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集団ストーカーと電磁波攻撃Ⅱ【自分用のデータ保存】

こちらのサイトはあくまで私的なものです。 自分用のデータ保存のためのブログです。

愛情を持った無思考に戻ること
2020-08-07 12:05:02 | Weblog
多くの人々を観ていて、無思考の大切さ、を感じる今日このごろです。
たまには、自分自身に対して、
「考えすぎなんだよ」
と言ってみることは、いかがでしょうか?

他人から言われた一言を、ずっと考えている人が増えています。
・ どうして、あのタイミングで言われたのか?
・ なぜ、私だけに言うのか?
・ 相手の本心は、何なのか?

でも、その言ったとされる相手は、もう忘れているのです。 ココナンデスヨ
でも、自分に言われたと思う人は、いつまでも忘れません。 オモイアタル?

社会における言葉のやり取りなどは、
・ 言った本人は、直ぐに忘れているものだ。
・ その言葉に、深い意味など無い。
・ 誰もが、自分だけのことで精一杯であり、無責任なものだ。
なのに、言われたと思う人は、いつまでも律儀に思い続けるものです。

このような言葉の関係は、家族間でも、「ああ言った」「こう言われた」と、特に義理親や義兄弟の間でもあるものです。
でも、相手は忘れているのです。
忘れるほど、深意は無いことなのです。
相手は、一瞬だけ、スッキリしただけなのです。 スッキリ シタンカイッ!

え? 自分がスッキリするために、私にあんなことを言うわけ?
まさに、そうです。
だから、その相手は、直ぐに忘れているものです。 スッキリ サセテアゲマショウ~
だから自分も、「アハハ〜」と流して行きましょう。

誰もが最初は、無思考の魂として、コノ世に生まれています。
でも、無思考から始まったのに、想念が育って行くのです。
自分が産み出す想念に沿って、その人は人生を歩いて行きます。

大事なことは、誰もが、
・ 愛情を持った無思考の魂が始まりだった。

でも、成長するにつれて、
・ 自分の想念 > 愛情の無思考
と成って行きます。
想念=自我(自分が中心の思考)
でもあります。

家系の霊線も、先祖たちが出した喜怒哀楽の「想念の流れ」「想念の川」のことだった。
コノ世で出した想念は、肉体が消えても、残っているものなのです。 コレガバカニ デキナインダヨ!
(幽霊=想念のカタマリ)

だから、成仏するには、誰もが無思考に戻って行く必要が有ります。
しかも、愛情を持った無思考にです。

生きている間に、愛情の視線から、他人も、悪口も、見て行く練習が大切です。
「あら、あら」「まあ、まあ」
と他人からの刺激を流して行きましょう。

愛情からの無思考を、人が取り戻した時、その人生は変わって行きます。

(伊勢白山道)
  1. 2020/08/07(金) 13:35:39|
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自分の心に「悪い思い込み」をさせないことが大切
2020-06-11 12:11:01 | Weblog
会社でも、学校でも、家庭でも、どこでも、
「私は嫌われている」「私は首にされる」「私はダメな奴なんだ」
と、かってに思い込んで悩む人を見掛けます。

「きっと、そうに違いない」と何度も思い込む内に、次は、
「私は、悪口を言われている」
に変わります。
更にこれが進みますと、「監視されている」「音で攻撃されている」に変わり、

その先には、「窮鼠猫を噛む」(きゅうそねこをかむ:追い詰められれば、弱い者でも強い者に反撃すること)
のごとく、「自分がヤラれる前に、やってしまえ」と、事件を起こす人の事例も見られます。
被害者は、唖然(あぜん)とするばかりです。

このすべての流れは、初めに「私は嫌われている」が有っただけなのです。
ここで気付いて欲しいことは、
・ 人間は、自分のかってな「思い込み」だけで、人生が変わること。
・ 自分が思い込めば、人生を変える力が在ること。

だから、これを利用して、良い方向に「思い込んで見る」ことも参考にして欲しいのです。
人間は、自分で思い込めば、善にも悪にも行く可能性があるわけです。
芸能人に成った人や、経営者にも、その始まりには「自分のかってな思い込み」が有ったことを聞きます。

自分を守る意味では、防災や防犯、詐欺に遭わないためには、
・ 注意するための、被害を想定して置く意味での、悪い思い込みはしても良い。
・ でも悪いパターンの可能性を認識すれば、それでもう十分。
・ それ以上は、思い込まないことが大事。

この一方で、
・ 良い思い込みは、拡大しても良い。
・ 他人のことも、良いふうに解釈するほど、自分が楽に成れます。
・ 悪い事も、良いふうに解釈して包み込んで行くこと。

人間の思い込みの力で、このようなコントロールが可能だと感じます。
ここで「思い込みの力」が、いかに巨大かの事例が有ります。
時間の存在です。

過去の聖者たちが共通して言う認識に、
・ 時間は無い。
・ 人類の思い込みで、時間という概念が存在している。
・ 自我には時間が大きく存在して、それに縛られている。
・ 奥に在る真我(しんが:本当の自分・内在神)には、時間が無い。

すると、物理学者であるアインシュタインも、あらゆる考察をした上で、
・ 時間は、本当は存在しない。
・ 時間は、流れていない。

このようなことを、アインシュタインが友人に送った手紙の中で、
「過去・現在・未来という考え方は幻想にすぎない」
「これは信じ難い考え方であるのだが事実だ」
と書いています。

これはアインシュタインの特殊相対性理論から証明されるそうです。
この理論によれば、
・ 現在という瞬間に、絶対かつ普遍的な不動の事実は何もない。
・ ある座標系からの観測では、同時に発生した2つの現象は、
・ 他の座標系から観測すると、「あい前後して生じたように」見えるだけのことだった。
・ 時間というものは錯覚であり、本当は存在していない。
・ 時間は動いていない。
・ 他と比較することで、時間が在るという錯覚を起こすのが真実。

私達は、老化するから、という見掛けだけで時間の存在と、時間の流れを信じ込んでいます。
でも、心は、老化しないのです。

また、私達の幸福・不幸という概念も、
・ 他人と比較することで、生じています。
・ 他人と比較せずに、自分だけを見ていれば、誰もが真実はハッピーなのです。

生まれた時から、誰もの心は、一定に存在しています。不変なのです。
肉体の死後も、心は継続して生き続けます。
楽しみにしていてください。

だから、自分の心に、「悪い思い込み」をさせないように、して欲しいのです。
これだけで、十分なのです。
これに注意するだけで、変わり始めることでしょう。

(伊勢白山道)
  1. 2020/06/12(金) 13:43:29|
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今を集中して見て生きればOK
2020-06-09 12:07:07 | 禅・ZENの言葉
今朝に浮かんで居た内容は、
・ 済んでしまった過去に生きていても、生けない。今の生活は何も変わらない。
・ まだ来ない未来のことを考えていても、今するべきことをしないままである。
そのために、今考えている未来のことも、状況が変わりムダに成るだろう。

だから、
・ 今するべきことを、することが、最善だ。そして未来も変わる。
というものでした。

ここで思い出す言葉は、禅語の『而今』(にこん)です。
今を大切にすること。
過去も未来も見ずに、今を真剣に「見て」生きること。
「今」この瞬間・瞬間を大切に生きること。
という教えが一般的です。

漢字的には、「而」を調べますと、「すなわち」「しかるに」という意味がありました。
・ 而今=すなわち今。

「すなわち今」、つまり、「全ての答えは、今に凝縮されている」。
というのが、而今の正体だと感じます。

これは因果論から見ても、「全ての答えは、今に凝縮されている」は正しいです。
すべての過去生も、霊的な問題も、「今に凝縮されている」のです。
だから、過去を知る必要も、過去生を心配する必要も無いのです。
常に今に現れています。

今が安心出来る自分ならば、最高です。

では、今が苦しい自分はダメなのか? 
いいえ、そうではありません。

返すべき何かの昇華が起こっているだけのことなのです。
それは、決してムダで、意味の無い苦痛では無いのです。
だから逆から見れば、
・ これぐらいで済んで良かった。
・ こんなものでOKなの?
という視点から、今の苦痛や不幸を見ることも参考にしてください。

私達の心の正体は、死後も死ねない存在であることが真実です。
それをコノ世の映像を見ながら、
もうダメと思って見たり、
もう死ぬと思ったり、不幸だと思い込んでいるだけです。

死後に、今生の自分を振り返りますと、誰もが、
・ あの不幸こそは、借金を返す、帳消しにする、最大の幸運だったのか!
・ あの時に苦労して良かった。
・ あ〜、もっと苦労しておいたほうが、死後にお得だったのに。惜しかった。
このように死後に、住む世界の価値観が変わることを想像して置いてください。

生きている時は、あれほどカネが欲しかったのに、
死ねば、カネが無いことも幸いだったことが、因果論のヒモ付を見せられて分かります。
生きている時の不幸や苦痛は、大いなる昇華の機会であり、来生への貯金をする機会だったことを、死後に知ります。

とにかく最善は、今がどんな状況でも、その中を自分の良心に沿って、思いっ切り生きることです。
今日も頑張って生きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2020/06/09(火) 17:08:16|
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これから心に誠(まこと)が在ることが大切
2020-06-08 11:57:12 | 天津日継神示:アマツ・ヒツグ・シンジ
今の人類は、
・ 他人から受けた、イジワルや、被害や、罵倒は、いつまでも良く覚えています。それを忘れることがありません。

でも、
・ 他人から受けた恩恵や、与えられたこと、助けられたことは、じきに忘れて行きます。

これは、なぜでしょうか?
この2つの意味は、注目すべきことに感じます。
受けた嫌なことは、いつまでも覚えている。
与えられた恩恵は、直ぐに忘れて行く。

知人からカネを借りる時は、頼み込んで頼み込んで、非常な感謝を口にします。
でも、期限が来ても返せない時は、
その恩ある知人を、段々と疎(うと)ましく感じ出し、
返金の催促を受けるごとに、聞くたびに、恨みに変わり始め、
恩ある知人を「死ねば良いのに」と思う人もいます。
更には、カネを借りた人が、カネを貸してくれた人を殺す事件も過去の報道に有ります。

人類は、自分が受けた恩恵を忘れるだけでは済まずに、
その恩ある相手を恨むという、まったく不可思議なサガを持つようです。
自分が持てないモノを、相手が持つのは腹が立つ、許せないという自我(ワレよしの思い)です。
これが個人でも、国家同士でも見られます・・・・。

もし、上記の思考回路を、逆に配線すればどうでしょうか?
・ 自分が受けた、イジワルや、被害や、罵倒は、直ぐに忘れてしまうこと。
・ 自分が受けた、恩恵や、与えられたこと、助けられたことは、いつまでも決して忘れ無いこと。

実は、この2つの性質を生存中に獲得した人は、それは天国に行ける人のサインなのです。
昔の人は、このような態度の人を、「誠意」(せいい)の有る人と呼びました。
誠意と言えば、誠(まこと)に関しての神様の説明をします。

日本列島、国土そのものは、龍体(りゅうたい:龍神の肉体)です。
国土そのものの神様を、国常立太神(くにとこたちおおかみ)と呼びます。
この神様は、鬼門の神様であり、鬼門金神(きもんこんじん)とも呼ばれ、閻魔大王とも呼ばれます。
伊勢神宮・外宮にも鎮まって居られます。
すべて同じ神様であり、1つの神様に様々な側面が見られて呼び名が変わります。

国常立太神は、日本の国土に住んだ人間の所業をすべて観ており、人の死後に魂の行き先の采配もします。
冥界(めいかい・アノ世のこと)の主宰神でもあります。
この神様が非常に厳格で、公平で、ウソも誤魔化しも、ワイロ(生け贄信仰)も利かない神様なのです。

この神様の別名を、古神道系では「誠大神」(まこと おおかみ)とも呼びます。
とにかく誠(まこと)が在ることが大好きなのです。

日月神示(ひつきしんじ)を降ろしたのも、その最奥に存在するのは、国常立太神です。
国常立太神には、11段階が在るのですが、その7段目(7次元)の国常立太神とは、荒ぶる神様です。
日月神示がいう、
「旧暦九月八日(2020年10月24日)までに、キレイに成って置きなさいよ」
とは、

・ 誠(まこと)の在る人に成っていなさいよ。

ということに感じます。
人間が、人間であるためには、これから「誠」が非常に大切なのです。
心に誠の在る人は、病人でも、貧乏でも、浮浪者でも大丈夫です。必ず生かされて行きます。
でも、
心に誠が無い人は、政治家でも、権力者でも、国王でも、・・・難しい。
その人の免疫力は、カネを積んでも聞いてくれません。

国常立太神の7次元とは、そういう神様です。
これから誠の在る人には、楽しい世の中に、なぜか笑える、楽しく成って行きます。
心に誠が在る人は、身1つでもまったく大丈夫であり、なぜか心が嬉しい楽しい生活に成って行きます。

今年のクリスマス以降は、
超免疫を持ち始める、嬉々とした子供のような大人の人々と。
どんなに恵まれていても、心が暗く成って行く人。
このように2分して行くことでしょう。

もし嬉々とした子供に返り(帰り)たいと思えた人は、今日から、
思考回路を、逆に配線して行きましょう。
・ 自分が受けた、イジワルや、被害や、罵倒は、直ぐに忘れてしまうこと。
・ 自分が受けた、恩恵や、与えられたこと、助けられたことは、いつまでも決して忘れ無いこと。

このように思考を繋ぎ変えて、誠、誠意、を大切にすることを参考にして頂ければ幸いです。
荒ぶる神・国常立太神の7次元は、きっと、やっちゃうな、と思う今日この頃でした。

でも、日本に誠意ある人々が増えれば、日本は大丈夫です。
外国人の方々にも、誠意の在る人々がおられます。
災害には備えて行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2020/06/09(火) 17:07:29|
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MEMOはじめ


いつまでも少年の心を忘れずにいたい

・火事も起こそうと狙ってますね。
・無理な言いがかり・因縁付け(2014/11より虚偽の電話を警察にしている 部屋で暴れていると嘘の電話 毎日警察官が来る 多い日は1日に朝、晩2回 3ケ月続く)⇒被害届⇒逮捕させるという流れ
・瞼の裏に腫瘍を作る電磁波照射
・目への電磁波照射 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
・左の頭への電磁波照射⇒右半身不随 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)

【読了書籍】
森羅万象2
  1. 2020/02/13(木) 22:18:03|
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「愛情の眼差し(まなざし)」を意識する人は変われます
2020-01-14 09:18:11 | Weblog
量子力学では、人が見ることによって、
・ その対象を構成する粒子の動きが変わり、
・ その対象の中身が変わり、その全体の様相も変わる。
と考えます。

すると、人が持つ「愛情の眼差し(まなざし)」というものが、いかに重要かということです。

愛情の眼差しで見られながら育った子供と、
怒りの視線の中で育てられた子供。
悲しいことですが、この両者には量子力学的には大きな違いが生じることに成ります。

でも人類には、コノ世に修行目的で生まれる面が、基本的に有ります。
このために、自ら「怒りの視線の中に」、「邪魔者とされる境遇に」、生まれ出ることを選択している魂も多いのです。

そういう条件で生まれましても、悲しい思いをした人自身が、
・ それでも、愛情の視線で他人を見ることが出来た場合、その人の善徳貯金が大きくなる。
・ 自分は怒りの視線の中で育ったが、自分自身は他に愛情の視線を向けて行くこと。
これらを成した人は、魂の振動数が上昇します。

会社でも、上司や同僚からの怒りの視線の中で働く人が居ます。
怒りの視線を受けるのは、その人の仕事に関して、それなりの理由は有ることでしょう。
でも、仕事面もクリアして成長し、自分自身は他に愛情を持って接して行った場合、その人の魂の振動数は上昇します。

人の魂の振動数とは、落ちることは簡単ですが、上昇することは難しいのです。
魂の振動数が上昇しますと、今生の運命が変わり、死後の行き先も変わり自由度が増します。

魂の自由度が上がることを、死後の誰もが望みます。
そのために、修行目的で魂はコノ世に生まれます。
今からでも遅くありません。
自分が生きている間は、自分がどんな境遇であろうと、惨めであろうと、
愛情の眼差しを他に向けて行くことが、量子力学的に自他を助けることに成ります。

愛情の光線を目から出すこと。
これは他人をより良く育てると同時に、自分自身をも育てて助けることに成ります。

自分が愛情の眼差しで他(人・動物たち・生き物)を見続けて行きますと、その視線は観音様の眼差しに成って行くものです。
観音様の視線を持てた人は、観音力を持ち始めます。
自分も他人も、様々な意味で助けて行くことが可能に成ります。

自分がどんな状態でも、愛情の視線を出して行くことが参考になれば幸いです。
その人は、愛情深い顔にも成って行くものです。
整形では決して得られない、ステキな輝く御顔に成って行きます。

(伊勢白山道)
  1. 2020/01/14(火) 15:37:09|
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どんな場所でも、自分のための道場にすること
2019-12-25 11:23:25 | 禅・ZENの言葉
禅語に、「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」というものが有ります。

・ どんな場所も、自分のために成る修行の場所に「する」ことが出来るという意味です。

自分は、こんな仕事をしているからダメだ。
自分は、このような家庭に生まれたから、ダメだ。
自分は、こんな所に住んでいるから、ダメなんだ。

そして、
・ その環境を変えれば、自分はマシに成れる、幸福に成れると思い込んで、もがき苦しむ人がいます。
・ そこから、逃げることばかり考えて悩みます。

でも、現実は、そうでは無いのです。
環境を変えても、仕事を変えても、住まいを変わっても、また別の悩みに苦しむのが人間なのです。
また、人間は右往左往するほどに、更に借金も、困難も増えるものです。

では、どうすれば良いのでしょうか。
そこで、「歩歩是道場」なのです。

どんな嫌な環境でも、仕事でも、嫌な他人の中でも、
・ これを自分を成長させるための道場にしてしまうこと。
・ そんな中でも、自分の心の安心、安定を目指すこと。

そんな現状でも段々と平気に成って行くことで、自分の心の成長が分かります。
現状でも平気に成れた時に、次の場所への誘導が天から来ます。
自然と、環境が変わって行きます。
このようなことが、仕事でも、家庭生活でも、交友関係でも、起こることなのです。

よ〜〜し地獄ならば、地獄の中でも楽しく住んでみせようぞ。
厳しい環境ならば、それを自分が目覚めるための修行場に逆に利用してやろう。
これぐらいの逞(たくま)しさも、時には必要なのです。
転んでもタダでは起きないこと。
こういう気持ちに成れれば幸いです。

アノ世から見ますと、苦しい環境や条件の時ほど、それでも、もし明るく健気に暮らす人には、天国が近い、と言えます。
順調で、謙虚さを忘れた有頂天の人ほど、地獄界が近付いています。
人間は、変わる時は、昇ることも、落ちることも、早いものです。

苦しい時ほどチャンスです。
すべてを改善させる機会とも言えます。
慌てずに、この年末を過ごしましょう。
生きていれば、とにかく大丈夫です。

(伊勢白山道)
  1. 2019/12/25(水) 19:16:21|
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不安感との付き合い方
2019-12-14 11:48:56 | Weblog
多くの人々を視ていまして、浮かんで来るその心の会話は、

「ねえ、不安さんは、どうして私に付いて来るの?
そんなに、私を虐めて嬉しい?
私だけが、不安なのかな?」

不安さん:「いいえ、誰でも」

「不安さん、私から離れてくれない?」

不安さん:「いいえ、私はあなたのファン 。あなたのことを心配してるの」

「え? フアンさんは、私のファン ?  心配してくれてるの?  ありがとー」
 (終わり)

苦しいオヤジギャグで申し訳ないです。
でも、誰もが、理由の無い不安感に憑(つ)かれている・疲れていることを感じます。
何をしても離れないのが、不安感だと思います。

心理学者ユングは、不安感に付いて、このような示唆を残しています。

「(心に)影を落とさなかったら、それは存在していると言えるのだろうか?
もし完璧でいたいならば、暗い側面も持っているべきだ」

つまり、
「人は不安感を持って当たり前、正常なことなんだよ」
とユングは肯定しています。
「私だけがオカシイ」「私は変だ、情けない」などと、思うことは不要なのです。

更にユングは、消えない不安感に対して、このような提示を残しています。
・ 不安感には抵抗しないこと。
・ 自分が自由になるために、不安感も仕方がないと、受け入れること。

更には、
・ 不安感に反抗して無くそうとはせずに、
・ 不安感から逃げたいという欲望を、
・ あきらめて見ましょう。

つまり、不安感を止めよう、切り替えようと抵抗するほど、
大きくなる性質を持つのが不安感である。

・ だから、自分の心に来てくれた不安さんに対しては、
「よく来たねー」と受け入れて見ましょう。

でも、これだけでは、まだ不安さんは消えてくれません。
では、どうすれば良いのでしょうか?
ユングが提唱するのは、

・ 自分の不安感を受け入れた次は、
・ 何か、自分なりの目標・目的を持つことが、最終的に不安感を消す。
以上のような示唆を残しています。

「自分の好きな目的を持つことが、不安感を消す」
これは例えば、好きな歌手グループの追っかけをしている女性のパワーとは凄いものです。
「不安感なんてどうでもいい!」「キャー!」「次のチケット〜〜〜!」

子供を産んだばかりの女性ならば、
「この子のためなら、まだまだ死ねない。 メラメラ〜〜」

もう、そのパワーは、不安感などは消えています。プンプンだ〜〜。
しかし、今の自分は、目的が持てない、目標も無い、暗い暗い、シュンシュン・・・。

そこで!、筋トレですよ。
不安感が消えない人は、まずは懸垂1回という目標を持つことも参考にしてください。
また、自分が無理なく出来る回数のスクワットを日課として「 続ける」という目標も良いでしょう。
とかなんとか。

様々な健康状態の御方がおられますから、体調に合わせて自分なりに好きな、「何かの目標」を持てれば幸いです。
とにかく、
・ 嬉々とした「生きがい」や目標を持つ人は、意味不明な不安は遠のく。
これが言えそうです。
  1. 2019/12/19(木) 19:03:30|
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他人が気になる間は、変われない
2019-12-04 11:34:31 | Weblog
どうして、自分は他人が気になるのだろうか?
このように、たまに注意することも良いです。

充実している時の自分、
忙しい時の自分は、
もし嫌な他人が居ましても、気になりません。
「あっ、そう」で終わりです。
「次に行ってみよう〜!」とスルーが出来ます。

自分は、他人が気になる。
どうしても、腹が立つ奴が居る。
そういう時の自分とは、
・ 自分が、充実した生活をしていない。
・ 自分は、何か満たされていない。

確かに、嫌な他人は居る。
でも、それが気になる自分も、弱っている。
このように考えて見ましょう。

他人が問題であることよりも、
それを気にする自分自身の問題だった可能性。
これを注意することを参考にしてください。

だから、他人のことが気になる時ほど、
・ 自分の生活を正して見ること。
・ 自分のするべき仕事を頑張って見ること。
こういう態度で居ることが霊的に大切なのです。

この時は、嫌な相手のことを忘れています。
・ 相手のことを忘れている時のほうが、自分の思いの生霊は動ける。
・ 相手に、自業自得の天の采配が降りやすく成る。
こういう現象が起こりやすいのです。

・ 他人を気にする間は、何も変わらない。現状が継続する。
・ 嫌な他人も忘れた頃に、自業自得の采配が降りるものです。

だから、もし嫌な他人が居れば、あえて、
・ 気にしないようにすること。
・ 忘れること。
・ 笑っていること。

このほうが、もし相手に間違いが有れば、天の裁きが降りやすいです。
相手を忘れた頃に、天の采配は降りやすい。
相手を呪っている間は、相手は元気なままなのが霊的な法則です。

「天災は忘れた頃にやって来る」
とも言いますが、これとも共通点が有るとも言えます。

嫌いな他人や、腹が立つ他人が居るようでは、その自分もまだまだです。
自分も天の裁きを受ける対象になってしまいます。
赤子のように、「アハハ」「うふふ」と居ることが最善です。
そうなれれば、他人の嫌な思いも受信出来ずに、跳ね返します。

他人からの嫌な電波を受信しているようでは、ダメです。
1つ受信すれば、似たような周波数を集めてしまいます。切りが無いです。

今日から、自分の受信チャンネルを変えましょう。
気になる嫌な他人にチャンネルを合わせていてはダメです。
合わせるべきチャンネルは、
・ 自分が生かされていることに感謝すること。
・ 天に向かって、自分は良いことをしたいと、思って見ること。

この思いが本当に天のチャンネルに通じれば、必要なモノはすべて与えられて行きます。
何でもです。命でも、不可能では無いのです。
天のチャンネルは、誰にも平等に、いつでも開いています。
ただ、自分には開いて無いと、思い込んで諦めているだけです。

愛情深く生きる人は、これから輝く時節に来ています。

(伊勢白山道)
  1. 2019/12/04(水) 12:38:55|
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自分の心の拠り所の有無が、人生を分けます
2019-09-18 11:53:52 | 禅・ZENの言葉
禅の言葉に、
・ 帰家穏坐(きか おんざ)
というものが有ります。

自分の心の拠り所に帰ってホッとすること。
旅に出ていた人が、自宅に帰って落ち着くこと。
仏教的には、人が本来持っている心の仏性に気付き、そこに立ち返って安らかに暮らす悟りの境地を意味します。

多くの子供たちを観て来ましたが、
・ 家がどんなに貧乏でも、片親でも。
・ 自宅が、帰家穏坐に成っていれば、強く正しく子供は立派に育ちます。

もし家も無くて、親子が別々に暮らしていても、
・ たまに親に会えるだけでも、子供は帰家穏坐に帰ることが出来ます。
・ 片親だけでも、子供の心の帰家穏坐に成っていれば、子供は大丈夫です。

この逆に、家がどんなに裕福で立派でも、
・ 子供の心の帰家穏坐と成る大人や、場所が無ければ、子供はグレます。心が病みます。

小さな子供には、金銭よりも、心の帰家穏坐と成る大人や、家が大切なのです。
問題は、大人です。
結婚すれば、伴侶や家庭が帰家穏坐の場所となるのが一般的であり理想です。
そうなれば、傍(はた)から見ても幸福そうに見えます。
でも、これは永遠には続かないものです。
離婚も有れば、死別も有りえます。

では、どうすれば良いのでしょうか。
やはり最終的には、年齢に関わらず
・ 自分の心を拠り所とするべきである。(自灯明:じとうみょう)
と釈尊は述べています。

自分の心に内在する内在神(良心)を、自分の帰家穏坐と成れることが悟りです。
でも、そうはなかなか成れないのがコノ世です。
そこで、自宅に先祖供養の場や神棚を、自分にとっての帰家穏坐と成れる場所として、設けることは良いことです。

そういう場所が有る人は、強く成れる可能性が有ります。
ただし、神棚や供養場所の周囲は、自分自身に反射・反映する場所として、掃除が大事です。
汚い場所では、自分の心も安定しないことに成る不思議が有ります。

どこにも帰家穏坐となる「拠り所」が無い人は、根無し草のように右往左往すると霊的には言えます。
人によっては、飲み屋が自分にとっての帰家穏坐の場所。
賭け事が、自分の帰家穏坐。
愛車が、帰家穏坐の空間。
異性が帰家穏坐の原動力。
個人で様々でしょう。

でも、どれも永遠には続かないのです。
それを失った時の、喪失感と苦悩が大きいものです。
やはり、最後まで自分と同行する内在神・良心というものを、日頃から静観する人が、永遠の安心というものと出会うことでしょう。

自分の帰家穏坐と成るモノが、場所が見つからない人は、
・ 自分の仕事を通じて、社会に帰家穏坐を提供したい気持ち。
・ 自分自身が、誰か他人や子供たちにとっての、帰家穏坐の人と成る意識。
このような視点を持つことも参考になれば幸いです。

自分と他人の心も豊かに成って行ければ最高です。
帰家穏坐的な人に成ること。
会うだけでホッとする人と、他人から言われる自分。
もし、こういう人に成れれば、自分で自分自身を救って行ける人と成ります。

生かして頂いて 有り難う御座います
  1. 2019/10/08(火) 17:15:36|
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「完敗してみろよ!」
2019-09-22 11:13:47 | Weblog
今朝に感じましたことは、
・ 何かに「完敗」してこそ、真の「乾杯」が出来る。
・ 人生に完敗した時に、救いが起こる。
・ でも、完敗まで出来る人は少ない。
・ 完敗しないから、中途半端に後悔する。

「完敗」と「乾杯」を掛けたダジャレに聞こえるかも知れません。
でも、日本語の不思議な言霊は、このような同じ読みに、真理を指摘することが多々有るのです。

恋愛などは、まさに、
・ 完敗を避ける、自己防衛なプライド。
・ 中途半端な、終わり方。離れ方で終わると、
・ いつまでも過去の恋愛を引きずり、新たな人生を遠ざけます。
恋愛は、成就するか、完敗するか、当たって砕けたほうが良いです。

もし、嫌いな他人が居れば、
・ 何かで勝とうとは、していませんか? 言い負かしたいですか?
・ そんな嫌な相手には、心中で負けて見ること、降参して見ること、完敗して上げること。
・ すると、相手の何もかもが笑えて来て、相手が気にならなく成ります。

更には、病気につきましても、
・ 重い病気に勝つって、それは正しいの? 
・ 「必ず勝つ」「勝たなければ生けない」という思いでは、色々と考えて切羽詰まりませんか?

・ もし病気に罹れば、完全に降参して見て、素直に病気さんに従いますよと思って見る。
・「神の思(おぼ)し召すままに」と言うように、「病気さんの思し召すままに」と思って見る。
・ 明るく、心身脱落して、降参して、私の運命を、病気さんにお任せしますと思う。

・ そして、思いっ切りすべての出来る治療に挑戦して、完敗してやろうではないか。
・ 本当に真に完敗した人には、何かが起こります。

病気とは、ムダな病気などは一切無くて、修復作業なんだよ。
その人を、最悪より「助けるために」、事前に起こっている反応が病気。
このような視点も感じます。

武道の達人に、勝つ秘訣を聞きますと、多い返答が、
・ 脱力して向かうこと。
・ 力(リキ)む人は、既に心が負けている。怖がっている証拠。
これは筋肉の特徴からも、脱力しているほうが筋肉の収縮幅が大きく、瞬間のパワーが出ます。

人間の免疫力も、心は降参、完敗しているほうが、冷静な心境に成れて、逆に細胞の力が増すと感じます。
・ 心と肉体は、反比例な関係。
これを感じます。

気持ちよく完敗が感じられるほどに、頑張って見ること。
当たって砕けて見ろよ。
ダメで元々。

こういう心境で物事に当たる人は、強いです。
その結果は、勝つ人が居ることでしょう。
  1. 2019/09/22(日) 13:36:10|
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心を無にするとは
2019-09-19 12:02:20 | Weblog
「頭を空(から)にしろ」とよく言われますが、これはまだ、頭という容器の硬い外側の枠(わく)が、まだ存在するイメージです。
そして、頭の内側の中身だけを、空にするように、無にしたいと、人は悩みます。

でも、中身だけを、どんなに空にしたいと思っても、無理なのです。
外側の枠が有るために、絶えず何かが溜まることでしょう。

・ 心を包むものが消えて初めて、心が無になることが可能に成ることでしょう。
・ 心の中身を空にしようと思うから、空には成れない。
・ 自分の心を包む枠(わく)に気付き、その枠を無くしてこそ、心が無になることは可能。
このように感じます。

ここで、水の姿が参考に成ります。
「輪郭のない水」「入れる枠が無い水」というものを想像してください。
テーブルの上に水をこぼした姿を想像してね。
水は、平たく、四方に、広がることでしょう。
これが本当に自由な姿なのです。

私達が、自由だと思っている姿は、自由に成りたいと思っているのは、
・ あくまでも、ある枠の中での自由を求めていただけだった。
・ 水で言えば、入れる容器の枠が有り、その中身を無くせるかと、悩んでいるだけだった。
でも、これでは本当の自由では無いですし、
心が無に成れることも起こりません。

人が持つ自由に成りたいは、結局は、家庭内での自由、仕事での自由、金銭の自由、などなどであり、ある枠の中での自由を求めています。
枠の中での自由ならば、いつまでたっても心の自由は来ません。
また違う枠が、次々と現れるからです。

人間関係や、家庭の問題、仕事で悩んだ時は、
・ 自分は、その枠(わく)で悩んでいるだけだ。
・ 自分の心だけは、枠に入れないでおこう。
と思うことを参考にしてください。

こぼした水の先端は、形を気にせずに、「丸み」を持って広がって行きます。
宇宙の膨張も、水をこぼした姿のように広がって行くのでしょう。
他人から見られる形を気にせずに、
心に枠を作らずに、
柔らかい心で、物事に向き合って行ければ幸いです。
  1. 2019/09/19(木) 13:29:05|
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コノ世で貧乏でも、愛情通貨が莫大な人は居るものです
2019-08-13 11:51:17 | Weblog
「お盆だなあ」、と感じていますと、仏典からの創作物語である「賽の河原」【さいのかわら】の話を思い出しました。

人(仏典では亡くなった子供)が、死んでから最初に行く場所といわれるのが、「冥途(めいど)の三途(さんず)の川の河原」です。
そこで人は、先祖の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとしますが、何度も石を積み上げても絶えず鬼が来て崩されます。
そこへ菩薩が現れて、その故人を救うという民話です。

この話と、実際の霊界の姿から感じますことは、
・ 亡くなった故人が、三途の川(アノ世)を渡るためには、コノ世での善徳貯金の有無が大切だということ。

・ コノ世で悪徳が多くて、善徳貯金が無い故人は、死んでも三途の川を渡る費用も無いということ。
(コノ世での地縛霊、浮遊霊の状態。この間は、死ぬ時の苦痛が継続する)

・ この苦痛を抜けるためには、三途の川を渡って、向こう岸(アノ世)に行かなければ成らない。
(三途の川を渡り切れば、コノ世での苦痛は消え去ります)

・ そのために、三途の川の川岸において、先祖を供養するという善行を行うことで、川を渡るための費用を稼がねば成らない仕組み。

・ 先祖のための石塔を積み上げるごとに、善徳貯金に「チャリン」と入ります。
でも、1回では、まだまだダメ。

・ 善徳貯金が足りない間は、鬼が来て、何度でも石塔を倒します。

・ 三途の川を渡れるほどの善徳貯金が貯まりますと、菩薩が来て「よく出来ました」と言って、三途の川を渡らせてくれる仕組みです。
以上のような夢想を思います。

自分が、せっかく努力した石塔を崩す鬼とは、
・ コノ世での、嫌いな他人かも知れません。
何度でもイジワルをされるわけです。

でも、これもムダでは無いのです。
その苦痛を立派に耐えた人には、善徳貯金が増していることでしょう。

これは逆に言えば、自分の善徳貯金を増やすために、
・ 嫌いな他人が必要だった。
・ 自分に負担を掛ける家族も、実は自分の善徳貯金を増やすために存在してくれていた。
こういう見方も言えるわけです。

あれ?
まだ、死んでもいないのに。
アノ世が有るのか、どうかも分からないのに。
効果が有るのか、無いのか見えないのに。
お盆の期間に墓参する日本人が多いです。
何という善徳でしょうか!

霊など見えない状態でも、確証の無いことなのに、
・ それでも先祖に感謝する供養心には、莫大な善徳貯金が「ドサッ!」と入っているのが、ホントダモン。

そういう気持ちに、心に、菩薩は動きます。
お得かどうかが、ハッキリしない状態にこそ、その人の本心の行動が出ます、試されています。

更には、お盆で無くても、先祖に見返りを期待しない愛情の一方通行からの供養が普段から継続する人は、
・ 実は、その人が菩薩だった。
これを、死後に自分の真の姿に気付かれることでしょう。

コノ世では貧乏であっても、善徳貯金が莫大な愛情の深き人を、たまに見掛けます。
そういう人は、思わず拝みたくなるものです。
善徳貯金は、三途の川で使えるだけでなく、アノ世にも持って行ける通貨です。
来生にも使えます。

他人を見る時は、銀行の預金量の有無で判断をせずに、その人の善徳貯金を見るつもりでいることで、その相手の真の姿が見えて来ることでしょう。
それは、その相手が普段にどんな行動をしている人なのか? にも表れているものなのです。
皆さんの参考の「視点」に成れば幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2019/08/13(火) 18:38:12|
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何事もバランス(中道)が大切
2019-08-10 11:47:21 | Weblog
何か心配事が有れば、・・・・仕方がない、と思うこと。
努力してもダメだったことが有れば・・・・仕方がないよ、と自分に言い聞かせる。
欲しいものが手に入らない時は、・・・・それも、仕方がないさ。

このように、自分自身に言って見ることも参考にしてください。
「それでも何とか」「何が何でも」と思う内は、疲れるだけです。
余計な力みは、更に他の問題も呼ぶことがあります。

外での問題に気を取られていれば、家庭のことが疎かになり問題が起こる。
何が何でもと執着して、心が漏電していれば、事故に遭ったり、病気に成ったりと。
それならば、「それも仕方がない」と脱力しているほうが、
・ 災難を避けることになる。
・ 良いアイデアが浮かびやすい。

だから苦しい時は、「これも仕方がない」と静観することを参考にしてください。
この状態のほうが、守護霊の干渉は作用しやすいのです。
「何が何でも」の心の状態の時は、自我のオーラが心身を覆っているために、先祖の干渉も出来難いです。

以前に、遺伝子の研究で博士号を取った医師と食事をした時に、
・ 遺伝子を研究すればするほど、無神論者でも先祖供養だけは大事だと分かる。
・ 自分の肉体が、無数の先祖たちのカタマリであることが分かる。
・ だから今の自分も、本当の自分が生きているのか? 
・ 先祖たちが生きていると言ったほうが良いのか?
と笑って言っていたことを思い出します。

この会話には、大いなるヒントを感じました。
今の自分は、
・ 本当の自分を生きているのか?
・ 先祖たちが生きているのか?
一人の人間は、この両方のバランスの中で生きていると、私は感じます。

そうすると、この2つのバランスが崩れた時に、偏った時に、
・ 心の病に成りやすい。
・ 肉体も病気に成りやすい。
これを感じます。

先祖からの遺伝子の思いが過剰でも、
・ 自分と言うものが無い、不安感が消えない。何か満たされない思いが強い。

自分が、という自我の思いが強すぎても、
・ 先祖の遺伝子からの思い・干渉を受け取れずに、謙虚になれない。
・ 事故や、病気に遭いやすい。

この2つのバランスを取る方法が、
・ 自分なりで良いから、先祖(遺伝子の集合体)に感謝をして見ること。
(宗教宗派は関係なく)
このように感じます。

誰もが様々な「バランス」の中で生きています。
先祖(遺伝子)と自分というバランス。
会社の中で、バランスを見ながら勤務する。
家庭の中で、バランスを取ること。
心と肉体のバランス。

釈尊が最大事と言った「中道」とは、バランスを意識して生活することに通じます。
その時に、思い通りに行かないことがあれば、「仕方がない」と思いながらバランスを図る視点を探して見ることを参考にしてください。
こういう態度のほうが、自分の希望が叶いやすい結果に成ることでしょう。

来週からのお盆休み(普段よりも強く、先祖と自分が一緒に生活する期間)を、楽しみましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2019/08/10(土) 19:30:02|
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セミナーに参加されている方達には、
全員に鼻うがいと水想観を毎日やってもらっているのですが、
皆が口を揃えて、
「悩む事が無くなった」
「落ち込んだり鬱っぽくなる回数が格段に減った」
と言います。
(足湯もやったら更に減ると思います。)


ここで強調したいのは、
決して、彼ら彼女らは、悩んでいた事自体が解決しているわけではありません。

どちらかというと、
「悩みだと思っていた事が、どうでも良くなった」
のです。
(結果的に解決してるんですけど。)


アドラー心理学の話を思い出して欲しいのですが、
結局、原因と思っているものは、実は原因ではなく、手段なのです。

どういう事かと言いますと、
例えば「○○さんに嫌われて落ち込んでいる」という方がいたとします。

その人は、

○○さんに嫌われた(原因)
   ↓
落ち込んだ(結果)

だと考えているのです。


しかし、実際はそうではありません。


実際は、

落ち込みたいと思っている
    ↓(脳が原因を探す)
「○○さんに嫌われた」という原因が見つかる

なのです。


つまり、「○○さんに嫌われた」と思っているのは、
落ち込む為の手段として使っているに過ぎないのです。



以前、宗教がテーマのセミナーだった事があり、
その時、ダンテの「神曲」という作品の解説がありました。

今日は、そのうちの一部を、紹介したいなと思います。


神曲は、キリスト教の世界観を基にしたストーリーで、
死後の世界を描いているものです。


そこでは、

地獄・・・重い罪を犯した人が行くところ

煉獄(れんごく)・・・重い罪を犯したわけじゃないけど、自分勝手に生きた人が行くところ

天国・・・信仰心を持って善い人生を送った人が行くところ

の3層構造になっています(実際はもっとあるのですが、今日は省略します)。

そして、地獄、煉獄も、
灼熱地獄、氷結地獄など、色んな層に分かれています。

ワンピースの「インペルダウン」みたいな感じですね。


地獄は、マーケティングファネルのような感じで、
どんどん下層に行き、下に行くほど重い罰が下ります。

そして、一番下層に行くと煉獄に着くのですが、
この時世界が逆転して、今度は登っていく事になります。


どんどん登っていくと、最後に燃えさかる炎の中に飛び込まなくてはいけず、
そこに勇気を出して飛び込むと、肉体が燃え、魂だけが天国に行けるのです。
(ワンピースのインペルダウン編は、地獄を降りていき、
最下層に着くと今度は登って行き、
最後は勇気を出して海に飛び込んだらジンベエザメが助けてくれる、という、
神曲と全く同じストーリー構造になっています。)


まとめるとこんな感じです。

地 獄
 ↓ 上から下に降りていく
最下層:世界が逆転
 ↓
煉 獄
 ↓ 下から上に登っていく
 炎(飛び込む)
 ↓
天 国


地獄、煉獄、天国にいる人は、
それぞれ、同じような人がいます。

例えば、地獄にいるのは、
「こんな筈じゃなかったのに・・・」と後悔したり、
「あいつのせいで・・・」と恨んだり、
「苦しい、苦しい」と言い続けている、
重く、暗く、冷たい人達で、天国に行く事はもう諦めています。

一方で、煉獄にいる人は、
燃やされたり等、色んな罰を受けながらも、
生前の自分の行いが間違っていた事を認めて、
天国に行く為に耐えています。

辛い時もあるけど、結構前向きで、楽しそうにしている人も多く、
地獄の人達に比べて「明るく、軽く、温かい」のです。


そして、天国にいる人は、
一切悩みが無く、とても幸せそうにしています。



これら(地獄、煉獄、天国)は、いずれも「死後の世界」として語られていますが、
これは「今の心の状態」と捉える事も出来ます。

例えば、僕らは3次元の空間にいますが、
4次元に「地獄」「煉獄」「天国」のチャンネルがあって、
そのどれかに繋いでいる、とイメージしてみて下さい。
(ラジオで周波数を変えてどこかに繋ぐような感じです。)


地獄チャンネルに繋いでいる人は、
何をやっていても常に「あの時あぁしていれば・・・」と後悔して、
「あいつのせいで・・・」と他人のせいにして、
「苦しい」「こんな筈じゃなかったのに」
と思い続けています。


煉獄チャンネルに繋いでいる人は、自意識が強く、
「誰かに認められたい」
「自分さえ良ければそれでいい」
と思っている人が多いです。

しかし、未来に希望も持っていて、
「(今は幸せじゃないかもしれないけど)いつか幸せになれる」
と思っています。


天国チャンネルに繋いでいる人は、
「何が起こっても幸せ」
と思っています。


さて、最初の話に戻りますが、
「○○さんに嫌われた」
という”事象"があったとします。

これは1つの事象であって、
これにどう意味付けするかは自分次第なのです。


地獄チャンネルに繋いでいる人は、
「何でオレの事嫌うんだよ」
「自分の事分かってくれないなんて酷いやつだ」
「あんな事しなけりゃ良かった」
「こんな筈じゃなかったのに」
と思い、どんどん重く、冷たく、暗くなっていきます。


しかし、天国チャンネルに繋いでいる人は、同じ事象に対して、
全く違う捉え方をします。

天国チャンネルに繋いでいる人が、もし誰かに嫌われたとしても、

「そうか、こういう事をしたら嫌われるんだ。
神様は○○さんを通してそれを教える事で、自分を成長させてくれたんだ。
本当にありがたいなぁ。」

と思ったりします。


脳科学的にも、
人は感情を内側の脳(システム1)で作って、
それに理論を外側の脳(システム2)で作る、
と言われています。

つまり、地獄チャンネルに繋いでいるというのは、
システム1で暗い感情が常に出力され、
システム2は「暗くなる為の理由」を探し続けるのです。

天国チャンネルに繋いでいる人は、
システム1では常に「幸せ」と出力されるので、
システム2は「幸せである理由」が出力されるのです。


因みに、「煉獄チャンネル」は、浮き沈みが激しく、
普段天国的でも、何かあるとすぐに地獄的になってしまう、
という感じで、安定しない状態です。


更に、このチャンネルはまわりに伝播していきます。

地獄チャンネルに繋いでいる人は、「地獄場」を形成して、
天国チャンネルに繋いでいる人は、「天国場」を形成するのです。


自分が地獄場を形成していると、
まわりの人はそれに感応し、勝手に地獄チャンネルに繋がって、
どんどん暗く、重く、冷たくなっていくのです。
(これがいわゆる「エネルギーヴァンパイア」です。)

一方で、自分が天国場を形成していると、
まわりの人をどんどん天国チャンネルに繋ぎ、
明るく、軽く、楽しい雰囲気ができてきます。


もし今、何か悩んでいる事があるのであれば、
それは単に「身体に邪気がたまっているから」と考えてみて下さい。

邪気を全て浄化したら、悩みなんて無くなるのです。

だから、水想観、鼻うがい、足湯などをやれば、
エネルギー循環&デトックスされ、だんだん悩まなくなります。


そして、神曲で、
天国に行く為には最後に炎の中に飛び込まないといけないように、
ステージを上げる為には、今の自分を壊してでも、次に進む勇気が必要です。

その時に必要なのは「信仰心」です。

信仰心=自信+無力さ

という話を以前しましたが、
今まで自分がやってきた事に自信を持って、
かつ、もっと上のステージがあると分かっているからこそ、
輝く未来を信じて、進む事ができます。


そして、ステージが上がったら、
今悩んでいた事は、そもそも悩みでは無くなるのです。

思い出してみて下さい。

昔、友だちと喧嘩して悩んでいた事や、
先生に怒られて凹んでいた事や、
テストで悪い点を取って悩んでいた事・・・


それらは全て、成長した後から考えたら、
「何であんな事で悩んでたんだろう」
と思う筈です。

もし、今、昔にタイムスリップして、先生に怒られたとしても、
「あぁ、なんか怒ってるなぁ」
って(客観的に)思うだけの筈です。

ようは、子供の頃は、先生は自分よりも圧倒的に上の存在だと思っていたから、
恐かっただけなのです。

大人になった今、恐くないし、
そもそも何であんなに落ち込んだんだろう?って事が
山のようにある筈です。


それと同じで、今悩んでいる事は全て、
ステージを上げたら「そもそも悩みではなくなる」のです。


だから、悩みにフォーカスするのではなく、
「悩みが悩みで無くなるステージに行く為に、
さっさとNEXTDIMENSIONする」
という事を考えたら良いのです。


10年後、20年後の自分は、
今よりももっと高いステージにいて、使命に燃えている筈です。

そんな自分にFake itすれば、
「何でそんな小さな事に悩んで立ち止まっているの?」
と思う筈です。



アイデンティティクライシスブームはもう過ぎ去りましたが、
まだ「何か調子が・・・」ともし思うのであれば、
毎日、鼻うがい、水想観、足湯をやってみて下さい。

「悩み」は「邪気」という4次元的なもの(抽象空間にあるもの)が
写像されただけのものなので、浄化したら、無くなります。


もちろん、汚れが潜在意識にしつこくこびりついてる人も中にはいますが、
毎日続けていく事で、だいぶ改善される筈です。

鼻うがいはなかなか最初は苦戦しますが、
角度がうまくハマれば2リットル3分くらいでできますので、
練習してみて下さい。
(そういえば、Amazonで買う場合にお勧めの水があるか質問がありましたが、
「日田天領水」がお勧めです。Amazonで買って美味しいと思った唯一の水です。
水道水で鼻うがいは絶対にやめましょう。)


新田さんのメルマガより
  1. 2019/08/09(金) 10:15:30|
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ところで、親の言葉でエネルギーが奪われるのは勿体無いので、
では今日は1つ、「耳の秘伝」をお話しましょう。


誰かからの特定の言葉を聞くとエネルギーが下がったり、邪気を受けたりする感じがする時って、
言わば「そこからの攻撃に対して弱いポイントがある」という事になります。

そういう時って、人はどうなるかと言うと、
「耳を塞(ふさ)ぎたくなる」
のです。

僕らは他の動物と違って、耳を動かす事がほとんどできません。

なので、手を使わないと耳を塞ぐ事はできないのですが、
実は人間も、嫌な事や、嫌いな人の言葉を聞くと、
反射的に耳を塞ごうとするようにできているのです。
(もちろん、耳は構造上動かないのですが。)

つまり、脳と耳は連動しているのです。

   脳          耳
「嫌だな」と思う ←→ 塞ごうとする(けど動かない)

逆に言えば、その言葉を聞いた時に耳を塞ごうとしなければ、
「嫌だな」と思わなくなるのです。

どうすれば良いのか?

とてもカンタンです。


嫌な言葉を聞いたり、嫌いな人の言葉を聞いた時に、
手で両耳を開けるようにするのです。

耳たぶ(耳の外周)をぐっと押さえて、内側に丸まった耳を外側に広げていくようなイメージで、
全方向にやっていきます。


するとあら不思議、嫌な言葉を聞いても、
一切気にならなくなるのです(笑)


その言葉を聞いても耳を閉じようとしなくなるので、
脳は「これは嫌な言葉ではない」と判断してくれるのです。


これ、想像以上に絶大な効果があるので、是非やってみて下さい。

特に、人は、
「特定の方向からの、特定の言葉に弱い」
というものがあります。

なので、
「この方向からいつも上司に怒られる」
という時は、
誰かにその方向から上司と同じ事を何度も言ってもらいながら、
耳をぐーっと広げて閉じないようにすると、
その上司から言われても全く気にならなくなります。


そこまで気にならなかったら感情ボックスでOKですが、
感情ボックスを使ってもかなり精神的ダメージが大きい場合は、
この方法を使ってみて下さい。


騒音とかが気になる、とかでも効果あります。

かなり万能な技ですよ。


新田メルマガから引用
  1. 2019/08/04(日) 23:09:21|
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人は、見ている方に行きやすいから注意。8月のお盆も注意
2019-07-27 11:10:01 | 月間の自然観察日
今朝に感じていたことは、
・ 人は、見ている(ing)方向に行く、進む。
ということです。

嫌いな他人が居ますと、実は自分こそは、その他人のことばかり見ています。
そして、ますます腹が立つ、頭から忘れることが出来無い。

恋愛の場合も、これと同じです。
相手を見る間は、気にする間は、頭から離れない。忘れることが出来ない。

そして、高速道路の事故で多いのが、夜間に路肩に駐車してテールランプを点滅させている車に、走行車がなぜか引き寄せられて後方から追突する事故です。
ことわざにも、「飛んで火に入る夏の虫」。
昆虫は光に向かって飛ぶ習性を持つために、外灯などで虫をおびきよせて駆除すること。

だから生物の本能として、
・ 自分が見ている方向に進む。
これが恋愛でも、遺恨問題でも、受験でも、住む家にも、言えることを覚えて置いてください。
善悪につけて両方で、自分が気にして見る方向に進みやすい。

だから嫌いな上司や他人がいれば、出来るだけ見ない、目を合わせない、相手は空気、と思うことは自分が冷静に成れるかも知れません。
だから、「どうして自分は、アレが気になるのだろう?」と悩んだ時は、
「もうソレを見ない」
ということは有効です。

以上は、個人については有効です。
ところが、災害や地震、社会問題などの公共性に関することは逆なのです。
注意をしていないと、最悪を想定していないと、良く成らない、悪事が起こりやすい。
これが言えます。

・ 天災は忘れた頃にやって来る。
・ だから、想定して忘れなければ、天災は来ない。

悪事を事前に想定したことは、無難に変わって行きます。抑止力が働きます。
思考の量子力学(多数が1つの現象を気にすることで、粒子の動きが変わり、検査結果のデータが変わる物理現象)
これが言えます。

以上の理論の上で、来月8月の月齢カレンダー( http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm?cmd=20190809120 月齢カレンダー データ引用 http://koyomi8.com/ より)を観てみました。

・ 8月は、今年の山場が来るかも知れません。




・ 8月のお盆は、多くの霊を供養することに成る。
・ 満月と、お盆のピークの15日が重なることで、特殊な「黄色い世界の次元が開き」、都会の街も覆っていることだろう。

・ 8月4日からの週は、輸出管理の報道で社会が騒がしい。
・ でも、いい気味だ、などと浮かれては決して生けない。

・ 問題は、8月11日から13日の、アジアにおける天体の配置が要注意。
稀に見る特異な状態に、天体が並ぶ。

・ 候補は、2つの国のどちらか。

・ 謙虚な態度の国のほうが、良いだろう。

地震>火山という、大自然の現象を静観します。
大自然の場合は、事前に注意をしているほうが、無難に成りやすいから。

結局、今日の話で言いたかったことは、
・ 個人の問題では、嫌な対象や、避けたほうが良い問題は、見ないほうが無難に成る。
・ 全体の問題では、危険要素は出来るだけ事前に、見ておいたほうが良い。

以上は根拠の無い夢想です。
ただ、こういう視点も、参考になれば幸いです。

・ 今日の暴風、竜巻、洪水に注意しましょう。
  1. 2019/07/27(土) 19:16:21|
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途中・ingの中で去って行くこと
2019-07-24 11:14:43 | Weblog
心配な子供を残したまま、死んで行く親。
苦労して、やっと形に成りかけた仕事の途中で、亡くなる人。
夢と楽しみを持った婚約期間中に、事故死した人。
などなど。

コノ世には、様々な「まだ途中の中での死」というものが有るものです。
私にしても、過去最高の記事を書いている最中に、公表する直前に死んで行くかも知れません、笑。
考えて見ますと、

・ 誰もが途中の中で死んで行くわけです。
・ 中途半端な状態の中で、コノ世を去るのです。

そうしますと私達は、
・ 普段から、[本当に自分なりに一生懸命したならば]、
中途半端でも良し、最高! とする生き方の練習をして置いたほうが良い。
このように思うわけです。

なぜ、こんなことを書いたかと言いますと、
・ 心が病んで行く人は、意外と完璧主義だった。
・ 他人と比較しては、理想論から離れている自分を、許せない人が病んで行きやすい。
・ 中途半端、に対する耐性が無い人が病む。
・ 白黒を付けないと、気が休まらない人が病んで行きやすい。(これも執着)
このように多くの人々を観ていて感じています。

だから、
・ ダメな自分でも、好きだ。
・ しょうがないじゃん。 しゃーないやん。
・ 「アホでもいい たくましく育って欲しい」は関係ないか。

完璧主義では、人生を頑張れるかも知れないが、死ぬ時に迷いやすい。執着を残しやすい。
ダメな状態でも、途中の状態でも、その中でも「思いを残さない練習」が大切だと思います。
そのためには、

・ 途中のままでも、それも神様の愛情の中での出来事であること。
・ 心配な子供を残して、死んで行く状態でも、神様の愛情が実在することを信じること。
・ だから、途中の状態でも、それなりに必ず収まって行くことを信じていれば良い。
・ ただ、自分が出来ることは一生懸命に「した」ことが大事。
このように感じます。

完璧や理想、区切りを想像するから苦しくなる。
そもそもが、中途半端こそが創造の途中であり、神様の意志だと感じます。
老子も、「本当の大器は完成しない」「未完こそが宇宙の姿」と示唆した通りです。

中途半端な自分も愛しましょう。
そして、誰もが途中・ingの中で、コノ世を去って行くことを覚悟しておけば、その時に迷いません。
「そういうものなのだ」
「仕方がないじゃん」
これで良いのです。
  1. 2019/07/24(水) 14:56:46|
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「身心脱落」(しんじんだつらく)して軽やかに生きることが最善
2019-07-18 11:35:47 | Weblog
私の好きな言葉に、「身心脱落」(しんじんだつらく)が有ります。
私の中での好きな読み方は、「しんしん だつらく」です。「し」を濁らせないほうが好きです。

・ 身も心も、脱落するとは何ぞや?
・ どこから、肉体や心が落ちると言うのか?

と思われるかも知れません。
でも、確かに、自分の肉体でありながら、自分の心だと思っているモノが、「スコーン!」と落ちる体感・体験をすることが人には起こるのです。

では、身も心もスコーン!と脱落した後には、いったい何が残るのか?
・ 見えるすべての景色が、自分だったことが分かる。
・ 言葉では表現出来ない、「空」というものを体験します。

しかし、こういうことが分からなくても良いのです。
こういう体験をしなければ生けないことでは、無い。
これが崇高な体験でも無い。

大切なことは、「自分が」「自分の」と思っている事や、悩みや、腹が立つことが、消えて行くのは確かなのです。
・ すべてが微笑ましいこと。
・ どんなことも、躍動しながら消えて行く「流れ」のことであること。
このようなことが直感で分かり、大らかに見ることが出来ます。

でも、このような眠たいことを書きますと、
・ 犯罪に遭った被害者は、どう考えれば良いのか?
・ 今の苦しい現状を変えたい、抜け出したい時に、どうすれば良いのか?
・ 身心脱落して、何が得なのか?
と責められます。

これに対する答えは、犯罪に対しては、
・ 過去の中に住んだままでは、いつまでもそのままです。
・ 今からの自分、という新しい前を見ることが大切です。

苦しい現状を抜けたい場合は、
・ そこから抜ける、逃げたい、変えたい、と思う間は、余計に苦しく成るものです。現実は変わらないからです。
・ だから、その中でも住んでやる!という気持ちが大切です。
・ 地獄の中でも、気持ちよく住んでやる覚悟と「努力」をすることです。

本当にこの継続が有れば、
・ すべては変わり始めます。でも、逃げたい間は変わりません。

身心脱落して、何が得なのか?
これに対する答えは、お得なことは無いです。
ただ、後生大事に「自分が」「自分のもの」と思っていたことが、

・ 自分のモノは、コノ世に一切何も無かったことが真から分かる。
肉体でさえも、自分の心でさえも。

・ だから逆に言えば、人は何も失うモノは無い、ということを悟ります。
ダメになるとか、失うとか、そういうことは真の意味では一切無い。
だから安心しましょう。

誰れもが生きていること自体が、凄い奇跡の連続です。
これ以上、何も欲しくは無い。
このように真から思えた時に、逆に色々なモノが入って来るのもコノ世です。
コノ世は、真にアマノジャク(逆の現象が出ること)な世界です。

今日も自分なりに、ナンチャッテ身心脱落をして、軽やかに生きて見ましょう。
嫌な思いも、心配も、自分の心から脱落させて見ましょう。
  1. 2019/07/18(木) 12:50:40|
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自分の悪い癖(因果)を、成長させるような生活をしてはダメ
2019-07-11 11:14:33 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
記事(「慣れ」の次には、それを失う「恐怖」や「執着」)からの続き。

もし人が、
・ 輪廻(りんね:生まれ変わり)を起こさせる因子を成長させないように配慮して生活し、
・ 既に自分の身の回りに有る環境に、新たな愛着の執着をしないように注意して生きるならば、

そのような人物こそは、住む所にもこだわらない単独の聖者だと言って良いです。

このような真の聖者こそは、究極なる静寂の真理を体験して行くことに成ります。

(原始仏典  釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章12節-No.208)

(感想)

・ 自分の「悪い芽」を成長させないように注意して、生活をしたほうが良い。

このように釈尊は、何度も指摘しています。
自分の悪い芽とは、何でしょうか?

・ 自分の悪い癖のために、再び来生に生まれ直して、過去生の悪い癖を修正する生き方を体験しなければ生けない。
・ 悪い芽は、個人で様々な違いが有る。

それは不倫であったり、他者をイジメたり、悪口で他人に迷惑を掛けたり、盗みであったり、
個人差で様々有るものです。

とにかく、
・ 「生まれ直し」を起こさせる因子(因果)を、成長させないように配慮して生活をしたほうが良い。
ということです。

因果の法則では、理不尽に他人を殴る生活をしていた者は、来生に生まれ直して、次は自分が理不尽に殴られる生活をすることに必ず成る、ということです。
だからもし、生きている最中に反省して、この項の内容のように、自分の「悪い芽」に気付いて、成長させないように生活を改めれば、

・ 相殺(そうさい:善行と悪行の差し引き)の作用が発生して、来生に生まれ直して弁償しなくても済む可能性が生じる。

ということも言えます。
現代人に大切なことは、
・ 自分の悪い芽に気付けるのか? 否か?
先ずここが大きな分岐点に成りそうです。個人差が、とても大きな問題です。

不倫でさえも、「別にいいじゃん」と思っている人はいるわけです。
まさか今の不倫のために、来生に生まれ直して、自分が相手の家族の立場を味わうことに成るとか、夢にも思わないことでしょう。
でも、親の不仲や離婚のために、進学も含めて子供が味わった辛い立場を、来生の自分自身が味わうことに因果の法則では成ります。

これは、多くの人々の悩みを30年以上も観て来た私が体験した世界観でも、
・ 因果の法則は、完璧に生きて作用し、リピート(再現性)するのは確かです。
・ 恐ろしいほど完璧な因果の「物理法則」の中で、私達は暮らしている。
・ ウヤムヤや、不公平や、理不尽なことは、真の意味では存在しない。
・ 完全、完璧な公平性が、どこまでも貫徹している。
これを確信しています。

これを深く理解しますと、もし自分に何が有っても、
・ もう、お任せで良いわ。
・ 他人を、決して恨みません。
・ 安心して居られる。
という気持ちに成れます。

この項で釈尊は、
・ 自分の悪い癖(因果)を、成長させるような生活をしてはダメ。
と指摘してくれています。
まずは、これを素直に実行が出来れば幸いです。
これが、今生も、来生も、自分自身も環境も、変える可能性が有るということなのです。
(まだまだ釈尊のお話が続きます)
  1. 2019/07/11(木) 19:55:47|
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人の生き様も、鎮魂歌(ちんこんか)
2019-07-05 11:34:19 | Weblog
鎮魂歌(ちんこんか)=死者の霊をなぐさめるために作られた詩歌、という意味です。
私達が生きること自体が=鎮魂歌となる。
このように感じます。

人それぞれに、様々な生き様が有ることでしょう。
かっこ悪い生き様。
いつも下に見られる生き様。
いくら頑張っても評価もされない生き様。

このような生き様が時には有ったとしても、
それは自分の先祖にも、同じような苦しみを持った御方が居た、と思うのはいかがでしょうか。
もし過去に生きた、今の自分と同じ体験をした縁者の故人が居れば、生きながら同様に苦しむ私達を見れば、何を思われると思いますか?

とても興味深く、今に生きる私達を見ていることでしょう。
・ あの時の自分と同じだ。
・ ああ、どう生きるのだろうか?
という感じにです。

ここで、見ている者(故人)と、見られる者(私達)、という世界が存在します。
見られていても、何も気付けない私達です。
そして、
・ 何で、自分だけがこんな目に遭うのか。
・ 誰も、分かってくれない。
・ 自分一人だ。
と、私達は悲嘆しているかも知れません。

でも、いつかの生きた自分と、同じような生活をしている子孫を、縁ある故人たちは必ず見ています。
でも、何も出来ないのです。

守護が出来る守護霊は、安心した別の次元にいる先祖霊です。私達の生活を観て、守護の有無を判断されます。いくら子孫であっても、悪行や堕落に加担する守護は出来ません。
どんなハンディの中でも、精一杯に生きる姿を見せることが、守護霊を動かします。

そこで、もし生きる自分たちが、故人たちと似た苦境の中でも、
・ 何とか健気に、頑張る姿。
・ 何も分からないままでも、精一杯に生きようとする姿。

こういう姿を故人たちに見せることで、供養が必要な故人たちに大いな気付きが起こります。
これが最高の慰めと成ります。
私達が生きる姿を見せることが、最高の鎮魂歌。

私達は、鎮魂歌と成るような生き方をしたいものです。
でも、出来ないことも、あるかも知れません。
もし、頑張れない自分を見せたとしても、それも似たような苦しみを持った故人には鎮魂歌。

とにかく、分からない中を喜怒哀楽しながら生きる自分の姿は、誰かへの鎮魂歌と成っていることを、今日は言いたかったのです。
どんな生き方も、決してムダではありません。
似たような故人を、慰めている可能性があるという事なのです。
  1. 2019/07/05(金) 12:43:09|
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災難から逃れる方法は
2019-07-02 11:33:23 | Weblog
良寛(りょうかん:江戸後期の禅僧)さんが仰った、

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難を逃るる妙法にて候。」

災難に逢った時は、災難に逢うのが良いでしょう。
死ぬ時には、死ぬのが良いでしょう。
これは逆に、その災難を逃れることになる妙法なのです。(以上)

災難や嫌なことに自分が遭った時に、一番に自分を苦しめていることは、
・ 何とかして逃げたいと、考えてばかりいて苦しむ自分。
・ 時間を戻せないか? と出来もしないことを考えて後悔ばかりする自分。
・ これから、どうなるのか? と先のことを考えて苦しむ自分。

災難による直接の苦痛よりも、それから派生する様々な「心配」「思考」「未来への懸念」が、自分自身を苦しめることが、人間には大きいと感じます。
・ 人が想像して心配する苦しみの、何と大きいことか!

私達を苦しめる本当の敵は、自分自身が想像する心配心である可能性を、知って置いてください。
結婚にしろ、仕事にしろ、子供のことにしろ、それらによる直接の問題よりも、
「これから、どうなるものなのか?」
という心配心が自分を苦しめます。

こういうジレンマに入った時に、良寛さんの上記の言葉が、その苦しみを打ち破ってくれます。
人間の苦しみとは、
・ 避けようと「模索する」苦しみだった。
・ 何かを変えたい、という変身願望への苦しみだった。
・ 逃げることばかり考える、苦しみだった。

これを逆に、
・ 避けていても来てしまった災難には、じっくり遭ってやろうではないか。
・ 何なら、地獄まで付き合ってあげましょう。
・ 避けること、逃げることから疲れてしまった自分は、このままの自分で良い。

このような「覚悟」を人がした時に、苦しみという幻想がガラガラと消え去り、明るい光が差して「いた」ことに気付ける可能性が有ります。

ここで浮かびます言葉は、
・ 心配心への無抵抗主義。

もし自分に心配事が起きれば、
・ はいはい、分かった分かった。どうぞ、どうぞ。仕方がないモン。
・ どうぞ、お好きなように。
・ 自分は、自分のままで居よう。

未来を心配するよりも、今の自分に、
・ 悩むことを止めさせること。
・ 右往左往しない覚悟を持たせること。

こういう心境を心掛けるほうが、
・ 被害は少なく成りやすい。
・ 無難に変わりやすい。
こういうことが、深層意識からの影響で言えることを感じます。

仕事への心配をしながら運転していたら、事故を起こしてしまった。
子供のことで悩んでいたら、夫婦仲まで悪くなった。
結婚を焦っていたら、悪い男に金を盗られた。

東日本大震災の時に、沖合で大津波に遭った船長が取った行動は、
・ 大津波に向かって、船を真っ直ぐに突入して行った。
その先には、静かな海が広がっていました。

1つの悩みに捕まっていれば、第二第三の悩みを連れて来ることが起こるかも知れません。
これを防止する意味でも、
・ 災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。
こういう覚悟を持つことも、参考にしてください。

(伊勢白山道)
  1. 2019/07/02(火) 14:15:18|
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心の「独り相撲」に注意
2019-06-16 11:05:04 | Weblog
悩む人を観ていますと、
・ 実際に有った、嫌なことは1つ。
・ でも、そこから始まる心の葛藤(かっとう:ストレス)は、数日間も続きます。
・ 更には、そのストレスが、他の家族や知人との間にも意味の無い新規の問題を引き起こします。

つまり、実際に有った嫌なことは1つであっても、
自分一人の「心の独り相撲」が、その後に10倍の嫌な現象を引き起こすものなのです。
起こった事案は1つであっても、その後の心の独り相撲が、10倍の問題を生み出す可笑しさに気付いて頂けるでしょうか。
これが、心の漏電(ろうでん)です。

1つの嫌なことに対しては、反応や対応を1つすれば、自分の中では「終わり」なのが理想です。
・ 起こった事実だけを見る大切さ。
・ 事実だけを見て、それで終える心の習慣。
・ その後の、起こってもいないことを想像して、追加で悩むことを一切止めること。
これだけでも、健康も、運気も損なわずに済みます。災難からも、自分を守ることが可能です。

人は、1つの事案に対して、その後に10倍の空想のストレスを生み出す生き物。
これを認識して、出来るだけ心の漏電をしないことが大切です。
1つの問題に対しては、発生した事実に対してだけ対応をして行き、
・ あとはお任せ。
・ 流れを静観すること。
・ 追加で問題が、また相手から来れば、淡々と対応をすればいいさ。
・ 1つの事案に1回の対応をすれば、あとはお任せの心境で楽しむこと。
こういう心境で生活することを参考にして頂ければ幸いです。

他人からの嫌な刺激は、それ以上に自分の中で膨らませないことが大切です。
・ 自分の本当の敵は、自分自身の想像の心配心である。
これに注意をしたほうが良さそうです。

地震などの心配に付いても同様に、1つの事案には、知って置けば、それ以上は心配しないことが大切です。
心にインプットされた懸念には、自分の本能が自然に対応をします。
心の準備をセット完了すれば、それで終わりでOKです。
実際には、情報を知れば無難に変わって行くものなのです。(量子力学)
  1. 2019/06/16(日) 12:46:49|
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無思考で生活する大切さ
2019-06-04 11:44:10 | Weblog
心の世界に限定しての話なのですが、
・ 聞いても分からないことは、分からないままで良い。
・ 読んでも分からないことは、そのままで良い。
時が経てば、ふと、理解が心に落ちて来ることも有ります。

生活の中での悩みにつきましては、
・ いくら考えても、悩みへの答えが無い場合は、もう考えない練習が大事です。
・ 悩みや心配事が有れば、何も考えない、無心、無思考、心の空白時間をもうけるように心掛けることが大切です。

思考を止めること。無心を心掛けること。
これが、生命力、健康を取り戻すために大切です。
悩む思考からの漏電が、いかに健康に悪いかということです。
悩むだけで、体重も落ち、老化も進むほどです。白髪にも影響します。

事件を犯すような人を視ますと、共通して言えますことは、
・ 心中での憎悪の独り言が止まらない人。
・ それも罵倒と憎悪の言葉(言霊)だけが、繰り返し心中で湧き出ています。

もし、心中での憎悪の言葉を止めることが出来れば、悪い行動をしなかったことでしょう。
このような最悪に至る前段階として、

・ 心中での不満や、心配事が絶えず湧き出ている状態。
次の段階として、
・ 悲観の独り言が、口から自然と外に出てしまっている人。
仕事中でも、独り言をしゃべる人がたまに居ますが、かなりストレスが溜まっている状態だと言えます。要注意です。

では、何も考えない状態、無思考に成るには、どうすれば良いのでしょうか?
これこそ、思考の理論・理屈では、無いのです。
行動・行為の方法でこそ、この状態は可能です。

・ 基本的には、心中で悩みそうに成れば、イカンイカン、止めよう、という心の姿勢は大切です。
この上で、

・ 目の前の仕事を頑張ることが大切です。

・ 悩みそうに成れば、掃除、体操、四股、洗い物(水に触れるのは霊的にも有効)、何でも良いから、「一定の行動」を取ることが有効です。

「あるパターンの行動」を習慣付けることは、「ルーティン」(型通りの動作)と呼ばれる行動が、無心の集中力を起こすことが、運動生理学からも重視されています。
有名な運動選手ほど、勝負の直前のルーティン動作を決めています。
これにより、心が無心に入ります。

これと同様に日常生活においても、悩みが止まらない時は、何かの作業や動作に没頭することが有効です。
編み物などでも良いのです。
でも収入を兼ねる意味でも、目の前の仕事を片付けることは、一石三鳥ほどの意味があり、精神的にも大切です。

でも、以上だけでは、まだ無心には成れないかも知れません。
以上の実践において、非常に重要なある事を基本的にしていることが大切です。
それは呼吸法なのです。

・ ヘソ下3cmでの、腹式呼吸を意識していること。
・ 吸う息よりも、吐く息を長くすること。
・ 鼻呼吸が重要です。(口呼吸はダメ)

この呼吸を自然と行いながら、作業・行動に没入していることが、無心の実現に影響します。
しかし、まだ、無思考には成れないかもです。

以上の実現の次に、
・ 遺伝子の集合体(先祖)への感謝の行為が有ること。
・ 神祭りの、日々の水交換の作業をしていること。
この継続が、すべてを変えて行く実践力を左右することでしょう。

でも、以上のような難しいことをしなくても、
アホ〜になって、ニコニコしている無思考時間を持てる人は、幸いです。
天が与えた才がある、天才バカOOかも知れません。

生かして頂いて 有り難う御座います
  1. 2019/06/04(火) 19:10:39|
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レンタルした品の、使い方、返し方、が大切です
2019-05-29 11:22:52 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
記事「素直な心は、すごくお徳(得)です」からの続きです。


この生きる肉体も、いつかはあの死体のように朽ちて行くことでしょう。

あの死体も、今に生きる肉体と同様だったことを思いましょう。

だから、自分の肉体に執着することから離れましょう。

(原始仏典  釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章11節-No.203)

(感想)

肉体に執着しないことは、「肉体を大切にしないこと」ではありません。
・ 肉体を大切にするが、肉体に執着はしない。
これが大切な心境なのです。
これは他にも言えることです。

・ 自分の子供を大切にするが、子供に執着はしては生けません。
(このほうが、子供は伸びます)

・ 仕事は生活するために最大に大切にするが、仕事に執着はしない。
(この心境のほうが、仕事を辞めないで継続しやすい)

必ず来る「死」を考えますと、どんなことも「手放すこと」だけは既に決まっているわけです。
・ どんなモノも、期間限定で自分が預かっているだけなのです。

土地も、家も、財産も、家族も、仕事も、そしてこの肉体でさえも、一時的に自分が預かって使用しているだけであることを、この項は指摘しています。
そうしますと、人間は、一時的に自分がレンタルした(借りた)モノに執着して、命をすり減らすほど悩み、喧嘩も、時には自殺もしているのがコノ世の現状なのです。

レンタカーに執着する人は、いるのでしょうか?
レンタル服に、執着する人はいないでしょう。
初めから自分が「期間限定でレンタルした」という認識を持つモノに対しては、人は執着をしないで気持ちよく返却が出来るものです。

しかしコノ世では、自分が持ったものには、「自分のモノだ」という執着をする幻想を、恋人にも、財産にも、そして肉体にも、抱(いだ)くという錯覚を人はしてしまいます。
この錯覚が、殺し合いや、苦しみを生み出しています。

借りた備品を、キレイに掃除してから返却する人。
借りた物を、ドロドロのままで返却しても、平気な人物。
人間は、この2つに分かれる場合があります。

もし結婚するならば、どちらのタイプを選ぶでしょうか?笑。
自分の肉体も、先祖(遺伝子)と天(環境)からレンタルしているのが事実なのです。
いつか、必ず返却する時が来ます。

だから、大切にメンテナンス(健康維持、病気治療)をしながら、返す時は気持ちよくお返しをしたいものです。
でも、自分の肉体のデザインや形が気にいらない。
だから、不満タラタラで使用しながら、早く死にたい(返却したい)という人が多いのがコノ世です。

でも、困ったことに、この神様から借りている肉体は、
・ 完全なる使用履歴、使用感、使用目的、などなど全て。
これが天にデータベースとして精密に詳細に、映像付きで記録されています。
(カメラの位置は、自分の頭上周辺と、眼からも)

今回の使用データは、次回に肉体をレンタルする時に(転生)、完全に反映されます。
今回の使用履歴次第では、より優れたヴァージョンUPの肉体がレンタル可能なのか?
使用制限がされた仕様に成るのか?
今の自分の使い方次第です。

だから肉体は、大切に使用するが、悪い執着はしないこと。
魔改造をしていないか?
(魔改造:まかいぞう。自分の欲望に合わせて、極端な途方もない改造をすること。現代用語)

この項が指摘することが、来生にも大切なのです。
今日も、自分の心身を大切に磨きながら、軽やかにレンタル期間を生きたいものです。
まだまだ、釈尊の話は続きます。

(伊勢白山道)
  1. 2019/05/29(水) 13:38:53|
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「スルーする力」
2019-05-19 01:06:36 | Weblog
読者が書かれたコメントに、「スルーする力」と有りました。
俗に言う、「受け流すこと」「関わらずに読み飛ばすこと」「無視すること」などを意味します。

複数の人でテレビを見ていましても、あるタレントさんが映っていますと、
・「この人、嫌いやわー」「なんかムカつく顔だわー」と言い出す人も居れば、
・ 誰が出ていましても、まったく気に成らずにテレビを眺めている人も居ます。
・ テレビで発言している内容を聞いて非常に激怒して、中にはテレビ局に電話する人もいるとか。

普段は大人しい人でも、特定のことに反応して、スルーが出来ない様相を見せることが有るものです。なぜでしょうか?

これは霊的には、「理由なく激しく嫌いだ」という場合は、
・ 過去生の因縁が有った関係者だった。
・ 先祖が争った者同士だった。(源氏と平家のような)
・ お互いに憑くモノが、犬猿の仲。

このような場合が、まれですが有ることも無きにしもあらずです。
学校でも、会社でも、実は家族同士でも、有ることです。

ただ言えますことは、自分自身が浄化するほどに、
・ 嫌いな人が減って行く。
・ 嫌な意味での、気になることが減って行く。

更には、カンナガラ(内在神の発露・神人合一)が進む人ほど、
・ どんな他人も好き。
・ 他人の嫌な面が、気に成らない。許せる。
・ スルーする力が増す。

ということに成ります。
今の自分の「スルーする力」は、どれほどか?
自分自身の浄化具合を知りたければ、こういう面を静観することも参考にしてください。

テレビに向かって「この人は嫌いだー」なんて言っている間は、まだまだです。
私生活でも、何かとストレスが溜まることでしょう。

転生(生まれ変わり)の法則において、厳しい面なのですが、
・ 憎しみ合った者同士ほど、来生に再会する可能性が高い。
これが会社の同僚や、家族同士でも有ります。

だから、
・ 意地でも、嫌いな人を恨まない。
・ 仕返しは、自分は止めておこう。
という態度は、縁を切るには非常に有効なことです。

以上のような現象は、
・ 神様が、二人に和解の機会のチャンスを与えている。
・ 嫌な者同士が一緒に成ることで、それをコノ世での修行とする。
・ 嫌いな相手ほど、実は自分自身が浄化・成長するチャンスの相手だった。
ということも言えます。

人間は、コノ世に生まれた限りは、何かにおいて修行とすることが、宿命として誰もが課せられています。
それは個人でテーマが違うわけです。
健康問題、肉体に関すること、金銭に関する苦労、下働きの苦労、結婚、家族関係、などなど様々なテーマの「修行」が存在します。

だから、嫌なことや、辛いことが有りましても、それはムダなことでは無いのです。
自分の来生の環境を改善させる、創造する、大切な機会に面しているとも言えます。
今の環境の中を、明るく生きて行きましょう。
  1. 2019/05/20(月) 18:56:42|
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眼の前のことに、ただ一生懸命に打ち込んで見ましょう
2019-05-15 11:45:08 | Weblog
禅語に、莫妄想(まくもうぞう)という言葉が有ります。
「妄想をしては生けません」
「妄想が、すべての心の苦しみの原因である」
ということです。

人間の苦しみの大半の原因は、
・ まだ起こってもいないことを、妄想して独りで苦しんでいる。
・ 何も問題が無い時から、「何となく」「憂鬱」「面白くない」という気持ちが原因になる。
・ 妄想から始まって、自分から、苦しみの現実の発生に向かっている。
ということが言えます。

「飛んで火に入る夏の虫」
(昆虫は光に向かって飛ぶ習性を持つために、火をめがけて飛んでくる夏の虫のように、自分から危険なところに身を投じ、災難を招くこと)

この昆虫の習性が、人間の心にも在るのです。
それを起こすのが、妄想することであり、莫妄想なのです。

では、地震や災害、交通事故、失業などを想定して注意するのは、莫妄想なのか?
これは、妄想とは違うのです。
こういう大切なことを、「一次想定」と私はしています。危機管理能力でもあります。

問題は、二次想定からなのです。例では、
・ 失業する妄想 →(ここから二次想定が始まる)→ 金が無くなる → 食べ物が無くなる
→ 死んでしまう。
→ ああ、大変だ。 私は、死んでしまうんだ。もうダメぼ。

これが二次想定であり、莫妄想と言えます。
一次想定までの最悪を想像するのは、大切なことです。
でも、その先を、起こってもいないことを、更に「展開」して心配をしては生けないのです。
二次想定の99%は、起こらないままで過ぎて行く妄想に過ぎません。

生きている人間は、本当に腹が空けば動くからです。
黙っている訳が無いでしょう。
でも、二次想定には、この動きが欠けています。現実的では無いのです。まさに妄想です。

多くの悩む人を観ていますと、二次展開どころが、次々に5次展開まで勝手にしてしまい、
・ 最初の悩みなど関係が無くなっている。
・ とにかく、すべてが嫌になる、もう死ぬしか無い、という極端な結論になってしまう。
こういうことに、おちいってしまう人がいます。
これでは生けません。

では、ここまで心が落ちた人は、どうすれば良いのでしょうか?

(1)一切の他人との「比較心」を捨てる誓いをすること。
(2)他人を見ない決意をすること。

(3)ただ、目の前の事に集中して打ち込むこと。
一生懸命に歯を磨く。一生懸命に食事をする。
一生懸命に洗い物をする、ただ掃除をする。

(4)一切の2次展開の心配をしないこと。

このような心掛けを参考にして頂ければ幸いです。
禅の大家・道元(どうげん)さんは、このような心掛けの決意を、 

・ 【只管打坐】(しかん たざ)

と表現し、一切の妄想の心配をせずに、
・ ただひたすら、ただ一筋に、一つのことに専念すること。
これの「継続」によって、人間は変わることが出来るという示唆を残しています。

今日も、目の前の仕事に、するべき事に、ただ打ち込んで見ましょう。
  1. 2019/05/15(水) 12:39:54|
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苦しみはムダでは無くて、大きな慈悲の中で起こっています
2019-05-12 11:35:22 | Weblog
人間は、生きていれば、
・ それぞれの環境で、
・ その人なりの、ストレス、欲求、が生じるように「必ず」出来ています。
・ それがコノ世に在ります、成長・進化のための「苦の法則」というものです。

問題は、そういう最中に、他人の姿と状態を見ることで、
・ 迷いが生じます。
・ 自分を否定する心が生じます。
・ そして苦しみます。

答えは、
・ 自分は、自分のままの状態が最善であること。
・ すべての因果の昇華(消化)と、成長と、気付きが起きるために、今の「最適な」状態が出現している。
・ 他人と比較することで、迷いと、自己否定が生じて、苦しみが発生しているだけである。

・ 真実は、何も「悪いことは」起こってはいない。
・ ダメで、ムダなことは、0.01%も生じていない。
でも、他人と比較することで、この真理を信じることが出来ない、信じたく無いのです。

努力をしていても、不幸や、嫌なことは「来ます」。
でも霊的には、アノ世から見れば、「幸いなる人」であるのが真相です。
どんなことも、ムダでは無いからです。
その代わりに、大切なモノを得ており、悪い因果の昇華も果たしているのが真相です。

でも、そんなことを体験したく無いのが人情であり、当然です。
他人を見れば、幸福なことばかりに見えます。
でも、実際はそうでは無い。
その他人も生きている限りは、「苦の法則」から逃れることは出来ません。
その陰では、様々な満たされない思いを秘めています。

では、苦を体験せずに、昇華させることは出来ないのか?
これは可能です。出来ます。
ただし、その分の、善なる行為が必要です。
相殺(そうさい:差し引きでゼロにすること)が必要です。

・ 自分の遺伝子(太古から連綿と続く切れなかった先祖たち)に感謝をすることは、大きなヒントに成ることでしょう。

でも、神様に祈願するのは間違いです。それは逆です。
神様の視点から真に「救う」ために、もっと昇華のための苦しみが起こるかも知れません。
「その人間の精一杯」が試される、大慈悲(だいじひ)を受けることも有ります。

これを乗り越えれば、神様の本当の「救い」というものの片鱗を感じられるかも知れません。
神様には、それでも「生かされていることに」感謝だけをして行くのは、死後にも影響する大きな善行と成ります。

どんな神様に感謝をしても大丈夫です。
キリスト教でも、仏教でも、イスラム教でも、良いのです。
ただし、自分の神様は、自分の右胸に存在することだけを知って置いて、信じて頂ければ幸いです。

ああ、また難しい話を、難しく書いてしまった。
でも、ギリギリの精神状態の中を生きている人が散見されます。
そういう人には、どんなキレイ事も、逆に苦しく感じられるだけです。

ただ言えますことは、
・ どんな苦しみも、ムダでは無い。
・ すべては変化して行くこと。
今日という1日を自分なりに休みましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2019/05/12(日) 13:59:03|
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物事の真相は、超単純である
2019-05-07 11:16:18 | Weblog
先月の過去記事「行く年、来る年」におきまして、

「反対の賛成は反対なのだ!」
「反対の反対は賛成なのだ!」??
by 漫画『天才バカボン』。

と書きましたら、「よく分かんない〜」「難しいー」という意見が散見されました。
やはり、ややこしい言い回しは、面白く無いなと反省をしていました。

そして、昨日の記事「真相は超単純である可能性が、人生にも言えます」です。

・ 物事の真相は、超単純である。

これは、非常に重要なメッセージに感じます。
この意味は、病気だけでは無くて、人生を見る時も、
・「反対の反対の」「あの人の裏側は」なんて考えずに、
・ 深読みせずに、
三歳児のように目の前をただ見詰めて行くことが出来れば、人生は楽しいと感じます。
そして、悟る可能性が在ります。

明日で、このブログが始まってから丸12年が経過します。
本当に多くの方々を観て来ました。
でも、最近の読者を観ていて、特に増えている懸念は、

・ 周囲の人を疑い過ぎて、疑心暗鬼に成っている。
・ 他人の仕草や態度1つで、喜怒哀楽、不安に成る。
・ そして、一人で勝手に落ち込んで行く。

自分が創り出した心配心に、負けている人が多いのです。
・ すべての原因は、自分自身だった。
この可能性に気付いて頂ければ幸いです。

引きこもる子供たちを観ますと、
・ 他人との比較心から自分で自分をイジメています。
・ そんな他人との比較で負ける自分を、キライな自分が居ます。

引きこもる子供ほど、本心は勝ち気であり、自我(ワレよし心)のプライドが強く、
・ ダメならば、何もしたく無い。
・ やるだけムダ。
このような思いが、大人に成っても支配していることを散見します。

このように分析をしていますと、あれ?
・ 超単純に見ていない、難しく考えている。
・ 三歳児の視点では無い。
と気づきます。いかん、いかん。ここで一言、

「サボってんじゃないわよ!」 (by チコちゃん)

今日の連休明けの、山ほど溜まった業務メールを見るのが怖い人が多いかも知れません。
アレコレ考えずに、目の前の仕事を後でやるのでは無くて、「今やる」を繰り返して行きましょう。
  1. 2019/05/08(水) 13:06:01|
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こんな自分でも、何かの、誰かの、役に立ちたい
2019-05-03 11:45:54 | Weblog
(誰かの独り言)
「親からも親戚からも友人や職場の方からも、気がつけば馬鹿にされてきました。自分なりに努力はしてきたつもりですが、ずっと変わらずなので、もう余計なことは言わない様に当たり障りなく他人と関わることにして生きています。

そんな自分が惨めで悲しく、人生の大半を諦めていますが、ただ、こんなポンコツで頼りない人間ですが、
こんな自分でも何かの御役に立てているといいなー。」 (以上)

(感想)

・「こんな自分でも、何かの役に立ちたい」
これこそが、神様に対する真の祝詞に感じます。

また、このように思えることが、悟りの「後の先に在る」最終形の姿なんだと感じています。
「悟りました!」・・・それは良かったね。では、これから何するの? ということなのです。
自慰行為の悟りで終わっている人は、まだ転生を逃れることは出来ません。
その先に在る世界こそが、
「こんな自分でも何かの御役に立てているといいなー」なのです。

これは、観世音菩薩の「思い」でもあります。この思い、しかありません。
このように人間が思える状況には、

・ 死に至る病から奇跡的に助かった人が、思う心境。

・ 大事故に遭って、死んで行く瞬間の自分を体験してから助かった人が思うこと。

・ 誰もが亡くなる前に、自分の人生を振り返る瞬間が有るのですが、この時に多くの人が発した言葉が、「もっと他人の役に立つ生き方をすれば良かったなあ」という後悔の思いです。

最初に挙げた独り言の御方は、生死の境をさまよわなくても、大病を体験せずとも、
「こんな自分でも、何かの役に立ちたい」
と「苦しい中でも」思えたようです。なかなか、こんな素直な人は居ません。

それは、なぜでしょうか? 
それだけ、人生が辛かったからです。
そうなりますと、人生の苦しみも、その人間を正しい方向に、思いに、導くと言えます。

「こんな自分でも、何かの役に立ちたい」と思える人は、天国に行けます。
地獄に行く人の思いは、これの全く逆な思いです。
呪いと、不平不満、怒り、に巻かれて、そういう世界に引かれて行きます。

「似た者同士が引き合う」のが法則です。
この法則が完全に実行されるだけで、いくつもの世界が分かれて行きました。
その中でも、「こんな自分でも、何かの役に立ちたい」と思う人「だけ」が集まる世界とは、どんな世界に見えるのでしょうか?
そこは、天国に見えることでしょう。

私は神社では、「生かして頂いて 有り難う御座います」だけを3回思って、参拝を終えます。
非常に短い参拝です。

ただ、伊勢神宮・内宮だけでは、もう1つ御神前で思うことが有ります。
それは、毎回、
「もっと他人の役に立つ事をします」
と最後に思って、礼をします。

そして、御垣内の参道を振り返り出口に向かいますと、正殿の白い御幌(みとばり)の幕が垂直に上がってたなびいて見送ってくれます。
この時に、「分かったよー」「また来てねー」とコダマが脳内に響きます。

ただ、これが起こるのは、参拝中に潮風の香りがした時だけです。
年に1度は、体験しています。
神様の神気は、潮の香りがします。

「もっと他人の役に立つ事をします」も、神様に捧げる祝詞だと言えます。
そもそもは、人が日常に思う内容こそが、神様に捧げている(ing) 祝詞なんだと言えます。
それが罵倒や怒りや、不平不満では、そういう祝詞を捧げていることに成ります。
これでは、良いことには成らないです。

今日も楽しい思い、面白い思い、感謝の思いを捧げたいものです。

(伊勢白山道)
  1. 2019/05/03(金) 21:05:14|
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「寛容性」と「包容力」の重要性
2019-04-07 11:20:32 | Weblog
運気を良くするには、「寛容性」、「包容力」が大事と感じます。
無限の包容力を感じさせる人には、どんな人も安心するものです。
包容力の強い人の周囲だけは、時間の流れが「ゆっくり」と変わるように感じます。

寛容(かんよう)を辞書で調べますと、
・ 心が広くて、よく他人の言動も受け入れること。
・ 他人の罪や欠点などを厳しく責めないこと。

これは良い指摘がされています。
もし自分が、
・ 他人の間違いが異常に気になる、腹が立つ。
という時が有れば、それは自分の中から「寛容さ」が消えている時かも知れません。

* 自分に寛容さが無い時は、
・ 自分の運気が落ちる。
・ 失敗をしやすい、間違いを選択しやすい時。
このように気付くことを参考にしてください。

「あれ? 私はどうして、他人のあんな事が気に成り、許せないのだろうか?」
と気付ければ幸いです。
寛容性、包容力という単語を自分に言い聞かせるだけでも、お祓いに成ります。
自分にこれから来そうな、不運の流れを止めることが可能です。

寛容、と漢字を検索した時に、
【免疫寛容】(めんえき‐かんよう)という言葉がありました。
免疫寛容とは、自己成分に対して、異物と見なす免疫反応を示さない状態、を意味します。

つまり、寛容性や包容力が無い人は、
・ 何でも異物と見なして、アレルギー反応、ヒステリーを起こしやすい状態。
とも言えそうです。

・ 自分とは意見が違う他人も、気にならない心の状態。

これが、自分の運気や金運にも影響します。
総じて、結婚にも、結婚の継続にも、寛容性と包容力は大切です。

幼児は、親のヒザの上に乗りたがるものです。
ヒザの上に這い上がって来て、自由にさせていますと、その内にお腹をポンと出したまま寝てしまうことがあります。

親の包容力に包まれて、幼児が住む時間の流れは、ゆっくりと流れていることでしょう。
これは霊的には、非常に重要なことを意味します。
釈尊や老子に実際に面会した人は、そこだけ時間の流れが止まっていた、と表現することでしょう。

人は、深い安心感と、包容力と、寛容性に包まれた時に、宇宙の時間の流れを変えることが可能だと私は感じます。
その人だけ、に感じられる真実なのですが、宇宙の秘密に関係することを思います。

とにかく、喧嘩をしている時や、何かに腹が立つ時は、「寛容性」、「包容力」という言葉を思い出してください。
悪い時間の流れを、きっと変えることでしょう。
  1. 2019/04/07(日) 13:00:03|
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表面の言葉だけを、良くしてもダメです
2019-04-04 11:18:52 | Weblog
多くの人を観ていて感じますことは、

・ 人は、その人の心中で話をしているものだ。
・ その話の内容が、罵倒や、恨み、悲しみでは、その人の運気が落ちて行く。

・ 運が良い人の心中の話題は、明るい内容が多い。他人への罵倒が無い。
・ もっと運の良い人の心中は、他人への愛情が深い内容、すべてに感謝をしている状態。

つまり人は、表に出さない心中の本音の会話も、天から観られています。
・ 人は実際に話す話題と同様に、心中の内容も同等に非常に大切だということです。
・ 表面に出す言霊(ことだま)と、心中で思う言霊、この2つの陰陽をもって人の運命が変わって行きます。

以上の内容を具体例で説明しましょう。
ある厳しい家柄に嫁いだ女性が、義理の両親からの罵倒に耐えながら、その老後の介護で大変な苦労や心労も重ねながら、子供たちを立派に育て、家業も切り盛りしていました。
その表面の顔は、いつも笑顔でした。

他人からは裕福で羨ましいと言われながら、誰からも優しくて完璧な母親に見られていました。
でも、還暦を過ぎてから間もなく、病気で亡くなられました。
誰もが天国に逝かれたと思っていました。
でも、女性の死後に、家に奇異な現象が続きました。

私の夢想では、この女性は良い世界に逝けていませんでした。
死後の霊体は、般若の鬼面に変化していました。
・ 生前に、いかに心中で我慢をしていたかということです。
・ 頼りに成らない旦那にも、苦汁を飲まされた義理の両親にも、内心の恨みが凄かったのです。

女性の嫁ぎ先は、伝統ある旅館でした。
まあ、24時間、お客様の対応と、家族の世話、従業員との軋轢(あつれき)で、自分の楽しみは子供の成長だけだった訳です。

もしサラリーマンと結婚していれば、「楽しかっただろうなあ、自分の人生」。
独身の時は、キレイだと誰からも言われ、夢に輝いていた。
それが結婚後は、他人から裕福で羨ましいと言われながら、自分で自由に楽しむ金は、持ったことも使ったことも無い人生だった。

表面の笑顔の裏では、このような婚家への憎しみを増幅させていました。
そして病気となり、他界しました。
心中の罵倒や呪いが無ければ、もっと長生きした人生だったと思います。

私が平社員の時は、嫌で嫌いな鬼の上司に対しては、
・ 意地でも恨まないぞー。
・ あなたのために、自分の人生と運命を曲げたくないからだ〜。
・ 逆に、心中で「祝福しているぞ〜〜」「このやろう、祝(いわ)ってやる」と思っていたものです、笑。(呪はダメ!)

すると、実際に嫌な人間との縁が切れて行ったものです。
自分が他人を呪う間は、その嫌な人との縁がますます強くなると思ってください。
多くの人が、霊的には逆をしています。ますます悪い縁を自他に深めています。

だから、何に対してでも、感謝の思いと愛情を持てば、すべては自分の最善に運命は向きます。
自分の心中の言葉を大切にしてください。
表面の言葉だけを、良くしてもダメなんです〜。
  1. 2019/04/05(金) 19:07:54|
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「いつものことじゃないか」
2019-03-27 11:36:46 | Weblog
漫画「ドラえもん」の中のセリフに、

のび太君:「生きているのがいやになった」
ドラえもん:「いつものことじゃないか」

と、大きな顔の未来からやってきたネコ型ロボットが平然と答えます。
そうです。私達の悩みの大半は、同じようなことを繰り返しているパターンが有ります。
でも、毎回すぐに忘れます。

だから今の悩みも、その内に「忘れる」「過ぎ去ること」だということを、
・ 今の悩みの最中に、先に思い出して置くことがポイントです。

その内に「忘れる」というゴールが、結果が、もう分かったならば、もう大丈夫です。
さあ、思いっ切り悩みましょう。
気兼ねなく悩めば良いです。

その悩みの出口は無い、きっと終わりが無い、いつまでも続く、このままだ、
と思い込むことこそが、突発的な本当の間違いを起こすものです。
でも、それは間違いなのです。

「いつものことじゃないか」
「すべては必ず変わって行く。留まることが無い」(by釈尊)
これが正解です。

悩んでいる最中は、身も心も全てが硬くなっています。もうガチガチに頑(かたく)なです。
どんな言葉も、心に入らずに跳ね返すものです。
そういう時にこそ、
「いつものことじゃないか」
「誰もが悩んで来たことだ」
「先祖たちも同じだった」

このように思い、カチカチよりも脱力を心掛けて、フニャフニャで良いと思うことを参考にしてください。
柔(じゅう:やわらかい)は、強に勝つ。(by老子)
これは真実です。

人生にも、「建て替え・立て直し」という遷宮(せんぐう:20年ごとの御正殿の更新)が定期的に起こります。
今の「死にたい」は、
更新するための産みの苦しみとも言えるのです。

「死にたい」は、「より良く生きたい」ために、起こる摩擦です。
この摩擦を心の常若(とこわか:いつまでも若い)に変えることも可能なのです。
そのためには、悩んだ時は、
「いつものことじゃないか」
これを思い出しながら生きることを参考にしてください。
  1. 2019/03/27(水) 12:55:24|
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ダメならダメで、良いじゃないか
2019-03-24 11:30:17 | Weblog
人生では何度か、
・ もう自分はダメだ。
・ 自分は、何をしてもダメ。
・ もう終わりだ。

などと思うことが有るかも知れません。
でも、もしそういう時が有れば、このように思ってください。

・ ダメならダメで、良いじゃないか。

このように自分自身に対して、思ってあげて欲しいのです。
そして、いつもの変わらぬ自分がそこに居ることでしょう。

有名な短歌に、
「はたらけど はたらけど なお わがくらし 楽にならざり ぢっと手を見る」
これを見ますと、人生の悲哀を感じさせるものです。
とても良い短歌だと思います。

でもネット上に有ります、当時の同じ作家仲間が語ったとされるエピソードには、
働いても働いても、金を持てば直ぐに風俗に直行してしまう。
仕事も直ぐに辞めてしまう、借金も返さない、憎めないけれどダメダメ人間だった。
というものでした。

このエピソードの真実性は別として、私はこれを読んで、もし本当にこうだったのならば、彼が人生を楽しんでいたことに逆に安心します。
まるで一騎当千(いっきとうぜん:一人で千人を相手にするほど強い人)の博打打ちが、無一文になるまで負けた徹夜明けに、「ぢっと手を見た」と読めば清々しいものが有ります。

人間は、不幸なままの「心境」で、人生を終えることこそが本当の不幸だと思うのです。
貧乏や環境が不幸でも、それは関係がなくて、気持ちや心境が打たれたまま死んで行くことが本当の不幸です。

自分をダメだと思うのも、気持ちだけの問題なのです。
お腹が空けばご飯も食べるし、ウンコもするし、睡眠もヌクヌクと布団で寝ることでしょう。
これで何がダメなんでしょうか?
既に、最高の旅を楽しんでいるのに過ぎません。

ダメでも、いいじゃないですか〜。
その中を、虎視眈々と楽しんだ者こそが、人生の勝利者です。
どんなに金銭に囲まれていても、心が泣いたまま死んで行くことが不幸です。
自分の今のままでも、十分に楽しめるはずです。
生きていることが、その証拠です。

まだまだ行ける。
ダメなことはダメでOK
今日も自分なりに楽しんで生きましょう。


マムシのような苦労人・戦国大名だった斎藤道三が、義理の息子であった若き織田信長が自殺するような戦をしようとした時に、
・ 「犬に成って生きろ。恥が何だと言うのだ」
と諭したTVドラマのシーンを思い出しますが、これは誰にも言えることです。

・ どうしても避けることが出来ない嫌なことは、それも仕方がない、で静観しましょう。
・ ダメなことは、ダメで良いのです。
・ 何が何でも、などは不要なことです。
・ 死にたい、よりも、ただ在るがままで居ましょう。
・ 生きていれば、すべての場面は必ず変わって行きます。
・ 慌てない、慌てない。一休み。一休み。

このような思い方も、参考になれば幸いです。
春の不安定な季節を、淡々と過ごしましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2019/03/27(水) 09:45:28|
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・ 実際に、不安な状況や問題が発生した時に、 ・ その中でも、安心感を心掛けることが最も大切なのです。 ・ 大変な時こそチャンス。それ以上、落ちない。後は上がるだけのこと。 ・ 大変な時こそ、安心感を持つ練習が大切です。 ・ ダメな時に、安心感を持つ意識が、自分の霊体を大きくする機会。 「ピンチはチャンス」は、本当です。 誰もが必ず死んで行く命です。 どうせ死ぬ運命ならば、逆に慌てないこと。 ピンチこそを、楽しんで見せましょう。

安心感を持つことが最高のバリアと成ります
2019-03-19 11:33:16 | Weblog
昨日にオランダでも銃による事件が発生した模様です。

記事「3月の自然観察日」より、
2019年3月19日 火 己亥  丁卯  乙卯

2019年3月21日 木 己亥   丁卯 丁巳

2019年3月23日 土 己亥  丁卯  己未

天体の影響では、
・ 3月21日満月が、危険な自己主張が最もされやすい日という傾向。
が出ていますから注意です。

特に21日の「丁」の重なりは、「包丁」「銃器・火器」「兵器」という暗示を示しています。
今週は、テロと地震・噴火、紛争、の芽に注意です。

今朝に感じましたことは、
・ 安心感が持てるか、否か、が人の運命を左右する。
ということでした。

安心感が持てるとは、実は凄いことなのです。
仕事でも、恋愛・結婚でも、売買でも、旅行でも、
・ それを決めた時に、それが正解ならば深い安心感が在るものです。
・ 心配になる時点で、何か有る。
という傾向が有ります。

でも、決めた時に安心感が有っても、油断していますと、後から問題が発生するパターンも有ります。だから、
・ 事前の安心感や不安感にとらわれ過ぎずに、
・ 実際に、不安な状況や問題が発生した時に、
・ その中でも、安心感を心掛けることが最も大切なのです。


・ 大変な時こそチャンス。それ以上、落ちない。後は上がるだけのこと。
・ 大変な時こそ、安心感を持つ練習が大切です。
・ ダメな時に、安心感を持つ意識が、自分の霊体を大きくする機会。


「ピンチはチャンス」は、本当です。
誰もが必ず死んで行く命です。
どうせ死ぬ運命ならば、逆に慌てないこと。
ピンチこそを、楽しんで見せましょう。


観音様を呼ぶには、「助けて〜」ではなくて、
・ 自分が持つ安心感が、同調の法則(似た者同士が集まる)により観音様を呼ぶ。
・ 「助けて〜」では無くて、自分が「助けたる!」と思うことで、その人に観音様が来ます。

大変な時ほど、安心感を意識して頑張りましょう。
これが災難から抜け出させる、一番の近道と成ります。


(伊勢白山道)
  1. 2019/03/19(火) 13:02:37|
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死を生きた人々 小堀鴎一郎

患者が食物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲み込む力がなくなったからである。食べたり飲んだりしないから死ぬのではなくて、死ぬべきときが来て食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解すべきである。

このような状態で病院に入院させて胃瘻を造設したり、点滴によって水分とか栄養を補給すると、患者の限界にきた心臓や肺に負担がかかり、患者自身もつらい思いをするし、周囲の目にはむくみなどの兆候が明らかになる。

家族にとって患者が飲まず食わずの状態で日々衰弱していく状態を目にするのがつらいのならば、患者の負担の少ない皮下注射で最低限の水分を供給する方法もある。



悪性疾患の末期の場合は病態によってさまざまな対策(緩和治療)が講じられるが、基本的には老衰と変わるところはない。痛みをはじめとする苦痛を取り去ることのみに専念し、延命措置は一切講じないことである。


機会に頼らずに自然のままに死にたいという願い、私も同感です。

アメリカ人の45%が病院外で亡くなっているという。その半分以上は在宅でホスピスケアを受け、残りホスピスでケアを受けているという。


私は高齢であること、口から食べられなくなったらもう死を受け入れる、楽になるようにだけの処置を行う。


死を生きた人々 小堀鴎一郎

堀ノ内病院
http://www.horinouchi.or.jp/
  1. 2019/03/14(木) 23:22:10|
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会社や家庭の人間関係で悩む人が多いのですが、 ・ そういうものなのだ、という良い意味での降参をすること。 ・ 摩擦熱が生じる相手ほど、昇華するべき因果関係が有ると想定すること。 だから、嫌な相手が身近に居ましても、それはムダでは無くて、 ・ 自分を浄化させてくれる相手 ・ 自分の因果を吸い取ってくれる相手 と思うことも参考にしてください。


様々な摩擦熱が起こる時代
2019-03-12 11:41:02 | Weblog
今朝に感じましたことは、
・ これから原因不明の異臭騒動に注意。
ということです。

その範囲は広くて、市の全域で感じられるほどを想定します。
どんな臭いなのか?

・ プラスチックが焼けたような、
・ 硫黄臭と下水臭が混ざったような、
・ 火事の後のような、

こういう臭いだと感じます。
では、原因は何か?
これは日本だけでは無くて、環太平洋火山帯に面する国々に注目します。


(特に、北半球の太平洋に面する国々、緑色の地域に注目です)

私が感じる原因は、
・ 地下深奥の火山活動の影響であり。
・ 岩盤同士が擦れ合う摩擦から生じる臭い。
だと感じます。

・ 異臭がした地域は、地震に注意をしましょう。

ここで話題が変わりますが、人間同士も摩擦をしあって暮らしています。
社内でも、家庭内でも、結婚でも、摩擦をする相手と一緒に成るパターンがコノ世に有ります。
なぜ、そうなるのか?
摩擦をしやすい者同士ほど、一緒になるのか?

電気や磁石では、プラス同士、マイナス同士では、通電しません。
何も起こらないし、何も生まれません。
でも、陰陽の違う者同士が近付きますと、何かが流れ、何かが生まれます。
しかし、摩擦熱(ストレス)が生じます。


では、何が言いたいのか?
会社や家庭の人間関係で悩む人が多いのですが、
・ そういうものなのだ、という良い意味での降参をすること。
・ 摩擦熱が生じる相手ほど、昇華するべき因果関係が有ると想定すること。


だから、嫌な相手が身近に居ましても、それはムダでは無くて、
・ 自分を浄化させてくれる相手
・ 自分の因果を吸い取ってくれる相手
と思うことも参考にしてください。


あれ? 嫌な人にも腹が立たなくなった。
いつまでも、ご苦労様。と思えるように成った。
このような以前とは違う、大らかな自分に成れることを期待します。

嫌いな相手も、大らかに見られるように成った時、自分自身の浄化と心境が1つ進んだと思って良いです。
そうなりますと不思議なことに、その相手との縁が切れて行くものです。

人事異動も含めて、自然と離れて行きます。

すべては陰陽の引き合いの因果による、今の状態です。
だから慌てないで、自分自身の浄化と心境を上げる生活を意識します。

これが今の人間関係を変えて行くことに繋がります。

その方法は、
・ まずは「遺伝子への感謝」から始まり、
・ 大地の精霊(地球霊)への感謝も、自分自身に影響します。

すべては変化して行く。
これを信じて、自分なりに頑張って生きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2019/03/12(火) 13:17:14|
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どんなに悩んでも、心配しても、答えは出ないことを先に思い出すべき。

「思考」錯誤するよりも、行動に移ること
2019-03-11 11:29:21 | Weblog

悩むな!・・・・・と言われても、悩むのが人間です。
気にするな!・・・と言われましても、気にするのが人です。
心配するな!・・・と言われますと、ますます心配するかも知れません。

では逆に、
もっと悩めよ! 気にしろよ! 心配しろよ!
と言われますと、「分かってるよ!」「何も分かってないくせに!」と反発するのも人間です。

以上のような問題は、悩みに対しては、
・ 答えは無い、のが正解だった。

・ どんなに悩んでも、心配しても、答えは出ないことを先に思い出すべき。

だから、ある程度、思いっ切り悩めば、心配すれば、
・ もういいよと、降参する。
・ 成るように成ると、覚悟する。
・ お任せで、脱力していよう。


この状態のほうが、霊的には作用が働きやすいのです。
自分の自我(何が何でもの思い)が、妨害しないからです。
こういう精神状態のほうが、
・ 妊活でも
・ 受験でも
・ 悩みに対しても
良い力が発揮されやすいし、先祖の干渉も効きやすいのです。


以上のようなことを、禅では【非思量】(ひしりょう)と表現します。
・ 「何も考えるな」と思考するほど、止まらないのが人間である。
・ だから悩みや心配心を止めようとするのは放棄して、

・ ただ、座って見よう。
・ ただ、家事をしよう。仕事をしよう。
・ 呼吸をしよう。

という「行動」「行為」「仕事」に没入することを目指します。
思考よりも、行動に自分を移動させます。
行動することで、「無思考」「非思量」という世界が門を開き始めます。

そして、思考よりも行動・仕事に没入が出来ていますと、ふと悩んでいたことを振り返りますと、もう、それについては悩まない自分がそこに居ます。

・ 「思考」錯誤するよりも、行動に移ること。

掃除をするのは嫌だなと考え始めますと、何もしないままの状態で、アレもコレもとするべきことを思い出して、ますます嫌になって自分は止まったままです。
思考は置いておいて、
・ 直ぐに掃除を始めて見ること。
・ とにかく、立ち上がって動きに移ること。


これが、際限なく続く悩みを止める最善の方法です。
屁理屈な頭よりも、何も考え無いアホに成るほうが幸運が来やすいです。
ただし、素直で、無思考・非思量で仕事を頑張ることが条件です。
この態度は、神様にも愛されることでしょう。

(伊勢白山道)
  1. 2019/03/11(月) 13:11:59|
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つまり、 ・ 強く願ったり、思ったり、悩んだりしても碌(ろく)なことがない。 ・ 願い事や、悩みは、心の片隅に置いておくのがポイントである。 ・ 目の前の仕事を頑張ること。 これのほうが、自分の希望が叶いやすく成ります。 自分の執着心(ワレよしの思い)こそが、自分の希望を遠くに押しやる原因に成っている人を見掛けます。 ・ ソレに「執着」しないほうが、叶いやすい。 ・ ソレに関して「脱力」しているほうが、結果は良い。 ・ ソレについては、考えても仕方がないという、「降参」しているほうが思わぬ機会を呼ぶ。 つまり、 (1) ある一定期間は、思いっ切り執着して欲しがり悩めば良い。 (2) その次に、ソレを心の片隅に置いておく方向に切り替える。 (3) (1)とは、違うことに集中して見る。 (4) 心の片隅に置いていた(1)に関して、進展が起こる。 (5) 押してもダメなら引いて見ろ、は真実だった。 こういう流れが、近道に成る可能性を知って置いてください。 ・ コノ世の不幸タイムこそは、貯金のポイントが付く期間である。 ・ コノ世の幸運タイムは、貯金の消費期間である。

逆転の世界の、上手を行ってやろうではないか
2019-03-04 11:35:56 | Weblog
人は、悩みや願い事が有りますと、そればかりを考えてしまいがちです。
そのことばかりを考えてしまいますと、視野が狭くなり、他のことへの配慮が低下し、思わぬ失敗や、事故、不運を呼びます。

つまり、
・ 強く願ったり、思ったり、悩んだりしても碌(ろく)なことがない。
・ 願い事や、悩みは、心の片隅に置いておくのがポイントである。
・ 目の前の仕事を頑張ること。

これのほうが、自分の希望が叶いやすく成ります。

自分の執着心(ワレよしの思い)こそが、自分の希望を遠くに押しやる原因に成っている人を見掛けます。

・ ソレに「執着」しないほうが、叶いやすい。
・ ソレに関して「脱力」しているほうが、結果は良い。
・ ソレについては、考えても仕方がないという、「降参」しているほうが思わぬ機会を呼ぶ。


ここで思い出しますことは、日本のノーベル賞受賞者が示唆した「セレンディピティ」です。
(記事: https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/22746d51161ea545b91399b04506bc6c )
何かを熱心に探しているときに、それとはまったく関係が無い他の事をしている時のほうが、目的に関するアイデアに「気付きやすい」能力のことです。

・ 見る視点が変わるほうが、別の発見が有る。
・ 執着した視点は、もう考え尽くされている。
・ でも、執着するほどそれに集中した努力期間が有ってこそ、視点を変えた時にセレンディピティが起こる。
ここが味噌です。

つまり、
(1) ある一定期間は、思いっ切り執着して欲しがり悩めば良い。
(2) その次に、ソレを心の片隅に置いておく方向に切り替える。
(3) (1)とは、違うことに集中して見る。
(4) 心の片隅に置いていた(1)に関して、進展が起こる。
(5) 押してもダメなら引いて見ろ、は真実だった。
こういう流れが、近道に成る可能性を知って置いてください。


誰もが、自分の前世から与えられた「善徳貯金」(自業自得の貯金)の範囲で良いから、
白紙のコノ世に出て挑戦したいと願っていたのです。
でも、生まれ出ますと、不満たらたら、文句の百です。

・ コノ世の不幸タイムこそは、貯金のポイントが付く期間である。
・ コノ世の幸運タイムは、貯金の消費期間である。

どちらが、本当に幸いなことなのか?
死んでから仰天することでしょう。
そして誰もが、後悔することが多々あります。

天照太御神が、孫のニニギ神がコノ世に行きたいと願い出た時、
・ はあ? お前は、本当に行きたいのか?
・ アソコはなあ、とんでも無い世界だぞ。面白いけど。
・ よし分かった、苦しい時は、この鏡を見て私を思い出しなさい。
・ この鏡の意味は、左右が逆転して映ることを思い出すためじゃあ。
・ 逆だぞ。逆に転写することを忘れるでないぞ!
と言ったとか、そんな言葉遣いはしないぞ! とか、なんとか。

幸福も不幸も、楽しんで生きたいものです。
時間限定だから、すべてはアトラクション(楽しむ物)なのが真相です。
でも、時には心が負けてしまうのが人間です。
喜怒哀楽しながら、自分なりに楽しんで生きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2019/03/04(月) 13:25:58|
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当たり屋対策

au 損保
自転車向け保険 Bycle
継続加入
2019/3/2
  1. 2019/03/02(土) 15:00:53|
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・ 心配の種を、わざわざ未来から取り寄せ無いこと。今日という二度と来ない瞬間瞬間を、精一杯に努力をしていれば、未来から心配を取り寄せる癖は止まります。それどころでは無くなります。 明るく心配しながら、今日という瞬間を思いっ切り生きましょう。 この継続は、未来を知らない内に改善させます。

2つのタイプ。自分はどちらに?
2019-02-21 11:44:15 | Weblog
「今、この瞬間だけ幸せでいましょう。

これで十分です。

この瞬間、瞬間が、

私たちの求めているモノのすべてであって、

他には何も要りません。」  by 修道女:マザー・テレサ 


(感想)

多くの日本人の性質では、
・ 今の瞬間だけの幸福は、虚しい。
・ これが終われば、どうなるの?
・ 今の瞬間だけの幸福よりも、「明日からの」安心のほうを望む、欲しい。
という感じが多いと思います。

霊的には、マザー・テレサの内容が真理だと言えます。まさに、これなのです。
でも、肉体次元では、このような日本人の性質のほうが、経済は発展します。

日本人が持つ仕事の悩みの内容も、
・ このままの仕事で良いのか? という将来への不安感からの悩みなのです。
そして、今の仕事が苦痛に変わります。

つまり驚くべきことに、今の、今日の仕事は問題なくこなせるわけです。
でも、将来を考えると、今の仕事が苦痛に変わります。
今日の瞬間に生きずに、未来の不安を想定して、今を悩んで過ごしています。

明るい南米の人々を見ていますと、
・ 今日の給与が出れば十分じゃないか? ヤッホー、ラッキ〜〜!
という感じです、笑。

ここに日本人の自殺率が高い原因が有りそうです。
日本人は、まだ来ない心配を、わざわざ未来から取り寄せて、今を苦しんでいます。
・ このままでは生けない。
・ 今日の瞬間はどうでも良い。明日からのほうが心配。
・ このまま結婚出来なければ、どうしよう。などなど。

今はちゃんと生活が出来ているのに、未来の心配から、今の生活をウツにするほどの呪縛を自分自身で掛けています。
そして原因は、他人の生霊か? 霊障か? と心配します。
犯人は、自分自身が未来を不安に思う気持ちの生霊が正体です。
本当に自分を、病気にまでしてしまいます。


・ 心配の種を、わざわざ未来から取り寄せ無いこと。

これを注意するだけでも、今の心境は変わります。
その未来への心配は、間違っていることが大半です。
未来は刻々と変わっているからです。
その時になれば、違う条件が発生しており、今に心配することは無駄に終わります。
でも、自分の生命力を、心配心で削ったという損だけが蓄積して行きます。


これが溜まり過ぎますと、「いい加減にせいよ!」と自分自身の健康が、今の自分への復讐を始めます。病気という形で、反旗をひるがえします。
まだ来ない心配を、わざわざ未来から取り寄せて、自分の胃を心配心でイジメ抜いたのですから、自然な道理かも知れません。


でも、このように書きますと、事前に心配することで未来を改善させる量子力学と、よく書いて来たのでは?
という指摘をされます。
こういう疑問が出る人は、まさにサジ加減、バランス感覚、中道が分かっていない人です。

白か黒の極端な、余裕のない思考のために、今の自分自身を壊すほど心配と不安に成りやすいタイプではないか? 注意をしてください。
まさに未来への心配から、自分自身を壊し、今も何も出来なくなるパターンに注意です。
そこで、どうすれば良いのか?

・ 明るく心配すること。
・ 今を努力すること、動くこと。
・ 今の生活に、これでも有り難いと、感謝をすること。
こういう精神と習慣が大切です。

今日という二度と来ない瞬間瞬間を、精一杯に努力をしていれば、未来から心配を取り寄せる癖は止まります。それどころでは無くなります。
明るく心配しながら、今日という瞬間を思いっ切り生きましょう。
この継続は、未来を知らない内に改善させます。


(伊勢白山道)
  1. 2019/02/21(木) 13:16:24|
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真に安心している時は、人は何も考え無いのです。忙しい時も、外出中も、仕事中も、自分の心中では、常に微笑(ほほえ)む人であること。

自分を安心させることが大切です
2019-02-17 11:37:45 | Weblog
人間は、自分自身を安心させて居ることが大切です。
・ 自分を安心させること。
これが、出来そうで、出来ていない人が大半です。

多くの人の心は、常に動いており、安心はしていません。
遊びに行くにしましても、迫る時間や、交通の混雑、ペットの心配、戸締まり、明日の予定、などなど。
遊んでいましても、心の深奥が休まることはありません。

では、暇な時は安心しているのか?
暇な時は、暇な時で、将来の不安、色情、金の心配、飲酒、ギャンブル、などなど。
自分の心は、決して安心はしていないのです。

・ 真に安心している時は、人は何も考え無いのです。

心が満ち足りて、無風状態に成れます。
ただ居るだけで良いのです。

・ 自分自身を安心させている時は、霊体では時間が止まっています。
霊体の時間が止まる時を持つ人ほど、肉体の老化は止まる、いつまでも若々しい、運が良い人、と成れます。

これは逆に言えば、
・ 自分自身を安心させていない人は、老化にも、肉体の故障にも注意です。

では、自分自身を安心させるには、どうすれば良いのでしょうか?
本当の自分とは、なかなか納得はしてくれません。

・ 先ずは、自分なりの真面目な生活をしていないと、人は安心はしません。

食べるだけの収入が無ければ、千個のキレイ事を聞かされても、余計に心配するだけです。
普通の生活が出来るように、自分なりの環境で家庭で生活努力を、「自分自身にして見せることで」、本当の自分は安心します。
他人を安心させるのでは無くて、本当の自分を安心させないと、良い運気には動きません。

忙しい時も、外出中も、仕事中も、自分の心中では、
(1)ひたむきな姿勢。
(2)他人に優しく、を心がける。
(3)謙虚な心で居ること。
(4)常に微笑(ほほえ)む人であること。



(広隆寺「宝冠弥勒」:ウィキペディアより)

このような微笑みのアルカイック・スマイル、顔の感情表現を抑えながらも、口元だけは微笑みの形を伴っている自分を意識することを参考にしてください。
ただし、上記の4つの心掛けが有ることが必須条件です。

幸運は、微笑む人に付いて来ます。
自分が微笑みを維持出来る生活努力をしたいものです。
アルカイック・スマイルが身に付いた人が増えるほどに、ミロクの世は近付くことでしょう。

今の自分は怒った顔をしていないか?
今日も注意して見ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2019/02/17(日) 13:01:18|
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コノ世は、未来を想定すれば、 ・ 想定とは違う世界になる。 ・ 逆に成りやすい。 このような屈折した鏡の構造が在ると感じています。 社会でゼロから成功した経営者には、 ・ 明るく、悲観している人が意外に多い。

コノ世は、未来を想定すれば、
・ 想定とは違う世界になる。
・ 逆に成りやすい。

このような屈折した鏡の構造が在ると感じています。
社会でゼロから成功した経営者には、
・ 明るく、悲観している人が意外に多い。


要は、危機管理能力が高いのです。「ぼーっ」とは、していないのです。
生まれた時から裕福な3代目が失敗する要因には、この「明るく前向きに、でも悲観すること」が無いわけです。
ワナに落ちやすいです。

宗祖・親鸞(しんらん)さんにしても、天災が相次ぐ時代の悲観の中から、大きな慈悲に目覚められたと言えます。
明るく心配して見ること。
こういう視点も参考に成れば幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2019/02/15(金) 13:15:12|
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悪い生活習慣を「自分で」止めることが必須条件です。

「分かっているのに止められない」から卒業すること
2019-02-11 11:59:34 | Weblog
・ 分かっているのに止められない。

こういうサガが人に有ります。
過度の酒、過度なタバコ、ギャンブル、借金、不倫、過度なゲーム、過度にさぼる、・・・・その度が過ぎますと、自分がダメに成ると分かっていましても、止めることが出来ない人がいます。

なぜでしょうか?

肉体意識>精神意識
肉体>霊体

こういうタイプの人に、上記のような「分かっちゃいるけど止められない」が起こります。
このような状態の人は、
・ 希望を叶える力が弱い
・ 運が悪い

という状態にも成ります。
その理由は、肉体のサガ(欲望)が、霊体を上回るために、「思いの力」が自我(ワレよしの気持ち)により抑えられてしまうからです。

では、どうすれば良いのでしょうか?
肉体のサガが優位な状態の人は、
・ 行動と習慣を変えること。

これが無理ならば、
・ 悪い行動を、物理的に、強制的に、止めること。

肉体>精神の状態では、思いの次元の作用では効きません。
肉体次元に対しては、肉体的な対応、習慣の改善が不可欠です。
これ無しにして、思いの力だけで改善を望むのもワレよしの思いです。自我が優先した思考です。
我慢することも嫌がる、本当にダメな人に成っているということです。

自分が本当に変わりたければ、
先ず、肉体次元の改善からです。
これなしで、精神次元の成長に入ることは不可能です。


・ 規則正しい生活。バランス良い食事。無理なく歩く運動。無理なく出来るストレッチ。
・ 自分の仕事を頑張ること。

近代インドの最高の聖者だと言えますラマナ・マハルシにしても、無職は無職でも、大変に厳しい食生活と、節制した命懸けの生活をしていました。
こういう肉体次元の節制をしないで、精神次元(思いを実現させる源泉)の成長は起こり得ません。

仕事に専心しないで、ギャンブルや乱れた食生活、性欲の思いを飛ばしながら、不倫しながら、
・ 止めたいのに、止められない。
のは当たり前です。もう、頭バーン!です。
肉体意識がすべてを支配した状態の人です。

自分で節制しないならば、ギャンブルや不倫を止めないならば、自我の欲望からの行動優先の肉体意識の人間のままで、今生を老いて行きます。
肉体意識の我良しからの人間の祈りなどは、見えない世界の次元へは発信も出来ない状態です。
精神意識に変えるという基本設定の見直し、生活習慣の変更が必須です。

また、肉体意識で生きる人は、老けるのも早いです。
特に女性は、42歳を過ぎれば、そういう肉体意識の人は顕著に老けます。

この逆に、精神意識、霊体が肉体よりも優位な人は、老け難い現象が起こります。
こういう人は、思いの力も強く、神縁も出来やすい導きが起こります。

肉体次元が優位な人には、生活における正しい行為が大切です。
憑依による霊障で、
・ 酒、タバコ、ギャンブル、借金、浮気、ゲーム、さぼる、・・・・。
という事例も確かに有るのですが、それは全体の10%だと私のこれまでの経験で言えます。
本当に霊障が原因の場合は、「ヨリシロ霊位」の先祖供養を始めて1ヶ月もせずに、以前との違いを「あれっ?あれえ?」と感じられ出す人も居ます。

全体の90%は、本人の自我(ワレよしの思い)が原因であり、自分の肉体がした選択行動です。
これは自分で、自分の肉体意識を調教するしかないです。ピシピシ。パチン、パチン。

ヨリシロ霊位の先祖供養で、「先祖のために」感謝と線香を3本捧げる行為も、肉体意識の生活の中での良い習慣です。
でも、自分のための、自分の行動を変えたいがための、自分の借金のための、という目的のためにする先祖供養は先祖に通じません。

自分の自我(ワレよし・欲心)のための供養では、先祖には通じません。
でも、その先祖供養が欲心からの肉体次元の習慣であったとしても、これが継続すれば、「このままでは破滅する」というサインには気付けやすく成ります。
これにも、気付けない人が多いです。そういう人は、先祖供養の行為も出来ない人です。

「このままではダメ」と思えるだけでも、先祖からの恩寵(おんちょう:プレゼント)です。
気付けたならば、肉体行動を変えましょう。
悪い生活習慣を「自分で」止めることが必須条件です。
これが出来てこそ、動物と人間を分ける精神の次元の違いです。

これから始まる「3:6:1」の比率に、すべてが分離して行く現象(「天津日継神示:アマツ・ヒツグ・シンジ」)において、

肉体意識<精神意識
肉体<霊体

こういう人が、ますます自分の「思い通りに成る」世界が到来し始めます。

貧乏も富裕も、関係なくなって行きます。
物質世界を超えた、嬉々とした世界が来ます。
肉体優先の行為から、まず冷静に成りましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2019/02/11(月) 15:36:34|
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1つの部分が上手く脱げて「脱落」するごとに、そこで落ち着きます。 今は、そこでちょうど良いわけです。 でも、また次の部分が脱落するための、より進化するための苦しみが始まることでしょう。 これを繰り返した最後に、「心身が脱落する」という新しい心境に至ることを、古今東西の覚者が示唆しています。 今が苦しいことは、ムダでは無くて、より良く成るための苦しみです。 嬉々として、前向きに生きたいものです。

苦境であることが悪いことではありません。
2019-02-10 11:31:57 | Weblog
・ すべては、成るように成る。
・ それが、自分にちょうど良い。

でも自分にとって、ちょうど良いはずならば、なぜ今の自分は苦しいのか?
その答えは、
・ 自分の最善に成るように、ちょうど良く成るための苦しさ。
・ 成るように成るための、軌道修正での苦しさである。

だから、今が苦しい人は、
・ とにかく現状での努力をして見ること。
・ その中で思い付くことを、順番に挑戦して見ること。
・ 動いていれば、ちょうど良いように心の角が取れて行く。
・ 成るように成って行く。

だから今が苦境ならば、苦境であることが悪いことではありません。
むしろ、悪い過去の昇華の機会であり、
より良く成るための、産みの苦しみです。

サナギから蝶に成るための脱皮の苦しみを、
嫌でムダな苦しみだと思っては生けません。
自分が脱皮するための必要な苦しみを、止めようとして必死にもがいているのが人間かも知れません。

せっかく空を自由に飛ぶ蝶に成るための苦しみをしているのに、
これを悪い苦しみだと思い込んで今を悲観しているのが人間です。
それでも、今が苦しい。

それは今、ちょうど腕の部分が脱皮に成功する途中かも知れません。
次は、足が脱げるかもです。
楽しみにして頑張りたいものです。

1つの部分が上手く脱げて「脱落」するごとに、そこで落ち着きます。
今は、そこでちょうど良いわけです。
でも、また次の部分が脱落するための、より進化するための苦しみが始まることでしょう。


これを繰り返した最後に、「心身が脱落する」という新しい心境に至ることを、古今東西の覚者が示唆しています。
今が苦しいことは、ムダでは無くて、より良く成るための苦しみです。
嬉々として、前向きに生きたいものです。


(伊勢白山道)
  1. 2019/02/10(日) 12:55:22|
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愛情を発散するために生まれている。

愛情の機関車・アホ号は天国に行くのは確かです
2019-02-09 11:35:51 | Weblog
人間は、成功するために生まれたのでは無い。
人は、何かを持つために、コノ世に生まれたのでは無い。
愛情を発散するために生まれている。


このように感じます。
でも、コノ世で何かを得るために、持つために、愛情にフタをして行く人が多いです。
愛情を「出す」という能力が、退化して行く人が多いです。
愛情を出すことを忘れています。
愛情では無くて、妬みや、怒り、後悔を発散しながら、人生を終えて行く人が多いかも知れません。

愛情を発散するため、という発電機の機能が、人間の本来の機能であるとは思えないことでしょう。
でも、生まれる前の「愛情をいっぱい発散してきます!」という約束を、誰もが忘れているだけです。
死んだ後に、また思い出します。

コノ世の成果や結果に生きようとはせずに、
誠実に生きようとする「過程」「成り行き」「途中のing状態」にこそ、魂の目的が在る。
形に出来ない、説明が出来ない、目に見えない、「過程」という状態に最大の注目をして欲しいのです。

・「過程=ing状態」を大切にした者が、コノ世の秘密のカギが開けられる。自由自在に成る。
自分の思いが実現しやすく成る。


・ 結果や成果や「形」のために生きた者は、どんどん魂が縮小する。小さい人間に成る。
思いを実現させる力が退化する。


・ 愛情の大きさは、霊力も比例して大きく成る。
・ 愛情力を持つことは、神様に繋がりやすく成れる。

このように感じています。
生きる過程を大切にして、愛情を発散させて行くことが、自分自身を変え、周囲の人にも良い影響を与えます。


自分の人生を変えたければ、愛情深いアホとは何か? を追求することです。
自分の家族にも、愛情が伝わらないかも知れません。
自分から出した愛情が、拒絶されるかも知れません。
でも後年に、そういう愛情深いアホが過去に居たことを、思い出す人が多いです。

愛情を出すことに意味があります。一方通行で良いです。
自分が出した他人への愛情は、意味を成せ無くても良いのです。
自分が「他人のために」出した愛情は、違う形で天が自分自身へと帰してくれます。

誰もが、自分自身との勝負をし、自分自身を育てている最中が今です。
他人へ出した愛情が、自分を大きく育てます。

愛情を出す発電機に成れた人は、アノ世では良い世界に居ます。
自分が、愛情の燃焼機関と成って見ましょう。
  1. 2019/02/09(土) 19:18:15|
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これから防犯意識は大切なのですが、防御はしながらも、心は開いていることが大切です。

自分の心を開くこと=天岩戸(あまのいわと)開き
2019-02-05 11:36:09 | Weblog
「インド独立の父」と呼ばれます指導者、マハトマ・ガンディー(1869年10月2日 - 1948年1月30日)の言葉に、
・ 握り拳(コブシ)と握手はできない。
というものが有ります。

これは相手が、強硬な握り拳のままの方針では、自分から握手をしたくても出来ないことを意味します。
これとは逆に、現代人には、自分自身が握り拳のままであるのに、相手が握手をしてくれないと悲観している人が多い気がします。

お互いに握手をする時は、先ず自分から、手を広げないとダメです。
自分の手が閉じたたままで、心が頑(かたく)ななまま、相手が何かをしてくれるのを待つのでは、自分の人生は何も変わりません。

幸運や金運も、「自分だけ」という「閉じた」心では、見放されるばかりです。
・ 自分から心を開くこと。
・ 自分が心を開いていれば、集まるものが有る。
これが、あらゆる事に影響することを感じます。


これから防犯意識は大切なのですが、防御はしながらも、心は開いていることが大切です。
閉じた心は、動きも鈍く固まって行きます。
開いた心は、いざという場合は、動きも早い。機転が利きます。

対人関係でも悩む人が多いのですが、心中で自分の心に向かって、
・ 心を開こう
と思って他人と会うことは大切です。

憑依につきましても、開いた心では憑かれやすいのでは?
と心配する人が居るかも知れません。
でも霊的には逆で、閉じた硬い心ほど、憑依は簡単に入り、コントロールがされやすく成ります。
縛られた心ほど、洗脳も深くされやすく成ります。

憑依をしたい霊が一番に嫌がる人、取り憑くことが出来ない人とは、
・「思いやりの愛情」が強い人です。
・ 心が気楽に開いている人です。


これを逆に言えば、憑依をされやすい人ほど、
・ 心が硬く閉じている。
・ 思いやりも、愛情を出す余裕も無い人。
・ 心配事に、いつも心が奪われている人。
と成って行きます。

こうなりますと、運転中でも道路に居る地縛霊に憑依されて、目も耳もフタをされて錯覚が起こり、事故をするものです。車間距離を誤ります。

心を開いて、明るい心で、思いやりの愛情を意識する人は、幸運も金運も仕事も変わって行きます。
「開けゴマ」ではないが、「開け心よ」!
拳を開いて、開いた手の平で幸運をすくって行きましょう。


神話では、天照太御神が絶望して洞窟に引きこもった事件が有りました。
しかし、外から聞こえる笑い声によって、自ら暗い岩戸から外に出て来ました。
・ 自分の心を開くこと=天岩戸開き
これが、これから非常に大切なことに感じます。
自分の心を開いて行きましょう。
  1. 2019/02/05(火) 13:40:34|
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・ 自分の良心に忠実な人は、他人から尊重される立場に自然と成って行く。 ・ 自分の良心に従うことを意識する人は、幸運を呼ぶ。 ・ 自分の良心に反しない生き方は、金運も、幸福も得る。 本当に大切なモノを与えてくれるのは、他人や、他所に居る見えない霊的な存在では無くて、 ・ 自分の心の中に居る良心(内在神)だった。 ということが答えです。

これも道徳の授業かな
2019-01-30 11:47:11 | Weblog
有名な物理学者・アインシュタインの発言とされる言葉に、

・「自分自身に対して誠実でない人間は、
他人から尊重される資格はない」

というものがあります。
「これぐらい良いさ」「あの人もしているから」「仕方がないもん」
と心中で思いながら、自分の良心を裏切りながら、エチケットに反することを人はしているかも知れません。

他人を持ち出しては、自分自身を納得させているかも知れません。
でも、本当の自分は、冷静に見ており、すべてを知っています。
この「本当の自分」が、幸運も、運勢も、金運も、健康も、すべてを采配しています。
「本当の自分」=内在神です。

人は他人ばかり見て、他人からの評価を気にしますが、これでは自分の人生が日の目を見ることは難しいです。
・ 一番に気にするべき相手は、自分の良心(内在神)だった。
ということです。

だから上記の言葉を言い換えますと、
・ 自分の良心に忠実な人は、他人から尊重される立場に自然と成って行く。
・ 自分の良心に従うことを意識する人は、幸運を呼ぶ。
・ 自分の良心に反しない生き方は、金運も、幸福も得る。


本当に大切なモノを与えてくれるのは、他人や、他所に居る見えない霊的な存在では無くて、
・ 自分の心の中に居る良心(内在神)だった。
ということが答えです。


誰もが、日々の生活の中で、自分の良心と対話しています。
あまりに自分自身に身近すぎて、自分だと思い込んでいる相手が、内在神だったのです。
その本当の自分が、金運も、幸運も、健康も、寿命も、すべてを決めている相手だとは、まさか誰も気付いていません。


本当の自分を納得させる人ほど、その人生は自由自在に成って行きます。
でも、本当の自分は中々、納得はしてくれません。
自分なりの精一杯の努力もして見せないと、プレゼントをくれません。


・ 自分の良心(内在神)に目覚めよ。

ということが、人が生まれる目的であり、悟りでもあります。

今の自分の環境が地獄的だとしても、救われる道があります。
その中でも、自分の良心を少しでも発揮すれば良いだけなのです。
この繰り返しが、自分自身を救って行きます。
環境が自然と変わって行きます。運命が変わります。


釈尊の発言、
・ 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん:宇宙には自分一人だけが、存在している)

これの意味は、
真実は誰もが、自分自身と自分の良心だけが、コノ世の実在である。

でも今日も、見える他人を見ては、幻想を見て喜怒哀楽を繰り返すものです。
もう、そろそろ、自分の良心(内在神)を自覚する人々が増え出します。
自分の中に、良心という人格(内在神)を意識する練習は、死ぬ時に大いに役立ちます。
自分の死後に面会することに誰もが成るからです。

内在神に会えば、知らない相手だが、なぜか良く知っている。
いつも一緒に居た相手だと、自然と思い出します。
そして一緒に、今生の人生の旅を、早送りの映像と共に並んで見て鑑賞することに成ります。
この時に、色々な、自分が気付けなかった真相を、映像付きで見ることに成ります。

今日も、自分の良心と一緒に生活します。
嫌でも、コノ世では離れることは出来ません。
自分が死んでから、離れます。

その時に、堂々と自分の人生映画を復習することが出来る自分で居ましょう。
生きる間は、どんな嫌な経験も、悪事も、自分なりの善行で上書き修正をすることが可能です。
死後の自分の人生の映画鑑賞で、自分の善行を見て自分自身が癒やされます。助けられます。
誰でも、これから自分の良心に従って生きれば、大丈夫に成ります。必ずです。

(伊勢白山道)
  1. 2019/01/30(水) 13:04:26|
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自分の自我(生霊)が、自分の希望や期待を先に知りますと、邪魔をします。足を引きます。 自分の自我に、察知させては生けません。 何度も結果の先を思うことで、自我が察知してしまいます。 だから自分の希望も隠して思わないほうが、希望に向かって現実は進みやすく成ります。 つまり、努力をしながら、後は考えずに、お任せの姿勢で生きることなのです。

無思考は最強です
2019-01-26 11:37:37 | Weblog
自分の願いや希望が一番に叶(かな)いやすい秘訣は、
・ やるべきことはやりながら、考えないこと。
これが最善に感じます。


人は、自分の希望や願いが有りましても、まず、叶わないものです。
それはナゼか?

・ やるべきことをする前から、結果を考えるから。
・ そして、そのための努力もせずに、何もしないまま時が過ぎる。
・ このような過程を、自分の夢が叶わない、運が無い、と他の責任にしているだけです。

希望が叶わない原因は、動いていない、努力をしていない。
動く前から、想像だけで疲れて終わっているからです。

いや、努力もしたし、それに対する行動もした。でも、叶わない。
こういう場合は、何が問題か?
・ そのことについて、叶った後について、その先を考え過ぎたから。
・ 他人と比較して、他人を見過ぎたから。自分のオリジナルが無かった。
だから叶わないのです。


このように書きますと、「そんなバカな!」と思うことでしょう。
でも宇宙に流れる法則は、その人間の自我(ワレよしの思い)が強いほど、
・ 逆の結果に成りやすい。
・ 逆向きに流れやすく成る。


だから、これを避ける意味で、
・「努力はするが、考えない」
という姿勢で居ることが、「逆向きの法則」から逃れやすく成れます。


霊的な視点でも、生霊(いきりょう)の意味で、自分を邪魔するのは自分自身の自我なのです。
今までの人生(過去生も含めた)で創られた「自分の行動や思考」が因果と成り、自我(ワレよしの思い)として自分の深層意識に存在します。

この自分の自我(生霊)が、自分の希望や期待を先に知りますと、邪魔をします。足を引きます。
自分の自我に、察知させては生けません。
何度も結果の先を思うことで、自我が察知してしまいます。


だから自分の希望も隠して思わないほうが、希望に向かって現実は進みやすく成ります。
その証拠に、社会で成功した人のインタビューで多いことは、
・ 思いもしなかった。
・ なぜか、こう成った。
・ 気が付けば成功していた。

この姿勢は、
・ 宇宙の逆向きの法則から外れた。
・ 自分の自我の「妨害」から逃れた。
と言えます。

老子も、以上のことを示唆しており、
・ 無為自然(むいしぜん)が最良である姿勢。
・ すべては逆に成る。
と何度も老子道徳経の中で述べています。

無為自然とは、
・ 作為がなく、自然のままであること。
・ あるがままに生きること。
・ 無意識に自然に生きること。(カンナガラ:表面意識も内在神と合一の状態)

つまり、努力をしながら、後は考えずに、お任せの姿勢で生きることなのです。
努力もせずに、「無為自然なのだ〜」ではただの怠け者でダメです。

するべきことはして、
努力と行動をしながら、
何も考えずに、
自然な流れで生きることを参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2019/01/26(土) 13:44:15|
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「抜群無益」(ばつぐん むえき) という言葉が有ります。 この言葉から感じますことは、 ・ 集団から離れて逃げても、何の成長も利益も無い。 ・ 嫌な群れの中に居てこそ、得るものが多い。 このように浮かびます。 自分が住む環境の中で、良い知恵が浮かびやすく成る方法は、 ・ そこから逃げたい一心ではダメ。これでは、そのままが継続します。 ・ その中でも、天国にする努力こそが、思わぬ「新しい縁」や知恵を呼んで来る。 こういう視点も参考にして頂ければ幸いです。


「在群有益」(ざいぐん ゆうえき)
2019-01-22 11:27:54 | Weblog
日本の禅の大本山の1つである永平寺(平泉寺白山神社とも縁が深い)を開いた道元禅師(どうげんぜんじ)の言葉に、

「抜群無益」(ばつぐん むえき)

という言葉が有ります。
この言葉から感じますことは、
・ 集団から離れて逃げても、何の成長も利益も無い。
・ 嫌な群れの中に居てこそ、得るものが多い。
このように浮かびます。


ここで思い出しますことは、禅の悟りにいたる道筋を牛を題材にした十枚の絵で表した十牛図(じゅうぎゅうず)のことです。

真の悟りに至る修行は、町に、社会に、嫌な会社や家庭、他人との関係性の中に居てこそ在ると指摘します。
これは禅の十牛図の最後の十段目の「悟った後の姿」として、絵に残されています。


(入鄽垂手・にってんすいしゅ)

真に悟った人は、世俗社会に帰り、他人との接触を楽しみます。
相手が子供でも、誠実に向き合います。
決して、山に引きこもることはしません。

商売で成功して裕福に成れるのも、多くの人々が住む社会の中に居てこそ可能です。
会社に勤めて給与が得られるのも、嫌な上司や同僚の中でも頑張るからこそ得られるわけです。

でも私達は普段の生活の中で、
・ 一人に成りたい。
・ もう、辞めたい。
という思いを、色々な場面で心に刻んでいます。

しかし、こういう思いこそが、「抜群無益」なのです。
・ 利益を生まない。
・ 貧乏になる思考。
これを人は、普段に思っています。
これでは、金運も逃げます。

だから逆に言えば、金運を呼ぶ思考は、
・ 嫌な人が多い会社ならば、その中に嬉々と居座ってやろう。
・ 家族から離れて一人に成りたいと思えば、逆に家庭に戻ろう。

こういう思考が逆に、幸運を呼ぶ縁に、方法に、方向性に気付きやすく成れます。
社会で成功している人の最初の始まりは、些細なヒラメキから始まっているだけです。
アイデアに「気付く」だけなのです。

自分が住む環境の中で、良い知恵が浮かびやすく成る方法は、
・ そこから逃げたい一心ではダメ。これでは、そのままが継続します。
・ その中でも、天国にする努力こそが、思わぬ「新しい縁」や知恵を呼んで来る。
こういう視点も参考にして頂ければ幸いです。

「抜群無益」(ばつぐん むえき)
・ 集団から離れて逃げても、何の成長も利益も無い。
・ 嫌な群れの中に居てこそ、得るものが多い。

つまり、
「在群有益」(ざいぐん ゆうえき)
私も、多くの読者の中で暮らしています。
その御蔭で、心は嬉々とした常若(とこわか)、常に若く居られます。

(伊勢白山道)
  1. 2019/01/22(火) 13:17:16|
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