりの有無が、自分の出世や収入にも影響することに成ります。

また、自分が他人と結婚する場合、他人を雇用する時、自分が品物を買う相手、・・・・。
こういう時は、相手の「思いやりの有無」を見る視点が大切です。

更に監督は、環境・条件が一流でも正しい志(こころざし)・思考が無い者は、伸びない。と仰ってます。
裕福な家に生まれましても、家を潰し、犯罪を犯す人もいます。
やはり、人間は正しい道徳観の有無や、正しい思考の有無が、その人の人生を決めます。

これを逆に言えば、今が貧乏であっても、正しい志の人間には無限の可能性が有ります。
コノ世で貧乏であっても、正しい思考と「善徳」の有る人は、アノ世でも来生でも裕福に成ります。
やはり人は心が大切です。

「花よりも、花を咲かせる土になれ」・・・・これを見た時に、思い出したエピソードがあります。
海外で活躍するプロサッカー選手の長友選手は、大学生時代はサッカー部の2軍選手だったそうです。
試合の時の役目は、応援団で太鼓叩きの任務だったとか。

この時に彼が思ったことは、レギュラー選手には成れないが、
「一流の応援団に成ってチームを勝たせたい」
と思い続けた4年間だったそうです。

他人を一生懸命に応援した彼の今は、自分が大舞台で応援される立場に変わっています。
これも、「花よりも、花を咲かせる土になれ」のような彼なりの志と行為が、今の彼を育てたと言えないでしょうか。

今日の私が言いたかったことは、みんな環境も条件もバラバラですが、自分の生活を正しく思考して努力をすれば、誰もが行き着く先は同じ祝福の世界だと言うことです。
  1. 2017/01/22(日) 12:30:13|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

【嫌な感情に対して「降参」して行くこと。立ち向かわない心の非暴力】自分で自分自身が他人から受ける反応を静観し、 そのような自分のコンプレックスから過大な感情の反応が起こると察知した時には、 * その過大な感情を「手放しなさい」。 手放すとは、とても良い表現です。過大な感情を断ち切りなさい、と言われましても「どうすれば良いのか?」と思うものです。 自分に湧き起こる嫌な感情を、手放すのです。 もう自分で分かったからと、嫌な感情に対して「降参」して行くのです。 この自分でする「認識」により、冷静な中道に戻ることが可能です。 * そして心は、いかなることにも公平性・中道(ほどほど)から離れては生けない。 これを忘れないで置くのです。人はどんな環境・条件の中に居ましても、心の絶対安定を勝ち取ることが可能なのです。そして輪廻(りんね:生まれ変わる修行)から卒業することも可能なのです。

嫌な感情に対して「降参」して行くこと。立ち向かわない心の非暴力
2017-01-21 11:28:10 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
人間を構成する五つの要素である五蘊(ごうん)が起こす執着を断ち切りなさい。
五蘊とは、自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで湧き起こる感覚であり、これに愛着や執着を持ち過ぎますと、苦しみが次から次へと心に湧き上がって来ます。
五蘊とは以下の五つを指します。

・ 色(しき)=「身体」機能が活発であるために湧き起こる攻撃性や性的反応などの苦しみ。
・ 受(しゅ)=物事からの刺激を受ける「心」の反応。悪口などを受けても、なんでも被害妄想的な過大に受け取る癖。
・ 想(そう)=見たものについて何事かをイメージする「心」の機能。自分が見た現実以上の過大な妄想を見ること。
・ 行(ぎょう)=イメージしたものについて、自分の意志判断を下す「心」の機能。
・ 識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「心」の機能。

この五蘊が引き起こす愛着や憎悪を断ち切り、心の安定への障害を放棄(手放すこと)しなさい。
そして、いかなることにも公平性・中道(ほどほど)から離れては生けない。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.66)

(感想)
これはまさに現代社会で病んでしまう人間への注意点を、2500年前に生きた釈尊が示唆されています。
人間は自分の五感・五蘊(色・受・想・行・識)をストレスから過剰に暴走させてしまいますと、

* 苦しみが次から次へと、その人間に湧き上がって来ます。

と釈尊が断言されています。
そのすべては他人だけが原因では無いのです。それを過大に受け取る自分の心のサガが心の深奥に原因として有るということです。

他人からの刺激を、自分が過大に受け取ってしまう原因には、
* 他人と自分を比較(作業能力・貧乏・美醜・学歴・持ち物・家族の問題・・・・)してしまう自分のコンプレックス。
に注意が必要だと感じます。


そのことを認めたくは無い自分のサガを、冷静に自分で観察するのです。
そして釈尊いわく、

* 五蘊が引き起こす愛着や憎悪を断ち切り、心の安定への障害を放棄(手放すこと)しなさい。
自分で自分自身が他人から受ける反応を静観し、
そのような自分のコンプレックスから過大な感情の反応が起こると察知した時には、

* その過大な感情を「手放しなさい」。
手放すとは、とても良い表現です。過大な感情を断ち切りなさい、と言われましても「どうすれば良いのか?」と思うものです。

自分に湧き起こる嫌な感情を、手放すのです。
もう自分で分かったからと、嫌な感情に対して「降参」して行くのです。
この自分でする「認識」により、冷静な中道に戻ることが可能です。


* そして心は、いかなることにも公平性・中道(ほどほど)から離れては生けない。

これを忘れないで置くのです。
以上の内容から思いますのは、釈尊こそは人間の心の動きを極限まで熟知されていることです。
釈尊の言葉を真に理解した人は、心の問題から離れ、何ものにも害されない心の安定を勝ち取ることでしょう。

今日も自分に湧き起こる過大な感情があれば静観し、「五蘊の戒め」(ごうん のいましめ)として、思い出しましょう。
人はどんな環境・条件の中に居ましても、心の絶対安定を勝ち取ることが可能なのです。そして輪廻(りんね:生まれ変わる修行)から卒業することも可能なのです。
今日も明るく生きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/21(土) 16:52:07|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

苦しみは有るが、心にまで受け取らないこと
2017-01-17 11:26:00 | Weblog
釈尊が言われるには、
* コノ世は、すべてが一切苦(いっさいく:苦しみ)なのだ。

でも、社会や自分に苦しみがあっても、その影響を自分が受けなければ・「受け取らなければ」、
* コノ世に苦しみは有るが、苦しみは無いに等しいモノだ。
とも示唆されています。

これは重要な指摘です。
私たちは、自分に有る苦しみを無くそう・取り除こうとして苦しみます。でも釈尊は、
「コノ世から苦しみは無くならない。そういう世界なんだよ」
と言われます。

* 苦しみは何をしても必ず有るのだ。だから、苦しみは有る、と思っていれば良い。
* 苦しみを無くそうと焦るから、自分が苦しいのだ。
* 苦しみが有ることを認めて、後は自分が苦しみを気にしないこと・受け取らないこと。
* 自分が苦しみを受け取らなければ、その苦しみは有っても、無いに等しいのだ。

という意味を示唆されています。
実は、これと同じことを、他人から呪詛(じゅそ:呪い)をされた場合の対策でも釈尊は述べています。

釈尊は、当時の有料先生・修行者たちから非常に呪詛されました。なにせ真っ向から有料先生や修行者のやっていることはデタラメ・ムダだと否定して回ったからです。中にはダイバダッタのような実力行使をして来る輩(やから)もいました。
でも、釈尊はいつも平気で涼しい顔をされていました。

そのことを弟子が、「どうして釈尊は平気でいられるのですか?」と聞きますと、釈尊は、
「君がプレゼントを他人から送られたとしよう。
でも君は、そのプレゼントを受け取らなかった。
ではそのプレゼントは、誰に返されるのかね?」

弟子が、「それは元の送り主に戻ると思います」と答えますと、
釈尊は、「私も受け取らずにいるから平気だ」。
実際に、釈尊を呪詛した先生たちは、ばたばたと消えていかれました。

釈尊は、呪詛だけでは無くて、コノ世の苦しみも同じだと言われました。
* コノ世に苦しみは必ず在る。
* でも、自分が苦しみを受け取らなければ、コノ世は一切歓喜(いっさいかんき・すべて喜び)の世界でもある。
* 人は、自分が何に着目するかで、「住む世界が変わる」のが真理なのだ。

不倫に着目して暮らすのか、金儲けに着目か、他人をイジメることに着目か、
他人を喜ばすことに着目か、家族のために生きることに着目か、仕事に生きることに着目か。
人は、自分が好んで見るモノの中で暮らすことに成ります。

自分や家族に不幸が有りますと、
「どうして自分になんだよ!」
と苦しむのが人間です。
その不幸を解決するための苦労に苦しみます。

私にも日々いろいろな心配や苦労の種は起こります。でも、それに関して自分が出来ることをやり切った頃には、無事に通り越して終わっているか、まだその問題が継続していましても、もう心配の種では無いのです。

自分がその苦労に対して、本当に出来る努力をやり切ったならば、
「成るように成れ」と自然と素直に思えるものです。その結果への執着が消えているのです。
その問題は、もう苦しみでは無くなっています。

自分に在る苦しみが、無くならないからと心配や右往左往しては生けません。
* 苦しみは在るが、自分の心までは傷めない決意。
* 苦しみを、心にまで受け取らない決意。
* 苦しみだけを、見続けない決意(家族や他に見るべきことが有ります)。

この継続の中で、「それでも自分は生かされている」という感謝に気付けますと、
* コノ世の一切が、実は自分のための歓喜(喜び)だったことに自分で目覚める時が来ます。

聖者ラマナ・マハルシも、地球の汚染を受けて、身代わりとなってガンを患っていました。
でも最後まで平静で穏やかな微笑みの中で去りました。彼は、
* 苦痛は有っても、心には受け取らないからまったく平気だ。
という示唆を残しています。

私たちは見えるコノ世の世界に比重を置きますが、
* それを受け取るのは自分の心一つなんだ。
ということを再認識して置きましょう。
本当は、心しか実在していないのが真理なのです。これ以外は、消えて行くものばかりなり。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/17(火) 13:03:34|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

すべては感謝の気持ちから「生まれる」のです。 お金でさえも、感謝の気持ちから、仕事や商売の態度が変わり収入がより生まれるのです。 * 宇宙は感謝の気からビッグバン(無⇒有の転換)が発生した。 という真理を覚えて置いてください。 これは、すべてに貫徹する法則であり、何かを生み出すことに利用も出来るのです。

幻想の中だから、何も心配せずに、思いっ切り善行バカに成れる
2017-01-15 11:13:11 | Weblog
今から400年近くも前に生まれた、イギリスの有名な大科学者ニュートン(現代の微分積分学もニュートンが発明)は、万有引力を始めとして現代にも通じる多数の大発見をしたのですが、物理・数学・宇宙科学の発見をするに従って、神を意識しない普通の人だったのが完全な有神論者と成ったそうです。
数式の奥に、「完璧な存在」が実在することを認めざるをえないという根拠からだったようです。

ある時に、ニュートンの知人で頑固な無神論者の科学者が部屋に遊びに来たそうです。神などいるわけが無い、という人です。
その時に、太陽系の惑星の動きがダイヤルを回すことで各惑星が歯車で移動する地球儀のような宇宙模型が置いてあったそうです。

その精巧な造りに驚いた知人は、「これは誰が作った模型だ?」とニュートンに聞きました。
するとニュートンはその模型を指差して、
* 自然とそこに発生した。
と返答しました。当然に知人は、「バカにするな」「誰が模型を作ったんだ?と聞いているのだ!」と怒りました。

ニュートンは彼が頑固な無神論者だと知っていましたので、
「では君は、この宇宙を誰が作ったのか、問うたことがあるのかね?」
「君の考えでは、宇宙に創造者はおらず、かってに発生したのだろ?」
「だからこの模型も、かってにここに発生した。これが君が出している答えと矛盾するのかね?」

すると知人は押し黙り、後に有神論者に変わったというエピソードでした。
私達人間の悪い癖は、
* 既に存在するもの、自分に有る物は、有ってアタリマエとして疑問も持たず・感謝も忘れること。
* 人間は、動物たちにしても、大自然にしても、家族にしても、伴侶にしても、金銭にしても、自分がそれを失くすまで、その有り難さにも、それが有る奇跡にも気付け無いサガを持つこと。


自分が何かを失くすまで、その存在の貴重さに気付け無いとは、悲しいものがあります。愚かなことかも知れません。
これを防ぐ為には、普段から「自分は生かされている」という本当の大前提への感謝を忘れないことが大切なのです。


すべては感謝の気持ちから「生まれる」のです。
お金でさえも、感謝の気持ちから、仕事や商売の態度が変わり収入がより生まれるのです。
* 宇宙は感謝の気からビッグバン(無⇒有の転換)が発生した。

という真理を覚えて置いてください。
これは、すべてに貫徹する法則であり、何かを生み出すことに利用も出来るのです。


ここで更に思い出すことは、宇宙の新発見は、研究努力の御蔭、機材の進歩、施設の充実化、などと考えて疑問を残す学者はいませんでした。
しかし、ここ10年間の機材の性能を考えますと、既に高いレベルに設備がもともとあるのに、次々と宇宙の「新発見」が起こること自体に疑問を感じる研究者が出始めました。

既にシステム的に見落としが無いはずなのに、多数の研究者が世界中で同時に宇宙の同じ箇所を見ていたにも関わらず、なぜか、誰かが新発見をします。そこを見ていたはずなのに。
指摘されてから確認しますと、確かに既に存在します。

これを量子力学の発展から、
* 人が観察することで、データは変化する。
という実証がされ始めて、宇宙の研究はまさに、

* 多数の研究者が宇宙を観察することで、変わった。
* この宇宙は、多くの人間が想像力を持って観察するほどに変化する存在だった。

このことを今の最新の宇宙論では、量子力学の見解だけではなく、
「宇宙のホログラム理論」(ある原型に光を当てた反射の幻想体が宇宙だった)
として考察と証明が始まっています。

私たちは、コノ世で喜怒哀楽に苦しみ・楽しんでいますが、そのすべてがアル原型(神様)に光を当てた反射の中で、「私達が遊んでいる」と考えてください。
都会に在るユニバーサル・スタジオ施設のような3D映像の中で、幻影の中で、人が喜怒哀楽をしている可能性。

これに生きる間に、気付けますと、
* もっと真剣に生きれば良かった。
* 他人を助ければ良かった。親に感謝すれば良かった。
* 他人を恨む必要は無かった。

なども自分で気付けます。
今日も、自分の「行動」と「思い」の反射で出現した生活の中で、遊び・感謝をして見ましょう。
今の中で感謝の気持ちを出すことで、未来にホログラムの反射が生まれ、色々なものが与えられます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/15(日) 13:09:20|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

社会では、イジワルされる理由を一々と誰も教えてくれない。 神仏は、過去生もフタをして教えてくれない。 つまり、分からない中でも、その人は頑張ることが出来るのか?否か? これを誰もが問われており、どうするのか? 何をするのか? 自分の本音・本性を誰もが試されている・「観察されている」という霊的な真相を知って置いてください。 コノ世の一切にムダは無いのです。 だから無心で、過去の理由を問わずに、今日に出来ることを頑張って見ましょう。 この実践が自分に教え、先行きを導き、過去の理由にも気付かせることが起こることもあります。 明るく頑張れば、すべては最善に向きます。

理由が分からない中でも、頑張れるのか? 誰もが試されています
2017-01-13 11:27:50 | Weblog
社会の中で働きますと、会社でも、バイト先でも、「無視」「仲間はずれ」「シフト・配置などでイジワル」をされることがあるものです。

その理由の大半が、その職場での「常識」に、
* 自分が気付いていないから、
* 合わせていないから、
という側面もあることを想定して見ましょう。

社会は学校とは違い、怒られる・嫌がられる理由までも親切に説明してくれる人はいない、と思ったほうが良いです。
説明もされずに、いきなり、
* ダメなやつ。
* 言ってもムダな人。
と職場で判断されて、上記のような「無視」をされることが多いものです。

* 一言の理由を言って、自分に怒って来る嫌な同僚や先輩こそが、実は親切な人だった。
という視点も知って置きましょう。

では職場では、どんなことに注意すれば良いのか?
* 同じことを何度も聞く。
* 逆に、必要なことを質問・確認しない。
* 返事をしない。
* いつまで経っても仕事が遅いままであり、努力の様子が見えない。

こういう面が自分にありますと、社会では誰も注意してくれずに、理不尽な態度や対応をされることがありますから注意します。

でも、こういうこと「全てが」最高の霊的な修行なのです。
社会から隔離された食事付きの環境の中で、呪文を何万回唱えたところで、写経したところで、何の霊的な成長も変化も改善も起こりません。まったくのムダな時間の浪費です。
* 自分が逃げているに過ぎないことなのです。

理不尽で不平等な社会の中で、色々な誘惑に満ちた中で、その中でも折れずに苦悩しながらも、明るく努力することが、本当の霊的な成長を魂に起こします。

霊的な真相は、コノ世の苦しい環境でも、病気の中でも、
* 明るく受け止めて、それでも出来る努力をする人。
* それでも、先祖や神仏に生かされている感謝をする人。
このような人は、非常に大きな霊的な宝を入手する可能性の有る人です。

コノ世での苦しみは、それに対して心が負けなければ、アノ世では10倍の霊的財産に変わります。
アノ世での環境、来生の条件を決めて行きます。
コノ世で他人を苦しめた上での成功は、アノ世ではその10倍の霊的借金に変わります。
その魂の来生が、その借金を返すために悲惨な条件で生まれましても、神仏は公平な視線で愛情から無言で見守っています。

人間とは、今の自分には知ることが不可能にされている過去生を持つがゆえに、
* コノ世は不公平。
* 神も仏も居ない。アノ世は無い。
と「今の期間だけを見て」思う人が多いのがコノ世の社会です。

とにかく言えますことは、
* 過去生が不明にされているのは理由がある。だから今生も含めて自分の過去にこだわらずに、
* 今だけを懸命に見て、とにかく今の中で頑張ること。
これが今生もアノ世でも最善にします。

社会では、イジワルされる理由を一々と誰も教えてくれない。
神仏は、過去生もフタをして教えてくれない。

つまり、分からない中でも、その人は頑張ることが出来るのか?否か?
これを誰もが問われており、どうするのか? 何をするのか?
自分の本音・本性を誰もが試されている・「観察されている」という霊的な真相を知って置いてください。


コノ世の一切にムダは無いのです。
だから無心で、過去の理由を問わずに、今日に出来ることを頑張って見ましょう。
この実践が自分に教え、先行きを導き、過去の理由にも気付かせることが起こることもあります。
明るく頑張れば、すべては最善に向きます。


※ 1月13日金曜日。奇数・素数・13日の金曜日。
防災意識で静観。東北・千葉沖が反応中。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/13(金) 19:39:48|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

人の人生は、どの転生(生まれ変わり)でも、生(性)老病死のパターンを体験し苦しみ、誰もが去る決まりです。 いつもの神社の参道と同じように、どの人生の道のりもパターンの大体が同じです。 生(性)老病死を外れることがありません。 でも、人は人生の先行きを知りたがります。 しかし、知っている神社の参道の先行きを知りたがる人はいません。 居ないどころか、参道の風景をろくに見ようともしないし、淡々と本殿(ゴール)に向かって歩くものです。 結局、私が何を言いたいかと申しますと、 * 神社の参道=人の人生、を表すこと。 * 人の人生も、誰もがどんなに心配しようが、先を知りたがろうが、生(性)老病死に向かって行くのだから慌てるな、心配するな、ということなのです。 * 誰もが刻一刻とゴールに向かって今も歩いている最中です。 だから、参道(人生)の細部の景色の違いを、よく見て楽しみましょう。 ゴール「生(性)老病死」に着くのは決まっていることだから、怖がらなくても良いし、過剰な心配をしないことです。

誰もの人生は「預(あず)かり」経験をしている最中
2017-01-12 11:15:37 | Weblog
多くの人々が初詣に行かれたと思います。
普段は何気なく歩いている参道は、季節ごとに見える風景が違うものです。

雪が降れば、純白の白一色。
夏は青葉が勢いを増し、山が何かを主張している。
秋は枯れ葉が舞い、黄色い黄昏(たそがれ)の世界。

そして初詣は、人・人・人で埋まります。
帰りの参道の出口では、屋台がずらりと並びます。
毎年の初詣の帰りは、神社に出る屋台で家族がタコ焼きを必ず買う習慣です。そして駐車場の自家用車の中で食べます。

朝昼晩のおせち料理に飽きた頃のタコ焼きは、濃いソースまみれ・マヨネーズまみれなのですが、なぜか美味しいと感じてしまいます、笑。
いつも知った神社の参道でも、行くたびに風景の細部は違うわけです。
これに気付いていますか? 参道の違いを意識したことがありますか?

ところで、人の人生は、どの転生(生まれ変わり)でも、生(性)老病死のパターンを体験し苦しみ、誰もが去る決まりです。
いつもの神社の参道と同じように、どの人生の道のりもパターンの大体が同じです。
生(性)老病死を外れることがありません。


でも、人は人生の先行きを知りたがります。
しかし、知っている神社の参道の先行きを知りたがる人はいません。
居ないどころか、参道の風景をろくに見ようともしないし、淡々と本殿(ゴール)に向かって歩くものです。


結局、私が何を言いたいかと申しますと、
* 神社の参道=人の人生、を表すこと。
* 人の人生も、誰もがどんなに心配しようが、先を知りたがろうが、生(性)老病死に向かって行くのだから慌てるな、心配するな、ということなのです。
* 誰もが刻一刻とゴールに向かって今も歩いている最中です。


だから、参道(人生)の細部の景色の違いを、よく見て楽しみましょう。
ゴール「生(性)老病死」に着くのは決まっていることだから、怖がらなくても良いし、過剰な心配をしないことです。

「未来は白紙」とは、参道の細部の景色が毎回違うことと同じレベルです。
だから、その違いを逆に楽しむのです。
そして、大切なことは、

* 参道=母体の産道であり、人は参拝するごとに「生まれ直す」ということ。

特に伊勢神宮の参道は、どの御宮も「魂の産道」としての「生まれ直し」「若返り」「魂のククリ直し」の機能を今も確実に維持しています。
大昔は、どの神社も「参道=産道」の機能を有していたのですが、これを維持する掃除が出来てはいません。

どの地域でも、森の中の参道を保有し、人の掃除(払い・祓い)の労力の気が入れば、参道は産道に成っています。
東京では、人工林ですが、明治神宮の参道も「産道」が示現しています。
一番に価値と意味が有るのは、このような参道だと知って置いてください。
歩くだけでお祓いに成っています。

人が勝手に付けた御祭神の名称などは関係無いのです。神社には、大自然の神気が飛来して宿るのです。地球の息吹と言っても良いです。
ただ、地域により個性を持つのです。

ちなみに伊勢神宮内宮に宿る神気の息吹は、大変な肝っ玉母さんです。
いつも「頑張れ〜〜」と詣でる参拝者の全員に神気の息吹の風を吹かせています。

人は、いつでも今でも、心が生まれ変わり、生まれ直し、若返りが可能です。
心とは、そういう不死の生き物です。
誰もの心は、神さんの大切な分霊です。これを今の自分が「預からせて頂いている」のが霊的な真相です。

誰もが死後の世界に入れば、この貴重な「預かり」経験をしていたことに気付き、気付けなかった自分(自我)の今回の人生を後悔します。
後悔しない為にも、今の人生を思いっ切り楽しみ、感謝して暮らしましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/12(木) 22:49:58|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

* 人生に勝敗なんて無い。誰にも、決められない。 * 過去は引きずるな。 過去なんて、直ぐに忘れてしまえ!(1)「人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、 スーッと楽にもなれるんじゃないかな」人は、上から目線で物事を見ると、考えると、すべてが苦しく成って行くのです。自分自身を最下方に置けば、全てを許せるのです。 「それで、いいのだ〜」 とすべてが帰結するのです。* 自分が苦しい時は、自分自身を最下方に置いて、下から目線で周囲・物事を見直すこと。 * 全ては、「これで良いのだ」と究極の下から目線で思って見ること。 これを極めれば、なぜか笑いが出て来るのが人間なのです。 もし笑いが出て来ない人は、まだまだ目線が高いです。 今の自分が地獄に居ると思えば、後はすべて天国しか無いわけです。 今日も、「それで良いのだ」と全肯定で暮らして見ましょう。立派なアホに成れます。

お笑いと南無阿弥陀仏
2017-01-07 11:16:14 | Weblog
元旦のニュースに、タモリ氏が国民的アイドルグループに向けたメッセージが直筆文の写真入りで報道されていました。
その達筆で優しい感じの字に、まず非常に驚きました。

過去生に九州の山々で修験道に励まれた境涯は、今生では「優しさ」「ナイーブ」「人生、下から目線」となって現れていると、私個人的には勝手に夢想しております。

報道されていた、その贈る言葉の一部が、
「人生に勝敗なんてないし、どっちがいいとか悪いとか、そんな判定みたいなことなんてどうでもいいんだ。
大切なこと、それは引きずらないことだ。
乾杯すれば、それで仲良し。やったことはすぐ忘れる。それが大事。
人間なんて、そんなものだ。」(以上)

とても良い内容です。
まさに人生、過ぎ去れば夢のごとく。兵(つわもの)どもが夢の跡。誰も悪くなかった。
と浮かびます。

* 人生に勝敗なんて無い。誰にも、決められない。
* 過去は引きずるな。 過去なんて、直ぐに忘れてしまえ!
* 乾杯して飲めば、それで終わり。みんな仲良し。
* 人間なんて、単純が最高さ。


とも響いて来ます。
この御方の過去の発言にも非常に面白いものがあります。

(1)「人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、
スーッと楽にもなれるんじゃないかな」


(2)「人見知りをしない奴は嫌いだ」

(1)は、まさにこれこそが親鸞(しんらん)さんの教えの極意です。
人は、上から目線で物事を見ると、考えると、すべてが苦しく成って行くのです。
他人を見ては、こうで有らねばならない。
自分はダメだ。
と成るものです。

そうではなくて人は、下から目線で全てを見ることで、誰もが極楽浄土へ行くと示唆されたのが親鸞さんです。

自分自身を最下方に置けば、全てを許せるのです。
「それで、いいのだ〜」
とすべてが帰結するのです。
だから親鸞さんの思想には地獄も存在せず、極楽浄土(天国)1つしか存在しません。

だから人の死も、「天国に逝かれた」と安心して受け入れ、すべては阿弥陀如来1つの現れ・リーラ(遊戯・お遊び)として受け入れます。
今の自分が究極の下から目線で見れば、自分が最下方の地獄に居る人間だと思えば、死さえも阿弥陀如来の世界へ逝かれたと安心して祝福するわけです。

今の自分が良い生活をしていて、天国に住んで居ると思えば、死者を「かわいそうに」と思うのかも知れません。
とにかく親鸞さんの目線とは、生半可では無い徹底的な下から目線ですべてを見ます。

(2)は、「悩まない奴は嫌いだ」「コンプレックスを持たない奴は嫌い」
「デリカシー(心配り・遠慮)がない奴は嫌いだ」
とも響いて来ます。
ここに、氏の優しさを感じます。
また、苦労人だとも思います。

植木等さんにしても、タモリ氏の発言にしても、お笑いで大成する人には親鸞さんの「南無阿弥陀仏」を私は感じます。
それも、なかなか高度な南無阿弥陀仏をです。

以上の話から私が言いたいことは、
* 自分が苦しい時は、自分自身を最下方に置いて、下から目線で周囲・物事を見直すこと。
* 全ては、「これで良いのだ」と究極の下から目線で思って見ること。


これを極めれば、なぜか笑いが出て来るのが人間なのです。
もし笑いが出て来ない人は、まだまだ目線が高いです。
今の自分が地獄に居ると思えば、後はすべて天国しか無いわけです。
今日も、「それで良いのだ」と全肯定で暮らして見ましょう。立派なアホに成れます。


(伊勢白山道)
  1. 2017/01/07(土) 13:32:50|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

健康情報:* とにかく食べる量は無理せずに、バランス良く食べるオカズの種類を増やすこと。 栄養の種類さえ肉体に提供しておけば、後は本能がかってに最善の消化・合成活動をしてくれます。* 普段でも腹式呼吸で暮らす癖を持つこと。 * 睡眠時間は最低でも8時間を厳守。 * 睡眠時の酸素吸入量が非常に重要。これは心臓と脳の死活問題に直に影響します。私は最近に、 「イビキ予防/呼吸補助・鼻腔拡張器」。無意識状態での酸素の供給量が大切

若者、特に若い女性が突然死をしないように今年からは注意
2017-01-06 11:10:09 | 健康アレコレ
今年の動向として気に成りますことは、

* 若者の突然死が増える。ということが啓示されます。

その原因が、
* 幼児〜十代までの食事の偏食(かたよった栄養の食事、食べる種類が少ない)。
若い親の世代の中には、普通の食事も作ることをしない、作り方も知らない、世代が増えているようです。
コンビニのオニギリやパンと、スナック菓子が主食だった若者。

* 裕福な、高貴な家庭の子女でも、外見を異常に気にするために、小学生の頃からダイエットをした若者。

* 十代に拒食症の時期が有った若者。

このような経験を持つ若者は、これから突然死に注意する必要を非常に感じます。
世代的に、年代的に、今年から示現すると感じます。
これからの日本経済を支える世代であるだけに、国の未来にも心配な問題です。

特に女性が十代でダイエットなどをしますと、生殖機能の低下、不妊、の傾向に成ると思います。
だから女性は、二十歳までは思いっ切り食べて欲しいです。
デブでも良い、たくましく育って欲しい。

成人すれば、徐々に絞って行くことで、美しい女性美を持つことができます。そして、楽しい夫婦生活の家庭も持てるように成ると思います。
同窓会で聞く話は、学生の時に太っていた女性の方が、30代以降は特にキレイに若く成っていると聞きます。
学生の頃にダイエットをして細くて美人だった女性は、別人のように老化が早く病気がちのようです。

これは、テレビによく出る・取り上げられる有名人の若者にも起こることです。
若い頃からテレビに出ていますと、やはり外見を過剰に意識して、芸能人、超有名人・・・・は無茶なダイエット、拒食症ぎみな生活をするのでしょう。

もし今の時点で気付いて、改善したい若者がいれば、
* とにかく食べる量は無理せずに、バランス良く食べるオカズの種類を増やすこと。
栄養の種類さえ肉体に提供しておけば、後は本能がかってに最善の消化・合成活動をしてくれます。


* 過剰な運動は突然死に繋がりますから、スローなストレッチ、自体重を利用した運動で体幹(体内軸)を強化すること。これは肉体を真から強くします。

* 普段でも腹式呼吸で暮らす癖を持つこと。
* 睡眠時間は最低でも8時間を厳守。


* 睡眠時の酸素吸入量が非常に重要。これは心臓と脳の死活問題に直に影響します。私は最近に、
「イビキ予防/呼吸補助・鼻腔拡張器」

(柔らかい素材だから、とにかくMサイズぐらいの大きめがヒントです。Sサイズでは機能しないかもです)

このようなものを装着して寝ています。翌朝からの感覚が違います。
ある女優さんが、睡眠時無呼吸から脳に障害が出て、鼻に長い管を挿入して寝てから改善が始まったという番組を見ました。

やはり無意識状態での酸素の供給量が大切です。
突然死と睡眠時の酸素の供給量は関係しないか? 非常に気に成ります。
とにかく若者には、食べる量は別として、種類をバランス良く多く摂って欲しいのです。
そして、「良い睡眠」が大切なのです。

貴重な日本の若者ですから、周囲の大人も注意して見ましょう。
以上の話は、中年以降の人々にも、非常に大切な健康な老後を生きる為に必要なことです。
あくまでも参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/06(金) 13:04:19|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

自分の心の安定化は、意識することで可能。大勢の人が居る喧騒を好んで、あちらこちらへと歩き回らないこと。 他からの刺激に心が乱されることが無いように、自分の心が防御されている姿勢で常に居ること。 自分の自我(ワレヨシな・怒り・妬み・嫉妬・色情・欲・・・)が他人に出ないように自分でコントロールしていること。 他人の自我の影響も受け取らない心境で居ること。

自分の心の安定化は、意識することで可能
2017-01-05 11:29:33 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
目の視線は常に静かにして、斜め下方を見て虫を踏むこと無く歩き、常に斜め下方の視線で座ること。

大勢の人が居る喧騒を好んで、あちらこちらへと歩き回らないこと。

他からの刺激に心が乱されることが無いように、自分の心が防御されている姿勢で常に居ること。

自分の自我(ワレヨシな・怒り・妬み・嫉妬・色情・欲・・・)が他人に出ないように自分でコントロールしていること。

他人の自我の影響も受け取らない心境で居ること。


どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.63)

(感想)
これをただ読みますと、
「釈尊が堅苦しい生き方、つまらん生活を勧めているぞ」
と思われるかも知れません。
でもこれこそは、現代社会で精神を病まない為の最高の極意を釈尊が教えてくれています。

まさに未来社会に、心身を病む人が増加することを予見していたかのような最高の教えです。
この項の中には、
* 禅の極意。
* 仏像の視線の意味。
* 生活の中での立ち振舞い。
* 精神を病まない生活方法。
これらが凝縮されています。

(1)目の視線は、常に斜め下方で居ることが良いです。

でもこれは、自分一人で居る時だけにしましょう。学校や職場では、正面を大きく見て、相手に不快な思いをさせないようにしてください。

これこそは、禅の視線であり、仏像が表現する視線であり、最高の集中力と、他からの霊的な憑依を防御する視線なのです。
* 霊の憑依は目からも入る。
ということを知って置いてください。
異性からの色情のスケベな火も、目から入るので女性は注意しましょう、笑。

斜め下方の視線では、まず霊の侵入は目からは難しく成るのです。ただ、首の後が開いて注意に成ります。
そこで禅では、背中を棒で叩き祓う警策(きょうさく)を視えないが感覚から実践されています。

これを釈尊が述べていたことを知る人は少ないです。後世に生まれた所作・視線だと思うものです。
釈尊は禅定(ぜんじょう:心の活動が一切停止すること)に入られますと、丸1日でも半眼のままの御方でした。排尿も、脈拍も、呼吸もすべての活動が冬眠状態のように限りなく弱く成ります。
現代医学の医師が瞳孔を確認すれば、非常に危険な状態の判定が出されるかも知れません。

(2)自分が他人の心を乱さない姿勢・生活を心掛けて、自分も他人の所作・行動に心が乱されないように注意していれば大丈夫だと言うこと。

このことを現代人がわざわざ意識をしていないと、
* 自分の心が他人の所作を一々と気にする。
* 自分も他人に不快な態度を無意識にしている。
ことに成りがちです。

自分で常に、
* 「他からの影響を自分は受けない・受け取らない」
ということを日々の生活の中で自分自身に言い聞かせて行きます。


これを意識するか、しないか、でやはり人の精神状態は変わって行くのです。
人間の心は生き物なのでが、表層意識はかなり機械的な反応を示し、意識のプログラミング注入が機能すると思ってください。

これを悪用したのが洗脳です。
つまり自分の意識に言い聞かせることは機能する・有効だという証拠です。
やはり人は、知人を選び、読む本を選択し、見る物事、テレビ番組も選択する必要がありそうです。


目の視線にしましても、「そんなことぐらい」が想像以上に人には影響しています。
テレビ・映画などの映像で問題視されるサブリミナル効果(意識的に隠されている見えないはずの画像が無意識下に入ること)がこれを証明しています。

絵画にしても、下地に塗り隠した呪詛の絵が機能することが、他人を貶めるための権謀術数(けんぼうじゅっすう)として古来から存在することです。
天才・レオナルド・ダ・ヴィンチが、下絵に隠している図柄は、表面に描いた絵とはまったく異なることが多いようです。

この項の主旨は、常に自分の心の安定化に注意して、輪廻(りんね:生まれ変わりの循環)から自由に成りましょうということです。
この項の注意点も知って置き、自分の心の安定化を図ってコノ世を楽しみましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/05(木) 14:00:52|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

* 自分が苦しい時代の頃が、今になって振り返ると一番面白かった。* 先が見えないこと、先が分からないこと、これこそが自分を最善に至らしめる為の神様からの恩寵(おんちょう:プレゼント)であることを知ること。* 先が分からない、不明だからこそ、人は最善を尽くせるのです。* 人は自分が意識したモノに成る。これは真理です。

今が苦しくても大丈夫だ
2017-01-04 11:19:04 | Weblog
コノ世の社会で成功している人がよく言うことに、
* 自分が苦しい時代の頃が、今になって振り返ると一番面白かった。
と言う人が多いです。

老人が昔の苦労話を何回も何回も繰り返して話すのも、その昔の頃が一番に「苦しかった」が、やはり今となると「楽しかった」のかも知れません。
しかし、今が苦しい最中の人は「冗談じゃないよ」と怒るかも知れません。

でも考えて見ますと、
* 苦しい時ほど、成長が起こる分岐点(臨界点:物事・性質が変化する境目)は低いのです。
むしろ、変化の方から、自分に近付いてくれています。

自分が楽な最中には、はたして生物の成長は起こるのか?
楽な中でも、鬼気迫る心境になって勉強する気に成れるか?
なかなか難しいことだと思います。

でも、楽すぎて、自分は感謝せずには居られない。
という人が、千人に一人は居ます。
この人は、楽な環境の中でも成長が起こり、更に幸福に成って行くタイプです。
しかし、その人も、過去に苦しい地獄を体験したからこそ、今のその心境に成れるのかも知れません。有り難みが分かる人です。

あれ?
やはり、今が苦しい最中の人は、大きな幸福に向かって歩いている最中の人だと言えます。
歩いている最中は、先が見えないから苦しく思うのかも知れません。
でも、先が見えていれば、安心して成長は起こらないものです。それで逆に未来の幸福を捨てます。

占い師に、「〜〜に合格する」と聞かされた人は、その受験に落ちるものです。
安心して、努力が低下したのでしょう。もう笑い話のレベルです。
人は、先が見えない中で生きるからこそ、成長も、次の展開も、自分の中での最善も起こるのです。

つまりは、
* 自分なりの最大の努力をしながら、
* その中でも、生かされていることに感謝をすること。
* 見えない先祖にも感謝をすること。

これは必ず幸福に成れます。どこにも盲点が生じません。後は、

* 先が見えないこと、先が分からないこと、これこそが自分を最善に至らしめる為の神様からの恩寵(おんちょう:プレゼント)であることを知ること。
* 先が分からない、不明だからこそ、人は最善を尽くせるのです。


そして人は、誘惑に満ちた中で、悪い行為でも自分の自由に選択することが可能な中でこそ、
* 自分の良心に沿った行動をすることに価値が生まれます。

人の自由とは本当に怖いものです。
悪事をするのも自由。善行をするのも自由。
その中でこそ、善行を意識することが大切な修行です。

* 人は自分が意識したモノに成る。
これは真理です。


今日は、思い浮かぶままに、色々なポイントを羅列してしまいましたが、
* 今が苦しい人も、幸福に向かって歩いている最中だ。
ということを、私は言いたかったのです。

今年も大きな視点を持って楽しみましょう。
生活の中の小さな1点だけを見詰めていれば、不満や絶望が生じ、ヤル気も消えるものです。
長い視点で見れば、本質も正解も見えて来ます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/04(水) 13:18:25|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

人は時間・期限を乗り越えて、今の瞬間瞬間に懸命に生きれば、コノ世では怖いものが無くなるのが真相です。

今年も有り難う御座いました!
2016-12-31 11:11:29 | Weblog
2016年も過ぎようとしています。
多くの人々が年の区切りを楽しみます。
でも不思議なもので、人を苦しめている大きな原因に、時間の区切り・時間制限が大きく影響しています。

* 何歳までに結婚をしなければ生けない。
* 何歳までに出産をしないと厳しい。
* 受験が終わるまでは、我慢しないと。
* 子供が成人するまでは、耐える。

人は時間・期限に追われて、人生も、生まれる命も、家庭も左右しています。
それは自分の人生を本当に生きているのか?
時間に追われたロボット・コピーに成るために生きているのか?

時間の期限=他人からの視線の為に生きること。
かも知れません。コノ世の大きなトリック(誤魔化し・幻想)が時間・期限の概念に在ります。

* 霊的には時間は無い。在るのは今だけです。

* 今と同時に、済んだ過去も今と並行して今に生きています。
だから今でも、過去に苦しめられます。

* 済んだ過去を救うには、今の時点から感謝を送れば良いです。今にする供養も過去に届きます。
すると済んだはずの過去が、「もう良いよ」「分かった」と伝えてくれます。

更には、時間が無いから、死後も継続するのです。
コノ世での時間・期限の勝利者(コノ世的な成功、思い通り、スケジュール通りの人生)の人は、
* 時間・期限を信じ込んでいますから、アノ世を信じないかも知れません。

以上のようなことが霊的には言えます。
しかし、そう言いながら、大晦日という時間・期限を今日は楽しみます、笑。
でも、2016年にも執着はしない訳です。

人は、時間・期限に執着(何歳までに何々をしなければ生けない)さえなければ、その時間を「楽しむ」ことが出来ます。
時間・期限には負かされません。

明るく2016年を送り、新しい2017年を楽しみに生きましょう。
人は時間・期限を乗り越えて、今の瞬間瞬間に懸命に生きれば、コノ世では怖いものが無くなるのが真相です。
生死をも超越するからです。でも、ここまでは中々成れないものです。

今年も本当に有り難う御座いました。
私は来年も、常にここに居ます。
いつでも遊びに来てください。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/31(土) 19:16:00|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0


絶え間なく心配する心を止めることが肝心
2016-12-30 11:20:22 | Weblog
今年も多くの人々を観て来ましたが、悩む人の誰にも言えますことが、

* 絶え間なく心配し続ける、自分の心を止めること。

これが大切に思いました。
同じような内容、同じレベルの悩みでありましても、

* Aさんには、Que sera sera/ケ・セラ・セラ。スペイン語に由来するフレーズ。
なるようになる・明日は明日の風が吹く ・ 何も問題はない。

* Bさんは、そのことを考えるのを止めたくても、直ぐに思い出してしまう。
そのことを悩み・考えることを止めることが出来ない。

このように分かれてしまいます。
Bさんタイプが「心の漏電」をしている人であり、大切な生命エネルギーも漏れており、風邪もひきやすい人です。なんでも霊や他人のせいにして、交友関係も続かない、仕事もつまずく人に多いタイプでもあります。

ここ一番の大切な場面に強い人、運が良い人、の多くはAさんタイプです。

私が思いますには、Aさんタイプであっても、
* 悪いことを悪いと思えないこと。
* 嫌なことには目にフタをする。
* 問題から逃げる。
* 何をしても無責任。

これでは最悪です。これは論外です。そうでは無くて、
* 問題を把握する。反省する。
* 心配するべきことが有れば、心配をする前に、それに関する最大の行動・行為をし続ける人。
* 最大の努力を継続するが、その結果は考えない、そしてケセラセラ。

これが運気が増す正しいAタイプだと感じます。
誰にでも、A・B両方のタイプが自分の中に居ます。
今、心が苦しい人は、自分の中のBタイプが表に出ているだけなのです。Aタイプは心の奥に隠れているだけなのが真相です。

だから今が苦しい人も大丈夫です。自分の中のAタイプを呼び起こす気持ちでいれば良いです。
誰もが生まれた時は、真のAタイプのカタマリだったのです。
生活の中で後天的にBタイプが育っただけのことです。Bタイプが自我(ジガ:ワレヨシの心)という幻想体です。

誰もがAタイプのマスター(師匠)なのが、心の奥(真我・シンガ)の正体です。永遠不滅の存在であり、宇宙の一部です。

来年は、自分なりの最大の努力をし続ける限り、ケセラセラ・成るように成れ!で大丈夫です。
結果や成果は関係ないのです。死んでも持参出来ないモノに過ぎません。
それよりも生きている間に、

* どこまで自分の最大の誠意(内在神)を出し尽くしたか?出せたか?

これが死後に影響する本当の財産です。アノ世での通貨であり、来生の環境も決めます。
これは、心の岩戸開き、でもあり。
来年は、段々と心の岩戸開きが起こる人が増えることでしょう。

自分が苦しい時、危機の時こそ、心が明るく開くチャンスでもあります。
正しいケセラセラ(雨ふらば降れ。風ふかば吹け。一休)、これで生きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/30(金) 12:17:23|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

縁は自分で生み出すもの。受け身のままでは停止。
2016-12-28 11:09:52 | Weblog
今日、明日ぐらいからお正月休みに入る会社が多いのでしょうか。
私は、お正月前の大晦日に向かう今頃からの雰囲気が一番に好きです。
太陽が夕日に沈むように、今年一年間という大きな太陽が年末に向けて暮(く)れて行く気がします。

来年に向けて再認識をして頂きたいことは、
* 良い縁は、自分の努力によって初めて生まれる。
ということです。

結婚にしても、就活にしても、自分の努力という「初発」の起動をコノ世で起こさない限り、何も起こらないのです。

* 受け身のままで待っていても、何も起こらない、運命も無い。
* 自分の普段の思考・行動・意志・継続力、により運命は起こるもの。生ずるもの。
* 自分が動かない限り、白紙状態がただ継続する。

このことを怖いかも知れませんが、直視をして欲しいのです。
「当たって砕けろ」
非常に良い言葉です。思いっ切りが良い、気っ風(きっぷ)が良い、縁起が良い言葉です。

初めから結果だけを求めず、ダメで元々の心は強いのです。
コノ世では、「何も無い」は強みでもあります。
最初にダメな場合も想定して、危機管理・被害想定もされていますから、逆に良い結果を得られやすい、選択肢の縁が増える、とも言えます。

「もともと、何も無かったのだから良いではないか」
これを人は思い出すことが必要です。
* 自分を無くして行くこと。
* 自分を禊(みそ)いで行くこと。
* 我を無くして行く旅。

これが今回の人生の旅の目的であることが、誰にも言えます。
コノ世で生活する為には、色々なモノを持ち、持とうと努力することも大切です。
* でも、心には何も持たないこと。
これが悟りでもあります。

誰もが「当たって砕けろ」「やって見なされ」の心で、コノ世に生まれさせて頂いています。
来年は、自分自身も含めて色々な物事が「動く年」だと思って、今日を思いっ切り生きましょう。

まだまだ、やれる。行ける行ける。
これで、来年も良い年に出来ます。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/28(水) 13:15:35|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0


過ぎ去った過去の中に生きずに、今の自分が変われば全ては変わる
2016-12-26 11:38:51 | 人類の5%運動
聖人マザー・テレサが仰った、

「全ては、あなたと内なる神様との間のことなのです。
 あなたと、他人との間のことであったことは、一度もなかったのです。」

コノ世は、色々な喜怒哀楽、悲惨な現実、社会問題、対人関係の苦難、病気、に満ち溢れているように見えますが、その全ては、
* 自分と神様との間の、一対一の問題であった。
と彼女は言い切っています。

これは霊的には、真実であり、結局はそう成るのです。最後は、これに帰結する真理です。
これと同じ示唆を釈尊も仰っており、

「天上天下 唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)
⇒ 宇宙には、内在神と自分しか存在しない。
⇒ すべては、大きな1つの存在(宇宙)しか居ないのが真実。

と断言されています。
ところで、「宇宙の果ては、どうなっているのか?どんな形なのか?」
と、科学雑誌の議題に定期的に上がります。

私が視る・感得する宇宙の超全体像は、1つの胴体から5本の突起が伸びた、まさに人型です。
今の人類が天体望遠鏡で必死に見ている銀河の姿は、人型の頭部の中の1つの脳細胞シナプスの姿に過ぎません。

脳細胞を脱出して、脳の領域を飛び出て、顔に行き、首から胴体へ、そして末端の手足に天体望遠鏡が行き着くまでにどれだけ掛かるのか?
まだまだ、今の時間では表現する単位が無いようです。



この写真の左側は、脳内の脳神経細胞の1つを写したものです。
右の写真は、宇宙の写真であり、1つの星の成長場面を写したものです。
とても良く似た写真です。(過去記事「壮大な中にも、細事は大切」より)

宇宙は、どれだけ巨大なんだ?
と絶望するかも知れませんが、人型宇宙の手足の末端まで見届けた時に分かることは、観測者自身の体内をいつの間にか観測していたという真相、宇宙のねじれる距離感と時間・次元の秘密に触れる予言を書いて置きます。

難しいことを書きましたが、以上の説明のすべては、
* 全ては、あなたと内なる神様との間のことなのです。
という真理の説明なのです。

でも、神様という名称が出るだけで人は勘違いをします。
だから、その前に、
今の自分の悩みや、会社での不満や、家族の心配もすべては、

* その全ては、自分の中での問題である真実。
* 自分が変われば、その悩みは、悩みでは無くなる真理。

これだけでも今日は知って置いて欲しいのです。
人は他人をナントカしなければ、社会を変えない限り、と思いがちですが、そうでは無かったのです。
自分が変われば、見る視点が変わり、どんな中でも嬉々とした世界に至り、安心・安定に満たされることが可能なのです。

これが一人(一つの細胞だけ)だけでは、社会(人体)は変わりません。
でも大多数(細胞)が、このような心境になった時に、社会も世界情勢も全体が変わります。

一人の変化が、多数に連鎖する現象も、
「天上天下唯我独尊」(大きな1つしか存在しない)
が保証しているのです。
これが5%運動でも有るわけです。

まだまだ絶望なんてする必要は無い。
個人の人生も、日本の未来も、楽しみに思い、世界情勢も変わることを淡々と思って行きましょう。

(ある読者の気付き)
何事も、見ようとしなければ見えないし、聞こうとしなければ聞こえない。
それと同じように、感謝をしなければ、この世の感謝の流れには気付くことが出来ない。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/26(月) 13:14:04|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0


川の流れを冷静に眺め、慌てないことが大切
2016-12-25 11:37:39 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
水流の中で魚網に捕まった魚が、網を突き抜けて川に戻るように、

世間に在る様々なサガ(ワレヨシの自我・性)への執着を断ち切りなさい。

そして過去に自分の執着心から、自分のサガの炎が焼き払った場所・相手に留まることが無いようにしなさい。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.62)

(感想)

(1) 自分の「思い」が何かに捕まったとしても、その網をスルッと抜けなさい。

人は、色々な物事に自分の思いが占められて、捕まるものです。
それは過剰な趣味かも知れないし、異性かも知れないし、バクチ、薬物、金儲け、・・・・なのかも知れません。

仕事にしましても、自分が何かの思いに縛られている間は、ミスを多発したり、その仕事を伸ばすことが出来ないものです。
仕事をしながらでも、何事にも縛られない「冷静さ」を維持することで、結果を出すことが逆に出来るものです。

* 自分の思いを捕まえる網を、スルーする気持ちを常に持ちましょう。

ということです。他人から嫌味を言われましても、喜んでスルーしましょう。
自分が腹を立てる時点で、自分の思いが捕捉された、網に掛かった魚、であることを知って置きましょう。

(2) 自分のサガの炎が焼き払った場所・相手に留まることが無いようにしなさい。

人間とは、過去に付き合った異性や、過去の仕事に、過去の家庭に、自分は戻れるのではないか?
と思い続けながら、今の生活を捨てている人が多いものです。

済んでしまった過去に、今の自分の思考の大半を占めながら、今の生活を疎かにすることが人には有りがちです。
これでは過去をダメにした自分が、今の生活もダメにしつつあることを、人は気付かないものです。
でも、自分の今の周囲に居る人々は、それが何となく分かり嫌な思いをしているものです。

* 済んでしまったことには、執着をせずに、常に今を見ること。
* コノ世では、どんなことにも自分の思いが1つのことに縛られる内は、それは執着であるから注意すること。

このようなことを、この項から思います。
コノ世を川の「流れ」。
人を「魚」と見ること。

これは霊的には、非常に言えることです。老子も、川、魚、というキーワードを使い、コノ世の諸相を表現しています。
遺伝子の流れを見ましても、人は魚でもあるようです。
やはり釈尊の視点は、どこから見ても筋が通った真理です。

紛争中の激流の中に住む可哀想な子供たちも居れば、
寒い季節でも温々とした穏やかな街の中でクリスマスに浮かれる人々も、
同時に存在するのがコノ世です。

この因果の流れを冷静に眺めながら、どんな川の流れに自分が居ましても、感謝せずにはいられない心境に成れることが、次に(来生に)自分が住む川の「流れ」を決めて行きます。
今日も感謝しながら暮らし、楽しみましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/25(日) 14:02:45|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「もっと、自分で自分自身を励ましなさい!」先祖霊・守護霊、神霊とは別の存在である、「自分自身の生霊」というものが在ることを知って置いてください。 コノ世に近いどころか、今の自分に同居していますから、先祖霊よりも神様よりも、今の自分に干渉する力が大きいのです。 善にも悪にも転じる自分の生霊です。 自分の生霊を善霊(ホワイト・シャドウ)にする手段・方法が、 * 真面目に働くこと。(家事道も含む) * 感謝だけの先祖供養の実践。 * 氏神・神社への感謝の参拝。 * 自分で自分自身を励ますこと、自分にも感謝をしてあげること。

人間は、自分で自分自身を励ましたほうが良いです。
2016-12-22 11:28:30 | Weblog
今朝に思いますことは、釈尊が言われました、

「もっと、自分で自分自身を励ましなさい!」
(原始仏典 ダンマパダ25章-379番「現代人に必要な格言です」より)

ということです。
人は本当の苦労をしますと、または生死を彷徨うような危機、本当に辛い経験をしますと、「もう一人の自分を体験する」という不思議な現象が起こります。
もう一人の自分が、自分を見ていることを明らかに感じるという現象を体験します。

登山で死に掛けた時、出産で臨死体験をした時、または自殺しようとした最後の瞬間、・・・もう一人の自分が間近に居ることを感じます。

もう一人の自分が、
* ただ見ているだけの人の場合。
* それをしてはダメだと叱ってくれる別の自分の場合。
* こうしろ、と指図をくれる別の自分が存在する場合。

人により、幾つかのパターンが存在します。
言えます事は、普段から自分で自分自身を励ましていた人ほど、

* 危機の時に別の自分が現れて、
* 具体的で有効な指示をする。

ということです。
自分の生霊(影・シャドウ、とも言えます)が分離・幽体離脱する現象とも言えます。
* だから普段から、人は自分で自分自身の「良い生霊」を創って置く必要があります。
これが危機の時に、肉体を持つ自分を助けてくれます。


でも、多くの人は、普段に自分自身を励ますことも無く、働く自分に感謝することも無く、
他人を恨んだり、妬んだり、ひがんだり、自分を卑下して自分自身を痛め付けている人が多いのです。
そうして、「悪い自分の生霊」(ブラック・シャドウ)が発生している人が多いのです。


このブラック・シャドウこそは、大事な試験の時に発熱させたり、ここぞという時に何故か反対をしたり、色々な妨害を自分自身に対して行うのです。

つまり普段から、他人を妬む、ひがむ、自分自身に感謝をしない人ほど、大きなブラック・シャドウを抱えていますから、運気が落ちる、悪い方向に行く、と言えます。

別の自分自身に復讐されている人が多いのです。他人が原因では無いことが大半なのです。
「お前を幸福にはさせない」
と言う正体は、普段の自分自身の姿(生霊)だったのです。
まさに天が、自業自得の法則を貫徹させている一面だと言えます。


* 和解するべきは、別の自分自身との関係だったのです。

ここに、コノ世で幸福に生きるための大切なヒントがあります。
先祖霊・守護霊、神霊とは別の存在である、「自分自身の生霊」というものが在ることを知って置いてください。

コノ世に近いどころか、今の自分に同居していますから、先祖霊よりも神様よりも、今の自分に干渉する力が大きいのです。
善にも悪にも転じる自分の生霊です。


自分の生霊を善霊(ホワイト・シャドウ)にする手段・方法が、
* 真面目に働くこと。(家事道も含む)
* 感謝だけの先祖供養の実践。
* 氏神・神社への感謝の参拝。
* 自分で自分自身を励ますこと、自分にも感謝をしてあげること。


このようなことが大切なのです。
今日も明るく、自分自身を励まして、感謝をして見ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/22(木) 15:06:26|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

コノ世で何が起ころうとも、過ぎ去る現象に過ぎません。 誰もの心は、 * 死ぬことが不可能な不滅の存在。 * 傷付くことが不可能。 * 心の深い奥は、常に安心しており、すべてを知っている存在。 これが人類の正体です。 コノ世の右往左往を逆に楽しむために、誰もが受肉しています。 深刻に成ることは、何も無かった。 これを知って置いて頂ければ幸いです。祝福が来ます。


ラスト・クリスマスを楽しむ
2016-12-18 10:48:50 | 月間の自然観察日

(カレンダーの印の意味は「月間の自然観察日」を順番に参照。「12月の「月間の自然観察日」」に12月の詳細あり)

日本時間12月17日19:51頃、パプアニューギニア付近を震源とするM7.9の地震が発生しました。
過去に日本で大地震が発生した前には、赤道付近で大地震が先に起こっているパターンが連続しています。
* 赤道付近で大地震が発生 → 4日〜7日後に日本で大きな地震が発生する。

このようなパターンを知って置いてください。
* 今日18日「中潮」も、不安定な気配を感じています。

* 18日、19日、〜21日〜23日、25日。
今回のクリスマスに、「天の意志表示が人類に下される」という節目も感じています。
まさに旧約聖書が示す、「キリストの再臨」という2千年間の大きな節目が近付いていることを、2017年という奇数年も含めて感じています。

* 2017年6月を見なさい。

という意志を今朝から感じています。
今週のクリスマスを厳粛な気持ちで楽しみたいものです。

去年のクリスマスから、英国エリザベス女王とローマ法王が共に、
「ラスト・クリスマスが近い」
という意味深な発言を繰り返しています。

やはり、国際情勢は過去に無かった時代に入ったと言えます。
トランプ氏にしましても、

* 12月19日の前に、
トランプ氏に何らかの問題が生じれば、
クリントン女史が新大統領!!

* 12月19日〜1月19日の間に、
事件が発生すれば、
トランプ氏の副大統領が、大統領に就任する。   

(過去記事「不測の事態が起こらない為に」より)

このような節目を、米国もクリスマスを前にして迎えます。
今週の日本は、地震にだけ注意して、3連休のクリスマス休暇をゆっくりと過ごしましょう。

コノ世で何が起ころうとも、過ぎ去る現象に過ぎません。
誰もの心は、

* 死ぬことが不可能な不滅の存在。
* 傷付くことが不可能。
* 心の深い奥は、常に安心しており、すべてを知っている存在。

これが人類の正体です。
コノ世の右往左往を逆に楽しむために、誰もが受肉しています。
深刻に成ることは、何も無かった。
これを知って置いて頂ければ幸いです。祝福が来ます。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/18(日) 18:35:03|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「私は誰か?」=そんな私はいなかった
2016-12-14 11:36:19 | ラマナ・マハルシの言葉
(読者)
ラマナ・マハルシの「私は誰か?」の問いですが、私は大きな勘違いをしていました。
この場合の「私」は自我のことなんですね、、、今怒っている自分、その落ち込んでる自分は誰か?
と問うんですねー。

今まで「私」をなぜか内在神を指しているんだと思ってました。なので私は誰かって、内在神は内在神以外の何者でもないじゃないか、と不思議でした。リーマンさんがしょっちゅう何回読みましたか?と問われる意味がやっとわかりました。

(感想)
近代インドに現れたラマナ・マハルシは、私が好きな聖者の一人です。
20世紀の地球には、世界中で騒動を巻き起こしたインド出身の他のスピリチュアル瞑想教祖も居たのですが(その人に私は同意しません)、その教祖でさえもラマナ・マハルシに関してだけは、
* 非常に稀な奇跡的な人物
* 地球に誕生したのは奇跡に近い

と評価していました。
では、その聖者ラマナ・マハルシの生い立ちなのですが、要約しますと、
* 霊的な師匠というものを持ったことが無い。誰にも学んでいない。

* インドのアルナチャラというシバ神を祭る山を、ひたすら愛した。
(大地の精霊に感謝するということ。この地球で真に悟るには、地球から認可されることが条件。
伊勢神宮・氏神への信仰も大地への感謝の信仰の1つ)

* 十代の頃からひたすら、「私は誰か?」「それは本当の自分なのか?」
と繰り返し自分自身に問い掛けた「だけ」だった。

以上だけで、稀な悟りの境地を実現したのです。
「私は誰か?」
これは何にでも応用が出来ます。
つまり、日常生活の中で、働きながらでも家事をしながらでも学びながらでも、悟ることが可能なのです。

* 旦那の浮気を疑い続ける自分は、それは本当の自分なのか?
→ いいえ、本来の自分はそういう人間では無い。

* 仕事が嫌だと悩んでいる自分は、それが本当の自分なのか?
→ 今の状況の問題であって、本当の自分では無い。

* 自殺しようとする自分は、本当のアナタなのか? 誰なんだ?
→ 自分は自殺を思う人間では無かった。本当の自分では無い。(憑依で他人が自殺を思っているのが真相)

このように、今の自分の悩みを
「ソレが本当の自分なのか?」「その悩んでいる自分は誰だ?」
と問い掛けることは、自分の心中に湧き起こる想念を破壊することに成るのです。

その想念をひたすら発信している正体が、自分の自我(ワレヨシの思い:転生する原因)なのです。
この自我こそが、人の個性だと錯覚させる間違った思いであり、間違いや犯罪も起こさせる人間の嫌な部分の正体です。

本当の自分(真我)の周囲を丸く包み込んでいるのが自我という個性のエネルギー体です。
自我=幻想体、であり消えたり増えたり、内容が変わったりします。
誰もが自分自身の自我(ワレヨシ)に苦しんでいるだけです。

そこでラマナ・マハルシが言う、「私は誰か?」「それは本当の自分なのか?」
という想起を、日常生活の中で怒り・悩み・色情・悲嘆が湧きおこるたびに、
「それは本当の自分か?」
と問い掛けて欲しいのです。

これが最高・最善の「一瞥」(いちべつ:瞬間瞬間に気付きを起こさせること)を、自分自身の自我に打ち込むことに成るのです。
つまり、自分の嫌な思いに対して「私は誰か?」と想起するたびに、自分の心の膜(マク)である自我は、
* ヤバイ。ばれそう。
* もう少しでダマせたのに。

と舌打ちをしているのが霊的な真相です。
憑依とは、自分の自我に取り憑くことを知って置いてください。
自我(ワレヨシ)の膜が厚い人ほど、憑依を引き憑けているのが真相です。
素直だと、憑依はスルーします。取り憑く島が無いのです。

聖者ラマナ・マハルシは、
* 師匠が不要。
* マントラの不要。
* わざわざ悟るために座る瞑想の不要。
そして、
* 節度ある食事、節度ある睡眠、節度ある会話を持つことが必須条件。

としていました。
誰もが今の環境のままで、その状況の中でも、普通の生活をしながら、働きながらも悟ることが可能なのです。
21世紀の正しいスピリチュアルは、こういう方向に行くべきです。
師匠も金銭も搾取、猥褻も絡むようなスピリチュアルはもう古いし、間違いだし、絶対に悟ることは不可能だったのです。

今の存在する人類は、3:6:1へとすべての視点において分離して行きます。
何がどの比率に分離するのか?
これが白紙であり、今の私達次第なのです。
地球は痛みを我慢しながら、黙って結果・決着を見ているのです。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/14(水) 18:04:27|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0


コノ世でのすべては、自分が預かっているだけに過ぎないこと
2016-12-12 11:18:03 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
子供も、奥さんも、父や母も、家の財産や備蓄穀物も、

親類や友人たちも、自分自身に関するどんなことも、

自分の所有欲の対象とするのは止めなさい。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.60)

(感想)
この項の解釈については、私の訳と他の訳とは大きく違います。
他の訳では、
* 釈尊が、妻帯も家族も、自分の家さえも捨てなさいと言った。
* この項が、出家(しゅっけ:家族も家庭生活も捨てて仏門に入ること)を勧める根拠。
という意味に解釈がされています。

しかし、私の解釈は大きく違います。
釈尊が、御自身の家族を捨てたからと言って、これを他人に強要・示唆をすることは有り得ません。
釈尊が家庭から離れたのは、

(1)自分がどうしても成し遂げたい使命感の為だった。
(2)その使命感は、従来の宗教から攻撃される内容(集団の否定。師匠不要論。危険な身分差別制度の廃止を主張。一人での求道が目的)
だったので、家族の身に危険が及ばない為に、王室や家系を守る為に絶縁した。
(3)自分の使命感を実行するように天啓(てんけい:天から命令されること)を受けたから。

このような理由から、釈尊はすべてを捨てられたと感じます。
これを釈尊が、一般人も同じように勧めることは有り得ません。
そんなことを多くの人々が真似れば、社会が混乱し破壊されます。有り得ないことです。
子供も生まれないことに成ります。

この項こそは、私が何度も書いて来ました、
* 自分の家族も、財産も、友人たちも、その時の食料さえも、自分自身のモノでは無くて、
* 自分が預かっているだけに過ぎない。
ということを釈尊がズバリと言っている項だと思います。

霊的には、私達の自分の肉体でさえ、
* 先祖から預かっているに過ぎないのです。
いずれ時が来れば、先祖に肉体もお返しすることに誰もが成ります(死去)。

自分の奥さんを「自分のモノ」「自分の所有物」と思い始めた瞬間から、奥さんを拘束する言動と行動が始まります。そして夫婦不仲に傾いていきます。

自分の子供を「自分の所有物」という視線で見ますと、子供を過剰に怒ることに成り始めます。
子供の伸びる芽も破壊します。結果的には、親不孝をする子供に親がしてしまうかも知れません。

財産も自分だけの物、という執着を持ち始めた時から、財産が減る傾向が始まります。
お金の方から逃げて行くのです。
自分が持つ金銭への嫌な執着が、周囲の人々を離れさせて行く為に、お金も減る事態へとなぜか進むのです。そう成る、のです。

これらのすべては、
「自分の所有欲の対象とするのは止めなさい」
という釈尊の一喝で無難にすることが可能です。

「自分が預かっているだけ」
という視点で、自分の持ち物も含めて周囲を見てみましょう。

自分の仕事も、
「今日もさせて頂いている」
という視点を毎朝に思えば、その仕事は伸びるかも知れません。

このような「自分が預かっているだけ」「自分が持たせて頂いているだけ」
という視点を忘れなければ、すべては順調に進んで行くものなのです。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/12(月) 17:58:55|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

どうしたら精神的に強くなれますか?
2016-12-11 11:06:54 | Weblog
(読者)

どうしたら精神的に強くなれますか?
リーマンさんのブログを知ったおかげで私の人生も変わってきました。でも精神的に弱いです。
今、働くことが出来ているのも、上司や周りの方の配慮のお蔭だと思っています。また、ご先祖様のお蔭でもあるでしょう。なので仕事は出来る限り精一杯しております。
でも、私の中はまだまだ弱さ・怖がりなのを知っています。この先も変わらず生活していきますが何かアドバイスをいただけたらなと思いました。

(感想)
精神的に強い人。勘違いされやすいのが精神の強弱の概念です。
答えは、みんな同じです。むしろ、誰もが精神的には弱い存在です。
肉体を受肉した時点で、誰もがいつでも心身に痛みを感じるモロイ存在です。

その人を強く見せているのは、自我(ワレヨシなサガ)が見せる虚栄心かも知れません。
でも、霊的な視点での精神的な強さを敢えて説明しますと、

* 優しさを持つ人が真に強い。
* 愛情が強い人は本当に強い人です。
* 思いやりを持つ人は、真に隠れた強さを持ちます。
* 何でもに「継続力」を持つ人は、鋼(ハガネ)のように強い心の持ち主です。

精神力の強さ=決して瞬発力ではない。
地味で、隠れた絶対的な「安心感」=最強の精神力を発揮します。

人間とは誰もが、真我(しんが:内在神・完全な存在)を右胸に抱えながら、
自我(じが:過去生から引き継ぐ個性。幻想体。)を昇華させようとしてコノ世に生まれて来ます。この自我を消滅させることで、「強制的な」転生・生まれ変わりが止まります。

解脱(げだつ:転生から外れること)しても、強制的ではなくて使命感で転生して来ることはあります。つまり、その場合は自由に選択が可能になります。多くの人の大半が、「強制的な転生」を繰り返します。今生は、誰もが、強制転生を終わらせる可能性があります。

自我を今生で昇華・浄化させたほど、アノ世では良い世界まで「昇る」ことが可能になり(自我の重さは重力の支配を受ける真実)、
そして来生の自分が生まれ出る境遇が恵まれた状態に磁石のように引き寄せられます。

これが転生の真実であり、一つの側面です。
だから今生も、自分の心が重たい(自我・ワレヨシが強い状態)ままで去ってはダメなのです。
誰もが、自分の自我を薄めて(最終的には自我を無くすことが涅槃・ネハン、悟り)おくことが必要なのです。

コノ世でのワレヨシな強者は、アノ世での酷い敗者となります。
コノ世で正しいことをしても負けた敗者は、アノ世では最強の強者・富裕者として生まれ変わるのが真実です。
誰もがコノ世で、他人の人生の短い期間だけを切り取って見て、不公平感や理不尽さを感じ、正義は無いと嘆きますが、これは間違いです。

長い視点で見れば、完璧な帳尻・自業自得がコノ世でも、アノ世までも追跡して完膚なきまでにバランスが完全に取られます。
だから、精神が弱い人も、コノ世で社会的立場が弱い人も、

* 自分の中の優しい心を捨てないこと。
* 愛情力を高めること。
* 思いやり力を意識すること。

* 何でも継続することを目標とすること。
* 感謝の気持ちを広げること。
* 先祖(遺伝子の流れ)に感謝をすること。

これをコノ世に居る間に、少しでも高めた人が真の勝者と成ります。コノ世での社会的な成功の有無は一切関係ありません。
誰もが、一人で、裸で、死んで逝く存在であることを忘れては生けません。

アノ世は完璧に重力が振り分けた、次元によって隔てられた厳正な階級が実在します。
コノ世的な甘い矛盾も、理不尽も、間違った平等主義も一切通じません。
それほど、コノ世での善・悪の行為とは、大きな因果を生み、詳細に判定がされます。

これを判定するのが、既に今も自分の右胸に臨在する真我・内在神・良心なのです。
今も、あなたのすべてを見て知っています。
だから安心して欲しいのです。

何も焦る必要は無いのです。
自分の右胸を安心させる生活をしていれば、何も問題はありません。
自分の「良心が痛む」生活をしなければ良いだけなのです。
今日も、胸が躍るように生活を楽しみたいものです。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/11(日) 12:54:24|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

人が持つ「弱さ」「悲しさ」を理解した時、自分が強く成れます
2016-12-10 10:55:40 | Weblog
記事「すべては変わって行きます」におきまして、
「上司の過去を思いやった時に、その理不尽が自分の中で許せたのです。」
というくだりがありました。

では私が、どうして上司たちを「許す」心境になれたのか?
多くの読者は、「自分がされて嫌なことは、部下にはしない」と思われたようです。
理不尽な人間には、上司と言えども立腹された人も多かったと思います。

この時に私が感じていたことは、部下の手柄を横取りしたり、理不尽に怒る上司たちのサガを見た時に、
* 上司たちもサラリーマンをしながら、家族を養うために首に成らないように自分自身のノルマに必死だった。
* 自分が生き残る為に懸命だった。

そして、その人間が生きる様に、
* 人の仕方がない「弱さ」と、「悲しさ」を見たから。
* これを誰も責めることは出来ないと私は思ったから。
* その時の私と同じように、長い年数も会社員の立場で苦しんで来た上司たちだったから。

このように理不尽を受け取り、
* 上司という個人を見ずに、
* 人間が持つサガの悲しさ。
これを感じた時に上司たちを「許す」「仕方がないこと」と思えたのです。

ここで、砂漠の中の貴重な1本のペットボトルの水を想像して欲しいのです。
水がいつでも飲める街中に自分が居る時は、1本の水をめぐって争う他人を見れば不思議に思うかも知れません。(理不尽な上司たちを許せない心境に通じます)

でも、自分も砂漠の中で集団で遭難したならば、その1本の水をめぐって何が起こるのでしょうか?
本当にノドが極限まで乾き切った時、幻想の錯覚を見て苦しむ中で人同士の醜い争いが起こることでしょう。
でも、誰もこの悲しい人間のサガを責めることは出来ないと思うわけです。

現代社会という砂漠の中で、1本のペットボトル(給与)を巡って誰もがもがき苦しんでいると言えそうです。
自分が動けなく成った老後でも、果たしてペットボトルの水を入手できるのか?
答えの無い不安感が誰にも有ります。

他人が持つ悲しさ、人間自体が持つサガを、自分自身が冷静に見詰め続けた先には、色々な人々に対する理解力・包容力が増して行くことを感じます。
こうして人は、世間の悲しさを受け取り昇華して行く、観世音菩薩(世の中の悲鳴の音に耳を傾ける菩薩)へと自分自身が変わって行くのです。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/10(土) 17:35:36|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

すべては変わって行きます
2016-12-09 11:30:59 | 月間の自然観察日

(カレンダーの印の意味は「月間の自然観察日」を順番に参照。「12月の「月間の自然観察日」」に12月の詳細あり)

12月9日。12月10日。
これを12月カレンダーに防災静観日として追加します。

昨日から今朝に掛けて、環太平洋内で大きな地震が発生しています。これが北上する想定をします。
今も関東、千葉沖の深海で地鳴りを感じます。
今日は関東を静観。

今朝に思いましたことは、会社で嫌な上司に悩む人が多いことです。
でも、これは昔からある会社員の永遠のテーマです。避けては通れないことです。
どの会社でも有ることです。

私も入社して3年間は、本当に地獄の修行でした。初めて社会に出て入社した先が企業の営業部です。
最初に研修を受けてから1週間ほどは、先輩に同行しての新規企業への飛び込み営業でした。
そして翌月からは、自動車1台を与えられて(金銭的にも暗黙の責任感のプレッシャーを受けながら)初心者マークの運転で一人で企業訪問を始めました。

そして月末には社長も参加の営業会議で、今月の実績報告を毎月します。毎週末には部長による罵倒会議が深夜までありました。
もう書けないほど色々なことが有りました。上司による売上実績の他人への付け替え、弱い立場の部下への責任の転換、もう理不尽の連続でした。

ある時に、「どうしてこんな理不尽なことを平気で上司たちは出来るのか?」と考えていました。
そしてふと気付いたことは、今の部長たちの全員が、

* 若い頃に同じことを上司からされて来た人々だということ。
* 理不尽を分かった上でしている。確信犯だということ。
* 今の私と同じ立場を経験して耐えた人たちだ。
* 社長や部長に成れる人は、これに耐えた人たち。

これが思い浮かんだ時に、苦しんでいた私はとても気が楽に成れました。
苦しい時は、理不尽の1つ1つが気になり、それに対する怒りと落胆を繰り返していました。
でも、上司の過去を思いやった時に、その理不尽が自分の中で許せたのです。

そのような売り上げ数字を責められる生活を、「求道への修行」と自分の中で置き換えた時から意識の拡大が仕事を通して開花を始めました。
給与付きで、霊的修行もさせて頂けると置き換えたのです。一石三鳥だと思うようにしました。

色々な人物との縁が仕事を通して開拓も出来ましたし、自由に使える営業車(燃料費が月に5万〜)の有り難さにも気付け、理不尽な環境にも心から感謝が出来るように成りました。
感謝の意識が強くなるに比例して、コノ世での意識の「実現力」を取り戻しました(過去生の断片)。

以上の話で私が何を言いたいかと説明しますと、
* あなたをイジメる人は、その人も同じような体験をしている人。
だという視点を参考にして欲しいのです。

どうして、その人は自分に対して、そんな理不尽が出来るのか?
理不尽の裏には、
* その人の家庭には、他人に言えない不幸があるのかも知れません。
* 今も満たされない欲求不満に苦しんでいる人かも知れません。

怒る人も、怒られる人も、見えない縁で引き合った「お互い様だった」というのが霊的真理です。
今の苦しい環境を脱出したいと思えたならば、
* 先ず、それでも生活が出来ること。
* それでも、生かされていることに感謝の心を取り戻すことから。
これを始めて欲しいのです。

そうすることで、色々なことが視え始めて、自分に「気付き」と「知恵」が湧いて来るのです。
* 転んでもただでは起きない。
* 虎視眈々と静観すること。

このようなことを参考にして頂ければ幸いです。
すべては必ず嫌でも変わって行きます。
どうせ実在するのは魂1つだけなのがコノ世の真相です。

あとは変わり行く因果が見せる幻想です。
何が有っても、安心していれば天国に行くのは間違いが無いのです。
誰もが大丈夫です。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/09(金) 13:12:30|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

美味しい果実も食べる時期を間違うと毒になる
2016-12-07 11:20:50 | Weblog
果実には、食べるタイミングというものがあります。食べるタイミングを間違いますと、
* お腹を壊したり、
* 美味しい果実も毒に変わっているかも知れません。

まったく同じモノであるのに、時期を間違うだけで天地の差が生じるわけです。
これは人の行動にも、同じことが言えることを感じます。

私達は、仕事にしても、転職にしても、恋愛にしても、結婚にしても、
家族にしても、旅行にしても、他人に注意するタイミングに関しても、

* その対象の良し悪しや、結果ばかりを心配している。
* 時期、タイミング、を重視するという視点が欠落しがちです。
* 時期を逃せば、悪い別物に変わっている想定。

このようなことが大切です。
投資にしても、そのタイミングが利益に直結します。タイミングこそが、明暗を分けます。

つまり、タイミング、機微を掴むとは、コノ世の重要な要点であり、人の人生の最難関の課題だと言えます。
人の人生は、偶然というタイミングに左右され、支配されていると言っても過言ではありません。

自分の人生のタイミングを知ることが、難しいのです。
では、どうすれば良いのか?

ここで、盲点があるのです。
タイミングの時期・時間を他人から聞くだけで、それは上手く行くのか?成功するのか?
そうでは無いのがタイミングの正体なのです。

ここで果実にヒントがあります。
果実を食べる時のタイミングを知るには、
* 見える周囲の環境と、果実の表面の色などの変化。
* そして、甘い匂いが実際にすること。
これで人は「迷わずに」判断して収穫するものです。

占術で日時だけを聞いて食べても失敗するのです。
実際の視覚・収穫という「自分の行動」がピンポイントのタイミングを教えてくれます。

これが人の人生にも言えるのです。
自分の行動・努力が不足したままで、日時のタイミングばかりを知りたがる人は失敗します。
何かが上手く行っても、最終的にはやはりダメなのです。

転職を迷う時点で、それは既に赤信号のサインです。
迷うこと自体が、変なのです。
結婚も、迷う時点で、既に50点です。

自分が今の職場で本当に最大の努力をしていたならば、
転職するための調査・努力を本当に自分がやり切ったならば、
その転職が失敗した場合も想定して、それでも良いと自分が覚悟できる場合、

* 自分が転職するべき最高のタイミングである場合は、一切迷わないのです。
それが悪いタイミングの選択ならば、なぜか心配が尽きないで、どうしても迷います。

以上は、コノ世的な努力で最高のタイミングを知る視点です。
でも、これだけでも、まだダメなのです。
これらの上で、本当に大事なのは、自分の今までの生き方から反射する運気なのです。

自業自得の運気が、誰にも存在しています。
これに干渉するのが、感謝の先祖供養(遺伝子の調整)なのです。
これの有無が、最後の一押しを決めます。

すべては、自分の生き方の反射が、未来に反射するに過ぎません。
もう何も考え無いで、自分なりの最善の努力をしていると思えたならば、もうそれで良いです。
感謝の先祖供養を継続する上で、自然と進みます。
以上のタイミングの視点・要素を知って置いて頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/07(水) 18:34:08|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

先が分からない中を懸命に生きようとすることが最高の財産だった
2016-12-06 11:05:52 | Weblog
人がコノ世に生まれて来る秘密の1つに、
* 先が分からない中こそを、生きることが修行。
という意味が有ります。

これを設定しているのは、実は自分の本心(真我・内在神・良心)なのです。
しかし、コノ世に居る自分(自我・ワレヨシの心)は、どんな手を使ってでも、先を知ろうとして色々と心配してモガキます。

私が読者にアドヴァイスをする時に、その人自身の先祖の守護霊や内在神が、
* 頼むから、先を教えないでやって欲しい。
* 先を教えて、この子の今までの苦労を台無しにしないで欲しい。
と伝達して来ることが有ります。

つまり、せっかくの過去の因果の昇華(帳消し)の機会と、心の成長の機会を邪魔しないで欲しいという意味です。
人は、先を知って上手く逃げたところで、過去に自分がした霊的借金はそのまま残るために、先延ばしにしたに過ぎないのが真相です。先に延ばした間も、借金の利息は加算され、より大きく成るに過ぎません。

自分自身を浄化と成長させる方法が、
* 先が分からない中を、一生懸命に生きること。
* 暗中模索の中を歩いて行くことで、自分の本性が出て、魂の「お祓い」と「成長」が起こること。

そして、これが出来るのはコノ世の次元だけなのです。
アノ世は、完全にリピート再生を繰り返す世界であり、先が分かる世界であり、成長が起こらない世界なのです。
自分が死後に行き着いた世界から、もう出ることは出来ません。

* より上の世界に行きたければ、コノ世に生まれ出て、先が分からない中での自分自身の昇華と成長を果たさなければ生けないのです。

先が分からないことこそが、成長のための大切な起爆剤なのです。
先が分からない中を生きる最高の生き方が、

* とにかく今を一生懸命に生きること。
* 今しか無い、今しか存在していない。という真理の視点で生きること。
* 未来は白紙であり、今の連続が未来を自由に形成して行く真理。
* 以上をもって、コノ世だけが未来を変えられる唯一の次元である真理。
  (アノ世では未来の形成は無理なのです。過去のパターンしか存在しません)

先を知ろうとムダな事をするよりも、今の自分がするべきこと(勤務・勉強・家事・・・)を懸命にして見ましょう。
この「連続」と「継続」が、自然と未来(希望)を自分に見せてくれるのです。
自分の本心(真我・内在神・良心)が許してくれます。

自分の本心にまだまだ許してもらえない人が大半です。
本当の自分が納得するまで、思いっ切り生きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2016/12/06(火) 18:11:52|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

電通が叩かれたのにはビックリ

さて、ちょっと前のニュースですが。
皆様も知っての通り最近、あの電通に強制捜査が入りましたね。
以下は週刊現代から

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50245

img_616f432686d28a59b00891d179797703341643
・・略・・

官邸を怒らせた

「今回の強制捜査は、スピード・規模ともに『異例中の異例』といえます。昨年末に過労自殺した新入社員の高橋まつりさんの母親が記者会見を開いて電通の過重労働問題が取り沙汰されるようになってから、わずか1ヵ月で東京本社と中部、関西、京都支社と大規模な強制捜査が展開されました。ここからは、官庁や官邸が電通を本気で叩くという姿勢がうかがえます」(経済ジャーナリスト・磯山友幸氏)

11月7日午前、厚生労働省は計88人の大所帯で電通本社および3支社の「強制捜査」に入った。

「捜査官が入ってくると知らされたときには愕然としました。我々はなす術なく、表口から列をなして入り、オフィスの資料を片っ端からピックアップしていく彼らの捜査に応じるしかありませんでした。強制捜査に入られることは、本来企業としてはあってはならないことです。クライアントにどう説明するべきか、今はわかりません」(電通幹部)

厚労省が「異例」のスピードと規模で捜査に踏み切った背景と内実について、専門家たちは次のように分析している。

「電通はもともと何度も労働基準監督署から是正勧告を受けていたにもかかわらず、改善は図られず過労死が起きた。そこで10月に一度、労基署はその上部組織の東京労働局と共に電通本社へ『臨検監督』に入ったのですが、ここでは是正を求めるというより、強制捜査に乗り込むために是正されていないことを確認しに行った、というほうが正しいでしょう」(元労働基準監督官・篠原宏治氏)

また、日本労働弁護団常任幹事の渡辺輝人氏は次のように語る。

「『異例』なのは、支社も含め強制捜査を一斉に実施したこと。労働局は都道府県単位で設置されていて、これを一斉に動かすためには、結局本省の労働基準局が動き、各局の連携を取る必要がある。本来であれば労基署の監督官が単独で取り締まりや捜査ができるのに、本省まで関わってきているのです。

厚労省が総出で動いているのには、やはり先の臨検監督で、電通が労働基準法に違反している『証拠』を掴んだからだと思われます。本腰を入れた厚労省は差し押さえ令状が必要な強制捜査に踏み切った。これは彼らが電通を『容疑者』とみなしたということです」
・・略・・
前出・磯山氏は「塩崎恭久大臣は是正勧告に応じなかった電通に激怒している」と明かす。

「電通は’14年には関西支社が、’15年には東京本社が労基署から是正勧告を受けているのにもかかわらずこのような事態を招き、塩崎大臣は厚生労働大臣としてメンツを潰された格好になった。

それに、いま官邸は『働き方改革』を進めていますが、この現場を司る責任官庁は厚労省。このまま企業の過重労働問題を野放しにすれば、安倍総理の不興を買うことにもなりかねない。そこで、塩崎大臣は官庁としての『本気度』を示そうとしているのです」

・・乗り込んだのは「特殊部隊」

これに加えて、今回の捜査が異例のスピードで進んだのは「過重労働撲滅特別対策班」、通称「かとく」の存在が大きい。彼らについて、当の東京労働局監督課「かとく」主査は次のように説明する。

「『かとく』は去年の4月から東京労働局と大阪労働局に配置され、今年の4月からは厚労省本省にも置いています。今回のケースは、東京労働局内では我々が扱っていて、本省の『かとく』とも連携を取って動いています。

我々が扱うのは、一般の労基署の案件よりもより悪質なものや、大企業が組織ぐるみで行っているものです。それらは巧妙にその体質が隠蔽されている場合が多い。これらに対応できる高度な捜査技術を持ったメンバーが集められています」

・・実態はもっとひどい

全国紙の厚労担当は次のように語る。

「『かとく』は今回の捜査で、社員たちの本社への実際の出入り時間のデータと、入力された出退勤の記録を入手したようです。双方を突き合わせるとわかるのは、会社にいた時間と記録された労働時間のギャップ。

たとえば会社にいたのは12時間のはずなのに、なぜか勤務時間は8時間として記録されていた場合、労働時間を何らかの方法で『ごまかし』ているのではないかと、『かとく』は想定しているのです。

また月々の労働時間を見て、たとえば繁忙期なのに他の月と残業時間がほとんど同じ、ということになれば、逆に繁忙期にもかかわらず残業していないのか、と疑いが生じることになる。こうした捜査で労働基準法違反に該当するのかどうかを裏付けていくはずです」

つまり「かとく」が目をつけているのは、長時間労働の実態に加え残業時間の「ごまかし」が行われているかどうか。その上で残業代が未払いだとしたら、電通は労働基準法違反で立件されることになる。

元電通社員でLamir代表の藤沢涼氏は、そのような「ごまかし」は「『暗黙の了解』としてまかり通っている」と明かす。

「自ら命を絶った新入社員の高橋まつりさんに対して、労働基準監督局は月間100時間超の残業があったとして労災認定しましたが、私は彼女がより多くの残業を強いられていたのではないかと思います。

電通の社員、特に新入社員をはじめ若手社員の残業時間は月に200時間はザラ。労働基準法の『36(サブロク)協定』で認められている所定外労働時間は70時間なので、130時間もオーバーしていることになります。ですが70時間を超えた残業時間を申請すると、上司からは『お前の仕事の効率が悪いんじゃないのか』と指導を受けてしまう。

ではどうするかというと、やはりあの手この手で残業時間を『ごまかし』ていくしかありません。こうした行為は、出退勤を管理している上司に『そうしろ』と教えられてやり始め、やがて社内全体の『暗黙の了解』として体質化していくのです」

藤沢氏は、電通社員が実際にどのような方法で「ごまかし」を強いられているかも語る。

「本社の1階のエントランスにはゲートがあり、社員がここを通るときにICチップ内蔵の社員証をかざすと入退館が記録されます。でもこれを普通に通過していると、200時間の残業がそのまま記録されてしまう。

そこで電通の社員は実際よりも早い時間に打刻し、残業を終えた深夜は、このゲートを飛び越えたり、匍匐前進で通過したりとなんとか退勤記録をつけないようにしていました。

また本社ビルの46階にはレストランが入っているのですが、そこを経由して一般向けの出入り口を利用すると、ゲートを通過せずに済みました。残業が多くなった日は多くの社員がここを通って帰っていきました。

さらにこの入退館記録とは別に、勤務管理表を毎日つけなければならなかったのですが、ここで毎日、2〜3時間ずつ勤務時間を削って上司に申告するわけです。

たとえば、備考の欄に『食事に出ていた』『自己啓発のために英語を勉強していた』などなど、適当な理由をつけるのです。これがいま巷で言われている『私事在館』なのですが、このような操作を繰り返すことで、月の残業時間を70時間以内に抑えているのです」

まぁ、この記事は官邸を怒らせたとか乗り込んだのは特殊部隊だったとか色々書いてるのですが。

以下は電通の鬼十則という社内則です。有名ですね。
1544

本当は電通の戦略十訓というのがあるそうです。ネットに載ってました。
images-php
無駄遣いさせろ。流行遅れにさせろ。
マフィア会社電通の体質を良く表してます。

ちなみに以下は電通ビルの内部ですが、なんで床全体に目玉がデザインされてるのでしょうか。
非常に気持ち悪い。
evopm

こりゃあのゲゲゲの鬼太郎に出て来た西洋の悪魔、バックベアードではないですか。

t02200161_0800058411550207594
さて、この週刊現代の記事は表面上の理由しか書いてないのですが。

電通強制捜査の本当の意味。

今まで電通=CIAが日本の全てのメディアをコントロールしていました。
cdpvnlqw8aegimw

本来、強制捜査に入るネタなどいくらでもあったのになぜ今なの?

狡兎死して走狗烹らる
【読み】こうとししてそうくにらる

これは狩りで獲物がいなくなったら、ご主人様は今度は良く働いた猟犬を煮るということわざです。

奴らの中でも上の上。貴族連中はたった今、手下の処分を始めています。


電通はスポーツ、セックス、スクリーン。日本の3S製造担当で三下連中でした。

思いだしてみて下さい。
あなたは学校教育の12年間で立派な奴隷になるように訓練されて来ました。
本来、子供はなぜ、どうして?を連発する。
好奇心旺盛で外を走り回ります。
動物の子供は、好奇心であたりを走り回って知識を得て行くのです。
それが生物学的に当たり前のことでした。

でも、学校教育は真逆をやりました。
お前は黙ってそこに座って話を聞いてろ。
自信をそぎ落とし、自己肯定感をなくさせる。
しまいには順位をつけ1位以外は全員コンプレックスを持つようにしむけました。

あなたは何もできない無能な人です。
そして成長し電通=CIAのニュースを毎日見るような大人になりました。
そこでは毎日恐いニュースが流されていました。

外の世界は怖いよ。
ここが一番安全なんだよ。
あなたは何もできないんだからここで黙って働くしかないんだよ。

そして奴隷のあなたには、ちょっとの余暇に3Sを与えられました。
そうしてそういう生活が続くと何の疑問も感じないようになってしまうのでした。

あなたは言わば監禁されてるようなものです。

逃げるは恥だが役に立つ。
あの過労死した真面目な女の子がもうちょっと早く気づいていれば。

前から言ってるように、この世は、電通=CIAの作った恐怖ベースの社会です。

人の目、人の噂。
そんなものを気にして本当はみんな適応してはいけない場所に適応してしまっているのです。
監禁されてるのに、犯人になぜか共感してしまって惨めな自分を受け入れてしまっている。
いわゆるストックホルム症候群というやつです。

ストックホルム症候群(ストックホルムしょうこうぐん、英語: Stockholm syndrome)とは、精神医学用語の一つで、誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意等を抱くことをいう。

現代人が陥ってる状態がまさにこれです。

トランプ氏が当選した。
山口組が分裂した。
スマップが解散した。


この大元の理由は全部同じです。

本来電通に強制捜査なんて入れないのです。
なぜ入れたの?


そりゃケツもちマフィアが消えたからでしょう。

もう既に今までの仕組みが崩れて来ています。


2016年末。

経済崩壊が来る来るとワタスはしきりに言ってますが、そんなことよりもっと深いところがぶっ壊れ始めている。
これは感覚の鋭い人には分かることでしょう。

それなのに皆さんはまだピラミッドの中に居たいの?
そっちの方がまだ居心地が良いの?

怖い怖い。
まだ恐怖ベースの社会にしがみついてたいの?

未だに人の顔色をうかがえ、まわりのことを考えろ。
常識を考えろ。
こんなことをしちゃダメだ。あんなことをしちゃダメだ。
慎ましやかに真面目に働きましょう。
ひいては人生は楽しんじゃいけないものなんだ。

それはその人の言葉ではなく、単に奴隷管理用のコードです。

あなたにあれこれ言って来た連中の特徴を覚いだしましょう。
たいてい魚の死んだような目になっています。

もう、自由になって良い日が近づいてる。
心のおもむくままに。

以下、昔載せたマーフィーの法則をのっけときます。
これはマーフィーの法則を読んで人生を変えたある新聞配達員さんのお話です。

http://ungayokunaruron.seesaa.net/article/222910733.html より

私もそれまでは、どうしようもないマイナス思考で、まだ起きてもいない悪い出来事を想像しては不安な日々を送っていました。
例えば、セールスに行った客からクレームがくるのではないか・・・キャンセルになるのではないか・・・。
恋人が別の男と知らない間にデートをしているんではないか・・、今日、別れ話を切り出されるんではないか・・・。

と、未来を勝手に悪いほうに考え決め付け、それを逆に願っているかのようでした。

その頃は全て的中とはさすがにいいませんが、ほとんどそのマイナスのイメージ通りにことが進んでしまい、今思うと情けない生活を送っていました。

仕事は新聞配達に新聞のセールス。大変な割には収入は手取りで13万円程度。風呂無しのボロボロのアパートに住み、車も無く休日はパチンコに明け暮れる。

我ながらひどい生活でした。

ところが、このマーフィーさんの書籍と出会い、急激に人生が変わったのです。

「え?願いを何度も唱えるだけでその願いは叶う?」

「こんな簡単なことで?」

正直そう思いましたが、その頃の私は藁にもすがりたい状況でしたので、とにかくマーフィーさんの言葉の通り毎晩、毎朝、お風呂に浸かっている時までこう唱えるようにしました。

「この世界の源は、たった一つであることを私は知っています。
それは、”生命の原理”です。全てのものはそこから流れ出ます。
それは宇宙を創り出し、全てのものはその中に含まれます。この”全能の力”が私に関心を寄せています。
私の心は開かれており、受容的です。

私は、”無限の富”が持つ調和、美、導き、富、豊かさが自由に流れる水路です。
健康、富、成功は内から放たれ、外に表れることを私は知っています。
私は今、内と外の無限の富と調和しています。こうした考えが私の潜在意識に定着し、うちゅうのスクリーンに投影されることを、私は知っています。
すべての 人に恵みがありますように。私は”偉大な力”は持つ富—-情緒的、精神的、物質的富を受け入れます。
それらは雪崩のように豊かに私に流れてきます。」
はじめの内は、いつものマイナス志向が邪魔してきます。

「どうせ、こんなこと唱えたって変わりやしないさ。俺は一生不幸に生まれてきたんだ!」
こんな風に。

でも、負けずに言葉に出したり、頭の中で何度も唱えるのです。
するとどうでしょう。
あくまで私の場合ですが、ほんの数日でマイナス思考なんてものは、どこかに行ってしまいました。
人生に光が指して来たかのように、前向きに人生を考えるようになったのです。
プラス思考に変わってしまったのです。

恐い。怖いではない。
大丈夫。自分にはできる。
今こそ自分の心の力を信じる時。

今こそピラミッドから飛び出す時ではないでしょうか。

AHO2CK20160324000353.jpg
ちょっと長くなってしまいましたが。
最近の思うことを書いてみました。

本当にありがとうございますた。

(黄金の金玉を知らないか?)

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2588.html

電通が叩かれたのには驚いた。ここに書いてあるとおりバックがいなくなったから叩かれたということなのでしょう。
他にも、今までバックがいたから守られてきた組織や、個人なども、表に出てるくのでしょうね。
時代の大きな変わり目を生きているのかもしれません。
  1. 2016/12/02(金) 20:42:31|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

【相手に悪事をさせない愛】* 他人にした行為・発言は、未来の自分自身に対してしたことに必ず成る。 ということです。 これを別の言い方にしますと、 * 自分が他人にすることは、自分の未来への投資だ。 * 自分が他人にした善と悪は、未来の自分を形成する要素。 更に別の視点から言いますと、 * 他人・相手に悪事をさせないことは、未来の自分も守ることに成る。 「相手に悪事をさせない」という善徳も有ると感じます。 自分が自分自身の良心(内在神)に従っていても、中傷されることが有ることでしょう。 この場合は、お互いの内在神(良心)がすべての真実を知っていますから、完璧な帳尻が合うようにお互いに反射を受けます。 これで良いのです。自業自得が未来に示現します。 コノ世で判断されなくても、アノ世でも反射が追跡されて完璧に遂行されますから、今の自分は心配しないことが大切です。 * 人は短い期間だけを見て喜怒哀楽をしないことです。 長い視点では、すべては完全に公平に水平に均されます。 今日も何が有ってもヤキモキせずに、 「アノ世にお任せよ〜」 と思っていましょう。

見えない、思わせない、善徳
2016-11-26 11:18:05 | Weblog
今朝に思いましたことは、

* 他人にした行為・発言は、未来の自分自身に対してしたことに必ず成る。

ということです。
これを別の言い方にしますと、


* 自分が他人にすることは、自分の未来への投資だ。
* 自分が他人にした善と悪は、未来の自分を形成する要素。

でも、これだと似たような発言は過去にも有ります。
更に別の視点から言いますと、

* 他人・相手に悪事をさせないことは、未来の自分も守ることに成る。

つまり自分が、という視点から離れて、「相手に悪事をさせない」という善徳も有ると感じます。
異性から不倫を持ちかけられても、相手のために断る。
金品の着服を誘われても、相手に罪をさせないために断る。
このような視点も有りだと感じます。

これでは現実には善悪が何もコノ世で発生はしていませんが、水面下、見えない世界では、確実に防止した善行が発生しています。
私たちは見える行為の善悪ばかりに囚われますが、「悪事を起こさせない」という「見えないために」他人から評価がされ難い善行が多々あると思います。

国家にしても、対立する相手国に「戦争をさせない」という「誘導」が最大の防御なのでしょう。
これは老子も、このようなことを示唆しています。
女性も、誘惑されないような、痴漢に遭わない、行動と身なりが最高の防犯なのでしょう。
銀行も、簡単に強盗が可能だと「思わせない」体制が大切です。

* 他人にした行為・発言は、未来の自分自身に対してしたことに必ず成る。

これはネットでも他人へ嫌がらせのコメントを書きますと、やはりその人の未来には反射の芽が蓄積して行きます。

* 相手をヤッツケたいという行為は、実は未来の自分自身をヤッツケていた。

ということが完璧に言えることを、脳内で追跡しますと未来に示現することを感得します。
やはり自分自身が損します。

* でも自分も、他人にそんな悪いコメントをさせない事が大切です。

問題はここなのです。
自分が自分自身の良心(内在神)に従っていても、中傷されることが有ることでしょう。
この場合は、お互いの内在神(良心)がすべての真実を知っていますから、完璧な帳尻が合うようにお互いに反射を受けます。
これで良いのです。自業自得が未来に示現します。


コノ世で判断されなくても、アノ世でも反射が追跡されて完璧に遂行されますから、今の自分は心配しないことが大切です。
* 人は短い期間だけを見て喜怒哀楽をしないことです。
長い視点では、すべては完全に公平に水平に均されます。

今日も何が有ってもヤキモキせずに、
「アノ世にお任せよ〜」
と思っていましょう。

コノ世だけを信じて生きる人生は、ギスギスした貧相なものに成って行きますから、安心して大らかに生きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2016/11/26(土) 13:07:08|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

理由も無く「正しい」他人を非難したい自分の気持ちに注意
2016-11-25 11:20:13 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
ワレヨシなドン欲に成ることが無く、
普段にイラ立つことが無く、
自分勝手な欲望を持たずに、
正しい他人を非難したくなる気持ちが自分に無いこと。

このような自分の激しい性(サガ)による欲情や悪事をしないこと。
このような悪い自分のサガを霧散させて、
社会全体で自分が認められたいという願望が消えた人は、

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.56)

(感想)
この項で特に気になる行は、
「正しい他人を非難したくなる気持ちが自分に無いこと」
真面目な人や、正論ばかり言う人、このような他人を自分が非難をしたくなる気持ち。
正しい他人をイジメたくなる気持ち。

このような気持ちを自分自身が持つ時の心境・環境とは、いったいどんなものなのでしょうか。
正しい他人をイジメたくなった時の自分の心境とは、

* 自分が間違っているのは薄々分かっているが、モヤモヤとした自・他への非難が消えない。
* 自分の私生活が不満だらけで、満たされていない。
* 恥ずかしい自分が居ることが分かっているが、どうしても他人には攻撃的に出てしまう。


これはまるで小学生の男子が、好きな女子にイジワルをして自分に気を引きたい心境に似ています。
なぜか、人のサガは逆をしてしまうのです。
これが大人になっても、人のサガとして誰もの根底に潜んでいます。
社会人に成りましても、

* 自分が会社を首になることが、ほぼ決まっている場合、周囲の順調な社員に対して自分が理不尽だと分かっているが腹が立つ。

* 仲の良い女友達の婚約者が、凄く裕福でイケメンだと分かると、なぜか嫌で自分がブルーになる。

* 自分の子供と仲の良い近所の同級生の友達が成績優秀で1番だと、親が意識してしまう。

* 駅周辺でホームレス生活をしている人が、寒い師走の夜に忘年会で酔って浮かれている会社員を見た時に、何を思うのか?

人は、自分が満たされない時に、寂しい時に、他人を非難したくなるサガが有るということです。
でも釈尊は、このように思う間はダメだと仰っています。

* このような心境が自分から消えた時、
* 自分が困難な状況でも、どんな他人も心から祝福が出来る「素直な」心境に成れた時、

その人は、1本角のサイのように自分の求道を進みなさい。
涅槃(ねはん・天国)に至る心に成れる可能性が有る。
と仰っています。

人の心とは、何と複雑であり変化をするのでしょうか。
まさに宇宙です。
だからこそ、わざわざコノ世に生まれて来て、自分で求道する意味も価値も有るのです。

誰もが自分の宇宙を完成させる為に生まれています。
今日も明るく頑張りましょう。

(伊勢白山道)
何とかしてあげたいと思っても
私が何かしてあげられるというわけでもない。
難しい・・・
年末年始に向かってさみしい、悲しい、かまって、という人も増えてくるのではないのでしょうか。
クリスマス、忘年会、新年会、お歳暮・・・
年末年始にはイベント目白押し・・・

避けたところで1つには変わりなし。
  1. 2016/11/25(金) 13:29:08|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

個人でも、八方塞がりに成ることも有るものです。 こういう時は、 * 自分の仕事を淡々としていることが大切です。 * 起こる状況を静観することも大切です。 * 思い付く対応をして行きながら、時間の経過を見ること。 そして、 * 事前に想定したことは、対応が可能であること。 * 想定したことは無難に変化する。考えて見ましても、ハラハラ・ドキドキと心配する人は、用心するために結局は災難に遭わないものです。 でも心配して心が暗く成るようでは、生活が楽しく無いです。 * 心配する中でも、感謝の心、楽しむ心、思いやり、・・・・このような気持ちを自分が持てるのか? これを、自分の本心(真我・内在神)から「誰もが試されている」という仕組みを思います。 人は死ねば、心しか残りません。 なのに、今は色々と心配し、傷付け合います。 * 誰もが、自分で自分自身を試している最中の修行者です。 他人は関係無いのです。 色々と心配することが有っても、その中でもナントカ自分自身を明るく「運」びましょう。 これが運命となり、運命は「明るく」変わって行くものなのです。

運命を、明るく運ぶことが試されています
2016-11-23 11:17:20 | Weblog

(青い線で挟まれたピンク色の地帯が、フォッサマグナ。日本列島を2つに分ける大断裂帯のこと)

読者からの情報によりますと、長野県で硫黄臭がするというコメントがありました。

また、長野県から富山県にまたがる山岳地帯(黒部ダム周辺)において、9月頃に1週間で200回以上の微振動が発生した報道もありました。

東日本大震災の後に、長野県が揺れるというパターンも起こっています。
従って昨日の福島県沖の地震を考えて、長野県も静観します。
やはり、日本列島は九州を始めとして火山活動の再起動の周期に入ったと感じます。

また、国際関係におきましては、米国の政局が不安定になったとたんに、
* 北海道の先から強気が来る。
* 沖縄の先から強気が来る。
* 日本列島は、挟み撃ち。

という状況に推移する感じです。
2017年は、自然災害に加えて、国際関係でも日本は要注意の年になりそうです。

こういう時は、どうすれば良いのか?
個人でも、八方塞がりに成ることも有るものです。
こういう時は、


* 自分の仕事を淡々としていることが大切です。
* 起こる状況を静観することも大切です。
* 思い付く対応をして行きながら、時間の経過を見ること。


そして、
* 事前に想定したことは、対応が可能であること。
* 想定したことは無難に変化する。


そのために、今の内から来年の
*自然災害
*国際状況 
を知って置くことに意味と価値があります。

考えて見ましても、ハラハラ・ドキドキと心配する人は、用心するために結局は災難に遭わないものです。
でも心配して心が暗く成るようでは、生活が楽しく無いです。

* 心配する中でも、感謝の心、楽しむ心、思いやり、・・・・このような気持ちを自分が持てるのか?


これを、自分の本心(真我・内在神)から「誰もが試されている」という仕組みを思います。
人は死ねば、心しか残りません。
なのに、今は色々と心配し、傷付け合います。

* 誰もが、自分で自分自身を試している最中の修行者です。

他人は関係無いのです。
色々と心配することが有っても、その中でもナントカ自分自身を明るく「運」びましょう。
これが運命となり、運命は「明るく」変わって行くものなのです。


(伊勢白山道)
  1. 2016/11/23(水) 12:08:34|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

(2) 恋愛の願いや、漠然とした希望に関しては、ただ思い続けるよりも、 「それ」に関する行動をして行くことが大切です。 行動をするが、その先行きを考えないことが大切です。 * 無心で行動する。 * お任せ、の気持ちでいること。 (3) 最初に、それに関する自分の希望・願望を強く思ったならば、 * 一旦、それを忘れて見ること。 * 心を空にして、仕事や、活動を無心にして行くこと。 霊的には、この(2)(3)の「態度」でいる人間には、先祖霊や内在神は、非常に干渉がしやすい状態と霊的に言えるのです。 この時に「他力」が働くのです。 病気でも、この(2)(3)の状態で、するべき治療・生活を淡々として居る時に、「奇跡」は起こりやすいのです。

自分を妨害しているのは、自分の自我だった
2016-11-18 10:57:12 | Weblog
恋愛の願いや、漠然とした希望に関しては、
そのことばかりを「考えている」「思っている」ことのほうが、

* 実現しない。遠ざかる。
* 今の現状・環境も低下する。
* 他の良い道・方法にも、気付けない。

と私は霊的な意味で思っています。その理由は、
(1) 自分の自我(自分の一方的な思い)が強すぎますと、先祖霊や内在神が、よい方向に干渉したくても、
* 自分でバリアーを張って拒否している状態。
* 自分が受け付けない状態。
に人は成っているからです。


自分の自我(ワレヨシな思い)が、自分自身の願望を妨害している人が実に多いのです。
でも、そういう人ほど、まさか自分の自我が犯人とは思えずに、他人からの生霊や、霊の憑依などに原因を探し求めて安心しようとします。

そんな時に有料先生に相談すれば、「飛んで火に入(い)る夏の虫」、待ってました!!とばかりに、
「それは霊障ですよ」「除霊が必要」「数万円」
などと搾取されます。

自分の願望を妨害しているのも、変な人に縁を自ら持つのも、すべては自分の自我が原因なのが霊的真相の9割を占めます。
残りの1割は、本当の霊的問題も含めて、ケースバイケースであり一概には言えません。

(2) 恋愛の願いや、漠然とした希望に関しては、ただ思い続けるよりも、
「それ」に関する行動をして行くことが大切です。
行動をするが、その先行きを考えないことが大切です。

* 無心で行動する。
* お任せ、の気持ちでいること。

(3) 最初に、それに関する自分の希望・願望を強く思ったならば、
* 一旦、それを忘れて見ること。
* 心を空にして、仕事や、活動を無心にして行くこと。

霊的には、この(2)(3)の「態度」でいる人間には、先祖霊や内在神は、非常に干渉がしやすい状態と霊的に言えるのです。
この時に「他力」が働くのです。

病気でも、この(2)(3)の状態で、するべき治療・生活を淡々として居る時に、「奇跡」は起こりやすいのです。


これは、勉強にも言えます。
OO大学・高校・中学に入りたい、何々試験に合格したい。
中には、合格した後の想像・夢想ばかりして、勉強の時間を捨てている生徒もいます、笑。
これではダメなのです。

とにかく目の前の勉強を「好きになって見ること」「その勉強に恋をして見ること」。この態度で勉強をして行く「行為」が大切です。
願望を思う前に、行動・行為をして行くことです。

この態度の連続は、良い結果を自然と呼びます。
これは研究にも言えます。
ノーベル賞を取るためと強く思う研究では、ノーベル賞は取れないのです。

今日の話で私が言いたかったのは、
* 自分の幸運を邪魔しているのは、自分の自我(ワレヨシな思い)だったということです。
だから素直な人ほど、やはり幸福に成って行くものです。
参考にして頂ければ、幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2016/11/18(金) 18:06:47|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

生活の中で自分の心を静観しながら、目の前のことに没入しましょう。 人は、何も考えない時間は、心身の生命力が漏電せずに充電されています。 これを知って置きましょう。

今日も、生活の中で自分の心を静観しながら、目の前のことに没入しましょう。
人は、何も考えない時間は、心身の生命力が漏電せずに充電されています。
これを知って置きましょう。


(伊勢白山道)
  1. 2016/11/16(水) 17:40:37|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

後ろは見ない!前も見ない!妄想しない!今だけ!※一瞬でも後ろは振り返るな!※自分自身でたまに過去の「苦しかった時の自分」「悩んでいた時の自分」「過去の嫌な自分」を今でも思い出す人がいます。 今、心が苦しい人、心を病んでいる人の本当の原因の最奥には、上記のような「過去の嫌な時の自分の境遇」を知らずに思い出して、いまだに無意識下で反芻(はんすう:繰り返し咀嚼すること)していることを、その人を霊視した時に流れて来るのです。 いまだに済んだ過去の磁気の中で暮らしていますと、新規の今が良く成るのは難しいのです。

新規の今に何を為すのか?これは凄い特権を与えられているのです。
2016-11-09 11:28:24 | Weblog
今の生きている自分とは、当たり前なことなのですが、
「過去の自分の先行きを知っている」
「過去の自分が、その後にどうなったかの運命を知っている」
と言えます。

自分が過去を「思い出す」だけで、過去の自分の運命を完璧に詳細まで知っているのです。過去の自分の先行きを、今の自分は知っています。
実は、これは凄いことなのです。過去も、現在も、未来もすべてが並行して存在するアノ世からの視点では、ここに大きなヒントが在ります。

自分自身でたまに過去の「苦しかった時の自分」「悩んでいた時の自分」「過去の嫌な自分」を今でも思い出す人がいます。
今、心が苦しい人、心を病んでいる人の本当の原因の最奥には、上記のような「過去の嫌な時の自分の境遇」を知らずに思い出して、いまだに無意識下で反芻(はんすう:繰り返し咀嚼すること)していることを、その人を霊視した時に流れて来るのです。


いまだに済んだ過去の磁気の中で暮らしていますと、新規の今が良く成るのは難しいのです。
そこで大切なことは、自分の嫌な過去を思い出した時に、過去の自分のその後の運命を知っている今の自分から、
* その悩みは、こうなったよ。だからもう大丈夫。
と今の自分から過去の自分へと思いを伝えます。

でも、その後の流れが意に反する悪い結果の今の自分の場合は、
* それでも今、その後の自分は生きているから大丈夫。
という生死の原点への感謝を過去の自分に送ることが大切です。

これが、今の自分を奥から改善するヒントに成ります。
アノ世に帰りますと、済んで無くなっているはずの過去の光景が、自分が知らなかった視点から、上方からの視点も、他人の内心の思いも、すべてが音声付きでリピート再生されます。

このようなアノ世の現実を見ましても、並行して存在する宇宙では、今の私達の生活のすべてが残るわけです。
すると、今の自分自身が非常に重要に成るのです。新規の光景を自分の行動で残す、変える、ことが可能なのは、今の自分だけに与えられた最大特権なのです。ある意味で神様の力を、「何をするのか?」と今の自分は持たされているのです。

その新規の今に、悪事を刻んでは生けません。アノ世まで残るからです。コノ世で済んで終わりどころか、未来永劫に残存して、何度も生まれ変わり、帳尻が合うまで残ります。
だからやはり、偽善でも良いから、コノ世での良い行動が全てです。永遠に残ります。
そして、未来の自分にも反射をし続けるわけです。幸運、金運、援助運、・・・・すべてに置き換わり反射します。

だから、他人に評価されたいと思う必要はありません。そんなの関係ないのです。
自分の良心(内在神)から評価される自分であれば良いのです。アノ世でも天国に必ず行きます。
過去の自分自身を癒やし、新規の今は思いっきり良い行動をし、多くの先祖たちも救って行くのです。

そうなりますと、コノ世で不幸であろうが、幸運であろうが、そのような執着は消えて誰もが永遠に嬉々として生き通す存在へと変わって行きます。
誰もが生きている限り、このような可能性が最後まで与えられていることを忘れないでください。
コノ世で為した悪事は、コノ世の内に上書き修正も出来ることを忘れないでください。大丈夫に成ります。

生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2016/11/09(水) 13:35:38|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

* コノ世で他人を助けるのは、自分自身を助けていた。 ということが、自分の死後に完璧に起こります。 今は理解が出来なくて信じられなくても良いですから、覚えて置いてください。

成長では無くて、思い出す過程なのです。
2016-11-06 11:17:50 | Weblog
人の赤子を見ていますと、年を追うごとに肉体が大きく変化していきますから、誰もが人間というものは、
* 段々と「成長」する存在。
* 時間は、一方通行の流れの向きしか無い。時間は、前後しない。

と思い込んで暮らしています。
問題は、人の心も、年を経ると肉体と同様に「成長するもの」と思い込んでいることです。
なぜなら、肉体が取る時の「流れ」を見ている為に、心も同様だと信じ込んでいます。

果たして、人の心も成長するものなのでしょうか?
ここで逆の視点を考えて見ます。
成長というものを10段階で考えて見ましょう。

肉体は、最初の1段目(誕生)から、2、3・・・・10段目(老衰)。
という一方向の「流れ」が見られます。
肉体的な外見も明らかに変化が見られます。

だから心も、幼い1段目から2,3・・・・と成長して10段目の老成した境地に?
あれ? 肉体が衰えましても、心は逆に幼児帰りをしていたり、肉体が中年の時期でも心は3歳児のままで止まっているようなワガママな人もいます。

肉体は、年数の流れに従った経過を、誰もが共通して辿ります。
しかし、心については、肉体の成長とは関係なく前後するのは明らかです。
なぜでしょうか?

誰もが肉体が取る時間経過を見て、すべてを肉体と同様にして見る先入観を持ってしまっています。
この時間経過の観念は、科学を考える際の先入観としてもあります。
しかし、霊的な真相は違うのです。
人の心は、生まれた時から最終の10段目に既に在るのです。

つまり、誰の心にも、成長仕切った完璧な真我(しんが・内在神)が生まれた瞬間から達成されているのです。
心は肉体が「成長する観念」とは反対に、

* 心は最初から完璧一定であり、悟っている存在。
* 自分の心が完璧であることを、「思い出す過程」が悟りへの道。
* 心とは、成長するものではありません。人は、自分が「完全であることを思い出す」過程を心の成長と錯覚しているのです。


だから心に付きましては、成長では無くて、
* 自分はダメだという幻想から「目覚める」こと。
* 崇高な自分の心を「思い出す」こと。


つまり「心」については「成長」では無く、気付き、目覚める、が正しい表現です。
自分の心は、完全にすべてを知っています。
本当は何が正しいかも、誰もが知っています。人の良心でもあります。


でも、コノ世で身に憑けた、自分の先入観、貧困、不満、ストレス、執着、・・・・つまり後から心に憑けた自分の自我が、本当の自分を覆い隠しています。
政治にしましても、そのすべてが人の自我の主張で分かれているだけです。コノ世での後天的な要素で、闘争しています。
それらは、死後には霧散する「自我の主張」に過ぎません。
兵(つわもの)どもが夢の跡、です。

とにかく、
* コノ世で他人を助けるのは、自分自身を助けていた。
ということが、自分の死後に完璧に起こります。
今は理解が出来なくて信じられなくても良いですから、覚えて置いてください。

これが死後も、来生の自分も、決めて行くことに成ります。

(伊勢白山道)
  1. 2016/11/06(日) 13:14:00|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

昨日の自分は、「思い」と「行動」の2点で、何を出していたか? ある人は・・・怒り1割:心配3割:悲しみ0:笑い2割:仕事早く終われ感4割。 別の人は・・・他人への妬み2割:不満2割:あきらめ3割:色情3割:感謝の心0。 人それぞれに様々な心の配分比率が生じています。 このように静観しますと、今のままの自分では現状が変わらない、希望が叶わない、ことも冷静に自分で振り返ることが可能になるかも知れません。 すると、人は自分で反省が出来れば、改善も起こります。 しかし、すべての感情において、感謝の気持ちを3割以上は欲しいものです。 これが他の7割の感情を調整し、全体を良い方向に導いて行きます。

自分の心の配分比率
2016-11-05 11:06:08 | Weblog
今朝に思いましたことは、
* 人は、自分の心から「出す」ものに成る。
ということでした。

怒りをよく出す人は、更に怒りたく成る状況に成って行く。
悲しみをよく出す人は、すべてが悲しくなって行く。
感謝の気持ちをよく出す人は、感謝をしたくなることが増えて行く。


昨日の自分は、「思い」と「行動」の2点で、何を出していたか?
ある人は・・・怒り1割:心配3割:悲しみ0:笑い2割:仕事早く終われ感4割。
別の人は・・・他人への妬み2割:不満2割:あきらめ3割:色情3割:感謝の心0。

人それぞれに様々な心の配分比率が生じています。
このように静観しますと、今のままの自分では現状が変わらない、希望が叶わない、ことも冷静に自分で振り返ることが可能になるかも知れません。
すると、人は自分で反省が出来れば、改善も起こります。


やはり理想は、・・・・感謝の気持ちが10割。
でも、この人はアホに見えるかも知れません。
でも、幼児のように嬉々と輝いていることでしょう。

釈尊は、・・・慈悲(愛情)3割:透明な知性3割:無の境地4割。
でもこの静止した状態では、現実の社会生活は難しいものです。

そこで釈尊は、中道(ちゅうどう)が最善と言い残しています。
すべての感情の「中間」「ほどほどに」を意識して、喜怒哀楽を持てば良いとします。
社会の中では、悪も有るから怒り1割も必要かも知れません。


しかし、すべての感情において、感謝の気持ちを3割以上は欲しいものです。
これが他の7割の感情を調整し、全体を良い方向に導いて行きます。

(ちなみに、地球は地表が3割。海が7割。人間の体も細胞が3割。水分が7割。)

誰もが、「自分の心の配分比率」というものを考えることにより、
* 今の現状を冷静に見ることが出来る。
* このままでの先行きが何となく分かる。
* 自分の軌道修正が出来る。
* 運命が変わる。

このようなことが可能になると感じます。
皆さんの生活の参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2016/11/05(土) 12:37:52|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

変な人間に出会ってしまうのは自分の責任/* 私はどうして、この人と会う縁があったのだろうか?* 私はどうして、この人と会う縁があったのだろうか?* その相手が変であるほどに、深く深く自分自身を責める。 なんと変な他人を嫌がるのでは無くて、その人に会った自分を責めるというのです。 * 嫌な他人には何を言っても、その人自身は何も変わらない。 * だから、これを切っ掛けに自分自身が反省して変わるしかない。 つまり、嫌な相手に怒って注意して変えようとするのでは無くて、「自分自身が変わる」という発想でした。今の自分は、どんな他人と、どんな物事に縁を持っているのか? これを静観するだけでも、自分の運命を改善することが可能です。 むしろ、これが運命を変える大きな実践力でもあるのです。

自分が何に縁を持つのかが、最重要。
2016-11-04 11:34:35 | Weblog
私がよく面会する、ある裕福な経営者と食事をした時に出た話です。
色んな知らない人がアポイント(面会のお願い)の申請をしてくれるが、秘書がその人物と用件を調べて、その大半は丁重にお断りをしているそうです。
知人の紹介であっても、会わないことが多いとのことです。

その上で知らない人と初めて面会した場合、やはり中には自分の気に入らない変な人物もいます。
そういう時は、相手の話を聞く振りをしながら腕を組んで沈思黙考(ちんしもっこう:黙ってじっくりと深く物事を考え込むこと)して、

* 私はどうして、この人と会う縁があったのだろうか?
* この人はナゼ、私の目の前に座っているのだろうか?
* こういう人と自分が会うのは、自分自身がまだまだ至らないダメな人間だからだ。
* 自分のことを深く反省しながら、相手の話を聞いている。
* その相手が変であるほどに、深く深く自分自身を責める。

なんと変な他人を嫌がるのでは無くて、その人に会った自分を責めるというのです。
* 嫌な他人には何を言っても、その人自身は何も変わらない。
* だから、これを切っ掛けに自分自身が反省して変わるしかない。


つまり、嫌な相手に怒って注意して変えようとするのでは無くて、「自分自身が変わる」という発想でした。
でも、これでは他人に冷たいのではないか?
という視点もあります。

しかし、相手に注意した流れとその結果と、時間のロスを想像しますと、ムダを嫌う「経営者としての視点」では、やはり言える視点だと感じました。
その人は、1度信用した相手には、まるで家族のような愛情も金も注ぐ人です。

この話を聞いた時に思い出したことは、1970年代の核の脅威の冷戦時代に、ヒマラヤ山脈に無名の聖者がごろごろ居た頃の話です。
ある人がその中の一人の聖者に
「世界は核戦争で滅びますか?」
と質問しますと、

「いいえ。私達が存在するから平和が継続する。核戦争は起こりません」

と言い切ったそうです。
自分たちが存在していることが答えであり、理屈では無いのです。
でも、何の根拠で滅ばないと言い切れるのか?

これの答えが、「縁」(えん)なのです。
聖者が存在する地球、子供たちが産まれている地球は、そうはならない未来が実在しているからだとも言えます。
縁で、必ずそうなるのです。

すると、人徳の有る人物が少ない国、少子化が進む国、恨みのカタマリの国、は危険かも知れません。
日本は、少子化以外はまだまだ大丈夫です。残って行きます。

最初の経営者の話も、要は「縁」を重視するという意味です。
まさに「一期一会」(いちごいちえ)。
今の自分は、どんな他人と、どんな物事に縁を持っているのか?

これを静観するだけでも、自分の運命を改善することが可能です。
むしろ、これが運命を変える大きな実践力でもあるのです。


(伊勢白山道)
  1. 2016/11/04(金) 13:24:58|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ