集団ストーカーと電磁波攻撃Ⅱ【自分用のデータ保存】

こちらのサイトはあくまで私的なものです。 自分用のデータ保存のためのブログです。

殺されかかってます。

殺されかかってます。

もし、ここでの書き込みがなくなったときは
殺されたと思ってください。

隣の人間がテクノロジーの機器を操作しています。
警察の方は、きちんと調べてください。

急所を狙って夜中に何度も打ち込んできています。

私は、何度も戸塚警察に助けを求めに行ったはずです。
自宅マンションにも何度も呼んでいるではありませんか。

きちんと調べなかった警察の怠慢です。

2013年2月13日

しばらくこの記事はトップに置いておきます。


いつまでも少年の心を忘れずにいたい

・火事も起こそうと狙ってますね。
・無理な言いがかり・因縁付け(2014/11より虚偽の電話を警察にしている 部屋で暴れていると嘘の電話 毎日警察官が来る 多い日は1日に朝、晩2回 3ケ月続く)⇒被害届⇒逮捕させるという流れ
・瞼の裏に腫瘍を作る電磁波照射
・目への電磁波照射 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
・左の頭への電磁波照射⇒右半身不随 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
  1. 2020/02/13(木) 22:18:03|
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さて、今日は朝も早よから畑ですよ。
今日はテントを完成して、またトラクターで耕す作業があるのです。

ったく人工知能もいじりつつ、土いじりもして。
おまけに股間もいじって。
ワタスってなんてハイパーなんでしょうね。

日本全国に人工知能をいじりながら土いじりする人がどれだけいるでしょう。
おまけにブロックチェーンもやりつつ、トラクターのチェーンも直すのですから。
我ながらその機知外ぶりに唖然とします。

さて、話変わって、昨日、あるレストランを経営してる人の話を聞きました。

ぉほぉ。
これは。。

この話は、引き寄せの本質が分かるかと思うので載せときます。

その人はイタリアンレストランを経営してる人でした。
客足が伸びずに毎月赤字が続いていて、その当時はこれ以上続くとマズいという状況に陥ってたそうです。

そのせいで毎日イライラして従業員やアルバイトを怒鳴りつけ、つらく当たったっていたそうです。
で、自分はお客さんをどうにか集めよう。

そうやって、やりたくもないチラシの作成や宣伝作業を一生懸命やってました。
でも、一向にお客さんは増えなかったそうです。

で、ある人からひき寄せの法則を教えてもらってその通りにしてみた。

まず、毎日イライラするのをやめてニコニコ過ごすようにした。
従業員やアルバイトにも優しく接するようにした。

そしてなによりも今、まず自分が気分が良くなることを最優先にした。

今までのように、いつも不安感や焦燥感に駆られてああしなきゃ、こうしなきゃ。
イライラして仕事をするのではなく。

心を落ち着かせて、
大丈夫。なんとかなる。
いつも余裕をもった態度で何事も対処することにしたそうです。

そうして自分が苦手で苦痛な宣伝作業などは人に任せることにした。
自分がやってて楽しい新メニュー開発などを担当した。

笑顔を絶やさずに、なんとかなる。
明るく、あっけらかん。
とにかく今、自分が気分が良く過ごすことを最優先にしたのでした。

そうしてしばらく経つとあら不思議。
3ヶ月経った頃から徐々にお客さんが増え始めたそうです。

そしてその年は黒字で終わった。
で、その次の年も黒字に変わっていった。

それから数年。
なんと今では店舗数も増えて、儲かる経営者になっていったそうです。

まぁ、これはできすぎた話かと思うかもしれませんが。
ワタスはこれは絶対あると思いますた。

ワタスの場合も、なぜか頑張れば頑張るほどうまく行かなくなる。
そういうことが多々ありました。

それで、もういいや。
諦めた。
どうにかなる。

自分は守られてる。
大丈夫。

にっこり微笑んで、任せるゆだねる。
諦めるというか、信じる、委ねる。

そうすると、なぜかうまく行き始めた。
そういうことが何度かありました。

非常に不思議な話ですが。
今の自分の心の状況。

焦燥感にかられイライラして頑張ってると、さらに頑張らなきゃいけない現実が寄ってくる。

だから

くほほほほ。

大丈夫。
なんとかなるよ。
そうやって楽しくやってると、やっぱりそういう現実が寄ってくる。

現実は後。今の心の状態が先。
だから最優先すべきは今、自分が気分が良いこと。

と言うわけで、ヒャッハーー!
今日も自分がヒャッハーな状態を優先してきます。

ぁぁ、また玉蔵の引き寄せ好きが始まった。
そう言われそうなのでこの辺で。

これから畑に行ってきます。
ヒャッハーー!

(黄金の金玉を知らないか?)
  1. 2017/05/24(水) 13:03:07|
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今は移行期間の始まりの前兆期間
2017-05-22 11:29:09 | 天津日継神示:アマツ・ヒツグ・シンジ
* 自分が不幸だと感じること
* 怒ること
* 何かを怖がること
* 悩むこと
* 心配すること

このような人が持つ、すべての感情と現象は、
「自分の無知から来る」
「相手の一面しか見ていないから」
「自分の愛情不足から」
「自分のワレヨシな自我から」

発生すると啓示されます。
でも私たちは、アノ人のせいだ・原因だと思い込んでいます。

・「自分の無知から来る」
では、自分の知識が増せば、心配は消えるのでしょうか?
はい、そうです。


人が持つ心配の半分以上は、正しい知識(医学・法学・心理学・警察などの公的機関の活用・他の実例を知ること・霊的な知識・・・)を持てば、安心することが大半です。

無知は、ムダな恐怖と心配を起こしますから、
心配事が有れば、先ずソレに関する知識を調べて、出来ることを「行動する」ことが大切です。
動かないで、じっとしたままでは心身を壊すほどの心配に包まれるだけです。


・「相手の一面しか見ていないから」
自分が非常に嫌いな、腹が立つ他人が居ると仮定します。
でも、相手の私生活を知れば、その生い立ちや環境を知れば、過去の経歴を知れば・・・・・、
「もう良いわ」「不干渉」と、自分の怒りが霧散することが起こりえます。

人は、他人の一面だけを見て喜怒哀楽をしますが、大きな視点を自分が持てば、自分から嫌な感情は消えて行きます。
他人の一面だけを見て湧き起こる、怒りも・恋愛感情も・心配も、要注意です。

・「自分の愛情不足から」
よく怒ってばかりいる人、威張っている人には、
* 思いやりの無い人、
* 愛情の無い人、
が多いです。
家庭でも孤立した嫌な人かも知れません。

もし自分が怒りの感情に包まれた時は、
* 今の自分は愛情不足だ、
* 思いやりが無い人だ、
と気付いて置きましょう。
これが分かっていれば、嫌な感情は終息して行くものです。長引きません。

・「自分のワレヨシな自我から」
すべての怒りや心配は、
* 自分だけは避けたい、
* 自分だけは助かりたい、
という自分の自我(個性・ワレヨシ)が無いか?注意します。

大きな心、広い心、愛情、感謝すること・・・・このような感情を自分が持てば、嫌な感情は緩和されるものです。

これから人類は、「半霊半肉」
(今までの人類は、肉体が100%、霊体は別次元に在り。これが肉体50%、霊体50%、長命へ)
に移行が始まると天が啓示します。


この兆候が既に始まっており、
・ 病気だから、病弱だから、心身が弱いから、と心配することは不要です。
「今は」正しく医学的な治療をしていれば、後は安心していることが重要です。


その人は一足先に、半霊半肉へと移行が始まりつつある人かも知れません。
サナギから蝶へと「脱皮」する時は、違和感が付きものなのです。

(ただし、他人先生の霊的な磁気・治療、祈願信仰、などの「他の」霊的磁気を憑ければ痛みに変わるから要注意。難しいことに成ります)

正しい先祖供養(遺伝子の養生)、供養が出来ない人は先祖に感謝を日々にしながら、健康を維持する人は、自分の霊線(先祖に繋がる遺伝子)が浄化しているほど「脱皮」の違和感は起こりません。自然と半霊半肉へと移行します。

今は移行期間の始まりの前兆期間だから、嫌な感情に自分が呑み込まれないことが重要です。今日の話は、その為の注意事項でした。

肉体と物質文明の全盛期から、静かに安全に移行することが、これからのカギに成ります。
これは国際関係にもリンクして行くことです。国家の自業自得が始まります。

上記の感情の要点に注意して、自分自身が変わればすべては問題はないです。
何物にも、何事にも害されない人々が、これから現れ始めます。
老人であっても、浄化した人から突然に変化と進化が始まります。年齢の縛りが、消え始める時代が来ます。


(伊勢白山道)
  1. 2017/05/22(月) 13:07:21|
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喜んで頂けたでしょうか?
2017-05-21 10:58:34 | Weblog
滝のような汗を流しながら全身全力で歌う歌手をテレビで見た時に感じましたことは、
「喜んで頂けたでしょうか?」
と、まるで自分の身を削るように倒れながらも「ニコッ」としているようなプロ根性でした。

人間誰もが、「喜んで頂けたでしょうか?」
と人生の最後に思える人は、成仏すると感じます。
人生に大切な境地が、他人に対して「喜んで頂けたでしょうか?」と何回も何回も、色々な場面で思えることだと感じます。

その喜ばせたい相手は、家族や友人、お客様。
更には先祖や神様に対しても、
「喜んで頂けたでしょうか?」

いや、動物のペットにも「喜ばせて上げたい」「喜んで頂けたでしょうか?」
と人は思えるものです。

でも、自分の心が荒(すさ)んでいますと、「喜んで頂けたでしょうか?」とは人は思えないものです。
これの逆に、他を呪う間は、まだまだ自分の人生は終わりません。

トコトン、何度でも、分かるまで、繰り返し同じような場面を今生も死後も来生もリピート体験するのが宇宙の法則だと感じます。
「喜んで頂けたでしょうか?」と、素直に思えるまで色々な体験が続きます。

戦争の理不尽な環境の中で亡くなられた人々は、
「家族だけは生かして頂けるでしょうか?」と神様に願ったかも知れません。

仕事だけをして人生を事故で終えた家族持ちの男性は、
家族の為に懸命に働き、子供の成長だけを楽しみにしていたかも知れません。

すべては自分以外の為に、
「喜んで頂けたでしょうか?」
「楽しんで頂けたでしょうか?」
と自分を無くして、他を生かそうとした人が、その魂が天から祝福されて活かされると感じます。

自分だけが生きようとした人は、天からは活かされない、とも感じます。
自分(自我)を無くするとは、本当の自分自身を活かすことに成ると感じます。
このあたりに、人生の成功の秘密がありそうです。

自分の生活の中で、誰かに
「喜んで頂けたでしょうか?」
と、実行して行ければ幸いです。

あっ、私が毎日18時間以上もパソコンの前に居る原動力は、
「喜んで頂けたでしょうか?」
という思いだけだと思います。だから、平気で健康で継続が出来るのでしょう。
天により生かされています。

(伊勢白山道)
  1. 2017/05/21(日) 12:57:56|
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巨視の流れ。真相。
2017-05-20 11:00:43 | Weblog
『古来からの覚醒者・悟った人物の全員が共通して言い残した言葉が、
「私は在る」「私はここに存在する」です。
これだけが共通します。
覚醒すれば、「私はここに在る」、これしか無い、これしかいらない、これが宇宙全てだ、と成ります。』
(過去記事:「私は在る」=「生かして頂いて 有り難う御座います」より)

今朝に浮かびますことは、上記の『私は在る』という真相は、
* 誰にも共通する一神(内在神:全人類に共通する1つ)のみが、コノ世に存在している。
* あなたも神様だか、私も同じ神様の現れであるのが正体。

でも、性別も人種も、個性も能力も個人で違います。これはナゼ?
この答えは、同じ1つなる神様の「発露具合」が異なるだけ、というのが答えなのです。

見掛けは違いますが、あなたも私も、顕微鏡で見れば遺伝子の更に奥に在る「同じ原子=1つの神様」から構成されているのです。だから、

「私は在る」=「1つの神様しかコノ世に居ない」

ということが、目覚めれば誰でも分かることなのです。
(釈尊もこれを「天上天下 唯我独尊:てんじょうてんげ ゆいがどくそん」と表現しました)

他人を見ても、その中に自分自身を見ることに成ります。
他人を大切にすれば、自分自身を大切にしたことに成り、運気が変わります。
他人を傷付ければ、虐めれば、未来の自分自身を殴ったことに成ります。いずれ不運が今の自分に来ます。
そして今朝に新たに感じますことは、

* 「そんな私は居ない」

ということなのです。この場合の「私は」自我(個性・ワレヨシな自分)のレベルの私を指します。
・「私は在る」=神性の自分は実在する。永遠に継続する。
・「私は居ない」=自我の自分とは、幻想である。それは消える幻影。

この2つは矛盾せずに、同じことを指します。
表現する視点のレベルが違うだけなのです。

今日の私が言いたいことは、悩める人には、
* 本当は、そんなアナタは居ない。その悩みも、いずれ消え去る幻想に過ぎないこと。
* コノ世だけで終わる悩みであること。

* あなたも、人類共通の一神(内在神)が個性という着物を着て、遊んで・悩んでいる演技をしている役者であるのが真相。

* だから、慌てるなということ。
「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き 皆んなにデクノボーと呼ばれ 褒められもせず」(宮沢賢治)

コノ世のすべては過ぎ去り、思い出に変わります。
残るのは、自分の神性の部分だけが継続し、次の旅を死後も始めます。
問題は、神性の自分の部分はウソを付けないのです。

だから次の旅をする時は、今生の自分が償うべきことが有れば、
* 正直に自己申告をして、
* 今生の反対・相手の立場を味わう。
このような人生を自分から選択(洗濯)します。

今の自分が抱える不幸は、過去の自分自身が選んだ不幸である可能性も知って置いてください。
すべては、自分の神性(良心・内在神)が為すことなのです。
今の自分の自我(個性)は、自分自身の神性部分が「それで良い・OK」と認めた時に、コノ世で自由自在な幸運が来ます。
自分自身の神性に褒められる、今の自分で居ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/05/20(土) 12:55:23|
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与える行為も、相手をよく見てから
2017-05-12 11:10:19 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
釈尊は続けて農夫に言います。

「節制した偉大な仙人のように真面目に生きる人物、

ワレヨシな性(サガ)を完全に滅したような本当に清らかな人、

もし、このような人物と出会ったならば、新しい飲食物を出来るだけ提供したほうが良いですよ。

本当に良い人物に物を上げる行為こそは、大きな幸運・財産を生み出す田畑に種を蒔くに等しいからです」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章4節-No.82)

(感想)
この項を読みまして、伊勢神宮が在る三重県の周辺の県で、昔から言われる伝承を思い出しました。
伊勢神宮に参拝するには、昔は徒歩で遠方から歩いて来た訳です。
多くの人々が「伊勢参り」をする為に、半年、1年掛かりと、途中でバイトをして働きながら伊勢神宮を目指して歩かれました。

その中には女性や子供もいましたが、途中で野宿をしながらの長旅です。
すると、それを気の毒に思った途中の街道沿いの家に住む人たちが、1回の食事を出してあげたり、泊めてあげたりと、「相手を見て」提供したそうです。

すると、その家には、その後に思い当たる良いことが実際によく起こったそうです。
天照太御神の御神徳が、参拝者を助けた人々にも「申し訳ないねと」神意で行きわたりました。
伊勢神宮への参拝は、計画した時から既に始まっている、大神が見ている、と言われる証拠でもあります。

でも参拝者の旅人の中には、他所から来る盗賊も「伊勢参りをしている」と言いながら紛れていましたので、色々な事件も有ったようです。
だから、旅人の人物をよく見てから、地域の人は判断をしました。

この項では釈尊も、
* よく節制して生きる真面目な大仙人のような人物
* 本当に心が清いと思える人

このような人物と出会う縁を持てたならば、大いにモノを上げなさいと勧めています。
それは幸運の種を蒔く行為に成ると断言されています。

でも、これこそは、古来から悪徳な宗教や人物に対して、寄付を強要する口実に利用されて来た詭弁(きべん:間違っていることを、正しいと思わせるようにしむける屁理屈)にも悪用された内容かも知れません。

大先生や聖人や覚醒者を自称しながら、金銭や肉体の提供を言うような相手には、決して近付いては生けません。
そのような悪徳な人物に寄付をすることは、更なる被害者を生み出すことを自分が幇助(ほうじょ:犯罪を手助けすること)したことに成りかねません。
過去に知らずに思い当たることが有っても、これからを注意すれば問題はないです。

釈尊は、この項でわざわざ提供するに値する人物の条件を指定しています。
これは逆に言えば、
* 陰では真面目に生きていない悪人
* ワレヨシな人物

このような相手には、「物を上げては生けない」という示唆でも有る訳です。
悪徳な人にモノを上げれば、それが善意からでも、自分に悪い因果を積むことに成る訳です。
後からも良いことが有りません。自分の幸運を失くします。

自分が縁を持つ相手をよく見てから、交友することを自己判断しましょう。
運の良い人は、危険な相手からは自然と離れる、なぜか縁が続かない、という現象に成ります。
でも、これも慢心していますと、足元をすくわれますから注意をしましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/05/12(金) 13:26:43|
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「それは気のせい」という真理
2017-05-03 11:38:08 | Weblog
ある医師が言われた話ですが、
* 患者さんに対して、「それは気のせいです」と内心で思ってしまうことが多い。
という話をしていました。

人がわざわざ忙しい中を病院に来る時点で、自称の患者さんは、
* 私は病気に違いない。
* もうダメポ。(もうダメっぽい、という若者の造語)
* 病気が怖い怖い。

と自分で思い込みがちで、中には「死ぬ死ぬ病」に先入観で懸かっている人が見られるようです。
それを具体的なデータと所見と対策を説明して、患者さんを安心させることが仕事だと言うことでした。
そして、「気のせいですよ」と言ってしまうこともあると。

医師が思っていることは、「病状と寿命」はまったく別だと言うことでした。
どんなに酷い病状でも、死なない人は居るとのことです。
そして、なぜか回復もしてしまう人がいます。
逆に死ぬはずの無い検査データでも、完全に管理された状態でも、突然死は起こる。

「痛み」の感覚にしましても、
* 既に末期癌であり、激痛のハズなのに、平気でニコニコと通院して来る男性の高齢者(女優さんでもおられますね)。

逆に、
* 痛むはずが無い腰痛。
長年にわたる自己安心のための「痛み止めの習慣」が、逆に脳に痛覚の錯覚を起こさせている可能性。

なども聞く話です。
特に「死」に関しては、これを説明するには屁理屈ばかりとなり、それを分析するよりも次の生きている患者さんに医師の視点は移ります。
人の生死を数多く長く見た医師ほど、若い頃と違い、信仰への拒否感は消えて理解を持ちます。

* それは気のせい

これは意外にも真理を突いていると感じます。
私たちの人生も、幸福感も不幸感も、
* まさに「気のせい」の問題であり、
* 他人との比較の上で起こる錯覚であり、

「その実体・真実・正しさも無い」
と感じます。

逆に言えば、「気のせいならば」人生は無限に広がります。
良い気持ちを持って・盛って、とにかく生きて行きましょう。
これが最善なのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/05/03(水) 13:18:18|
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* 何も分からないまま素直に親に付いて行き、自分なりに懸命に頑張ったケナゲな子供。 純真に真っ白な心の子供は、何事も恐れずに生き生きとしています。 「未来は白紙である」 という意味を、大人になっても「今の行為がすべて」ということを、死ぬまで胸に秘めて置きたいと思います。 自分はダメだ、という思い込みに注意しましょう。

* 何も分からないまま素直に親に付いて行き、自分なりに懸命に頑張ったケナゲな子供。

純真に真っ白な心の子供は、何事も恐れずに生き生きとしています。
「未来は白紙である」

という意味を、大人になっても「今の行為がすべて」ということを、死ぬまで胸に秘めて置きたいと思います。
自分はダメだ、という思い込みに注意しましょう。


(伊勢白山道)
  1. 2017/05/01(月) 13:17:10|
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火に対しては、より大きな炎で打ち消せるかの実験
2017-04-27 11:33:54 | Weblog
今の世界情勢を見ていますと、
* 狂気に対しては、それを上回る本物の狂気が世界を動かす。
ということを人類が見ている訳です。

「撃つぞ」という相手に対して、今までは「止めてね〜」「キャー、怖い」と「会話で」相手に返していましたが、何も変わらなかった訳です。
でも、ここに来まして、「撃つぞ」という相手には、無言で本当に先制攻撃をしかねないと「思わせる」演出の出来るトランプ大統領が登場した訳です。

過去記事「その人の心の拠り所が、意外なものである場合が有る」でも触れましたが、トランプ氏の無二の親友が米国最大のプロレス団体のオーナーなのです。そして、何と、その奥様を本当に政権の閣僚に入れてしまいました。

そのトランプ大統領が心酔するプロレス団体のやり方が、想像を超えるスケールでの器物の爆発破壊と脅迫、そして最後は「ラブストーリー」で終わるというフィクションなのです。
トランプ大統領は今、東アジアでまさにこれをしたいようです。

ただ、気に成りますことは、一昨日にドイツに政府関係者として招待されたトランプ大統領の愛娘さんが、大衆の目前での公的な合同インタビューの場において、ドイツの女性首相からコテンパンに恥をかかされました。

米国で女性首相を無視したトランプ大統領への復讐のようです。(「分かりやすい態度」を参考に)
これから愛娘さんが帰国されて、「パパ、いじめられたのー」と言えば、2021年からの対立軸がどう「分かれるのか?」に繋がると冗談では無く感じます。
ドイツとロシアの関係に注視です。

米国は前大統領の頃から、ドイツに対して数兆円の懲罰を発動するなど、背後では大きな問題が有るようです。
ドイツは、日本にも?であり、他のアジア国寄りを思います。
これを静観します。

今日の話で言いたいことは、
* 狂気に対しては、それを上回る本物の狂気が世界を動かす。
が現実ならば、私たちも悩みを持ちますが、

* 自分の悩みに対しては、それを上回る深刻な悩みを想像すること。

これも荒治療ですが、今の有り難さに気付ける1つの方便かも知れません。
ただし、それで更に悲観するのは、自分の思い方の方法が間違いです。

これが正しく機能しますと、
* 明るさ
* 仕方がない(関西では「しゃーないやんか」)
* それでも、今への感謝

という切り替えが起きるはずなのです。
現実の不幸に遭う前に、想像だけで「思い直す」「気付くこと」が出来れば、これほどお得なことはありません。

自分が嫌だと思うことには、それを上回る「更に嫌なことも有るのが常」だと気付いて置けば、
現実には嫌なことに遭わずに済むものなのです。
無意識に自分で対応が出来るから、「起こらない」と成ります。
「思い方」「考え方」の参考にして頂ければ幸いです。

* 今日も日本列島が「静かな」胎動を始めています。寝返りを打たないように静観します。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/27(木) 12:26:37|
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中に居ると分からない
2017-04-21 09:41:07 | Weblog
人のサガ(性)を観ていて、つくづく感じますことは、

* その中に居ると、その有り難さが人は分からない。
* それを失わないと、それが有り難かったことが分からない。

ということです。例では、
・ 会社に勤める間は不満だらけだったが、辞めて独立してから、自分の甘さを思い知った。

・ あれほど嫌いだった家族が亡くなりますと、自分も悪かったことに気が付いた。日を追うごとに、後悔することが有る。

・ 恋人を自分から振ったのに、離れて初めて相手の良さが分かった。
離婚してから、初めて以前の生活の有り難みや、元旦那の辛さも理解できた。

・ 足に大怪我をしてから思うことは、普通に歩ける頃の自分は、歩けることに感謝や感動をしただろうか?

昔の人は、「後悔先に立たず」「覆水盆に返らず」と言っています。
してしまったことを、終わったことを、いくら後で悔やんでも取り返しがつかないということです。

でも、「そこを何とか」と思うのが人のサガです。
後で後悔することが無いようにするには、人はどうすれば良いのでしょうか?
これを防止する唯一の策は、

* 事前に想像すること。
* そう成った場合の、その後のパターンを先に読むこと。
* そう成った時にどうするか、を考えること。
* そこまで考えた上で、決断すること。

これが、神様が人に与えた「想像力」です。
自分が体験しなくても、事前に防止が可能です。

ところで、動物には想像力がありません。
その代わりに、悩みも無いのです。
無思考から、直感・本能が生まれて、自身を助けます。

人が持つ想像力は、事前に悪事を防止もしますが、苦悩を生むという、諸刃(もろは) の剣(つるぎ)が有る訳です。
心が苦しい人を視ますと、まさに自分自身の想像の世界が犯人・原因です。
実際には、何も起こってはいないのに、想像力が生み出す苦しみに心が支配された状態です。

他人が「大丈夫だ」「心配無い」と言いましても、自分の想像力は頑なにこれを拒否します。

人類が戦争で滅ばないのは、想像力の御蔭です。
でも、その代わりに、ミサイルが飛んで来るのではないか?と、今の日本のように大勢が心配と苦悩をする訳です。

いったい、どうすれば良いのでしょうか?
以上を総合しますと、
* 事前の想像力で自分が出来る対策をすること。
* 対策をした後は、無思考で居ること。(直感・カンナガラを生む)

このバランスが最善だと思います。
心が病むのは、ダラダラと想像を止めないからです。
悪い想像・創造の中に、いつまでも住んでいては生けません。

ただ思考で想像して苦しむことよりも、何か改善への「行為」「行動」を無心に「する」ことから人は変わります。
「今、始める」が大切です。

以上をもって、皆さんの今の状態へのヒントに成れば、幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/21(金) 12:30:50|
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信じるべきは、自分の心
2017-04-18 11:30:43 | Weblog
信仰のことを仏教においては、「信心(しんじん)」と呼びます。
信心=信じる心。

「信仰」という言葉には、何か未開な無知も感じる人が多い現実もあります。
中には、「信仰=ダマサれている」と言い切る男性も居ます、笑。
お金や、商売、と信仰が密着する社会性・事件も、この半世紀は特に多かったからとも言えます。

コノ世には、「地獄の沙汰も金次第」が多い現実があります。
コネ入社、裏口入学、・・・・更には事件の保釈金も、本当にお金による牢獄からの解放です。
信仰も、寄附金額により地位のランキングや待遇に差別が有るならば、やはり「信仰」という言葉に違和感を感じる人が多くても無理はありません。

ところが、「信心」「信じる心」という言い方に変えますと、印象がガラリと変わります。
信仰の場合は、自分は受け身、服従する、盲目に信じる、という言葉の印象ですが、

* 信心=信じる心、は自分が主役で選択する心、自主性。

を感じさせます。これならば、社会の中の色々な事に置いて、「信心」が存在することが言えます。例では、

* 赤ちゃんは、母親を無垢(むく:けがれなく、駆け引き無く)に信じています。
赤ちゃんは、母親に対して信心を「持っている」と言えます。

* 会社は、社員を信心(信頼する心)して仕事を任せています。

* 学生は、先生を信心(信じて)しています。
でも、学生が「先生を信仰する」では、心配な違和感が有ります。

つまり、「信心する」「自分が信じる心」という自分自身の自主性が強く有るだけで、信仰という言葉には無い安心感が生まれます。

では、自主性が有れば信仰も正されるならば、
* 自分自身を、自分の心を、信心・信仰して見てはいかがでしょうか?

という問い掛けが生まれます。でも、
「自分のようなダメ人間を信じられるか!」
「自分自身を信じることが出来ない」
「自分のことが分からない」

という不安が生まれるものです。
まさに、ここが要点なのです。運命の分かれ道なのです。

考えて見て欲しいことは、宗教の開祖という者は、他人を信じて成った人では決して無いのです。
自分自身を信じ切れた人です。
他の経営者を真似る経営者は、失敗します。

誰もが、自分自身を信じ切れるように成らなければ、幸福には成れません。
幸福な人には、「自分のことが大好きな人」が多いです。
ただ、「ワレヨシ」な自分大好きでは生けません。それはそれで、転生(生まれ変わり)の因果を残します。

自分のことが嫌い、自分が憎い、と今も思うならば、まだまだ伸びシロが有ります。
逆に言えば、改善することが可能です。
では、どうすれば良いのか?

自分の良心を信心するのです。
どんなにダメな自分にも、他人の痛みは分かる「良心」が実在します。それが神様の正体です。
「可哀想だな」と思う自分の思い、それは、崇高なエネルギー磁気体なのです。脳波でも測定されます。

自分自身のことが今は嫌いでも、自分の良心を「静観し」、自分の良心(内在神)というものを信心して見ることです。
これが強化されますと、

* 食事の時も、その生命の有り難さに涙します。

これも見神体験(けんしんたいけん:神様と近い状態)の始まりです。
食事での感動の見神体験は1回しますと、その後は冷静に食事をして行くものです。
日々の生活の中で、感動・感謝するという見神体験の積み重ねへと移行します。

そして最後は、天の岩戸開き(あまのいわとびらき)と呼べる自分の心の解放・内在神の前面への発露を経て、善意の善人に変わります。

もっと、自分自身の良心というものを信じて見ましょう。
その自分の良心に反すること、自分の良心が嫌がることはしないこと。
これを始めることからです。
コノ世の全てに通じ、改善します。

* 気温の上がる地域は、地震にも注意しましょう。
(地磁気の伝導率が違う感じがします)
  1. 2017/04/18(火) 12:48:49|
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タラレバ論への答え
2017-04-13 11:44:08 | 継続の秘密シリーズ
「継続の秘密シリーズ」続き。

* 人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず (原文のまま)

* 不自由を、常のことだと思えば、何も不足感は無い。

* 心に少し贅沢な望み事がおこれば、自分が苦しかった頃の時を思い出しましょう。

* 怒りを抑えることは、無事に長生きするための基本です。

* だから、怒ることは敵だと思いましょう。

* 人は、勝つ体験ばかりを知って、負ける体験を知らなければ、逆に深刻な害が自分に及びやすいことになるから注意しましょう。

* 自分の周囲で問題があれば、先ず自分自身を反省することです。他人を先に責めては生けない。

(以上、解説済み)

* 自分の希望がどうしても叶わない事は、それが叶った場合よりも幸運なのです。

(感想)
さて、いよいよ徳川家康の遺訓の最後の一文です。
「* 自分の希望がどうしても叶わない事は、それが叶った場合よりも幸運なのです。」

この言葉こそが、人生論、運命論、そして
* もしアノ時に別の選択を自分がしていればというタラレバ論。
への答えを、家康は回答しています。

霊的にも、これが正解であり、完全に言えることなのです。
家康こそは、人生において何度も生死を分ける選択を余儀なくされた人でした。
その大きな選択のたびに、

「もし、あちらを選択していれば、自分はどうなっていたのだろうか?
家族や家臣たちは無事だったのだろうか?」

という苦悩を、大きな選択を強要・強制された前後に、自分が選択した後も長く、考え続けた人生だったのです。
そして、人生の終末に向かう中で、すべてを振り返った結論が、

「自分の希望がどうしても叶わない事は、それが叶った場合よりも幸運だった」

「人間万事塞翁が馬」
(にんげん ばんじ さいおうがうま:自分にとって不幸なことも、実はより大きな災難を止め、未来に幸福に成る為の不幸だったこと。)

だったということです。
さて、問題はここからです。

以上のことは、「終わり良ければ全て良し」の人間だけに言えるのではないか?
人生の終わりに向かい、今が悲惨な環境であっても、果たして言えた言葉なのか?
徳川家が早期に終わっていても、これは言えたのか?

その答えは、それこそ霊的に、それでも、
* すべては、良かろうが悪かろうが、その人の最善へと「水のごとく」流れた。
と言えます。

問題は、
* 人は自分が体験したことしか、認識が出来ない。
という弱点、もろさ、が有ります。

自分の願いが叶わなかったが、もしアノ希望が叶っていれば、自分の今の人生はどうなっていたか?
あの憧れの学校に自分は落ちたが、もし合格していれば、自分の人生はどうなっていたのだろうか?
大好きだったアノ人と、もし無事に結婚していたならば、今の自分はどうだったか?
別の人と結婚していれば、今の自分はどうなっていたのだろうか?

誰もが「後から」考えることかも知れません。
霊的に言えますことは、もし無理をして希望が叶っていた場合は、
* 寿命に関する事態に至るパターンが多い。
とだけ言って置きます。

でも、別の人生を実際には体験していない想像だけですから、これを人が認識することは出来ません。
そして、もう1つの重要な忘れては生けない霊的視点に、

* 人の短い期間限定の人生は、因果(霊的借金)を昇華させる為に、を最優先させる宇宙法則が在る。

ということです。
* コノ世だけの瞬間的な幸福感よりも、「本人の魂が昇華・上昇する為」。
を神様は選択させると言うことです。
この霊的法則も、自分の人生から感知した家康は、

* 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」

と言い残しています。
やっと背負う荷物を降ろしたと思えば、神様は次の荷物を用意される訳です。
次の荷物は、健康問題などが多いものです。

期間限定の短い人生の間に、神様は可能な限り「愛情から」昇華させようとされます。
これを観た家康は、せめてもの神様への対策として、
「そう来るならば、急ぐべからず。慌てないこと」
だったと言えます。

以上は、長く継続した徳川家を例にした参考ですが、継続する物事の中にこそ「真理」が偏在するという観点から、「継続の秘密シリーズ」は機会があれば違うテーマでも続けて行きたいと思います。
皆さんの人生観の参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/13(木) 13:30:20|
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すべては自分からやって来る
2017-04-09 11:20:59 | Weblog
今朝に感じます言葉は、
「すべては、自分の内部からやって来る」
ということです。

その「すべて」の中身は、自分の思考であり、自分が取る行動であり、運命も、幸運も、不運も、怒りも、感謝も、幸福感も、悲しみも、・・・・
人のすべてが自分の内部から湧いて来ていることに、私たちは気付いていません。

でも私たちは、外部からの刺激、他人のせい、霊の問題、にしてしまって、自分の内面に在る原因を見ようとはしません、自分の内部に探そうとはしません。

的外れな自分の外部に原因を探すものだから、解決策を探すから、
いつまでたっても「これだ!」という原因に気付け無いまま、不安なままで人は居ます。
すべての問題も、その原因も、宝の山も、幸運も、神様も、自分の内部に既に実在しています。

自分の内面から上手に金運を取り出した人が、コノ世の成功者と言われているに過ぎません。
自分の外に、外部からに、祈願で、金運を探す人は貧乏なままです。
これは自分の外側という「的外れな所に」探すことが原因です。
すべての知恵・気付き・ヒント・幸運は、自分の内部から来ます。

以上の話を証明するのは、簡単です。
同じニュース映像を見ましても、人により思うことは千差万別です。
なぜでしょうか?
同じ外部からの平等な刺激なのに、感じること、思い付くことは、個人で違う訳です。

つまり、思うこと、自分が受ける刺激は、外から入るのでは無くて、
* 「その映像に同調した」
* 自分の内面から全てがやって来る。
という証拠なのです。

今日の私が言いたいことは、ここからです。
悩む大人が、多いです。
でも子供がその人を見ますと、「大きな体をして何を悩む必要があるの?」と思う訳です。

悩むということは、自分の内面から湧いて来る思いに、負かされている状態です。
要は、自分が探すべき原因・相手は、自分の内面に居るのです。
自分により自分自身が攻撃されている状態、が人の苦悩・悩む状態です。

自己免疫が、自分自身を攻撃している状態が「病気」だという考え方もあります。
まさに悩みも、自分で自分自身を責めている状態です。
探すべき原因・相手は、他人や外部に在るのでは無くて、それを受けて同調する自分自身です。自分で自分をイジメています。

これが高じますと、自分が自分自身を殺すという事態にも成りかねません。
自分に復讐していたのは外部の他人では無くて、自分自身だったのです。
これを改善するには、どうすれば良いのでしょうか?

* 自分で自分自身を納得させる生活努力をすること。
* 「それも仕方がない」と自分で自分自身に言い聞かせて行くこと。
* それでも何とか生きて来たと、自分で自分に感謝して行くこと。
* 先祖(遺伝子の集合体)に感謝の気持ちを送ること。

このようなことの「継続」が、すべての原因を改善して行くことを感じます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/09(日) 13:16:37|
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思考に負けるな!
2017-04-06 11:11:05 | Weblog
座っているだけで、ため息をついて、疲れて行く人が多いです。

私は都会に出かけますと、歩く人波の頭上に、「思考」「独り言」の波が雲状の帯になって滞留している様を視ます。

この雲状の波は、都会全体を黒い霧状の雲のように覆い、夜に成りますとこれが「渦を巻いて」月へと日々吸収されて行きます。

* 人類は、怒り、心配、悩み、「恐怖」、という思考を月へと提供し、

* 感謝の思いは、太陽へと吸収されています。

ここで仮説なのですが、人類の存在とは、他の惑星群を生かすための「思考エネルギーの発生装置」だという側面もある可能性を知って置いてください。

そして、人間の思考とは、これがバカに出来ないほど霊的に巨大であり、宇宙に影響するのです。
誰もの頭にも、宇宙が「入っている」「存在している」と思ってください。
あなたの頭の中に、月も、太陽も、宇宙船も存在しています。

私達が外に見ている夜空は、実は自分の脳を内側から見ているというミクロ世界の転換が、霊的世界での「有る有る」だと思ってください。
次元とは、それぐらいの不思議なのです。

さて、今日の私が言いたいことは、ここからです。
心に宇宙を持つ私達が「悩む」とは、「怒る」とは、何と恐ろしいことをしているのか?
という可能性に気付いて欲しいのです。

人は、座っているだけなのに、深く悩んでいますとドンドンと老化(体内の酸化)が進みます。
* でも、その心配事は、現実にはまだ何も起こってはいない。
* その心配の大半は、何も起こらずに、次の心配事へと移動して行くだけ。

これを知らずに繰り返している漏電に気付きましょう。
* これは物凄く、自分の若さを損しています。
* 漏電した枯渇状態では、何も生まれない、変われない、自分に気付きましょう。

だから何を言いたいのかは、
* 自分の思考も節約する練習。
* 思考のムダ使いを止める練習。
これを意識して欲しいのです。

* ムダな漏電を止めますと、蓄積が起こります。
* 蓄積されたエネルギーは、コノ世の何でも(健康・仕事・恋愛・収入・勉強・・・)に交換が可能なのです。

人は自分の思考の漏電だけで、貧乏に成ってしまうことに注意しましょう。
最善は、思考を止めることです。
ロシアの神秘家グルジェフは、「ストップ!」とよく弟子たちに命じていました。
それはムダな動作のストップ!であり、本当の最奥の目的は「思考を止めろ!」なのでした。

今日も自分の生活の中で、
* 自分の「思考を休ませること」。
* できれば、何も考えない「無思考」で、自分の仕事・家事の動作に打ち込みましょう。
参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/04/06(木) 12:20:07|
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すべては「愛情力」から来ます。生まれます。
2017-03-31 11:24:21 | Weblog
よくアル業界で言われていることなのですが、
* 自称の精神世界の先生には「愛情の無い人が多い」。
というのが、その人物の元関係者や、出版関係者の間では定説な「有る有る」です。
日本人、東洋人、西洋人を問わずに言えるようです。

相談者に見せる表の顔と、裏の顔が違い過ぎると言うことです。
陰でスタッフさんを怒鳴り付けたり、関係者が離れようとすると恫喝するような人に本物はいません。
正しい世界からの霊能力、本当の正神との神縁が無いと100%言えます。
動物形象に憑依された世界に住む人です。本人自身が自覚することが不可能な気の毒な人です。

では、一般人がそのような自称先生たちをサニワ(直感で正しく判断すること)するには、どうすれば良いのでしょうか?
また、これは精神世界だけでは無くて、結婚相手、商売相手、働く会社の代表者、・・・・など「相手」を判断する時にも参考になるポイントが有ります。

* 相手の「愛情力」「情け深さ」「感謝の心の有無」を注意して、見て行くことです。
でも、これは演技も可能ですから、店での飲食時の店員への態度などもヒントに成ります。

他にも色々あるのですが、下世話(げせわ:低俗な、不愉快な、下ネタな)な話なので今は止めておきます、笑。
自分には霊感が無いと思っている一般人の中にこそ、もの凄い「愛情力」「慈悲心」を持つ人を見掛けます。こういう人こそは、本物の霊能力者でもあります。
黄金色のオーラが肉体から発光しており、私には観音様に視えます。

今日の私が言いたいことは、ここからです。
コノ世のすべて、人も動物も物質も、金も学校も家庭も、大地も地球も宇宙も、
* すべては「愛情力」という種類の磁気・磁場で誕生している。
ということなのです。

自分が愛情力を持つことこそが、最高の財産と成るのです。
コレさえ有れば、金運も、結婚も、幸運も、仕事も、子供も、研究結果も、すべて後から勝手に憑いて来ます。
愛情の磁気が投射されて、対象に貫徹して行く様を私は日々の中に視ています。

とにかくその人の愛情力が、すべてを「産み出す」のです。
私達が認識する以上に、コノ世の世界・宇宙では「愛情の磁気」がすべての元です。

また金儲けにしましても、そこに愛情の無い生産や投資は必ず失敗します。大きく育たないのです。
「他人の為」という愛情が有る事は、未知の可能性を産み出します。

正しく強い霊能力も、愛情力の磁気の放射であることが正体です。コノ世のどんな悩み(病気・仕事・結婚・・・・)にも影響が可能です。
神霊は、愛情の磁気のカタマリです。実際に非常に電気的で磁気的な「ブ〜〜ン」という高周波も伴います。

安心している先祖霊も愛情の存在です。子孫に色々と与えようとしてくれます。
でも、それを受け取ることが出来ないのは、自分自身の生き方からの問題なのです。自分が原因です。

でも、生きる人は、
* 与える側の問題だ。
* 誰でも受け取れる形にするべき。

という供給者側を責める思考を持つのが、今の社会の問題です。とにかく他人の責任にするワレヨシ思考の人類が増えています。
これではダメなのです。神様も呆れます。

自分が愛情を持てば、以上の話のような「受け取り側」である自分自身の問題も全て観えて来て、気付いて、自分で改善して幸福に成って行く流れも存在します。
とにかく自分が、自分から、「他人への愛情の視点」で今の生活を見て行きましょう。
そこから来る気付きが、自分を幸福に導いてくれるヒントに成ります。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/31(金) 12:39:40|
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自分の「怒り」への対応方法 (「継続」の秘密2への補足)
2017-03-30 11:52:56 | 継続の秘密シリーズ
記事「「継続」の秘密 2」におきまして、

* 「怒り」はまさに細胞を酸化で「焼く」イメージがします。
* また、女性の怒りは下腹部に蓄積する、とも感じます。

このように書きました。
では、どうしても自分に「怒り」が湧いて来る時には、どうすれば良いのでしょうか?

「怒ると、自分で自分自身の細胞を焼いて病気に成る。それは損なことだから怒らないように」

このように言われましても、余計に自分の怒りの収め方が分からずに、未消化の怒りを自分の腹に溜め込み苦しむ人がいるかも知れません。
人は、自分の怒りを昇華させることが出来るか否かが、その人の寿命も、金運も、幸運も、結婚も、運命も違える重要な要素だと感じます。

例えば、自分の怒りを収めることが出来ずに、もしこれを暴力に訴えれば自分が刑務所に行く羽目に成ります。その後の人生が根底から変わってしまいます。
自分自身の「怒り」の処理次第で、自分と他人の運命が変わってしまう重大な問題が「怒りの収め方」なのです。

怒りに対して、「怒り」で対応すれば、これは切りが無い世界です。
ヤッタらヤラれる。
これを縁ある相手と永遠にリピート再生(転生:生まれ変わり)することに成ります。

釈尊は、
* 人は、怒りを持つ限り、転生は永遠に終わらない。
と断言されています。
嫌な相手との因果が終わらずに、何度死んでも「同じような相手と出会い」、同じような「繰り返し」を、生まれる時代を変えて一から何度でもやり直します。

実は、これこそが私達が地球に生まれている理由なのです。
私自身も、このような話を世間にする使命を、何度も生まれ変わってもしています。
今の文明では、最初に3600年ほど前に古代ペルシャに生まれた時は、善と悪の真相の対立軸を言い過ぎた為に、使命を途中で果たせなくなった痛い思い出も有ります。今でもその転写が一部に有り注意しています。

そして、肝心な怒りの収め方なのですが、
自分の怒りには、怒りで対応せずに、
* 自分の愛情力を持って、「仕方がないなと」怒りの対象にも愛情を向けること。
* 自分の怒りにも、「それでも自分は生かされていること」に感謝すること。

でも、こんなことは不可能だと思う人が居るかも知れません。
しかし、自分の子供が幼児の時は、だだをこねましても「仕方がないね」と「愛情」を持って誰もが真剣には怒りません。
自分自身が幼児の時も、親がそうして来たことです。

本当は、人は誰もが「愛情力」「生かされている原点への感謝」「それも仕方がない」という思いで、怒りに対応することが出来ます。
出来ないと思うのは、自分の心にフタをしているだけです。
素直に成れば、心のフタは必ずズレます。救いの隙間が開きます。

しかし、怒りにも色んなケースや環境も有り、単純に一概には方法が言えません。あくまでも重要なヒントだと思って頂ければ幸いです。
これからも皆様と、「怒りの収め方」について考えて行きましょう。

ある国では、民衆の怒りが、元の女性代表者に自殺の死相をも起こさせています。
こんなことは、どちらにも良い因果を生まない不幸なことです。国家の未来にも悪い因果を創ります。不幸なことです。

言えますことは、感謝の先祖供養(遺伝子調整)こそは、理屈を超えて怒りを昇華させる最善の方法です。実践が自分に教え、先行きを導きます。
自分で自分自身の怒りを征服・乗り越えて行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/30(木) 12:45:42|
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「継続」の秘密 1
2017-03-27 11:25:21 | Weblog
徳川家康の有名な言葉を、現代語に意訳して見ました。

* 人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず (原文のまま)

* 不自由を、常のことだと思えば、何も不足感は無い。

* 心に少し贅沢な望み事がおこれば、自分が苦しかった頃の時を思い出しましょう。

* 怒りを抑えることは、無事に長生きするための基本です。

* だから、怒ることは敵だと思いましょう。

* 人は、勝つ体験ばかりを知って、負ける体験を知らなければ、逆に深刻な害が自分に及びやすいことになるから注意しましょう。

* 自分の周囲で問題があれば、先ず自分自身を反省することです。他人を先に責めては生けない。

* 自分の希望がどうしても叶わない事は、それが叶った場合よりも幸運なのです。

(感想)
どの言葉も霊的真理に合致した内容であり、敬服を致します。老子の思想にも通じる奥深いものが含まれています。
この内容を読みますと、「徳川家は長く継続するはずだ」と腑に落ちます。

「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」

誰もが「自分なりの荷物(因果)」を背中に背負って、生活をしています。
その荷物の内容は、各人で様々であり、その時々で荷物の追加・減少も日々に起こります。

問題は、他人の背中の荷物と、自分の荷物を比較して、不満に思ったり心配をすることです。
また、荷物が無いように見える他人が居ましても、それは霊的には巨大過ぎて、周囲には見えない荷物も有ることを知って置いてください。突然に寿命が尽きる、という形で周囲が知ることもあることです。

全員が、必ず荷物を背負って生きています。
生きること=生命力=荷物を背負うことが条件=自分の荷物が自分に命を与えてくれている。
ということが、人の使命感、生きがい、生老病死の人生の観点からも言えます。

荷物の内容は、家族・子供であったり、仕事、不自由なこと、病気、勉強、・・・・個人でテーマが様々です。
どれも「自分を生かす為の」大切な荷物であることが霊的な真相です。
それが、逆に自分に命を与えてくれている側面が人に有ります。

「不自由を、常のことだと思えば、何も不足感は無い」

私達の人生とは、何を基準とするのか? により心の状態も人生も変わります。
多くの人は、他人を見て、それを基準にしてしまっています。そして苦しみます。
特に日本人は、「他人基準」の人が多いと思います。

家康は、「不自由であることがアタリマエだと思えば、後はすべてOKだ」
と言っています。
もし、地獄の中でも笑っている人が居れば、その人は本当に強い人です。
もうどこに行っても、すべて天国だと思えることでしょう。

問題は逆のパターンです。
日本のような国をアタリマエだと思っていますと、外国では危険な目に遭うかも知れません。
また他人を見て、それを理想の基準にしてしまっていれば、自分の生活のすべてが嫌に成ることでしょう。
自分の思い方1つで、人の心は感謝にも不満心にもコロコロと変わってしまいます。

だから本当は、今のこのままでも、人の心は天国に住むことも可能なのが霊的真理です。
「あれが叶えば幸福だ」という思いは、それが実際に叶った時には、新たな別の不満と心配心に囲われているのが人の人生なのです。
だから天国は、今の自分の環境の中に「既に」存在しています。

(続きます)

(伊勢白山道)

自分は当たり屋被害に遭っているので
念のためにAUの自転車保険に入りました。
http://www.au-sonpo.co.jp/pc/bycle/

月々370円で1億円の保障とういのはありがたい内容です。
  1. 2017/03/27(月) 13:11:44|
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「相殺(そうさい)の法則」で51点以上は天国へ
2017-03-26 11:12:45 | Weblog
* 善意のカタマリのような人。
* 他人を疑うことを知らない人。

このような人を年齢を問わず、たまに見掛けます。
こういう善人が側に居ますと、このような善意の人を利用する悪人が居るのも、コノ世の複雑な所です。

その悪人に多いのが金銭の詐欺です。
* 返す気がないのに、善意の人から金を借りる人。
このようなパターンが昔からあります。

あるタレントさんの一家は、貧乏で金に苦労されたと言います。
その理由は、父親が「金を貸してくれ」と他人から言われますと、「はいよ」と家族の生活費も渡すような人だったそうです。

奥さんが、「また証拠の一筆も無しに貸して、返して貰えないよ!」と怒りますと、
父親は、「何言ってやんで!」と言いながら、奥さんに満足に言い返せないストレスから一升瓶を持ち出して酒を飲むパターンが毎度だったようです。
子供の学校の給食代や教材を買う御金も無い時も有ったそうです。

従って、父親は家族の全員から恨まれていました。
でも、他人には良い人だと思われていました。

さて、父親の死後は、どういう世界に逝かれたのでしょうか?
ただ、救われますことは、親の金の苦労を見て育った兄弟の全員が、父親への反発から勉強を頑張り、裕福な生活をされていることです。

霊的には、父親が他人に搾取された金銭が、何十倍にも化けて子供たちに帰ったと言えます。
コノ世は勉強で努力しても、商売をしても、成功するとは限らない世界です。
でも、子供たちには金運が有った訳です。
その金運は、家族の食事も削られて他人に施された金銭が、霊的には帰っていると言えます。

そこには、金額ベースの比較は意味がありません。
幼稚園児が100円を握り締めて買い物を悩むのも、大人が1万円で買い物を悩むことも、金額は違っても同じことです。
小さい世界での目一杯の悩みは、大きな世界での悩みに引けを取りません。

* だから、人は自分なりの世界の中で懸命に頑張れば、他人とは中身のレベルが違っても、大きなことを成したと霊的に言えます。

* コノ世は、単位・中身の大小に誤魔化されては生けない世界です。

* そこに込められた、感情や感謝の気持ちが、未来に来る物質に影響するのがコノ世。

このようなことを感じます。
さて、問題の父親は、死後にどんな世界に逝かれたのか?
家族からの恨みの念。他人からの感謝の念、騙され利用された善徳貯金(実は貯金です)。
これらの「相殺」(そうさい:差し引きして残るモノ)の結果は、良い霊界に居られました。

子供たちを何とか育て、嫌われながらも父親なりに仕事をやり続けた結果です。
私達は直ぐに絶望もしますが、それは100点を基準に思うからです。
すべては相殺の結果で良いのです。
自分の善行と悪行を引いて、51点でも良い訳です。

親鸞(しんらん:浄土真宗の宗祖)さんが言われた、
「悪人正機」(あくにんしょうき:罪を反省する者ほど、逆に大きく悟ることも可能。反省する者は全員が必ず救われる)
は真実であり、「相殺の法則」でもあります。

私たちは生きる限り、相殺の51点以上を目指して、何とか生きましょう。
「自分なりの世界での」51点以上ですから、誰もが誠意を持って頑張れば絶対に大丈夫です。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/26(日) 13:02:20|
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「時間薬」(じかんぐすり)は、有りまあーす。
2017-03-25 10:59:51 | Weblog

(カレンダーの印の意味は「月間の自然観察日」を順番に参照。「3月の自然観察日」に3月の詳細あり)

今日から3・28の「新月」に向けて、「中潮」(いつでも大きく振れやすいニュートラル状態)が連続します。
海底の胎動を感じますから、冷静に静観して行きましょう。
今月は、3・27の奇数日の「月曜日」も特に静観しています。

* 経済も回復傾向。原発も特段な変化なし。
* でも、政治は騒動中。
* 大相撲が波乱含み。
* これで気温が異常に暑い時に、太平洋側が大きく動く。

というパターンの出現を感じるのですが、気温がまだ寒いと思います。
無難にすぎて行くことを思っています。

今朝に感じますことは、
* 他人を責めている人は、果たして有利なのか?
ということです。

会社でも、家庭でも、学校でも、政治でも、責める・責められる。
という事態がどこでも起こっているものです。
でも実は、他人を責める人の方がハイリスクであり、爆弾を自ら身に付けていると霊的には言えます。

例では、
* 会社で他人のミスをいつも過剰に責める人が、誰にでも分かる大きなミスを自分がした時、いつも他人を責めていた人の内心のショックは倍加します。

* 旦那の過去の浮気をいつまでも過剰に叱責してペナルティを課していた奥さん自身が、実は自分が浮気をしていて家族にバレた時、どんな立場に成るのでしょうか。

他人を責める人は、未来の本人自身も責めていることを知って置きましょう。
では、自分が他人から責められている最中の人は、どう思えば良いのでしょうか?
* 慌てずに、自分の心を傷付けずに、その相手を静観していれば良いです。

怒られる自分が実際に悪い時も有れば、相手がそれ以上に悪意が有ることも有ります。
自分が静観することで、良心からの「公平な反射」が起こりやすい状態に成ります。

老子ならば、
* 強く責めて来る者には、より強く、責めさせて置けば良い。責める側が、ますます自分で孤立するだけだ。
* 伸び切った縄は、後は切れるだけだ。
* そして、責められる側・弱は、強に勝つ。

要するに、慌てずに時間経過を見るという「時間薬」(じかんぐすり)ということを知って置きましょう。
今は物凄く悩んでいる内容でも、時間が経過すれば、すべてが変わって行きます。
すると、未来の自分は「あれ?あれほど悩まなくても良かったのに」と成っているパターンが誰にでも有ります。これは自殺者が、アノ世で大後悔する理由でもあります。

自分の心も、海のような「中潮」(ちゅうしお)というニュートラル状態を心掛けましょう。
すると、勝つ時は、自然に大きく勝てるものなのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/25(土) 12:52:15|
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この項で特に心に残る要点は、最後の行です。

* 冷静なる安心感の維持こそが、大地をも切り裂き耕すような、自分の心に革命を起こす。

ということです。
「安心感」と言われますと、何かゆっくりとした、何も変わらない今のままをイメージするかも知れません。
しかし釈尊は、冷静な安心感は、鋭い刃物にも成り得ると示唆されています。

* 冷静な人ほど、強い人かも知れません。
* 安心感に包まれた人ほど、観音力に守護された人。

逆に言えば、
* 冷静に成れない人。常に喜怒哀楽が激しい人は、弱くて、もろい人かも知れません。
弱い犬ほど、よく吠えるものです。

このようなことが、霊的に実際に言えることを感じます。
確かに、戦国武将で最強は誰だったか?を歴史家に問いますと、一番に多い返答が「上杉謙信」です。
あの織田信長でも、謙信の名を聞きますと「あっ、触っては生けない奴」という不干渉の態度だったようです。

でも上杉謙信の風評は、色白であり部下に優しく、とにかく非常に冷静な、一切動じない水のような人物だったようです。(私は、上杉謙信が女性・尼僧だった説を取ります)

やはり釈尊が言われますように、
* 気持ちを静かに安心させていることは、農具の鋭い先端の刃。大地をも切り裂く刃。
と言えそうです。

苦しい仕事の環境に居る人ほど、苦難の多い家庭に居る人、心身にハンディを持つ人ほど、
「その中であっても」
自分の心を冷静に維持し、更にはその中でも「安心感」と「感謝」に包まれている人は、
心に大きな革命が起こり、悟るかも知れません。
悟りへの、意外な最短距離に苦しい人ほど居るかも知れません。

人は、楽な環境下・条件下では、心の問題を考えることも放棄しているものです。
「万事塞翁が馬」(ばんじさいおうがうま:人生の幸福・不幸は予測しがたく、定まらないものであるたとえ)、
私たちの何が幸いに・不幸に、転じるのかは未知です。
だからこそ、今日の示唆として、

* 「気持ちを静かに安心させていることが、
あるがままに大地を鋭く耕す為の、鋭利な器具の先端の刃と成りえます。」

これを覚えて置いて頂ければ幸いです。
農夫への釈尊の返答は、まだまだ続きます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/22(水) 13:02:51|
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昨日、立ち読みした本の言葉を載せときます。

エッセイストの浅見帆帆子さんという人が書いた本でした。

「初めに“気が進まない”と思っても、“引き受けた以上はそれを楽しもうと思い、全力で向き合って進める!”と決めれば、それはよい波動になるので良い流れを引き寄せます。」

「言葉は今のあなたの環境を勝手に決めてしまいます。そして、言っている本人が一番その言葉に縛られるのです。」

「魂が喜ぶことをしていると、それに携われること自体が楽しくてしょうがないので、その作業(仕事)がうまくいくか、成功するか、有名になれるか、人から評価されるか、または失敗したらどうしよう、というようなことはほとんど考えなくなります。」

「気分が良くなるというのは、決してその場限りの気休めではなく、“気が良くなる“わけですから、見えないレベルで確実にあなたの何かが浄化されているのです。」

「自然の素晴らしさをしみじみ感じるようになると感性が強まり、あなたという受信機が宇宙の波長とつながって、ひらめきや情報がどんどんやってくるようになります。」

「変えることのできない環境だとしても、あなたが“影響を受けない”という意識を強く持てば影響されないようになります(逆に言うと、このような環境にいる人は、自分の意識をコントロールする絶好の練習場所が日々与えられていることになります。)」

「”これは私のストレスではない”としっかり切り替えて、あなたの楽しいことに向かってください。」

「あなたが幸せを感じてワクワクと毎日を過ごすようになると、次は自然にまわりに目が向きます。」

「楽天的で、いい意味で忘れっぽい人、あまり深刻にならない人に悪いことが起きにくいのは、余計な心配をしないからです。」

「あなたが幸せを感じる事柄を起こしたいと思ったら、まず、今の環境を“ありがとう”と思い、マイナスのエネルギーを断ち切ってください。」

「ゆったりとリラックスした状態で今日一日のことを思い出し、今日も無事に終わったことを感謝してください。あなたが意識を集中させて引き寄せたいことを確認してください。
反省することがあれば、その時に済ませてください(これから気をつけようという確認程度です)。
お願いがあるのであれば、このときにお願いしてください。」

「最後に、うれしいことを想像してください。考えると幸せな気持ちになること、そうなったらうれしい未来のこと、やさしい気持ちになることを思い出し、居心地のいい幸せな気持ちになって眠ってください。」

黄金の金玉を知らないか?
http://golden-tamatama.com/blog-entry-connect-with-universe.html
  1. 2017/03/20(月) 12:39:10|
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良い点と、汚点も有ってこそ、人はちょうど良い
2017-03-18 11:31:33 | Weblog
昨日のニュースによりますと、
* 日本人の2016年度の個人金融資産は、過去最高の1800兆円。

その内訳は、
現金・預金が937兆円。
保険関係の金融が370兆円。
株式・出資金は167兆円。

そして、国の借金が1070兆円ほど。

つまり、国の借金などは、日本人の純貯金だけでも支払いが可能なレベルに過ぎません。
しかも、これ以外に日本国は、他国に世界一の金額の海外資産を保有します。
日本の対外純資産は2014年末時点で366兆円と、24年連続で世界一である。今も増加中。

しかも、財務省が発表した2016年貿易統計速報によりますと、1─12月の通年の貿易収支は4兆0741億円で、6年ぶりの黒字となった。

私の脳内経済学では、貿易収支が黒字である限り、
* 自転車操業は永遠に継続する。
* 倒産もしない。
* 超インフレなど成らない。
* 国家(会社)の借金は増え続けても、個人の貯金は増え続け、国民は幸福感に他国よりも恵まれる。

という感じです。
以上の意味することは、日本は超優良企業だということです。

しかも、親分国に対しても、
「いや〜、借金が大き過ぎるので出せませんわー」
と死んだふりの演技も出来る内容に成っています。節税対策もバッチリ。

米国などは、双子の巨大赤字のために、上記の数字のどれもが天文学的に悪いものに成っています。
でもこれから、トランプ大統領ならば挽回することでしょう。

そもそもが、日本の借金が増え始めたのは、1985年のプラザ合意(米国の為替レートの強硬策)からだと思います。
1980年初頭までは、日本は大貿易国であり、すべてが黒字で無借金だったはずです。

それを、その頃から既に双子の赤字で苦しむ米国に怒られたのです。
(初期のトランプ氏の日本に対する経済数字のイメージは、その頃の古いデータに基づく誤解がある)

1985年に、堪忍袋の緒が切れた米国に「お前だけが儲け過ぎなんだよ!!」と怒られた訳です。
そして、今日からのドルの換金率は「これだけだ!」と日本に不利なレートに変わりました。

私が聞いた情報では、その時に日本が米国のノーベル賞経済学者に、
「これから、どうすれば良いかな?」と相談したところ、

「バカだな、日本よ。そんなすべての数字を黒字にしておくからダメなんだよ」
「経営とはな、借金が半分は有るように見せるのが一番に美味しいんだよ」
と言われたそうな。

つまり、定期的に「日本の借金がまた増えた!大変だー」と流している張本人は、意外や意外な国家対策かも知れません、笑。

今日の話で言いたいことは、
「自分には悪い事、汚点、ハンディ、が有るから、私はダメだ」
では生けません。

半分で良いから、良い点も有れば、汚点が有っても良いのです。
すべては相殺(そうさい:貸し借りが打ち消し合うこと)なのです。問題はない訳なのです。

霊的磁気の視点でも、これが完全に言えます。
だから1%でも良いから、自分の良い点が汚点を上回れば、その人生は大成功な良い人生だと言えます。

誰もが、「完璧」を基準にして苦しんでいるだけなのです。
それは間違いです。
日本が1980年代に黒字過ぎて・完璧過ぎて、米国に怒られたように、人間は自分が完璧だと思えた時点で、失敗・墓穴・命を削り始める、方向へ向かうのが法則です。

自分には汚点・悪い点が有る、と思える状態が「ちょうど良いのです」。
自分自身を賢く経営する人です。
死後は、1%でも良いから善行が悪行を上回れば、良い霊界へ誰もが行けます。
ただし、自分の悪行を打ち消す為の転生(生まれ直し)をいずれ必ず受けます。

ある人物が悪人に見えましても、その人に隠れた善行が1%でも上回れば、その人は良い世界に行きます。
完璧を目指せば、自分は無理だと絶望するものです。
でも、1%のプラスならば、何とか出来るかも知れないと思えます。
これで人生は、ちょうど良いのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/18(土) 13:23:04|
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会社の人間関係に疲れて、自分の心が汚れ・疲弊(ひへい:激しく疲れること)するぐらいならば、組織の中でも自分一人で歩く覚悟を持ちなさいと説いています。 だからと言って、仕事において常識の無い非協力的では、ただの愚かです。 仕事において常識的な交流・挨拶をしながら、心中はサイに成って独り歩きなサイと言われています。これが、年収5000万を超え出しますと、住まいも仕事環境も変わり、自動車も含めて社会の欲しい物を一通り得ます。 でも、心には何か不足感があり、それは仕事を更に頑張ることだと勘違いをした状態です。 この先に、年収が1億を超え出した人は、物欲がどんどん消えて行きます。 豪華な食事にも食欲が出ません。 そして、人を育てたい、社会に何か貢献したい、と思い出す人が多いのです。今日も、自分の心だけは醜くしないように、社会の汚い仕事も頑張りましょう。 自分の心を清浄・正常に保てれば、あとはすべてがOKなのです。何が有っても問題はありません。

消えて行く中間過程に心を汚されては生けません
2017-03-10 11:34:27 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
今の社会の人々は、自分の利益の為に交友を広げ、時には他人に尽くすこともしてしまう。

今どき、利害関係の無い友人とは少ないものだ。

自分だけの利益を追及する人間の様とは、それは醜(みにく)いものだ。

自分の心が醜くなるぐらいならば、

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.75)

(感想)
まさに会社や組織にいますと、自分の評価の為に、上司の無理な指示にも尽くそうとするのが会社員の宿命・仕事かも知れません。
大学の運動部にしましても、4回生は神だと聞きます。もの凄く厳しい地獄のような上下関係です。

でも私は、それを自分の修行とするならば、大いに大切なことだと思います。
厳しい運動部に耐えた大学生は、就職活動でも評価され、入社後もやはり幹部にまで成る人が多いです。
大手証券会社なども、部長クラス以上には応援団や運動部の出身者が非常に多いです。
会社のどんな罵倒やノルマにも耐えて来た人々です。

でも、そういう社員たちの心が汚いか?と問えば、まったく逆です。心が汚れた者は、厳しい仕事に耐えることが出来ません。
純粋すぎるほどの真面目な人が多いのが実際です。だから顧客から信頼を得るのでしょう。

ここで釈尊が問うているのは、心の問題です。
会社の人間関係に疲れて、自分の心が汚れ・疲弊(ひへい:激しく疲れること)するぐらいならば、組織の中でも自分一人で歩く覚悟を持ちなさいと説いています。

だからと言って、仕事において常識の無い非協力的では、ただの愚かです。
仕事において常識的な交流・挨拶をしながら、心中はサイに成って独り歩きなサイと言われています。


* 自分だけの利益を追及する人間の様とは、それは醜(みにく)いものだ。

これを見て浮かびますことは、普通の会社員が年収が上がるにつれて、変化して行く心理のパターンです。
年収が数百万の時代は、人は欲しい物だらけです。
アレが欲しい、これが食べたい、海外旅行に行きたい、性交もしたい。
とにかく飢えている人が多いです。

こういう時は、会社員で年収1000万が遠く夢のように絶望的に思っているものです。
でも実際に年収1000万に成りましても、少し欲しい物が買えるぐらいであり、あまり変わりません。

これが、年収5000万を超え出しますと、住まいも仕事環境も変わり、自動車も含めて社会の欲しい物を一通り得ます。
でも、心には何か不足感があり、それは仕事を更に頑張ることだと勘違いをした状態です。

この先に、年収が1億を超え出した人は、物欲がどんどん消えて行きます。
豪華な食事にも食欲が出ません。
そして、人を育てたい、社会に何か貢献したい、と思い出す人が多いのです。


すると、貧乏でも子供を育てる主婦は、本当は年収が1億を超えた人と同じ人生の勝利者だと、「人を育てる」という「共通結果」により言えることを、老子は示唆しています。(老子の言葉「人間は純朴さが大切」)

そこに至るまでの人生の経験の過程が違うだけで、結果は同じことだと言うわけです。
中間過程には大した意味は無いと老子は指摘します。
でも普通の人は、中間過程で苦しみ、心を汚しています。

貧乏で独身の人でも、社会に何か自分が出来る小さな貢献をする人は、霊的には年収1億超えの人と同等か、それ以上かも知れません。

人は、消えて行く中間過程を見ては、区別したり、差別したり、諦めているだけなのです。
していることが同じ良い事ならば、貧富の差も無い訳です。
町内会のゴミ掃除では、大社長も無職の人も、同じゴミ拾いをしながら世間話をします。
このあたりの話は、もう半分はアノ世の価値観に近いものです。死後の真実とも言えます。

誰もが死ぬ時は、自分一人、裸の体1つだけなのです。
金持ちだったことも、何の意味も持ちません。
だから老子の指摘は、やはり完璧に正しいと言えます。
人生の中間過程の姿に誤魔化されては生けません。

今日も、自分の心だけは醜くしないように、社会の汚い仕事も頑張りましょう。
自分の心を清浄・正常に保てれば、あとはすべてがOKなのです。何が有っても問題はありません。


(伊勢白山道)
  1. 2017/03/10(金) 13:19:55|
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悪魔が権利を悪利用することを、防止する策も必要な時節

悪魔が権利を悪利用することを、防止する策も必要な時節と感じます。

(伊勢白山道)

当たり屋⇒損賠賠償しろ!と訴訟を起こす
書いてあることを信用したら、こんな健康被害を受けた⇒損賠賠償しろ!と訴訟を起こす

金持っている人間相手にはこんな権利の悪用をしているのでしょうね。

【要注意記録】
当たり屋被害は連日のようにやられている。
いろんなパターンがある。
当方は自転車でもバイクでも、必ず片方はブレーキレバーに手をかけて走っているので
未だ被害は受けるまでには至っていないが、全く知らない金持ちがやられたら確実に
はめられる。

書いてあることを信用したら、こんな健康被害を受けた⇒損賠賠償しろ!と訴訟を起こす
こちらも気をつけた方がいい時節。
  1. 2017/03/09(木) 13:08:10|
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心が進むべき方向を先に知って置くのも良いこと
2017-03-07 11:44:31 | Weblog
老子いわく、
* 他者のことを良く見て知っている人は、物知りな人。
* でも、自分自身のことを知っている人は、もの凄い賢者であり、まず世に居ない。

古代ギリシャの叡智とも評された哲学者・ソクラテスも、
* 「汝自身を知れ」
を言い残しています。

釈尊も、「自灯明」=自分自身を明かりとして、自分を頼りに求めなさい・知りなさい。

つまり、どの時代に生まれたスーパー賢者も、その帰結(最終的な結論)は同じであり、
* 自分を知りなさい。
でした。

だから私達も、どんな求道や信仰をしようが、「自分の正体を知ること」がカギであることを知識で知って置きましょう。

* 今日も他人の言葉に悩む自分がいます。
相手ばかりを見て、なぜそんなことを言うのか? 私の何がいけないの?
と悩みます。

しかし、これからは、
* なぜ自分は、その言葉を気にするのだろうか?
* どうして私は、その人が気になるのかな?
というように、相手を観察するのでは無くて、自分自身を静観して見ましょう。

ほぼ全員の視線が、他人を見ている「外向き」ばかりです。
これを自分の心を観察するという「内向き」に転換が出来ますと、その人の心に革命が起こるスイッチが人類にはセットされています。

すると、スイッチが入ると何が良いのでしょうか?
自分自身のことが見え出しますと、あら不思議な現象が起こります。
自分を見詰めているだけなのに、他人のことが手に取るように視え出すのです、分かり出すのです。

自分を観察しているだけなのに、どの方向に幸運が在るのかも、何となく分かり出すのです。
他人や未来を知ろうとして「外向き視線」の時は迷うばかりだったのが、
自分自身を静観し出しますと、自分が求めなくても、自然に向こうから色々なことを教えてくれ始めます。

自分自身を観察することで、なぜか宇宙の成り立ちや秘密も、教わらなくても自分なりに分かり始めます。
「こういうことか」「こういうことだな」と自分の腑に落ちて行くのです。

これはただの自分の空想では無いことは、本当に自分自身のことが見え出しますと、実際の環境も変わり運気も変わります。金運も変わります。

つまり他者に求めて得られなかったことが、自分を静観することで全てが変わって行くのです。
賢者たちが、一般人を煙に巻くために「汝自身を知れ」と言ったのでは無くて、人が幸福に成るための最短方法を言っていたことが分かります。

神道の奥義には、神様の御札を祭ることで、
「霊的には自霊(内在神)を祭ることに成る」
という言わざる秘密が在ります。鏡の反射です。

古神道では、神祭りは自霊拝(じれいはい:自分の霊がすこやかに成るように拝する)に通じるのが奥義であり、一般的に説明はされない言わざることです。
なぜならば、実践が自分に教え、先行きを導く。
つまり真面目にした者だけが、自分で分かるから、言わない。
という秘密が在ります。行けば分かるさ、の世界です。

先祖供養も、自分供養を自動的に兼ねているのが奥義です。
他者を救おうとする者は、神様が救う、という法則が在ります。
自分自身を救いたい者は、救われません。
だから自分の為の先祖供養ではダメなのです。

これからは、他人ばかりを観察せずに、まず自分の心を見てみよう、からで良いです。
聖者・ラマナ・マハルシは、「私は誰か?」これ1本道で悟りましたが、
私達は、
「自分はなぜ、それを悩むのか? なぜ気になるのか?」
これから始めれば良いです。これを突き詰めても人は「悟り」(自由になること)ます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/03/07(火) 12:45:45|
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「自分が育てても、所有しない気持ちが、徳である」


「徳」に、金銭も幸運も幸福も勝手に憑いて来ます
2017-02-22 09:44:45 | Weblog
近年の小中学校では、道徳教育(善悪を判断し、善を行おうとする良心を育てること)
に力が入れ始められています。
これは良いことです。日本の将来に影響します。

今の世間で言われます「毒親」(どくおや:児童虐待によって、一種の毒 のような悪影響を子供に与える親のこと)に育てられた子供は、

* 愛情を受けたことが無い為に、「思いやり」という感情が分からない。
* 何が正しいことなのか?を知らない、分からない、知ろうとしない。
* 他人に対しても、自分自身が親に受けた対応が正しいと思っている。
* 親と同じことを自分も、他人や自分の子供にしてしまう。

こういう悪い「連鎖」の2代目、3代目の人々が社会の中に増え始めています。
これを正す為には、「正しい基準」=「道徳」というものを義務教育で強化する必要があります。

そうでないと、その本人が社会で苦労するからです。
他人と衝突するために勤務が継続しない人間となり、収入を正しく得られない人間と成り、ろくな方向に向かわないパターンが社会に見られます。

会社や組織でも道徳観の有る人が信頼され、管理職に成って行きます。
米国ではモラハラやセクハラなどの裁判の賠償金は巨額であり、社員の道徳観が会社を潰しかねない金銭問題へと成っています。
日本も、その方向に向かって行くことでしょう。

つまり、人の道徳観の有無は、その人の将来の収入を左右する重要因子と成り得ます。
結婚も決めて行きます(素行調査など有るために)。

なんと、つまらない、くだらない、と思われがちな道徳教育が、将来の高収入や結婚も左右する教育だということなのです。
収入に関する例で説明しますと、子供でも食い付いて来るかも知れません、笑。
でも、冗談ではありません。

では、「道徳」という言葉の元の発信者である老子は、「徳」について何と言っていたのでしょうか?
老子は、
「自分が育てても、所有しない気持ちが、徳である」
と、徳の一面について語っています。

* 子供を育てれば、自分の子供。自分のもの。
* 自分が起こした会社は、自分の持ち物。

このように思っている内は、その人には「徳」が無いと老子は言います。
そして、自分に徳が無ければ、
「その持ち物を、いずれは失くすことに成る」
と指摘します。

* 自分が子供を持てば、期待せずに最善に育てる一方であり、世間にお渡しするつもりでいること。
* 会社を起こせば、社会の為に、社員の為の物。

このような心境の人には徳が有り、その人の持ち物は伸びる・大きく成って行く、と老子は指摘します。

日本の未来も、国家の徳が決めて行きます。
徳のない国は、滅んで行きます。
どの国に善徳が多く、
どの国家には、徳がないか?


これから、その国の行く末が見せて証明してくれることでしょう。
日本はまだ、善徳>悪徳、の状態です。
これを今からも維持して行くことが、私達の生命と財産を決めて行きます。
だからこそ、道徳教育は大切なのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/22(水) 12:10:27|
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心をカラにする秘訣
2017-02-19 11:52:24 | Weblog
昔から禅僧などが、
* 空(くう)に成りなさい。 空を目指しなさい。
と言ったものです。

「頭をカラにしなさい」と言われましても、生活していれば色々な思いが湧いて来るのが人間です。
アレが心配、コレが足らない・欲しい、アイツが腹が立つ、仕事が心配、病気の家族のこと、自分の将来、金の心配、・・・・。

朝の通勤時の人々を観ますと、それはそれは騒音のような独り言が道路に鳴り響いています。
声には出さなくても、霊的には誰もが大きな声で、小さな声で、何かを話しているものです。
心中が無音の人は、100人に一人もいないかも知れません。
でも、たまに見掛けるものです。落ち着いた人であることが見掛けからも分かります。

では、頭を空(くう・カラ)にするには、どうすれば良いのでしょうか?
これに関して、老子が面白いことを言っています。

* 家の中にゴミが天井まで詰まっていれば、人が住めますか? 
家の中の空間が無い家は、家としての用を成すことが出来ません。

* 空間が有るからこそ、人が家の中に入って来て暮らせます。

* 人の脳も同じであり、カラの状態であればこそ、良い知恵も湧いて来るし、知識も入って「来る」のです。

これは重要なヒントです。
私たちは、心を空にする理由も分からず、ただ無思考に成ろうとするから「出来ない」のです。
思考を消すという、何か消極的な意味から空を目指すから出来無いのです。

そうでは無くて、
* 知恵・真理という美味しい「鳥」を捕まえる為に、「心をカラにして待つ」という能動的な前向きな、ワナを仕掛けるような意味で無思考の空を心掛けますと、その実践が自分に教え、心が空の習慣が形成されると感じます。

話が変わりますが、格闘技などでは「何も考えていない奴が怖い相手」とよく聞きます。
動きを考えている相手は、動く前に既に目に次の行動が表示されていると言うのです。
だから相手の次の一手が事前に読めるから、防御が可能に成ります。
格闘技の達人は、無思考の人ばかりです。

心を心配で埋めていては生けません。
心をカラにしていれば、最善の方向が考えなくても見えて来るのです。

囲碁にしても、思考で読むのは限界があります。
でも、何となくの雰囲気が最善の一手を教えてくれます。
無思考からの一手を出せるか否かが、勝敗を決めます。

心が空・カラであることが大切です。
心に「空」を心掛ける人、この道理を知っている人は、良い知恵が湧き自由自在に生きられます。

先ずは、心をカラにして部屋掃除をしてみましょう。
釈尊の弟子である周利槃特(しゅり・はんどく)は、頭が悪い奴だとイジメに遭っていました。
でも、無心で掃除をする内に悟って、叡智を得て聖人と成りました。(https://goo.gl/gS9Ews)

人は、心をカラにして掃除に専念するだけでも、作務(さむ)を伴った大いなる修行となり、瞑想を超える心のカラに行き着くわけです。
ここに大いなるヒントを感じて頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/20(月) 13:32:39|
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霊を避けるよりも、先祖を供養したい気持ち、「情け心」を持つ人が救われて行きます。 「類は友を呼ぶ」(同類が自然と集まる)のは真理であり、法則です。 * もし困る先祖や縁ある霊が居れば、供養してあげたい。または先祖に感謝をしたいと思える人物。 * そういうモノは避ける、知らない、放置、自分が大事の人物。 このような二通りの人が居れば、どちらの人物と自分は一緒に働きたいか?結婚したいか?友達になりたいか? これは想像すれば分かることです。自分の死後は、自分と同じような性質の人だけが集まる世界へ逝くのが法則です。 情け深い人は、情け深い他人ばかりが居る世界へと、霊的磁気の引力で寄せ集められます。 嫌なことは避ける人は、やはり同じような人「だけ」が居る世界に引き寄せられます。 コノ世で自分がした行動により、死後の世界が決まって行く「最中」が今の時間です。 自分大事で生きて行くのか? 困る他人を何とかしてあげたいと思いながら生きるのか? その成果は別として、その人の「志」(こころざし)が、今生も来生も決めて行きます。 他人と比較した成果(結果)主義では無くて、誰もが自分自身の世界の中で今生も来生も生きて行く事になります。

「類は友を呼ぶ」(同類が自然と集まる)真理
2017-02-17 11:43:24 | 先祖供養について
【質問】
窓ガラスの前で先祖供養した場合、供養の光を見て外から無縁霊が入って来るのでしょうか?
これは床供養だけでは足りずに、守護霊の負担になってしまうのでしょうか?

家の中で奇妙なことは起きていませんが、もしかしたらそれは、ご先祖が必死で守護してくれているからなのかもしれません。教えていただければ幸いです。

(返答)
そのために、ヨリシロ短冊の名字をはじめ、供養対象を限定していますので問題はないです。
「縁ある」もろもろの縁者霊が対象です。

そして、家の中には、霊は簡単には「結界」(けっかい:仕切られた空間)により侵入が出来ません。重力の壁のような、本当に無理なことです。物理的な法則に感じます。
だから、人物に憑いて一緒に家内に入ることが8割、品物が2割と思ってください。

このために、宅配業者を始め来客がある玄関の外に注連縄(しめなわ:特に伊勢地方の形のもの)を飾るのは意味が有ります(玄関内も機能します)。
人に憑いて入ろうとした霊が掃除機(=注連縄)に吸着されます。
でも、注連縄が無くても、正しいヨリシロ霊位の有る先祖供養をしていれば、問題はないです。

建物を建てるだけで家内には、結界が生じています。
その代わり、「鬼門」(きもん:北東の角。霊の通り道「霊道」が自動的に形成される)も必ず生じるのです。
コノ世で囲いを作りますと、その中に「結界」と「鬼門」が必ず生じる次元の不思議が存在します。

外部の無縁霊は、窓の外から家内を覗き見すると思ってください。
心霊写真でも窓の外に写る知らない霊や、あるいは窓から顔だけを室内に突っ込んで見ている霊が写ることが有ります。高層マンションの窓外でも撮影されています。

普通は、正しい先祖供養がされている家では、これ以上の侵入はありません。生きる人が思う以上に難しいことです。
ただ、窓の前にヨリシロ短冊を置いて供養しますと、窓の外には「うらやましく思う」飢えた霊が居るという想定は出来ます。

従って、先祖供養は室内で、後ろが壁が理想です。
あとは襖(ふすま)や、家具の前で、ヨリシロ霊位を置いて供養することは、それは室内事情で仕方がないことだから良いです。
ただし、ヨリシロ霊位の固定・安定化。そして、安定した台で供養することが大切です。

アノ世では、言葉と思いによる「指定、ことわり、仁義」が外せない法則となります。
人が思う以上の契約が、今の生活中にも起こっていますから、自分の普段の「思い」と「言葉」が大切です。

人は霊の海の中で、既に誰もが暮らしています。
霊を避けることは不可能です。自分自身も霊のカタマリです。

これを供養せずに放置も自由です。
誰もが、色々な善悪の霊の中で暮らして行くことに成ります。
そのために、人の幸運・不運の運命も千差万別です。

ただし、霊を避けるよりも、先祖を供養したい気持ち、「情け心」を持つ人が救われて行きます。
「類は友を呼ぶ」(同類が自然と集まる)のは真理であり、法則です。


* もし困る先祖や縁ある霊が居れば、供養してあげたい。または先祖に感謝をしたいと思える人物。
* そういうモノは避ける、知らない、放置、自分が大事の人物。

このような二通りの人が居れば、どちらの人物と自分は一緒に働きたいか?結婚したいか?友達になりたいか?
これは想像すれば分かることです。


無理に先祖供養は不要です。
イヤイヤながら、怖がりながら、心配しながら、な人は供養は不要です。
これも、その人の人生です。

自分の死後は、自分と同じような性質の人だけが集まる世界へ逝くのが法則です。
情け深い人は、情け深い他人ばかりが居る世界へと、霊的磁気の引力で寄せ集められます。
嫌なことは避ける人は、やはり同じような人「だけ」が居る世界に引き寄せられます。


コノ世で自分がした行動により、死後の世界が決まって行く「最中」が今の時間です。
自分大事で生きて行くのか?
困る他人を何とかしてあげたいと思いながら生きるのか?

その成果は別として、その人の「志」(こころざし)が、今生も来生も決めて行きます。
他人と比較した成果(結果)主義では無くて、誰もが自分自身の世界の中で今生も来生も生きて行く事になります。


だからこそ、先祖を供養したいと「思える」自分とは、それだけでも意味深い貴重な人生だと私は思います。

あくまでも先祖供養は、自己責任・自主判断ですることです。
無理にすることではありません。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/18(土) 14:50:18|
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獅子のごとく人も生きるべき
2017-02-15 10:43:20 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
ライオンならば、どんな声にも驚かない。
風は、どんな網にも掛からずに素通りします。
蓮華の花は、どんな泥水も身に付けない。

人も、このようにあるべきなのです。

だから、どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.71)

(感想)
非常に分かりやすく、人間のあるべき姿が指摘されています。
ところで、古代インドにライオンはいたのか?
インド虎の間違いでは?
と思われるかも知れません。

実は、ライオンは現在のインドの国章(こくしょう)にも描かれており、インドでは世界の王「転輪聖王」(てんりんじょうおう:過去生の善徳に保証された真の王)、
つまり「仏陀」を意味する象徴が古代からライオンなのです。

仏教で「獅子座」とは、星座のことでは無くて、仏陀が説法する場所のことを言います。
王の座という意味で獅子座思想とも言われ、説法が説かれた「場所」が未来への聖地として保存されました。

ブッダ・釈尊の足跡は、砂場でも長くその形が残り(足裏からの強烈な磁気放射による)、大地に刻まれました。
ましてや釈尊が座られて長く話をされた場所は、聖なる場所と成った訳です。

人は仏陀(ブッダ・真に悟りを開いた人)に誰もが成れます。
釈尊も仏陀の一人に過ぎず、釈尊以外にも無数の仏陀が太古から存在したことが仏典に述べられています。
これから人類は、誰もが仏陀に変身する可能性があります。そういう大きな節目の世紀に入りつつ有ります。

そして、人が目指すべき仏陀に成れば、どのような様相の人に成るのか?それが、

(1) ライオンのように堂々としていなさい。

他人からの悪口や噂話を気にして右往左往、気にして心を病む人が多いです。
もう他人からのどんな「声」にも驚かない自分、という姿を意識しましょう。
人は、自分が意識する人に、今から成れるのです。

(2) 社会の中の網に捕らえられては生けません。

世間には、色々な網が存在します。金銭・異性・地位・学歴・容姿・・・・。
このような、どんな網にも心が捕まらずに、素通り出来る自分であることが重要なのです。
何事にも捕まらない自分で居ましょう。

(3) 泥の中に入っても、心にまで泥を付けては生けない。

社会に泥は在るものなのです。これを無くそうとするほうが無理があるかも知れません。
泥を自分だけ避けようとして苦悩はしないことです。
どんなにあがいても、身の回りは泥だらけです。陰謀・悪口・盗み・不倫・不正・・・・。

でも、自分の心だけには泥を付けない決意をしましょう。
そうしますと周囲は泥だらけでありましても、自分は身に泥を付ける行動をしない人に成れるのです。
最初に、心に泥を付けることを思わないことが大事です。自分が悪事をしたいと思わないことが大切なのです。
不倫に憧れる人は、いずれ不倫をすることに成るからです。

そして、
* どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

これは会社でも孤立した変わり者に成れ、という意味ではありません。
他人とは常識的な態度、協力姿勢、調和、を努力します。
問題は、心の中のことなのです。

誰もが究極は、最後の時は、自分一人で裸で逝くことを忘れては生けないのです。
これを健康な内から心中で日々に思い出していますと、他人の悪口や、意地悪や、病気や不運でさえも、
すべてが愛おしい「思い出」に成ることが分かり始めます。
逆に、愛情が深い人に成れるのです。
これは実践が自分に教え、先行きを導きます。

人があるべき3つの姿を参考にして頂ければ幸いです。
どうせ終わる命ならば、いまさら何を悩むことがあろうか?
コノ世を思いっ切り生きてやりましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/15(水) 11:44:08|
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今だけに集中して頑張る思考は、知らずに未来を変えている
2017-02-14 11:44:31 | Weblog
「自分の思い通りに行かない」「自分の願いが叶わない」
と言う人々を観ますと、

* その人は「挑戦する前から先に」その結果を望んでいます。
* 行動する以前に、先に結果を考えています。

そして、挑戦する前に、既に疲れています。
そして、結果的には何もしないまま。

このようなパターンが多くの人々に観られます。
しかも、このパターンに気付かずに何回も繰り返している人が多いのです。

そして自分で「どうすれば良いのか?」と分からなくなれば、
* 更に未来ばかりを心配しながら、今の生活を疎かにしています・ing。
* 占いで未来を知りたがります。(自分の努力放棄)

これでは、すべてが悪くなって行くのは、自然の道理・流れであり当然なのです。
何の不思議も、憑依も霊障も無い、自業自得で自ら選択していることに過ぎません。

* 挑戦する前から、自分が動か無いまま、現状の生活を捨てたまま、
まだ来ない未来ばかりを考えることを止めましょう。

* この夢想するパワーを、「今の目の前のことに努力する行動」に使いましょう。

「今の目の前のことに努力する」
・・・・これが今を生きる、今の中に没入する、という道元さんが目指した「作務(仕事)を通じた悟り」にも到達し得ることに成ります。

仕事や家庭で受けるどんな苦痛も、自分の魂を大きくするチャンスに自分で出来ます。
仕事を通じて、家族の困難を通じて、あるいは幸福感を通じて、人は悟ることが可能です。

悟れば、その状況の中のままでも、嬉々とした活力が湧きます。
そしていずれは、すべての現実もあれよあれよと必ず変わって行くのです。

世の中で本当に大きく成功する人間の多くは、先に結果ばかりを考えないのです。むしろ結果を考えません。
それよりも、自分が楽しくなるように、今の嫌な仕事の中でも工夫を始めます。
これは平会社員の時代から既にそうなのです。だから出世する人間は、見ていれば先に分かります。

確かに目標や結果を考えて努力することは大切ですが、これに囚われて大事を見逃したり、「幸運の機会に気付けずに」見過ごすことに成りがちです。
先に結果ありき、では自分の目を現状から乖離させて、目にフタを半分していることに注意しましょう。

今日に言いたかったことは、
* 今の先を心配する時間があれば、今直ぐに動きましょう。
ということです。

自分なりに、無心で動いて見ましょう。
動けば、見えて来ることが、分かることが、必ず有ります。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/14(火) 19:37:56|
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見てやろう、聞いてやろう、そして悟ってやろう
2017-02-09 11:40:39 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
心の奥の深層の欲望が滅した後のような静寂を求めて、真剣に求道すること。

家畜のような怠惰な生活を止めること。

よく真理を読む(当時は聞くしか無かった)生活を心掛けること。

常に、あるがままの今を正視することを意識すること。

コノ世のあらゆることをよく見聞きし、よく理解し、自分の中に確固たる信じるものを得て、

勇敢に自分の信じる道を行くこと。

以上のようにして、

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.70)

(感想)
釈尊が、日常生活のあるべき姿を示唆された項です。

(1)「欲望が滅した後」・・・性交や自慰で昇天した後のような一瞬の心の静寂は、正しい求道の生活の中でも垣間見ることが出来るということです。

悟った心境が住む「涅槃」(ねはん)という漢字を見ますと、少し性的に淫(みだ)らな、「快楽」を妄想する文字にも思わないでしょうか?
でも心が真の自由を得た心境とは、見るものすべてが喜びに満ちたまさに「快楽」と言えます。

性的快楽は一瞬で終わりますが、これと同等以上の快楽を求道で求めることが可能なのです。
実際に医学的にも、覚醒すると常に脳内麻薬が出ていると思います。
聖者ラマナ・マハルシがガンに侵されながらも、一切の医療行為を受けずとも常に深い笑顔で居たことの秘密がここにあります。生きながら涅槃に安住することが、誰にも可能なのです。

(2)人間は、誰もが飲んで食って寝るだけの家畜になって、貴重な限定時間を消費していないか?
と自分を振り返ることが大切です。
人は、自分に与えられた寿命期間を考えずに生活しています。

心は永遠に死ねませんから、「慌てない」とは確かに言えます。
でも、肉体が行動出来る時間は期間限定です。これを忘れないでいましょう。
時間限定だからこそ、逆に思いっ切り頑張ることも可能なのです。

(3)本当に正しいことは何か?真理とは何か?
これを求める好奇心を維持することは、心に永遠の若さをもたらします。
そしてこれが求道と成ります。

(4)自分の心が済んだ過去に住まないこと。
まだ来ない未来にも、自分の心を住まわさないこと。
常に今のこの場所に、自分の心を置いておくことが悟りには必須条件なのです。
今の自分と状況を、直視して行きましょう。

(5)悟りを求めるからと言って、社会情勢やニュースの現実を避けていては生けないということです。
コノ世のすべてを、見てやろう、聞いてやろう、とするバランス良い姿勢の上で、自分の中に信じるものを持つことが真の正道へと自分を導きます。
ただの「修行バカ」「信仰アホウ」では、悟りは得られないのです。

以上の生活を参考にして、自分の信じる道を勇敢に行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/09(木) 13:24:40|
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(1)「無意識から溢れるものでなければ、多くは無力か詐偽(サギ)である。」(宮沢賢治)

無思考から自然と出るモノでなければ、続かない、価値が出ない、ニセモノである。と示唆されています。
これを逆に言えば、「人はどんなに悩んでも、考えているだけでは正しい答えは出ない」とも言えます。

答えが欲しい時は、ソレに関する「行動」を何も考えずに継続する中で、正解が「降りて来る」と言えます。
もし悩みが有れば、それに関する情報のすべてを最初に自分の脳に言い聞かせることが良いです。
そして、その後は、それに付いてもう悩まない・考えないのです。

でも、ふと、ソレに関して普段に悩みが湧き起こるのが人間です。
その時は悩み込まないで、ソレに関する「行動」をして行きます。
これを繰り返す中で、「無思考から正解が溢れて来る」と言えます。
その時は本当に心から、「もういいや」「これで行こう」と自分の中で腑に落ちます。

(2)「我々が出来ることは、今を生きることだけだ。
過去には戻れないし、未来があるかどうかも定かではない。」(宮沢賢治)

過去の嫌な出来事を思い出して、今でもその中で暮らしている人。
まだ来ない未来を心配して、今を未来への心配の中で生きる人。
とにかく生きている今の中で懸命に生きることが、人は苦手です。

今を生きずに、過去か未来の中に逃避して暮らすのが人は得意です。
「今を生きること」・・・多くの聖者が共通して言って来たことが、これです。
宮沢賢治さんも、この心境に達していたと言えます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/07(火) 12:44:04|
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やはりこうなったか。

元・プロレス興行団体「ノア(NOAH)」の運営会社が破産
帝国データバンク 2/6(月) 13:14配信

 (株)ピーアールエヌ(TDB企業コード981080681、資本金1000万円、東京都江東区有明1-3-25、代表田上明氏)は、2月1日に東京地裁より破産手続き開始決定を受けた。

 破産管財人は小畑英一弁護士(東京都千代田区永田町2-11-1、LM法律事務所、電話03-6206-1310)。

 当社は、故・ジャイアント馬場氏が立ち上げた「全日本プロレス」の人気プロレスラーとして知られ、99年から同社の代表に就任していた三沢光晴氏が、新団体の旗揚げに伴い2000年(平成12年)7月に設立し、初代代表に就任。選手、職員の大半が全日本プロレス出身者で構成されたプロレス興行団体「ノア」を運営し、本社および道場、合宿所を置く「ディファ有明」(東京都江東区)をメイン会場として、全国各地で興行を行い、試合会場での選手コスチューム、サイン色紙、タオル、ポスターなどの販売やリングマット上の広告料、ファンクラブなどの収入、テレビ放映権などを得て事業規模を拡大させた。

 しかし、2009年6月に三沢氏が広島市で行われた試合中の事故で死去する事態が発生。翌7月にプロレスラー兼取締役であった田上明氏が代表に就任したが、その後は有名選手の退団移籍なども重なり経営状態が徐々に悪化。2016年11月1日付で(株)プロレスリング・ノアから現商号に変更するとともに、興行事業をノア・グローバルエンタテインメント(株)<東京都千代田区、2016年11月7日付でエストビー(株)から商号変更>に譲渡し、破産申請の準備に入っていた。

 負債は調査中。

 なお、ノア・グローバルエンタテインメントに譲渡された「ノア」の試合・大会は予定通り行われている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170206-00010000-teikokudb-ind

2009年6月 三沢さん死亡
2017年2月 ノア消滅(破産)

自業自得、因果方法。
道を外れた行いをすればこうなるとうい証明か。
意外と結果が早く見れたのかも。
  1. 2017/02/06(月) 15:21:37|
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今の生活を地獄と思うか、天国だと思うのか、自分次第
2017-02-06 11:30:20 | Weblog
人は、「今の自分の生活の中でも」天国を見られるか否か、が人生と運命、死後の行き先を変えると感じます。

(1) 今の自分の苦しい生活の中では、とてもじゃないが天国など見られないし地獄としか思えない。

と思う人が、この日本でも多いかも知れません。
でも、紛争地域から家族で来られた人は、日本は天国だと言うものです。
では、日本での生活を地獄と言う日本人が紛争地に住めば、何と言うのでしょうか?

最貧国のゴミの山に暮らす孤児の子どもたちは、大人が見れば地獄に暮らしていますが、なぜか笑顔でいます。
(2) 他の生活を生まれながらに知らないからです。

人間は、他の生活を知らないと、地獄の中に住んで居てもそこが地獄だとは思わずに、そこが楽しい天国だとも思えるのです。
すると(1)の人の苦しい地獄とは、
* 他人の生活と自分を比較した為の地獄
であることが見えて来ます。

(1)は、日本が地獄だったのでは無くて、他人と比較することでもたらされる地獄だということです。
そこで大切なことは、過去記事で何度も取り上げて来た、
* 自分を静観すること
* 自分を見詰めること

他人を見ずに、自分自身を見詰めることで悟りも開くと釈尊も述べていることです。
人は、自分がどんな環境の中に居ましても、自分の心の中に天国を観ることが可能であり、これが真実なのです。

他人の生活という幻想を見せて、自分が地獄に居ると思わせるのが悪魔のささやきだったのです。
悪魔は絶えず、代表人物という「他人」を拝ませ、物資の栄華を見せます。
それは、自分の心を観ることを妨害させる為の意図からです。

嬉々として幸福そうに暮らす人は、自分の世界に住むことが出来ている人です。
他人の生活に興味が無い人が多いです。
自分の生活が地獄だと言う人は、他人の生活ばかりを気にしているものです。

以上の話は、コノ世の次元と「悟り」に関する大切なヒントを説明したいがための話でした。
でも、まだこれは未消化な表現であり、言語で説明する限界を感じます。
ノドに言いたいことが引っかかったままです。

(2)は現実には可哀想なことなのですが、霊的には決してそうでは無いのです。
誰もが何時かは肉体を亡くす現実を見ても、ゴミの中でも「その笑顔」には神様が存在し、天国が在るのです。
どんな生活の中でも、人の「笑顔」は最高で崇高なものです。

今日も現実の中に暮らしながら、「自分の生活の中で」天国を観る意識を持ちましょう。
日本という恵まれた中に居ましても、地獄だと言う人は、やはり世界の現実から離れた「比較する自我」(ワレヨシ)の中に居ます。
これでは、いつまで経っても幸福は来ないのです。

私たちはコノ世で、確かにある意味では、誰もが何時でも死んでしまうという「地獄」の中に住んでいます。
でも、その中であっても、天国を自分で見ることが大切な人生の目的なのです。自分次第です。
地獄の中でも笑顔で居られる人が本当に強い人です。
コノ世の生死を覚悟し、これを乗り越えて行かれます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/06(月) 12:30:58|
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今の自分の、魂の、パターンに気付く重要性
2017-02-05 11:26:00 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
静かな環境で暮らす努力をし、心が平静に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を心掛けること。

常に心の真理に従って生活し、自分なりの修行生活を行うことが人には大切です。

そして無自覚に輪廻転生(りんね てんせい:コノ世に何度も生まれ変わること)をし続ける世間の人々を見て、

これは「悲しくて恐ろしいことだ」ということを思い知りましょう。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.69)

(感想)
釈尊いわく、
* 自分が静かな生活を心掛け、平静な心境を維持していますと、
* 社会に生きる人々が、同じことを何度も繰り返すことが分かる。
* これは魂の生まれ変わりについても明らかだ、と思い知ることが出来る。

と仰っています。
人間は冷静に生活を俯瞰(ふかん:全体を高所から見る視点)しますと、
仕事にしても、恋愛にしても、同じようなパターンで他人と揉めたり、成功体験をしたり、
喜怒哀楽を繰り返していることが分かります。

毎回同じパターンを100回も繰り返せば、
「あれ? 私は同じことを繰り返しているだけ?」

と人は気付けるのでしょうか?
その答えは「No」なのです。
心の平静を維持していない人には、自分が何度も同じことを「繰り返しているだけ」ということが分からないのです。

これは生死をまたいだ転生にも言えることであり、何度も似たようなパターンの転生を人は繰り返している最中です。
釈尊はこれを「恐ろしいことだ」と、この項で指摘しています。
これと同じことを、空海さんはもっと辛辣に表現されています。

「三界(さんがい)の狂人(きょうじん)は狂(きょう)せることを知らず」
(色々な世界において狂える人は、自分が狂っていることを知らない)

「四生(ししょう)の盲者(もうじゃ)は盲(もう)なることを識(さと)らず」
(真実を見ることが出来ない生きとし生けるものは、自分が何も見えていない者であることが分からない)

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く」
(生まれ生まれ生まれ生まれを繰り返して、生の始まりが分かっていない)

「死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」
(死に死に死に死んで、死の終わりを知りません)
『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)より。

何と、同じことを繰り返す人類のことを、空海さんは狂人だと指摘しています。
* 何度も、死に死に死に死んで、生まれ生まれ生まれ生まれ直しても、人は気付かずに毎回に同じことを繰り返しているだけだ。

と表現されています。
これは空海さんの愛情からの厳しい言葉なのです。
「頼むから世間の人々よ、気付いてくれよ!!」
という空海さんの心の叫びなのです。

現代世界の情勢を見ましても、紛争を繰り返し、また繰り返そうとしています。同じような破壊のパターンを何度も繰り返しています。
これを冷静に見れば本当に「悲しくて恐ろしいことだ」、という上記の釈尊の言葉が分かることでしょう。

この繰り返すパターンが、個人の人生にも起こっており、来世にも繰り返すのです。
これを脱却するためには、

* 静かな環境で暮らす努力をし、心が平静に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を心掛けること。
* 常に心の真理(良心・内在神)に従って生活し、自分なりの修行生活を行うことが人には大切。

ということなのです。
もし生活の中で自分の心中に怒りが湧いた時には、
* 以前にも同じようなことが無かったか?
* 自分が怒ったその先は、どうなったか?

ということを思い出しましょう。これだけでも、自主退職や、離婚も、不倫も、止めることが出来るかも知れません。
これだけでも、人の運命は変わるのです。 
今日も、自分の繰り返すパターンに気付きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/05(日) 19:03:52|
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それを楽しむ余裕を持ちなさい。病気をただ悲観して、自分自身を悲しみで殺して行く材料にはせずに、病気でさえも自分を明るく育て成長させる材料にしたいものです。 この辺りに、コノ世の秘密がありそうです。 起こる物事を悲観で見るのか? または、自分を成長させる機会だと見るのか? これが、その人の人生を変えて行きます。

誰もが自分という人生の俳優を完成させるために生まれる
2017-02-04 11:14:04 | Weblog
「ひょうひょう」と生きた細い仙人のような、昭和のコメディアン・俳優・名声優の御方が最近に亡くなられました。ご冥福をお祈り致します。

訃報後に晩年の様子がテレビで流れているのを見まして、
* 良い御顔をされているな。
* 仕上がった人。
という感想を持ちました。

悲しんでいる人がいれば、静かに側に寄り添って癒やす御猫様のような。
焦っている人を見れば、「自分なりのままで良いんだよ」と言いそうな。
怒っている人を見れば、「まあ、仕方がないじゃない」と微笑んでくれるような。
静かな人だったと思います。

どうして、このような良い仙人顔に成れたのか?と思い調べて見ますと、昔から大病の連続だったようです。大きな手術だけでも、肺気胸、胃がん、大動脈瘤、・・・・全身麻酔の手術を何度も経験されています。
子供の頃から線が細くナイーブで、少し病弱な優しい少年だったと思います。

高位な魂ほど、雑多なコノ世の振動数の世界では、肉体が弱く生まれることが多いと言えます。
彼の「慌てない優しさ」は、病気が教え育ててくれたとも言えそうです。
病気とは確かに嫌で怖いものなのですが、魂を仙人のように押し上げた意味では、霊的には大いなる修行に成ったと言えます。

病気をただ悲観して、自分自身を悲しみで殺して行く材料にはせずに、病気でさえも自分を明るく育て成長させる材料にしたいものです。
この辺りに、コノ世の秘密がありそうです。


起こる物事を悲観で見るのか? または、自分を成長させる機会だと見るのか?
これが、その人の人生を変えて行きます。

この点において、この御方は自分自身を良い御顔に完成させることに、コノ世で成功されました。非常に立派なことだと思います。

このような人格を形成するには、幼少期の祖母の存在が有ったようです。
祖母が何度も言い聞かせてくれた内容は、

* 自分が良い状況の時ほど、周囲の人の言葉に耳を傾けなさい。(謙虚な姿勢)
* そして、自分が悪いと思えば反省し、それを直すこと。
* 相手が悪いと思えば、それを許すこと。
* 心は広く持ちなさい。そして目的は高く持つこと。
* 他人と意見が違っても、それを認め、それを楽しむ余裕を持ちなさい。

という内容だったようです。
「それを楽しむ余裕を持ちなさい」・・・・まさに彼の生涯は、コレだったと思います。
すべてを楽しむ姿勢。なんて素敵なことでしょうか。
悲しいことも、それを楽しむ視点が持てれば最高です。これこそは「俳優」でもあります。

誰もが自分という人生の俳優を今生にしています。
泥臭く、かっこ悪くても良い。だって今回は、そういう役だから。
誰もが自分という役に徹底し、没入すれば、それをやり切った最後に良い御顔に成っていると感じます。
今生の自分の役を、とにかく楽しみ、最後までやり切りましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/04(土) 12:42:10|
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* どうせ同じ距離を歩くならば、もっと笑いながら歩けば良かった。 * 深刻ぶることは、何も無かったのだ。 * だまされても、酷い目に遭わされても、笑っていれば良かったんだ。とにかくコノ世は、完全管理、すべて録画記録、されていると思ってください。 * だから、ムダなことは一切無いのです。 誰にも知られない善行も、他人に見える善行も、アノ世ではすべてが厳正に正しく評価されます。

深刻ぶることは何も無かった
2017-02-02 11:32:45 | 人間が死後に思う10の内容
今朝に思いますことは、
「人は、自分が必ず死ぬ存在であることを忘れなければ、もっと良く生きられる」
「ただし、自分の心は永遠に死なない存在である自覚を持ちながら」

ということです。

もし、今が悩みの中に居るならば、
「私は、いずれは必ず死ぬ存在なのに、何を悩む必要があろうか?」
と自分に言い聞かせるのも良いかも知れません。

悩みながら、怒りながら歩く道(人生)も、いずれは終わります。
どうせ同じ距離を歩くならば、笑いながら歩けば良いのです。
まさにこれを死後に、どの魂も後悔しています。

いざ死んでみれば、肉体は無いが、自分の感じる気持ちはそのまま継続していることに驚き、麻酔から覚めたような感じて霊は最初は居ます。

その内に、知っている故人(親族や友人)に再会し、今生を走馬灯(そうまとう:流れる映像)のように見た時に、まさに感じることは、

* どうせ同じ距離を歩くならば、もっと笑いながら歩けば良かった。
* 深刻ぶることは、何も無かったのだ。

* だまされても、酷い目に遭わされても、笑っていれば良かったんだ。

なぜなら、神様も、閻魔大王も、本当に居たから。

* 自分の人生には、本当は何も起こっていなかったのが真相だった。
アレもコレも、死を体験してみると大した問題では無かった。

* それよりも、自分に善行が無かったことが、これほど苦しいこととは知らなかった。
これが死後の最大の後悔であり、苦しい問題だ。
家族にも他人にも、もっと優しく尽くせば良かったな。

* コノ世での善行こそが、アノ世の万能通貨・貯金だったんだ。
コノ世で金が無いのも苦しかったが、アノ世で善行貯金を持たない魂ほど、惨めで苦しいことは無い。
また、転生したいな。今度こそ、他人を喜ばせたい。

以上のような流れが、大なり小なり、誰もが体験することです。
私は今でも、このような故人の様相、アノ世の動きを日々の中に視ています。

チベット仏教では、「死」を聖なる最高の通過点の儀式と考えます。
国際空港の入国検査を、聖なる部屋で受けるぐらいに思えば良いです。
その入国検査官により、今生の自分の行いを映像と音声付きで画面で見せられます。

その映像を自分が見せられている最中は、その検査官が自分の目を、心を、無言で凝視しています。
過去の自分の映像を見ながら、もうウソも弁解も不可能であることが自分で分かります。

これが終わりますと、検査官は「あなたは、あちらの入り口から入国しなさい」と指図されます。
一番最初は5つぐらいの入り口が存在し、他の人も自分自身に指図された入り口に各人がそれぞれ進みます。その先には無限で広大な世界が待っています・・・・。
ただ、その先にも幾つかの入り口検査が待っています。

とにかくコノ世は、完全管理、すべて録画記録、されていると思ってください。
* だから、ムダなことは一切無いのです。
誰にも知られない善行も、他人に見える善行も、アノ世ではすべてが厳正に正しく評価されます。


この誘惑の多いコノ世でも、見えない先祖(遺伝子)を癒やし、何事にも感謝をしていた人は、何も心配がいりません。
完全な歓喜、慈悲に溢れたアノ世の世界に住むことに成ります。

誰もが短期間の旅行者です。
深刻なことは何も無い。それさえも体験したかった苦行のアトラクションです。自分で選んだオプショナル旅行です。

今日も笑いながら、感謝しながら生活を楽しみましょう。
これが最もお「徳」な生き方なのです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/02/02(木) 13:13:40|
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人生とは自我(ワレヨシ)の心を無くして行く旅です。自分を無くした先に在るのは何か? その人は、全体と同化して生きる存在に成ります。 他人と会えば、その時は相手に同化して生き。 山を眺めれば、自分が山に同化し、 海や川や森を見ても、その中に溶け込む人に成ります。自分の自我を消滅させるほど、自分に会う他人は気持ちがよく成る。また会いたく成る。 ということを覚えて置いてください。人がコノ世に生まれるのは、 * 今度こそ、自分無くしをするぞ! と転生して来ます。 「では、自分の自我(ワレヨシ)を薄めて生活してみようか」 、と思って見ることも参考にしてください。 想像以上に、自分自身も周囲の人も、楽に成って行くものなのです。

『自分なくしの旅』
2017-01-28 10:57:22 | Weblog
会っていて気持ちの良い人とは、自我(ワレヨシ)の少ない人です。
相手の気持ちも、自分の気持ちも、お互いに「すっと」通る気がします。

反対に自我の強い人は、良いふうに言えば「個性の有る人」と世間で言われます。
でも自我の強い人と会いますと、その後はまるでステーキを食べた後のような気がします。
霊的にも相手のギラギラとした油を食べたのでしょう。

人生とは自我(ワレヨシ)の心を無くして行く旅です。
では、その人の個性は消えて行くのか? と質問されますと、
* 空気のように
* 清らかな水のように
人の理想の姿は成って行くものです。
だから、これを個性と言うのか?という問題に成ります。

このような人は滅多には居ませんから、やはり良い意味で個性と言えるのかも知れません。
では、自分を無くした先に在るのは何か?
その人は、全体と同化して生きる存在に成ります。

他人と会えば、その時は相手に同化して生き。
山を眺めれば、自分が山に同化し、
海や川や森を見ても、その中に溶け込む人に成ります。


こういう心境の時に、書や絵を書きますと、まさに見た風景を転写したかのような生きたモノを描くものです。
過去の禅僧や偉大な芸術家の作品に多いです。

また、そういう自我が少ない人に会いますと、その人は自分に同化してくれますので、
* 自分のことを完全にすべて理解してくれる気がする。
* 自分のすべてを、許してくれている人だと分かる。
* 自分が大きな海に抱かれている気に成る。
と自我が有る人は感じるものです。

自分の自我を消滅させるほど、自分に会う他人は気持ちがよく成る。また会いたく成る。
ということを覚えて置いてください。

もし、「自分は他人に避けられる気がする」と感じる時は、自分の自我(ワレヨシ)とは何か?を静観しましょう。

気に成りますのは、幼児教育です。
「その子の個性が大事」と言いながら、悪い自我(ワレヨシ)を増長させるだけの教育では、不幸に成る人間を養成するに過ぎません。

「三つ子の魂百までも」(幼児の時に受けた教育によって形成された習慣・性質は一生変わらないものだという意味)
つまり、3歳を超えれば、暴力性も、色情も、物欲も、怠惰も、既に有るのです。

これを個性だと言って放置しますと、まさに不幸な、成人後に苦しむ、大人を創ることに成ります。
規則正しい学校生活も出来ないような、個性という詭弁で逃げる人間を創ってしまいます。

たまにこれも利用して「高い霊性」と親が言い訳利用するパターンも昔からあるものです。その子の成人後、老後はどうなって行くのか?
半世紀も誰も観察が出来ませんから知られませんが、私の知るパターンでは100%ダメなのです。
自分で生活も出来ないダメ人間に成っています。

人がコノ世に生まれるのは、
* 今度こそ、自分無くしをするぞ!
と転生して来ます。

「では、自分の自我(ワレヨシ)を薄めて生活してみようか」
、と思って見ることも参考にしてください。
想像以上に、自分自身も周囲の人も、楽に成って行くものなのです。


(伊勢白山道)
  1. 2017/01/28(土) 13:09:05|
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* 過去の喜怒哀楽は、遠くに置き去りにしなさい。 * もう済んだことは、心から離して、遠くに置いておく心掛けを知って置きなさい。 ということです。これを人は意識すれば可能であることを知って置くだけでも変わって行きます。 * 人は、過去の中に心が住んでは生けないのです。 * 今の生活の中に心が住まなければ、人は改善も成長もしません。* 生活の中で「心を静止させる」実践。 * 今だけを見る・ありのままを見る・無思考への挑戦。まさに社会の中で、嫌な同僚や上司の中で、家庭でもストレスが有る中で、 * 心が平静で冷静な極みの中に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を目指すこと。 これを、ただ座る瞑想(ムダで贅沢な浪費です)では無くて、働く動きの中で目指すのです。 これは知らずに道元禅を自分で実践することに成ります。 今日も自分なりに、雑多な社会と生活の中で、自分の心を「平静」と「冷静」と「安心」に静止させる挑戦をしてみましょう。 この実践の継続が、嫌な過去も遠くに置き去りにして、心の革命を起こすのです。

心を安心に止めて置くこと
2017-01-27 11:11:20 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
過去の喜怒哀楽は、もう遠くに置き去りにしなさい。

それよりも今の生活の中で、心が平静で冷静な極みの中に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を身に付けていることが最大事なのです。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.67)

(感想)
禅定(ぜんじょう)とは、仏教において心が動揺することがなくなった一定・「静止」の状態を指します。

心が平静で冷静な極みの中に安住して静止している禅定の実践によって、心が見える景色や他人に一切乱されないとき、それは三昧(さんまい・サマーディ)の状態と呼ばれます。
また、禅定によって心を一切乱されない力のことを、心の定力(じょうりき)または禅定力と呼びます。

人は仕事をしながら、生活しながら、過去に有った喜怒哀楽や過去の異性に自分の心を静止させることが得意です。まさに「心ここにあらず」、が人は得意なのです。
これでは今の生活でも失敗や、愚かな間違いを繰り返すことに成るものです。
釈尊は、これではダメだと仰っています。

では、どうすれば良いのか?
* 過去の喜怒哀楽は、遠くに置き去りにしなさい。
* もう済んだことは、心から離して、遠くに置いておく心掛けを知って置きなさい。

ということです。これを人は意識すれば可能であることを知って置くだけでも変わって行きます。
* 人は、過去の中に心が住んでは生けないのです。
* 今の生活の中に心が住まなければ、人は改善も成長もしません。


以上の考察を読んで改めて思いますことは、道元さんの禅宗こそが、釈尊の直伝の「実践」「実行力」を現代にまで残していると思われます。

* 掃除・料理道・畑仕事などの労働・街に出て他者との触れ合い・・・・これらを「作務・さむ」として一日の大半において重視する実践。
* 生活の中で「心を静止させる」実践。
* 今だけを見る・ありのままを見る・無思考への挑戦。


そして私が思いますには、隔離閉鎖されてお膳立てされた環境の中でこれを行うのは、まだ半分なのです。
これを誘惑に満ちた雑多な世間の中で心掛けることこそが、大きな飛躍と成長を生むと感じます。

まさに社会の中で、嫌な同僚や上司の中で、家庭でもストレスが有る中で、
* 心が平静で冷静な極みの中に安住して静止している禅定(ぜんじょう)を目指すこと。

これを、ただ座る瞑想(ムダで贅沢な浪費です)では無くて、働く動きの中で目指すのです。
これは知らずに道元禅を自分で実践することに成ります。

今日も自分なりに、雑多な社会と生活の中で、自分の心を「平静」と「冷静」と「安心」に静止させる挑戦をしてみましょう。
この実践の継続が、嫌な過去も遠くに置き去りにして、心の革命を起こすのです。


(伊勢白山道)
  1. 2017/01/27(金) 13:04:07|
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点で見るか、長期で見るか、で運命は変わる。 今を「点」で見ますと、確かに悩みは有る。 でも、「長期」で悩みを見ますと、悩みは無いわけです。 これはアタリマエだと思われるのでしょうが、私はここに次元の秘密が在ると思っています。 つまり、何を言いたいかと説明しますと、 * 物事を一点だけで見る人は、とにかく何でも引っかかり、悩みが増えるのです。 * 狭い視野で物事を見る人は、他人との摩擦が増えます。腹が立つことが増えます。 でも、「長期の視点」「広い視野」で物事を見る人は、 * 悩みが消えて行く。 * 嫌な他人も許せる。他人が愛おしい。それでも良い。 と成ります。見る視点の範囲の違いで、自分の人生が運命が変わって行きます。 今日の私が言いたかったことは、 * 広い視点・視野を持ちましょう! ということです。 これにより、「まあいいか」「慌てない」「これは止めて置こう」という選択が可能なのです。

点で見るか、長期で見るか、で運命は変わる
2017-01-25 10:48:11 | Weblog
今、悩んでいる最中の人は、
「100年後は、この悩みはどうなっているのかな?」
と思って見るのも良いかも知れません。

当然に自分自身もコノ世に居ないし、関係する人々も存在していません。
そして、その今の悩みも霧散して消えています。
そんな悩みは無かった。
と成ります。

しかし、今を「点」で見ますと、確かに悩みは有る。
でも、「長期」で悩みを見ますと、悩みは無いわけです。
これはアタリマエだと思われるのでしょうが、私はここに次元の秘密が在ると思っています。

つまり、何を言いたいかと説明しますと、
* 物事を一点だけで見る人は、とにかく何でも引っかかり、悩みが増えるのです。
* 狭い視野で物事を見る人は、他人との摩擦が増えます。腹が立つことが増えます。

でも、「長期の視点」「広い視野」で物事を見る人は、
* 悩みが消えて行く。
* 嫌な他人も許せる。他人が愛おしい。それでも良い。
と成ります。


どちらの視点の人に、他人が集まり、良い情報も幸運も金運も寄って来るでしょうか?
これは明らかなのです。
見る視点の範囲の違いで、自分の人生が運命が変わって行きます。

100年後の視野は長すぎるにしても、この10年後はどうなのか?という視点は誰もが持つべきだと思います。この視野により、
* 大事な物事(家族・仕事・・・)を捨てずに、本当に不要でムダな危険因子を捨てることが可能に成ります。


何かを自分が選択しなければ生けない時は、その10年後を想像した上で選ぶことが大切です。
これにより、未来の自分が後悔することを避けることに、今の時点で出来るのです。
今の「点」だけを見た自我(ワレヨシ)で選択して、周囲の反対を押しのけて突っ走る人は、必ず後悔するものです。

後から、アノ時の自分を殴ってやりたい!と思う人が居るものです。
でも、霊的には、これは有ることなのです。
今の自分が不運だ。何をしてもダメだ。と思う時は、未来の自分から殴られているかも?
という可能性を知って置いてください。

多くの人の悩みを視ていますと、その人の守護霊・先祖が善意から妨害していることや、そのままの場合の未来を知る本人の生霊が、今の自分を殴っていることが意外にも有ることなのです。
今の自分が、より間違った方向に行くことを未来の自分が心配して怒ってくれている訳です。


今日の私が言いたかったことは、
* 広い視点・視野を持ちましょう!
ということです。
これにより、「まあいいか」「慌てない」「これは止めて置こう」という選択が可能なのです。


(伊勢白山道)
  1. 2017/01/25(水) 13:15:09|
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* 自分が被害者になった場合でも、相手を憎まなくても、必ず相手は自業自得に成ること。 * 自分が被害を受けた場合でも、自分にとって有利な相殺(そうさい:自分の霊的な負の借金が消えること)が必ず起こるチャンスであること。 * 人の不運も悪く無いことだった。 自分が不運な時は、思いっ切り受け切るほうが、後から大きな幸運が来ます。中途半端は、未消化の不運を持ち越します。 ・・・・という見方も参考にしてください。ただし、正当な自己防衛への努力は大切です。 * 自分が悪口やイジワルをされた場合でも、その相手は未来の本人自身を傷付けていると思って静観で良いです。嫌な他人が多い中ほど、ある意味では自分の善徳を積み、自分の垢を昇華させるチャンスでも有るわけです。

他人への態度が自分の運命を決めて行く
2017-01-24 11:08:35 | Weblog
今朝に思いますことは、
「他人への態度が自分の運命を決めて行く」
ということです。
運の良い人の他人への態度を見ていますと、

* 他人に対して思いやりがある。
* 他人の話を聞く態度がある。
* 他人を褒める。
* 他人にモノを上げるのが好き。
* 他人への愛情がある。

こういう人は、自分で望まなくても幸運・金運のほうから来てくれます。
霊的には、こういう人の他人への態度は、
* 明日の自分を創る態度だった。
と言えます。

祈願で幸運が欲しい人には、果たしてこのような他人への態度が有るのでしょうか?
神様をも使おう・利用しようとするワレヨシな自分だけ大事の人が多いです。
これでは幸運が逃げ、不運に成るのは道理です。神様でも避ける人間であることを自分から申告しています。
注意が必要です。

* 他人への悪口が好きな人 ⇒ その人は陰口を言われることに成る。
* 他人をイジメる人 ⇒ その人は未来に痛い思いをすることに成る。
* 他人の物を盗む人 ⇒ その人は、その10倍のモノを失くす。健康も含めて。

つまり、私が何を言いたいのかは、
* 自分が被害者になった場合でも、相手を憎まなくても、必ず相手は自業自得に成ること。

* 自分が被害を受けた場合でも、自分にとって有利な相殺(そうさい:自分の霊的な負の借金が消えること)が必ず起こるチャンスであること。

* 人の不運も悪く無いことだった。
自分が不運な時は、思いっ切り受け切るほうが、後から大きな幸運が来ます。中途半端は、未消化の不運を持ち越します。
・・・・という見方も参考にしてください。ただし、正当な自己防衛への努力は大切です。

* 自分が悪口やイジワルをされた場合でも、その相手は未来の本人自身を傷付けていると思って静観で良いです。


コノ世のすべてが、1つの大宇宙(自分自身でもある)の体内での出来事だと想像しましょう。
体内には善玉菌も悪玉菌も必ず両方が居るのです。
悪玉菌がゼロならば、善玉菌も成長する必要が無くなり、弱って行くのです。
でも、悪玉菌は、いずれは他の善悪両方の菌に食われて行きます。

自分の生活の中で、「他人という鏡」を有効利用して、明日の自分を創造して行くチャンスが誰にも今も常に与えられています。
嫌な他人が多い中ほど、ある意味では自分の善徳を積み、自分の垢を昇華させるチャンスでも有るわけです。

どんな環境・場所でも、幸運へのチャンスが存在しています。
今日も先祖に感謝し、自分の生活の中での善徳と昇華をして行く視点を持って、明るく暮らしましょう。すべてにムダは一切無い。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/24(火) 13:03:03|
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「花よりも、花を咲かせる土になれ」* 思いやりのない人間は、何をやってもだめだ。商売するにしたって、人を教えるにしたって、経営者に成るにしても、思いやりのない人間は絶対に成功しません。 

正しいことは、どの道を極めても同じ境地に行き着く
2017-01-22 11:59:54 | Weblog
プロ野球選手を何人も育てた、高校野球の有名監督の言葉をニュース番組で見ました。
昔から講演会などでよく発言されている内容だそうですが、

* キャッチボールは、なぜ相手の胸の真ん中に向かって投げるのか?
* 相手が球を取りやすいようにするための、思いやりからだ。
* 思いやりのない人間は、何をやってもだめだ。商売するにしたって、人を教えるにしたって、経営者に成るにしても、思いやりのない人間は絶対に成功しません。 (以上)

私は、これは良いことを仰る監督だと思いまして、他の発言も調べましたところ、

* 野球で有名に成ろうとすることよりも、真面目な社会人に成ることが大事だ。
* 肉体・素質が一流でも、思想が二流の者は伸びない。
* 監督が一番好きな言葉は、「花よりも、花を咲かせる土になれ」 (以上)

この監督の言葉を読んで改めて感じますことは、
* 正しい真理は、どの道から登りましても、極めれば同じ境地にたどり着く。ということです。

以上の言葉の数々の中に、コノ世の大事な要素・要点の大半が既に述べられています。
私も以前から「思いやり力」が、その人の人生を決める。
自分が思いやり力を強く持てば、自分自身が観音様と成り、奇跡は起こる。
と書いて来ました。

野球道を極めた上でも、「思いやり」に行き着く訳です。
自分が相手の取りにくい場所にボールを投げれば、受ける側が球を落として点が取られる。
夫婦間でも、伴侶への思いやりが無ければ、いずれは離れて行くことに成る。

勉強を教える場合も、生徒の立場になった思いやりの有る教え方が理解度を変える。
システムエンジニアでも、思いやりの無いプログラミングの書き方は、他人がメンテナンス出来ずに停止する。
思いやりの有無が、自分の出世や収入にも影響することに成ります。

また、自分が他人と結婚する場合、他人を雇用する時、自分が品物を買う相手、・・・・。
こういう時は、相手の「思いやりの有無」を見る視点が大切です。

更に監督は、環境・条件が一流でも正しい志(こころざし)・思考が無い者は、伸びない。と仰ってます。
裕福な家に生まれましても、家を潰し、犯罪を犯す人もいます。
やはり、人間は正しい道徳観の有無や、正しい思考の有無が、その人の人生を決めます。

これを逆に言えば、今が貧乏であっても、正しい志の人間には無限の可能性が有ります。
コノ世で貧乏であっても、正しい思考と「善徳」の有る人は、アノ世でも来生でも裕福に成ります。
やはり人は心が大切です。

「花よりも、花を咲かせる土になれ」・・・・これを見た時に、思い出したエピソードがあります。
海外で活躍するプロサッカー選手の長友選手は、大学生時代はサッカー部の2軍選手だったそうです。
試合の時の役目は、応援団で太鼓叩きの任務だったとか。

この時に彼が思ったことは、レギュラー選手には成れないが、
「一流の応援団に成ってチームを勝たせたい」
と思い続けた4年間だったそうです。

他人を一生懸命に応援した彼の今は、自分が大舞台で応援される立場に変わっています。
これも、「花よりも、花を咲かせる土になれ」のような彼なりの志と行為が、今の彼を育てたと言えないでしょうか。

今日の私が言いたかったことは、みんな環境も条件もバラバラですが、自分の生活を正しく思考して努力をすれば、誰もが行き着く先は同じ祝福の世界だと言うことです。
  1. 2017/01/22(日) 12:30:13|
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【嫌な感情に対して「降参」して行くこと。立ち向かわない心の非暴力】自分で自分自身が他人から受ける反応を静観し、 そのような自分のコンプレックスから過大な感情の反応が起こると察知した時には、 * その過大な感情を「手放しなさい」。 手放すとは、とても良い表現です。過大な感情を断ち切りなさい、と言われましても「どうすれば良いのか?」と思うものです。 自分に湧き起こる嫌な感情を、手放すのです。 もう自分で分かったからと、嫌な感情に対して「降参」して行くのです。 この自分でする「認識」により、冷静な中道に戻ることが可能です。 * そして心は、いかなることにも公平性・中道(ほどほど)から離れては生けない。 これを忘れないで置くのです。人はどんな環境・条件の中に居ましても、心の絶対安定を勝ち取ることが可能なのです。そして輪廻(りんね:生まれ変わる修行)から卒業することも可能なのです。

嫌な感情に対して「降参」して行くこと。立ち向かわない心の非暴力
2017-01-21 11:28:10 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
人間を構成する五つの要素である五蘊(ごうん)が起こす執着を断ち切りなさい。
五蘊とは、自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで湧き起こる感覚であり、これに愛着や執着を持ち過ぎますと、苦しみが次から次へと心に湧き上がって来ます。
五蘊とは以下の五つを指します。

・ 色(しき)=「身体」機能が活発であるために湧き起こる攻撃性や性的反応などの苦しみ。
・ 受(しゅ)=物事からの刺激を受ける「心」の反応。悪口などを受けても、なんでも被害妄想的な過大に受け取る癖。
・ 想(そう)=見たものについて何事かをイメージする「心」の機能。自分が見た現実以上の過大な妄想を見ること。
・ 行(ぎょう)=イメージしたものについて、自分の意志判断を下す「心」の機能。
・ 識(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「心」の機能。

この五蘊が引き起こす愛着や憎悪を断ち切り、心の安定への障害を放棄(手放すこと)しなさい。
そして、いかなることにも公平性・中道(ほどほど)から離れては生けない。

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.66)

(感想)
これはまさに現代社会で病んでしまう人間への注意点を、2500年前に生きた釈尊が示唆されています。
人間は自分の五感・五蘊(色・受・想・行・識)をストレスから過剰に暴走させてしまいますと、

* 苦しみが次から次へと、その人間に湧き上がって来ます。

と釈尊が断言されています。
そのすべては他人だけが原因では無いのです。それを過大に受け取る自分の心のサガが心の深奥に原因として有るということです。

他人からの刺激を、自分が過大に受け取ってしまう原因には、
* 他人と自分を比較(作業能力・貧乏・美醜・学歴・持ち物・家族の問題・・・・)してしまう自分のコンプレックス。
に注意が必要だと感じます。


そのことを認めたくは無い自分のサガを、冷静に自分で観察するのです。
そして釈尊いわく、

* 五蘊が引き起こす愛着や憎悪を断ち切り、心の安定への障害を放棄(手放すこと)しなさい。
自分で自分自身が他人から受ける反応を静観し、
そのような自分のコンプレックスから過大な感情の反応が起こると察知した時には、

* その過大な感情を「手放しなさい」。
手放すとは、とても良い表現です。過大な感情を断ち切りなさい、と言われましても「どうすれば良いのか?」と思うものです。

自分に湧き起こる嫌な感情を、手放すのです。
もう自分で分かったからと、嫌な感情に対して「降参」して行くのです。
この自分でする「認識」により、冷静な中道に戻ることが可能です。


* そして心は、いかなることにも公平性・中道(ほどほど)から離れては生けない。

これを忘れないで置くのです。
以上の内容から思いますのは、釈尊こそは人間の心の動きを極限まで熟知されていることです。
釈尊の言葉を真に理解した人は、心の問題から離れ、何ものにも害されない心の安定を勝ち取ることでしょう。

今日も自分に湧き起こる過大な感情があれば静観し、「五蘊の戒め」(ごうん のいましめ)として、思い出しましょう。
人はどんな環境・条件の中に居ましても、心の絶対安定を勝ち取ることが可能なのです。そして輪廻(りんね:生まれ変わる修行)から卒業することも可能なのです。
今日も明るく生きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/21(土) 16:52:07|
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苦しみは有るが、心にまで受け取らないこと
2017-01-17 11:26:00 | Weblog
釈尊が言われるには、
* コノ世は、すべてが一切苦(いっさいく:苦しみ)なのだ。

でも、社会や自分に苦しみがあっても、その影響を自分が受けなければ・「受け取らなければ」、
* コノ世に苦しみは有るが、苦しみは無いに等しいモノだ。
とも示唆されています。

これは重要な指摘です。
私たちは、自分に有る苦しみを無くそう・取り除こうとして苦しみます。でも釈尊は、
「コノ世から苦しみは無くならない。そういう世界なんだよ」
と言われます。

* 苦しみは何をしても必ず有るのだ。だから、苦しみは有る、と思っていれば良い。
* 苦しみを無くそうと焦るから、自分が苦しいのだ。
* 苦しみが有ることを認めて、後は自分が苦しみを気にしないこと・受け取らないこと。
* 自分が苦しみを受け取らなければ、その苦しみは有っても、無いに等しいのだ。

という意味を示唆されています。
実は、これと同じことを、他人から呪詛(じゅそ:呪い)をされた場合の対策でも釈尊は述べています。

釈尊は、当時の有料先生・修行者たちから非常に呪詛されました。なにせ真っ向から有料先生や修行者のやっていることはデタラメ・ムダだと否定して回ったからです。中にはダイバダッタのような実力行使をして来る輩(やから)もいました。
でも、釈尊はいつも平気で涼しい顔をされていました。

そのことを弟子が、「どうして釈尊は平気でいられるのですか?」と聞きますと、釈尊は、
「君がプレゼントを他人から送られたとしよう。
でも君は、そのプレゼントを受け取らなかった。
ではそのプレゼントは、誰に返されるのかね?」

弟子が、「それは元の送り主に戻ると思います」と答えますと、
釈尊は、「私も受け取らずにいるから平気だ」。
実際に、釈尊を呪詛した先生たちは、ばたばたと消えていかれました。

釈尊は、呪詛だけでは無くて、コノ世の苦しみも同じだと言われました。
* コノ世に苦しみは必ず在る。
* でも、自分が苦しみを受け取らなければ、コノ世は一切歓喜(いっさいかんき・すべて喜び)の世界でもある。
* 人は、自分が何に着目するかで、「住む世界が変わる」のが真理なのだ。

不倫に着目して暮らすのか、金儲けに着目か、他人をイジメることに着目か、
他人を喜ばすことに着目か、家族のために生きることに着目か、仕事に生きることに着目か。
人は、自分が好んで見るモノの中で暮らすことに成ります。

自分や家族に不幸が有りますと、
「どうして自分になんだよ!」
と苦しむのが人間です。
その不幸を解決するための苦労に苦しみます。

私にも日々いろいろな心配や苦労の種は起こります。でも、それに関して自分が出来ることをやり切った頃には、無事に通り越して終わっているか、まだその問題が継続していましても、もう心配の種では無いのです。

自分がその苦労に対して、本当に出来る努力をやり切ったならば、
「成るように成れ」と自然と素直に思えるものです。その結果への執着が消えているのです。
その問題は、もう苦しみでは無くなっています。

自分に在る苦しみが、無くならないからと心配や右往左往しては生けません。
* 苦しみは在るが、自分の心までは傷めない決意。
* 苦しみを、心にまで受け取らない決意。
* 苦しみだけを、見続けない決意(家族や他に見るべきことが有ります)。

この継続の中で、「それでも自分は生かされている」という感謝に気付けますと、
* コノ世の一切が、実は自分のための歓喜(喜び)だったことに自分で目覚める時が来ます。

聖者ラマナ・マハルシも、地球の汚染を受けて、身代わりとなってガンを患っていました。
でも最後まで平静で穏やかな微笑みの中で去りました。彼は、
* 苦痛は有っても、心には受け取らないからまったく平気だ。
という示唆を残しています。

私たちは見えるコノ世の世界に比重を置きますが、
* それを受け取るのは自分の心一つなんだ。
ということを再認識して置きましょう。
本当は、心しか実在していないのが真理なのです。これ以外は、消えて行くものばかりなり。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/17(火) 13:03:34|
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すべては感謝の気持ちから「生まれる」のです。 お金でさえも、感謝の気持ちから、仕事や商売の態度が変わり収入がより生まれるのです。 * 宇宙は感謝の気からビッグバン(無⇒有の転換)が発生した。 という真理を覚えて置いてください。 これは、すべてに貫徹する法則であり、何かを生み出すことに利用も出来るのです。

幻想の中だから、何も心配せずに、思いっ切り善行バカに成れる
2017-01-15 11:13:11 | Weblog
今から400年近くも前に生まれた、イギリスの有名な大科学者ニュートン(現代の微分積分学もニュートンが発明)は、万有引力を始めとして現代にも通じる多数の大発見をしたのですが、物理・数学・宇宙科学の発見をするに従って、神を意識しない普通の人だったのが完全な有神論者と成ったそうです。
数式の奥に、「完璧な存在」が実在することを認めざるをえないという根拠からだったようです。

ある時に、ニュートンの知人で頑固な無神論者の科学者が部屋に遊びに来たそうです。神などいるわけが無い、という人です。
その時に、太陽系の惑星の動きがダイヤルを回すことで各惑星が歯車で移動する地球儀のような宇宙模型が置いてあったそうです。

その精巧な造りに驚いた知人は、「これは誰が作った模型だ?」とニュートンに聞きました。
するとニュートンはその模型を指差して、
* 自然とそこに発生した。
と返答しました。当然に知人は、「バカにするな」「誰が模型を作ったんだ?と聞いているのだ!」と怒りました。

ニュートンは彼が頑固な無神論者だと知っていましたので、
「では君は、この宇宙を誰が作ったのか、問うたことがあるのかね?」
「君の考えでは、宇宙に創造者はおらず、かってに発生したのだろ?」
「だからこの模型も、かってにここに発生した。これが君が出している答えと矛盾するのかね?」

すると知人は押し黙り、後に有神論者に変わったというエピソードでした。
私達人間の悪い癖は、
* 既に存在するもの、自分に有る物は、有ってアタリマエとして疑問も持たず・感謝も忘れること。
* 人間は、動物たちにしても、大自然にしても、家族にしても、伴侶にしても、金銭にしても、自分がそれを失くすまで、その有り難さにも、それが有る奇跡にも気付け無いサガを持つこと。


自分が何かを失くすまで、その存在の貴重さに気付け無いとは、悲しいものがあります。愚かなことかも知れません。
これを防ぐ為には、普段から「自分は生かされている」という本当の大前提への感謝を忘れないことが大切なのです。


すべては感謝の気持ちから「生まれる」のです。
お金でさえも、感謝の気持ちから、仕事や商売の態度が変わり収入がより生まれるのです。
* 宇宙は感謝の気からビッグバン(無⇒有の転換)が発生した。

という真理を覚えて置いてください。
これは、すべてに貫徹する法則であり、何かを生み出すことに利用も出来るのです。


ここで更に思い出すことは、宇宙の新発見は、研究努力の御蔭、機材の進歩、施設の充実化、などと考えて疑問を残す学者はいませんでした。
しかし、ここ10年間の機材の性能を考えますと、既に高いレベルに設備がもともとあるのに、次々と宇宙の「新発見」が起こること自体に疑問を感じる研究者が出始めました。

既にシステム的に見落としが無いはずなのに、多数の研究者が世界中で同時に宇宙の同じ箇所を見ていたにも関わらず、なぜか、誰かが新発見をします。そこを見ていたはずなのに。
指摘されてから確認しますと、確かに既に存在します。

これを量子力学の発展から、
* 人が観察することで、データは変化する。
という実証がされ始めて、宇宙の研究はまさに、

* 多数の研究者が宇宙を観察することで、変わった。
* この宇宙は、多くの人間が想像力を持って観察するほどに変化する存在だった。

このことを今の最新の宇宙論では、量子力学の見解だけではなく、
「宇宙のホログラム理論」(ある原型に光を当てた反射の幻想体が宇宙だった)
として考察と証明が始まっています。

私たちは、コノ世で喜怒哀楽に苦しみ・楽しんでいますが、そのすべてがアル原型(神様)に光を当てた反射の中で、「私達が遊んでいる」と考えてください。
都会に在るユニバーサル・スタジオ施設のような3D映像の中で、幻影の中で、人が喜怒哀楽をしている可能性。

これに生きる間に、気付けますと、
* もっと真剣に生きれば良かった。
* 他人を助ければ良かった。親に感謝すれば良かった。
* 他人を恨む必要は無かった。

なども自分で気付けます。
今日も、自分の「行動」と「思い」の反射で出現した生活の中で、遊び・感謝をして見ましょう。
今の中で感謝の気持ちを出すことで、未来にホログラムの反射が生まれ、色々なものが与えられます。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/15(日) 13:09:20|
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社会では、イジワルされる理由を一々と誰も教えてくれない。 神仏は、過去生もフタをして教えてくれない。 つまり、分からない中でも、その人は頑張ることが出来るのか?否か? これを誰もが問われており、どうするのか? 何をするのか? 自分の本音・本性を誰もが試されている・「観察されている」という霊的な真相を知って置いてください。 コノ世の一切にムダは無いのです。 だから無心で、過去の理由を問わずに、今日に出来ることを頑張って見ましょう。 この実践が自分に教え、先行きを導き、過去の理由にも気付かせることが起こることもあります。 明るく頑張れば、すべては最善に向きます。

理由が分からない中でも、頑張れるのか? 誰もが試されています
2017-01-13 11:27:50 | Weblog
社会の中で働きますと、会社でも、バイト先でも、「無視」「仲間はずれ」「シフト・配置などでイジワル」をされることがあるものです。

その理由の大半が、その職場での「常識」に、
* 自分が気付いていないから、
* 合わせていないから、
という側面もあることを想定して見ましょう。

社会は学校とは違い、怒られる・嫌がられる理由までも親切に説明してくれる人はいない、と思ったほうが良いです。
説明もされずに、いきなり、
* ダメなやつ。
* 言ってもムダな人。
と職場で判断されて、上記のような「無視」をされることが多いものです。

* 一言の理由を言って、自分に怒って来る嫌な同僚や先輩こそが、実は親切な人だった。
という視点も知って置きましょう。

では職場では、どんなことに注意すれば良いのか?
* 同じことを何度も聞く。
* 逆に、必要なことを質問・確認しない。
* 返事をしない。
* いつまで経っても仕事が遅いままであり、努力の様子が見えない。

こういう面が自分にありますと、社会では誰も注意してくれずに、理不尽な態度や対応をされることがありますから注意します。

でも、こういうこと「全てが」最高の霊的な修行なのです。
社会から隔離された食事付きの環境の中で、呪文を何万回唱えたところで、写経したところで、何の霊的な成長も変化も改善も起こりません。まったくのムダな時間の浪費です。
* 自分が逃げているに過ぎないことなのです。

理不尽で不平等な社会の中で、色々な誘惑に満ちた中で、その中でも折れずに苦悩しながらも、明るく努力することが、本当の霊的な成長を魂に起こします。

霊的な真相は、コノ世の苦しい環境でも、病気の中でも、
* 明るく受け止めて、それでも出来る努力をする人。
* それでも、先祖や神仏に生かされている感謝をする人。
このような人は、非常に大きな霊的な宝を入手する可能性の有る人です。

コノ世での苦しみは、それに対して心が負けなければ、アノ世では10倍の霊的財産に変わります。
アノ世での環境、来生の条件を決めて行きます。
コノ世で他人を苦しめた上での成功は、アノ世ではその10倍の霊的借金に変わります。
その魂の来生が、その借金を返すために悲惨な条件で生まれましても、神仏は公平な視線で愛情から無言で見守っています。

人間とは、今の自分には知ることが不可能にされている過去生を持つがゆえに、
* コノ世は不公平。
* 神も仏も居ない。アノ世は無い。
と「今の期間だけを見て」思う人が多いのがコノ世の社会です。

とにかく言えますことは、
* 過去生が不明にされているのは理由がある。だから今生も含めて自分の過去にこだわらずに、
* 今だけを懸命に見て、とにかく今の中で頑張ること。
これが今生もアノ世でも最善にします。

社会では、イジワルされる理由を一々と誰も教えてくれない。
神仏は、過去生もフタをして教えてくれない。

つまり、分からない中でも、その人は頑張ることが出来るのか?否か?
これを誰もが問われており、どうするのか? 何をするのか?
自分の本音・本性を誰もが試されている・「観察されている」という霊的な真相を知って置いてください。


コノ世の一切にムダは無いのです。
だから無心で、過去の理由を問わずに、今日に出来ることを頑張って見ましょう。
この実践が自分に教え、先行きを導き、過去の理由にも気付かせることが起こることもあります。
明るく頑張れば、すべては最善に向きます。


※ 1月13日金曜日。奇数・素数・13日の金曜日。
防災意識で静観。東北・千葉沖が反応中。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/13(金) 19:39:48|
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人の人生は、どの転生(生まれ変わり)でも、生(性)老病死のパターンを体験し苦しみ、誰もが去る決まりです。 いつもの神社の参道と同じように、どの人生の道のりもパターンの大体が同じです。 生(性)老病死を外れることがありません。 でも、人は人生の先行きを知りたがります。 しかし、知っている神社の参道の先行きを知りたがる人はいません。 居ないどころか、参道の風景をろくに見ようともしないし、淡々と本殿(ゴール)に向かって歩くものです。 結局、私が何を言いたいかと申しますと、 * 神社の参道=人の人生、を表すこと。 * 人の人生も、誰もがどんなに心配しようが、先を知りたがろうが、生(性)老病死に向かって行くのだから慌てるな、心配するな、ということなのです。 * 誰もが刻一刻とゴールに向かって今も歩いている最中です。 だから、参道(人生)の細部の景色の違いを、よく見て楽しみましょう。 ゴール「生(性)老病死」に着くのは決まっていることだから、怖がらなくても良いし、過剰な心配をしないことです。

誰もの人生は「預(あず)かり」経験をしている最中
2017-01-12 11:15:37 | Weblog
多くの人々が初詣に行かれたと思います。
普段は何気なく歩いている参道は、季節ごとに見える風景が違うものです。

雪が降れば、純白の白一色。
夏は青葉が勢いを増し、山が何かを主張している。
秋は枯れ葉が舞い、黄色い黄昏(たそがれ)の世界。

そして初詣は、人・人・人で埋まります。
帰りの参道の出口では、屋台がずらりと並びます。
毎年の初詣の帰りは、神社に出る屋台で家族がタコ焼きを必ず買う習慣です。そして駐車場の自家用車の中で食べます。

朝昼晩のおせち料理に飽きた頃のタコ焼きは、濃いソースまみれ・マヨネーズまみれなのですが、なぜか美味しいと感じてしまいます、笑。
いつも知った神社の参道でも、行くたびに風景の細部は違うわけです。
これに気付いていますか? 参道の違いを意識したことがありますか?

ところで、人の人生は、どの転生(生まれ変わり)でも、生(性)老病死のパターンを体験し苦しみ、誰もが去る決まりです。
いつもの神社の参道と同じように、どの人生の道のりもパターンの大体が同じです。
生(性)老病死を外れることがありません。


でも、人は人生の先行きを知りたがります。
しかし、知っている神社の参道の先行きを知りたがる人はいません。
居ないどころか、参道の風景をろくに見ようともしないし、淡々と本殿(ゴール)に向かって歩くものです。


結局、私が何を言いたいかと申しますと、
* 神社の参道=人の人生、を表すこと。
* 人の人生も、誰もがどんなに心配しようが、先を知りたがろうが、生(性)老病死に向かって行くのだから慌てるな、心配するな、ということなのです。
* 誰もが刻一刻とゴールに向かって今も歩いている最中です。


だから、参道(人生)の細部の景色の違いを、よく見て楽しみましょう。
ゴール「生(性)老病死」に着くのは決まっていることだから、怖がらなくても良いし、過剰な心配をしないことです。

「未来は白紙」とは、参道の細部の景色が毎回違うことと同じレベルです。
だから、その違いを逆に楽しむのです。
そして、大切なことは、

* 参道=母体の産道であり、人は参拝するごとに「生まれ直す」ということ。

特に伊勢神宮の参道は、どの御宮も「魂の産道」としての「生まれ直し」「若返り」「魂のククリ直し」の機能を今も確実に維持しています。
大昔は、どの神社も「参道=産道」の機能を有していたのですが、これを維持する掃除が出来てはいません。

どの地域でも、森の中の参道を保有し、人の掃除(払い・祓い)の労力の気が入れば、参道は産道に成っています。
東京では、人工林ですが、明治神宮の参道も「産道」が示現しています。
一番に価値と意味が有るのは、このような参道だと知って置いてください。
歩くだけでお祓いに成っています。

人が勝手に付けた御祭神の名称などは関係無いのです。神社には、大自然の神気が飛来して宿るのです。地球の息吹と言っても良いです。
ただ、地域により個性を持つのです。

ちなみに伊勢神宮内宮に宿る神気の息吹は、大変な肝っ玉母さんです。
いつも「頑張れ〜〜」と詣でる参拝者の全員に神気の息吹の風を吹かせています。

人は、いつでも今でも、心が生まれ変わり、生まれ直し、若返りが可能です。
心とは、そういう不死の生き物です。
誰もの心は、神さんの大切な分霊です。これを今の自分が「預からせて頂いている」のが霊的な真相です。

誰もが死後の世界に入れば、この貴重な「預かり」経験をしていたことに気付き、気付けなかった自分(自我)の今回の人生を後悔します。
後悔しない為にも、今の人生を思いっ切り楽しみ、感謝して暮らしましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/12(木) 22:49:58|
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* 人生に勝敗なんて無い。誰にも、決められない。 * 過去は引きずるな。 過去なんて、直ぐに忘れてしまえ!(1)「人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、 スーッと楽にもなれるんじゃないかな」人は、上から目線で物事を見ると、考えると、すべてが苦しく成って行くのです。自分自身を最下方に置けば、全てを許せるのです。 「それで、いいのだ〜」 とすべてが帰結するのです。* 自分が苦しい時は、自分自身を最下方に置いて、下から目線で周囲・物事を見直すこと。 * 全ては、「これで良いのだ」と究極の下から目線で思って見ること。 これを極めれば、なぜか笑いが出て来るのが人間なのです。 もし笑いが出て来ない人は、まだまだ目線が高いです。 今の自分が地獄に居ると思えば、後はすべて天国しか無いわけです。 今日も、「それで良いのだ」と全肯定で暮らして見ましょう。立派なアホに成れます。

お笑いと南無阿弥陀仏
2017-01-07 11:16:14 | Weblog
元旦のニュースに、タモリ氏が国民的アイドルグループに向けたメッセージが直筆文の写真入りで報道されていました。
その達筆で優しい感じの字に、まず非常に驚きました。

過去生に九州の山々で修験道に励まれた境涯は、今生では「優しさ」「ナイーブ」「人生、下から目線」となって現れていると、私個人的には勝手に夢想しております。

報道されていた、その贈る言葉の一部が、
「人生に勝敗なんてないし、どっちがいいとか悪いとか、そんな判定みたいなことなんてどうでもいいんだ。
大切なこと、それは引きずらないことだ。
乾杯すれば、それで仲良し。やったことはすぐ忘れる。それが大事。
人間なんて、そんなものだ。」(以上)

とても良い内容です。
まさに人生、過ぎ去れば夢のごとく。兵(つわもの)どもが夢の跡。誰も悪くなかった。
と浮かびます。

* 人生に勝敗なんて無い。誰にも、決められない。
* 過去は引きずるな。 過去なんて、直ぐに忘れてしまえ!
* 乾杯して飲めば、それで終わり。みんな仲良し。
* 人間なんて、単純が最高さ。


とも響いて来ます。
この御方の過去の発言にも非常に面白いものがあります。

(1)「人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、
スーッと楽にもなれるんじゃないかな」


(2)「人見知りをしない奴は嫌いだ」

(1)は、まさにこれこそが親鸞(しんらん)さんの教えの極意です。
人は、上から目線で物事を見ると、考えると、すべてが苦しく成って行くのです。
他人を見ては、こうで有らねばならない。
自分はダメだ。
と成るものです。

そうではなくて人は、下から目線で全てを見ることで、誰もが極楽浄土へ行くと示唆されたのが親鸞さんです。

自分自身を最下方に置けば、全てを許せるのです。
「それで、いいのだ〜」
とすべてが帰結するのです。
だから親鸞さんの思想には地獄も存在せず、極楽浄土(天国)1つしか存在しません。

だから人の死も、「天国に逝かれた」と安心して受け入れ、すべては阿弥陀如来1つの現れ・リーラ(遊戯・お遊び)として受け入れます。
今の自分が究極の下から目線で見れば、自分が最下方の地獄に居る人間だと思えば、死さえも阿弥陀如来の世界へ逝かれたと安心して祝福するわけです。

今の自分が良い生活をしていて、天国に住んで居ると思えば、死者を「かわいそうに」と思うのかも知れません。
とにかく親鸞さんの目線とは、生半可では無い徹底的な下から目線ですべてを見ます。

(2)は、「悩まない奴は嫌いだ」「コンプレックスを持たない奴は嫌い」
「デリカシー(心配り・遠慮)がない奴は嫌いだ」
とも響いて来ます。
ここに、氏の優しさを感じます。
また、苦労人だとも思います。

植木等さんにしても、タモリ氏の発言にしても、お笑いで大成する人には親鸞さんの「南無阿弥陀仏」を私は感じます。
それも、なかなか高度な南無阿弥陀仏をです。

以上の話から私が言いたいことは、
* 自分が苦しい時は、自分自身を最下方に置いて、下から目線で周囲・物事を見直すこと。
* 全ては、「これで良いのだ」と究極の下から目線で思って見ること。


これを極めれば、なぜか笑いが出て来るのが人間なのです。
もし笑いが出て来ない人は、まだまだ目線が高いです。
今の自分が地獄に居ると思えば、後はすべて天国しか無いわけです。
今日も、「それで良いのだ」と全肯定で暮らして見ましょう。立派なアホに成れます。


(伊勢白山道)
  1. 2017/01/07(土) 13:32:50|
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健康情報:* とにかく食べる量は無理せずに、バランス良く食べるオカズの種類を増やすこと。 栄養の種類さえ肉体に提供しておけば、後は本能がかってに最善の消化・合成活動をしてくれます。* 普段でも腹式呼吸で暮らす癖を持つこと。 * 睡眠時間は最低でも8時間を厳守。 * 睡眠時の酸素吸入量が非常に重要。これは心臓と脳の死活問題に直に影響します。私は最近に、 「イビキ予防/呼吸補助・鼻腔拡張器」。無意識状態での酸素の供給量が大切

若者、特に若い女性が突然死をしないように今年からは注意
2017-01-06 11:10:09 | 健康アレコレ
今年の動向として気に成りますことは、

* 若者の突然死が増える。ということが啓示されます。

その原因が、
* 幼児〜十代までの食事の偏食(かたよった栄養の食事、食べる種類が少ない)。
若い親の世代の中には、普通の食事も作ることをしない、作り方も知らない、世代が増えているようです。
コンビニのオニギリやパンと、スナック菓子が主食だった若者。

* 裕福な、高貴な家庭の子女でも、外見を異常に気にするために、小学生の頃からダイエットをした若者。

* 十代に拒食症の時期が有った若者。

このような経験を持つ若者は、これから突然死に注意する必要を非常に感じます。
世代的に、年代的に、今年から示現すると感じます。
これからの日本経済を支える世代であるだけに、国の未来にも心配な問題です。

特に女性が十代でダイエットなどをしますと、生殖機能の低下、不妊、の傾向に成ると思います。
だから女性は、二十歳までは思いっ切り食べて欲しいです。
デブでも良い、たくましく育って欲しい。

成人すれば、徐々に絞って行くことで、美しい女性美を持つことができます。そして、楽しい夫婦生活の家庭も持てるように成ると思います。
同窓会で聞く話は、学生の時に太っていた女性の方が、30代以降は特にキレイに若く成っていると聞きます。
学生の頃にダイエットをして細くて美人だった女性は、別人のように老化が早く病気がちのようです。

これは、テレビによく出る・取り上げられる有名人の若者にも起こることです。
若い頃からテレビに出ていますと、やはり外見を過剰に意識して、芸能人、超有名人・・・・は無茶なダイエット、拒食症ぎみな生活をするのでしょう。

もし今の時点で気付いて、改善したい若者がいれば、
* とにかく食べる量は無理せずに、バランス良く食べるオカズの種類を増やすこと。
栄養の種類さえ肉体に提供しておけば、後は本能がかってに最善の消化・合成活動をしてくれます。


* 過剰な運動は突然死に繋がりますから、スローなストレッチ、自体重を利用した運動で体幹(体内軸)を強化すること。これは肉体を真から強くします。

* 普段でも腹式呼吸で暮らす癖を持つこと。
* 睡眠時間は最低でも8時間を厳守。


* 睡眠時の酸素吸入量が非常に重要。これは心臓と脳の死活問題に直に影響します。私は最近に、
「イビキ予防/呼吸補助・鼻腔拡張器」

(柔らかい素材だから、とにかくMサイズぐらいの大きめがヒントです。Sサイズでは機能しないかもです)

このようなものを装着して寝ています。翌朝からの感覚が違います。
ある女優さんが、睡眠時無呼吸から脳に障害が出て、鼻に長い管を挿入して寝てから改善が始まったという番組を見ました。

やはり無意識状態での酸素の供給量が大切です。
突然死と睡眠時の酸素の供給量は関係しないか? 非常に気に成ります。
とにかく若者には、食べる量は別として、種類をバランス良く多く摂って欲しいのです。
そして、「良い睡眠」が大切なのです。

貴重な日本の若者ですから、周囲の大人も注意して見ましょう。
以上の話は、中年以降の人々にも、非常に大切な健康な老後を生きる為に必要なことです。
あくまでも参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/06(金) 13:04:19|
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自分の心の安定化は、意識することで可能。大勢の人が居る喧騒を好んで、あちらこちらへと歩き回らないこと。 他からの刺激に心が乱されることが無いように、自分の心が防御されている姿勢で常に居ること。 自分の自我(ワレヨシな・怒り・妬み・嫉妬・色情・欲・・・)が他人に出ないように自分でコントロールしていること。 他人の自我の影響も受け取らない心境で居ること。

自分の心の安定化は、意識することで可能
2017-01-05 11:29:33 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
目の視線は常に静かにして、斜め下方を見て虫を踏むこと無く歩き、常に斜め下方の視線で座ること。

大勢の人が居る喧騒を好んで、あちらこちらへと歩き回らないこと。

他からの刺激に心が乱されることが無いように、自分の心が防御されている姿勢で常に居ること。

自分の自我(ワレヨシな・怒り・妬み・嫉妬・色情・欲・・・)が他人に出ないように自分でコントロールしていること。

他人の自我の影響も受け取らない心境で居ること。


どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.63)

(感想)
これをただ読みますと、
「釈尊が堅苦しい生き方、つまらん生活を勧めているぞ」
と思われるかも知れません。
でもこれこそは、現代社会で精神を病まない為の最高の極意を釈尊が教えてくれています。

まさに未来社会に、心身を病む人が増加することを予見していたかのような最高の教えです。
この項の中には、
* 禅の極意。
* 仏像の視線の意味。
* 生活の中での立ち振舞い。
* 精神を病まない生活方法。
これらが凝縮されています。

(1)目の視線は、常に斜め下方で居ることが良いです。

でもこれは、自分一人で居る時だけにしましょう。学校や職場では、正面を大きく見て、相手に不快な思いをさせないようにしてください。

これこそは、禅の視線であり、仏像が表現する視線であり、最高の集中力と、他からの霊的な憑依を防御する視線なのです。
* 霊の憑依は目からも入る。
ということを知って置いてください。
異性からの色情のスケベな火も、目から入るので女性は注意しましょう、笑。

斜め下方の視線では、まず霊の侵入は目からは難しく成るのです。ただ、首の後が開いて注意に成ります。
そこで禅では、背中を棒で叩き祓う警策(きょうさく)を視えないが感覚から実践されています。

これを釈尊が述べていたことを知る人は少ないです。後世に生まれた所作・視線だと思うものです。
釈尊は禅定(ぜんじょう:心の活動が一切停止すること)に入られますと、丸1日でも半眼のままの御方でした。排尿も、脈拍も、呼吸もすべての活動が冬眠状態のように限りなく弱く成ります。
現代医学の医師が瞳孔を確認すれば、非常に危険な状態の判定が出されるかも知れません。

(2)自分が他人の心を乱さない姿勢・生活を心掛けて、自分も他人の所作・行動に心が乱されないように注意していれば大丈夫だと言うこと。

このことを現代人がわざわざ意識をしていないと、
* 自分の心が他人の所作を一々と気にする。
* 自分も他人に不快な態度を無意識にしている。
ことに成りがちです。

自分で常に、
* 「他からの影響を自分は受けない・受け取らない」
ということを日々の生活の中で自分自身に言い聞かせて行きます。


これを意識するか、しないか、でやはり人の精神状態は変わって行くのです。
人間の心は生き物なのでが、表層意識はかなり機械的な反応を示し、意識のプログラミング注入が機能すると思ってください。

これを悪用したのが洗脳です。
つまり自分の意識に言い聞かせることは機能する・有効だという証拠です。
やはり人は、知人を選び、読む本を選択し、見る物事、テレビ番組も選択する必要がありそうです。


目の視線にしましても、「そんなことぐらい」が想像以上に人には影響しています。
テレビ・映画などの映像で問題視されるサブリミナル効果(意識的に隠されている見えないはずの画像が無意識下に入ること)がこれを証明しています。

絵画にしても、下地に塗り隠した呪詛の絵が機能することが、他人を貶めるための権謀術数(けんぼうじゅっすう)として古来から存在することです。
天才・レオナルド・ダ・ヴィンチが、下絵に隠している図柄は、表面に描いた絵とはまったく異なることが多いようです。

この項の主旨は、常に自分の心の安定化に注意して、輪廻(りんね:生まれ変わりの循環)から自由に成りましょうということです。
この項の注意点も知って置き、自分の心の安定化を図ってコノ世を楽しみましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2017/01/05(木) 14:00:52|
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