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集団ストーカーと電磁波攻撃Ⅱ【自分用のデータ保存】

こちらのサイトはあくまで私的なものです。 自分用のデータ保存のためのブログです。

殺されかかってます。

殺されかかってます。

もし、ここでの書き込みがなくなったときは
殺されたと思ってください。

隣の人間がテクノロジーの機器を操作しています。
警察の方は、きちんと調べてください。

急所を狙って夜中に何度も打ち込んできています。

私は、何度も戸塚警察に助けを求めに行ったはずです。
自宅マンションにも何度も呼んでいるではありませんか。

きちんと調べなかった警察の怠慢です。

2013年2月13日

しばらくこの記事はトップに置いておきます。


いつまでも少年の心を忘れずにいたい

・火事も起こそうと狙ってますね。
・無理な言いがかり・因縁付け(2014/11より虚偽の電話を警察にしている 部屋で暴れていると嘘の電話 毎日警察官が来る 多い日は1日に朝、晩2回 3ケ月続く)⇒被害届⇒逮捕させるという流れ
・瞼の裏に腫瘍を作る電磁波照射
・目への電磁波照射 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
・左の頭への電磁波照射⇒右半身不随 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
  1. 2020/02/13(木) 22:18:03|
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沈黙がもたらす恩恵は大きい
2018-09-18 11:59:13 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
雪山に住む神霊が問い掛けます。

「釈尊という者は、仏陀(ぶっだ:目覚めた人、完成者)の条件である沈黙の聖者と言える行動と、話す行為を完成させているようだ。

バラモン(最高の司祭者・祭主)にふさわしい叡智と修行を完成させた、真理の体現者として釈尊を認定するのか?」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.163A・B)


七岳山(しちがくさん)の神霊が、雪山の神霊に対して答えました。

「まさに、そうだ。

あの釈尊という沈黙の聖者は、沈黙の聖者と言える行動と、話す行為を完成させている。

バラモンにふさわしい叡智と修行を完成させている。

さあ、真理の体現者として仏陀たる釈尊に会いに行きましょう」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.164)

(感想)

この項の学びは、「沈黙」ということが、非常に重要であることを示しています。
人間は、沈黙が苦手である、更には沈黙が出来ない人が大半である。
これが言えることを感じます。

沈黙とは、口で話さないことだけでは無いのです。
心の中でも、沈黙を守ることが大切なのです。
大半の人間は、口では沈黙するほど、心の中では罵詈雑言、叫んでいる人も多いと思います。

真の沈黙は、口を慎むことにプラスして、心の中も沈黙していることなのです。
悟り=口も、心も、完全に沈黙した静寂の状態
このようにも言えます。

心身が病み出すほど、心は沈黙が出来ません。
独り言の多発は、心の制御が破れている状態を示し、爆発する兆候でもあります。
自分でも独り言が出ていることに気付ければ、休んだほうが良いというサインだと思いましょう。

誰もが口では黙っていましても、心の独り言と、心中でのお喋りが止まっていません。
・ 心の中のお喋りを止めて、心を沈黙させる試みをすること。
これに今日から挑戦することを参考にしてください。
心の中のお喋りが止まる恩恵には、凄いものが有ります。

・ まず、心の漏電が止まります。

多くの人が、自分の希望が叶い難いのは、心の中のお喋りにより漏電しているからです。
意志力のエネルギーが、心中のお喋りにより漏れ出ています。
これを止めれば、物事を実現させる心のエネルギーが蓄電を始めます。
これには「心の沈黙」が必須条件です。

・ 心が沈黙しますと、見るモノの正体が分かり始めます。観え始めます。

心のお喋りが継続している人は、非常に迷いやすい、ダマサれやすい、不運な方向を自分で選択しやすく成るのです。

自分の心が沈黙しますと、見る対象(人物・会社・商品・投資・何でも)が馬脚を現す(ばきゃくをあらわす:隠していた本性や悪事がばれることのたとえ)
のが観え始めます。

私の経験では、心中でお喋りをしている人を観ますと、その人の未来は非常に心配であり、右往左往、コロコロと変わってしまうこと(転職・離婚・引っ越しなどなど)を繰り返すことを感じます。

こういう人にアドヴァイスをしましても、後から本人に感謝されないことも分かっています。
自ら、悪い方向に行ってしまうからです。
心中でお喋りが止まらない人は、何でも他人の責任にして、逃避する人でもあります。

ところが、心中のお喋りが少ない人は、その人が今に思っている計画や思いを後押ししてあげることで、ほぼその通りに進みます。
・ 心中のお喋りを止める練習=幸運度が上がる結果を呼びます。

この項では、神霊が完成した人間に要求していることが、沈黙の聖者と言える「行動」と、沈黙にふさわしい「話す行為」の実現でした。
他人の陰口・悪口を言って、心中で思って、気分を発散させているようでは、まだまだ不運が憑いて回るということです。
心中の沈黙に挑戦することを思って頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/09/18(火) 12:53:24|
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創造力を保有し始めるには
2018-09-15 11:24:51 | Weblog
昨日の記事「今の相手だけを見る大切さ」におきまして、
・ 相手の、いつの時代を見ているのか?
・ 今の相手を正しく見ているのか?
という命題(めいだい:文章が主張する重要な意味内容)がありました。

では、私達は、
「自分自身のいつの時代を見ながら、生きているのか?」
これも人により、様々であり、その人の人生に影響を与えている重要な視点なのです。

* 過去の苦しかった時の、自分から抜け出せない人。
その時の関係する人物を、今でも恨みながら、見続けながら生きている人。

* 過去の幸せだった時の自分を見ながら、それを頼りに生きている人。
今よりも、過去の中に住んでいる人。

* 若者ならば、ただ未来を夢想しながら、今の状態を抜け出すように生きているかも知れません。

とにかく言えますことは、
・ 今の中に生きている人は少ない。
・ 今は、ただ時間が経過するのを待っている、見ている人が多い。
・ 早く終われ、と思っている人も居ます。

人類は、今という瞬間の中に生きることが出来ずに、
・ 過去の時代に住もうとする癖を持つか、
・ 今という瞬間を惰性で生きながら、その素晴らしさを見ようとはしない・出来ない。

でも、答えは今のここに在ります。
今のここに住み切った人から、自由に成れる秘密がコノ世に在ります。
過去の聖者たちが、誰もが経験した過程に、
・ 今の瞬間しか実在では無かった。
・ 今の瞬間以外は、自我が創造した「前」・「後」という時間の観念であり、これは幻想。
・ 時間は無かった、存在しない。(アインシュタインもこれを物理学から主張した)

以上は難しく思われることでしょう。
それでも、だって、という疑問が湧いて来るものです。

では、今という瞬間しか無いことが分かれば、何か良いことが有るのか? 金でも儲けられるのか?
と思う人もいます。
その答えは、それが無きにしもあらず、なのです。

その理由は、今という瞬間に生き始めた人間が思う意志力は、コノ世で非常に透き通るように貫徹しやすい力を持ち始めます。
自分が思う力が、創造力を持ち始めます。
「こうなれば良いな」、と自分が思ったことが、願わなくても叶い始めます。

過去の時間に住む人は、いくら祈願しようが、思うことも、何も実現力が持てないのです。
終わった過去に、自分の意識が住むからです。
今の自分も、停止をすることに成るのです。
これでは生けません。

・ 自分の今の現状を、逃げずに正しく見ましょう。
・ 過去も未来も頼りに生きずに、今日も今のこの瞬間・瞬間を生きてやろうと思うことです。
・ 今のこの瞬間に生き切ることが出来れば、時間が止まり、心身の若返り現象も起こることです。

過去に生きる人は、老けるのも早まります。心身の弱体化も起こります。
まして、済んだ過去を恨みながら、気にしながら生きることは、これを加速させます。
この理由は、済んだ過去には、魂の原子炉がもう無いからです。

魂の原子炉は、常に今の瞬間に燃え続けています。
今の重要性に気付くことを繰り返すことは、原子炉にさらに燃料を注入します。
芸術は爆発だ〜〜!と叫んだ芸術家がおられましたが、
生きる誰もが今のこの瞬間に、生命の輝きの爆発を繰り返しています。

これに気付くことが、自分の創造力をもたらします。
自分が思うことが叶い始める、これを体験する人がこれから増えます。

(伊勢白山道)
  1. 2018/09/15(土) 18:59:38|
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真理を深く理解した者は、悪徳な利益は続かないから、そういう機会から更に離れて捨てに捨てて行きます。


個人の道徳観の有無が、その未来の色々な富裕さを決める
2018-08-29 11:43:05 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第四十八章『行為は思考に勝る』

「老子の人生論」第四十八章

人は、学問を身に付けるほど、利益を生む機会が増えて行くものだ。

でも、真理を身に付ける人は、真理が身に深く浸透して行くほど、あれもこれもという利益の機会を逆に捨てて行き、絞ることが出来ます。

そして真理を深く理解した者は、悪徳な利益は続かないから、そういう機会から更に離れて捨てに捨てて行きます。

その結果は、学問を苦労して身に付けた者よりも、真理の心境を身に付けた者は、莫大な成功を働かないでも得られる立場まで行き着きます。

だから社会を正しく収める者こそは、何かを成し遂げようとしては逆に収まりません。
利益を追求しても、その利益はたかがしれているのです。しかも安定して継続しません。
だから善徳という真理を身に付けた者で無ければ、社会は収まりません。

(感想)

この章を読みましても、老子が軟弱なただの理想主義者では無いことが良く分かります。
恐ろしいほどの様々の競争の現実を見て来た御方であることが分かります。

今の社会では、色々な資格が有るものです。
勉強すればするほど、高給がとれる資格(医師・弁護士など)から、公務員の資格まで、個人で幾つもの資格を持つことが可能です。

でも、その人が中年に成った時に、社会的に裕福に成功しているのでしょうか?
現実は、そうでは無いことが大半です。
勉強だけが得意な冷たい変わり者ならば、たくさんの資格を持っていましても、それを収入に結び付けることは出来ません。

対人的な、話術、交渉力、安心感を他人に与える人柄、他人との協調性。
こういう面も無ければ、勤務も、起業も、出来ないのが社会です。
資格だけで無理に経営者に成っても、継続した収益を上げるのは未知であり、無理なのです。

個人の人生を決めるのは、最後には個人の善徳貯金の有無と、この章で老子は「真理を身に付けること」だと断言しています。
勉強に勉強を重ねた者よりも、真理を身に付けた勉強の出来ないアホのほうが、莫大な成功を社会で収めている可能性を指摘しています。

・「真理を深く理解した者は、悪徳な利益は続かないから、そういう機会から更に離れて捨てに捨てて行きます。」

この部分を読みましてもピンと来ない人が多いかも知れません。
例では、魚屋をしている家の長男の子供が、勉強が非常に良く出来たとします。
有名大学まで行き、様々な就職先も多数有って、選び放題だったとします。

その一方で次男は、勉強がまったく出来ないが、祖父母を大切にして家業もよく手伝い、いつも笑顔でした。
次男は、中卒と同時に「まったく迷いが無く」、家業の魚屋という商売の道に入ります。
自分に出来ない勉強の道はあっさり捨てて、家業1本に猛進した訳です。

さて、この兄弟の50年後の生活はどうなっているのでしょうか?
魚屋が大企業に成っているかも知れません。
兄には、成りたい職業を選ぶことが多数可能でしたが、その50年後は?

こういう事例を読んだ上で、再度、最初の柔訳を読んでください。
老子が言わんとすることが、何となく分かることでしょう。
個人の人生でも、その成功の有無は善徳量と、真理(心の良心の世界の法則)への理解だという視点を参考にしてください。

その上で、社会の上に立つ人は、更にその御方の善徳と真理に沿った生活の有無で、なぜか社会全体が決まって行く不思議を老子は指摘しています。
色々な権力者たちの興亡(こうぼう:栄えることと滅ぶこと)を見た上での結論なのでしょう。

勉強も大切だが、道徳の時間はもっと大切だったという、今の社会の子供たちへのメッセージと言えそうです。
学校の道徳の時間の勉強態度は、その子の50年後の姿を予言することでしょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/08/29(水) 19:28:30|
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集団で神様の記憶データを創って納めている最中
2018-08-27 10:45:32 | Weblog
知人との会話で、

・ 同居をする知人の親は、生まれ故郷を離れて長年暮らしてきました。
・ 故郷の墓参りをしたいと、何度もお願いをするように言われるそうです。
・ 親は、100歳に近い年齢であり、車椅子での移動がやっとの状態。

・ 知人は、知り合い2名に日当を支払い、運転手とサポートをして頂きながら親を含めて4名で、2泊3日の旅行のような墓参を行いました。
宿泊代も含めて、かなりの費用が掛かった墓参になりました。

・ ところが無事に帰宅した1ヶ月後、親は故郷の墓参りをしたいと、また繰り返し言うようになりました。
・ 墓参りをして来た記憶を、もう忘れてしまっていたのです。
・ せっかく大金を使って墓参りをした知人は、あ然としました。

知人は、これでは何度墓参りをしてもムダだと笑っていました。
人間の記憶とは、いったい何なのでしょうか?

私達も、あれが欲しい、あれに乗って見たい、あの国へ行って見たい、こんなものが食べたい、と色々な欲求が有るものです。
でも、実は自分が忘れているだけで、先月に自分がそれを体験している可能性を否定できるのでしょうか?

自分の欲求を叶えましても、その記憶が無ければ、飢餓状態は継続する訳です。
例えば、1時間前に食べた記憶を無くした老人は、更に食事を欲しがる現実も有ります。

すべては記憶だけの問題だった。
では、脳が満足をすれば、実際の行動をしなくても、人は満ちたりてここに存在することが可能だと言えるのでしょうか?

ここで今回の墓参の記憶について考えますと、老女の記憶は無くても、周囲のサポートをした人々には、墓参旅行の記憶が残っています。
老女の代わりに記憶をしています。
老女の希望が始まりとなり、実現した墓参旅行の記憶は、周囲の人々だけに残る訳です。

ここでパソコンの話になりますが、
・ パソコンには「データ共有」という、1つのデータを複数の端末で利用すること。
・ 入力を行ったパソコン(老女の脳)にはデータを残さずに、別の場所に在る「データ共有」に記憶を残す。
こういうことが行われています。

このことを考えますと更には、
・ 私達人類は、集団で大きな1つの記憶(神様の脳)を作っている最中の可能性。
・ 私達が記憶とは一人ひとりのものだと思い込んでいるだけであり、実際には大きな1つの脳(神様の記憶)へと記憶が吸い上げられている可能性。

その結果、1つの大きな脳(神)の記憶において、善悪の配分の比率が「今回の人類は」どうなのか?
悪い記憶が多くなりそうな今なのか? 良い記憶が多くなりそうな今なのか?
今の私達に懸かっています。

多くの人が、過去の自分が経験した記憶で苦しんでいます。
そのために、今の貴重な時間を浪費しているかも知れません。
だから、神様の大きな脳へと、早く嫌な記憶だけをわたせば良いのです。
そして、良い記憶だけを抱えて生きれば良いです。

神様の善悪の記憶配分は、自分の死後に良い思い出の記憶をわたすことで、許されます。
自分の嫌な記憶データを、天に昇華させましょう。

記憶だけの問題だった。
でも良い記憶は、行動(=入力)を伴わないと残りませんから、今を頑張りましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/08/27(月) 12:58:15|
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「これは良い、これは悪い」という分別思考について
2018-08-01 10:50:25 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
七岳山の神霊に対して、雪山の神霊が問い掛けます。

「釈尊という者は、

・ すべての生き物に対して、本当に公平に慈悲深くいることが出来ている人なのだろうか?

・ これは良いとか、これは悪いとか、このような分別の判断から、完全に卒業が出来ることに成功した人間なのだろうか?」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.154)


七岳山(しちがくさん)の神霊が、雪山の神霊に対して答えました。

「釈尊は、

・ すべての生き物に対して、完全に公平に慈悲深くいることが出来ている人である。

・ これは良いとか、これは悪いとか、このような分別の判断から、完全に卒業した人です」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.155)

(感想)

二神の神霊が問答する内容を、逆の視点で分析して見ましょう。

・ 人間や動物たちや、すべての生き物を、真に公平に見ることが出来る人間は、まず居ない。

・ 神々は、どんな生き物も公平にしか見ない。
しかも、どんな生き物に対しても、慈悲深くしか見ない。

・ これは良いとか、これは悪いとか、このような分別の判断から、完全に卒業していることが、人間と神霊の違いである。

このように言い換えることも可能です。
考えて見ますと、普通の人間の行動原理とは、買い物にしても、対人関係、勤務する会社名、学歴名称、食べ物、好きな有名人、自分の好きな趣味、住んでいる場所、・・・・。

そのすべての根底に在りますのは、
・ これは良い、これは悪い、というような分別の判断を誰もが無意識にしている可能性。
これが確かに言えます。

神霊は、このような分別思考が有る内は、まだまだ転生する魂である。
釈尊は、このような分別を本当に卒業した人間なのだろうか?
と判断する重要なポイントに上げています。

もし今の自分の生活環境において、「これは良い、これは悪い」という思考を完全に取り去って生活してみますと、新しい視野が広がることでしょう。

・ 自分の容姿の優劣を気にする人ほど、実は、他人を容姿で分別したい人かも知れません。

・ 自分の収入が少ないことに劣等感を思っている人ほど、自分が大金を得れば態度が変わる人かも知れません。

赤ちゃんには、このような分別が一切なく、何かの違いを気にすることも無く、笑っているか、泣いているかです。

・ 人間であるとか、猫であるから、犬だから、という生命体への分別も、神霊には一切無い。
すべてが1つなる根源存在の分神である。

これにつきましては、動物好きな人は簡単に「私もそうなの!」と同意をするかも知れません。しかし、「慈悲」(じひ:情け心・愛情力)の視点では、その「深さ」が問題なのです。

神霊の視線では、すべての生物の外見が消え去って、「光のカタマリ」としか見えないから、生命体への区別が無いとも言える訳です。
動物好きな人は、ペットの外見のモフモフ感を好きと言っているレベルかも知れません。
光だけの生命体になっても、それを好んで本当に愛することが出来るのか?
これが問題に成ります。

要するに人間は、生命体にしても、自分の好みにしても、その「見かけだけ」「外側の輪郭だけ」「外側の皮膚だけ」で分別をしたり、公平に見ることが出来ると主張している可能性に注意してください。

その中身を愛しているのか?
これが神霊レベルに成りますと、これしか無い訳です。
二神の神霊が釈尊を審神(サニワ:判断すること)する問答が、まだまだ続きます。
神霊が見るポイントを順番に見て行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/08/01(水) 19:29:55|
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「自分の心は、他人を見ている時に何を思っているのか?」 これを見て行きましょう。


嫌な自分は消えて行くから大丈夫です
2018-07-16 11:19:40 | Weblog
誰もが、今の自分という者を分かっていないものです。
他人への評価をすることが出来たとしても、
自分自身を正確に評価できる人はいないものです。

自分自身を見ずに、他人ばかり人は見ています。
自分とは何者か?
私とは誰か?

これが分かった時が、悟りです。
でも、そう言われても分からないものです。
「私は誰か?」

これの答えは、
「そのような自分は、本当は居なかった」
これが真相です。

ここに居ると思い込んで来た自分とは、今までの人生を歩んで来た自分とは、
あんな辛い経験をした自分とは、あんな楽しかった自分とは、
自分、自分が、私の、私・・・・私。

宇宙からの視点での真実は、大きな大きな1つが存在するだけであり、「この私」はその表面の流れて行く模様の1つだったのです。
流れて消えて行く模様を私だと思い込んで、他人と喧嘩したり、他人の中で競り勝ち、悲しんだり、ひがんだり、を一生懸命にしていたのです。

どんなに嫌いな相手も、流れて消えて行く模様です。自分と同じ大きな1つの中の模様だったのです。
模様同士で喧嘩しても、ツマラナイものです。

でも、このようなことを言われましても、こんな自分がココに居ると思ってしまうのが人間です。
そこでヒントが有ります。

「自分の心は、他人を見ている時に何を思っているのか?」
これを見て行きましょう。

これを自分で観察することで、自分の心の本性を人は自覚することが出来ます。
他人を見て「嫌な人」だと思っている自分とは、他人からも「嫌な人」に見えているのが真相かも知れません。

他人を「愛情深く見ることが出来る人」は、他人からも「良さそうな人」に見えているものです。
「腹が立つ」と思いながら他人を見ている人は、本当はそれが周囲にバレているのに、自分自身では上手く隠していると思っています。

嫌な自分の個性がどんどん消えて行くに従って、
大きな1つの存在の中へ中へと自分の個性が、溶け込んで行きます。
すると、色々なことが自然と分かり出します。

他人のことも、動物の気持ちも、自然の意志も、
更には地球の気持ちも、神様のことも分かり始めます。
この時に、自然と自分の生活の自由度も変わって行きます。
これを霊的な浄化の過程と呼んでも良いです。

この時に成れば、「私とは誰か?」と問われれば、
「そんな自分は居なかった」
「大きな大きな大いなる存在1つだけが在る」
という答えが、心底から分かります。

以上は難しい話を書きましたが、自分の心が進んで行く方向性の参考に成れば幸いです。
山の頂上にたどり着くには、無数の登り方が在るものです。
自分のペースで、明るく登って見ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/07/16(月) 19:31:12|
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自分の心を住まわせる場所に注意を
2018-07-11 11:14:44 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
立っている時も、
歩いている最中も、
座っている時も、
横になってくつろぐ時も、

睡眠に落ちている時以外は、
無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)を思いつつ、
いつでもこの愛情の中に、自分の心を住まわせるようにしましょう。

仏教の教えとして、この状態こそが、梵(ぼん:宇宙の法則)に住む最高の心境なのです。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章8節-No.151)

(感想)

果たして人は、自分の心を住まわせる場所を、自分で選択が出来るのでしょうか?
釈尊は、それが出来ると仰っています。
しかも、それが宇宙の法則に従った、最重要なことだと指摘されています。

考えて見ますと、自分の心をどこに置くのか?人は意識をしていません。
私達は、自分の感情のおもむくままに今日も、
・ ああ、仕事が嫌だ。
・ 学校に行きたく無い。
・ あの人に腹が立つ。あの人が嫌いだ。あんなことを言われた。
・ 今日も元彼のことを考えてしまう。

などなどと、自分の心を、ある特定の場所に確かに置いているのです。
今日も、怒りの世界に心を置くのか? 色情の世界に今日も心を置くのか?
妬みの世界に自分の心を置くのか?
知らず知らずのうちに、人は色々な世界に、自分の心を置いています。

そこで釈尊は、
・ 無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)の思いの中に、自分の心を住まわせるようにしましょう。置きましょう。

と提案されています。
そして、この状態に心を住まわせることが、仏教における最高の梵の境地、涅槃(ねはん:天国)に生きながら住む状態だと指摘しています。

この雑多な欲望と色情の社会の中でも、人は自分の心だけは、愛情という慈悲の世界に住むことが可能なのです。
自分の心は慈悲(思いやり)に住んだまま、この社会の中を歩いて行きますと、どんなダメな人を見ましても、
・ 毛嫌いする気持ちに成れません。
・ それも、仕方がない、と思える。
・ 大きな視点で、眺めることが出来る。
・ 自分の心が、影響を受けることがありません。

さあ今日も、皆さんはどんな心境に自分の心を住まわせるのでしょうか?
色々な感情の世界に、人は自分の心を置くことが自由に出来ます。
それが、怒りの世界で無いように、
ただ心配だけをする世界では無いように、
出来れば愛情や思いやりの世界に、自分の心を置きたいものです。

これが出来ない場合は、
・ 無心で、行動に専念することが大切です。
・ 動いていれば、行動していれば、漏電する心配を抑えることが可能です。

とにかく今日は、
・ 自分の心を置く場所を選択するべき。
・ それを意識したほうが良い。
という指摘を参考にして頂ければ、幸いです。

これは、悪い憑依を避けることにも成ります。
人間は一時的にでも、自分が思っている最中の世界に住んで居る。
これは重要なことなのです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/07/11(水) 19:21:12|
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それを自分の修行とするのだ!


すべては自分の為の修行だった
2018-06-28 11:47:19 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
コノ世に住むすべての人々と存在に対して、

無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)を持って接することを、

自分自身の修行とします。

自分よりも上方の世界に住む人々にも、下方に住む人々に対しても、

いかなる世界に住む人々に対しても、

境界線をもうけることをせずに、

対立の心を持つことをしないこと。

これを自分の修行とします。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章8節-No.150)

(感想)

・「どんな相手にも、無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)を持って接しましょう!」

このように言われましても、多くの人々の内心では、
「ハイハイ、それは良いことですね〜。 でも、現実には、そんなこと出来るかい!」
と思われるかも知れません。

でも釈尊が仰りたいのは、ただのキレイ事では無くて、
・ それを自分の修行とするのだ!
ということなのです。

魂の本当の修行とは、聖地へ行ったり、滝に打たれたり、書かれた御経を読んだり、瞑想したりと、ということではありません。
こんなことはアノ世に帰れば何の修行にも成らな「かった」のです。
自分一人で楽しんだ、ただの我慢比べ、山で行うアスレチック運動をしていた、というレベルなのが霊的な真相です。

それよりも真の霊的な修行とは、
・ 雑多な欲望渦巻く社会の中で。
・ そういう中でも、どんな嫌な他人にも、愛情の視線を持って接すること。
最初は嫌でも、これを自分自身の「修行」とする訳です。

これは自分の魂にも霊体にも、よく効く、よく響く、「本当の」修行と成り得ます。
以上の話は、コノ世に非常に多い「霊的な勘違い」「間逆な行為」を指摘しています。

・ 真の霊的な修行は、日常生活の中にこそ在る。

これが家族同士の間にも、大きな課題として誰にも言えます。
家族関係も、苦痛で悩む人が多いものです。
でも、それを「自分のための修行」という視点で、見ればいかがでしょうか?

嫌な会社ほど、実は霊的には最高の修行場だった。
これが「霊的には」言える訳です。
アノ嫌なお局様の女性も、直ぐにどなる色情の上司も、地獄の中の鬼のように、自分の魂を鍛えてくれたと思いますと、後からは良い思い出に変わるものです。

私も仕事において、昔の上司や、雪国で育った厳しい社長の発言などを思い出すことが今でも有ります。
「売上のない営業マンなどは、他の社員のお情けで食わせてもらっているOOOだと思え!」
など放送禁止用語を連発されたものです。

しかし、今となっては、社会の現実を教えてくれた、その後に私が甘い道へと迷わなかった恩人だという、良い思い出に変わっています。
山に行く必要も、聖地に行く必要もありません。

・ 今の自分の生活環境を、最高の修行場・道場にすること。

これならば、今から直ぐに自分のための真の霊的な修行を始めることが可能です。
心配な自分の子供も、「本当に良い親修行をさせてくれるものだ」という視点で見直しますと、これから見る世界が変わって行くものです。

釈尊の視点は、現代にも十分に通用する実践的に役立つ内容であり、
・ 今の自分の環境の中で在っても、「そこに」天国を実現させる可能性に満ちています。
今の自分の生活の中で、「自分なりに」頑張って見ましょうか。

(伊勢白山道)
  1. 2018/06/28(木) 13:33:55|
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霊力の正体は、実は「相手の身に成り切れる能力だった」という側面が、秘伝のエッセンスの1つです。 感応力は、正しく使いますと、奇跡を起こす観音力も保持させることに成ります。

「相手の身になって、観ること」
2018-06-26 10:33:45 | Weblog
「相手の身になって見る」
相手の立場に立って考えることが、実際に色々な「気付き」「ヒント」「霊感」を教えてくれます。

英語でも、
・「put yourself in ~’s shoes 」(相手の靴に自分を入れて見なさい)

故事でも、
・「先意承問」(せんい じょうもん)
相手の気持ちを先に察して受けとり、その要求を満たしてあげること。

・「惻隠之心」(そくいんのこころ)
他人を思いやったり、同情する心のこと。

これを参考にしますと、どんな良いことが有るか?

(1)自分の嫌な「怒り」や、執着が薄らぐことが起きます。

最初の自分は、相手への非難と怒りばかりに取り憑かれていたのが、ふと「相手の立場」に自分が成ったと想像しますと、もし相手の私生活の問題なども知っていれば、「まあ分かるけど・・・」「でも、それでもアレは無いわ」と、沈静化への葛藤が始まります。
時間経過と共に、「相手の身に自分が立つ」と観えて来るものが有るものです。

(2)金儲けや、自分に有利なことも、観えて来る可能性を生む。

他人の気持ちに立って、自分の仕事を見直しますと、今までに気付けなかった弱点や盲点、自分が直すべきことが分かることが有ります。
これは投資先のヒントを教えてくれたり、するべき商品開発も教えてくれることが起きます。
「他人の身になって考えるだけで」、新たな気付きを自分にもたらします。

(3)相手が生き物だけでは無くて、機械製品や、電子部品、自動車などにも、「自分が成ったつもり」を想像しますと、
・ 何となく「気持ちが良く無い箇所」が分かる。
・ 修理して「欲しい」所が分かる。

という不思議な現象が個人差で生じます。
これは、霊的な「感応力」を育てる練習にも成ります。
対象は、生物、建物、部品、商品、買い物等に、など何でもOKです。

(4)霊力の正体は、実は「相手の身に成り切れる能力だった」という側面が、秘伝のエッセンスの1つです。
感応力は、正しく使いますと、奇跡を起こす観音力も保持させることに成ります。

ただし霊的な対象の場合、対象への感応に自分が呑み込まれる、取り込まれる、食われる。
そして、「自分が霊媒にされる」「使役される」という注意点が生じます。
これは、祈願することや、有料で他人の相談に乗る、ことをしなければ問題はないです。

正しい霊力、感応力、観音力は、他人への無償の慈悲心、愛情力の大きさで決まって行きます。

つまり、まず(1)〜(3)を参考にして頂ければ幸いです。
興味が有れば、(4)という未知にも繋がる可能性を秘めるのが、何と、
* 「相手の身になって考えて見ること」

ということだったのです。
単純に見えて、実は奥が深いということです。
皆様の参考に成れば幸いです。
  1. 2018/06/26(火) 13:20:05|
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「自分が」が消え去ると、本当の自分(神性)が出ます
2018-06-16 11:13:46 | Weblog

(晩年の山岡鉄舟:ウィキペディアより)

山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう:1836年〜1888年)という幕末から明治に掛けて、明治維新の裏で活躍した剣の居合・座禅・書道の達人が居ました。

この御方は神仙界(しんせんかい)という、陰でコノ世に影響を残すために派遣される集団が神界の下方次元に在るのですが、そこの出の御方だと感じます。
なかなかの稀人(まれびと:めったに来ない客人)です。

ここ500年間の禅僧を観ましても、この御方ほど丹田(たんでん:ヘソ下と恥骨の間の中間のツボ)が鋼鉄のように視える御方が他に浮かびません。
禅を極めすぎて、早めにコノ世を去った器用な達人だったと言えそうです。

この御方の発言に、
・ 自分を忘れるために、禅を組め。
・ 自分が、という者を意識する間は、何をしても芽が出ない中途半端。
・ 落語家ならば、自分の舌を意識する間はダメだ。「無舌」に成ってこそ、話が初めて活きる。
・ 画家ならば、筆を持っている意識で描いた絵は死んでいる。自分と筆が一体となって、手に持つ筆を忘れている間に描いた絵は活きている。
・ 自分が、と思っている間の人間は死んでいる(ロボット)
(以上は私のリーディングによる加筆有り)

以上のようなエピソードを散見します。
考えて観ますと、私達の悩みも「自分が」「自分は」「自分の」という悩みばかりです。

・ 自分という者を抜きにして、その悩みを見直して見ること。
これだけでも、今の悩みの半分は消え去るかも知れません。

高い次元の視点では、自分という個性は、本当の実在では無いのです。だから永遠の存在では無いのです。
時間限定(人生期間)で、コノ世に現れる影・泡なのです。
次に出る泡の形は(来生のこと)、今回の人生の反射が「映る」という映画館の仕組みです。

「自分が」という個性の反射を生む生き方をする限り、未来永劫にわたり陰と陽という「やったことは・やられる」という映画が再生を続けます。
「死で終わり」は無いのです。誰もが連続中です。

そこで鉄舟が指摘した、
・ 自分を忘れること。
が大切に成ります。

自分が生きているのでは無くて、人類全体が生きている。
更に大きな視点は、聖者ラマナ・マハルシのように、
自分という地球が生きている。
このように自分が思えて消えた時に、生き方が変わります。

今は難しい話かも知れません。
でも、誰もが「自分が」というモノを消すために、失くすために、何度でも映画館(コノ世)で再生されている可能性に気付いて頂ければ幸いです。

次の映画館では、私の文章は登場しない上映かも知れません。
すべては今回1度切りの旅をしながら、
・ 誰もが「自分が」という自我の自分を失くし、
・ 本当の自分(内在神と一体)に気付くまで旅行中です。
これを楽しみながら、静観して生きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/06/24(日) 19:32:27|
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嬉々とした鼓動のリズムを思い出すこと
2018-06-22 11:17:25 | Weblog
人間は、生まれた時から、
・ こう成らなければ生けない。
・ あれが出来てから、オヤツね。
・ それが出来るまでは、ダメ。

または、
・ 定年に成れば、楽しめるだろう。
・ 結婚すれば、幸せに。 
・ 子供が居れば、・・・だろう。

だから、それまでは、
・ ダメだ。
・ 苦しくても仕方がない。
・ 我慢する。

〜〜するまでは、楽しくない、楽しめない、と自分の心の深奥で決めています。
でも、考えれば人生は「〜〜するまでは」「〜〜が叶うまでは」の期間の方が膨大に長いのです。
その途中の期間のすべてを我慢期間と、自分が無意識に見てしまっているのはもったいないことです。

我慢のまま、いつのまにか、自分の人生が過ぎ去ってしまいます。
これは、間違っているのです。
「〜〜に成ったら、楽しめる」、これは幻想の間違いです。

・ どんな状況でも、
・ 〜〜が達成していなくても、
・ 途中過程こそを、楽しむ視点に切り替えることが最重要です。

どんな環境の「今」でも、その中で嬉々と楽しむ人が最高です。
「〜〜が叶ってから」なんて関係無い。
どんな今の自分でも、生きているだけで最高!なのが真実です。(死後に本当に分かり、後悔します)
何ともったいない時間の消費をしていたのか。

どんな中でも嬉々と務める真面目なバイト人や、
病気でも嬉々として懸命に生きようとする人を見掛けますと、
「あの人は、持っている」
と私の心の奥が告げます。

何を持っているのでしょうか?
神様という存在は、喜びの気のカタマリです。
伊勢でも笑顔のお多福さんが神様の面影として大切にされています。
神様の気が入りますと、または自分の内在から発露しますと、嬉々とした生命のリズム・鼓動が全身から躍動を始めます。

その時に、コノ世のどんな苦しい途中過程であっても、
「まあ、ええじゃないか」
と今を楽しむ視点を自然と持てます。

今日も何が有っても「まあ、ええじゃないか」。
今の中で嬉々と暮らして見せましょう。
え、誰に?
神様のほうが、私達が神様を見詰める何倍も何倍も、見てくれています。

誰もが神様と一心同体です。
今日も大自然を見ながら、嬉々と暮らしましょう〜。

(伊勢白山道)
  1. 2018/06/22(金) 19:31:04|
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弱者に対する自分の思いが、自身の運命を創ります
2018-06-20 11:22:18 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
他人から非難されるような悪い行為を、わざとしては生けません。
すべての生き物が安楽で、平和でありますように。

動物も植物も、細長い生き物も、巨大な動物も、大中小と微細な生物も、

今のここに存在するすべての生き物、過去、未来に存在する生き物、遠方に、近場に、存在する生きる生命たち。
すべての生きる生命が安楽であることを思います。

どんな生命の間でも、お互いの間において、
・ 相手が劣っている。
・ 自分が勝っている。
という優劣の思いを持っては生けません。

・ 他者に対して、やっつけてやりたい、という意図を持たないこと。
・ 他に対して憎悪の心を持たないこと。
これを自分が持たないことが重要です。

まるで母親が、自分の子供のために命を捨てる覚悟を持つように、
すべての生き物に対して絶対的な大きな慈悲(情け)の心を持つように、
コノ世で修行することが重要です。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章8節-No.145〜149)

(感想)

一読しても、「良いことが書いて有るね」「いかにも釈尊が言いそうなことですね」と通り過ぎる人が大半かも知れません。
しかし、釈尊が、そんな当たり前のことを、ただ言い残すことはありません。

霊的には、非常に重要な、
・ 開運方法
・ 自分の運命を改善させる方法
・ 幸運を呼ぶ秘訣
・ 来生に生まれ出る環境に影響を与えるポイント
が明記されています。

人間に対しては、柔和な対応をする人が大半です。
でも、それで溜まった自分のストレスを、動物への虐待に向ける人が社会でも報道されています。
これでは、社会的には真面目であってもダメなのです。
今生でも因果を残し、来生は自分が動物に対して行ったような仕打ちをされる立場を体験することに成ります。

・ コノ世で私たちは、自分が弱い小さな動物に対して行った行為も、観察されています。
・ 完全に管理された飼育装置の中に自分自身が置かれて、自分の目の前に、自由に好きにしても良い小さな弱い生物を置かれて、さあどうするのか? を見られている。

このようなコノ世の側面を想像してください。
子供への虐待死が社会問題に成っていますが、天に観察されていたのは「親だった」ということです。
これで本性が見られた親は、今生と、更に来生において、完璧に自業自得を淡々と自分が体験することに成ります。

そして、社会で生きる上での重要な幸運を呼ぶ「心の持ち方」が説明されています。
・ 相手が劣っている、と思わないように。
・ 自分が勝っている、と思わないこと。
・ 他と比較した優劣の思いを持たないこと。

・ 他者に対して、やっつけてやりたい、という意図を持たないこと。
・ 他に対して憎悪の心を持たないこと。
・ 他の存在に対して、絶対的に慈悲(情け)の心で居ること。
このような心の持ち方と生活態度が、自分自身の運命を改善して行きます。

重要なことは、自分がもし、上記と反対の思いを持てば、
・ 運命が悪くなる。
・ 健康を失くして行く。
・ 幸運を逃す。
・ 来生に生まれ出る環境と条件が、更に悪く成る。
ということです。
これからの生き方の参考に成れば幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/06/20(水) 13:06:04|
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「配られたカードで勝負するしかないのさ!」
2018-05-09 09:38:04 | Weblog
スヌーピーは、アメリカの新聞漫画『ピーナッツ』(1950年〜2000年)に登場したビーグル犬です。
スヌーピーは、主人公チャーリー・ブラウン少年の飼い犬で、草野球チームの名選手であり、偉大な作家でもある犬です。
『ピーナッツ』の登場人物の発言には、非常に哲学的な内容が多く、大人の読者層も多いようです。

登場人物の女子・ルーシー:
「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々わたしは、どうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ・・・・。)

スヌーピー:
「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(誰もが配られたカードで勝負するしかないのさ・・・それがどういう意味であれね。)

まさに真理です。見事にコノ世の真相を、カッコよく見抜いています。
誰もがコノ世に生まれた時点で、親も兄弟も性別も、その時点での家庭収入も決まっています。
生まれた赤子には、どうすることも出来ない、決められた絶対条件です。

「でも、そんなことは、それで良いのだ。
自分は、配られたカード(条件)で、コノ世で思いっ切り勝負をするんだ!
カード(命)が自分に配られたことに、先ず感謝をしたい」

このような魂の叫びが聞こえて来そうです。
生きている私達は、まだカードプレイの最中です。
これから先の展開次第で、どんな悪い手も良い手に変えたいものです。

配られてしまったカードの意味を考えるよりも、追求するよりも、
「これからの」手を模索することに勝負のだいご味が有ります。
最初は悪いカードだと思ったものが、それが最善手に変わることが、自分の努力で起こり得るのが人生です。

この漫画では、スヌーピーだけでは無くて、登場人物の誰もが
・ 良い一言
・ 考えさせる言葉
を、日常のなにげない風景の中で発言します。

特に、少しおてんば娘のルーシーの発言には、面白いものがあります。

・ 友達ができないのも無理ないわ…あなたって気難しすぎるもん!

・ 成熟した人間は、我慢強い人間よ…今、何もかも欲しいなんて思わないわ!

・ まず自覚することが、バカ状態を抜け出す第一歩なんだからね!

・ 誰かが私を好きか嫌いかなんてどうでもいいの…だから私は人気があるのよ!

・  新しい哲学ができたわ・・・一日に一回しか心配しないことにするの。

まるで禅のマスター(指導者)のように、
・ 単純な言葉で、
・ 物事の「結果」「理由」「最善策」を見抜いている言葉です。

今日は、「あの」有名なスヌーピーが出てくる漫画が、このような哲学を含んだものだったと、知って頂ければ幸いです。
(実は私もよく知らなかったのです〜)

(伊勢白山道)
  1. 2018/05/11(金) 18:25:02|
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自分の本当の思いに聞き耳を立てること
2018-05-01 11:26:36 | Weblog
心理学者のユングは、

・ 人間の無意識の深層には、過去の人類の体験が集合・結集した「叡智」(えいち)が在る。

・ 人生の自然な終点・目的地点は、老いることではなくて自身に内在する叡智に行き着くことである。

このような示唆を、医学的・科学的な心理分析から発言していたようです。そこで、
* ユングがいう「叡智」=「内在神」
このように言い換えますと、まさにピッタリと来ます。

以上の内容は、難しいことではありません。
普段の起きている私達は、色々な選択を迷い、どうすれば良いか悩み、自分に無いものに苦しんでいます。

そこで、ユングが示唆することは、
・ 私達の本心は、すべてを知っている。
・ 人生の目的は、自分の本心を思い出すことである。(これが「悟り」です)
このように言い換えることも出来ます。

私達は、太古からの過去のことも、これから起こる未来のパターンも、誰もが「既に」知っているはずなのです。
でも、分からないから、喜怒哀楽を繰り返しています。
以上から言えますことは、

* 分からないことは、本当の自分に聞け。
* 本当の自分が、知っている。

でも私達は、自分の思いを信じることが出来ません。
どうしても、自信(自神)が持てないし、自分こそが信じることなど出来ません。
こんなダメな自分を信じられるはずが無い。今までも失敗ばかりではないか!
これが優先しています。

でもそれは、自分の思いよりも、「他人を見ること」を優先して決めたからです。
自分の思いを、知ろうとも、聞こうともしなかった結果なのです。

本当の自分自身からの、やっとのサインは、
・ 「何となく」という感情で受け取ること。
これだけでも知って置いてください。

深層心理(叡智・人類の集合意識・内在神)からの御知らせは、耳に聞こえるのではありません。
「何となく」という自分の思いで、通知が誰でも来ています・ing。
これからは、他人を見ることよりも、

・ まずは、自分の本当の思いは何か?

これを聞こうとする耳を立ててください。
これにより、運気が変わり始めるヒントがあります。

また、ユングが言う叡智=過去の先祖たちの遺伝子DNAが持つ思い。
とも言えます。
先祖(遺伝子の集合体)に感謝をすることは、「何となく」の感度が上がることでしょう。
皆様のヒントに成れば幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/05/01(火) 16:04:33|
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知恵が深い見本です
2018-04-23 11:28:51 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第三十六章「慌てなくても大丈夫ですよ」

「老子の人生論 」第三十六章

何かを(会社、嫌な相手、など)「小さく」してやりたいと密かに思うならば、
その対象を「大きく」するように振る舞いなさい。

相手を弱めてやりたいと密かに願うならば、その相手が「強い」と持ち上げなさい。

何かを根底から禁止にさせたいと思えば、それをしばらく黙って流行らせなさい。

相手から何かを奪ってやりたい時は、しばらくは逆に「それ」を相手に与えなさい。

以上をもって、これこそが奥深い洞察力がなせる人間科学である。

弱い人でも、心さえ柔らかければ、非常に屈強でも心が固い相手には必ず勝ちます。

魚は水の深みから出ては生けません。
得意分野から離れれば、捕まるということです。

以上のような管理者にとっての秘密の策略方法を、民衆には絶対に教えては生けません。
内緒にしておいてね。

(感想)

「とにかく頭が良い」、と唸るしかない項が「第三十六章」です。

・ 人間が持つ欲望のサガ(性)を知り尽くした上で、
・ 目先でなくて、長い視点を持って、確実に相手を倒す知恵。
・ 自ら手を下さなくても、相手が勝手に自滅する方法こそが真の勝利。

このような内容が説明されています。
このような知恵に掛かれば、まるで「詰将棋」のように、弱い駒でも相手を自滅させることでしょう。

企業間の競争、上司と部下、人間関係、投資で勝つ方法、詐欺の極意、色仕掛け、などなど色々な分野に当てはまる手法が説明されています。
日本人は、特にこのような策謀に弱いと思います。
後で気が付けば「遅かった」「まさか」という事態に成ることが目に浮かびます。
現代社会でも十分に通じる戦略です。

弱は強に勝つ。
・ 相手を倒す時は、弱者の振りをしなさい。
・ 弱い人は、心だけは柔軟さを維持しなさい。そうすれば、いつか必ず強に勝つ。

あれ? 
執着をしない、意固地に成らない、柔らかい心を持った女性には、男性は一生勝てないということです。
結果的に、「そうなる」ということです。これは確かに言えそうです、笑。

今が苦しい人は、男女共に自分の心だけは、「柔軟性」「自由な視点」を忘れないで居ましょう。
そういう心の人には、いつか「動くべき時」「動くべき内容」が見え出すものです。
何も見えない間は、柔軟な心で待つということです。

この項で私が特に面白いと思った箇所は、
「魚は水の深みから出ては生けません。得意分野から離れれば、捕まるということです。」
ここです。

老子=魚、と置き換えますと、
「このような秘密の本音をバラすことは、非常に危険が伴います。
だから私は、国家の図書官僚という立場を離れません。
もし一般人に戻れば、捕まるかも知れません」
このようにも言い換えられます。

そして更に、「これを他人に言ってはダメだぞ」「秘密だぞ」と念押しする訳です。
そう書かれますと、逆に人に言いたく成るのが人間のサガです。
「押すなよ、押すなよ」と言われれば、人は押してしまうのです。
内緒話は、逆に広まるということです。
しかも、知るべきポイントの相手にです。

老子は自分の身を守りながら、社会の秘密を民衆に言いたかったのでしょう。
しかも遊び心を持って、「秘密だよ」と言いながら逆に拡散させるための宣伝手法も、老子自らが取っています。
知恵が深いとは、こういうことか、という項でした。

(伊勢白山道)
  1. 2018/04/27(金) 15:29:53|
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【警告】生野菜はよく洗ってから食べましょうう。

生野菜の意外な盲点
2018-04-16 11:57:17 | 健康アレコレ
最近の食生活で感じていますことは、
・ これからの生野菜は、「よく洗わないと」非常に危険。
ということです。

数年前に放送された番組で、
・ 南国に在住の人が、自宅で栽培した有機野菜のスムージーを毎朝飲む習慣だった。
・ 野菜にはナメクジがはった跡が付いていたが、それに気付かずに、洗浄不足だった。
・ 数日後に意識不明の昏睡状態となり、その後に死亡された。
・ 死亡原因は、ナメクジの粘液にいる寄生虫だった。

この内容を、私はずっと気にしていました。
そうしますと最近のネットニュースの話題で、
* 「脳に入る寄生虫が温暖化で北上、ナメクジに注意」
(http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/032000125/?P=1)

という話題が、複数のネットニュースに流れていました。
広東住血線虫症(かんとん じゅうけつせんちゅうしょう)がその原因なのですが、日本国内での感染例も報告されています。
その原因の多くが、レストランなど外食産業で出される「生野菜」なのです。

・ ナメクジがはった跡のヌルヌルは、レタスやキャベツの1枚1枚を手で洗浄しないと落ちない。
・ 水流の無い、溜め水のボウルで洗浄してもダメ。

はたして外食産業で、大量の生野菜をこのように丁寧に洗浄しているのか?それは可能なのか?
非常に疑問です。
高性能な野菜洗浄マシンでも有るならば良いですが、
・ 外食産業での最悪は、野菜を洗浄せずに、そのまま剪断していないか?
・ 水に浸け置きしただけで、野菜洗浄としていないか?(その水は寄生虫の居る水)
・ 野菜の外側の1杯だけを廃棄して、その中身はそのまま使用か?

生野菜を食べるのも命懸けの時代。
日本で、このように成らないことを願います。
でも、考えて見ますと、東南アジアの料理は「炒め物」「煮込み物」が多いです。非常に理に適った、命を守る料理だったと言えます。

屋台で生野菜料理など出るのでしょうか?
でも、生野菜ジュースや、生果実スムージーは有るはずです。
米国や南米で致死病と恐れられ「第二のエイズ」とまで言われている「シャーガス病」は、特定の昆虫の糞に感染した果実や野菜を「未洗浄で」「そのままで」、水道設備の無い屋台で「生ジュース」や「生スムージー」にすることが原因だと言われています。
感染10年後以降に発病して、ほぼ不治であるからエイズとも揶揄されています。

シャーガス病については、昆虫の糞が原因ですから、工場の加工品については洗浄、水への浸け置き、によりまず問題はないでしょう。
問題はやはり、カタツムリの粘液のような、非常に分かりにくい粘液性のものが注意に思います。

まずは家庭から、
* 野菜は良く「水流で」洗浄してから食べること。
* 葉っぱの1枚1枚を手で洗浄してから食べること。
* 外食では、炒め料理、焼き物、煮込み料理、蒸す料理、温野菜、などの加熱料理を参考に。
(加熱で広東住血線虫症は死にます)

このような注意を参考にして頂ければ幸いです。
でも、数十億人の内でも、限られた症例件数ですから、過剰な心配もしないで置きましょう。
大半の人が、免疫力で発病せずに知らずに終わっていると言うことです。
あくまでも、これからの注意です。
この対策として、適度な運動と、「食事内容」とバランスに注意しましょう。

伊勢ー白山 道
  1. 2018/04/16(月) 12:53:49|
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思い出す故人には、とにかく謝っておくと御得(徳)
2018-03-01 11:24:50 | Weblog
取引先の知人男性に会った時の話です。
2月に入ってから、心臓がナントナク重い、苦しい感じがするとのことでした。
彼はスポーツマンであり、とても心臓に問題が有るような外見ではありません。

でも話を聞きますと、寝る時に仰向けで寝ると苦しい、以前よりもノドが乾く、ドキドキする、などと話します。
それは狭心症のサインかも知れないから、とにかく循環器病院へ行くことを勧めました。

でも、「忙しいから病院へは行けない」「もう俺は死ぬんだ〜」
と言う訳です。
半分冗談か、真剣か分からないことを言います。
コーヒーを飲みながら、「まさか」と思い、彼の心臓から背中裏を心中(霊眼)で視た時に、上手に隠れている初老の男性霊(エクトプラズム状態)を視ました。

そして彼に、「初老の男性で心筋梗塞で亡くなった故人を知らないか?」
「あなたを非常に恨んでいるような男性だ」
と教えますと、しばらく考えた彼は驚く顔をして「いた」とのことでした。

以前の共同経営者だった男性が、喧嘩別れをした数年後に、心筋梗塞が原因の事故に遭って亡くなられているとのことでした。
でも彼は怒る訳です。
「私を恨むのは筋がおかしい」「私にも言い分が十分に有る」
とのことです。

それでも彼は、以前から私には霊感が有ることは知っていましたので、素直に聞いてくれました。
私が彼に言いました事は、

・ 死ねば仏様だ。どんな理由が有ろうとも、とにかく初老の男性に心から心中で謝ろう。
・ 亡くなった故人には、とにかく謝るのが一番に御得だから。

そして彼に聞きますと、家の仏壇には「名字+霊位」だけの先祖全体の位牌が有るとのことでしたので、
・ 線香3本を順番に三角形に立てること。
・ 3本めの線香を、男性に謝りながら立てること。
これをするように教えました。

後日に彼が言うには、3本めの線香を立てた直後から、心臓から違和感が「抜ける」のが分かったそうです。でも、彼は怒るのです。

・ 本当に不思議な現象だ。でも、こんな理不尽なことは無い。
・ もし教えられなかったら、私は病院に行ったりして、時間的に仕事も大変なことになっただろう。
・ あの感じでは、死んでいたかも知れない。
・ 霊が分からない人間には、こんな不公平なことは無い。

でも私は、
・ それは共同経営者が亡くなっている事実の縁が有ったことだから、仕方がない。
・ コノ世はそういう縁で繋がっているものだ。私とアナタの関係のように。
・ これからも、故人を思い出した時は、心中で謝ったほうが良い。
・ また、心臓の違和感が起これば、今度こそ直ぐに病院へ行って欲しい。

以上のようなことが有りました。
今日の言いたいことは、ここからです。 パチパチ

* もし嫌な故人を思い出すことが有れば、心中で謝って行くことをお勧めします。
思い出すたびにです。

もう理由など関係ないのです。
死ねば、どんな故人も仏様です。
これが最高のお祓い、浄霊に成ります。
・ とにかく嫌な思い出の故人には、謝って置くことです。

* もし病気で有っても、霊が原因のものは10%も有りません。やはり自分の生活が原因です。
だから、とにかく医師の診察を受けることからです。

上記の話の彼の例は、非常に珍しい部類です。
初老男性の怨念が、非常に強烈だったのです。
執着を持った霊が、ドラマで犯人が警察のサーチライトから身を隠すシーンのように、必死に憑依を隠そうとすることを久しぶりに視ました。

ただバレますと、彼への怨念をぶちまけていました。
そして憑かれた彼にしても、
・ 心臓がおかしいという思い込みで、本当に心臓が変に成り、死へと誘導されていた。

おそらく検査をしても、肉体的な問題は出なかったと予想します。
でも、症状は有る訳です。
こんな話をすれば、「私も憑かれていないか?」と心配をするのは人情です。
でも、大丈夫です。

・ 霊が誰かを、特定する必要は無いのです。
・ とにかく思い出す嫌な故人が有れば、謝って行くこと。
これだけで、もし本当に霊障が有れば、消えます。

思い出す故人は無いけれど、憑依や霊障が心配だ。
こういう人は、
・ 生活努力と、先祖への感謝を普段の中でしていけば、本当に大丈夫です。
先祖への感謝磁気を貯めることが、物事を改善させる力となります。

先祖とは、遺伝子DNAの集合体です。
自分にとっては、本当に色々な意味で「免疫力」にも成ります。
先祖への感謝をして行けば、大丈夫です。

(伊勢白山道)
  1. 2018/03/01(木) 15:39:03|
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悪事の被害に対しては、善徳をもってお返しをすること
2018-02-12 11:20:50 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
専業の修行者や、在家の真面目な信仰者たち、

または苦労する路上生活者を、

嘘(うそ)を付いて騙(だま)すような人。

このような人こそが、最低の人間である。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章7節-No.129)

(感想)

この項で釈尊は要するに、
・ 修行する人々。
・ 真面目に生活する社会人たち。
・ 不自由な生活をする人々。

特に、このような人々を騙した場合は、
・ 悪い因果に成る。
・ 来生に影響する。
・ アノ世からは、最低の所業に見なされる。
という注意をしています。

いい加減な遊び人を騙すことよりも、罪に成るということです。
ここで視点を変えて見ます。

・ 自分は騙されたのに、その悪い相手は元気に、より幸福そうに見える。
・ だから、神も仏も居ない。
・ 因果などデタラメだ。

このような不満を持つ人が居るかも知れません。
この場合に大切なことは、上記の釈尊の指摘から言えますことは、

ところで、
・ 自分は、真面目な信仰者だったか?
・ 胸を張れる立派な社会人なのか?
・ 路上生活者のような苦労をしているのか?

更には、
・ 騙した相手と遊ぶような、縁を持つような自分だったのか?
・ 自分以外の他人が騙された時は、自身は何を思っていたのか?何も感じなかったのか?

以上を総合しますと、
(1) 自分は被害者なのに、相手が元気な場合は、自分自身の生活も見直すこと。
(2) 自分が真面目な生活者、努力者、苦労人になれば、過去の悪い相手に反射が始まる。
霊的には、この2点が言えます。

特に2番は、霊的世界の独特なものです。
一見すれば、時間の流れに逆らうような変な現象です。
済んだことなのに、「今の自分が正されれば」過去の帳尻も正されるように流れ始めます。

これは意外にも起こっていることなのです。
・ 悪人が、10年前の罪を思い出して、脳裏から消えなくなり、当時の被害者を探して謝りに来る。
・ 犯罪者が、過去の罪を自ら申告する。
こういう現象が現実に起こり得ます。

悪事をした当時は、
・ あんな奴は騙されて当然だ。スッキリした。
しかし、被害者が泣き寝入りをし、善徳生活を重ねて行きますと、
・ 後年に悪人側から、「頼むから許して欲しい」と言って来ることに。
こういう現象が起こることが有るのです。

だから自分が被害者に成れば、淡々と真面目な生活者、より真面目な信仰者に成ることが、遠因では悪人を懲らしめることに自然法則として起こり得ます。
この反射は見えないだけで、実際には社会で多々起こっています。
悪人が事故死したり、病気に成っている事例には、過去の被害者たちが真面目に暮らしていること、悪人が罪を償っていないことが影響しています。

見えない世界の怖い面は、「どんな縁も継続中」だということです。
済んだ過去など無いのです。
今も並行する宇宙で、過去の所業も「並行して」稼働中です。
だから今も思い出す現象が起こります。

これを修正・改善するには、
・ 悪人も、善行で「上書き修正」をして行くこと。
これで因果の相殺が起こって行きます。

今日の言いたかったことは、
・ もし自分が被害者に成れば、より真面目に自分の生活を正して見ること。
これが意外にも、悪人への復讐方法に成り得るということです。
被害者は出来る社会的対処はした上で、

・ 悪事の被害に対しては、善徳をもってお返しをすること。

これが思う以上に強力だったという御話でした。

(伊勢白山道)
  1. 2018/02/12(月) 13:25:55|
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誰もが夢の途中、旅の途中
2018-02-10 10:48:06 | Weblog
死別も、重い病気も、人同士のお別れも、自分が老いることも、自分が死ぬことも、
・ もう、これで終わり。
・ 自分はダメだ。
・ これで最期。

、、、、、このように思うから人は悲しくなるのではないでしょうか?
もしこれを、

・ まだまだ、途中のことだ。

と真から思えた人は、上記の嫌な事々も、悲しまずに、慌てずに、それなりに楽しめるかも知れません。

・ 何事も、これで終わりと思わないこと。
・ まだまだ、これからだ、と思うこと。
・ 私は旅の途中に居るだけだ。

このように思える人は救われます。
これは宇宙的な視点、真理だからです。

果たして、コノ世に「これで終わり」というものが有るのだろうか?
そんな簡単に、終わらせてくれるのだろうか?
因果の視点では、これが無いのです。

・ 何事も、決して終わることが無く、継続する輪廻(回る車輪・生まれ変わり)である。

釈尊の教えの中心は、
・ いかにして、強制的な転生(生まれ変わり)を終わらせられるのか。
これに尽きる訳です。
これを解脱(げだつ)、悟り、と呼び、宇宙の中でも非常に稀な現象としています。

悟ったと自称する人間の99.99%は、まだまだ途中です。
有料先生の場合は、金銭を搾取される側の人の立場の人生を体験するために、必ず強制的な転生が、普通の人以上に余計に起こります。解脱など有り得ません。

釈尊は、成し遂げることが非常に難しい解脱が、人の魂のテーマであり、人類の課題だとして、膨大な原始仏典の中で、「その方法を」「生き方を」説明しています。

・ 要するに、自分に与えられた環境、今生の今の条件の中で、新たな因果を創らないようにして真面目に生きるしかないよ。

・ 死さえも、慌てて考えるな。怖がるな。これで終わりと思うな。

・ そんな簡単に「終わり」が無いのが宇宙の真相だ。

と繰り返し、色々な形で説明しています。
「釈尊の言葉 ダンマパダ編」「釈尊の言葉 スッタニパータ編」

以上のような「まだまだ途中に居る」という思想を、
* 神道では「中今」(なかいま:今とは永遠に継続する中心点に過ぎないこと)
と表現しています。

まだまだ途中ならば、途中の出来事ならば、
・ 私は悲しくない。
これを今日は知って欲しい訳です。

旅の途中ならば、何が有っても思い出です。むしろ、色々と有るほうが楽しいかも知れません。
ギリギリ、ドキドキ、もう止めて〜〜。何でも有り。
これで良いのです。

もう自分は終わり。これで最期。
このように思わないことを参考にしてください。

(伊勢白山道)
  1. 2018/02/10(土) 18:19:00|
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郵便物が届かない・・・悪用されるパターンもあるという認識を!

最近の気になること。
2018-02-09 11:23:03 | 気になるシリーズ
会社の関係者が、仕事で使用する飛行機のマイレージを貯めるために、飛行機会社のクレジットカードを申請しました。
申請後に審査が通過すれば、本人宛ての厳重な確認を要する受取人指定の郵便で、クレジットカードが郵送されて来ます。

問題は、この次の過程です。
その郵便に同封されている用紙に、
・ 銀行の口座番号を記入し、
・ 銀行印を押す。
これを返信用封筒に入れて、クレジットカード会社に郵送します。

でも問題は、その返信用郵便が普通郵便なのです。無人のポストに出すものです。
知人は、「???大丈夫かな」と心配していました。
もし途中で紛失すれば、悪用されないか?

これから、郵便物の表面から推測されて、
・ 役所関係の個人情報満載だろうな、という郵便。
・ 金融関係の申請に関する物だろう、という郵便。

こういう郵便物が、「何かの目的で」「本人に成り替わるために」、盗難に遭わないか?
配達の問題だけでは無くて、配達後の受け取りのポストが狙われないか?
現実に芸能人や独身女性の自宅の郵便物が、ポストから無くなる事案はよく発生しています。(盗られたことが分かるまでに、月日が掛かる)
ますます、こういう事例が増える時節に入る気が致します。

また去年あたりから、「発送されたサプリメントが届かない」という声を例年よりもよく聞きます。
特に去年のクリスマス前後は多かったです。
発送元の米国のサプリ会社にメールしますと、
・ 今は、郵便物の追跡調査が可能ですが、途中で消えたことが分かり、絶句しています。従来に無いことです。
・ 直ぐに、カードのマイナス処理をします。
(もし、この処理がされ無くても、アマゾンの場合は代わりに弁済保証されます)

という誠意ある対応はされます。
でも、最近の「日本の」配達事情は大丈夫か?
何か、異変が起きて無いか?

こういう視点も参考にしてください。
・ つまり、最悪想定をして、郵便も自衛が大切です。
でも、どうすれば良いか?

ここで心配なのが、受験関係の郵便です。
願書が届かないだけで、人生が変わります。
調べますと、センター試験を始めとして、願書や受験に関する郵便は「簡易書留」で送る指定のようです。
簡易書留郵便は約500円ぐらいで、安全に確実に届きます。

だから、個人の自衛策としては、上記の銀行情報の返信郵便などは、無事に到着したかが分かるまで約数週間も心配するぐらいならば、簡易書留郵便で送りたいものです。
自腹でも払う人はいます。簡易書留郵便は追跡調査も可能です。

でも、これは先方の会社に確認が必要です。
・ 誰かが受け取りの印鑑を押さないといけないのです。
この対応が、無理な会社も有るかも知れません。

今日の言いたかったことは、
* 貴重な郵便物の場合は、もし途中で紛失した場合も想定して、発送すること。
出す前に、コピーを取るなどの対応が可能です。
参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)

もう悪用されてしまっているかな。
口座情報を記載した書類が何としても届かない。
都合3回送った。確かNTTだったかな。。。
口座自動引き落としのための書類だった。

また
先方からの書類が1ケ月遅れで届いた
なんてこともあった。

最近の出来事。

「何かの目的で」口座情報を盗まれた可能性ありますね。
違法品の受取口座や振込口座などに利用されて
私が犯人にされるというパターンもあるでしょう。

集団ストーカーの被害に会っている被害者というのは
郵便物の被害なんてのは日常茶飯事で、ああ、またかと驚かなくなっているのだが
悪用されるという可能性もあるということも認識しておきたい記事だった。

宅配便や書留で送らないといけないように
なったのかな・・・

新宿のほうの住所は外から開け放題なので
簡単に盗難されるわな。
  1. 2018/02/09(金) 13:26:01|
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幸運は自分で呼ぶものでは無くて、幸運さんのほうに選択権が有る

人は、自我(じが:ワレヨシな思い)が強く成りますと、
・ 無意識に、何事も自分から、先ず自分ありき、自分が中心、の視点に成ります。
そうしますと、勘違いした視点から物事を始めます。

例では、
・ 神様に祈願すること。
自分の欲の為には、神様でも使おうとすることに、使っていることに、気付けません。

親が幼稚園児に対して、「欲しいものは神社で頼みなさい」と教えたところ、その子供は、
「神様は家来なんだね」「働かされて可哀想」
と言ったとか。

自我が少ない幼児には、大人が普通にしている習慣が不思議に見えたのです。
自我(自分ありき)の強い大人は、いつの間にか大切なことを間違ってアタリマエにしてしまっており、目にフタがされて気付けません。

・ 正神が、個人の欲望の為に動くことはありません。
むしろ、そう申告して来る大人の魂を観られています。

・ 神様には、「生かされていることに感謝のみ」をすることで、
無意識下の正しい個人的な希望は叶えられて行きます。

・ 神様に、単品で願いを注文することは間違い。
・ 神様の意に適う生活をすれば、すべて丸ごと言わなくても叶います。

更に自我の強い人間が勘違いしていることは、幸運を引き寄せる、幸運を呼ぶ、という発想です。
まるで、自分自身に幸運を左右する選択権が有って、その為の行為・所作、が有るような視点しか持ちません。

真実は、
・ 幸運さんのほうに、人を選ぶ選択権が有る。
・ 人間は、幸運側から選ばれるか、否か、という評価対象であること。
ということです。つまり、

・ 人は、幸運さんに選ばれるような生活態度、努力をしていることが必須条件です。

自我が強い人間は、すべてがこのような「自分側からの発想」しかしていません。対人関係でも、すべてがこの視点からです。
これでは、他人も、幸運も、神様も、呆れて離れて行くのがパターンです。

「自分有りき」から「他人有りき」の視点に変えて行くことが出来た人は、
・ アホウに見えることも有るかも知れませんが、
・ 幸運さんから好かれるかも知れません。

幸運さんに好かれますと、
・ 欲しがらなくても、物も、人も、金も集まり出します。
これも、「自然の流れ」に属するものであり、その人は幸福に成ることに逆らうことが出来ません。

幸運さんに命令するような人間は嫌われます。
社会の大半の人が、自分から運気を落とすように一生懸命です。

恋人でも、夫婦でも、「相手にも選択権が有る」という謙虚さを忘れなければ、良い関係が継続するものです。
「先ず自分有りき」の視点では、何事も上手く行かない可能性を知って置いて頂ければ幸いです。

伊勢ー白山 道
  1. 2018/01/09(火) 13:45:43|
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自分を生きる、ということ。
2018-01-09 11:27:36 | Weblog
・ 他人の反応を異常に気にする人。
・ 他人から、自分はどう思われているのかが、どうしても気になってしまう人。
これが高じた人は、次に、

・ 他人の会話に聞き耳を立て始める。
そして、更には、
・ 自分の悪口を言われていると思い込む。
これが更に悪化しますと、
・ 自分は監視されている。

このように真剣に思い込む人が、近年に増えている感じがします。
しかもこれが、ネット上に有る世界的な陰謀論などとも自分の生活を結んで、更に話が大きくなる人もいます。
このようなことが若者だけでは無くて、最近の特徴は中年層以上の年代にもこの現象が増えています。

この始まりは、
・ 他人の視線の中を生き始めた人。
・ 自分自身を信じることが出来ない人。
自分の挫折体験や、社会でのコンプレックス体験が、自分を否定させて、何事にも自信が持てないことが始まりかも知れません。

このように成り始めた人は、
・ 他人への愛情や、思いやりも、失くして行きます。

こうなりますと、家族や周囲も離れて行き、上記のような「悪化のパターン」に進む人が多いと感じます。
どうすれば、良いのでしょうか?

・ 他人の視線を気にして生きずに、自分の視線で生きること。
・ ダメな自分でも、生かされていることに感謝が出来る人は、必ず救われることを知ること、信じること。

・ 成功している人や、上手く行っている人を、「他人を祝福する気持ちを意識」して見ること。
これは、霊的には高度な生霊の反射が起こり、幸福そうな他人を祝福する気持ちを持つことは、自分自身にプラスの気が反射する現象が起こります。

これとは逆に、運が悪い人の特徴は、
・ 正しい他人を非難したくなる気持ちが起こること。
・ 真面目な人や、成功している人、幸福そうな人、このような他人を非難をしたくなる気持ちを自分が持つこと。
・ 他人に注意したい気持ちを持つこと。

このような気持ちを自分自身が持つ時の心境、自分の環境とは、いったいどんなものなのでしょうか?
挫折や、社会でのコンプレックス体験で、自分は恵まれていないという不平等感に心が占められている人が多いのです。

これでは「泣きっ面に蜂」の現象が起こり、上記のような不幸のパターンに進む法則がコノ世に在ります。
まずは、
・ ダメな自分でも良いではないか。
・ 他人の視線を過剰に気にしないこと。
・ 苦しい体験に遭う自分を、嫌わずに、好きになる意識を持つこと。

そして、霊的なテクニックとしてでも良いから、
・ 楽しそうに生きる他人を、祝福する気持ちを持って見ること。
・ 出来れば、それでも、生かされていることに、天に先祖に感謝を思って見ること。

このような一歩が、意外にも残りの人生を変えます。
人は、悪く成るのも早いが、改善する時も早いのです。
慌てずに、落ち着いて自分自身を生きて見ることを参考にして頂ければ幸いです。

伊勢ー白山 道
  1. 2018/01/09(火) 13:04:56|
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昨日の悟りよりも、今日の生活が大切
2018-01-04 11:15:39 | Weblog
・ 昨日の悟りよりも、今日の生活が大切。

このように日々に感じています。
もし今の生活がダメならば、過去の悟りなど意味もないし、そもそも、その悟りが怪しいものです。

コノ世で人は、何でも過去の実績にこだわり、その人の過去を調べて判断するものです。
「今の」その人を正しく見ないと、その判断を誤ります。
結婚、就職、交友、・・・・何にでも相手の過去しか見ない傾向が人に社会に有ります。

「今を見ない」「今を見ようとしない」、まるで魔法に掛かったように、過去か、未来しか人は見ないのです。
今の自分の生活を見ようとはしません。
これでは、良い未来は来にくいです。

・ 悩む人を視ますと、その大半が過去の出来事に住む人です。
・ 不安がる人を視ますと、その多くが未来を想像してダメだと思っている人です。
見事に、今の生活の中に住む人が居ません。
もし、今の生活の中だけに住み続ければ、人は覚醒します。悟ります。
このことに、コノ世のカギが在ります。

ちなみに月の波動は、人が今を見ることを妨害するものです。
終わった過去か、不安な未来に気持ちが行くように、誘導波動を発信し続けています。
だから満月の日は特に、喧嘩や事故、災害に注意に成ります。

では、このようなコノ世の次元で、私達はどうすれば良いのか?
ここで参考に成りますのは、禅では座禅を組む時に半眼(はんがん)状態が重視されることです。

・ 眼を閉じれば、周囲が見えないことからの本能的な恐怖感と、妄想を起こします。
・ 眼を開ければ、周囲が気に成り、思考が静寂に成りません。

眼を半分だけ開けることで、コノ世とアノ世の間隙(かんげき:すき間)を突くように、意識の静寂に入ることが可能に成ります。
脳科学的にも、眼から入る光量は、意識状態に影響します。

自分が、済んだ過去を思い出して住み始めた時、悩み出した時、未来が漠然と不安な時、
・ 休憩時に座り、背筋を伸ばし、
・ 腹式呼吸を意識し、
・ 眼を半眼で斜め下を向き、
・ リラックスした気持ちで、
・ 今の座る自分を、今の生活を、ただ冷静に斜め上から見るつもりになること。

このような習慣を10分間でも、生活や仕事の合間に刻んで行くことも参考にしてください。
この習慣の最中は気付けませんが、1日を通して見れば以前よりも、
・ 過去に住み悩む時間の減少。
・ ただ未来を心配することが減る。
・ 今の生活の中で、判断する時の「切れ」が変わって行く。

このような習慣も参考にしてください。
私は、ブログや仕事をする最中は、自然と半眼に成ります。
直感が冴える状態に成りますが、よく文章を読んでないとも言えます、笑。

結局、今日の話で言いたかったことは、
・ 今年からは、今の目の前の生活に集中しましょう。
・ 過去に住まないこと。
これが大切に感じます。

伊勢ー白山 道
  1. 2018/01/04(木) 13:17:12|
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私は受け付けない


「受け付ける」か否かで、運命が分かれる
2017-12-21 00:45:06 | 健康アレコレ
ドキュメンタリー番組によりますと、
・ 食べなくても、低カロリー食でも太る人。
・ どんなに運動しても痩せない人。
・ 異常な肥満になる場合。

このような人を調べますと、ある特定の「ウイルスに感染」していることが分かったとのことです。
研究者は、そのウイルスを「肥満ウイルス」と呼び、米国で調査をしました。

最初は、肥満がウイルス感染で起こるとは有り得ないとされ、バカにされていたそうです。
でも、動物実験で肥満ウイルスに感染させた上で肥満化が起こる実証データを重ね、今では国費で更なる実験をしているとのことです。

本当に肥満が特定のウイルス感染で起こるならば、そのウイルスを消滅させる飲み薬1つで、人類の肥満が解決する可能性が有る訳です。
これは莫大な市場利益を生むことは間違いがありません。

・ 肥満は、ウイルス感染で起こる。

これを番組で見た時に思い出したことは、
山形大学教授による春ウコンの論文( http://www.haru-ukon.com/index.php?%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%81%AF%E7%99%8C%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%9A )
でした。

この論文の内容も、要は、
・ 癌は、嫌気性(増殖に酸素が必要では無い)のウイルス感染で起こる。
・ 癌は、ウイルス感染である。

という発想のようです。
確かに短期間に全身に癌が転移する様子などは、まさに「感染」に似ていると素人ながらに思えます。

ここからが今日の本題に入ります。
では、原因がウイルス感染ならば、全員に肥満が広がらない理由は?
番組で紹介された研究者は、ある特定の州から肥満比率が高まり、順番に周囲の州へと肥満ウイルス感染者が増えたという、サンプル検査の統計まで示していました。(これには私は懐疑的です)

とにかく言えますことは、肥満ウイルスに感染した肥満者と同居していましても、痩せている人も多いのは間違いがありません。
これを考えた時に私は、「受容体の有無」という感じがしました。

つまり肥満ウイルスを浴びても、そのウイルスを「受け付けない体質」ならば関係が無い訳です。
肥満も癌も、本当にウイルス感染ならば、「受け付けない体質」がカギに成ります。

今日の言いたいことは、
・ 他人からの悪口やストレスも、それを「受け付ける人」は心身を壊すほど悩み苦しむ。

・ 他人からの悪口やストレスも、まったく「受け付けない人」は、その相手を見て逆に笑っている。

この両者には、天地の違いが生じます。
なぜ、「受け付けない」ことが可能なのでしょうか?

これからの対策としては、病気も悪口も、ストレスも、
・ 「私は受け付けない」
という心中での暗示は、「言霊」として意外と作用すると感じます。

上記のような可能性、物事の流れ、の仮説を理論的に知っておくことは、自己暗示を強化サポートします。
少し楽しく、皆さんと試して見ましょうか。

(伊勢白山道)
  1. 2017/12/21(木) 23:57:35|
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自分の「影」に注意
2017-12-18 11:35:13 | Weblog
西洋の神秘主義に有る考え方に、
・ 悩み過ぎるとシャドー【影・shadow】を生む。
というものが有ります。

影とは、悩む最中の自分の生霊でもあります。
問題は、悩む期間が長いと、
・ その自分の影(生霊)が独立・分離して、独り歩きをし始めます。

もし自分自身が気分転換をしたとしても、その悩む自分の影は、まだ悩んでいる最中です。
そして今の自分の体内に、またその過去の悩む自分の影が磁石のように戻ろうとして、せっかく気分転換をしていたのに、
「やっぱり・・・・」「それでもね」と再び思い出して悩み始めます。

独立した自分自身の影が、
・ 今の自分の足を引く
・ 気分の躁鬱のサイクルを創る
こういう現象が起こります。

自分自身の影に悩まされている事が、
・ 憑依の真相の大半である。(他の霊のせいでは無かった、原因は自分自身の思いだった)
・ 自分自身の影・生霊は、自身の身体から活力をチャージ(充電)するために、疲労感が常にあり、病気がちに成る。
このような原因が霊的には言えます。

なんだ、自分自身が原因だった。こういう可能性に注意をしてください。
他人から悩むような刺激を受けたとしても、
・ それを受けて、悩むのは自分自身の選択です。
腹が立つ相手ほど、「悩むもんか」「私は悩ま無いぞ〜〜」と決意することも大切です。

では、自分が悩んで生んでしまった影・シャドー・生霊が有るとすれば、どうすれば良いのでしょうか?

・ 過去の悩んでいた時の自分を思い出して、それでも生きることが出来たと過去の自分に感謝をすること。

・ シャドーの反対に、何にでもに感謝する自分の生霊を生み続けること。
感謝する瞬間、感謝する時を繰り返すことで、感謝する自分自身の明るい影も生まれるのです。
悩むシャドーが生まれる原理と同様にです。

・ 先祖霊(遺伝子の集合体)に感謝をすることが、影への大きな修復、浄化、を自然とします。
特に安定して起立する「ヨリシロ霊位」が有れば、理想です。
肉体に負担に成らない、高度な霊的な「身代わりの修復」が成されます。

以上のような視点も参考にして頂ければ幸いです。
悩み過ぎると、ろくな事がない。
これが大切です。

(伊勢白山道)
  1. 2017/12/18(月) 21:26:02|
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放火に要注意


今週一週間は、今年が凝縮された週間に成る想定
2017-12-17 11:42:54 | 防災対策
最近の首都圏では、鉄道トラブルが続いています。
電源系統の故障、鉄道架線の切断、電車の窓ガラスの破壊、・・・・数年前には10年に1度有るか?
というトラブルが数ヶ月間の間に連続しています。

特に昨日の架線トラブルは、摩耗とは関係がない補助架線的な部分の切断であり、原因不明とのことです・・・・。
世界情勢が緊迫するほど、それに比例して日本内部で問題が生じています。
これは暗黙のサインであると、思えて成りません。

もし米国が近隣国に空爆をすることに成った場合、それと同時に日本国内では、「内部」から、様々な事故と災害が、なぜか、多発すると感じて成りません。

・ 鉄道、航空、バスなど交通機関、発電所、浄水場での問題。

・ 東京の住宅密集地帯での火事の懸念。これが大問題の想定をします。

関東大震災の多数の死因も、地震による倒壊では無くて火災が原因でした。
防火対策、火災時の避難先の事前想定、これが大切です。

東京には、消防車も入れないほど道が狭い住宅密集地帯が多数有るようです。
新潟県で1つの街が昨年に焼失したように、強風が吹けば火災は止められないのです。
今の米国の西海岸での大火災は、来年まで消えないという報道もあります。
西海岸では既に東京都ほどの広さの宅地を含む面積が焼失しています。

「都市が焼け野原になる」とは、想像以上に簡単な気がして成りません。
政府はかなり以前から、このような事態を想定しており、その為に組織犯罪処罰法を今年に急いで採決をしたのでしょう。
この法律に今でも反対する政治家がいますが、「何のために」反対をするのかが大問題に感じます。


(カレンダーの意味は「12月の自然観察日」「月間の自然観察日」を参照)

・ 12月17日(中潮)今日から地震とテロ、両方要注意の防犯・防災意識が、12月25日まで継続します。

・ 12月18日・19日は、地震に注意。

・ 12月23日から、クリスマスを意識したテロに要注意です。
天体の配置が22日から、テロの発露を想起させる非常に悪いパターンに入ります。

事前に懸念点を意識することで、無難に変えることが可能です。
以上は根拠の無い、防犯・防災害の想定の意味です。
年末に向けて、無難にして行きましょう。

(伊勢白山道)

新宿上落合のアパートを放火しようと狙っているのだろうか?
こちらは、あんまりいないので放火しやすいかもしれない。
それとも中野松が丘のマンションを放火しようと狙っているのだろうか?
こちらのマンションの避難梯子の上には、なぜかクーラーの室外機が置かれていて
避難できないようになっている。
  1. 2017/12/17(日) 18:37:58|
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気になることを保留のままでも、平気なタイプですか?

・ 自分がするべき嫌な事を、そのまま放置して何もしないでも、平気なタイプか?否か。

・ 気になることを、対処する行動をしないで、そのまま放置できる人か?否か。

・ 物事を途中の状態、中途半端なままでも、気にならない人か?否か。
人間は、この2つのタイプに大きく分かれる気がします。

物事を中途半端な状態でも放置が平気な人は、
・ 異性問題もトラブルが多い傾向が有る。異性にだらしない人。
・ ケジメが無い人。
・ 誠意や責任感が無い人。
・ 節操(せっそう)が無い人。(主義主張がコロコロ変わること)
このような傾向が有ると言えそうです。

このような中途半端が平気な人は、
・ 転職を繰り返すことに成る。(これは他人の責任では無くて、自業自得です)
・ 借金も平気な人。
・ 自分が返すべき因果・因縁を創りやすい人。
・ 成仏がし難い人。
・ 貧乏神に好かれる人。

このように成らないように注意が大切です。
今は無事に生活をしている人でも、もし自分に、
・ 「中途半端な状態でも放置が出来る人」
という悪い癖・サガが自分に有ると思えれば、「いつでも」上記のような悪いパターンに進む因子が有ると思って注意をしてください。

人間は、今の生活を失くすことが、誰でも簡単に起こり得ることを忘れては生けません。
・ リストラされる時は、中途半端な社員から減らされるものです。
・ 掃除も家事も中途半端で放置する主婦は、不倫と離婚により、突然に現状を失くさないように注意です。
・ 学生も、中途半端に途中で勉強を止めることを繰り返していますと、試験では点数が取れません。

何でも自分なりに、気になることを平気で放置しないことが、先祖の守護霊からの「ナントナクの誘導」を受け取ることを可能にします。
・ ナントナク気になる。
正神や、守護霊の誘導のサインは、こういう方法で誘導します。

だから、ナントナク気になる事を放置する癖の人は、守護霊の誘導も放置することに成ります。
これでは、やはり悪い方向に行きやすいのです。

でも社会では、自分が気にしても、努力をしても、中途半端に成ることが多々有ります。
これは問題はないです。

なぜなら、自分の良心(内在神)が、自分なりに本当に精一杯した事を観ているからです。
これは本当の自分が「仕方がない」と許してくれます。
もし手抜きの努力ならば、それはダメであり、内在神は知っています。許してくれません。

これが本当にそれでOKか? の内在神からのサインは、
・ 自然と、ソレが良い思い出に変わる。
・ 悪い結果でも、いつまでも執着しなく成る。
という現象に成ります。

精一杯の努力と行動をしたあとは、結果を期待せず、慌てないことです。

以上のような視点も有ることを、知って頂ければ幸いです。
ただ、過剰な気にしすぎは厳禁であり、これも注意です。
人間は、本当に深遠で複雑な存在です。まるで宇宙のように。

(読者からの感想コメント)
今日の記事こそは上書き修正の極意だ。
最近の記事を読んで、人は今からでも上書き修正が出来る、ということは分かった、運命をプログラミング出来るという、やけに壮大な宇宙的な話も伺った、でも、そもそも上書き修正ってどうやるんですか、感じ方を変えるんですか、考え方を変えるんですか、感謝しておればいいんですか、と思っていたが、そんな疑問に答える記事だ。要するに、上書き修正のためには、とにかく気になることから片付けていけば良い。それが上書き修正だ。身近な、些細なことであっても、とにかく気になる目の前の用を片付けていけば、どうしようもないと思っていた過去の傷もいつの間にか癒やすことにもなり、この姿勢を育てていけば、物事に先ずる、という禅の境地にも通じることになる。

(伊勢白山道)
  1. 2017/12/13(水) 18:54:06|
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大きな母性が大切


「老子の人生論 」第二十五章

天と地が生まれる前に、混じり合う渦(うず)を巻くような「流れ」だけが有りました。
それはとても静寂な「流れ」であり、広大な渦を巻くが、決して壊れることが無い安定した存在でした。

だから、それを全てを生み出す母性と呼びます。
でも私には、その名前に本当は何がふさわしいのかが分かり得ません。
あえて別の呼び方をするならば、私は「道」と呼びたいのです。
では道とは何か? と問われれば、道は「とにかく大きいこと」を意味していると言いたいのです。 

本当に無限に大きければ、どこまでも遠くに続く道です。
でも、本当に大き過ぎる道ならば、また元の場所に戻るのです。
道は本当に大きい。だからこそ、その中に在る天も大きいし、地も大きいし、人間も大きな大切な存在です。

人は地に従って生き、地は天に左右され、天は道(大きな母性)に従います。
そして大きな母性は、自然な大きな流れの渦に従います。

(感想)



2500年前に生きた老子が、銀河の渦の流れを正確に描写しています。
宇宙原初の様相を、
・ とても静寂な流れが渦を巻き、決して壊れることが無い安定性が有った。
とまるで見て来たように描写し、しかもその性質は「大きな母性」だと表現してます。

老子は、湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した物理学の「中間子」の存在も、ハッキリと指摘して道徳経(どうとくきょう:81章から成る老子の言葉のこと)に残しています。

なぜ老子は分かったのか?
これのヒントも実は言っています。
・ 部屋の机に座りながらも、道(真理)が分かれば、遠くのことも「既に知っている」状態に成る。
と示唆しています。

これは私には良く分かります。
これを言葉で説明しますと、勉強して知識を「覚える」必要が有るのだ、と思われがちです。
でも本当の感覚は違うのです。脳の真相は違うのです。

知識を覚えるのでは無くて、「思い出す」という表現が近いと思います。
だから勉強する時も、「覚えなければ生けない」という先入観では、なかなか勉強が進まないでしょう。

それよりも効率が良いのは、新しい知識を読んで「思い出すつもり」で謙虚に勉強をしますと、
・ 知識が身に付く。
・ よく脳に馴染んで、忘れない。
という視点を参考にしてください。

デジャヴ(既視感。初めて来た場所なのに、なぜか見たことが有る光景。初めてなのに体験した感じが有ること)
という現象は、勉強の知識でも実は有ることなのです。
「コレ知っている」「有る有る」
という感覚は、勉強への拒否感の壁と、勉強への嫌な先入観を失くさせます。

ところで、人間には母性が大切ということが、よく分かる項でもあります。
この宇宙の始まりは、「母性の渦」からだったのです。
私達も、自分の心に「母性の渦」を意識することで、

・ 何かを産み出すことが出来る。
・ 新しい事を大きく成長させる、成功させる。

これを応援する最高の思い方は、自分の母性を意識して大きくすることなのです。
他人にも、仕事にも、経営にも、家族にも、とにかく自分の母性の心で向き合えば、必要な「思いやり」が見えて来るものです。
それが対象を大きく育てます。
そして、その御蔭が自分にも帰って来るということです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/12/12(火) 13:26:55|
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自分なりの最善を尽くすが、結果はお任せで
2017-12-09 10:31:11 | Weblog
交通手段が自動車しかない地方でよく有る笑い話に、

・ スーパーの広告に、普段は300円の調味料が、今日だけ150円!
・ 直ぐに買いに行き、安く買えたと満足している。
・ でも、そのスーパーに行くには、往復で5L(約600円)のガソリン代が掛かる。

このように人間とは、「自分では得をした」、「私はよくやった」、と思っていましても、冷静な第三者の視線では「そうでも無いよ」ということがあります。
・ 仕事(自分は頑張った感、と周囲の評価は別)
・ 勉強(1日に10時間も自分は勉強した!・・・でも結果は別)
・ 子育て

この自分自身が持つ感想と、周囲からの反応・結果の落差に私達は、
・ ヤル気を失くしたり、
・ 絶望したり、不公平感を持ったり、
・ 怒ったり、
・ 苦しんだりとします。
コノ世の悩みの多くは、これではないでしょうか?

ここで思い出しますことは、宮本武蔵が晩年の書「独行道」(どっこうどう)に書いた、
*  我、神仏を尊びて、神仏を頼らず。
(自分は神仏を尊んで拝むが、神仏に頼ることはしない)

これを違う視点で解釈しますと、
・ 自分は思いっ切り頑張った。やるべき事はした。
・ でも、その結果にこだわらない。
・ それに、執着しない。

人間は、このような心境で淡々と、最善を尽くしながら暮らしたいものです。
これを継続した「流れ」は、勝手に自分を運んでくれることでしょう。(これが最善の運命を呼びます)

自分がした努力感と、周囲からの評価の違いを気にしないこと。
淡々と自分なりの最善を尽くし、評価や結果は「お任せ」にすること。
このような心境で生きたいものです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/12/09(土) 12:46:18|
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何でも「離れる時が一番に難しい」
2017-12-04 11:09:48 | 月間の自然観察日

(カレンダーの意味は「12月の自然観察日」を参照)

今日の午前1時ごろが巨大満月・スーパームーンの最大時間(月と地球の距離が近い)でした。
これから「離れる」時が、今日であり、注意です。

運動会の綱引きを想像してください。
お互いに最大に引っ張り合いをしている時に、片方が一斉に急に手を離しますと、もう一方の全員が倒れる事故に成ります。

天体同士の場合は、徐々に離れるのですが、微妙な引力の変化が地球の特に不安定に成っている断層に刺激を与える可能性に注意をしてください。
過去の統計では、スーパームーンの前後2週間内に大きな地震が見られる可能性も言われています。

* 離れる時が、一番に難しい。
* 入るのは、簡単。

これは社会の何にでも言えるのではないでしょうか。
・ 組織を辞める時が、一番に揉める。遺恨を生みやすい。
・ 恋愛も、別れる時が、相手がストーカーに豹変しないか怖い。
・ 結婚するよりも、離婚するほうが数倍も疲れる。

* このように、「入る時」よりも、「離れる時」「抜ける時」が要注意です。

「12月の自然観察日」のカレンダーに注意日の追加をします。

・ 12月7日、9日、の奇数日です。
テロに注意するべき、天体の配置を解釈します。

・ 12月22日(冬至・太陽の大晦日)から、12月25日まで注意。
太陽の分岐点(12月23日から太陽は新年)と、
「月の最遠理論から5日目」が重なる。
この期間の地震に注意します。

今日の話は、立つ鳥跡を濁さず。(立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め)
と言われますが、
・ 鳥は飛び立つ時が、音を察知されて、一番に撃たれやすい危険な時である。
という視点も、社会で生きる上で覚えて置いて頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/12/04(月) 12:39:41|
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ウソの証言は、またコノ世に生まれ変わる因果と成ります
2017-12-03 11:58:45 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
揉め事や、犯罪に関する証言を求められた時、

自分の為や、他人の為、または何かの財産の為に、

ウソを話す人。

そのような人こそが、最低の人間である。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章7節-No.122)

(感想)

この場合の最低の人間であるというのは、コノ世だけでの最低では無くて、
・ 他人を貶(おとし)めるウソの証言をすれば、来生の転生(生まれ変わり)に影響すること。
・ 今生か来世において、無実の罪を自分が被せられることに成る因果を生むこと。
・ 貶められた相手と、同じような体験を自分がする為に、また生まれ変わる必要が生じる因果に成ること。

このような重大な因果を、ウソの証言は創るという示唆がこの項に述べられています。
ウソの証言をする人は、
・ 自分は証言するだけであり、「直接の犯人や被害者では無いから」、という軽い気持ちが有るかも知れません。
でも、その軽い気持ちが、その問題を左右させる原因(因果)に成る訳です。

人間は死ねば終わり、死後は無い、と考える人は、コノ世を何とか過ごせば良いと思ってしまうかも知れません。
死ねば終わりならば、少し自分に有利に成るほうに証言する。
こういう軽い気持ちは、実は因果の視点では、決して軽くは無いと釈尊は指摘しています。

・ 次は、自分がウソの証言を他人にされて、不利な状況に成る体験をすることに成る。

神道では「鏡・カガミ」が非常に重要視されます。御神体として祭られるほどです。(本当の神社の御神体は、本殿の中の密封された空間や、ヒノキの柱です)

天照太御神は、孫が「コノ世に行って来ます!」と申告して来た時に、
「では、このカガミを持って行きなさい」
と言って、「八咫の鏡」(ヤタノカガミ:伊勢神宮に在るとされる伝説の鏡)を渡します。

これは、コノ世はカガミの世界であり、
・ 自分の行為のすべてが反射して、「相手の立場」「逆の体験」をすることに自動的に成る法則で構成された世界だから注意をしなさい。
という意味でした。

これはまさに釈尊も指摘している因果の事です。
ウソの証言をして得をしたと思っていましても、何の得もしていないのが霊的な真相です。
「逆の立場」を、いつか、体験する場面を自分で未来に創ってしまったということです。

今の自分の生活こそは、未来への原盤を作成中です。
もし今が苦境ならば、苦境であることが悪いことではありません。むしろ、過去の昇華、因果を受けて終わらせる為、という良い意味があると言えます。問題は、

・ 今の苦しい中で、自分が思う内容(怒り、呪い、不満、罵倒、感謝の有無)。
・ その中で、今の自分がする行為・行動。
・ これが来生の転写を創造中・ingが、今であること。これが重要。

どんな苦しい中でも、明るく生きれば大丈夫です。
その場しのぎで、自分に有利に成るようなウソの証言もしないこと。
このような姿勢で生きる人には、良い未来や来生が生じます。これは絶対的な法則として、勝手に、必ず来ます。

・ 悪い因果が必ずいつか再生するのと同様に、良い因果も必ず再生します。

だから、難しく考えずに、ウソをつかずに明るく生きれば、大丈夫に成って行くという示唆の項でした。

(伊勢白山道)
  1. 2017/12/03(日) 19:45:41|
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一番に畏れるべき相手は誰だ?

人間は誰でも、ふと、昔の自分が「した」「起こした」、
・ 他人にした嫌なこと。
・ 今思い出しても、顔から火が出るほど恥ずかしい自分の発言・行為。
・ お世話になった人への、不義理。
・ 他人に謝らないまま、終わっていること。

このようなことを思い出す瞬間が有ります。
でも、今となっては仕方がないことです。
相手の人が既に亡くなっていたり、もう連絡方法が不明であったり、今でも会いたくないことも有るものです。

でも、ふと、自分で思い出す訳です。
なぜでしょうか?
その原因は、自分の良心(内在神)からのサイン・合図であることが大半なのです。
「本当のアナタは、それを忘れていても良いの?」
「忘れたまま、コノ世で反省しないまま、アノ世に帰ると後悔するよ。因果に成るよ」
と教えてくれています。

でも実際に、昔のその相手に当時のことを謝りましても、
・ 完全に忘れている。気にもしていない。そもそも、ソレを知らない。
・ でも中には、今も顔も見たくない。もう良いから、関わらないで欲しい。
という相手のパターンも有ります。

つまり、すべては、自分自身の良心が納得するか、否か、の問題なのです。
もう、過去の相手との問題では無くて、自分(自我・自分優先)と自分自身の良心(内在神)の問題です。
・ 自分自身が思い出して、反省することで、少しでも昇華をさせる為に。
・ 死後に初めて思い出して、自分が苦しむことが無いように、事前に、生前に、思い出させる為のプレゼント。

このようなことが言えます。
人は死後の世界に入りますと、肉体を失くしている為に、心の感覚が10倍の鋭敏さに変わることを想像してください。
痛みも(自殺者だけに残ります)、快楽も、反省で悶えることも、今の10倍の大きさに増幅されることを想像してください。

まさに、快楽は天国と、痛みは地獄と呼べる様相に変わります。
心が10倍の鋭敏さに成りますと、
・ 過去のすべてを思い出します。今生も、その前の過去生も含めて、自分の履歴を思い出します。
・ 今生で、他人に迷惑を掛けたことも、相手の立場に成り切ってその痛みや苦しみを、自分の鋭敏な心がアノ世で体験します。

迷惑を掛けた相手の立場を、自分の死後に初めて思い出して体験しますと、それに耐えられない・苦しむ魂が大半です。
そして、自分から、こういう自分が行くべき世界を「自ら」「自分で」選択します。
もうこの段階では、どんな生前の悪人でも、天国を自分で選ぶ人はいません。
それほどウソが付けない、素直な状態に戻っています。

天国も地獄も、偉い他人が選別や指示をする訳では無いのです。
自分から「申し出る」「自己申告する」ことに必ず成ります。
ただ、どの列に並ぶかを教えてくれるだけの天使(精霊)は居ます。
コノ世から垣間見た人は、その精霊が「選別者」だと勘違いをして来た歴史が有りますが、実際には違います。

コノ世のすべては、本当の自分自身(良心・内在神)を納得させる為のゲーム・幻想だと思ってください。
もう相手に謝ることが出来ない時は、

・ それを思い出した時に、心中で相手に謝ること。
・ 反省して、二度と繰り返さないと誓うこと。
・ 今後は違う人に、その分の善行的なお返しで、上書き修正をすること。

これで緩和されて行きます。
本当の自分が「その様子を見て」納得して行くことに成ります。
自分の良心が「その後」を見て、許し始めます。
・ そうすることで、死後に思い出して苦しむことも、因果に残ることも、無くなって行きます。

一番に畏れるべき相手は、本当の自分(良心・内在神)だったという真相です。
いつも一緒に体験している訳ですから、ウソも誤魔化しも出来ません。
だから観念して、ギブアップして、自分の良心に従って生きる人は、コノ世もアノ世も最善に成って行きます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/12/01(金) 13:21:41|
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強盗殺人に要注意


小さい事の為に、他人を害しないことが大切
2017-11-24 11:51:22 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
もしも、道を歩く人を殺して、

少ない御金でも取ろうとする人は、

そのような人こそが、最低の人間である。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章7節-No.121)

(感想)

2500年も前の古代インドでも、知らない土地を心細く歩く旅人を殺して、金銭を奪う事件が有ったようです。
歩く人間が持つ財産などは、奪ったところで知れている訳です。
それでも、少ない金銭の為に、他人の貴重な命を殺してしまうことは更に重罪だと釈尊は指摘しています。

人の命をそれほど「軽いもの」として見なしたことを証明しています。
これはつまり、命の親である神様への冒涜(ぼうとく)、「軽視」をも意味します。
しかし悲しいことに、今の日本でも、
・ 道を歩く老人のバッグを強奪して転倒させ、大怪我をさせる。
・ 理由も無く歩く人を刺して殺す通り魔。
こういう事件が定期的に起こって来ました。

他国を見ましても、どんな国でも似たような事件が今でも継続して発生しています。
つまり釈尊は、当時から2500年後の未来の今の人類を視て、わざわざNo .121項に
・ 道行く人を、少ない金銭の為に殺害するのは最低の最低の人間がすることだ。
ということが後世に記載されるように講話をされたと感じます。
人類が持つ、どうしようもない最低のサガ(性)として、言い残したようです。

江戸時代の神人・黒住宗忠(くろずみ むねただ:地元の神社で先祖代々の神主さんの家系に生まれた神官)さんも、岡山から伊勢神宮への参拝を生涯に何度もされましたが、その長い道中で強盗に遭われました。
神人の変わっている点は、強盗から「金が少ない!もっと出せ!」と言われた時に、「そうか」と言ってしばらく思案して、

「明日には、あそこの木の根元に金銭を埋めておくから。誰にも言わないから、持って行きなさい」

と言ったというエピソードもあります。
ただ黒住さんの、こういう話のパターンは、その後に強盗に色々な事が起こり、黒住さんに「頼むから引き取って欲しい」と金銭を返しに来ることが有ったようです。

良寛さんも強盗に遭えば、「強盗さんの家族が飢えて大変なんだ!」と勝手に思い込み、自分が持つ物をアレもコレもと順番に強盗に差し出し、最後は着ている着物まで脱いで差し出し、そして更に自分の汚れたフンドシを見つめて「これも脱ぐ?」と強盗に目で聞いた時に、強盗が「もういいわ!」と言い捨てて逃げて行くパターンも多々ありました。

心境の高い人は、アホウの極地とも言えそうです。
強盗に、殺人という「大罪を犯させない誘導」を自然とする訳です。
とにかく「少ない金銭のために」他人の心身を害する気持ちを持たないことが、人として大切です。

(伊勢白山道)
  1. 2017/11/24(金) 12:45:37|
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地獄の箸。自分のガンは他人が切り取ってくれる。
2017-09-29 11:20:07 | Weblog
「天国と地獄の長い箸(はし)」という子供向けの逸話では、アノ世を目撃した人が見た世界は、

・ アノ世では、物凄く長いお箸でしか食事が許されなかった。
・ 地獄の住人は、自分一人だけで食べようとするが、長いお箸では自分の口に食べ物を運べない。いつまで経っても食べることが出来ない為に痩せていた。
・ 天国の住人は、二人がかりで食事をしていた。互いに長いお箸で食べさせ合うことを仲良く繰り返していた。だから全員が、良く食べて健康的だった。

このようなお話です。
この話とはまったく別の視点で、因果の視点で言えることがあります。
・ 自分が持つ悪い因果をコノ世で切断するには、昇華するには、
・ 他人から受けるイジワルや災難で、キレイに成ることが有る。
・ 因果は、他人を通じて、生じる事も、逆に昇華することも起きる。

では、私に災難が起こったのは、私が悪かったのかい!!
いいえ、コノ世では自分が無実でも、新規で災難を受けることも有ります。
その時は、法則として、別の形の幸福が必ず来ます。

因果の視点では、絶対的なバランスが取られるように宇宙は流れています。今でも崩れていません。
高い場所から水が流れるがごとく、クボミに水が流れて行くように、完璧です。

会社でイジメられても、近所で悪口を言われても、
・ 自分が謙虚な姿勢で真面目に居れば、
・ 自分が受けた災難は、自分の霊的借金を減らし、貯金にも変わる。

この考え方を、自分が素直に受け入れるか否かが、人の幸運と不運を決めて行くことを感じます。
・ 会社で理不尽に怒られれば、心中では「ヨッシャー!」とガッツポーズ。
・ 理不尽な事故に遭った投資家は、「今が買いのチャンスだ!」
・ 他人にダマサれれば、「これで私の寿命が延びた!」「ガン細胞が減った!」

これを実践されたのが、江戸期の神人・黒住宗忠(くろずみ むねただ)さんです。
ダマサれても、罵倒されても、ニコニコしていました。
しまいには、「お前はアホ顔だ!」と言われますと、
喜んでピースサインを返して、「やっとワタスも一人前に成れたか」と感慨にひたっていたのです。

因果の歯車は完璧です。
・ 自分に良いことが有れば、素直に感謝をする。
・ 悪い事が有っても、その分の別の幸福が来る。
・ コノ世は、すべてが完全な善であり、良いことばかりが実相。
これが怖いほどに貫徹する世界がコノ世。

これを素直に信じられるアホに成れるか?否かが、運命の分かれ道です。
誰もが欲しい金運も、「もう要らない」と思っても入って来るのが因果。避けることが出来ません。
欲しい人には、何をしても来ない。
その原因には、昇華するべき因果の問題が有る訳です。

金儲けの秘訣は、まったく別の関係無いことに有った。
商売の成功の秘密も、一見は関係が無いと思えることに注意。
それは何か?に気付けることに勝敗が在る。

自分に嫌なことが有りましても、落ち込まないでいましょう。
悲観して、自分の心(内在神)をイジメないことが大切です。
すべてを善(禅)だと受け取る、徹底的なアホに成ることも参考にしてください。
これが、すべての視点でも本当にお得(徳)なのです。

霊的には、これがシャレにならない呪詛返しであり、神罰を起動させる秘訣でもあるのですが、説明は止めておきます。

(伊勢白山道)

警察が「チャリテロ」と呼ぶ、自転車を使った当たり屋への対策
http://www.mag2.com/p/news/287993?l=hmn0d6dbb4
  1. 2017/10/07(土) 18:13:11|
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500円で、食べ放題の食事を提供し続ける、80代のお婆さんがテレビで紹介されていました。
おまけに、県外から来たと自己申告すれば無料だとのこと。
肉と魚、野菜のおかず、季節の味付けご飯。これに味噌・醤油・砂糖・塩・・・・、基本の調味料は長年の勘でふんだんに使用します。

店は繁盛していますが、レポーターが採算は大丈夫ですか?と聞きますと、
毎月7〜8万円の赤字だとのことです。
自分の年金から補填されているとのことでした。
どうして、ここまでして食事を提供するのですか?と聞きますと、

「実は、私は字が読めないのです。
家が貧しすぎて、食べることもままならない状態。
だから学校にも行かしてもらえなかった。バカにされて、色んな苦労をしました。

良い人生だとは言えなかったかも知れない。
だから逆に、なぜか他人の笑顔が見たくなるのです。
ただ、それだけです」

もし、中年までの若い人間が「良い人生だとは言えなかった」と言うのを私が聞けば、まだまだ言うのが早いと反発を覚えますが、80歳を超えた深いシワのある御顔から出た言葉には、厳粛な重みを感じました。
本当に苦労をされたと思います。

若い頃の写真も紹介されていましたが、化粧をしてキレイにされているのですが、その目には「寂しさ」が漂っていました。
自分が不幸だった分、「他人には喜んでもらいたい」と言われる目にはウソはありませんでした。

今の人間には、自分が不幸だから「他人も不幸に成れ」と思うだけでは無くて、行動にもする人が増えています。
これは、まさに悪魔の論理です。

お婆さんは逆に、自分が若い頃に体験が出来なかった、
・ たくさん美味しい物を食べること。
・ 笑顔
これを他人の中に見ることで、自分がなぜか救われて行く心境です。
他人に与えることが喜びに成るという、神様の性質です。

この番組が終わってから、私が考えていましたことは、すべてのヒントと真実は、
* 人間は必ず死ぬこと。
これほどの否定しようが無い事実はありません。

では、必ず死ぬ自分であるのに、
・ 今のソレをしていて、本当に良いのか?
・ それが、そこまで悩む事なのか?
・ 他人を傷付けて良いのか?

どうせ死んでしまう人間なのに、それで良いのか?と考えてみること。
必ず死ぬ自分が、後悔しないようにすること。
これが大切に感じます。

これにより、「執着」、意地張り、頑固さ、・・・・このような思いが解ける気がしませんか?
そして、その心境に至るには、後悔をするような悪事では無くて、他人に喜ばれる事をするのが絶対条件に感じます。
このようなことを、お婆さんから感じました。

(伊勢白山道)
  1. 2017/10/07(土) 18:12:23|
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善を意識した真面目な生活の「継続」がもたらす、人の「動き」とその行う「選択」とは、人知を超えた神秘をもたらします。
これが起こる道理をなんとか説明してみましょう。

善を意識した人間のする生活とは、
・ 周囲に対しての気配りと、謙虚さを忘れません。
・ 素直さを忘れません。
・ 生き生きとした表情を忘れません。
・ 陰では、物事を注意深く静観する思慮深さを持ちます。
・ 自分が思うことを何でも軽々に口にしません。

そして更には、
・ 濁った水が、静かに上辺が透き通るまで、見えるように成るまで、待つことが出来る人。
・ 止まっている物事に対しては、静かに意見を言って、「動き」を与えることが出来る人。

善を意識する真面目な生活を継続する人は、ほどほどの中間であっても感謝をすることが出来ます。
だからこそ、こういう人こそが本当は最も強い人であり、良い状態が継続することに成ります。

(感想)
コノ世の社会での一時的な成功は、悪人でも可能です。
悪人の一時の成功の栄華を見ては、
・ コノ世は不公平だ。
・ 悪事をやった者勝ちだ。
・ 神様など居ない。

このように思う人がいます。
でも、その悪人の10年後、20年後、・・・・更にはその人の死んだ時の状況。
これを知らない訳です。

死後も含めて、完璧な帳尻が崩れることは絶対に有りません。
コノ世とアノ世で、逃げ得に成功した魂は有史以来ゼロです。
特別な悪人は、コノ世を無傷で去ることもありますが、これは真に不幸で怖いことなのです。
コノ世で借金を返す機会も、神様が取り上げたということです。

アノ世で借金10倍の世界が待ち受けています。
その人が死ぬ時に、黒い人たちが大勢で迎えに来ます。(これは本人と、周囲が目撃した話も多い)

でも私たちは、その顛末を見ることが出来ないから、その証拠が無いと思うものです。
安心してください。
普通は、悪人の10年後、20年後で、その半数以上はコノ世でその帳尻を見ることが出来ます。
悪人の栄華は、一時の本当に短いものです。
最後は、死ぬ時の状態でも、更に見られます。

悪人の後年の結果を知らないのに、神様まで否定する人の人生とは、やはり幸が薄くなるものです。
悪人をうらやましく思う、悪に同調をする心境だったと言うことです。注意したいものです。

この項の前半の戒(いまし)めとは、まるで老舗旅館の女将(おかみ)さんのような人の姿を思いました。
家庭でも、こうありたいものです。
会社でも、このような態度の男性ならば、伸びて行くことを思います。将来は独立も可能な人です。

*「口は災いの元」
これが人の人生を簡単に変えてしまうことが、会社でも家庭でも有ります。
注意をしたいものです。

更にこの項で感心する言葉は、
*「濁った水が、静かに上辺が透き通るまで、見えるように成るまで、待つことが出来る人」 

多くの人が、
・ 時間経過を、見る冷静さ。
・ 時間経過を、味方に付ける術(すべ)。
を忘れています。

上記の悪人の顛末と同様に、時間経過は色々な情報を、
・ 教えてくれます。
・ 最善の選択を示してくれます。

でも、
* 止まっている物事に対しては、静かに意見を言って、「動き」を与えることが出来る人。
これは、真面目に努力して静観していれば、
・ 「機を見るに敏」
チャンスを逃さずに動くことが可能に成るということです。

以上のすべては、
* 善を意識した真面目な生活の「継続」がもたらす。
ということなのです。
皆さんの生活の参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/10/07(土) 18:10:47|
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人生の本質は静寂だった
2017-10-07 11:38:56 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第十六章「生きる意味」

「 老子の人生論」第十六章

自分の心を常に空白にして置こう。
そうすると、身の回りでは色々な出来事が起こっていましても、黙ってそれを静観していれば、過ぎ去って行くことが良く分かります。

だから命だって同じなんだよ。
生まれた命は、みんな必ず過ぎ去って逝く。
すべての命は、たった1つの大きな根源へと必ず帰るのだ。
コノ世では分離していたが、誰もが死ねば大いなる1つに帰るのさ。

大きな1つの命に帰る過程を「静寂」と呼びます。
過程とは、人生そのもののこと。
人生は激しく動いているように見えるだけであり、本当は静寂へと帰る過程なのさ。

人生の本質が静寂であるということに気付くには、知恵が必要だ。
起こっては、必ず消えて行く過程を静観することで、人生は静寂であることが良く分かります。
この法則に気付いた者は、「大いなる知恵」に触れています。

この知恵が無い人は、人生で必ず迷います。
行き当たりばったりで右往左往します。
人生が静寂であることを思い知った人間は、

・ どんな人も、真に公平に見ることが出来ます。
・ 他人や社会に、懸命に尽くしたいと思います。
・ 人生を心から楽しむことが出来ます。

このように成れた人は、人としての真の王様です。最上の人間です。
こういう人間が歩く過程(人生)は、誰もが歩くべき「道」を残します。
その道は、永遠という存在に誘導してくれる道なのです。

(感想)
人類の英知が、ここに炸裂しています。
人生、その意味、行き先、歩き方、宇宙。
このすべてが、この項に表現されています。

この騒々しいコノ世が、嫌になるほど動く自分の人生が、
・ 実は、静寂なんだよ。
と老子は言っています。

先が見えない夜の、不安定な荒波の中に誰もが居ると思い込んでいます。
だから、誰もが先行きを心配しています。
でも老子は、そう見えるだけであり、

・ 波は来ても、必ず去って行くことを静観しなさい。
・ 本当は、何も起こっていないのだ。
・ 大いなる母性の命へと、誰もが帰るから心配するな。

命を意識した時に、コノ世を冷静に見ることが出来ます。
すべての肩書き、立場、貧富の先入観が吹き飛び、命からの視点ですべてを見ることが可能に成ります。
その時に、真に公平で中立で、冷静な判断が人は出来るのです。
これを「知恵」と、老子は呼びます。

静観という知恵を得た人は、
大いなる母性へと死んでから帰って逝くだけが人生だと心から分かり、大安心します。
そうすると、生きている短い間は、

・ 何でも思いっ切りやってやるぞ!
・ 何でも来い!
結局、すべては来て過ぎ去って行くだけではないか。それの何を恐れようか。

・ よし、他人に良いことをしてやるぞ!
・ どうせ消えて行く命ばかりではないか。明るく、与え尽くしてから死んで行くぞ!

このような心境に至った人間は、人生を心から楽しむことに成ります。
何をしても、コノ世で成功がしやすい人に、自分が望まなくても成ります。
すべては静寂に帰る。自分も帰る。
これを忘れないで、生活を楽しみましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/10/07(土) 18:08:41|
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ゼロ・ポイントに行くこと
2017-08-26 11:35:38 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第九章「足るを知れ」

「老子の人生論」第九章

肉体が満足するように満腹に成るまで食べ続けることを繰り返せば、逆に肉体は早死にします。
つまりコノ世では、過ぎたることは毒に変わることを知って置きましょう。

仕事も度が過ぎれば、過労死に成ります。
恋愛も相手に執着するほど、相手は重く感じて嫌がり破局します。

「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」(過ぎたことは、ダメと同じこと)
過剰なことは、不足状態と同じに戻るということです。

過食症=常に飢餓状態と同じです。
金持ちも更に欲を出せば、心が貧しくなります。常に不足を思う、その生活の内容は貧乏と同じです。

だから、心を神経過敏に尖らせては生けません。何でも過剰にしてしまうからです。
過剰なことは、何でも短命となり継続がしません。
「これで良い」というお気楽で居ることが、何でも長続きします。

ほどほどで止めることを知っていることが、天の法則に合う最善の生き方です。

(感想)

度が過ぎたことは、毒に変わると老子が言っています。

心配すること、怖がること。
寝すぎること、運動しすぎること。
仕事、恋愛、自慰、遊び、ぐうたらで居ること、などなど。

これらが過剰に成り過ぎますと、病気にも貧乏にも成り、破滅に向かうということです。
過食症=飢餓状態とは、まさに上記のすべてを裏付けて証明しています。
たくさん食べているのに飢えているとは、本当に不思議な様相です。

人間とは、肉体では無くて心の存在であることが、このような逆転が起こる不思議の真相です。
でもコノ世に居る間は、肉体=自分という錯覚の上で誰もが生きています。
肉体という必ず消えて行く物の為に、決して死ぬことが出来ない自分の心が右往左往しています。

・ 肉体は必ずいずれ消えて行くから、過剰な心配も執着もしなくても大丈夫なこと。
・ 自分の心は、決して死なないから安心すること。
・ だから、肉体にとっても心にとっても、ほどほどの中間を探りながら生きることが、天の法則に合うこと。
・ 天の法則に合った生活を継続すれば、その人は最善の生活に向かうということです。死後も天国に進みます。

では極端な金持ちはダメなことなのか?
決してそうではありません。
その反対の振り幅、善行をたくさんしてバランスを取っていれば問題はないのです。
1(善行)=1(恨まれる悪因)ならばゼロとなり、心は平静・平安です。

貧乏では、どうなのか?
小さい財布の中でも、感謝を持って楽しく生きることが出来れば、
小さい振り幅の中で、1=1を達成し、ゼロ(悟り)に成れます。

この両者は、同じ結果の心の世界に行き着きます。
金持ちも貧乏人も、正しく生きれば行き着く世界は同じなのです。
ただむしろ、貧乏な小さい環境のほうが、人生をコントロールしやすくゼロを達成しやすいかも知れません。

裕福になるほど縁を持つ人々が増えて、様々な相克の機会も増えるからです。
誘惑の多いその中でも、ゼロを達成することが出来た人は、大した魂だと言えます。
いずれにせよ、コノ世の貧富は関係なく、行き着く天国は同じだと言うことです。

人間は、起きて半畳、寝て一畳の存在に過ぎません。
今の自分の生活の中でも、それでも、素直に感謝が出来ればそれで良いのです。
慌てずに、淡々と生きて行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/08/26(土) 13:31:47|
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中間子の状態が、未来を決める
2017-08-25 11:25:07 | 自然現象
狭い日本列島でも、天候の地域差が極端に分かれ始めています。
雨が降れば「これでもか!」と、川が溢れるほど短時間に降り、
雷が鳴り始めれば1000個を超える落雷など、例年に無いことが始まっています。

・7月 6日記事「海が降って来る」
・7月15日記事「天空の異変目撃が、空気層の減退から増える世紀に」
・7月21日記事「今朝の時点での想定アレコレ」

これらの記事で共通して懸念をしておりました、
・ 異常な集中豪雨
・ 竜巻の発生
・ 落雷による被害の増加
・ 夏なのに、大粒のヒョウによる自動車の破壊

このような傾向が現実化しております。
自然界の天候が極端に「分かれる」「振れる」ということは、

* 人間も極端に振れやすい状況だから要注意

だと感じます。
・ 極端な意見、思考、行動に走る。
・ 白か黒か付けないと、気が済まない。
・ いきなり離婚、いきなり辞職、いきなり退学。いきなりOO〜O。

こういう短絡的な思考や行動に注意を致しましょう。
釈尊も老子も言っていることは、
* 中道が最高!
なのです。

昔の日本人は、「風流」(ふうりゅう:落ち着いた優雅な雰囲気)を楽しみました。
・ あえて白黒を付けない
・ その間(ま)を、大らかに楽しむ

つまり、今のその悩みも、
・ 中間地点を探ること
・ 公平に静観して見ること

この継続によって、最善の自分の「落とし所」が自然と分かり始めます。
・ 急がないことです。

物理学では、中間子という存在が、物質同士を繋ぎ実体化するためには不可欠な存在です。
中間子が無ければ、バラバラに成る訳です。

今のその悩んでいる最中こそが、未来を実体化・現実化させるには不可欠な時です。
だから早く白黒を付けたいと思い、中間子の時間が短ければ、急いだ白黒の結果・実体化はバラバラに成りやすいのです。
後で後悔をしやすいと言えます。

今という時こそは、過去と未来の間の中間子です。
今を頑張り、最善を尽くしながら、中間に立ちながら、風流(大らかに)に居ることを忘れないで居ましょう。
そうすると、自然と道を迷わずに決断が出来ます。後からも後悔をしません。

極端な大自然の現象を見ながら、人間はあえて中間という視点から静観をして見ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/08/25(金) 21:11:02|
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無私と自然
2017-08-20 11:51:56 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第七章「先に結果を思わないのが極意」

「老子の人生論」第七章

こうでなければ生けない、と思わない事こそ継続する。
私には、これが無いから出来ない、と思わないからこそ達成ができる。

長生きしなければ生けない、と思い詰めるほど結果は良くない。
自然にお任せする、という態度こそが物事が、全てが継続する秘訣です。

自分の為、の物事は伸びません。
他人の為、の物事は継続し発展します。

無私、自分を無くして行くほど、周囲の中で逆に目立ち始めます。
自分ありき、に成るほど周囲は離れて行き、忘れ去られます。何も成すことが出来ません。

聖人は、他人のためだけに生きるからこそ、逆に何かを自然と成すことが可能です。
聖人が聖人と呼ばれる秘密がここに有ります。

(感想)
* 「私には、これが無いから出来ない、と思わないからこそ達成ができる」

人は、「今の自分に無いから」という理由だけで、初めから意識して見る範囲の選択肢が限定されています。
・お金 ・男女の違い ・住む場所 ・容姿の先入観 ・学歴 、・・・・・。

「今の自分に有る範囲」でしか探さない、見ない、とすれば、目を半分閉じたままで探している状態かも知れません。
そうでは無くて、
・ 自分の思い込みに注意しましょう。
・ もっと自分の素直な思いを見詰めてみましょう。
・ 他人の意見も素直に聞いて行くこと。でも、自分の自然な思いを優先しながら。

例では、有名な俳優さんに多いケースが、
・ 自分から俳優に成ることを考えても居なかった。自分の視野に無かった。
・ 初めの切っ掛けは、家族が押したから。スカウトされたから。
・ 自然と周囲に押されて成った。

でも自分には、何かを勧めてくれる人は居ない。
こういう人は、どうすれば良いのでしょうか?
そこで老子は、
* 「他人の為に生きて見てはどうだろうか?」
と問い掛けています。

他人の為に生きる人は、
・ 輝き始める。
・ 物事の中心に自然と成る。(家庭でも、組織でも自然と中心の存在。経営者にも)
・ 幸福に成る。

更には、「無私」(むし)に成ること。
「自分が無い」、とは何と崇高なことでしょうか。
・ 自分が無い=悟り
です。

人は、自分という「我」を無くする為に誰もが生まれて来ています。
これが人類の人生修行の目的です。
自分の我(ワレヨシ心)が無くなるまで、転生は継続します。これでもかと。

無私に成れる最善の方法が、
* 「他人の為に生きること」
* 「自分のためだけに生きるな」
これを老子が提案されています。

これを社会の中で貫徹した人は、聖人であり、自然と何かを成して行き、
自然と社会の中心に置かれると老子は言っています。
これは、どんな宗教的な修行にも勝る、最善・最良の方法だと思います。

どうせ消えて行く命ならば、
無私、自分を無くしながら、
他人の為に生きて見ること。

これは今の社会でも、病んだ自分の心を癒やし、自分を自然と幸福に変えて行く最善の方法だと感じます。
先ずは、自分の家庭から、自分の縁者から、このような気持ちで生きて見ることを参考にしてください。
でも、無理は不要です。自然に、が大切です。
何かが変わり始めます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/08/20(日) 13:24:55|
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他人の不幸を願うなかれ
2017-08-18 11:19:39 | Weblog
* 他人の不幸や悪い事を、願うと、喜ぶと、自分に移動して来る。
* そして、相手の不幸や因果の天罰は、先延ばしに成る。
こういうことを生活の知恵として知って置いてください。

「憎まれっ子世にはばかる」
(人から憎まれるような者ほど、逆に世間では一時的に幅をきかせるものである)
このように昔の人が言ったことは、真理です。

貧乏からスタートして、大きな成功を社会でして、死ぬまで継続・維持した人。
こういう人に共通することが、
・ 他人の不幸を、自分自身の不幸のように真剣に心配する人。
・ 自分がダマされても、仕方がない、と言って微笑んでいる人。
・ 他人を恨むことを知らない人。
こういう人に、理屈を超えた幸運が頼まなくても憑いて来ます。

金持ちに成るのは、悪人でも成れます。
でも、継続は出来ないのです。
必ず、最後は寿命や健康問題も早めに来ます。家族にも来ます。

でも、その成功した悪人の「途中の姿」を見ながら、
・ どうして、あんな人が成功しているのか?
・ 早くバチが当たれば良いのに。
・ 神様なんて居ない。

と思う人がいます。
このように思う人は、自分自身も注意したほうが良いです。
その成功した悪人が気になる間は、自分にも幸運は来ません。

悪い人や、国が有ったとしても、自分自身が他人の不幸を願う内は、自分にとっての守護や天は動きません。いいえ、動けないのです。
天の公平を遅らせているのは、自分自身の思い方の癖によります。

では、人徳の有る人は、悪人をどう見ているのか?どう思ったら良いのか?
・ 気の毒な人だ。
・ 可哀想な人達。
だと思って相手のことを心配します。

こういう態度で自分が居ますと、悪い相手に「公平に成るべき」天の采配が早めに発動します。発動が可能に成るのです。
もし悪人に縁あった者が、悪人を恨む内は発動は出来ません。遅れます。

天による正義の采配は、その件を全員が忘れた頃に、陰で黙って忍者のごとく天から振り下ろされます。
ある意味で怖いことです。
天災・天の采配は、忘れた頃にやって来る。

良寛さんは、深夜の寝ている時に泥棒に入られました。
泥棒が、「まったく盗る物が無いじゃないか!!この家はどうなっているんだ!何か出せ!」と怒り出しました。

良寛さんは、泥棒さんを可哀想に思い、きっと飢えた家族でも居ると思い、
黙って自分が寝ている布団を指さしました。
泥棒は「ちっ!」と言いながら布団を持って行きました。

翌朝に村人が良寛さんの家に遊びに来ますと、良寛さんが寒そうに寝ているのを見て、盗賊に入られたことが村中に知れわたりました。
そして良寛さんの家には、もっと良い布団が届けられました。
泥棒も、きっと後から改心したかも知れません。

もし自分が何かの被害に遭えば、公的な機関に相談するなど出来る努力を淡々としましょう。
そして、恨まず。
こういう態度が、解決への近道だと霊的には言えます。
何とか、コノ世を生きて行きましょう。

たまに、社会の中で生活が苦しそうな・不満を持った人から、
「もっと、コノ世が終わる話を書いてね」
「社会が変わるミロクの話はどうなった?いつ?」
とコメントが来ます、笑。
これでは生けません。

(伊勢白山道)
  1. 2017/08/18(金) 12:34:50|
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また難癖・言いがかり・因縁を付けてくるみたいです・・・

社会での注意事項

2017-08-16 11:30:35 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
美しく発光する精霊は、第四番目の破滅に向かう人々の特徴に「その通りである」と納得し同意しました。
そして、更に釈尊に尋ねました。

「仏陀たる釈尊よ、どうか第五番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.99)


釈尊は答えました。

「・ 正しい信仰を持ちながら、社会の中で働き、それを修行とする人々。
 ・ 信仰を持たなくても、社会の中で苦労しながら働く人々。
 ・ 貧しい人々。

このような人々をバカにしたり、ウソの言葉でダマして詐欺を働いたならば、
その人物は必ず地獄に落ちます。
これが、第五番目の破滅に向かう人々の特徴です」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.100)

(感想)
釈尊が、
「社会の中で修行・苦労している人をバカにしたり、ダマした人物は、必ず破滅します」
と仰っています。

その中でも特に、
・ 正しい信仰を持ちなながら、社会の中で真面目に働く人々をバカにしてダマせば、地獄に落ちる。
と最初に指定しています。

これを逆に言い換えますと、
「神仏に感謝しながら、社会で真面目に働いている人は、最高の修行者である」
と言えます。

もし自分が、先祖に感謝をしながら、神様にも正しく感謝をしていて、社会で真面目に働いていれば、
・ 理不尽にイジメられたり
・ ダマされたり
しても、慌てることはありません。安心して見ていれば良いです。
その相手が、いずれは落ちて行くことに成ります。


どう落ちるのか?は人により様々です。
変な上司は左遷されたり、なぜか会社を辞めたり、病気になったり、と色々あるものです。

だから、自分が上司の場合も、部下に注意する時は注意が必要です。
・ 真面目に働いている部下に注意をする時は、よく事情を聞いて、物事を確認してから、注意をするべきである。
・ 自分の虚栄心や、自我(ワレヨシ心)で、真面目な同僚に怒っては生けない。

こういう配慮が、自分自身の為に必要です。
ましてや、その部下や同僚が、正しい信仰を陰で持つ人ならば、自分が間違った注意をすれば「怖い」ということです。

以上の釈尊の指摘は、今の社会でも非常に重要な視点です。いつの時代でも、上記のようなことで運命が変わってしまっている人が多いのです。
偉い立場の人物でも、これで地獄に落ちます。

・ コノ世だけを見ずに。
・ コノ世とアノ世で昼夜の1日、1つの人生の完了。

という視点で人生を観ますと、
・ 完全な公平に成る。
・ 一切の理不尽も、不公平も、帳尻が合わされる。

これが完璧に流れていることが、私にはよく分かります。

だから、自分が社会で真面目に働き、先祖に感謝をしていれば、コノ世のどんな強欲な成功者よりも強い人です。
アノ世では立場が逆転しています。

だから安心しましょう。
・ 自分が理不尽に会社で怒られても。
・ 社会で他人に騙されても。

自分自身がそれでも真面目に働き、先祖や神仏に感謝をしていれば、いずれは帳尻が合わされて行くのです。
・ 途中の姿・状態を見て、悩むな、怒るな、悲しむな。

こういう視点も知って置いて頂ければ幸いです。

このようなことは、社会で働く人だけでなく、学生や、専業主婦にも言えることです。

・ 自分のするべき仕事を真面目にすること。
・ 先祖や神仏に感謝だけをしていること。
これで十分です。
するべきことをしていれば、何を言われても、安心して暮らしましょう。
怒りや非難、理不尽を言う方が、注意が必要だということです。


(伊勢白山道)

部屋で暴れているの・・・
足音がうるさいの・・・

理不尽な難癖・言いがかり・因縁を付けられてきましたが
また、難癖・言いがかり・因縁を付けられてくるようです。

今度は、どんな難癖・言いがかり・因縁を付けてくるのでしょうか?
  1. 2017/08/16(水) 13:14:44|
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さて、これはいつもの引き寄せのお話です。
こういう話はワタスが信じてるだけのことですから
興味ない人は完全スルーしてください。

さて、先日、人生相談について書いたら
読者を馬鹿にして返すなんて不快になった等のご意見を頂きますた。

くほほほほ。
そうですか。
あっちいけ!
などと書いたからでしょうかね。
まぁ、あれは喝をいるためというかなんというか。

だいたいあんなメールは読む方も気分が悪い。
ワタスはいつも自分が気分が良くなることを最優先しましょうと書いてるのに。
ワタスのブログをちょっとでも読んでてたら書かないでしょ。
という内容だったのでつい。

ワタスは以前にも書きました。

あの斎藤ひとりさんのお話。

脳は「牽引(けんいん)の法則」がある。
それはコンピュータ以上のものすごい力がある。
脳は、自分が思ったものを運んでくる力がある。

そう言ってました。

潜在意識の力。

自分が不幸だと言うと、潜在意識はあらゆるところから不幸に関連する情報を検索してくる。

自分はなぜ不幸なんだろう。
自分の不幸な部分はどこだろう。
今日、不幸だったのはなんのせいなんだろう。

等々、あなたは、あたかもグーグルで「今、自分は不幸」というキーワードで猛烈に検索してるようなものです。

今、自分がどんなに不幸で、どんなに困ってて、どんなにつらいかを書いてる人は、
その瞬間に、潜在意識的には、もっと不幸になりたいです。不幸になる方法は?
と検索してるようなものです。

自分の潜在意識に毎日、不幸を刷り込んでるのに
豪邸に住んでるとか、高級車に乗ってる状態を思い浮かべるとか。
そんな夢は叶いようがないというものです。

斎藤ひとりさんは中卒だけど、自分は他の人たちより7年も早く世に出られた。
早くビジネスを始められた。

ついてる。本当についてる。
そうしきりに言ってました。

あなたは素晴らしいんだから。
ずーっと母親に言われて育った子供は本当に素晴らしくなった。
だって、潜在意識に自分を肯定する言葉が刻み込まれていたのだから。

相談してきた人は、
学校教育であなたはダメな子だね。
あなたの駄目なところはどこ?
どうして駄目なの?
等々。そんな質問ばかり言われて育ったせいで
社会に出てもそれが続いてるのかもしれない。

なぜ不幸なんだろう。
不幸な部分はどこ?
等々、ずーっと今も検索してるのかもしれません。

ワタスが最近、情報断捨離しましょう。
と言ってるのは、世の中そんな情報ばかりだからですね。
足りないところはどこ?。不幸なのはどこ?
そんな言葉ばっかり流れて来るので潜在意識にひじょーに悪い。
そんな情報は遮断してかまわない。

それより、暖かいお風呂に入って、楽しいドラマを見たり、
お酒でも飲んで、

あーー幸せ。
私はなんて幸せなの。
毎日、こんな幸せで良いんでしょうか。
そう言って気分良くしてる方が数万倍潜在意識に良い。

引き寄せとは、とにかく今、この瞬間。この記事を読んでる瞬間を
気分を良くする法則です。

将来を無理してイメージすることじゃなく、
たった今から幸せになって、気分良くなろう。
馬鹿な心配事も、不安も全部捨ててケラケラ笑っちゃおう。

その積み重ねが同じ未来を引き寄せる。
そういう法則だとワタスは理解してます。

なので、今後ワタスにメールをしてくる人は

嘘でもなんでも、
すみません。
私は今最高に幸せなんですが、それはなぜなんでしょうか。
もうツイててついてて。
幸運が止まらないのです。

今日、こんな親切な人に会いました。
近所の人も親切だし、会社の上司もこんな優しくしてくれますた。
毎日気分が良くって最高です。これはなぜなんでしょうか。

等々相談しに来てください。

くほほほほ。
そうですか。
それは良うござんしたね。

毎日ヒャッハーー!してますね。
あなたも引き寄せ分かってますなぁ。

(黄金の金玉を知らないかより引用)
  1. 2017/07/24(月) 13:30:50|
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淡々と立ち向かう姿は美しいものです
2017-07-22 10:43:46 | Weblog
自分は、他人に迷惑ばかり掛けることしか出来ない。
自分は、何をしてもダメだ。
自分なんか、生まれなければ良かった。
生まれて、ごめんなさい。

このように思う人が、小学生から大人まで、老人でも、おられます。
でも、すべては過去生からの流れ、今生の努力で、縁ある者同士の間で出現しています。

誰もが、ソレでも挑戦したかった。
どこまで出来るか、自分自身を見たかった。

自分が他人に迷惑を掛けたと思えば、相手に感謝をすることで、相手はご自身の因果を昇華することに成ります。
自分自身も、辛い思いの中でも、他人の有り難みが分かり、感謝をすることが出来ることで、大いなる昇華が起こっています。

感謝をする方も、される方も、お互いに縁有る者同士が昇華をして行くという修行仲間なのです。

それでも、自分のダメさ、先が見えない現状が、波のように打ち寄せて来るものです。
理屈は分かっても、痛いものは痛い、辛いことは変わらない。
では、どうすれば良いのでしょうか?

そこで、良寛(りょうかん)さんが、良いヒントを残されています。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
これはこれ、災難をのがるる妙法にて候。」

・ 災難に遭う時は、災難に遭えば良いよ。
・ 死ぬ時は、死ぬ時さ。
・ でも実は、こういう心境こそが、一番に災難も死も遠ざけることに成るよ。

人は、嫌だ嫌だ、避けたい避けたい、と思うほどに自ら意識して火に近付く夏の虫に成るということです。

・ 仕方がない
と思えた時に、人は未知の自分の力と「知恵」が出やすく成ります。

そして忘れては生けないことは、
・ どんなダメな自分でも、内在神と同行2人。

神様はただ見ている方では無くて、自分と共にその体験を一緒にしている最中だということが霊的な真実です。

「生まれてごめんなさい」なんて、悲しいことを思ってはダメです。
神様が悲しみます。
すべては大いなる昇華のために現れて・流れて・消えて行く旅を、私たちは神様と共に演じているだけです。

今の自分の役(=現状)に徹することです。
大いに成り切り、最後まで演じ切りましょう。
出来れば笑顔で。

大変な役を演じ切った人ほど、アノ世での喜び、コノ世の人(たった一人であっても)から思い出されて感謝されるカーテンコールとは大変に大きな善徳に成ります。

誰もが「成し難きを成す」挑戦をしている最中です。
大いに生きて、最後まで演じ切りましょう。

生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2017/07/23(日) 18:59:32|
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引き寄せの法則

自分を気分良くさせるシナリオを作れば、あなたは気分のいい波動を作動させる。すると、「引き寄せの法則」がその波動に同調する。いい気分でいること以上に重要なことはない。自分を気分良くさせてくれるイメージを生む出すことほどすてきなことはない。

あなたは何かに感謝するたび、何かを褒めるたび、何かにいい感情を抱くたび、宇宙に向かって「これをもっとください!」と告げているのだ。わざわざ言葉でそれを告げ必要はない。あなたがほとんどの時間、感謝の状態にあるなら、いいことがどんどんあなたに流れ込んでくるだろう。

どんな病気も、もしそれから注意をそらすことができ、異なった波動が優勢になれば、数日以内に治すことができる。そう、どんな病気でもだ。癒えるまでの時間は混乱の程度による。身体のすべての疾患は長い時間をかけて生じるかが、治るときはそれほど時間がかからないのだ。

健康になりたかったら、身体に対して肯定的な思いを抱かねければならないのだろうか?その必要はない。ただし、身体に対し否定的な思いを抱かないようにしなければならない。身体について考えるのをやめ、楽しいことだけを考えていれば、身体は自然な健康状態を取り戻すだろう。

あなたが努力すべきは、自分が欲しいものをくれるように誰かを説得することではありません。ただ、今自分のいるところで、ホッとして楽な気持ちになるように努力すればいいのです。ホッとして気持ちが楽になることが上手になれば、流れに乗れます。そうすれば下流で待っていた願いの実現が次々とあなたの前に現れてくるから、周りの人達はいったいあなたには何が起こったのかとびっくりするでしょう。
「あの人がちょっと願いを口にしたら、天地が総動員されてその願いを実現してくれるような」と言われるでしょう。「何が起ころうといつも感情のバランスを崩さない人だ」と言われるでしょう。「どんなに悲観的な状況でもいつも楽観的な人だ」と言われるでしょう。
それどころか「能天気な楽天家」だと言われるかもしれない。
流れというものがあるんですよ・・・。わたしはやっとそれに気づいて、自分の意図という流れに逆らってじたばたするのをやめたんです。ようやく「自分」と調和できたんですよ。

感情というナビゲーションシステムに注意していれば、そして今自分がいる場所で見つかる一番心地よい思考だけを心がければ、視野が広がって、本当に望むもののほうへ進みやすくなる。

自分が持つ素晴らしいナビゲーションシステムの性質を理解し、そのシステムを使うことに慣れれば「内なる存在」と同じ見方でこの世界が見られるようになる。すべての創造者の自由意志に応じて働く「引き寄せの法則」の力強さ、公正さ、正確さもわかってくる。見いだせる限り最も心地よい思考を心がけることで、あなたは見えない世界の視野に再び接触できる。


(引き寄せの法則より引用)

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さて、時々このブログ。
まぁ、金玉などというブログに人生相談する人も珍しいと思うんですが。

たまーに、たまたま。
玉蔵さん聞いて下さい。
そうやって人生相談を送ってくる人がいるんですね。

あんたも好きね~。
大抵、笑いながら読んでるのですが。

例えば、昨日頂いた人生相談はこんなのものでした。

40後半の男性です。
子供が小中高と3人いて、最近リストラされそうです。

今まで、真面目に頑張ってきたのになんでこんな目に合うんだ。
今までも会社を何回変えて、そのたびに給料が減って来てる。
引き寄せとか、いろいろ試してみたけど駄目だった。
なんでこんな目に合うのか。
別にだいそれた夢はない。金持ちになりたいんじゃない。
ただ、ささやかな幸せな家庭が築きたいだけなんだ。
それすらかなわないのはなぜなんだ。

とかなんとか。
良く読まなかったのですが、こんな内容でした。

まぁ、こういう人生相談ですが。

だいたい、読むと分かるんですが、
不幸自慢というか。
波動が重いんですよね。

大抵、人の悩みなど赤の他人にはどうでも良いことです。

聞いて下さい!
例えば今騒がれてる、松居なんとかさんがうちの旦那がち〇こも立たないのに不倫して。
等々、youtubeで叫べば叫ぶほどお笑いになってますよね。

赤の他人からはお笑いに映る。こんなひどい目にあって、こんな嫌なことがあって。
もう大変なんです。
どうしたら良いんでしょう。
まぁ、切羽詰ってるからなのかもしれないのですが。

波動がかなり重い。
しっし。暗い波動が移るわ。
あっちいけ!
ってなもんです。

こういう状態の人は、どんなアドバイスをしようが自分が気付いて治すまで治らないものです。
要はエネルギーバンパイヤ状態ということです。

最近は金玉村は、抜け出した軽い人が多い。
軽ーい波動は、執着から抜けてる人。

いや~
今度リストラされちゃうんですよ。ガハハ。
私ってお馬鹿でしょ。
ガハハ。

そうやって笑い話にするものです。

昔から載せてるがばいばあちゃんもそうです。
がはははは。

明日はご飯もないよ!

そこにその人の大きさが出るんじゃないでしょうかね。

自分の悩みに執着してる時点でかなり重い。
それじゃぁ、もっと重いことが引き寄せられてくるでしょう。
本人が気付かない限り何を言っても無理でしょう。

リストラがなんだっていうんでしょうかね。
自分だけが不幸だと思ってるんでしょうか。
そんな人はこの世の中にごまんといますよね。

例えば世の中、アルバイトで食べてる人はいっぱいますよね。
バイトをいくつもかけもちしてるとか。
共働きの夫婦もいるでしょう。

メキシコ人なんて国境を越えてまで出稼ぎに行ってますよ。
スマホとかネットを使ってる時点でメキシコ人から見れば贅沢というものです。

例えば、リストラされたら、まずは生活費に超絶に安いとこに引っ越して毎月出てく経費を最低限に落すとか。
それでちょっとの収入でもゆっくり暮らせる場所を探したらどうでしょう。
ど田舎に行けばそれなりに安く暮らせるでしょう。

例えば、お子さん連れなら最近、無料なんとかデーとか。
お子さん連れならお子さん割引とか。
色々やってるでしょう。

色々と探せばそういう費用をかけずにお得に楽しめるのが多い。
まずは自分の生活レベルを落として、リストラされてもやってけるぐらい最低限に落として
人生楽しんでみたらどうでしょう。

それで、人と比較せず。

今の状態で幸せ。
今が最高。
そう思える状態にすることです。

ガハハハ。
あのころはリストラされる。などとおびえてバカみたいだったなぁ。
バカバカしい。
そう思える状況にすることです。

いつも言うように心が先。

たとえ今、金銭的に豊かな人でも、いつ財産が消えるか不安でしょうがない。
心が不安いっぱいの人。
もっと安心したい。幸せになりたい。
そういう欠乏感いっぱいの人は、同じ現実がやってくるだけ。

そういう人は、将来心と同じ状態に貧しくなることでしょう。
今の心が地獄状態だから。

逆に貧しくてもプラス思考でいつも明るく
楽しい状態にいる人。
毎日楽しいなぁ。ニコニコ。

いつも幸せだな~。いつも心は天国状態。
明日は良いことあるぞ。
何の根拠もなくてもそう思ってる人。

そういう人はほっといても必ず豊かになるものです。

今の心の状態が未来を映し出すだけ。

まずは、リストラでもされたら、
これも良い機会だ。一度ぜーんぶ捨てちゃおう。
ガハハハッ。

笑える状況にしてみたらどうでしょう。
引き寄せ云々いうのは、そこからじゃないでしょうか。

と、まぁ馬鹿な金玉ブログに相談があったのでお馬鹿な回答を書いてみましたよ。

ワタスはこれからまたヒャッハーー!
泳ぎに行ってきます。

本当にありがとうございますた。

(黄金の金玉を知らないかより引用)
  1. 2017/07/17(月) 21:33:53|
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「流れて行くから、心配するな」
2017-07-12 11:13:23 | Weblog
(記事「時間差という魔のゾーンに誤魔化されないこと」より)

「自分の感情の波は、過去の自分自身の行為・発言・思考・・・・から湧き起こった波であり、
* 時間差を置いて、今に到達している
という可能性を知って置いてください。

問題は「時間差」なのです。
・ 自分の過去の行為が、今の感情を生んでいます。」

この記事を読んだ読者の感想に、
「今、見えている星の光は、大昔に解き放たれた光を見ていることと同じですね」
というものがありました。

まさに同じだと感じます。
今に見えている北極星の光は、約400年前に放たれた光。
さそり座の一等星アンタレスで550年前の光。
アンドロメダ座の大星雲が230万年前。
現在に分かっている一番古い光は、今から約130億年前の光が地球に届いているそうです。

大昔に輝いた星の発光が、今にやっと星として私たちに、その姿を見せている訳です。
* 人間は、一人ひとりが1つの星である。
これも真理だと感じます。

不思議なことに、文明の成長と比例して、
・ 観測できる星座の数が年々増加し、
・ 文明の成長につれて、人口も年々増加しています。
星と人間との関係に、神様が大いなる宇宙の仕組みを開示していると感じます。

私たちも、過去の自分が発光した、感情・行為・善徳・悪徳が今の自分自身の環境を示現させています。
では、今の自分に現れている諸相(健康、仕事、恋愛、・・・・)は、過去の自分が解き放った光だから、どうすることも出来ないのか?

ここで啓示される言葉は、
* 流れて行くから、心配するな。

というものでした。
更には、行雲流水。
(こううん りゅうすい:空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ)

そして、大切なことは、
* 今日の自分の行為と感情が、明日以降に現れる光を発光させるから、未来は変わる。

過去に発光した光の影(今の自分)だけを見て、諦めては生けないのです。
今日の自分が、明日からの光の影を形成中であることを忘れては生けません。

愚かな先生は、今の環境という過去の残影を見て、運命は決まっていると言います。
これは完全な間違いです。
済んだ過去の発光(自分の行為・感情)が今に現れるのだから、これは変えられません。
でも、流して行けば良いだけなのです。

そして、今、明日から現れる残影の為に、今日を頑張れば、改善して行けば、良いだけなのです。
未来は白紙です。
未来は、今日の自分の発光が転写するだけです。
このトリックに気付いて置きましょう。

今日も自分なりに愛情を発光させたいものです。
未来には暖かい光の影として、その姿が示現することでしょう。

人が持つ愛情こそは、神様に一番近い感情だと感じます。
未来に良い影(この世界)を見せてくれます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/07/12(水) 13:10:45|
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「先入観」「疑い」「悩むこと」の3毒に注意

多くの人々を観ていて感じますことは、人生の半分は、

・ 自分が持つ「先入観」で運命が変わっていること。

・ 「疑い」(うたがい:悪口を言われている疑い、伴侶の浮気疑惑、悪く成るという恐れ疑惑・・・・)で、自ら人生を壊すこと。

・ 悩むだけで何もしなかった、という行動不足。

このようなことで多くの人が、自分の運命を変えています。
「先入観」「疑い」「悩むこと」
「この3つ」が有れば、人の人生は簡単に変わってしまいます。

実は、動物には、この3つが無いのです。
だから、「本能のままに」生きることが可能です。

・ 正しい本能のままに生きること=カンナガラ(内在神と共に生きる姿)

でもあります。
カンナガラで「無思考」(自我が邪魔しない)の時に、叡智が降りて来ます。良いアイ・愛・デアが浮かびます。

逆に言えば、「この3つ」を自分が持つ時は、良い知恵は浮かばず、見事に悪い選択ばかりを自分でして進んで行きます。

更には、もし他人の運命を破壊したければ、「この3つ」を持たせれば十分に可能です。
真面目な人妻を浮気に誘う常套手段は、人妻に対して旦那さんへの「この3つ」を誘導すれば十分です。
人妻は、いずれ自ら、幸福な家庭を自分で壊します。

もし、自分が悩んでいる時は、今の自分に対して
* 「先入観」「疑い」「悩むこと」をしていないか?
* 実際に起こっている事実(fact)だけを見ること。

これを心掛けて静観することで、
・ 何が正しいのか?
・ 自分が進むべき方向
が視えだします。

昭和時代には、3S政策(スポーツ・SEX・スクリーン)で1つの国家・国民を破壊出来るという陰謀論が有りました。
個人は、「先入観」「疑い」「悩むこと」で、人生が変わってしまうことを注意していましょう。

「この3つ」を自分は持たない、と誓うだけで今から、
・ 心が軽く成ります。
・ 微笑みと、解放感が湧いて来ます。

生きる時間は、誰もが短いのです。
だから短い間ぐらいは、「この3つ」を持たない意識を参考にしてください。
自分の人生が変わって行きます。

既に老年でも遅くはありません。
「この3つ」の有無は、死後の行き先にも影響するからです。
この3つを「普段の生活に」持た無いことを参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/07/10(月) 12:49:48|
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今する一歩が自分の運命を変える

今する一歩が自分の運命を変える
2017-07-08 10:51:43 | Weblog
将棋や囲碁の進化の陰には、今は人工知能(自動学習)コンピュータの存在が欠かせないと言われています。
ここ数年だけでも、人工知能は飛躍的な進化をしたようです。
問題は、人工知能の開発者からの発言に、

* 人工知能の性能が、なぜ上がったのか?を、人間側がうまく説明ができなくなっている領域が始まっている。

という声が共通して見られ始めていることなのです。
人工知能のプログラムを提供したのは確かに人間なのです。

・ でも、どうして人工知能が、ソコからコノ答えを導くのか?

が、人間の人知を超え始めているそうです。
これは非常に興味深い発言であり、色々と脳内に浮かんで来ることがあります。

私の直感では、
(1)すべては、圧倒的な全ての「過去データ」(ビッグデータ)の記憶がもたらす産物である。
(2)過去の、すべての「進行のパターン」を記憶した結果である。
(3)人間の記憶量は少ないから、解答へのヒモ付けが出来ないだけ。
(4)過去データを忘れているから、その答えを不思議に思うだけ。

実はこれこそは、因果論、運命、と人が呼んで未知なモノだと思い込んでいる秘密に通じる鍵だと感じます。

もし人間が、すべての自分の過去生の記憶を思い出したとすれば、今の自分は何を思うのか?
・ なぜ自分だけが・・・・と不満だったが、完全に納得した。
・ 自分は、こうなって当然だと分かった。
・ 今のこれで良かった、と思えた。
・ これぐらいで済んで、有り難いと納得した。

このように誰もが成ると、私は確信します。
なぜならば、死後の心は、誰もがこのように成るからです。

もし、過去生のような未知の例が不適ならば、人の脳が現実の「今生だけでも」すべての自分の発言と行動を思い出すならば、今の自分の現状の半分は納得することでしょう。

・ 自分が忘れているから、不満に思うだけのこと。

こういう可能性に気付いて頂ければ幸いです。
とにかく将棋などの対戦においては、過去のビッグデータが人知には未知の答えを導き出すという成功が既に始まっています。

ここで思いますことは、Google社などは、ネット上のすべてのデータを記憶してビッグデータを構築しています。
すると、この先1年間ぐらいは、かなり正確な世界情勢の予測が人工知能で分かっていると思います。
株価や為替の変動も・・・・。

では、運命や未来は決まっているのか?
ここで誤解が生じます。
答えは、「未来は白紙」です。

存在するのは、
・ パターンの反復。
・ 生物の本能として、「新規」よりも同じ反復を、無意識に優先・選択しやすい。

これが在るだけです。
でも、因果を視れば、私たちは同じ反復を過去生から継承しています。
では、このリピート反復を無意識に選んでしまう人類はどうすれば良いのか?

ここで私の心が示す答えは、すべての理屈を超えて、
・ 感謝をする気持ちから、「新規」(ビッグバン・宇宙誕生)が起こる。
・ 感謝の気持ちから、パターンに無い選択が可能に成る。新規が見え始める。

と無意識下が示します。
これを夢想ではなくて、物理法則として聞いて欲しいのです。
因果・因縁も、運命も、すべては過去に有ったパターンの再生という物理法則だと感じます。

だから、過去パターンを破る新規の1手を、誰もが今に打って行く意識が大切に思います。
今からの新規の1手で、運命(過去パターン)は変わるのです。

では、どうすれば良いのか?
今日を、感謝の気持ちからの「行動」をして行くことです。
過去のパターン(因果・運命)から外れて行きます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/07/10(月) 12:49:05|
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「生きることが辛い」も、「笑い」が出て来ない内はまだまだです
2017-06-20 11:16:33 | Weblog
「生きることが辛い」
このように思う人は居ます。

「生きていることも辛いと思う自分は、きっとダメ人間なんだろう」
「周囲を見ても、自分だけが辛いようだ」
このように思い、更に生きることが辛くなって行くものです。
そして、早く死にたいと。

でも、安心してください。そう思うことも正常なのです。
・ そう思う人は、真面目な人なのです。
・ ある意味で、責任感を感じることが出来る人でもある。

そして古来から、人類の多くは人生の中で「生きることが辛い」と誰もが思って来たのです。
ソクラテスもプラトンもです。そして、あの釈尊でさえも、

・ 人生は生老病死。そもそもが人生は、「苦しみ」から構成されているものなのだ。

と断言されています。
コノ世の法則は、すべては「変化」と「消滅」に向かうのが宇宙の原則であり、誰もこれを逃れることが出来ないと釈尊は言われました。

では、消滅に向かうのは暗く・悪いことなのか?
と問われますと、そこが違うのです。
消滅が有るからこそ、「誕生」「歓喜」というサイクル・輪廻(りんね)が生まれるのです。

・ だから、本当に深く「生きることが辛い」と思えたならば、その先には「笑い」が在るはずなのです。

「笑い」が出て来ない間の、「生きることが辛い」はまだまだ人生が中途半端なのです。
自分に甘さが有るし、出来る努力がまだまだ有るし、嫌なワレヨシ欲が自分に有る証拠の「生きることが辛い」なのです。
自分が出来ることを、やり切って無い内の「生きることが辛い」なのです。

本当の不幸の先に、「もう笑うしか無い」という言葉が人には出ます。
すべてを無くした後に、「笑うしか無い」が在ります。
これは、悟りに落ちた瞬間に、狂ったような「笑い」を起こす人が古来からいます。ある意味で狂喜です。

本当に深く「生きることが辛い」と思えた人は、悟りを目指せる人でもあります。
心が暗く成る内は、まだまだです。
何かを得よう、集めよう、でも出来ない。この程度の辛さに過ぎません。
先ずは、ムダな思いを捨てて行くことです。

人は、ワレヨシな欲を捨てて行きますと、個人という自分の枠を心が離れ、
「生きることが辛い」という思いが消えて行きます。
そして、他人との全体で生きる、他人のために生きたい、という喜びが生じ始めます。
この時に「生きることが辛い」と思っていた、「小さな」自分はどこにも居ません。

ところで、ある関西の芸人さんの昭和のエピソードで、
・ 自分は不細工で、体も小さくて、勉強もダメで高校にも行けなかった。
・ 親に、「就職も出来んような奴は、アノお笑いの劇場でも行って雇ってもらえ」と言われる。
・ 「もう死にたい」と思って、暗い顔して本当に事務所に行った。

・ そうしたら、社長が出てきて無言で話を聞いてくれて、
「おもろい顔してるなあ。ほな、明日からおいで」と言われる。

後年に良い給料で暮らせるように成った時に、芸人さんが社長に、あんな暗い顔した私をなぜアノ時に入れてくれたのか?と聞きますと、
・おもろい顔して不細工な人ほど、人生で辛い思いをしている。
・辛い人ほど、多数の他人の気持ちが分かるんや。これは売れるんや。
・世間でダメだと言われた人間を高給取りにすることが、ワシの世間への反骨なんや。

私の微かな記憶では、こんなエピソードだったと思います。
暗い顔した非力な人間でも、「生きるため」「飯を食うため」に、
「生きることが辛い」から突き抜けた笑いへと仕事に昇華が出来た訳です。

「生きることが辛い」人は、自分の生活の中で笑いを探して見ましょう。
人生は、辛くても、良かったとしても、全員がコノ世だけのことです。
アノ世には、持ち越せません。
それならば、ダメで元々で、思いっ切り生きて見ましょう。時間限定ですから、全力疾走でも大丈夫。

(伊勢白山道)
  1. 2017/06/20(火) 12:59:59|
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