集団ストーカーと電磁波攻撃Ⅱ【自分用のデータ保存】

こちらのサイトはあくまで私的なものです。 自分用のデータ保存のためのブログです。

殺されかかってます。

殺されかかってます。

もし、ここでの書き込みがなくなったときは
殺されたと思ってください。

隣の人間がテクノロジーの機器を操作しています。
警察の方は、きちんと調べてください。

急所を狙って夜中に何度も打ち込んできています。

私は、何度も戸塚警察に助けを求めに行ったはずです。
自宅マンションにも何度も呼んでいるではありませんか。

きちんと調べなかった警察の怠慢です。

2013年2月13日

しばらくこの記事はトップに置いておきます。


いつまでも少年の心を忘れずにいたい

・火事も起こそうと狙ってますね。
・無理な言いがかり・因縁付け(2014/11より虚偽の電話を警察にしている 部屋で暴れていると嘘の電話 毎日警察官が来る 多い日は1日に朝、晩2回 3ケ月続く)⇒被害届⇒逮捕させるという流れ
・瞼の裏に腫瘍を作る電磁波照射
・目への電磁波照射 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
・左の頭への電磁波照射⇒右半身不随 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
  1. 2020/02/13(木) 22:18:03|
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強盗殺人に要注意


小さい事の為に、他人を害しないことが大切
2017-11-24 11:51:22 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
もしも、道を歩く人を殺して、

少ない御金でも取ろうとする人は、

そのような人こそが、最低の人間である。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章7節-No.121)

(感想)

2500年も前の古代インドでも、知らない土地を心細く歩く旅人を殺して、金銭を奪う事件が有ったようです。
歩く人間が持つ財産などは、奪ったところで知れている訳です。
それでも、少ない金銭の為に、他人の貴重な命を殺してしまうことは更に重罪だと釈尊は指摘しています。

人の命をそれほど「軽いもの」として見なしたことを証明しています。
これはつまり、命の親である神様への冒涜(ぼうとく)、「軽視」をも意味します。
しかし悲しいことに、今の日本でも、
・ 道を歩く老人のバッグを強奪して転倒させ、大怪我をさせる。
・ 理由も無く歩く人を刺して殺す通り魔。
こういう事件が定期的に起こって来ました。

他国を見ましても、どんな国でも似たような事件が今でも継続して発生しています。
つまり釈尊は、当時から2500年後の未来の今の人類を視て、わざわざNo .121項に
・ 道行く人を、少ない金銭の為に殺害するのは最低の最低の人間がすることだ。
ということが後世に記載されるように講話をされたと感じます。
人類が持つ、どうしようもない最低のサガ(性)として、言い残したようです。

江戸時代の神人・黒住宗忠(くろずみ むねただ:地元の神社で先祖代々の神主さんの家系に生まれた神官)さんも、岡山から伊勢神宮への参拝を生涯に何度もされましたが、その長い道中で強盗に遭われました。
神人の変わっている点は、強盗から「金が少ない!もっと出せ!」と言われた時に、「そうか」と言ってしばらく思案して、

「明日には、あそこの木の根元に金銭を埋めておくから。誰にも言わないから、持って行きなさい」

と言ったというエピソードもあります。
ただ黒住さんの、こういう話のパターンは、その後に強盗に色々な事が起こり、黒住さんに「頼むから引き取って欲しい」と金銭を返しに来ることが有ったようです。

良寛さんも強盗に遭えば、「強盗さんの家族が飢えて大変なんだ!」と勝手に思い込み、自分が持つ物をアレもコレもと順番に強盗に差し出し、最後は着ている着物まで脱いで差し出し、そして更に自分の汚れたフンドシを見つめて「これも脱ぐ?」と強盗に目で聞いた時に、強盗が「もういいわ!」と言い捨てて逃げて行くパターンも多々ありました。

心境の高い人は、アホウの極地とも言えそうです。
強盗に、殺人という「大罪を犯させない誘導」を自然とする訳です。
とにかく「少ない金銭のために」他人の心身を害する気持ちを持たないことが、人として大切です。

(伊勢白山道)
  1. 2017/11/24(金) 12:45:37|
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地獄の箸。自分のガンは他人が切り取ってくれる。
2017-09-29 11:20:07 | Weblog
「天国と地獄の長い箸(はし)」という子供向けの逸話では、アノ世を目撃した人が見た世界は、

・ アノ世では、物凄く長いお箸でしか食事が許されなかった。
・ 地獄の住人は、自分一人だけで食べようとするが、長いお箸では自分の口に食べ物を運べない。いつまで経っても食べることが出来ない為に痩せていた。
・ 天国の住人は、二人がかりで食事をしていた。互いに長いお箸で食べさせ合うことを仲良く繰り返していた。だから全員が、良く食べて健康的だった。

このようなお話です。
この話とはまったく別の視点で、因果の視点で言えることがあります。
・ 自分が持つ悪い因果をコノ世で切断するには、昇華するには、
・ 他人から受けるイジワルや災難で、キレイに成ることが有る。
・ 因果は、他人を通じて、生じる事も、逆に昇華することも起きる。

では、私に災難が起こったのは、私が悪かったのかい!!
いいえ、コノ世では自分が無実でも、新規で災難を受けることも有ります。
その時は、法則として、別の形の幸福が必ず来ます。

因果の視点では、絶対的なバランスが取られるように宇宙は流れています。今でも崩れていません。
高い場所から水が流れるがごとく、クボミに水が流れて行くように、完璧です。

会社でイジメられても、近所で悪口を言われても、
・ 自分が謙虚な姿勢で真面目に居れば、
・ 自分が受けた災難は、自分の霊的借金を減らし、貯金にも変わる。

この考え方を、自分が素直に受け入れるか否かが、人の幸運と不運を決めて行くことを感じます。
・ 会社で理不尽に怒られれば、心中では「ヨッシャー!」とガッツポーズ。
・ 理不尽な事故に遭った投資家は、「今が買いのチャンスだ!」
・ 他人にダマサれれば、「これで私の寿命が延びた!」「ガン細胞が減った!」

これを実践されたのが、江戸期の神人・黒住宗忠(くろずみ むねただ)さんです。
ダマサれても、罵倒されても、ニコニコしていました。
しまいには、「お前はアホ顔だ!」と言われますと、
喜んでピースサインを返して、「やっとワタスも一人前に成れたか」と感慨にひたっていたのです。

因果の歯車は完璧です。
・ 自分に良いことが有れば、素直に感謝をする。
・ 悪い事が有っても、その分の別の幸福が来る。
・ コノ世は、すべてが完全な善であり、良いことばかりが実相。
これが怖いほどに貫徹する世界がコノ世。

これを素直に信じられるアホに成れるか?否かが、運命の分かれ道です。
誰もが欲しい金運も、「もう要らない」と思っても入って来るのが因果。避けることが出来ません。
欲しい人には、何をしても来ない。
その原因には、昇華するべき因果の問題が有る訳です。

金儲けの秘訣は、まったく別の関係無いことに有った。
商売の成功の秘密も、一見は関係が無いと思えることに注意。
それは何か?に気付けることに勝敗が在る。

自分に嫌なことが有りましても、落ち込まないでいましょう。
悲観して、自分の心(内在神)をイジメないことが大切です。
すべてを善(禅)だと受け取る、徹底的なアホに成ることも参考にしてください。
これが、すべての視点でも本当にお得(徳)なのです。

霊的には、これがシャレにならない呪詛返しであり、神罰を起動させる秘訣でもあるのですが、説明は止めておきます。

(伊勢白山道)

警察が「チャリテロ」と呼ぶ、自転車を使った当たり屋への対策
http://www.mag2.com/p/news/287993?l=hmn0d6dbb4
  1. 2017/10/07(土) 18:13:11|
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500円で、食べ放題の食事を提供し続ける、80代のお婆さんがテレビで紹介されていました。
おまけに、県外から来たと自己申告すれば無料だとのこと。
肉と魚、野菜のおかず、季節の味付けご飯。これに味噌・醤油・砂糖・塩・・・・、基本の調味料は長年の勘でふんだんに使用します。

店は繁盛していますが、レポーターが採算は大丈夫ですか?と聞きますと、
毎月7〜8万円の赤字だとのことです。
自分の年金から補填されているとのことでした。
どうして、ここまでして食事を提供するのですか?と聞きますと、

「実は、私は字が読めないのです。
家が貧しすぎて、食べることもままならない状態。
だから学校にも行かしてもらえなかった。バカにされて、色んな苦労をしました。

良い人生だとは言えなかったかも知れない。
だから逆に、なぜか他人の笑顔が見たくなるのです。
ただ、それだけです」

もし、中年までの若い人間が「良い人生だとは言えなかった」と言うのを私が聞けば、まだまだ言うのが早いと反発を覚えますが、80歳を超えた深いシワのある御顔から出た言葉には、厳粛な重みを感じました。
本当に苦労をされたと思います。

若い頃の写真も紹介されていましたが、化粧をしてキレイにされているのですが、その目には「寂しさ」が漂っていました。
自分が不幸だった分、「他人には喜んでもらいたい」と言われる目にはウソはありませんでした。

今の人間には、自分が不幸だから「他人も不幸に成れ」と思うだけでは無くて、行動にもする人が増えています。
これは、まさに悪魔の論理です。

お婆さんは逆に、自分が若い頃に体験が出来なかった、
・ たくさん美味しい物を食べること。
・ 笑顔
これを他人の中に見ることで、自分がなぜか救われて行く心境です。
他人に与えることが喜びに成るという、神様の性質です。

この番組が終わってから、私が考えていましたことは、すべてのヒントと真実は、
* 人間は必ず死ぬこと。
これほどの否定しようが無い事実はありません。

では、必ず死ぬ自分であるのに、
・ 今のソレをしていて、本当に良いのか?
・ それが、そこまで悩む事なのか?
・ 他人を傷付けて良いのか?

どうせ死んでしまう人間なのに、それで良いのか?と考えてみること。
必ず死ぬ自分が、後悔しないようにすること。
これが大切に感じます。

これにより、「執着」、意地張り、頑固さ、・・・・このような思いが解ける気がしませんか?
そして、その心境に至るには、後悔をするような悪事では無くて、他人に喜ばれる事をするのが絶対条件に感じます。
このようなことを、お婆さんから感じました。

(伊勢白山道)
  1. 2017/10/07(土) 18:12:23|
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善を意識した真面目な生活の「継続」がもたらす、人の「動き」とその行う「選択」とは、人知を超えた神秘をもたらします。
これが起こる道理をなんとか説明してみましょう。

善を意識した人間のする生活とは、
・ 周囲に対しての気配りと、謙虚さを忘れません。
・ 素直さを忘れません。
・ 生き生きとした表情を忘れません。
・ 陰では、物事を注意深く静観する思慮深さを持ちます。
・ 自分が思うことを何でも軽々に口にしません。

そして更には、
・ 濁った水が、静かに上辺が透き通るまで、見えるように成るまで、待つことが出来る人。
・ 止まっている物事に対しては、静かに意見を言って、「動き」を与えることが出来る人。

善を意識する真面目な生活を継続する人は、ほどほどの中間であっても感謝をすることが出来ます。
だからこそ、こういう人こそが本当は最も強い人であり、良い状態が継続することに成ります。

(感想)
コノ世の社会での一時的な成功は、悪人でも可能です。
悪人の一時の成功の栄華を見ては、
・ コノ世は不公平だ。
・ 悪事をやった者勝ちだ。
・ 神様など居ない。

このように思う人がいます。
でも、その悪人の10年後、20年後、・・・・更にはその人の死んだ時の状況。
これを知らない訳です。

死後も含めて、完璧な帳尻が崩れることは絶対に有りません。
コノ世とアノ世で、逃げ得に成功した魂は有史以来ゼロです。
特別な悪人は、コノ世を無傷で去ることもありますが、これは真に不幸で怖いことなのです。
コノ世で借金を返す機会も、神様が取り上げたということです。

アノ世で借金10倍の世界が待ち受けています。
その人が死ぬ時に、黒い人たちが大勢で迎えに来ます。(これは本人と、周囲が目撃した話も多い)

でも私たちは、その顛末を見ることが出来ないから、その証拠が無いと思うものです。
安心してください。
普通は、悪人の10年後、20年後で、その半数以上はコノ世でその帳尻を見ることが出来ます。
悪人の栄華は、一時の本当に短いものです。
最後は、死ぬ時の状態でも、更に見られます。

悪人の後年の結果を知らないのに、神様まで否定する人の人生とは、やはり幸が薄くなるものです。
悪人をうらやましく思う、悪に同調をする心境だったと言うことです。注意したいものです。

この項の前半の戒(いまし)めとは、まるで老舗旅館の女将(おかみ)さんのような人の姿を思いました。
家庭でも、こうありたいものです。
会社でも、このような態度の男性ならば、伸びて行くことを思います。将来は独立も可能な人です。

*「口は災いの元」
これが人の人生を簡単に変えてしまうことが、会社でも家庭でも有ります。
注意をしたいものです。

更にこの項で感心する言葉は、
*「濁った水が、静かに上辺が透き通るまで、見えるように成るまで、待つことが出来る人」 

多くの人が、
・ 時間経過を、見る冷静さ。
・ 時間経過を、味方に付ける術(すべ)。
を忘れています。

上記の悪人の顛末と同様に、時間経過は色々な情報を、
・ 教えてくれます。
・ 最善の選択を示してくれます。

でも、
* 止まっている物事に対しては、静かに意見を言って、「動き」を与えることが出来る人。
これは、真面目に努力して静観していれば、
・ 「機を見るに敏」
チャンスを逃さずに動くことが可能に成るということです。

以上のすべては、
* 善を意識した真面目な生活の「継続」がもたらす。
ということなのです。
皆さんの生活の参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/10/07(土) 18:10:47|
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人生の本質は静寂だった
2017-10-07 11:38:56 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第十六章「生きる意味」

「 老子の人生論」第十六章

自分の心を常に空白にして置こう。
そうすると、身の回りでは色々な出来事が起こっていましても、黙ってそれを静観していれば、過ぎ去って行くことが良く分かります。

だから命だって同じなんだよ。
生まれた命は、みんな必ず過ぎ去って逝く。
すべての命は、たった1つの大きな根源へと必ず帰るのだ。
コノ世では分離していたが、誰もが死ねば大いなる1つに帰るのさ。

大きな1つの命に帰る過程を「静寂」と呼びます。
過程とは、人生そのもののこと。
人生は激しく動いているように見えるだけであり、本当は静寂へと帰る過程なのさ。

人生の本質が静寂であるということに気付くには、知恵が必要だ。
起こっては、必ず消えて行く過程を静観することで、人生は静寂であることが良く分かります。
この法則に気付いた者は、「大いなる知恵」に触れています。

この知恵が無い人は、人生で必ず迷います。
行き当たりばったりで右往左往します。
人生が静寂であることを思い知った人間は、

・ どんな人も、真に公平に見ることが出来ます。
・ 他人や社会に、懸命に尽くしたいと思います。
・ 人生を心から楽しむことが出来ます。

このように成れた人は、人としての真の王様です。最上の人間です。
こういう人間が歩く過程(人生)は、誰もが歩くべき「道」を残します。
その道は、永遠という存在に誘導してくれる道なのです。

(感想)
人類の英知が、ここに炸裂しています。
人生、その意味、行き先、歩き方、宇宙。
このすべてが、この項に表現されています。

この騒々しいコノ世が、嫌になるほど動く自分の人生が、
・ 実は、静寂なんだよ。
と老子は言っています。

先が見えない夜の、不安定な荒波の中に誰もが居ると思い込んでいます。
だから、誰もが先行きを心配しています。
でも老子は、そう見えるだけであり、

・ 波は来ても、必ず去って行くことを静観しなさい。
・ 本当は、何も起こっていないのだ。
・ 大いなる母性の命へと、誰もが帰るから心配するな。

命を意識した時に、コノ世を冷静に見ることが出来ます。
すべての肩書き、立場、貧富の先入観が吹き飛び、命からの視点ですべてを見ることが可能に成ります。
その時に、真に公平で中立で、冷静な判断が人は出来るのです。
これを「知恵」と、老子は呼びます。

静観という知恵を得た人は、
大いなる母性へと死んでから帰って逝くだけが人生だと心から分かり、大安心します。
そうすると、生きている短い間は、

・ 何でも思いっ切りやってやるぞ!
・ 何でも来い!
結局、すべては来て過ぎ去って行くだけではないか。それの何を恐れようか。

・ よし、他人に良いことをしてやるぞ!
・ どうせ消えて行く命ばかりではないか。明るく、与え尽くしてから死んで行くぞ!

このような心境に至った人間は、人生を心から楽しむことに成ります。
何をしても、コノ世で成功がしやすい人に、自分が望まなくても成ります。
すべては静寂に帰る。自分も帰る。
これを忘れないで、生活を楽しみましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/10/07(土) 18:08:41|
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ゼロ・ポイントに行くこと
2017-08-26 11:35:38 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第九章「足るを知れ」

「老子の人生論」第九章

肉体が満足するように満腹に成るまで食べ続けることを繰り返せば、逆に肉体は早死にします。
つまりコノ世では、過ぎたることは毒に変わることを知って置きましょう。

仕事も度が過ぎれば、過労死に成ります。
恋愛も相手に執着するほど、相手は重く感じて嫌がり破局します。

「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」(過ぎたことは、ダメと同じこと)
過剰なことは、不足状態と同じに戻るということです。

過食症=常に飢餓状態と同じです。
金持ちも更に欲を出せば、心が貧しくなります。常に不足を思う、その生活の内容は貧乏と同じです。

だから、心を神経過敏に尖らせては生けません。何でも過剰にしてしまうからです。
過剰なことは、何でも短命となり継続がしません。
「これで良い」というお気楽で居ることが、何でも長続きします。

ほどほどで止めることを知っていることが、天の法則に合う最善の生き方です。

(感想)

度が過ぎたことは、毒に変わると老子が言っています。

心配すること、怖がること。
寝すぎること、運動しすぎること。
仕事、恋愛、自慰、遊び、ぐうたらで居ること、などなど。

これらが過剰に成り過ぎますと、病気にも貧乏にも成り、破滅に向かうということです。
過食症=飢餓状態とは、まさに上記のすべてを裏付けて証明しています。
たくさん食べているのに飢えているとは、本当に不思議な様相です。

人間とは、肉体では無くて心の存在であることが、このような逆転が起こる不思議の真相です。
でもコノ世に居る間は、肉体=自分という錯覚の上で誰もが生きています。
肉体という必ず消えて行く物の為に、決して死ぬことが出来ない自分の心が右往左往しています。

・ 肉体は必ずいずれ消えて行くから、過剰な心配も執着もしなくても大丈夫なこと。
・ 自分の心は、決して死なないから安心すること。
・ だから、肉体にとっても心にとっても、ほどほどの中間を探りながら生きることが、天の法則に合うこと。
・ 天の法則に合った生活を継続すれば、その人は最善の生活に向かうということです。死後も天国に進みます。

では極端な金持ちはダメなことなのか?
決してそうではありません。
その反対の振り幅、善行をたくさんしてバランスを取っていれば問題はないのです。
1(善行)=1(恨まれる悪因)ならばゼロとなり、心は平静・平安です。

貧乏では、どうなのか?
小さい財布の中でも、感謝を持って楽しく生きることが出来れば、
小さい振り幅の中で、1=1を達成し、ゼロ(悟り)に成れます。

この両者は、同じ結果の心の世界に行き着きます。
金持ちも貧乏人も、正しく生きれば行き着く世界は同じなのです。
ただむしろ、貧乏な小さい環境のほうが、人生をコントロールしやすくゼロを達成しやすいかも知れません。

裕福になるほど縁を持つ人々が増えて、様々な相克の機会も増えるからです。
誘惑の多いその中でも、ゼロを達成することが出来た人は、大した魂だと言えます。
いずれにせよ、コノ世の貧富は関係なく、行き着く天国は同じだと言うことです。

人間は、起きて半畳、寝て一畳の存在に過ぎません。
今の自分の生活の中でも、それでも、素直に感謝が出来ればそれで良いのです。
慌てずに、淡々と生きて行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/08/26(土) 13:31:47|
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中間子の状態が、未来を決める
2017-08-25 11:25:07 | 自然現象
狭い日本列島でも、天候の地域差が極端に分かれ始めています。
雨が降れば「これでもか!」と、川が溢れるほど短時間に降り、
雷が鳴り始めれば1000個を超える落雷など、例年に無いことが始まっています。

・7月 6日記事「海が降って来る」
・7月15日記事「天空の異変目撃が、空気層の減退から増える世紀に」
・7月21日記事「今朝の時点での想定アレコレ」

これらの記事で共通して懸念をしておりました、
・ 異常な集中豪雨
・ 竜巻の発生
・ 落雷による被害の増加
・ 夏なのに、大粒のヒョウによる自動車の破壊

このような傾向が現実化しております。
自然界の天候が極端に「分かれる」「振れる」ということは、

* 人間も極端に振れやすい状況だから要注意

だと感じます。
・ 極端な意見、思考、行動に走る。
・ 白か黒か付けないと、気が済まない。
・ いきなり離婚、いきなり辞職、いきなり退学。いきなりOO〜O。

こういう短絡的な思考や行動に注意を致しましょう。
釈尊も老子も言っていることは、
* 中道が最高!
なのです。

昔の日本人は、「風流」(ふうりゅう:落ち着いた優雅な雰囲気)を楽しみました。
・ あえて白黒を付けない
・ その間(ま)を、大らかに楽しむ

つまり、今のその悩みも、
・ 中間地点を探ること
・ 公平に静観して見ること

この継続によって、最善の自分の「落とし所」が自然と分かり始めます。
・ 急がないことです。

物理学では、中間子という存在が、物質同士を繋ぎ実体化するためには不可欠な存在です。
中間子が無ければ、バラバラに成る訳です。

今のその悩んでいる最中こそが、未来を実体化・現実化させるには不可欠な時です。
だから早く白黒を付けたいと思い、中間子の時間が短ければ、急いだ白黒の結果・実体化はバラバラに成りやすいのです。
後で後悔をしやすいと言えます。

今という時こそは、過去と未来の間の中間子です。
今を頑張り、最善を尽くしながら、中間に立ちながら、風流(大らかに)に居ることを忘れないで居ましょう。
そうすると、自然と道を迷わずに決断が出来ます。後からも後悔をしません。

極端な大自然の現象を見ながら、人間はあえて中間という視点から静観をして見ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/08/25(金) 21:11:02|
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無私と自然
2017-08-20 11:51:56 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第七章「先に結果を思わないのが極意」

「老子の人生論」第七章

こうでなければ生けない、と思わない事こそ継続する。
私には、これが無いから出来ない、と思わないからこそ達成ができる。

長生きしなければ生けない、と思い詰めるほど結果は良くない。
自然にお任せする、という態度こそが物事が、全てが継続する秘訣です。

自分の為、の物事は伸びません。
他人の為、の物事は継続し発展します。

無私、自分を無くして行くほど、周囲の中で逆に目立ち始めます。
自分ありき、に成るほど周囲は離れて行き、忘れ去られます。何も成すことが出来ません。

聖人は、他人のためだけに生きるからこそ、逆に何かを自然と成すことが可能です。
聖人が聖人と呼ばれる秘密がここに有ります。

(感想)
* 「私には、これが無いから出来ない、と思わないからこそ達成ができる」

人は、「今の自分に無いから」という理由だけで、初めから意識して見る範囲の選択肢が限定されています。
・お金 ・男女の違い ・住む場所 ・容姿の先入観 ・学歴 、・・・・・。

「今の自分に有る範囲」でしか探さない、見ない、とすれば、目を半分閉じたままで探している状態かも知れません。
そうでは無くて、
・ 自分の思い込みに注意しましょう。
・ もっと自分の素直な思いを見詰めてみましょう。
・ 他人の意見も素直に聞いて行くこと。でも、自分の自然な思いを優先しながら。

例では、有名な俳優さんに多いケースが、
・ 自分から俳優に成ることを考えても居なかった。自分の視野に無かった。
・ 初めの切っ掛けは、家族が押したから。スカウトされたから。
・ 自然と周囲に押されて成った。

でも自分には、何かを勧めてくれる人は居ない。
こういう人は、どうすれば良いのでしょうか?
そこで老子は、
* 「他人の為に生きて見てはどうだろうか?」
と問い掛けています。

他人の為に生きる人は、
・ 輝き始める。
・ 物事の中心に自然と成る。(家庭でも、組織でも自然と中心の存在。経営者にも)
・ 幸福に成る。

更には、「無私」(むし)に成ること。
「自分が無い」、とは何と崇高なことでしょうか。
・ 自分が無い=悟り
です。

人は、自分という「我」を無くする為に誰もが生まれて来ています。
これが人類の人生修行の目的です。
自分の我(ワレヨシ心)が無くなるまで、転生は継続します。これでもかと。

無私に成れる最善の方法が、
* 「他人の為に生きること」
* 「自分のためだけに生きるな」
これを老子が提案されています。

これを社会の中で貫徹した人は、聖人であり、自然と何かを成して行き、
自然と社会の中心に置かれると老子は言っています。
これは、どんな宗教的な修行にも勝る、最善・最良の方法だと思います。

どうせ消えて行く命ならば、
無私、自分を無くしながら、
他人の為に生きて見ること。

これは今の社会でも、病んだ自分の心を癒やし、自分を自然と幸福に変えて行く最善の方法だと感じます。
先ずは、自分の家庭から、自分の縁者から、このような気持ちで生きて見ることを参考にしてください。
でも、無理は不要です。自然に、が大切です。
何かが変わり始めます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/08/20(日) 13:24:55|
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他人の不幸を願うなかれ
2017-08-18 11:19:39 | Weblog
* 他人の不幸や悪い事を、願うと、喜ぶと、自分に移動して来る。
* そして、相手の不幸や因果の天罰は、先延ばしに成る。
こういうことを生活の知恵として知って置いてください。

「憎まれっ子世にはばかる」
(人から憎まれるような者ほど、逆に世間では一時的に幅をきかせるものである)
このように昔の人が言ったことは、真理です。

貧乏からスタートして、大きな成功を社会でして、死ぬまで継続・維持した人。
こういう人に共通することが、
・ 他人の不幸を、自分自身の不幸のように真剣に心配する人。
・ 自分がダマされても、仕方がない、と言って微笑んでいる人。
・ 他人を恨むことを知らない人。
こういう人に、理屈を超えた幸運が頼まなくても憑いて来ます。

金持ちに成るのは、悪人でも成れます。
でも、継続は出来ないのです。
必ず、最後は寿命や健康問題も早めに来ます。家族にも来ます。

でも、その成功した悪人の「途中の姿」を見ながら、
・ どうして、あんな人が成功しているのか?
・ 早くバチが当たれば良いのに。
・ 神様なんて居ない。

と思う人がいます。
このように思う人は、自分自身も注意したほうが良いです。
その成功した悪人が気になる間は、自分にも幸運は来ません。

悪い人や、国が有ったとしても、自分自身が他人の不幸を願う内は、自分にとっての守護や天は動きません。いいえ、動けないのです。
天の公平を遅らせているのは、自分自身の思い方の癖によります。

では、人徳の有る人は、悪人をどう見ているのか?どう思ったら良いのか?
・ 気の毒な人だ。
・ 可哀想な人達。
だと思って相手のことを心配します。

こういう態度で自分が居ますと、悪い相手に「公平に成るべき」天の采配が早めに発動します。発動が可能に成るのです。
もし悪人に縁あった者が、悪人を恨む内は発動は出来ません。遅れます。

天による正義の采配は、その件を全員が忘れた頃に、陰で黙って忍者のごとく天から振り下ろされます。
ある意味で怖いことです。
天災・天の采配は、忘れた頃にやって来る。

良寛さんは、深夜の寝ている時に泥棒に入られました。
泥棒が、「まったく盗る物が無いじゃないか!!この家はどうなっているんだ!何か出せ!」と怒り出しました。

良寛さんは、泥棒さんを可哀想に思い、きっと飢えた家族でも居ると思い、
黙って自分が寝ている布団を指さしました。
泥棒は「ちっ!」と言いながら布団を持って行きました。

翌朝に村人が良寛さんの家に遊びに来ますと、良寛さんが寒そうに寝ているのを見て、盗賊に入られたことが村中に知れわたりました。
そして良寛さんの家には、もっと良い布団が届けられました。
泥棒も、きっと後から改心したかも知れません。

もし自分が何かの被害に遭えば、公的な機関に相談するなど出来る努力を淡々としましょう。
そして、恨まず。
こういう態度が、解決への近道だと霊的には言えます。
何とか、コノ世を生きて行きましょう。

たまに、社会の中で生活が苦しそうな・不満を持った人から、
「もっと、コノ世が終わる話を書いてね」
「社会が変わるミロクの話はどうなった?いつ?」
とコメントが来ます、笑。
これでは生けません。

(伊勢白山道)
  1. 2017/08/18(金) 12:34:50|
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また難癖・言いがかり・因縁を付けてくるみたいです・・・

社会での注意事項

2017-08-16 11:30:35 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
美しく発光する精霊は、第四番目の破滅に向かう人々の特徴に「その通りである」と納得し同意しました。
そして、更に釈尊に尋ねました。

「仏陀たる釈尊よ、どうか第五番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.99)


釈尊は答えました。

「・ 正しい信仰を持ちながら、社会の中で働き、それを修行とする人々。
 ・ 信仰を持たなくても、社会の中で苦労しながら働く人々。
 ・ 貧しい人々。

このような人々をバカにしたり、ウソの言葉でダマして詐欺を働いたならば、
その人物は必ず地獄に落ちます。
これが、第五番目の破滅に向かう人々の特徴です」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.100)

(感想)
釈尊が、
「社会の中で修行・苦労している人をバカにしたり、ダマした人物は、必ず破滅します」
と仰っています。

その中でも特に、
・ 正しい信仰を持ちなながら、社会の中で真面目に働く人々をバカにしてダマせば、地獄に落ちる。
と最初に指定しています。

これを逆に言い換えますと、
「神仏に感謝しながら、社会で真面目に働いている人は、最高の修行者である」
と言えます。

もし自分が、先祖に感謝をしながら、神様にも正しく感謝をしていて、社会で真面目に働いていれば、
・ 理不尽にイジメられたり
・ ダマされたり
しても、慌てることはありません。安心して見ていれば良いです。
その相手が、いずれは落ちて行くことに成ります。


どう落ちるのか?は人により様々です。
変な上司は左遷されたり、なぜか会社を辞めたり、病気になったり、と色々あるものです。

だから、自分が上司の場合も、部下に注意する時は注意が必要です。
・ 真面目に働いている部下に注意をする時は、よく事情を聞いて、物事を確認してから、注意をするべきである。
・ 自分の虚栄心や、自我(ワレヨシ心)で、真面目な同僚に怒っては生けない。

こういう配慮が、自分自身の為に必要です。
ましてや、その部下や同僚が、正しい信仰を陰で持つ人ならば、自分が間違った注意をすれば「怖い」ということです。

以上の釈尊の指摘は、今の社会でも非常に重要な視点です。いつの時代でも、上記のようなことで運命が変わってしまっている人が多いのです。
偉い立場の人物でも、これで地獄に落ちます。

・ コノ世だけを見ずに。
・ コノ世とアノ世で昼夜の1日、1つの人生の完了。

という視点で人生を観ますと、
・ 完全な公平に成る。
・ 一切の理不尽も、不公平も、帳尻が合わされる。

これが完璧に流れていることが、私にはよく分かります。

だから、自分が社会で真面目に働き、先祖に感謝をしていれば、コノ世のどんな強欲な成功者よりも強い人です。
アノ世では立場が逆転しています。

だから安心しましょう。
・ 自分が理不尽に会社で怒られても。
・ 社会で他人に騙されても。

自分自身がそれでも真面目に働き、先祖や神仏に感謝をしていれば、いずれは帳尻が合わされて行くのです。
・ 途中の姿・状態を見て、悩むな、怒るな、悲しむな。

こういう視点も知って置いて頂ければ幸いです。

このようなことは、社会で働く人だけでなく、学生や、専業主婦にも言えることです。

・ 自分のするべき仕事を真面目にすること。
・ 先祖や神仏に感謝だけをしていること。
これで十分です。
するべきことをしていれば、何を言われても、安心して暮らしましょう。
怒りや非難、理不尽を言う方が、注意が必要だということです。


(伊勢白山道)

部屋で暴れているの・・・
足音がうるさいの・・・

理不尽な難癖・言いがかり・因縁を付けられてきましたが
また、難癖・言いがかり・因縁を付けられてくるようです。

今度は、どんな難癖・言いがかり・因縁を付けてくるのでしょうか?
  1. 2017/08/16(水) 13:14:44|
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さて、これはいつもの引き寄せのお話です。
こういう話はワタスが信じてるだけのことですから
興味ない人は完全スルーしてください。

さて、先日、人生相談について書いたら
読者を馬鹿にして返すなんて不快になった等のご意見を頂きますた。

くほほほほ。
そうですか。
あっちいけ!
などと書いたからでしょうかね。
まぁ、あれは喝をいるためというかなんというか。

だいたいあんなメールは読む方も気分が悪い。
ワタスはいつも自分が気分が良くなることを最優先しましょうと書いてるのに。
ワタスのブログをちょっとでも読んでてたら書かないでしょ。
という内容だったのでつい。

ワタスは以前にも書きました。

あの斎藤ひとりさんのお話。

脳は「牽引(けんいん)の法則」がある。
それはコンピュータ以上のものすごい力がある。
脳は、自分が思ったものを運んでくる力がある。

そう言ってました。

潜在意識の力。

自分が不幸だと言うと、潜在意識はあらゆるところから不幸に関連する情報を検索してくる。

自分はなぜ不幸なんだろう。
自分の不幸な部分はどこだろう。
今日、不幸だったのはなんのせいなんだろう。

等々、あなたは、あたかもグーグルで「今、自分は不幸」というキーワードで猛烈に検索してるようなものです。

今、自分がどんなに不幸で、どんなに困ってて、どんなにつらいかを書いてる人は、
その瞬間に、潜在意識的には、もっと不幸になりたいです。不幸になる方法は?
と検索してるようなものです。

自分の潜在意識に毎日、不幸を刷り込んでるのに
豪邸に住んでるとか、高級車に乗ってる状態を思い浮かべるとか。
そんな夢は叶いようがないというものです。

斎藤ひとりさんは中卒だけど、自分は他の人たちより7年も早く世に出られた。
早くビジネスを始められた。

ついてる。本当についてる。
そうしきりに言ってました。

あなたは素晴らしいんだから。
ずーっと母親に言われて育った子供は本当に素晴らしくなった。
だって、潜在意識に自分を肯定する言葉が刻み込まれていたのだから。

相談してきた人は、
学校教育であなたはダメな子だね。
あなたの駄目なところはどこ?
どうして駄目なの?
等々。そんな質問ばかり言われて育ったせいで
社会に出てもそれが続いてるのかもしれない。

なぜ不幸なんだろう。
不幸な部分はどこ?
等々、ずーっと今も検索してるのかもしれません。

ワタスが最近、情報断捨離しましょう。
と言ってるのは、世の中そんな情報ばかりだからですね。
足りないところはどこ?。不幸なのはどこ?
そんな言葉ばっかり流れて来るので潜在意識にひじょーに悪い。
そんな情報は遮断してかまわない。

それより、暖かいお風呂に入って、楽しいドラマを見たり、
お酒でも飲んで、

あーー幸せ。
私はなんて幸せなの。
毎日、こんな幸せで良いんでしょうか。
そう言って気分良くしてる方が数万倍潜在意識に良い。

引き寄せとは、とにかく今、この瞬間。この記事を読んでる瞬間を
気分を良くする法則です。

将来を無理してイメージすることじゃなく、
たった今から幸せになって、気分良くなろう。
馬鹿な心配事も、不安も全部捨ててケラケラ笑っちゃおう。

その積み重ねが同じ未来を引き寄せる。
そういう法則だとワタスは理解してます。

なので、今後ワタスにメールをしてくる人は

嘘でもなんでも、
すみません。
私は今最高に幸せなんですが、それはなぜなんでしょうか。
もうツイててついてて。
幸運が止まらないのです。

今日、こんな親切な人に会いました。
近所の人も親切だし、会社の上司もこんな優しくしてくれますた。
毎日気分が良くって最高です。これはなぜなんでしょうか。

等々相談しに来てください。

くほほほほ。
そうですか。
それは良うござんしたね。

毎日ヒャッハーー!してますね。
あなたも引き寄せ分かってますなぁ。

(黄金の金玉を知らないかより引用)
  1. 2017/07/24(月) 13:30:50|
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淡々と立ち向かう姿は美しいものです
2017-07-22 10:43:46 | Weblog
自分は、他人に迷惑ばかり掛けることしか出来ない。
自分は、何をしてもダメだ。
自分なんか、生まれなければ良かった。
生まれて、ごめんなさい。

このように思う人が、小学生から大人まで、老人でも、おられます。
でも、すべては過去生からの流れ、今生の努力で、縁ある者同士の間で出現しています。

誰もが、ソレでも挑戦したかった。
どこまで出来るか、自分自身を見たかった。

自分が他人に迷惑を掛けたと思えば、相手に感謝をすることで、相手はご自身の因果を昇華することに成ります。
自分自身も、辛い思いの中でも、他人の有り難みが分かり、感謝をすることが出来ることで、大いなる昇華が起こっています。

感謝をする方も、される方も、お互いに縁有る者同士が昇華をして行くという修行仲間なのです。

それでも、自分のダメさ、先が見えない現状が、波のように打ち寄せて来るものです。
理屈は分かっても、痛いものは痛い、辛いことは変わらない。
では、どうすれば良いのでしょうか?

そこで、良寛(りょうかん)さんが、良いヒントを残されています。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
これはこれ、災難をのがるる妙法にて候。」

・ 災難に遭う時は、災難に遭えば良いよ。
・ 死ぬ時は、死ぬ時さ。
・ でも実は、こういう心境こそが、一番に災難も死も遠ざけることに成るよ。

人は、嫌だ嫌だ、避けたい避けたい、と思うほどに自ら意識して火に近付く夏の虫に成るということです。

・ 仕方がない
と思えた時に、人は未知の自分の力と「知恵」が出やすく成ります。

そして忘れては生けないことは、
・ どんなダメな自分でも、内在神と同行2人。

神様はただ見ている方では無くて、自分と共にその体験を一緒にしている最中だということが霊的な真実です。

「生まれてごめんなさい」なんて、悲しいことを思ってはダメです。
神様が悲しみます。
すべては大いなる昇華のために現れて・流れて・消えて行く旅を、私たちは神様と共に演じているだけです。

今の自分の役(=現状)に徹することです。
大いに成り切り、最後まで演じ切りましょう。
出来れば笑顔で。

大変な役を演じ切った人ほど、アノ世での喜び、コノ世の人(たった一人であっても)から思い出されて感謝されるカーテンコールとは大変に大きな善徳に成ります。

誰もが「成し難きを成す」挑戦をしている最中です。
大いに生きて、最後まで演じ切りましょう。

生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2017/07/23(日) 18:59:32|
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引き寄せの法則

自分を気分良くさせるシナリオを作れば、あなたは気分のいい波動を作動させる。すると、「引き寄せの法則」がその波動に同調する。いい気分でいること以上に重要なことはない。自分を気分良くさせてくれるイメージを生む出すことほどすてきなことはない。

あなたは何かに感謝するたび、何かを褒めるたび、何かにいい感情を抱くたび、宇宙に向かって「これをもっとください!」と告げているのだ。わざわざ言葉でそれを告げ必要はない。あなたがほとんどの時間、感謝の状態にあるなら、いいことがどんどんあなたに流れ込んでくるだろう。

どんな病気も、もしそれから注意をそらすことができ、異なった波動が優勢になれば、数日以内に治すことができる。そう、どんな病気でもだ。癒えるまでの時間は混乱の程度による。身体のすべての疾患は長い時間をかけて生じるかが、治るときはそれほど時間がかからないのだ。

健康になりたかったら、身体に対して肯定的な思いを抱かねければならないのだろうか?その必要はない。ただし、身体に対し否定的な思いを抱かないようにしなければならない。身体について考えるのをやめ、楽しいことだけを考えていれば、身体は自然な健康状態を取り戻すだろう。

あなたが努力すべきは、自分が欲しいものをくれるように誰かを説得することではありません。ただ、今自分のいるところで、ホッとして楽な気持ちになるように努力すればいいのです。ホッとして気持ちが楽になることが上手になれば、流れに乗れます。そうすれば下流で待っていた願いの実現が次々とあなたの前に現れてくるから、周りの人達はいったいあなたには何が起こったのかとびっくりするでしょう。
「あの人がちょっと願いを口にしたら、天地が総動員されてその願いを実現してくれるような」と言われるでしょう。「何が起ころうといつも感情のバランスを崩さない人だ」と言われるでしょう。「どんなに悲観的な状況でもいつも楽観的な人だ」と言われるでしょう。
それどころか「能天気な楽天家」だと言われるかもしれない。
流れというものがあるんですよ・・・。わたしはやっとそれに気づいて、自分の意図という流れに逆らってじたばたするのをやめたんです。ようやく「自分」と調和できたんですよ。

感情というナビゲーションシステムに注意していれば、そして今自分がいる場所で見つかる一番心地よい思考だけを心がければ、視野が広がって、本当に望むもののほうへ進みやすくなる。

自分が持つ素晴らしいナビゲーションシステムの性質を理解し、そのシステムを使うことに慣れれば「内なる存在」と同じ見方でこの世界が見られるようになる。すべての創造者の自由意志に応じて働く「引き寄せの法則」の力強さ、公正さ、正確さもわかってくる。見いだせる限り最も心地よい思考を心がけることで、あなたは見えない世界の視野に再び接触できる。


(引き寄せの法則より引用)

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さて、時々このブログ。
まぁ、金玉などというブログに人生相談する人も珍しいと思うんですが。

たまーに、たまたま。
玉蔵さん聞いて下さい。
そうやって人生相談を送ってくる人がいるんですね。

あんたも好きね~。
大抵、笑いながら読んでるのですが。

例えば、昨日頂いた人生相談はこんなのものでした。

40後半の男性です。
子供が小中高と3人いて、最近リストラされそうです。

今まで、真面目に頑張ってきたのになんでこんな目に合うんだ。
今までも会社を何回変えて、そのたびに給料が減って来てる。
引き寄せとか、いろいろ試してみたけど駄目だった。
なんでこんな目に合うのか。
別にだいそれた夢はない。金持ちになりたいんじゃない。
ただ、ささやかな幸せな家庭が築きたいだけなんだ。
それすらかなわないのはなぜなんだ。

とかなんとか。
良く読まなかったのですが、こんな内容でした。

まぁ、こういう人生相談ですが。

だいたい、読むと分かるんですが、
不幸自慢というか。
波動が重いんですよね。

大抵、人の悩みなど赤の他人にはどうでも良いことです。

聞いて下さい!
例えば今騒がれてる、松居なんとかさんがうちの旦那がち〇こも立たないのに不倫して。
等々、youtubeで叫べば叫ぶほどお笑いになってますよね。

赤の他人からはお笑いに映る。こんなひどい目にあって、こんな嫌なことがあって。
もう大変なんです。
どうしたら良いんでしょう。
まぁ、切羽詰ってるからなのかもしれないのですが。

波動がかなり重い。
しっし。暗い波動が移るわ。
あっちいけ!
ってなもんです。

こういう状態の人は、どんなアドバイスをしようが自分が気付いて治すまで治らないものです。
要はエネルギーバンパイヤ状態ということです。

最近は金玉村は、抜け出した軽い人が多い。
軽ーい波動は、執着から抜けてる人。

いや~
今度リストラされちゃうんですよ。ガハハ。
私ってお馬鹿でしょ。
ガハハ。

そうやって笑い話にするものです。

昔から載せてるがばいばあちゃんもそうです。
がはははは。

明日はご飯もないよ!

そこにその人の大きさが出るんじゃないでしょうかね。

自分の悩みに執着してる時点でかなり重い。
それじゃぁ、もっと重いことが引き寄せられてくるでしょう。
本人が気付かない限り何を言っても無理でしょう。

リストラがなんだっていうんでしょうかね。
自分だけが不幸だと思ってるんでしょうか。
そんな人はこの世の中にごまんといますよね。

例えば世の中、アルバイトで食べてる人はいっぱいますよね。
バイトをいくつもかけもちしてるとか。
共働きの夫婦もいるでしょう。

メキシコ人なんて国境を越えてまで出稼ぎに行ってますよ。
スマホとかネットを使ってる時点でメキシコ人から見れば贅沢というものです。

例えば、リストラされたら、まずは生活費に超絶に安いとこに引っ越して毎月出てく経費を最低限に落すとか。
それでちょっとの収入でもゆっくり暮らせる場所を探したらどうでしょう。
ど田舎に行けばそれなりに安く暮らせるでしょう。

例えば、お子さん連れなら最近、無料なんとかデーとか。
お子さん連れならお子さん割引とか。
色々やってるでしょう。

色々と探せばそういう費用をかけずにお得に楽しめるのが多い。
まずは自分の生活レベルを落として、リストラされてもやってけるぐらい最低限に落として
人生楽しんでみたらどうでしょう。

それで、人と比較せず。

今の状態で幸せ。
今が最高。
そう思える状態にすることです。

ガハハハ。
あのころはリストラされる。などとおびえてバカみたいだったなぁ。
バカバカしい。
そう思える状況にすることです。

いつも言うように心が先。

たとえ今、金銭的に豊かな人でも、いつ財産が消えるか不安でしょうがない。
心が不安いっぱいの人。
もっと安心したい。幸せになりたい。
そういう欠乏感いっぱいの人は、同じ現実がやってくるだけ。

そういう人は、将来心と同じ状態に貧しくなることでしょう。
今の心が地獄状態だから。

逆に貧しくてもプラス思考でいつも明るく
楽しい状態にいる人。
毎日楽しいなぁ。ニコニコ。

いつも幸せだな~。いつも心は天国状態。
明日は良いことあるぞ。
何の根拠もなくてもそう思ってる人。

そういう人はほっといても必ず豊かになるものです。

今の心の状態が未来を映し出すだけ。

まずは、リストラでもされたら、
これも良い機会だ。一度ぜーんぶ捨てちゃおう。
ガハハハッ。

笑える状況にしてみたらどうでしょう。
引き寄せ云々いうのは、そこからじゃないでしょうか。

と、まぁ馬鹿な金玉ブログに相談があったのでお馬鹿な回答を書いてみましたよ。

ワタスはこれからまたヒャッハーー!
泳ぎに行ってきます。

本当にありがとうございますた。

(黄金の金玉を知らないかより引用)
  1. 2017/07/17(月) 21:33:53|
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「流れて行くから、心配するな」
2017-07-12 11:13:23 | Weblog
(記事「時間差という魔のゾーンに誤魔化されないこと」より)

「自分の感情の波は、過去の自分自身の行為・発言・思考・・・・から湧き起こった波であり、
* 時間差を置いて、今に到達している
という可能性を知って置いてください。

問題は「時間差」なのです。
・ 自分の過去の行為が、今の感情を生んでいます。」

この記事を読んだ読者の感想に、
「今、見えている星の光は、大昔に解き放たれた光を見ていることと同じですね」
というものがありました。

まさに同じだと感じます。
今に見えている北極星の光は、約400年前に放たれた光。
さそり座の一等星アンタレスで550年前の光。
アンドロメダ座の大星雲が230万年前。
現在に分かっている一番古い光は、今から約130億年前の光が地球に届いているそうです。

大昔に輝いた星の発光が、今にやっと星として私たちに、その姿を見せている訳です。
* 人間は、一人ひとりが1つの星である。
これも真理だと感じます。

不思議なことに、文明の成長と比例して、
・ 観測できる星座の数が年々増加し、
・ 文明の成長につれて、人口も年々増加しています。
星と人間との関係に、神様が大いなる宇宙の仕組みを開示していると感じます。

私たちも、過去の自分が発光した、感情・行為・善徳・悪徳が今の自分自身の環境を示現させています。
では、今の自分に現れている諸相(健康、仕事、恋愛、・・・・)は、過去の自分が解き放った光だから、どうすることも出来ないのか?

ここで啓示される言葉は、
* 流れて行くから、心配するな。

というものでした。
更には、行雲流水。
(こううん りゅうすい:空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ)

そして、大切なことは、
* 今日の自分の行為と感情が、明日以降に現れる光を発光させるから、未来は変わる。

過去に発光した光の影(今の自分)だけを見て、諦めては生けないのです。
今日の自分が、明日からの光の影を形成中であることを忘れては生けません。

愚かな先生は、今の環境という過去の残影を見て、運命は決まっていると言います。
これは完全な間違いです。
済んだ過去の発光(自分の行為・感情)が今に現れるのだから、これは変えられません。
でも、流して行けば良いだけなのです。

そして、今、明日から現れる残影の為に、今日を頑張れば、改善して行けば、良いだけなのです。
未来は白紙です。
未来は、今日の自分の発光が転写するだけです。
このトリックに気付いて置きましょう。

今日も自分なりに愛情を発光させたいものです。
未来には暖かい光の影として、その姿が示現することでしょう。

人が持つ愛情こそは、神様に一番近い感情だと感じます。
未来に良い影(この世界)を見せてくれます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/07/12(水) 13:10:45|
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「先入観」「疑い」「悩むこと」の3毒に注意

多くの人々を観ていて感じますことは、人生の半分は、

・ 自分が持つ「先入観」で運命が変わっていること。

・ 「疑い」(うたがい:悪口を言われている疑い、伴侶の浮気疑惑、悪く成るという恐れ疑惑・・・・)で、自ら人生を壊すこと。

・ 悩むだけで何もしなかった、という行動不足。

このようなことで多くの人が、自分の運命を変えています。
「先入観」「疑い」「悩むこと」
「この3つ」が有れば、人の人生は簡単に変わってしまいます。

実は、動物には、この3つが無いのです。
だから、「本能のままに」生きることが可能です。

・ 正しい本能のままに生きること=カンナガラ(内在神と共に生きる姿)

でもあります。
カンナガラで「無思考」(自我が邪魔しない)の時に、叡智が降りて来ます。良いアイ・愛・デアが浮かびます。

逆に言えば、「この3つ」を自分が持つ時は、良い知恵は浮かばず、見事に悪い選択ばかりを自分でして進んで行きます。

更には、もし他人の運命を破壊したければ、「この3つ」を持たせれば十分に可能です。
真面目な人妻を浮気に誘う常套手段は、人妻に対して旦那さんへの「この3つ」を誘導すれば十分です。
人妻は、いずれ自ら、幸福な家庭を自分で壊します。

もし、自分が悩んでいる時は、今の自分に対して
* 「先入観」「疑い」「悩むこと」をしていないか?
* 実際に起こっている事実(fact)だけを見ること。

これを心掛けて静観することで、
・ 何が正しいのか?
・ 自分が進むべき方向
が視えだします。

昭和時代には、3S政策(スポーツ・SEX・スクリーン)で1つの国家・国民を破壊出来るという陰謀論が有りました。
個人は、「先入観」「疑い」「悩むこと」で、人生が変わってしまうことを注意していましょう。

「この3つ」を自分は持たない、と誓うだけで今から、
・ 心が軽く成ります。
・ 微笑みと、解放感が湧いて来ます。

生きる時間は、誰もが短いのです。
だから短い間ぐらいは、「この3つ」を持たない意識を参考にしてください。
自分の人生が変わって行きます。

既に老年でも遅くはありません。
「この3つ」の有無は、死後の行き先にも影響するからです。
この3つを「普段の生活に」持た無いことを参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/07/10(月) 12:49:48|
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今する一歩が自分の運命を変える

今する一歩が自分の運命を変える
2017-07-08 10:51:43 | Weblog
将棋や囲碁の進化の陰には、今は人工知能(自動学習)コンピュータの存在が欠かせないと言われています。
ここ数年だけでも、人工知能は飛躍的な進化をしたようです。
問題は、人工知能の開発者からの発言に、

* 人工知能の性能が、なぜ上がったのか?を、人間側がうまく説明ができなくなっている領域が始まっている。

という声が共通して見られ始めていることなのです。
人工知能のプログラムを提供したのは確かに人間なのです。

・ でも、どうして人工知能が、ソコからコノ答えを導くのか?

が、人間の人知を超え始めているそうです。
これは非常に興味深い発言であり、色々と脳内に浮かんで来ることがあります。

私の直感では、
(1)すべては、圧倒的な全ての「過去データ」(ビッグデータ)の記憶がもたらす産物である。
(2)過去の、すべての「進行のパターン」を記憶した結果である。
(3)人間の記憶量は少ないから、解答へのヒモ付けが出来ないだけ。
(4)過去データを忘れているから、その答えを不思議に思うだけ。

実はこれこそは、因果論、運命、と人が呼んで未知なモノだと思い込んでいる秘密に通じる鍵だと感じます。

もし人間が、すべての自分の過去生の記憶を思い出したとすれば、今の自分は何を思うのか?
・ なぜ自分だけが・・・・と不満だったが、完全に納得した。
・ 自分は、こうなって当然だと分かった。
・ 今のこれで良かった、と思えた。
・ これぐらいで済んで、有り難いと納得した。

このように誰もが成ると、私は確信します。
なぜならば、死後の心は、誰もがこのように成るからです。

もし、過去生のような未知の例が不適ならば、人の脳が現実の「今生だけでも」すべての自分の発言と行動を思い出すならば、今の自分の現状の半分は納得することでしょう。

・ 自分が忘れているから、不満に思うだけのこと。

こういう可能性に気付いて頂ければ幸いです。
とにかく将棋などの対戦においては、過去のビッグデータが人知には未知の答えを導き出すという成功が既に始まっています。

ここで思いますことは、Google社などは、ネット上のすべてのデータを記憶してビッグデータを構築しています。
すると、この先1年間ぐらいは、かなり正確な世界情勢の予測が人工知能で分かっていると思います。
株価や為替の変動も・・・・。

では、運命や未来は決まっているのか?
ここで誤解が生じます。
答えは、「未来は白紙」です。

存在するのは、
・ パターンの反復。
・ 生物の本能として、「新規」よりも同じ反復を、無意識に優先・選択しやすい。

これが在るだけです。
でも、因果を視れば、私たちは同じ反復を過去生から継承しています。
では、このリピート反復を無意識に選んでしまう人類はどうすれば良いのか?

ここで私の心が示す答えは、すべての理屈を超えて、
・ 感謝をする気持ちから、「新規」(ビッグバン・宇宙誕生)が起こる。
・ 感謝の気持ちから、パターンに無い選択が可能に成る。新規が見え始める。

と無意識下が示します。
これを夢想ではなくて、物理法則として聞いて欲しいのです。
因果・因縁も、運命も、すべては過去に有ったパターンの再生という物理法則だと感じます。

だから、過去パターンを破る新規の1手を、誰もが今に打って行く意識が大切に思います。
今からの新規の1手で、運命(過去パターン)は変わるのです。

では、どうすれば良いのか?
今日を、感謝の気持ちからの「行動」をして行くことです。
過去のパターン(因果・運命)から外れて行きます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/07/10(月) 12:49:05|
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「生きることが辛い」も、「笑い」が出て来ない内はまだまだです
2017-06-20 11:16:33 | Weblog
「生きることが辛い」
このように思う人は居ます。

「生きていることも辛いと思う自分は、きっとダメ人間なんだろう」
「周囲を見ても、自分だけが辛いようだ」
このように思い、更に生きることが辛くなって行くものです。
そして、早く死にたいと。

でも、安心してください。そう思うことも正常なのです。
・ そう思う人は、真面目な人なのです。
・ ある意味で、責任感を感じることが出来る人でもある。

そして古来から、人類の多くは人生の中で「生きることが辛い」と誰もが思って来たのです。
ソクラテスもプラトンもです。そして、あの釈尊でさえも、

・ 人生は生老病死。そもそもが人生は、「苦しみ」から構成されているものなのだ。

と断言されています。
コノ世の法則は、すべては「変化」と「消滅」に向かうのが宇宙の原則であり、誰もこれを逃れることが出来ないと釈尊は言われました。

では、消滅に向かうのは暗く・悪いことなのか?
と問われますと、そこが違うのです。
消滅が有るからこそ、「誕生」「歓喜」というサイクル・輪廻(りんね)が生まれるのです。

・ だから、本当に深く「生きることが辛い」と思えたならば、その先には「笑い」が在るはずなのです。

「笑い」が出て来ない間の、「生きることが辛い」はまだまだ人生が中途半端なのです。
自分に甘さが有るし、出来る努力がまだまだ有るし、嫌なワレヨシ欲が自分に有る証拠の「生きることが辛い」なのです。
自分が出来ることを、やり切って無い内の「生きることが辛い」なのです。

本当の不幸の先に、「もう笑うしか無い」という言葉が人には出ます。
すべてを無くした後に、「笑うしか無い」が在ります。
これは、悟りに落ちた瞬間に、狂ったような「笑い」を起こす人が古来からいます。ある意味で狂喜です。

本当に深く「生きることが辛い」と思えた人は、悟りを目指せる人でもあります。
心が暗く成る内は、まだまだです。
何かを得よう、集めよう、でも出来ない。この程度の辛さに過ぎません。
先ずは、ムダな思いを捨てて行くことです。

人は、ワレヨシな欲を捨てて行きますと、個人という自分の枠を心が離れ、
「生きることが辛い」という思いが消えて行きます。
そして、他人との全体で生きる、他人のために生きたい、という喜びが生じ始めます。
この時に「生きることが辛い」と思っていた、「小さな」自分はどこにも居ません。

ところで、ある関西の芸人さんの昭和のエピソードで、
・ 自分は不細工で、体も小さくて、勉強もダメで高校にも行けなかった。
・ 親に、「就職も出来んような奴は、アノお笑いの劇場でも行って雇ってもらえ」と言われる。
・ 「もう死にたい」と思って、暗い顔して本当に事務所に行った。

・ そうしたら、社長が出てきて無言で話を聞いてくれて、
「おもろい顔してるなあ。ほな、明日からおいで」と言われる。

後年に良い給料で暮らせるように成った時に、芸人さんが社長に、あんな暗い顔した私をなぜアノ時に入れてくれたのか?と聞きますと、
・おもろい顔して不細工な人ほど、人生で辛い思いをしている。
・辛い人ほど、多数の他人の気持ちが分かるんや。これは売れるんや。
・世間でダメだと言われた人間を高給取りにすることが、ワシの世間への反骨なんや。

私の微かな記憶では、こんなエピソードだったと思います。
暗い顔した非力な人間でも、「生きるため」「飯を食うため」に、
「生きることが辛い」から突き抜けた笑いへと仕事に昇華が出来た訳です。

「生きることが辛い」人は、自分の生活の中で笑いを探して見ましょう。
人生は、辛くても、良かったとしても、全員がコノ世だけのことです。
アノ世には、持ち越せません。
それならば、ダメで元々で、思いっ切り生きて見ましょう。時間限定ですから、全力疾走でも大丈夫。

(伊勢白山道)
  1. 2017/06/20(火) 12:59:59|
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自分の中に実在する、永遠の母性に気付くこと
2017-06-19 10:57:43 | Weblog
人間は、誰もが心が寂しい存在だと感じます。
だからこそ、他人を求め、モノを求めて、心の寂しさにフタをする努力をするのでしょう。

ただ、知って置くべきことは、
* 心の寂しさは、他人やモノを手に入れても、他人とつるんでも、遊んでも、
決して埋まらないということです。

でも人は、これを信じることが出来ません。
多くを手に入れた時に初めて、ふと、
・ これが、私が求めていたものか?

と疑問を持つ瞬間(気付き)が有るかも知れませんが、更にモノを求めることで満たされると勘違いをするのが人間です。
人生の終わりに近付いた時に初めて、病室で一人に成った時に、外には心を満たすものは何も無かったと思うものです。

この時に、モノ(異性・金・物・地位・・・)を集める人生過程において、自分の良心に恥じることが有れば、その記憶が何度もリピート再生をして心身に響き始めます。
老化した肉体に成ってから、自分の心が弱ってから、本当に大切なモノが観え出す時は遅いのが、人の人生のパターンです。
死後のことを畏れ、アノ世を厳粛に考え始めます。

では、自分の心の寂しさを真・深・芯から満たすものは、何だったのでしょうか?
それは、自分の心に、自分の右胸に、内在神の実在を感じることなのです。

・ どこにも行く必要は無かった。
・ 何も手に入れる必要は無かった。
・ 何かに変身する必要も無かった。
・ 今のままで良かったのだ。

これを今のこの瞬間、今のここで、自分の心の奥に良心(永遠の母性・内在神)が存在することに気付きましょう。
誰でも出来ます。
貧乏も裕福も関係ありません。
忙しい仕事中でも、自分の右胸の良心(永遠の母性)に感謝を送って見ましょう。

その先には、
・ 心が不動に鎮まる自分
・ 温かい心に満たされる自分
が現れ始めます。
大いなる母性が、生活の中で答えを示し始めます。

誰もが寂しい旅人です。
寂しいからこそ、笑顔に価値が生まれます。
人は必ず死ぬから、時間限定だからこそ、逆に頑張ることが可能です。
時間が無限に有れば、人は頑張りません。

つまり、今が寂しい人ほど、逆に心の永遠の母性は近い。すぐ側に居ます。気付くだけです。
今日も自分の心の母性を求めて、生活して見ましょう。必ず何かが与えられます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/06/19(月) 12:35:55|
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「変化」「落差」で初めて知覚が出来る生物が人間
2017-06-17 11:08:02 | Weblog
幸せの中に、
生まれてからずっと住んでいますと、
それがアタリマエと成り、
幸せとは何かが分から無く成って行くのが人間です。

毎日の食事が美食だと、何を食べても感動が消えて行きます。

人間が幸福を認識が出来るのは、辛さも知るからこそです。

つまり人間とは、「何かに気付くためには」、「成長する為には」、
・ 「変化」と「落差」が必要である。
これが法則として根底に在るということです。

アノ世からコノ世に魂(自分の心)がわざわざ生まれて来る最大の理由は、
・ アノ世は変化が無い世界だから、また高い山(コノ世の試練)に登りたく成る。

・ アノ世は、今生の反射で自分が行き着いた世界から、誰も移動が出来ない。
天国に行けた人は、そのまま転生するまで天国に居る。喜び、快楽、楽しさ、・・・・永遠に体験します。

・ 地獄に落ちた人は、転生するまで同じ苦痛の継続と繰り返しのローテーション。

・ つまり、天国にしても地獄にしても、変化が無いのです。
だから、アノ世に居る間は、先に起こる退屈なパターンも分かります。

・ だからアノ世では、心の成長は起こらない。
・ コノ世に生まれるしか、成長も変化も飛躍も起こらない。

コノ世だけが、天国も地獄も混在する「落差」と「変化」が存在し、
・わざと先も見えなく隠された中で、
・雑巾を絞るような限界も試される。

つまり、コノ世の苦労こそは、善悪を超えた神様の叡智からのプレゼントだったのです。
コノ世で本当に厳しい条件で生まれた人も、神様に愛されている証拠であり、大いなるチャンスを与えられています。

すべてが満たされた条件に生まれた人は、来生もそれを無くなさないように、感謝と良心(内在神)に背かないことが重要です。
色々な誘惑が多い分、霊的な視点では「裕福もハンディだから注意」が言えます。

コノ世の短い人生期間(80年か)で、「気付き」「目覚め」という心の境涯の上昇を果たせば、アノ世に戻る世界も変わります。
アノ世に心が居る期間は、誰もが膨大に永いです。

アノ世に居た時の自分が、より良い次元に行きたいが為に、コノ世に挑戦しに来ていると誰もに言えます。
だから今が苦しくても、それを大いなる心の飛翔のチャンスに自分で出来ます。

もし貧乏ならば、その貧乏を変えたいと苦しまずに、
・ その中でも心の安心と感謝を追求することで、
雑巾を絞る中でこその本当に大きな大きな目覚めは可能です。

鬼気迫る中でこそ、心の壁を乗り越えることが人間には起こるのです。
アノ世に帰った時には、今生の貧乏に心から感謝をすることでしょう。

どんな善と悪の現状で有っても、その中から感謝をするべきことに気付いて行きましょう。
必ず大丈夫に成って行きます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/06/17(土) 18:51:20|
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自分の心の表面に負けずに、心の深奥を信じること
2017-06-14 10:57:45 | Weblog
今の社会では、心が苦しい人が多いです。
昔の日本人は、常に笑顔を絶やさない民族だという記録が、海外のキリスト教伝道師の報告書に有ったそうです。

【箸(はし)が転んでもおかしい年頃】(ちょっとしたことでもよく笑う年頃。思春期頃の娘を表す)
とは、昭和初期までの健康な女性に言えた表現です。
現代の十代の女性は、どうでしょうか?
個人差が非常に大きいようです。むしろ、病んだ10代が男女共に多いかも知れません。

でも、最近の20代の若者、更には今の中学生の年代の頃からは、特に変わって来ている、崇高な新人類、が増えている気がします。

では、心が苦しい30代〜の年代はどうすれば良いのか?
私は、その苦しいことも意味が有ると感じます。
苦しいからこそ、それを切っ掛けとして、正しい真理に耳を傾ける縁が生じるかも知れません。
イケイケな元気だけならば、人間は反省も振り返ることも、真理を求めることも無いものです。

「人間 万事塞翁が馬」(にんげん ばんじさいおうがうま)。
私たちの何が幸いに・不幸に、転じるのかは未知なのです。
その今の自分の苦しさが、
行動範囲が制限されたことが、

・ 自分の命を救っていたかも知れません。
・ 起業する為の、勉強期間を与えているかも知れません。

そして、知って置いて欲しいことは、
・ 海(心)の表面では、大波が荒れていたり、台風が発生したりと、常に何かが起こって行くものだということ。
・ これを止めようとして、無くそうとして、苦しむ必要は無い。

でも、深海(心の奥)に潜りますと、
・ 深海は静かであり、常に静寂の世界が実在すること。
・ 実際には、何も起こってはいない(霊的には、海上でもこれが言えるのです)。

心が苦しい人は、
・ 海上(他人)ばかりを見ている。
・ 海上(他人との関係)で起こることを、自分がダメだと転換している。
・ 他の華やかな海上のヨット(他人の成功)ばかりを見ている。

問題は、これを気にするな、他人を見るな、と自分に言い聞かせても無理があり、やせ我慢に過ぎません。
そうでは無くて、大切なことは、

* こんな自分の心の奥にも、絶対的な静寂の、不動の、深海が実在すること。

これを信じて欲しい訳です。
悩んでいるのは自分の心の表層だけのことなのです。
心の表面はコロコロと絶えず変化し、ここに真実は無いのです。苦しく思うことは幻想だと言っても良いです。
今の苦しい内容も、10年も経てば、それが幻想だった意味が分かるものです。

* 自分の心の奥にも、崇高で静寂な深海(神界)が実在することを信じることから。

今日も心の表面では、色々な個人的な事件も、悩みも、口撃も発生することでしょう。
でも、それも生きていればこそのアトラクション(遊び)です。
どんな時も、自分の心の奥の安静の深海を意識することです。
そうすると、すべての景色を心配せずに見て行くことが出来ます。

海の表面では、色々な事件が起こっては消えて行きます。でも、
* 深海では何も起こってはいないこと。
* 自分の心の奥に、絶対安心の、静寂の、世界が実在すること。

* 心の揺れ動く表面だけに、住まないようにしましょう。
こんな自分にも、心の奥に深海(神界・内在神)が実在することを知って置いてください。

(伊勢白山道)
  1. 2017/06/14(水) 12:55:52|
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さて、今日は朝も早よから畑ですよ。
今日はテントを完成して、またトラクターで耕す作業があるのです。

ったく人工知能もいじりつつ、土いじりもして。
おまけに股間もいじって。
ワタスってなんてハイパーなんでしょうね。

日本全国に人工知能をいじりながら土いじりする人がどれだけいるでしょう。
おまけにブロックチェーンもやりつつ、トラクターのチェーンも直すのですから。
我ながらその機知外ぶりに唖然とします。

さて、話変わって、昨日、あるレストランを経営してる人の話を聞きました。

ぉほぉ。
これは。。

この話は、引き寄せの本質が分かるかと思うので載せときます。

その人はイタリアンレストランを経営してる人でした。
客足が伸びずに毎月赤字が続いていて、その当時はこれ以上続くとマズいという状況に陥ってたそうです。

そのせいで毎日イライラして従業員やアルバイトを怒鳴りつけ、つらく当たったっていたそうです。
で、自分はお客さんをどうにか集めよう。

そうやって、やりたくもないチラシの作成や宣伝作業を一生懸命やってました。
でも、一向にお客さんは増えなかったそうです。

で、ある人からひき寄せの法則を教えてもらってその通りにしてみた。

まず、毎日イライラするのをやめてニコニコ過ごすようにした。
従業員やアルバイトにも優しく接するようにした。

そしてなによりも今、まず自分が気分が良くなることを最優先にした。

今までのように、いつも不安感や焦燥感に駆られてああしなきゃ、こうしなきゃ。
イライラして仕事をするのではなく。

心を落ち着かせて、
大丈夫。なんとかなる。
いつも余裕をもった態度で何事も対処することにしたそうです。

そうして自分が苦手で苦痛な宣伝作業などは人に任せることにした。
自分がやってて楽しい新メニュー開発などを担当した。

笑顔を絶やさずに、なんとかなる。
明るく、あっけらかん。
とにかく今、自分が気分が良く過ごすことを最優先にしたのでした。

そうしてしばらく経つとあら不思議。
3ヶ月経った頃から徐々にお客さんが増え始めたそうです。

そしてその年は黒字で終わった。
で、その次の年も黒字に変わっていった。

それから数年。
なんと今では店舗数も増えて、儲かる経営者になっていったそうです。

まぁ、これはできすぎた話かと思うかもしれませんが。
ワタスはこれは絶対あると思いますた。

ワタスの場合も、なぜか頑張れば頑張るほどうまく行かなくなる。
そういうことが多々ありました。

それで、もういいや。
諦めた。
どうにかなる。

自分は守られてる。
大丈夫。

にっこり微笑んで、任せるゆだねる。
諦めるというか、信じる、委ねる。

そうすると、なぜかうまく行き始めた。
そういうことが何度かありました。

非常に不思議な話ですが。
今の自分の心の状況。

焦燥感にかられイライラして頑張ってると、さらに頑張らなきゃいけない現実が寄ってくる。

だから

くほほほほ。

大丈夫。
なんとかなるよ。
そうやって楽しくやってると、やっぱりそういう現実が寄ってくる。

現実は後。今の心の状態が先。
だから最優先すべきは今、自分が気分が良いこと。

と言うわけで、ヒャッハーー!
今日も自分がヒャッハーな状態を優先してきます。

ぁぁ、また玉蔵の引き寄せ好きが始まった。
そう言われそうなのでこの辺で。

これから畑に行ってきます。
ヒャッハーー!

(黄金の金玉を知らないか?)
  1. 2017/05/24(水) 13:03:07|
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今は移行期間の始まりの前兆期間
2017-05-22 11:29:09 | 天津日継神示:アマツ・ヒツグ・シンジ
* 自分が不幸だと感じること
* 怒ること
* 何かを怖がること
* 悩むこと
* 心配すること

このような人が持つ、すべての感情と現象は、
「自分の無知から来る」
「相手の一面しか見ていないから」
「自分の愛情不足から」
「自分のワレヨシな自我から」

発生すると啓示されます。
でも私たちは、アノ人のせいだ・原因だと思い込んでいます。

・「自分の無知から来る」
では、自分の知識が増せば、心配は消えるのでしょうか?
はい、そうです。


人が持つ心配の半分以上は、正しい知識(医学・法学・心理学・警察などの公的機関の活用・他の実例を知ること・霊的な知識・・・)を持てば、安心することが大半です。

無知は、ムダな恐怖と心配を起こしますから、
心配事が有れば、先ずソレに関する知識を調べて、出来ることを「行動する」ことが大切です。
動かないで、じっとしたままでは心身を壊すほどの心配に包まれるだけです。


・「相手の一面しか見ていないから」
自分が非常に嫌いな、腹が立つ他人が居ると仮定します。
でも、相手の私生活を知れば、その生い立ちや環境を知れば、過去の経歴を知れば・・・・・、
「もう良いわ」「不干渉」と、自分の怒りが霧散することが起こりえます。

人は、他人の一面だけを見て喜怒哀楽をしますが、大きな視点を自分が持てば、自分から嫌な感情は消えて行きます。
他人の一面だけを見て湧き起こる、怒りも・恋愛感情も・心配も、要注意です。

・「自分の愛情不足から」
よく怒ってばかりいる人、威張っている人には、
* 思いやりの無い人、
* 愛情の無い人、
が多いです。
家庭でも孤立した嫌な人かも知れません。

もし自分が怒りの感情に包まれた時は、
* 今の自分は愛情不足だ、
* 思いやりが無い人だ、
と気付いて置きましょう。
これが分かっていれば、嫌な感情は終息して行くものです。長引きません。

・「自分のワレヨシな自我から」
すべての怒りや心配は、
* 自分だけは避けたい、
* 自分だけは助かりたい、
という自分の自我(個性・ワレヨシ)が無いか?注意します。

大きな心、広い心、愛情、感謝すること・・・・このような感情を自分が持てば、嫌な感情は緩和されるものです。

これから人類は、「半霊半肉」
(今までの人類は、肉体が100%、霊体は別次元に在り。これが肉体50%、霊体50%、長命へ)
に移行が始まると天が啓示します。


この兆候が既に始まっており、
・ 病気だから、病弱だから、心身が弱いから、と心配することは不要です。
「今は」正しく医学的な治療をしていれば、後は安心していることが重要です。


その人は一足先に、半霊半肉へと移行が始まりつつある人かも知れません。
サナギから蝶へと「脱皮」する時は、違和感が付きものなのです。

(ただし、他人先生の霊的な磁気・治療、祈願信仰、などの「他の」霊的磁気を憑ければ痛みに変わるから要注意。難しいことに成ります)

正しい先祖供養(遺伝子の養生)、供養が出来ない人は先祖に感謝を日々にしながら、健康を維持する人は、自分の霊線(先祖に繋がる遺伝子)が浄化しているほど「脱皮」の違和感は起こりません。自然と半霊半肉へと移行します。

今は移行期間の始まりの前兆期間だから、嫌な感情に自分が呑み込まれないことが重要です。今日の話は、その為の注意事項でした。

肉体と物質文明の全盛期から、静かに安全に移行することが、これからのカギに成ります。
これは国際関係にもリンクして行くことです。国家の自業自得が始まります。

上記の感情の要点に注意して、自分自身が変わればすべては問題はないです。
何物にも、何事にも害されない人々が、これから現れ始めます。
老人であっても、浄化した人から突然に変化と進化が始まります。年齢の縛りが、消え始める時代が来ます。


(伊勢白山道)
  1. 2017/05/22(月) 13:07:21|
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喜んで頂けたでしょうか?
2017-05-21 10:58:34 | Weblog
滝のような汗を流しながら全身全力で歌う歌手をテレビで見た時に感じましたことは、
「喜んで頂けたでしょうか?」
と、まるで自分の身を削るように倒れながらも「ニコッ」としているようなプロ根性でした。

人間誰もが、「喜んで頂けたでしょうか?」
と人生の最後に思える人は、成仏すると感じます。
人生に大切な境地が、他人に対して「喜んで頂けたでしょうか?」と何回も何回も、色々な場面で思えることだと感じます。

その喜ばせたい相手は、家族や友人、お客様。
更には先祖や神様に対しても、
「喜んで頂けたでしょうか?」

いや、動物のペットにも「喜ばせて上げたい」「喜んで頂けたでしょうか?」
と人は思えるものです。

でも、自分の心が荒(すさ)んでいますと、「喜んで頂けたでしょうか?」とは人は思えないものです。
これの逆に、他を呪う間は、まだまだ自分の人生は終わりません。

トコトン、何度でも、分かるまで、繰り返し同じような場面を今生も死後も来生もリピート体験するのが宇宙の法則だと感じます。
「喜んで頂けたでしょうか?」と、素直に思えるまで色々な体験が続きます。

戦争の理不尽な環境の中で亡くなられた人々は、
「家族だけは生かして頂けるでしょうか?」と神様に願ったかも知れません。

仕事だけをして人生を事故で終えた家族持ちの男性は、
家族の為に懸命に働き、子供の成長だけを楽しみにしていたかも知れません。

すべては自分以外の為に、
「喜んで頂けたでしょうか?」
「楽しんで頂けたでしょうか?」
と自分を無くして、他を生かそうとした人が、その魂が天から祝福されて活かされると感じます。

自分だけが生きようとした人は、天からは活かされない、とも感じます。
自分(自我)を無くするとは、本当の自分自身を活かすことに成ると感じます。
このあたりに、人生の成功の秘密がありそうです。

自分の生活の中で、誰かに
「喜んで頂けたでしょうか?」
と、実行して行ければ幸いです。

あっ、私が毎日18時間以上もパソコンの前に居る原動力は、
「喜んで頂けたでしょうか?」
という思いだけだと思います。だから、平気で健康で継続が出来るのでしょう。
天により生かされています。

(伊勢白山道)
  1. 2017/05/21(日) 12:57:56|
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巨視の流れ。真相。
2017-05-20 11:00:43 | Weblog
『古来からの覚醒者・悟った人物の全員が共通して言い残した言葉が、
「私は在る」「私はここに存在する」です。
これだけが共通します。
覚醒すれば、「私はここに在る」、これしか無い、これしかいらない、これが宇宙全てだ、と成ります。』
(過去記事:「私は在る」=「生かして頂いて 有り難う御座います」より)

今朝に浮かびますことは、上記の『私は在る』という真相は、
* 誰にも共通する一神(内在神:全人類に共通する1つ)のみが、コノ世に存在している。
* あなたも神様だか、私も同じ神様の現れであるのが正体。

でも、性別も人種も、個性も能力も個人で違います。これはナゼ?
この答えは、同じ1つなる神様の「発露具合」が異なるだけ、というのが答えなのです。

見掛けは違いますが、あなたも私も、顕微鏡で見れば遺伝子の更に奥に在る「同じ原子=1つの神様」から構成されているのです。だから、

「私は在る」=「1つの神様しかコノ世に居ない」

ということが、目覚めれば誰でも分かることなのです。
(釈尊もこれを「天上天下 唯我独尊:てんじょうてんげ ゆいがどくそん」と表現しました)

他人を見ても、その中に自分自身を見ることに成ります。
他人を大切にすれば、自分自身を大切にしたことに成り、運気が変わります。
他人を傷付ければ、虐めれば、未来の自分自身を殴ったことに成ります。いずれ不運が今の自分に来ます。
そして今朝に新たに感じますことは、

* 「そんな私は居ない」

ということなのです。この場合の「私は」自我(個性・ワレヨシな自分)のレベルの私を指します。
・「私は在る」=神性の自分は実在する。永遠に継続する。
・「私は居ない」=自我の自分とは、幻想である。それは消える幻影。

この2つは矛盾せずに、同じことを指します。
表現する視点のレベルが違うだけなのです。

今日の私が言いたいことは、悩める人には、
* 本当は、そんなアナタは居ない。その悩みも、いずれ消え去る幻想に過ぎないこと。
* コノ世だけで終わる悩みであること。

* あなたも、人類共通の一神(内在神)が個性という着物を着て、遊んで・悩んでいる演技をしている役者であるのが真相。

* だから、慌てるなということ。
「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き 皆んなにデクノボーと呼ばれ 褒められもせず」(宮沢賢治)

コノ世のすべては過ぎ去り、思い出に変わります。
残るのは、自分の神性の部分だけが継続し、次の旅を死後も始めます。
問題は、神性の自分の部分はウソを付けないのです。

だから次の旅をする時は、今生の自分が償うべきことが有れば、
* 正直に自己申告をして、
* 今生の反対・相手の立場を味わう。
このような人生を自分から選択(洗濯)します。

今の自分が抱える不幸は、過去の自分自身が選んだ不幸である可能性も知って置いてください。
すべては、自分の神性(良心・内在神)が為すことなのです。
今の自分の自我(個性)は、自分自身の神性部分が「それで良い・OK」と認めた時に、コノ世で自由自在な幸運が来ます。
自分自身の神性に褒められる、今の自分で居ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/05/20(土) 12:55:23|
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与える行為も、相手をよく見てから
2017-05-12 11:10:19 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
釈尊は続けて農夫に言います。

「節制した偉大な仙人のように真面目に生きる人物、

ワレヨシな性(サガ)を完全に滅したような本当に清らかな人、

もし、このような人物と出会ったならば、新しい飲食物を出来るだけ提供したほうが良いですよ。

本当に良い人物に物を上げる行為こそは、大きな幸運・財産を生み出す田畑に種を蒔くに等しいからです」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章4節-No.82)

(感想)
この項を読みまして、伊勢神宮が在る三重県の周辺の県で、昔から言われる伝承を思い出しました。
伊勢神宮に参拝するには、昔は徒歩で遠方から歩いて来た訳です。
多くの人々が「伊勢参り」をする為に、半年、1年掛かりと、途中でバイトをして働きながら伊勢神宮を目指して歩かれました。

その中には女性や子供もいましたが、途中で野宿をしながらの長旅です。
すると、それを気の毒に思った途中の街道沿いの家に住む人たちが、1回の食事を出してあげたり、泊めてあげたりと、「相手を見て」提供したそうです。

すると、その家には、その後に思い当たる良いことが実際によく起こったそうです。
天照太御神の御神徳が、参拝者を助けた人々にも「申し訳ないねと」神意で行きわたりました。
伊勢神宮への参拝は、計画した時から既に始まっている、大神が見ている、と言われる証拠でもあります。

でも参拝者の旅人の中には、他所から来る盗賊も「伊勢参りをしている」と言いながら紛れていましたので、色々な事件も有ったようです。
だから、旅人の人物をよく見てから、地域の人は判断をしました。

この項では釈尊も、
* よく節制して生きる真面目な大仙人のような人物
* 本当に心が清いと思える人

このような人物と出会う縁を持てたならば、大いにモノを上げなさいと勧めています。
それは幸運の種を蒔く行為に成ると断言されています。

でも、これこそは、古来から悪徳な宗教や人物に対して、寄付を強要する口実に利用されて来た詭弁(きべん:間違っていることを、正しいと思わせるようにしむける屁理屈)にも悪用された内容かも知れません。

大先生や聖人や覚醒者を自称しながら、金銭や肉体の提供を言うような相手には、決して近付いては生けません。
そのような悪徳な人物に寄付をすることは、更なる被害者を生み出すことを自分が幇助(ほうじょ:犯罪を手助けすること)したことに成りかねません。
過去に知らずに思い当たることが有っても、これからを注意すれば問題はないです。

釈尊は、この項でわざわざ提供するに値する人物の条件を指定しています。
これは逆に言えば、
* 陰では真面目に生きていない悪人
* ワレヨシな人物

このような相手には、「物を上げては生けない」という示唆でも有る訳です。
悪徳な人にモノを上げれば、それが善意からでも、自分に悪い因果を積むことに成る訳です。
後からも良いことが有りません。自分の幸運を失くします。

自分が縁を持つ相手をよく見てから、交友することを自己判断しましょう。
運の良い人は、危険な相手からは自然と離れる、なぜか縁が続かない、という現象に成ります。
でも、これも慢心していますと、足元をすくわれますから注意をしましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/05/12(金) 13:26:43|
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「それは気のせい」という真理
2017-05-03 11:38:08 | Weblog
ある医師が言われた話ですが、
* 患者さんに対して、「それは気のせいです」と内心で思ってしまうことが多い。
という話をしていました。

人がわざわざ忙しい中を病院に来る時点で、自称の患者さんは、
* 私は病気に違いない。
* もうダメポ。(もうダメっぽい、という若者の造語)
* 病気が怖い怖い。

と自分で思い込みがちで、中には「死ぬ死ぬ病」に先入観で懸かっている人が見られるようです。
それを具体的なデータと所見と対策を説明して、患者さんを安心させることが仕事だと言うことでした。
そして、「気のせいですよ」と言ってしまうこともあると。

医師が思っていることは、「病状と寿命」はまったく別だと言うことでした。
どんなに酷い病状でも、死なない人は居るとのことです。
そして、なぜか回復もしてしまう人がいます。
逆に死ぬはずの無い検査データでも、完全に管理された状態でも、突然死は起こる。

「痛み」の感覚にしましても、
* 既に末期癌であり、激痛のハズなのに、平気でニコニコと通院して来る男性の高齢者(女優さんでもおられますね)。

逆に、
* 痛むはずが無い腰痛。
長年にわたる自己安心のための「痛み止めの習慣」が、逆に脳に痛覚の錯覚を起こさせている可能性。

なども聞く話です。
特に「死」に関しては、これを説明するには屁理屈ばかりとなり、それを分析するよりも次の生きている患者さんに医師の視点は移ります。
人の生死を数多く長く見た医師ほど、若い頃と違い、信仰への拒否感は消えて理解を持ちます。

* それは気のせい

これは意外にも真理を突いていると感じます。
私たちの人生も、幸福感も不幸感も、
* まさに「気のせい」の問題であり、
* 他人との比較の上で起こる錯覚であり、

「その実体・真実・正しさも無い」
と感じます。

逆に言えば、「気のせいならば」人生は無限に広がります。
良い気持ちを持って・盛って、とにかく生きて行きましょう。
これが最善なのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/05/03(水) 13:18:18|
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* 何も分からないまま素直に親に付いて行き、自分なりに懸命に頑張ったケナゲな子供。 純真に真っ白な心の子供は、何事も恐れずに生き生きとしています。 「未来は白紙である」 という意味を、大人になっても「今の行為がすべて」ということを、死ぬまで胸に秘めて置きたいと思います。 自分はダメだ、という思い込みに注意しましょう。

* 何も分からないまま素直に親に付いて行き、自分なりに懸命に頑張ったケナゲな子供。

純真に真っ白な心の子供は、何事も恐れずに生き生きとしています。
「未来は白紙である」

という意味を、大人になっても「今の行為がすべて」ということを、死ぬまで胸に秘めて置きたいと思います。
自分はダメだ、という思い込みに注意しましょう。


(伊勢白山道)
  1. 2017/05/01(月) 13:17:10|
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火に対しては、より大きな炎で打ち消せるかの実験
2017-04-27 11:33:54 | Weblog
今の世界情勢を見ていますと、
* 狂気に対しては、それを上回る本物の狂気が世界を動かす。
ということを人類が見ている訳です。

「撃つぞ」という相手に対して、今までは「止めてね〜」「キャー、怖い」と「会話で」相手に返していましたが、何も変わらなかった訳です。
でも、ここに来まして、「撃つぞ」という相手には、無言で本当に先制攻撃をしかねないと「思わせる」演出の出来るトランプ大統領が登場した訳です。

過去記事「その人の心の拠り所が、意外なものである場合が有る」でも触れましたが、トランプ氏の無二の親友が米国最大のプロレス団体のオーナーなのです。そして、何と、その奥様を本当に政権の閣僚に入れてしまいました。

そのトランプ大統領が心酔するプロレス団体のやり方が、想像を超えるスケールでの器物の爆発破壊と脅迫、そして最後は「ラブストーリー」で終わるというフィクションなのです。
トランプ大統領は今、東アジアでまさにこれをしたいようです。

ただ、気に成りますことは、一昨日にドイツに政府関係者として招待されたトランプ大統領の愛娘さんが、大衆の目前での公的な合同インタビューの場において、ドイツの女性首相からコテンパンに恥をかかされました。

米国で女性首相を無視したトランプ大統領への復讐のようです。(「分かりやすい態度」を参考に)
これから愛娘さんが帰国されて、「パパ、いじめられたのー」と言えば、2021年からの対立軸がどう「分かれるのか?」に繋がると冗談では無く感じます。
ドイツとロシアの関係に注視です。

米国は前大統領の頃から、ドイツに対して数兆円の懲罰を発動するなど、背後では大きな問題が有るようです。
ドイツは、日本にも?であり、他のアジア国寄りを思います。
これを静観します。

今日の話で言いたいことは、
* 狂気に対しては、それを上回る本物の狂気が世界を動かす。
が現実ならば、私たちも悩みを持ちますが、

* 自分の悩みに対しては、それを上回る深刻な悩みを想像すること。

これも荒治療ですが、今の有り難さに気付ける1つの方便かも知れません。
ただし、それで更に悲観するのは、自分の思い方の方法が間違いです。

これが正しく機能しますと、
* 明るさ
* 仕方がない(関西では「しゃーないやんか」)
* それでも、今への感謝

という切り替えが起きるはずなのです。
現実の不幸に遭う前に、想像だけで「思い直す」「気付くこと」が出来れば、これほどお得なことはありません。

自分が嫌だと思うことには、それを上回る「更に嫌なことも有るのが常」だと気付いて置けば、
現実には嫌なことに遭わずに済むものなのです。
無意識に自分で対応が出来るから、「起こらない」と成ります。
「思い方」「考え方」の参考にして頂ければ幸いです。

* 今日も日本列島が「静かな」胎動を始めています。寝返りを打たないように静観します。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/27(木) 12:26:37|
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中に居ると分からない
2017-04-21 09:41:07 | Weblog
人のサガ(性)を観ていて、つくづく感じますことは、

* その中に居ると、その有り難さが人は分からない。
* それを失わないと、それが有り難かったことが分からない。

ということです。例では、
・ 会社に勤める間は不満だらけだったが、辞めて独立してから、自分の甘さを思い知った。

・ あれほど嫌いだった家族が亡くなりますと、自分も悪かったことに気が付いた。日を追うごとに、後悔することが有る。

・ 恋人を自分から振ったのに、離れて初めて相手の良さが分かった。
離婚してから、初めて以前の生活の有り難みや、元旦那の辛さも理解できた。

・ 足に大怪我をしてから思うことは、普通に歩ける頃の自分は、歩けることに感謝や感動をしただろうか?

昔の人は、「後悔先に立たず」「覆水盆に返らず」と言っています。
してしまったことを、終わったことを、いくら後で悔やんでも取り返しがつかないということです。

でも、「そこを何とか」と思うのが人のサガです。
後で後悔することが無いようにするには、人はどうすれば良いのでしょうか?
これを防止する唯一の策は、

* 事前に想像すること。
* そう成った場合の、その後のパターンを先に読むこと。
* そう成った時にどうするか、を考えること。
* そこまで考えた上で、決断すること。

これが、神様が人に与えた「想像力」です。
自分が体験しなくても、事前に防止が可能です。

ところで、動物には想像力がありません。
その代わりに、悩みも無いのです。
無思考から、直感・本能が生まれて、自身を助けます。

人が持つ想像力は、事前に悪事を防止もしますが、苦悩を生むという、諸刃(もろは) の剣(つるぎ)が有る訳です。
心が苦しい人を視ますと、まさに自分自身の想像の世界が犯人・原因です。
実際には、何も起こってはいないのに、想像力が生み出す苦しみに心が支配された状態です。

他人が「大丈夫だ」「心配無い」と言いましても、自分の想像力は頑なにこれを拒否します。

人類が戦争で滅ばないのは、想像力の御蔭です。
でも、その代わりに、ミサイルが飛んで来るのではないか?と、今の日本のように大勢が心配と苦悩をする訳です。

いったい、どうすれば良いのでしょうか?
以上を総合しますと、
* 事前の想像力で自分が出来る対策をすること。
* 対策をした後は、無思考で居ること。(直感・カンナガラを生む)

このバランスが最善だと思います。
心が病むのは、ダラダラと想像を止めないからです。
悪い想像・創造の中に、いつまでも住んでいては生けません。

ただ思考で想像して苦しむことよりも、何か改善への「行為」「行動」を無心に「する」ことから人は変わります。
「今、始める」が大切です。

以上をもって、皆さんの今の状態へのヒントに成れば、幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/21(金) 12:30:50|
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信じるべきは、自分の心
2017-04-18 11:30:43 | Weblog
信仰のことを仏教においては、「信心(しんじん)」と呼びます。
信心=信じる心。

「信仰」という言葉には、何か未開な無知も感じる人が多い現実もあります。
中には、「信仰=ダマサれている」と言い切る男性も居ます、笑。
お金や、商売、と信仰が密着する社会性・事件も、この半世紀は特に多かったからとも言えます。

コノ世には、「地獄の沙汰も金次第」が多い現実があります。
コネ入社、裏口入学、・・・・更には事件の保釈金も、本当にお金による牢獄からの解放です。
信仰も、寄附金額により地位のランキングや待遇に差別が有るならば、やはり「信仰」という言葉に違和感を感じる人が多くても無理はありません。

ところが、「信心」「信じる心」という言い方に変えますと、印象がガラリと変わります。
信仰の場合は、自分は受け身、服従する、盲目に信じる、という言葉の印象ですが、

* 信心=信じる心、は自分が主役で選択する心、自主性。

を感じさせます。これならば、社会の中の色々な事に置いて、「信心」が存在することが言えます。例では、

* 赤ちゃんは、母親を無垢(むく:けがれなく、駆け引き無く)に信じています。
赤ちゃんは、母親に対して信心を「持っている」と言えます。

* 会社は、社員を信心(信頼する心)して仕事を任せています。

* 学生は、先生を信心(信じて)しています。
でも、学生が「先生を信仰する」では、心配な違和感が有ります。

つまり、「信心する」「自分が信じる心」という自分自身の自主性が強く有るだけで、信仰という言葉には無い安心感が生まれます。

では、自主性が有れば信仰も正されるならば、
* 自分自身を、自分の心を、信心・信仰して見てはいかがでしょうか?

という問い掛けが生まれます。でも、
「自分のようなダメ人間を信じられるか!」
「自分自身を信じることが出来ない」
「自分のことが分からない」

という不安が生まれるものです。
まさに、ここが要点なのです。運命の分かれ道なのです。

考えて見て欲しいことは、宗教の開祖という者は、他人を信じて成った人では決して無いのです。
自分自身を信じ切れた人です。
他の経営者を真似る経営者は、失敗します。

誰もが、自分自身を信じ切れるように成らなければ、幸福には成れません。
幸福な人には、「自分のことが大好きな人」が多いです。
ただ、「ワレヨシ」な自分大好きでは生けません。それはそれで、転生(生まれ変わり)の因果を残します。

自分のことが嫌い、自分が憎い、と今も思うならば、まだまだ伸びシロが有ります。
逆に言えば、改善することが可能です。
では、どうすれば良いのか?

自分の良心を信心するのです。
どんなにダメな自分にも、他人の痛みは分かる「良心」が実在します。それが神様の正体です。
「可哀想だな」と思う自分の思い、それは、崇高なエネルギー磁気体なのです。脳波でも測定されます。

自分自身のことが今は嫌いでも、自分の良心を「静観し」、自分の良心(内在神)というものを信心して見ることです。
これが強化されますと、

* 食事の時も、その生命の有り難さに涙します。

これも見神体験(けんしんたいけん:神様と近い状態)の始まりです。
食事での感動の見神体験は1回しますと、その後は冷静に食事をして行くものです。
日々の生活の中で、感動・感謝するという見神体験の積み重ねへと移行します。

そして最後は、天の岩戸開き(あまのいわとびらき)と呼べる自分の心の解放・内在神の前面への発露を経て、善意の善人に変わります。

もっと、自分自身の良心というものを信じて見ましょう。
その自分の良心に反すること、自分の良心が嫌がることはしないこと。
これを始めることからです。
コノ世の全てに通じ、改善します。

* 気温の上がる地域は、地震にも注意しましょう。
(地磁気の伝導率が違う感じがします)
  1. 2017/04/18(火) 12:48:49|
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タラレバ論への答え
2017-04-13 11:44:08 | 継続の秘密シリーズ
「継続の秘密シリーズ」続き。

* 人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず (原文のまま)

* 不自由を、常のことだと思えば、何も不足感は無い。

* 心に少し贅沢な望み事がおこれば、自分が苦しかった頃の時を思い出しましょう。

* 怒りを抑えることは、無事に長生きするための基本です。

* だから、怒ることは敵だと思いましょう。

* 人は、勝つ体験ばかりを知って、負ける体験を知らなければ、逆に深刻な害が自分に及びやすいことになるから注意しましょう。

* 自分の周囲で問題があれば、先ず自分自身を反省することです。他人を先に責めては生けない。

(以上、解説済み)

* 自分の希望がどうしても叶わない事は、それが叶った場合よりも幸運なのです。

(感想)
さて、いよいよ徳川家康の遺訓の最後の一文です。
「* 自分の希望がどうしても叶わない事は、それが叶った場合よりも幸運なのです。」

この言葉こそが、人生論、運命論、そして
* もしアノ時に別の選択を自分がしていればというタラレバ論。
への答えを、家康は回答しています。

霊的にも、これが正解であり、完全に言えることなのです。
家康こそは、人生において何度も生死を分ける選択を余儀なくされた人でした。
その大きな選択のたびに、

「もし、あちらを選択していれば、自分はどうなっていたのだろうか?
家族や家臣たちは無事だったのだろうか?」

という苦悩を、大きな選択を強要・強制された前後に、自分が選択した後も長く、考え続けた人生だったのです。
そして、人生の終末に向かう中で、すべてを振り返った結論が、

「自分の希望がどうしても叶わない事は、それが叶った場合よりも幸運だった」

「人間万事塞翁が馬」
(にんげん ばんじ さいおうがうま:自分にとって不幸なことも、実はより大きな災難を止め、未来に幸福に成る為の不幸だったこと。)

だったということです。
さて、問題はここからです。

以上のことは、「終わり良ければ全て良し」の人間だけに言えるのではないか?
人生の終わりに向かい、今が悲惨な環境であっても、果たして言えた言葉なのか?
徳川家が早期に終わっていても、これは言えたのか?

その答えは、それこそ霊的に、それでも、
* すべては、良かろうが悪かろうが、その人の最善へと「水のごとく」流れた。
と言えます。

問題は、
* 人は自分が体験したことしか、認識が出来ない。
という弱点、もろさ、が有ります。

自分の願いが叶わなかったが、もしアノ希望が叶っていれば、自分の今の人生はどうなっていたか?
あの憧れの学校に自分は落ちたが、もし合格していれば、自分の人生はどうなっていたのだろうか?
大好きだったアノ人と、もし無事に結婚していたならば、今の自分はどうだったか?
別の人と結婚していれば、今の自分はどうなっていたのだろうか?

誰もが「後から」考えることかも知れません。
霊的に言えますことは、もし無理をして希望が叶っていた場合は、
* 寿命に関する事態に至るパターンが多い。
とだけ言って置きます。

でも、別の人生を実際には体験していない想像だけですから、これを人が認識することは出来ません。
そして、もう1つの重要な忘れては生けない霊的視点に、

* 人の短い期間限定の人生は、因果(霊的借金)を昇華させる為に、を最優先させる宇宙法則が在る。

ということです。
* コノ世だけの瞬間的な幸福感よりも、「本人の魂が昇華・上昇する為」。
を神様は選択させると言うことです。
この霊的法則も、自分の人生から感知した家康は、

* 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」

と言い残しています。
やっと背負う荷物を降ろしたと思えば、神様は次の荷物を用意される訳です。
次の荷物は、健康問題などが多いものです。

期間限定の短い人生の間に、神様は可能な限り「愛情から」昇華させようとされます。
これを観た家康は、せめてもの神様への対策として、
「そう来るならば、急ぐべからず。慌てないこと」
だったと言えます。

以上は、長く継続した徳川家を例にした参考ですが、継続する物事の中にこそ「真理」が偏在するという観点から、「継続の秘密シリーズ」は機会があれば違うテーマでも続けて行きたいと思います。
皆さんの人生観の参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/13(木) 13:30:20|
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すべては自分からやって来る
2017-04-09 11:20:59 | Weblog
今朝に感じます言葉は、
「すべては、自分の内部からやって来る」
ということです。

その「すべて」の中身は、自分の思考であり、自分が取る行動であり、運命も、幸運も、不運も、怒りも、感謝も、幸福感も、悲しみも、・・・・
人のすべてが自分の内部から湧いて来ていることに、私たちは気付いていません。

でも私たちは、外部からの刺激、他人のせい、霊の問題、にしてしまって、自分の内面に在る原因を見ようとはしません、自分の内部に探そうとはしません。

的外れな自分の外部に原因を探すものだから、解決策を探すから、
いつまでたっても「これだ!」という原因に気付け無いまま、不安なままで人は居ます。
すべての問題も、その原因も、宝の山も、幸運も、神様も、自分の内部に既に実在しています。

自分の内面から上手に金運を取り出した人が、コノ世の成功者と言われているに過ぎません。
自分の外に、外部からに、祈願で、金運を探す人は貧乏なままです。
これは自分の外側という「的外れな所に」探すことが原因です。
すべての知恵・気付き・ヒント・幸運は、自分の内部から来ます。

以上の話を証明するのは、簡単です。
同じニュース映像を見ましても、人により思うことは千差万別です。
なぜでしょうか?
同じ外部からの平等な刺激なのに、感じること、思い付くことは、個人で違う訳です。

つまり、思うこと、自分が受ける刺激は、外から入るのでは無くて、
* 「その映像に同調した」
* 自分の内面から全てがやって来る。
という証拠なのです。

今日の私が言いたいことは、ここからです。
悩む大人が、多いです。
でも子供がその人を見ますと、「大きな体をして何を悩む必要があるの?」と思う訳です。

悩むということは、自分の内面から湧いて来る思いに、負かされている状態です。
要は、自分が探すべき原因・相手は、自分の内面に居るのです。
自分により自分自身が攻撃されている状態、が人の苦悩・悩む状態です。

自己免疫が、自分自身を攻撃している状態が「病気」だという考え方もあります。
まさに悩みも、自分で自分自身を責めている状態です。
探すべき原因・相手は、他人や外部に在るのでは無くて、それを受けて同調する自分自身です。自分で自分をイジメています。

これが高じますと、自分が自分自身を殺すという事態にも成りかねません。
自分に復讐していたのは外部の他人では無くて、自分自身だったのです。
これを改善するには、どうすれば良いのでしょうか?

* 自分で自分自身を納得させる生活努力をすること。
* 「それも仕方がない」と自分で自分自身に言い聞かせて行くこと。
* それでも何とか生きて来たと、自分で自分に感謝して行くこと。
* 先祖(遺伝子の集合体)に感謝の気持ちを送ること。

このようなことの「継続」が、すべての原因を改善して行くことを感じます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/09(日) 13:16:37|
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思考に負けるな!
2017-04-06 11:11:05 | Weblog
座っているだけで、ため息をついて、疲れて行く人が多いです。

私は都会に出かけますと、歩く人波の頭上に、「思考」「独り言」の波が雲状の帯になって滞留している様を視ます。

この雲状の波は、都会全体を黒い霧状の雲のように覆い、夜に成りますとこれが「渦を巻いて」月へと日々吸収されて行きます。

* 人類は、怒り、心配、悩み、「恐怖」、という思考を月へと提供し、

* 感謝の思いは、太陽へと吸収されています。

ここで仮説なのですが、人類の存在とは、他の惑星群を生かすための「思考エネルギーの発生装置」だという側面もある可能性を知って置いてください。

そして、人間の思考とは、これがバカに出来ないほど霊的に巨大であり、宇宙に影響するのです。
誰もの頭にも、宇宙が「入っている」「存在している」と思ってください。
あなたの頭の中に、月も、太陽も、宇宙船も存在しています。

私達が外に見ている夜空は、実は自分の脳を内側から見ているというミクロ世界の転換が、霊的世界での「有る有る」だと思ってください。
次元とは、それぐらいの不思議なのです。

さて、今日の私が言いたいことは、ここからです。
心に宇宙を持つ私達が「悩む」とは、「怒る」とは、何と恐ろしいことをしているのか?
という可能性に気付いて欲しいのです。

人は、座っているだけなのに、深く悩んでいますとドンドンと老化(体内の酸化)が進みます。
* でも、その心配事は、現実にはまだ何も起こってはいない。
* その心配の大半は、何も起こらずに、次の心配事へと移動して行くだけ。

これを知らずに繰り返している漏電に気付きましょう。
* これは物凄く、自分の若さを損しています。
* 漏電した枯渇状態では、何も生まれない、変われない、自分に気付きましょう。

だから何を言いたいのかは、
* 自分の思考も節約する練習。
* 思考のムダ使いを止める練習。
これを意識して欲しいのです。

* ムダな漏電を止めますと、蓄積が起こります。
* 蓄積されたエネルギーは、コノ世の何でも(健康・仕事・恋愛・収入・勉強・・・)に交換が可能なのです。

人は自分の思考の漏電だけで、貧乏に成ってしまうことに注意しましょう。
最善は、思考を止めることです。
ロシアの神秘家グルジェフは、「ストップ!」とよく弟子たちに命じていました。
それはムダな動作のストップ!であり、本当の最奥の目的は「思考を止めろ!」なのでした。

今日も自分の生活の中で、
* 自分の「思考を休ませること」。
* できれば、何も考えない「無思考」で、自分の仕事・家事の動作に打ち込みましょう。
参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/06(木) 12:20:07|
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すべては「愛情力」から来ます。生まれます。
2017-03-31 11:24:21 | Weblog
よくアル業界で言われていることなのですが、
* 自称の精神世界の先生には「愛情の無い人が多い」。
というのが、その人物の元関係者や、出版関係者の間では定説な「有る有る」です。
日本人、東洋人、西洋人を問わずに言えるようです。

相談者に見せる表の顔と、裏の顔が違い過ぎると言うことです。
陰でスタッフさんを怒鳴り付けたり、関係者が離れようとすると恫喝するような人に本物はいません。
正しい世界からの霊能力、本当の正神との神縁が無いと100%言えます。
動物形象に憑依された世界に住む人です。本人自身が自覚することが不可能な気の毒な人です。

では、一般人がそのような自称先生たちをサニワ(直感で正しく判断すること)するには、どうすれば良いのでしょうか?
また、これは精神世界だけでは無くて、結婚相手、商売相手、働く会社の代表者、・・・・など「相手」を判断する時にも参考になるポイントが有ります。

* 相手の「愛情力」「情け深さ」「感謝の心の有無」を注意して、見て行くことです。
でも、これは演技も可能ですから、店での飲食時の店員への態度などもヒントに成ります。

他にも色々あるのですが、下世話(げせわ:低俗な、不愉快な、下ネタな)な話なので今は止めておきます、笑。
自分には霊感が無いと思っている一般人の中にこそ、もの凄い「愛情力」「慈悲心」を持つ人を見掛けます。こういう人こそは、本物の霊能力者でもあります。
黄金色のオーラが肉体から発光しており、私には観音様に視えます。

今日の私が言いたいことは、ここからです。
コノ世のすべて、人も動物も物質も、金も学校も家庭も、大地も地球も宇宙も、
* すべては「愛情力」という種類の磁気・磁場で誕生している。
ということなのです。

自分が愛情力を持つことこそが、最高の財産と成るのです。
コレさえ有れば、金運も、結婚も、幸運も、仕事も、子供も、研究結果も、すべて後から勝手に憑いて来ます。
愛情の磁気が投射されて、対象に貫徹して行く様を私は日々の中に視ています。

とにかくその人の愛情力が、すべてを「産み出す」のです。
私達が認識する以上に、コノ世の世界・宇宙では「愛情の磁気」がすべての元です。

また金儲けにしましても、そこに愛情の無い生産や投資は必ず失敗します。大きく育たないのです。
「他人の為」という愛情が有る事は、未知の可能性を産み出します。

正しく強い霊能力も、愛情力の磁気の放射であることが正体です。コノ世のどんな悩み(病気・仕事・結婚・・・・)にも影響が可能です。
神霊は、愛情の磁気のカタマリです。実際に非常に電気的で磁気的な「ブ〜〜ン」という高周波も伴います。

安心している先祖霊も愛情の存在です。子孫に色々と与えようとしてくれます。
でも、それを受け取ることが出来ないのは、自分自身の生き方からの問題なのです。自分が原因です。

でも、生きる人は、
* 与える側の問題だ。
* 誰でも受け取れる形にするべき。

という供給者側を責める思考を持つのが、今の社会の問題です。とにかく他人の責任にするワレヨシ思考の人類が増えています。
これではダメなのです。神様も呆れます。

自分が愛情を持てば、以上の話のような「受け取り側」である自分自身の問題も全て観えて来て、気付いて、自分で改善して幸福に成って行く流れも存在します。
とにかく自分が、自分から、「他人への愛情の視点」で今の生活を見て行きましょう。
そこから来る気付きが、自分を幸福に導いてくれるヒントに成ります。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/31(金) 12:39:40|
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自分の「怒り」への対応方法 (「継続」の秘密2への補足)
2017-03-30 11:52:56 | 継続の秘密シリーズ
記事「「継続」の秘密 2」におきまして、

* 「怒り」はまさに細胞を酸化で「焼く」イメージがします。
* また、女性の怒りは下腹部に蓄積する、とも感じます。

このように書きました。
では、どうしても自分に「怒り」が湧いて来る時には、どうすれば良いのでしょうか?

「怒ると、自分で自分自身の細胞を焼いて病気に成る。それは損なことだから怒らないように」

このように言われましても、余計に自分の怒りの収め方が分からずに、未消化の怒りを自分の腹に溜め込み苦しむ人がいるかも知れません。
人は、自分の怒りを昇華させることが出来るか否かが、その人の寿命も、金運も、幸運も、結婚も、運命も違える重要な要素だと感じます。

例えば、自分の怒りを収めることが出来ずに、もしこれを暴力に訴えれば自分が刑務所に行く羽目に成ります。その後の人生が根底から変わってしまいます。
自分自身の「怒り」の処理次第で、自分と他人の運命が変わってしまう重大な問題が「怒りの収め方」なのです。

怒りに対して、「怒り」で対応すれば、これは切りが無い世界です。
ヤッタらヤラれる。
これを縁ある相手と永遠にリピート再生(転生:生まれ変わり)することに成ります。

釈尊は、
* 人は、怒りを持つ限り、転生は永遠に終わらない。
と断言されています。
嫌な相手との因果が終わらずに、何度死んでも「同じような相手と出会い」、同じような「繰り返し」を、生まれる時代を変えて一から何度でもやり直します。

実は、これこそが私達が地球に生まれている理由なのです。
私自身も、このような話を世間にする使命を、何度も生まれ変わってもしています。
今の文明では、最初に3600年ほど前に古代ペルシャに生まれた時は、善と悪の真相の対立軸を言い過ぎた為に、使命を途中で果たせなくなった痛い思い出も有ります。今でもその転写が一部に有り注意しています。

そして、肝心な怒りの収め方なのですが、
自分の怒りには、怒りで対応せずに、
* 自分の愛情力を持って、「仕方がないなと」怒りの対象にも愛情を向けること。
* 自分の怒りにも、「それでも自分は生かされていること」に感謝すること。

でも、こんなことは不可能だと思う人が居るかも知れません。
しかし、自分の子供が幼児の時は、だだをこねましても「仕方がないね」と「愛情」を持って誰もが真剣には怒りません。
自分自身が幼児の時も、親がそうして来たことです。

本当は、人は誰もが「愛情力」「生かされている原点への感謝」「それも仕方がない」という思いで、怒りに対応することが出来ます。
出来ないと思うのは、自分の心にフタをしているだけです。
素直に成れば、心のフタは必ずズレます。救いの隙間が開きます。

しかし、怒りにも色んなケースや環境も有り、単純に一概には方法が言えません。あくまでも重要なヒントだと思って頂ければ幸いです。
これからも皆様と、「怒りの収め方」について考えて行きましょう。

ある国では、民衆の怒りが、元の女性代表者に自殺の死相をも起こさせています。
こんなことは、どちらにも良い因果を生まない不幸なことです。国家の未来にも悪い因果を創ります。不幸なことです。

言えますことは、感謝の先祖供養(遺伝子調整)こそは、理屈を超えて怒りを昇華させる最善の方法です。実践が自分に教え、先行きを導きます。
自分で自分自身の怒りを征服・乗り越えて行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/30(木) 12:45:42|
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「継続」の秘密 1
2017-03-27 11:25:21 | Weblog
徳川家康の有名な言葉を、現代語に意訳して見ました。

* 人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず (原文のまま)

* 不自由を、常のことだと思えば、何も不足感は無い。

* 心に少し贅沢な望み事がおこれば、自分が苦しかった頃の時を思い出しましょう。

* 怒りを抑えることは、無事に長生きするための基本です。

* だから、怒ることは敵だと思いましょう。

* 人は、勝つ体験ばかりを知って、負ける体験を知らなければ、逆に深刻な害が自分に及びやすいことになるから注意しましょう。

* 自分の周囲で問題があれば、先ず自分自身を反省することです。他人を先に責めては生けない。

* 自分の希望がどうしても叶わない事は、それが叶った場合よりも幸運なのです。

(感想)
どの言葉も霊的真理に合致した内容であり、敬服を致します。老子の思想にも通じる奥深いものが含まれています。
この内容を読みますと、「徳川家は長く継続するはずだ」と腑に落ちます。

「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」

誰もが「自分なりの荷物(因果)」を背中に背負って、生活をしています。
その荷物の内容は、各人で様々であり、その時々で荷物の追加・減少も日々に起こります。

問題は、他人の背中の荷物と、自分の荷物を比較して、不満に思ったり心配をすることです。
また、荷物が無いように見える他人が居ましても、それは霊的には巨大過ぎて、周囲には見えない荷物も有ることを知って置いてください。突然に寿命が尽きる、という形で周囲が知ることもあることです。

全員が、必ず荷物を背負って生きています。
生きること=生命力=荷物を背負うことが条件=自分の荷物が自分に命を与えてくれている。
ということが、人の使命感、生きがい、生老病死の人生の観点からも言えます。

荷物の内容は、家族・子供であったり、仕事、不自由なこと、病気、勉強、・・・・個人でテーマが様々です。
どれも「自分を生かす為の」大切な荷物であることが霊的な真相です。
それが、逆に自分に命を与えてくれている側面が人に有ります。

「不自由を、常のことだと思えば、何も不足感は無い」

私達の人生とは、何を基準とするのか? により心の状態も人生も変わります。
多くの人は、他人を見て、それを基準にしてしまっています。そして苦しみます。
特に日本人は、「他人基準」の人が多いと思います。

家康は、「不自由であることがアタリマエだと思えば、後はすべてOKだ」
と言っています。
もし、地獄の中でも笑っている人が居れば、その人は本当に強い人です。
もうどこに行っても、すべて天国だと思えることでしょう。

問題は逆のパターンです。
日本のような国をアタリマエだと思っていますと、外国では危険な目に遭うかも知れません。
また他人を見て、それを理想の基準にしてしまっていれば、自分の生活のすべてが嫌に成ることでしょう。
自分の思い方1つで、人の心は感謝にも不満心にもコロコロと変わってしまいます。

だから本当は、今のこのままでも、人の心は天国に住むことも可能なのが霊的真理です。
「あれが叶えば幸福だ」という思いは、それが実際に叶った時には、新たな別の不満と心配心に囲われているのが人の人生なのです。
だから天国は、今の自分の環境の中に「既に」存在しています。

(続きます)

(伊勢白山道)

自分は当たり屋被害に遭っているので
念のためにAUの自転車保険に入りました。
http://www.au-sonpo.co.jp/pc/bycle/

月々370円で1億円の保障とういのはありがたい内容です。
  1. 2017/03/27(月) 13:11:44|
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「相殺(そうさい)の法則」で51点以上は天国へ
2017-03-26 11:12:45 | Weblog
* 善意のカタマリのような人。
* 他人を疑うことを知らない人。

このような人を年齢を問わず、たまに見掛けます。
こういう善人が側に居ますと、このような善意の人を利用する悪人が居るのも、コノ世の複雑な所です。

その悪人に多いのが金銭の詐欺です。
* 返す気がないのに、善意の人から金を借りる人。
このようなパターンが昔からあります。

あるタレントさんの一家は、貧乏で金に苦労されたと言います。
その理由は、父親が「金を貸してくれ」と他人から言われますと、「はいよ」と家族の生活費も渡すような人だったそうです。

奥さんが、「また証拠の一筆も無しに貸して、返して貰えないよ!」と怒りますと、
父親は、「何言ってやんで!」と言いながら、奥さんに満足に言い返せないストレスから一升瓶を持ち出して酒を飲むパターンが毎度だったようです。
子供の学校の給食代や教材を買う御金も無い時も有ったそうです。

従って、父親は家族の全員から恨まれていました。
でも、他人には良い人だと思われていました。

さて、父親の死後は、どういう世界に逝かれたのでしょうか?
ただ、救われますことは、親の金の苦労を見て育った兄弟の全員が、父親への反発から勉強を頑張り、裕福な生活をされていることです。

霊的には、父親が他人に搾取された金銭が、何十倍にも化けて子供たちに帰ったと言えます。
コノ世は勉強で努力しても、商売をしても、成功するとは限らない世界です。
でも、子供たちには金運が有った訳です。
その金運は、家族の食事も削られて他人に施された金銭が、霊的には帰っていると言えます。

そこには、金額ベースの比較は意味がありません。
幼稚園児が100円を握り締めて買い物を悩むのも、大人が1万円で買い物を悩むことも、金額は違っても同じことです。
小さい世界での目一杯の悩みは、大きな世界での悩みに引けを取りません。

* だから、人は自分なりの世界の中で懸命に頑張れば、他人とは中身のレベルが違っても、大きなことを成したと霊的に言えます。

* コノ世は、単位・中身の大小に誤魔化されては生けない世界です。

* そこに込められた、感情や感謝の気持ちが、未来に来る物質に影響するのがコノ世。

このようなことを感じます。
さて、問題の父親は、死後にどんな世界に逝かれたのか?
家族からの恨みの念。他人からの感謝の念、騙され利用された善徳貯金(実は貯金です)。
これらの「相殺」(そうさい:差し引きして残るモノ)の結果は、良い霊界に居られました。

子供たちを何とか育て、嫌われながらも父親なりに仕事をやり続けた結果です。
私達は直ぐに絶望もしますが、それは100点を基準に思うからです。
すべては相殺の結果で良いのです。
自分の善行と悪行を引いて、51点でも良い訳です。

親鸞(しんらん:浄土真宗の宗祖)さんが言われた、
「悪人正機」(あくにんしょうき:罪を反省する者ほど、逆に大きく悟ることも可能。反省する者は全員が必ず救われる)
は真実であり、「相殺の法則」でもあります。

私たちは生きる限り、相殺の51点以上を目指して、何とか生きましょう。
「自分なりの世界での」51点以上ですから、誰もが誠意を持って頑張れば絶対に大丈夫です。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/26(日) 13:02:20|
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「時間薬」(じかんぐすり)は、有りまあーす。
2017-03-25 10:59:51 | Weblog

(カレンダーの印の意味は「月間の自然観察日」を順番に参照。「3月の自然観察日」に3月の詳細あり)

今日から3・28の「新月」に向けて、「中潮」(いつでも大きく振れやすいニュートラル状態)が連続します。
海底の胎動を感じますから、冷静に静観して行きましょう。
今月は、3・27の奇数日の「月曜日」も特に静観しています。

* 経済も回復傾向。原発も特段な変化なし。
* でも、政治は騒動中。
* 大相撲が波乱含み。
* これで気温が異常に暑い時に、太平洋側が大きく動く。

というパターンの出現を感じるのですが、気温がまだ寒いと思います。
無難にすぎて行くことを思っています。

今朝に感じますことは、
* 他人を責めている人は、果たして有利なのか?
ということです。

会社でも、家庭でも、学校でも、政治でも、責める・責められる。
という事態がどこでも起こっているものです。
でも実は、他人を責める人の方がハイリスクであり、爆弾を自ら身に付けていると霊的には言えます。

例では、
* 会社で他人のミスをいつも過剰に責める人が、誰にでも分かる大きなミスを自分がした時、いつも他人を責めていた人の内心のショックは倍加します。

* 旦那の過去の浮気をいつまでも過剰に叱責してペナルティを課していた奥さん自身が、実は自分が浮気をしていて家族にバレた時、どんな立場に成るのでしょうか。

他人を責める人は、未来の本人自身も責めていることを知って置きましょう。
では、自分が他人から責められている最中の人は、どう思えば良いのでしょうか?
* 慌てずに、自分の心を傷付けずに、その相手を静観していれば良いです。

怒られる自分が実際に悪い時も有れば、相手がそれ以上に悪意が有ることも有ります。
自分が静観することで、良心からの「公平な反射」が起こりやすい状態に成ります。

老子ならば、
* 強く責めて来る者には、より強く、責めさせて置けば良い。責める側が、ますます自分で孤立するだけだ。
* 伸び切った縄は、後は切れるだけだ。
* そして、責められる側・弱は、強に勝つ。

要するに、慌てずに時間経過を見るという「時間薬」(じかんぐすり)ということを知って置きましょう。
今は物凄く悩んでいる内容でも、時間が経過すれば、すべてが変わって行きます。
すると、未来の自分は「あれ?あれほど悩まなくても良かったのに」と成っているパターンが誰にでも有ります。これは自殺者が、アノ世で大後悔する理由でもあります。

自分の心も、海のような「中潮」(ちゅうしお)というニュートラル状態を心掛けましょう。
すると、勝つ時は、自然に大きく勝てるものなのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/25(土) 12:52:15|
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この項で特に心に残る要点は、最後の行です。

* 冷静なる安心感の維持こそが、大地をも切り裂き耕すような、自分の心に革命を起こす。

ということです。
「安心感」と言われますと、何かゆっくりとした、何も変わらない今のままをイメージするかも知れません。
しかし釈尊は、冷静な安心感は、鋭い刃物にも成り得ると示唆されています。

* 冷静な人ほど、強い人かも知れません。
* 安心感に包まれた人ほど、観音力に守護された人。

逆に言えば、
* 冷静に成れない人。常に喜怒哀楽が激しい人は、弱くて、もろい人かも知れません。
弱い犬ほど、よく吠えるものです。

このようなことが、霊的に実際に言えることを感じます。
確かに、戦国武将で最強は誰だったか?を歴史家に問いますと、一番に多い返答が「上杉謙信」です。
あの織田信長でも、謙信の名を聞きますと「あっ、触っては生けない奴」という不干渉の態度だったようです。

でも上杉謙信の風評は、色白であり部下に優しく、とにかく非常に冷静な、一切動じない水のような人物だったようです。(私は、上杉謙信が女性・尼僧だった説を取ります)

やはり釈尊が言われますように、
* 気持ちを静かに安心させていることは、農具の鋭い先端の刃。大地をも切り裂く刃。
と言えそうです。

苦しい仕事の環境に居る人ほど、苦難の多い家庭に居る人、心身にハンディを持つ人ほど、
「その中であっても」
自分の心を冷静に維持し、更にはその中でも「安心感」と「感謝」に包まれている人は、
心に大きな革命が起こり、悟るかも知れません。
悟りへの、意外な最短距離に苦しい人ほど居るかも知れません。

人は、楽な環境下・条件下では、心の問題を考えることも放棄しているものです。
「万事塞翁が馬」(ばんじさいおうがうま:人生の幸福・不幸は予測しがたく、定まらないものであるたとえ)、
私たちの何が幸いに・不幸に、転じるのかは未知です。
だからこそ、今日の示唆として、

* 「気持ちを静かに安心させていることが、
あるがままに大地を鋭く耕す為の、鋭利な器具の先端の刃と成りえます。」

これを覚えて置いて頂ければ幸いです。
農夫への釈尊の返答は、まだまだ続きます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/22(水) 13:02:51|
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昨日、立ち読みした本の言葉を載せときます。

エッセイストの浅見帆帆子さんという人が書いた本でした。

「初めに“気が進まない”と思っても、“引き受けた以上はそれを楽しもうと思い、全力で向き合って進める!”と決めれば、それはよい波動になるので良い流れを引き寄せます。」

「言葉は今のあなたの環境を勝手に決めてしまいます。そして、言っている本人が一番その言葉に縛られるのです。」

「魂が喜ぶことをしていると、それに携われること自体が楽しくてしょうがないので、その作業(仕事)がうまくいくか、成功するか、有名になれるか、人から評価されるか、または失敗したらどうしよう、というようなことはほとんど考えなくなります。」

「気分が良くなるというのは、決してその場限りの気休めではなく、“気が良くなる“わけですから、見えないレベルで確実にあなたの何かが浄化されているのです。」

「自然の素晴らしさをしみじみ感じるようになると感性が強まり、あなたという受信機が宇宙の波長とつながって、ひらめきや情報がどんどんやってくるようになります。」

「変えることのできない環境だとしても、あなたが“影響を受けない”という意識を強く持てば影響されないようになります(逆に言うと、このような環境にいる人は、自分の意識をコントロールする絶好の練習場所が日々与えられていることになります。)」

「”これは私のストレスではない”としっかり切り替えて、あなたの楽しいことに向かってください。」

「あなたが幸せを感じてワクワクと毎日を過ごすようになると、次は自然にまわりに目が向きます。」

「楽天的で、いい意味で忘れっぽい人、あまり深刻にならない人に悪いことが起きにくいのは、余計な心配をしないからです。」

「あなたが幸せを感じる事柄を起こしたいと思ったら、まず、今の環境を“ありがとう”と思い、マイナスのエネルギーを断ち切ってください。」

「ゆったりとリラックスした状態で今日一日のことを思い出し、今日も無事に終わったことを感謝してください。あなたが意識を集中させて引き寄せたいことを確認してください。
反省することがあれば、その時に済ませてください(これから気をつけようという確認程度です)。
お願いがあるのであれば、このときにお願いしてください。」

「最後に、うれしいことを想像してください。考えると幸せな気持ちになること、そうなったらうれしい未来のこと、やさしい気持ちになることを思い出し、居心地のいい幸せな気持ちになって眠ってください。」

黄金の金玉を知らないか?
http://golden-tamatama.com/blog-entry-connect-with-universe.html
  1. 2017/03/20(月) 12:39:10|
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良い点と、汚点も有ってこそ、人はちょうど良い
2017-03-18 11:31:33 | Weblog
昨日のニュースによりますと、
* 日本人の2016年度の個人金融資産は、過去最高の1800兆円。

その内訳は、
現金・預金が937兆円。
保険関係の金融が370兆円。
株式・出資金は167兆円。

そして、国の借金が1070兆円ほど。

つまり、国の借金などは、日本人の純貯金だけでも支払いが可能なレベルに過ぎません。
しかも、これ以外に日本国は、他国に世界一の金額の海外資産を保有します。
日本の対外純資産は2014年末時点で366兆円と、24年連続で世界一である。今も増加中。

しかも、財務省が発表した2016年貿易統計速報によりますと、1─12月の通年の貿易収支は4兆0741億円で、6年ぶりの黒字となった。

私の脳内経済学では、貿易収支が黒字である限り、
* 自転車操業は永遠に継続する。
* 倒産もしない。
* 超インフレなど成らない。
* 国家(会社)の借金は増え続けても、個人の貯金は増え続け、国民は幸福感に他国よりも恵まれる。

という感じです。
以上の意味することは、日本は超優良企業だということです。

しかも、親分国に対しても、
「いや〜、借金が大き過ぎるので出せませんわー」
と死んだふりの演技も出来る内容に成っています。節税対策もバッチリ。

米国などは、双子の巨大赤字のために、上記の数字のどれもが天文学的に悪いものに成っています。
でもこれから、トランプ大統領ならば挽回することでしょう。

そもそもが、日本の借金が増え始めたのは、1985年のプラザ合意(米国の為替レートの強硬策)からだと思います。
1980年初頭までは、日本は大貿易国であり、すべてが黒字で無借金だったはずです。

それを、その頃から既に双子の赤字で苦しむ米国に怒られたのです。
(初期のトランプ氏の日本に対する経済数字のイメージは、その頃の古いデータに基づく誤解がある)

1985年に、堪忍袋の緒が切れた米国に「お前だけが儲け過ぎなんだよ!!」と怒られた訳です。
そして、今日からのドルの換金率は「これだけだ!」と日本に不利なレートに変わりました。

私が聞いた情報では、その時に日本が米国のノーベル賞経済学者に、
「これから、どうすれば良いかな?」と相談したところ、

「バカだな、日本よ。そんなすべての数字を黒字にしておくからダメなんだよ」
「経営とはな、借金が半分は有るように見せるのが一番に美味しいんだよ」
と言われたそうな。

つまり、定期的に「日本の借金がまた増えた!大変だー」と流している張本人は、意外や意外な国家対策かも知れません、笑。

今日の話で言いたいことは、
「自分には悪い事、汚点、ハンディ、が有るから、私はダメだ」
では生けません。

半分で良いから、良い点も有れば、汚点が有っても良いのです。
すべては相殺(そうさい:貸し借りが打ち消し合うこと)なのです。問題はない訳なのです。

霊的磁気の視点でも、これが完全に言えます。
だから1%でも良いから、自分の良い点が汚点を上回れば、その人生は大成功な良い人生だと言えます。

誰もが、「完璧」を基準にして苦しんでいるだけなのです。
それは間違いです。
日本が1980年代に黒字過ぎて・完璧過ぎて、米国に怒られたように、人間は自分が完璧だと思えた時点で、失敗・墓穴・命を削り始める、方向へ向かうのが法則です。

自分には汚点・悪い点が有る、と思える状態が「ちょうど良いのです」。
自分自身を賢く経営する人です。
死後は、1%でも良いから善行が悪行を上回れば、良い霊界へ誰もが行けます。
ただし、自分の悪行を打ち消す為の転生(生まれ直し)をいずれ必ず受けます。

ある人物が悪人に見えましても、その人に隠れた善行が1%でも上回れば、その人は良い世界に行きます。
完璧を目指せば、自分は無理だと絶望するものです。
でも、1%のプラスならば、何とか出来るかも知れないと思えます。
これで人生は、ちょうど良いのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/18(土) 13:23:04|
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会社の人間関係に疲れて、自分の心が汚れ・疲弊(ひへい:激しく疲れること)するぐらいならば、組織の中でも自分一人で歩く覚悟を持ちなさいと説いています。 だからと言って、仕事において常識の無い非協力的では、ただの愚かです。 仕事において常識的な交流・挨拶をしながら、心中はサイに成って独り歩きなサイと言われています。これが、年収5000万を超え出しますと、住まいも仕事環境も変わり、自動車も含めて社会の欲しい物を一通り得ます。 でも、心には何か不足感があり、それは仕事を更に頑張ることだと勘違いをした状態です。 この先に、年収が1億を超え出した人は、物欲がどんどん消えて行きます。 豪華な食事にも食欲が出ません。 そして、人を育てたい、社会に何か貢献したい、と思い出す人が多いのです。今日も、自分の心だけは醜くしないように、社会の汚い仕事も頑張りましょう。 自分の心を清浄・正常に保てれば、あとはすべてがOKなのです。何が有っても問題はありません。

消えて行く中間過程に心を汚されては生けません
2017-03-10 11:34:27 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
今の社会の人々は、自分の利益の為に交友を広げ、時には他人に尽くすこともしてしまう。

今どき、利害関係の無い友人とは少ないものだ。

自分だけの利益を追及する人間の様とは、それは醜(みにく)いものだ。

自分の心が醜くなるぐらいならば、

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.75)

(感想)
まさに会社や組織にいますと、自分の評価の為に、上司の無理な指示にも尽くそうとするのが会社員の宿命・仕事かも知れません。
大学の運動部にしましても、4回生は神だと聞きます。もの凄く厳しい地獄のような上下関係です。

でも私は、それを自分の修行とするならば、大いに大切なことだと思います。
厳しい運動部に耐えた大学生は、就職活動でも評価され、入社後もやはり幹部にまで成る人が多いです。
大手証券会社なども、部長クラス以上には応援団や運動部の出身者が非常に多いです。
会社のどんな罵倒やノルマにも耐えて来た人々です。

でも、そういう社員たちの心が汚いか?と問えば、まったく逆です。心が汚れた者は、厳しい仕事に耐えることが出来ません。
純粋すぎるほどの真面目な人が多いのが実際です。だから顧客から信頼を得るのでしょう。

ここで釈尊が問うているのは、心の問題です。
会社の人間関係に疲れて、自分の心が汚れ・疲弊(ひへい:激しく疲れること)するぐらいならば、組織の中でも自分一人で歩く覚悟を持ちなさいと説いています。

だからと言って、仕事において常識の無い非協力的では、ただの愚かです。
仕事において常識的な交流・挨拶をしながら、心中はサイに成って独り歩きなサイと言われています。


* 自分だけの利益を追及する人間の様とは、それは醜(みにく)いものだ。

これを見て浮かびますことは、普通の会社員が年収が上がるにつれて、変化して行く心理のパターンです。
年収が数百万の時代は、人は欲しい物だらけです。
アレが欲しい、これが食べたい、海外旅行に行きたい、性交もしたい。
とにかく飢えている人が多いです。

こういう時は、会社員で年収1000万が遠く夢のように絶望的に思っているものです。
でも実際に年収1000万に成りましても、少し欲しい物が買えるぐらいであり、あまり変わりません。

これが、年収5000万を超え出しますと、住まいも仕事環境も変わり、自動車も含めて社会の欲しい物を一通り得ます。
でも、心には何か不足感があり、それは仕事を更に頑張ることだと勘違いをした状態です。

この先に、年収が1億を超え出した人は、物欲がどんどん消えて行きます。
豪華な食事にも食欲が出ません。
そして、人を育てたい、社会に何か貢献したい、と思い出す人が多いのです。


すると、貧乏でも子供を育てる主婦は、本当は年収が1億を超えた人と同じ人生の勝利者だと、「人を育てる」という「共通結果」により言えることを、老子は示唆しています。(老子の言葉「人間は純朴さが大切」)

そこに至るまでの人生の経験の過程が違うだけで、結果は同じことだと言うわけです。
中間過程には大した意味は無いと老子は指摘します。
でも普通の人は、中間過程で苦しみ、心を汚しています。

貧乏で独身の人でも、社会に何か自分が出来る小さな貢献をする人は、霊的には年収1億超えの人と同等か、それ以上かも知れません。

人は、消えて行く中間過程を見ては、区別したり、差別したり、諦めているだけなのです。
していることが同じ良い事ならば、貧富の差も無い訳です。
町内会のゴミ掃除では、大社長も無職の人も、同じゴミ拾いをしながら世間話をします。
このあたりの話は、もう半分はアノ世の価値観に近いものです。死後の真実とも言えます。

誰もが死ぬ時は、自分一人、裸の体1つだけなのです。
金持ちだったことも、何の意味も持ちません。
だから老子の指摘は、やはり完璧に正しいと言えます。
人生の中間過程の姿に誤魔化されては生けません。

今日も、自分の心だけは醜くしないように、社会の汚い仕事も頑張りましょう。
自分の心を清浄・正常に保てれば、あとはすべてがOKなのです。何が有っても問題はありません。


(伊勢白山道)
  1. 2017/03/10(金) 13:19:55|
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悪魔が権利を悪利用することを、防止する策も必要な時節

悪魔が権利を悪利用することを、防止する策も必要な時節と感じます。

(伊勢白山道)

当たり屋⇒損賠賠償しろ!と訴訟を起こす
書いてあることを信用したら、こんな健康被害を受けた⇒損賠賠償しろ!と訴訟を起こす

金持っている人間相手にはこんな権利の悪用をしているのでしょうね。

【要注意記録】
当たり屋被害は連日のようにやられている。
いろんなパターンがある。
当方は自転車でもバイクでも、必ず片方はブレーキレバーに手をかけて走っているので
未だ被害は受けるまでには至っていないが、全く知らない金持ちがやられたら確実に
はめられる。

書いてあることを信用したら、こんな健康被害を受けた⇒損賠賠償しろ!と訴訟を起こす
こちらも気をつけた方がいい時節。
  1. 2017/03/09(木) 13:08:10|
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心が進むべき方向を先に知って置くのも良いこと
2017-03-07 11:44:31 | Weblog
老子いわく、
* 他者のことを良く見て知っている人は、物知りな人。
* でも、自分自身のことを知っている人は、もの凄い賢者であり、まず世に居ない。

古代ギリシャの叡智とも評された哲学者・ソクラテスも、
* 「汝自身を知れ」
を言い残しています。

釈尊も、「自灯明」=自分自身を明かりとして、自分を頼りに求めなさい・知りなさい。

つまり、どの時代に生まれたスーパー賢者も、その帰結(最終的な結論)は同じであり、
* 自分を知りなさい。
でした。

だから私達も、どんな求道や信仰をしようが、「自分の正体を知ること」がカギであることを知識で知って置きましょう。

* 今日も他人の言葉に悩む自分がいます。
相手ばかりを見て、なぜそんなことを言うのか? 私の何がいけないの?
と悩みます。

しかし、これからは、
* なぜ自分は、その言葉を気にするのだろうか?
* どうして私は、その人が気になるのかな?
というように、相手を観察するのでは無くて、自分自身を静観して見ましょう。

ほぼ全員の視線が、他人を見ている「外向き」ばかりです。
これを自分の心を観察するという「内向き」に転換が出来ますと、その人の心に革命が起こるスイッチが人類にはセットされています。

すると、スイッチが入ると何が良いのでしょうか?
自分自身のことが見え出しますと、あら不思議な現象が起こります。
自分を見詰めているだけなのに、他人のことが手に取るように視え出すのです、分かり出すのです。

自分を観察しているだけなのに、どの方向に幸運が在るのかも、何となく分かり出すのです。
他人や未来を知ろうとして「外向き視線」の時は迷うばかりだったのが、
自分自身を静観し出しますと、自分が求めなくても、自然に向こうから色々なことを教えてくれ始めます。

自分自身を観察することで、なぜか宇宙の成り立ちや秘密も、教わらなくても自分なりに分かり始めます。
「こういうことか」「こういうことだな」と自分の腑に落ちて行くのです。

これはただの自分の空想では無いことは、本当に自分自身のことが見え出しますと、実際の環境も変わり運気も変わります。金運も変わります。

つまり他者に求めて得られなかったことが、自分を静観することで全てが変わって行くのです。
賢者たちが、一般人を煙に巻くために「汝自身を知れ」と言ったのでは無くて、人が幸福に成るための最短方法を言っていたことが分かります。

神道の奥義には、神様の御札を祭ることで、
「霊的には自霊(内在神)を祭ることに成る」
という言わざる秘密が在ります。鏡の反射です。

古神道では、神祭りは自霊拝(じれいはい:自分の霊がすこやかに成るように拝する)に通じるのが奥義であり、一般的に説明はされない言わざることです。
なぜならば、実践が自分に教え、先行きを導く。
つまり真面目にした者だけが、自分で分かるから、言わない。
という秘密が在ります。行けば分かるさ、の世界です。

先祖供養も、自分供養を自動的に兼ねているのが奥義です。
他者を救おうとする者は、神様が救う、という法則が在ります。
自分自身を救いたい者は、救われません。
だから自分の為の先祖供養ではダメなのです。

これからは、他人ばかりを観察せずに、まず自分の心を見てみよう、からで良いです。
聖者・ラマナ・マハルシは、「私は誰か?」これ1本道で悟りましたが、
私達は、
「自分はなぜ、それを悩むのか? なぜ気になるのか?」
これから始めれば良いです。これを突き詰めても人は「悟り」(自由になること)ます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/07(火) 12:45:45|
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「自分が育てても、所有しない気持ちが、徳である」


「徳」に、金銭も幸運も幸福も勝手に憑いて来ます
2017-02-22 09:44:45 | Weblog
近年の小中学校では、道徳教育(善悪を判断し、善を行おうとする良心を育てること)
に力が入れ始められています。
これは良いことです。日本の将来に影響します。

今の世間で言われます「毒親」(どくおや:児童虐待によって、一種の毒 のような悪影響を子供に与える親のこと)に育てられた子供は、

* 愛情を受けたことが無い為に、「思いやり」という感情が分からない。
* 何が正しいことなのか?を知らない、分からない、知ろうとしない。
* 他人に対しても、自分自身が親に受けた対応が正しいと思っている。
* 親と同じことを自分も、他人や自分の子供にしてしまう。

こういう悪い「連鎖」の2代目、3代目の人々が社会の中に増え始めています。
これを正す為には、「正しい基準」=「道徳」というものを義務教育で強化する必要があります。

そうでないと、その本人が社会で苦労するからです。
他人と衝突するために勤務が継続しない人間となり、収入を正しく得られない人間と成り、ろくな方向に向かわないパターンが社会に見られます。

会社や組織でも道徳観の有る人が信頼され、管理職に成って行きます。
米国ではモラハラやセクハラなどの裁判の賠償金は巨額であり、社員の道徳観が会社を潰しかねない金銭問題へと成っています。
日本も、その方向に向かって行くことでしょう。

つまり、人の道徳観の有無は、その人の将来の収入を左右する重要因子と成り得ます。
結婚も決めて行きます(素行調査など有るために)。

なんと、つまらない、くだらない、と思われがちな道徳教育が、将来の高収入や結婚も左右する教育だということなのです。
収入に関する例で説明しますと、子供でも食い付いて来るかも知れません、笑。
でも、冗談ではありません。

では、「道徳」という言葉の元の発信者である老子は、「徳」について何と言っていたのでしょうか?
老子は、
「自分が育てても、所有しない気持ちが、徳である」
と、徳の一面について語っています。

* 子供を育てれば、自分の子供。自分のもの。
* 自分が起こした会社は、自分の持ち物。

このように思っている内は、その人には「徳」が無いと老子は言います。
そして、自分に徳が無ければ、
「その持ち物を、いずれは失くすことに成る」
と指摘します。

* 自分が子供を持てば、期待せずに最善に育てる一方であり、世間にお渡しするつもりでいること。
* 会社を起こせば、社会の為に、社員の為の物。

このような心境の人には徳が有り、その人の持ち物は伸びる・大きく成って行く、と老子は指摘します。

日本の未来も、国家の徳が決めて行きます。
徳のない国は、滅んで行きます。
どの国に善徳が多く、
どの国家には、徳がないか?


これから、その国の行く末が見せて証明してくれることでしょう。
日本はまだ、善徳>悪徳、の状態です。
これを今からも維持して行くことが、私達の生命と財産を決めて行きます。
だからこそ、道徳教育は大切なのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/22(水) 12:10:27|
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心をカラにする秘訣
2017-02-19 11:52:24 | Weblog
昔から禅僧などが、
* 空(くう)に成りなさい。 空を目指しなさい。
と言ったものです。

「頭をカラにしなさい」と言われましても、生活していれば色々な思いが湧いて来るのが人間です。
アレが心配、コレが足らない・欲しい、アイツが腹が立つ、仕事が心配、病気の家族のこと、自分の将来、金の心配、・・・・。

朝の通勤時の人々を観ますと、それはそれは騒音のような独り言が道路に鳴り響いています。
声には出さなくても、霊的には誰もが大きな声で、小さな声で、何かを話しているものです。
心中が無音の人は、100人に一人もいないかも知れません。
でも、たまに見掛けるものです。落ち着いた人であることが見掛けからも分かります。

では、頭を空(くう・カラ)にするには、どうすれば良いのでしょうか?
これに関して、老子が面白いことを言っています。

* 家の中にゴミが天井まで詰まっていれば、人が住めますか? 
家の中の空間が無い家は、家としての用を成すことが出来ません。

* 空間が有るからこそ、人が家の中に入って来て暮らせます。

* 人の脳も同じであり、カラの状態であればこそ、良い知恵も湧いて来るし、知識も入って「来る」のです。

これは重要なヒントです。
私たちは、心を空にする理由も分からず、ただ無思考に成ろうとするから「出来ない」のです。
思考を消すという、何か消極的な意味から空を目指すから出来無いのです。

そうでは無くて、
* 知恵・真理という美味しい「鳥」を捕まえる為に、「心をカラにして待つ」という能動的な前向きな、ワナを仕掛けるような意味で無思考の空を心掛けますと、その実践が自分に教え、心が空の習慣が形成されると感じます。

話が変わりますが、格闘技などでは「何も考えていない奴が怖い相手」とよく聞きます。
動きを考えている相手は、動く前に既に目に次の行動が表示されていると言うのです。
だから相手の次の一手が事前に読めるから、防御が可能に成ります。
格闘技の達人は、無思考の人ばかりです。

心を心配で埋めていては生けません。
心をカラにしていれば、最善の方向が考えなくても見えて来るのです。

囲碁にしても、思考で読むのは限界があります。
でも、何となくの雰囲気が最善の一手を教えてくれます。
無思考からの一手を出せるか否かが、勝敗を決めます。

心が空・カラであることが大切です。
心に「空」を心掛ける人、この道理を知っている人は、良い知恵が湧き自由自在に生きられます。

先ずは、心をカラにして部屋掃除をしてみましょう。
釈尊の弟子である周利槃特(しゅり・はんどく)は、頭が悪い奴だとイジメに遭っていました。
でも、無心で掃除をする内に悟って、叡智を得て聖人と成りました。(https://goo.gl/gS9Ews)

人は、心をカラにして掃除に専念するだけでも、作務(さむ)を伴った大いなる修行となり、瞑想を超える心のカラに行き着くわけです。
ここに大いなるヒントを感じて頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/20(月) 13:32:39|
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霊を避けるよりも、先祖を供養したい気持ち、「情け心」を持つ人が救われて行きます。 「類は友を呼ぶ」(同類が自然と集まる)のは真理であり、法則です。 * もし困る先祖や縁ある霊が居れば、供養してあげたい。または先祖に感謝をしたいと思える人物。 * そういうモノは避ける、知らない、放置、自分が大事の人物。 このような二通りの人が居れば、どちらの人物と自分は一緒に働きたいか?結婚したいか?友達になりたいか? これは想像すれば分かることです。自分の死後は、自分と同じような性質の人だけが集まる世界へ逝くのが法則です。 情け深い人は、情け深い他人ばかりが居る世界へと、霊的磁気の引力で寄せ集められます。 嫌なことは避ける人は、やはり同じような人「だけ」が居る世界に引き寄せられます。 コノ世で自分がした行動により、死後の世界が決まって行く「最中」が今の時間です。 自分大事で生きて行くのか? 困る他人を何とかしてあげたいと思いながら生きるのか? その成果は別として、その人の「志」(こころざし)が、今生も来生も決めて行きます。 他人と比較した成果(結果)主義では無くて、誰もが自分自身の世界の中で今生も来生も生きて行く事になります。

「類は友を呼ぶ」(同類が自然と集まる)真理
2017-02-17 11:43:24 | 先祖供養について
【質問】
窓ガラスの前で先祖供養した場合、供養の光を見て外から無縁霊が入って来るのでしょうか?
これは床供養だけでは足りずに、守護霊の負担になってしまうのでしょうか?

家の中で奇妙なことは起きていませんが、もしかしたらそれは、ご先祖が必死で守護してくれているからなのかもしれません。教えていただければ幸いです。

(返答)
そのために、ヨリシロ短冊の名字をはじめ、供養対象を限定していますので問題はないです。
「縁ある」もろもろの縁者霊が対象です。

そして、家の中には、霊は簡単には「結界」(けっかい:仕切られた空間)により侵入が出来ません。重力の壁のような、本当に無理なことです。物理的な法則に感じます。
だから、人物に憑いて一緒に家内に入ることが8割、品物が2割と思ってください。

このために、宅配業者を始め来客がある玄関の外に注連縄(しめなわ:特に伊勢地方の形のもの)を飾るのは意味が有ります(玄関内も機能します)。
人に憑いて入ろうとした霊が掃除機(=注連縄)に吸着されます。
でも、注連縄が無くても、正しいヨリシロ霊位の有る先祖供養をしていれば、問題はないです。

建物を建てるだけで家内には、結界が生じています。
その代わり、「鬼門」(きもん:北東の角。霊の通り道「霊道」が自動的に形成される)も必ず生じるのです。
コノ世で囲いを作りますと、その中に「結界」と「鬼門」が必ず生じる次元の不思議が存在します。

外部の無縁霊は、窓の外から家内を覗き見すると思ってください。
心霊写真でも窓の外に写る知らない霊や、あるいは窓から顔だけを室内に突っ込んで見ている霊が写ることが有ります。高層マンションの窓外でも撮影されています。

普通は、正しい先祖供養がされている家では、これ以上の侵入はありません。生きる人が思う以上に難しいことです。
ただ、窓の前にヨリシロ短冊を置いて供養しますと、窓の外には「うらやましく思う」飢えた霊が居るという想定は出来ます。

従って、先祖供養は室内で、後ろが壁が理想です。
あとは襖(ふすま)や、家具の前で、ヨリシロ霊位を置いて供養することは、それは室内事情で仕方がないことだから良いです。
ただし、ヨリシロ霊位の固定・安定化。そして、安定した台で供養することが大切です。

アノ世では、言葉と思いによる「指定、ことわり、仁義」が外せない法則となります。
人が思う以上の契約が、今の生活中にも起こっていますから、自分の普段の「思い」と「言葉」が大切です。

人は霊の海の中で、既に誰もが暮らしています。
霊を避けることは不可能です。自分自身も霊のカタマリです。

これを供養せずに放置も自由です。
誰もが、色々な善悪の霊の中で暮らして行くことに成ります。
そのために、人の幸運・不運の運命も千差万別です。

ただし、霊を避けるよりも、先祖を供養したい気持ち、「情け心」を持つ人が救われて行きます。
「類は友を呼ぶ」(同類が自然と集まる)のは真理であり、法則です。


* もし困る先祖や縁ある霊が居れば、供養してあげたい。または先祖に感謝をしたいと思える人物。
* そういうモノは避ける、知らない、放置、自分が大事の人物。

このような二通りの人が居れば、どちらの人物と自分は一緒に働きたいか?結婚したいか?友達になりたいか?
これは想像すれば分かることです。


無理に先祖供養は不要です。
イヤイヤながら、怖がりながら、心配しながら、な人は供養は不要です。
これも、その人の人生です。

自分の死後は、自分と同じような性質の人だけが集まる世界へ逝くのが法則です。
情け深い人は、情け深い他人ばかりが居る世界へと、霊的磁気の引力で寄せ集められます。
嫌なことは避ける人は、やはり同じような人「だけ」が居る世界に引き寄せられます。


コノ世で自分がした行動により、死後の世界が決まって行く「最中」が今の時間です。
自分大事で生きて行くのか?
困る他人を何とかしてあげたいと思いながら生きるのか?

その成果は別として、その人の「志」(こころざし)が、今生も来生も決めて行きます。
他人と比較した成果(結果)主義では無くて、誰もが自分自身の世界の中で今生も来生も生きて行く事になります。


だからこそ、先祖を供養したいと「思える」自分とは、それだけでも意味深い貴重な人生だと私は思います。

あくまでも先祖供養は、自己責任・自主判断ですることです。
無理にすることではありません。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/18(土) 14:50:18|
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獅子のごとく人も生きるべき
2017-02-15 10:43:20 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
ライオンならば、どんな声にも驚かない。
風は、どんな網にも掛からずに素通りします。
蓮華の花は、どんな泥水も身に付けない。

人も、このようにあるべきなのです。

だから、どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.71)

(感想)
非常に分かりやすく、人間のあるべき姿が指摘されています。
ところで、古代インドにライオンはいたのか?
インド虎の間違いでは?
と思われるかも知れません。

実は、ライオンは現在のインドの国章(こくしょう)にも描かれており、インドでは世界の王「転輪聖王」(てんりんじょうおう:過去生の善徳に保証された真の王)、
つまり「仏陀」を意味する象徴が古代からライオンなのです。

仏教で「獅子座」とは、星座のことでは無くて、仏陀が説法する場所のことを言います。
王の座という意味で獅子座思想とも言われ、説法が説かれた「場所」が未来への聖地として保存されました。

ブッダ・釈尊の足跡は、砂場でも長くその形が残り(足裏からの強烈な磁気放射による)、大地に刻まれました。
ましてや釈尊が座られて長く話をされた場所は、聖なる場所と成った訳です。

人は仏陀(ブッダ・真に悟りを開いた人)に誰もが成れます。
釈尊も仏陀の一人に過ぎず、釈尊以外にも無数の仏陀が太古から存在したことが仏典に述べられています。
これから人類は、誰もが仏陀に変身する可能性があります。そういう大きな節目の世紀に入りつつ有ります。

そして、人が目指すべき仏陀に成れば、どのような様相の人に成るのか?それが、

(1) ライオンのように堂々としていなさい。

他人からの悪口や噂話を気にして右往左往、気にして心を病む人が多いです。
もう他人からのどんな「声」にも驚かない自分、という姿を意識しましょう。
人は、自分が意識する人に、今から成れるのです。

(2) 社会の中の網に捕らえられては生けません。

世間には、色々な網が存在します。金銭・異性・地位・学歴・容姿・・・・。
このような、どんな網にも心が捕まらずに、素通り出来る自分であることが重要なのです。
何事にも捕まらない自分で居ましょう。

(3) 泥の中に入っても、心にまで泥を付けては生けない。

社会に泥は在るものなのです。これを無くそうとするほうが無理があるかも知れません。
泥を自分だけ避けようとして苦悩はしないことです。
どんなにあがいても、身の回りは泥だらけです。陰謀・悪口・盗み・不倫・不正・・・・。

でも、自分の心だけには泥を付けない決意をしましょう。
そうしますと周囲は泥だらけでありましても、自分は身に泥を付ける行動をしない人に成れるのです。
最初に、心に泥を付けることを思わないことが大事です。自分が悪事をしたいと思わないことが大切なのです。
不倫に憧れる人は、いずれ不倫をすることに成るからです。

そして、
* どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

これは会社でも孤立した変わり者に成れ、という意味ではありません。
他人とは常識的な態度、協力姿勢、調和、を努力します。
問題は、心の中のことなのです。

誰もが究極は、最後の時は、自分一人で裸で逝くことを忘れては生けないのです。
これを健康な内から心中で日々に思い出していますと、他人の悪口や、意地悪や、病気や不運でさえも、
すべてが愛おしい「思い出」に成ることが分かり始めます。
逆に、愛情が深い人に成れるのです。
これは実践が自分に教え、先行きを導きます。

人があるべき3つの姿を参考にして頂ければ幸いです。
どうせ終わる命ならば、いまさら何を悩むことがあろうか?
コノ世を思いっ切り生きてやりましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/15(水) 11:44:08|
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今だけに集中して頑張る思考は、知らずに未来を変えている
2017-02-14 11:44:31 | Weblog
「自分の思い通りに行かない」「自分の願いが叶わない」
と言う人々を観ますと、

* その人は「挑戦する前から先に」その結果を望んでいます。
* 行動する以前に、先に結果を考えています。

そして、挑戦する前に、既に疲れています。
そして、結果的には何もしないまま。

このようなパターンが多くの人々に観られます。
しかも、このパターンに気付かずに何回も繰り返している人が多いのです。

そして自分で「どうすれば良いのか?」と分からなくなれば、
* 更に未来ばかりを心配しながら、今の生活を疎かにしています・ing。
* 占いで未来を知りたがります。(自分の努力放棄)

これでは、すべてが悪くなって行くのは、自然の道理・流れであり当然なのです。
何の不思議も、憑依も霊障も無い、自業自得で自ら選択していることに過ぎません。

* 挑戦する前から、自分が動か無いまま、現状の生活を捨てたまま、
まだ来ない未来ばかりを考えることを止めましょう。

* この夢想するパワーを、「今の目の前のことに努力する行動」に使いましょう。

「今の目の前のことに努力する」
・・・・これが今を生きる、今の中に没入する、という道元さんが目指した「作務(仕事)を通じた悟り」にも到達し得ることに成ります。

仕事や家庭で受けるどんな苦痛も、自分の魂を大きくするチャンスに自分で出来ます。
仕事を通じて、家族の困難を通じて、あるいは幸福感を通じて、人は悟ることが可能です。

悟れば、その状況の中のままでも、嬉々とした活力が湧きます。
そしていずれは、すべての現実もあれよあれよと必ず変わって行くのです。

世の中で本当に大きく成功する人間の多くは、先に結果ばかりを考えないのです。むしろ結果を考えません。
それよりも、自分が楽しくなるように、今の嫌な仕事の中でも工夫を始めます。
これは平会社員の時代から既にそうなのです。だから出世する人間は、見ていれば先に分かります。

確かに目標や結果を考えて努力することは大切ですが、これに囚われて大事を見逃したり、「幸運の機会に気付けずに」見過ごすことに成りがちです。
先に結果ありき、では自分の目を現状から乖離させて、目にフタを半分していることに注意しましょう。

今日に言いたかったことは、
* 今の先を心配する時間があれば、今直ぐに動きましょう。
ということです。

自分なりに、無心で動いて見ましょう。
動けば、見えて来ることが、分かることが、必ず有ります。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/14(火) 19:37:56|
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