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集団ストーカーと電磁波攻撃Ⅱ【自分用のデータ保存】

こちらのサイトはあくまで私的なものです。 自分用のデータ保存のためのブログです。

殺されかかってます。


いつまでも少年の心を忘れずにいたい

・火事も起こそうと狙ってますね。
・無理な言いがかり・因縁付け(2014/11より虚偽の電話を警察にしている 部屋で暴れていると嘘の電話 毎日警察官が来る 多い日は1日に朝、晩2回 3ケ月続く)⇒被害届⇒逮捕させるという流れ
・瞼の裏に腫瘍を作る電磁波照射
・目への電磁波照射 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
・左の頭への電磁波照射⇒右半身不随 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
  1. 2020/02/13(木) 22:18:03|
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・ 苦痛も、悪い意味だけでは無いこと。 ・ 自分の執着を断ち切らせる、大いなる恩寵(おんちょう:神様からのプレゼント)である。 ・ ただの苦痛は一切なくて、すべて善意で起こることである。 人間に起こることに、一切の無駄は無さそうです。 神様がなさることは、どこまでも完璧だったのです。 もし今の仕事が苦しければ、家庭が苦痛ならば、勉強がイヤイヤならば、 その苦痛も自分の何かを昇華・消化・解放させるためであり、未練を絶つためであり、 一切のムダは無いことを信じて欲しいのです。

苦痛も、自分自身のためだった
2018-11-17 11:59:48 | Weblog
ドイツの偉大な哲学者、ニーチェの言葉に、

「 大きな苦痛こそ

精神の最後の解放者である。

この苦痛のみが、

われわれを最後の深みに至らせる。」  (以上)


生物として、最後の臨終を迎える時に、大きな苦痛に顔を歪める人も中にはおられます。
それを見ている家族は、色々と心配します。
「お父ちゃんは、何か悪いことでもしたから、こんなに苦しむんだろうか?」
「成仏出来るのだろうか?」
と心配します。

これは個人差が大きな問題であり、その苦痛の意味は人により様々です。
死ぬ間際の苦悶の表情の意味、

・ その1:
本当に今生で自分が犯した罪が大き過ぎた場合、人は死ぬ直前に、走馬灯のように連続で短時間(1分間ほど)の内に、人生のすべての罪を脳内で見せられる現象が起きます。

実験では、その最中の人間を特殊なカメラで撮影しますと、美しい青い色で頭部が微かに発光している様子も撮影されています。
脳内で起こる記憶のフラッシュバックは、頭部表面にまで光が漏れ出るほど強烈な現象のようです。

ちなみに、死ぬ間際の「青い光」は、ミジンコや線虫など昆虫類でも、紫外線を当てて観察した時に確認されており、生命体が死ぬ時に解放されるエネルギーに関することだと感じます。
(イギリス・UCL大学による『PLOS Biology』誌への論文など)

臨終の際に、過去の罪を凝縮して連続で思い出している人の表情は、苦痛に歪む人もいれば、閉じた目から涙が溢れ続ける人もいます。

・ その2:
コノ世や家族への執着が強すぎて、「まだ死にたく無い」という死との苦闘からの苦痛の顔。
コノ世とは不思議な次元であり、コノ世への執着が強いほど、生物として脳内で苦痛も増すように出来ているのです。

だから、この場合の人は、ある意味で執着するほどコノ世の人生が良かった人だと言えそうです。
ある意味で、幸福が過ぎたのです。

逆に、不幸な人生の人ほど、コノ世への執着は無いのです。
臨終の際は、ニコニコとして「やっと終わる〜」と解放感に満ちた笑顔かも知れません。
つまり、生きる私達は、臨終の時の人物の苦悶の表情を見れば心配しますが、

・ 苦悶の表情の人ほど、苦労知らずの良い人生過ぎた。コノ世に執着するほど、人生が良かった人。まだ苦労するべきこと、謝罪するべきことが残っていた人。
・ 本当に、今生で犯した罪が大きい人。
このように言えます。

次に、死に顔が、幸福な笑みに包まれた御顔の人は、
・ 人生で大変な苦労をして、もうやり切った、生き切った、と人生に未練が無い人である。
ある意味で、不幸で辛い人生だったかも知れません。
知らない次の世に逝くのも、大いに結構な御方。

・ すべてに満足して、良心に恥じることも無く、思い残すことも無く、感謝の気持ちでコノ世への執着も無い御方。

以上のように、死ぬ時の顔について言えます。
ここで最初のニーチェの言葉に戻りますと、
・ 苦痛も、悪い意味だけでは無いこと。
・ 自分の執着を断ち切らせる、大いなる恩寵(おんちょう:神様からのプレゼント)である。
・ 痛みと解放という、落差体験で天国に誘導するために。
・ ただの苦痛は一切なくて、すべて善意で起こることである。


人間に起こることに、一切の無駄は無さそうです。
神様がなさることは、どこまでも完璧だったのです。


もし今の仕事が苦しければ、家庭が苦痛ならば、勉強がイヤイヤならば、
その苦痛も自分の何かを昇華・消化・解放させるためであり、未練を絶つためであり、
一切のムダは無いことを信じて欲しいのです。


人生とは、苦痛を感じながら、自分の執着を無くして行く旅だとも言えそうです。
苦痛をも楽しみながら、人生を過ごして見ましょう。


生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/18(日) 12:21:39|
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大きな神様の前では、自分の細かい願いなどは言わなくても叶うのです。それも、すべて丸ごとです。 ただし、自分だけのこと、を願う人はダメなのです。だからもうテクニックとして、作法として、神前では「何か全体のこと」を素直に思っているのが最善です。 それが良い内容ならば、伏せていた自分の願いは勝手に自然に叶えられて行くのが、正神の現れ方です。交換条件も有りません。

素直って、いいなあ〜〜
2018-11-15 11:46:46 | Weblog
素直(スナオ)とは、お得(善徳)だなと今朝に思いました。
素直の意味は、
・ ありのままであること。
・ 飾り気のないさま。
・ 穏やな性質・態度で、ひねくれていないさま。
・ へそ曲がりでは無いこと。

素直の漢字を観ていますと、
・ 素に直面すること。
・ 素に向かい合うこと。
と浮かびます。

ここで、「素=神様」と読み替えますと、素直とは
・ 神様と、直に向き合うこと。
・ 素直に成るほど、神様に近付く。
・ 素直とは、神様に直接に会うことに至る。
このように感じます。

だから神社に参拝する時も、素直に手を合わせることが大切です。
参拝する時に、神様に色々な私的な頼みごとを聞かせるのは、素直な参拝でしょうか?
素直どころか、油ギトギトな思いを捧げています。
これでは叶う訳がありません。

・ 正神に対して、素直に成って、生かされて来たことを感謝します。
・ これからも、精一杯に生きることを、神様の前で思います。
このような参拝だけで、もう十分です。

ただ、日本のすべての神社の親神である伊勢神宮に参る時は、もう1つ、特別な思い方の参拝方法が有ります。
外宮、内宮、に参拝する時は、
・ 私は、多くの人々のために成ることをしたいです。
・ 私は、日本と、地球のために良いことをしたいです。


私が大学生の頃に、このような4つの思いで内宮に参拝した時に、「分かった」という思いが返って来たことが有りました。

今でも内宮に参拝しますと、多くの参拝者一人ひとりに、福よかな女性の声で、
「あなたは、何をしたい人なの〜?」
「国のために、何をしてくれる人なの〜?」
と呼びかける様を幻聴します。


大きな神様の前では、自分の細かい願いなどは言わなくても叶うのです。それも、すべて丸ごとです。
ただし、自分だけのこと、を願う人はダメなのです。

公平な正神が、個人欲に加担する訳は無いのです。

個人欲に加担するのは悪魔だけです。ただし、高金利です。
後から必ず高額な請求書が来ます。
家族も含めて、取れるものは何でも持って逝かれます。

だからもうテクニックとして、作法として、神前では「何か全体のこと」を素直に思っているのが最善です。
それが良い内容ならば、伏せていた自分の願いは勝手に自然に叶えられて行くのが、正神の現れ方です。交換条件も有りません。


素直であれば、上記のようなテクニックも不要です。
善意の気持ちで、ただ南無阿弥陀仏、ただ南無妙法蓮華経、ただ大祓詞を奏上すること。
ただ、「生かして頂いて 有り難う御座います」と神前で思うこと。
素直な気持ちで思えば、1つなる創造神に通じます。

これから水晶のような世の中が始まります。
膿(ウミ)を出すべきならば、隠れていた膿が出ることでしょう。

正神に感謝だけの参拝をした後に、もし破談になることがあれば、それが最善だったと後から分かります。
出るべき病気があれば、早めに出ることでしょう。

すべては最善に向かうための、大峠が来年から始まります。
その中に在っても、素直であれば、すべては自然と通り過ぎます。
素直のスは、スサノオ神の素です。すべてを祓い清めます。
素直に成って生きて見ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/16(金) 22:55:44|
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気が抜けない仕事とは、まさに信仰であり、それを行う人は修行者なのです。 そして老子は、代表者ほど、自分の仕事はただの仕事では無くて、信仰を行っていると思ったほうが良いと、この章で示唆をしています。 自分の仕事を信仰にまで高めることが、競技のアスリートにしても、会社の代表者にしても「長く継続するには」必要だと感じます。 中途半端では、継続は出来ません。


信仰の意味は、広いです
2018-11-16 11:59:23 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第五十四章『老子が先祖供養を絶賛する』

「老子の人生論」第五十四章

しっかりと正しい信仰を持つ者は、引き倒されることは無い。
しっかりと正しい信仰を胸に抱く者は、道を外れることが無い。
そうすれば、その子孫も、その祭事を続けて絶やすことが無い。

正しい信仰を個人の身に修(おさ)めますと、その人の人徳がより充実します。
家の代表者が、正しい信仰を持ちますと、その家は豊かに繁栄します。

村の代表者が正しい信仰を村内で行いますと、その村の成長は継続します。
地方全体を治める者が、各地域で正しい信仰を修めますと、その地方は繁栄します。
国家全体を治める御方が、正しい信仰を維持しますと、その恩恵は民衆の生活の全体に行き渡ります。

つまり、それがどんな信仰かと言いますと、
「自分を観察するという信仰」によって、自分自身をよく観察することに成ります。
「家を代表するという信仰」を行うことによって、自分の家をよく観察することに成ります。
「村を代表するのだという信仰」を行うことによって、その村をよく観察することに成ります。
「地方全体を治める責任感という信仰」を行うことによって、その地方全体をよく観察することに成ります。
「国家全体を治めるための信仰」を行うことが、その国の全体をよく良く観察することに成ります。

だから私(老子)は、何によって国家全体の現状と未来・行く末(いくすえ)のことが分かるのかをタネ明かしをしますと、
「国家全体を治めるための信仰」を行う御方が、その信仰をしっかりと行っているか否かを観察することによって、分かってしまうのです。

(感想)

老子が何を信仰していたのか?
老子が書いた文章には「道」とだけ表記されて、それが何を指すのかは話の内容ごとに、様々な意味を持たせています。

その大半は、道=道徳、を意味します。
しかし、ここでは、
・ 正しい信仰=その信仰の対象をよく観察することに成る。
という示唆がされています。

たしかに仏教を信仰する人は、釈尊に関することは一言一句漏らさずに、非常によく観察しています。
キリストを信仰する人は、聖書の隅々までキリストのイメージを観察するように読み込んでいます。
たしかに、信仰=その対象を観察すること、に成ります。

この章では、それぞれの立場の仕事を、信仰に例えています。
でも仕事ならば、「その仕事の責任感」などと言えば良いことを、老子は「信仰」としています。
それは、なぜでしょうか?

何かを代表するという責任が有る仕事は、ただ事務的に行って上手く行くのでしょうか?
多くの人命を預かるような立場の仕事には、常に不安感が付き物です。
すると、それはただの仕事では無くて、祈りたいような不安感を、その責任を認識するほどに代表者は持つものです。


そうなれば、それはもうただの仕事では無くて、信仰を行う修行者だと代表者は言える訳です。
そして、ただの仕事ならば、夕方6時を過ぎれば「ブッハア〜」とビール、などと仕事を忘れることが出来ます。

でも信仰ならば、24時間、食事内容も制限して信仰することが外国でも見られることです。
気が抜けない仕事とは、まさに信仰であり、それを行う人は修行者なのです。


そして老子は、代表者ほど、自分の仕事はただの仕事では無くて、信仰を行っていると思ったほうが良いと、この章で示唆をしています。
日本という国が、今まで長く継続が出来たのは、「祈るような気持ちで」努力をされた様々な分野の代表者が居られたからでしょう。

自分の仕事も信仰として、修行者として、真剣に働く人が今後も出るのでしょうか?
自分の仕事を信仰にまで高めることが、競技のアスリートにしても、会社の代表者にしても「長く継続するには」必要だと感じます。
中途半端では、継続は出来ません。


家族の健康を預かる家庭の主婦も、24時間終わらない家事という信仰者であり修行者です。
家庭の神官として、正しい信仰も併せ持てば、主婦道から悟ることも可能です。
自分が受け持つ仕事を、信仰にまで高めることが出来れば幸いです。

でも、こんな安月給だから嫌だ、というのも人間であり分かります。
では、自分は何を信仰(注目)するのか?
何もしないのか?
時間限定・厳守の人生期間に、1度でも考える機会が有れば魂には幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/16(金) 21:34:41|
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心が苦しい時ほど、プライドも見栄も捨てて、謙虚な下から目線に自分を切り替えて見ましょう。 落ちたゴミでも拾いたいと思える、弱い自分。 自分はゴミでも弱くても良いから、他人のために成ることがしたい。 こう思えた時に、その人は自分自身を底から救い上げることに成ります。


良心の有るゴミは、光り出します
2018-11-13 11:19:20 | Weblog
オリンピックを何度も制覇した元選手へのインタビューを聞いていますと、
「試合前には、道に落ちているゴミも拾って歩くほどの、神頼みの心境になってしまいます」
と話しておられました。

どんなに練習をしましても、試合への不安感は消えなかったようです。
「どうしても勝ちたい!」という執念と不安は、道に落ちているゴミでも拾いたいと思わせるほど、選手を謙虚にさせたのでしょう。

自分が不安に駆られた時は、上から目線では、腹が立つことばかりで余計にダメだと思います。
そうなった場合、自分をゴミにまで落として見るのも一理あります。

道に落ちているゴミは、迷える自分の姿であり、これを拾い上げるのです。
これは、落ちた自分を救い上げるという、転写の型に成ることを感じます。


自分がゴミにも成れないプライドが、上から目線が、勝負でその人を負けさせると感じます。
プライドの高い人間ほど、本当はもろくて弱いものです。
プライドが高い人ほど、他人からどう思われているか? を気にするものです。
これが更に高じれば、プライドの高い人間から心を病んで行くものです。


こういう場合は、自分はゴミでも良いという下から目線に成れれば幸いです。
でも、ただのゴミでは腐るばかりです。
良心の有るゴミに成れれば幸いです。
良心の有るゴミとは、観音様とも言えます。


迷える人々、悪い環境でも、自らそこに溶け込み困る人々を助けたいというのが観音様です。
ゴミの中にこそ、観音様がウロチョロしていると言えそうです。
蓮の花は、泥沼の中でこそ大きく咲きます。
澄んだ池には、蓮の花は咲きません。
蓮の花の根っ子を探す時は、泥の中を見ましょう。

心が苦しい時ほど、プライドも見栄も捨てて、謙虚な下から目線に自分を切り替えて見ましょう。
落ちたゴミでも拾いたいと思える、弱い自分。
自分はゴミでも弱くても良いから、他人のために成ることがしたい。
こう思えた時に、その人は自分自身を底から救い上げることに成ります。


生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/13(火) 13:04:32|
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今日は、どんなことも善にしか受け取らないアホに成ってやるぞー。 これが大切です。 徹底的に成り切れば、天国に引かれて行くのは間違いがありません。 何でも、やる前から、どうせダメだ。失敗する。 本当にそうなのか? これを体験して確かめる勇気も大切です。 やってやろうではないか。 成功も失敗も無い。 体験が出来ること自体が大歓喜なのです。 自分なりに当たって砕けろ!

体験が出来ること自体が大歓喜
2018-11-09 11:29:22 | Weblog
・ 嫌な仕事の中でも、楽しむことが出来る自分か?

これは、大切な能力だと私は思うのです。
どんな嫌なことの中でも、楽しんでしまう人。
こういう人を、たまに見掛けます。

地獄の閻魔大王もビックリすることでしょう。

新入社員を見ましても、
・ 初めから泣きそうな顔をしている人。
(おいおい、まだ始まってもいないぞーー)

・ なぜかニコニコしている人。
(まさか天然のバカボン君ではないだろうな?)

様々な人が居るものです。
でも、ダメなことは、
・ どんなことも、苦痛に感じ取る人。
こういう人も居ます。
これは人生を損します。


人間は自分次第で、同じ出来事に対しましても、
・ すべてを善に受け取る人。
・ すべてをマイナスに、苦痛にしか、受け取らない人。
このように分かれてしまいます。
この違いから、その後にたどる人生も、本当に違って行きます。


そもそもが、ダメとか、良いとか、成功とか、失敗とは何でしょうか?
これはすべて、自我(自分のワレヨシの心)が生み出す分別(ぶんべつ)です。その実体は無いのです。
真我(本当の自分・内在神)のレベルでは、どんなことにも失敗は存在せず、大成功のみが実在に成ります。


在ることだけで大成功、経験が出来るだけで最高、という成功・失敗・善悪という分別以前の状態だけが真実の実体だと霊的に言えます。
その影を見ては、成功だとか失敗とか、もう終わりだ、という自我の分別を人はして苦しみます。
そんなことを苦痛に感じる必要は無いのが真相です。


すべては大いなる存在により、既に許されて存在し、大成功が継続中なのが、すべての人間の正体です。
悟った瞬間に人は、祝福された大歓喜の中に自分が「既に居た」ことに気付くという体験をします。


厳しく辛いと思っていたコノ世の中でさえも、今のままで、喜びが爆発している世界だったことに気付きます。
偉大な芸術家も、この大歓喜を垣間見て作品にします。

でも違う人は、コノ世に地獄しか見ません。
同じ世界を見ましても、大歓喜しか見ない人と、見るものすべてに地獄しか感じない人。
このように人は分かれます。
大なり小なり、どんな人にもこの傾向が出ています。

生きる間に、大歓喜に近付くことが大切です。
死後に自分が引かれる世界を、自分が存命中に決めている最中なのが今なのです。
今まで地獄しか感じられない人も、これから大歓喜を見ていこうと決意すれば変われます。


大歓喜は道端にも落ちているし、箸(はし)が転んでもおかしい大歓喜です。
自分が罵倒されるなんて、凄い生命力の爆発です。
なんだとー。このやろうー。負けるものか!
こういう体験が出来るのも、生きていればこその大歓喜です。


今日は、どんなことも善にしか受け取らないアホに成ってやるぞー。
これが大切です。
徹底的に成り切れば、天国に引かれて行くのは間違いがありません。


何でも、やる前から、どうせダメだ。失敗する。
本当にそうなのか?
これを体験して確かめる勇気も大切です。
やってやろうではないか。

成功も失敗も無い。
体験が出来ること自体が大歓喜なのです。
自分なりに当たって砕けろ!
行け行け、進め進め。


(伊勢白山道)
  1. 2018/11/09(金) 12:26:06|
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・ 気持ちとは、常に流して行くことが大切。 ・ 事あるごとに止まった気持ちは、中身が悪く成って腐って行く。 だから私達は、日常生活で色々なことが有りますが、それに心を止めずに、 ・ 前向きに心を流して行こう。 このように常に意識したほうが良いです。

気持ちも流して行くことが大切
2018-11-01 09:36:04 | Weblog
水流は、流れていなければ、滞(とどこお)って水質が悪くなって行きます。
そこで、「水流=意識の流れ」として考えて見ましょう。

・ 意識の流れは、流れていなければ、滞って意識の中身が悪くなって行く。
このように言い換えることが出来ます。

これを更に言えば、
・ 自分の意識が過去の嫌な出来事に何時までもこだわって、止まっていれば、今の意識まで悪く成る。今の生活まで悪影響を起こす。
このようにも言えます。

・ 気持ちとは、常に流して行くことが大切。
・ 事あるごとに止まった気持ちは、中身が悪く成って腐って行く。

だから私達は、日常生活で色々なことが有りますが、それに心を止めずに、
・ 前向きに心を流して行こう。
このように常に意識したほうが良いです。
やはり意識しないことには、前向きに流せない人が多いのです。


でも人は、このようなことを常に改めて意識しないものです。
心を流すことを忘れて、起こる嫌な出来事に日々止まってばかり、思い出してばかりいるものです。
だから気持ちを流すことを忘れないように、日々に気持ちを流す習慣が大切です。

思うだけでは無くて、行動として、気持ちを流す習慣が無いと人は忘れます。
では、どうすれば良いのでしょうか?
そこで浮かびますことは、神棚の水交換なのです。

榊立ての容器を洗い、水を交換すること。
神棚に捧げる御水の入れ物、水玉(みずたま)を洗い新しい水に交換すること。
これをする時に、
・ 自分の気持ちも流したい。
・ 自分の気持を新たに交換しよう。

このように思いながら、神棚の水交換を日々に淡々と致しますと、あら不思議!
自分の意識の滞りの解消も、この神棚の水交換という行為により、無意識下で起こります。


コノ世は、思うだけでは弱く、何かの行為と合わせることで、効力を現す世界なのです。
今日は、11月1日です。
心を新たにするのには、縁起が良い日です。
今日から、心新たにまた頑張りましょう

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/01(木) 12:36:27|
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・ 11月は、自作自演と、それを利用する者。 に注意。

・ 11月は、自作自演と、それを利用する者。
に注意。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/28(日) 12:58:46|
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・ 人生を振り返ると、他人を助けたいと思ってした仕事は、どれもみな成功した。 ・ 自分のために、儲けたいと思ってしたことは、ことごとくダメだった。 人間は、小欲(自分だけのための欲)を抱くほど、運気が落ちます。 大欲(他人のため、全体のための欲)を抱く人間ほど、何気なく思う自分のための個人的な希望が叶います。

大欲(たいよく)を抱くこと
2018-10-25 11:54:34 | Weblog
昨日と違う話題を書こうとしましたが、更に気になるTVドラマのセリフが脳に残り、書き残して置きたいと思います。

ドラマの中で主人公の老女が言うには、
・ 人生を振り返ると、他人を助けたいと思ってした仕事は、どれもみな成功した。
・ 自分のために、儲けたいと思ってしたことは、ことごとくダメだった。

人生とは、こんなもんですわと笑っていました。

これを聞いた人が、それは聖書の言葉に有る、イエス御自身が、
・『受けるよりは、与える方が幸いである』
と言われた言葉そのものだと指摘しました。(使徒言行録20章35節)

しかし、老女はそれを否定し、
・ 私みたいな者は、本当に欲深い人間だから、そうなっただけですわ、笑。
という、このような感じの会話をしていました。

仏教研究の大家である、鈴木 大拙(すずき だいせつ、1870年11月11日 - 1966年)も、仏教的な「大欲」(たいよく)の重要性について語っていましたが、この老女の欲は、大欲だったと言えます。

大欲とは何か?とイメージで説明しますと、
・ 宮沢賢治の童話を大切に抱えた、童貞のような純粋な青年が、
・ 人類全体が幸福に成れるまで、ワタスの幸福は無い!
と言い切る様子を想像してください。

要は、自分個人だけの欲望は、つまらない小欲なのです。
大欲とは、他人のため、大きな全体のために、という大きな夢のような欲のことです。

「青年よ、大志を抱け!」よりも、
「青年よ、大欲を抱け」が、本当かも知れません。

人間は、小欲(自分だけのための欲)を抱くほど、運気が落ちます。
大欲(他人のため、全体のための欲)を抱く人間ほど、何気なく思う自分のための個人的な希望が叶います。


だから、ここで「逆説のテクニック」としての参考に、
・ 病気の人は、もし改善すれば、自分のための〜〜したいと思う希望よりも、
・ 家族のために〜〜をしたい。他人のために、成ることをしたい。
という「思い方」も参考にしてください。


このように、自分の願望を願うよりも、霊的には叶いやすいです。
これは、神社でも同様です。
・ 神社に祈願したことは、叶いません。
・ 神様に感謝をしていれば、願わなくても、個人希望は順番に自然に叶います。

全知全能である神様に、細かい希望を説明するほうが失礼です。
まるで幼児が、母親に一生懸命に説明するようなものです。
そんなことはしなくても、「ママありがとう」と言っていれば、母親は幼児が望むことが分かりますので、提供します。
親に命令(祈願)すれば、「親の周囲に居る親族」(眷属神)に怒られるかも知れません、笑。

欲には、大切な欲も有るという今日のお話でした。
参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/25(木) 12:59:38|
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何を企んでいるのでしょうか?

今日21日から不安定な中潮が連続し、25日の満月を大きなイベント(出来事)として、その前後も注意します。今週が無難に過ぎた場合、
・ 28日からの中潮が要注意です。
今週か、来週、どちらに事象が出るのかを静観します。

(伊勢白山道)

25日(マンションの断水日)
その前後で何かを仕掛けてくるのか
そこを無難に過ぎた場合には28日からに要注意ということです。
  1. 2018/10/21(日) 19:06:01|
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人間には、「知っている」ということが、想像以上に未来を変えることを自覚しておいたほうがお得です。様々なことにおいて、知ると知らぬでは、人生が大違いだということです。

人間が事前に意識することは、必ず変わって行きます。
知らないことは、変われないのです。

人間には、「知っている」ということが、想像以上に未来を変えることを自覚しておいたほうがお得です。様々なことにおいて、知ると知らぬでは、人生が大違いだということです。
古くから、古今東西で勉学が重視されて来たことは、知識は身を助ける、自分を守る、生活を助ける、という意味があったと思います。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/21(日) 18:04:55|
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人は無理やりに安心しようとしてもダメなものです。やはり、自分の良心(内在神)に背く点が有りますと、安心することは不可能なのです。逆に言えば、どんなダメな状態に自分が在りましても、* 自分の良心に対して一切の曇りが無い人は、必ず安心が出来ます。コノ世に居る時に、本当の自分(良心)と向き合う・ing人は、コノ世でどんな状態であっても必ず天国に行きます。親鸞さんが、南無阿弥陀仏と唱え続ければ100%浄土・天国に行くと言われた真相は、* 心を向け「続ける」から行けるという真理からです。今日も、本当の自分(良心)を見詰めながら、安心を心掛けて生活を致しましょう。必ず、すべてが変わって行きます。

悪人正機(あくにんしょうき)。どんな悪人も真に後悔して泣けば救われます。
2016-03-13 11:12:52 | 釈尊の言葉 Ⅰ
コノ世の色々なハンディを抱えながら、
困難な道を渡り、
繰り返す輪廻転生(死後)や物事へ心配する気持ちを乗り越えて、

冷静に物事を静観し、激昂すること無く、自分に怪しい行動が無く、何事にも執着せずに、
その上で安心している人。

そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。

(原始仏典 ダンマパダ26章-414)

(感想)
この項を読みますと、2500年も前の人々もまさに、
* 色々なハンディを抱えながら、
* 険しい人生を歩き、
* 生まれ変わりや、死後の状態、霊や見えない事を心配する。
このような生活を送っていたのです。
今の多くの人々とまったく同じなのです。

そのもろもろの上でも、
* 最終的には安心しながら生活する人が、最高の人間だ。
と釈尊は示します。


何が有ろうとも、子供がグレても、仕事がダメでも、それでも心から安心して生活をする人が、コノ世の真の勝利者だと言えそうです。
自分が出来る最高の努力を本当に尽くし切ったならば、自分の良心(内在神)が許せばどんな状態でも安心は来ます。
お金持ちでも、常に心配しながら生活をする人が多いです。これではダメなのです。

どんな苦境でも、すべてがコノ世だけでの状態なのです。必ず過ぎて終わって行きます。
アノ世で自分が死後の状態を体験しますと、コノ世での苦しく、嫌な物事、理不尽な災難、・・・・そのすべてが意味と価値の有ることだったことを誰もが理解します。

そして、コノ世での自分の人生を冷静に振り返りますと、
* まだまだ自分は頑張るべきだったのかも知れない。
* アノ時に素直に謝っておくべきだった。
* もっと感謝をしておけば良かったな。

と誰もが思うことを私は確信しています。
私も毎回の人生で必ず思って来たことだからです。
何とも言えない「申し訳なさ」に、泣く魂が大半です。
自ら地獄に行く魂は、まだまだ素直には泣けない魂でもあります。
心が素直に泣けた時が、天から許される時でもあります。

人は無理やりに安心しようとしてもダメなものです。
やはり、自分の良心(内在神)に背く点が有りますと、安心することは不可能なのです。
逆に言えば、どんなダメな状態に自分が在りましても、
* 自分の良心に対して一切の曇りが無い人は、必ず安心が出来ます。

コノ世には多くの他人がいますが、本当の真実の真相は、
* 自分の心と、良心(内在神)との、1対1の真剣勝負を誰もがしているのが答えです。
すべての見える他人も環境も条件も、真実は自分自身の反射で、自業自得で出現するスクリーン映像なのです。

ここでも釈尊の「天上天下 唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)が言えます。
誰もが自分一人の中での勝負をしています。
残りの人生を、本当の自分自身(良心・内在神・真我)と向き合って生きましょう。

コノ世に居る時に、本当の自分(良心)と向き合う・ing人は、コノ世でどんな状態であっても必ず天国に行きます。
親鸞さんが、南無阿弥陀仏と唱え続ければ100%浄土・天国に行くと言われた真相は、
* 心を向け「続ける」から行ける
という真理からです。
この方便も、霊的には正しい真実なのです。

今日も、本当の自分(良心)を見詰めながら、安心を心掛けて生活を致しましょう。
必ず、すべてが変わって行きます。


(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 23:34:51|
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人間は、自分の内在神への自覚を持てない限り、よそ見ばかりして迷うことに成ります。 死ぬ時は、身体1つ裸で死んで行く真理を見ても、他所には頼るべきでは無いことは絶対なのです。 他所に頼る習慣は、いざいざと言う時には大きな不安となり、必ず迷うことに成ります。 今の普段から、自分の心の良心=内在神を見つめる習慣が大切なのです。

人間は、自分の内在神への自覚を持てない限り、よそ見ばかりして迷うことに成ります。
死ぬ時は、身体1つ裸で死んで行く真理を見ても、他所には頼るべきでは無いことは絶対なのです。
他所に頼る習慣は、いざいざと言う時には大きな不安となり、必ず迷うことに成ります。
今の普段から、自分の心の良心=内在神を見つめる習慣が大切なのです。


(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 21:35:01|
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本当の真相は、絶対に大丈夫な中で、ハラハラドキドキを試されています。 やはり期間限定ならば、どんな苦労が有っても、最後まで自分のプライドと良心を守り抜いて死んで行きたいものです。

本当の真相は、絶対に大丈夫な中で、ハラハラドキドキを試されています。
やはり期間限定ならば、どんな苦労が有っても、最後まで自分のプライドと良心を守り抜いて死んで行きたいものです。


(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 21:34:17|
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日常の悩みは、生死の観点から考えると、 大半の悩みは大した事では無く、消えていきます。 

日常の悩みは、生死の観点から考えると、
大半の悩みは大した事では無く、消えていきます。 


物事への執着心も消えて行きます。 
そして、日常に隠れている小さな感謝するべき事に気が付いて行くのです。
  1. 2018/10/19(金) 21:32:25|
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苦しい生活の中でも、内在する神仏は常に同行しています。これに心から気が付いた人には、大きな安心感が訪れます。どんなに辛い境遇であり既に病気であっても、自分の心に居る神様を信じる事です。自分の心の神様と共に、向こうから訪れる困難が有れば、受け切る決意をするのです。既に私達は、神様の中に包まれた大安心の状態が本当の姿です。 それに気が付く為に、色々と起こるだけなのです。

2009-05-15 10:34:35 | Weblog

単純で退屈な生活の中にこそ、正しい神仏の働きが隠れて
いるのです。
アタリマエの日常に「満足する」事が大事です。


苦しい生活の中でも、内在する神仏は常に同行しています。
これに心から気が付いた人には、大きな安心感が訪れます。


死ぬ時は、たった一人です。 集団ではありません。

心に預かる神様を「意識しながら」歩んだ人生は、最良の
人生です。 苦しく厳しい人生ほど、自己の魂を高みへと
連れて行きます。




2009-05-20 10:12:18 | Weblog

信仰とは、強制的な決まりや金銭強要が無いほど、癖の無い
無垢な信仰に成ります。
一番癖の無い信仰は、「既に在る」自分の心の神様に向かう
信仰です。

雑多な日常生活の中でも、何時も内在神と一緒
です。

自分の心の動きを観察するだけでも、余計なイライラ
磁気は軽減し始めます。

2009-05-23 09:45:18 | Weblog

自分を見捨てた人間は、自分の肉体の細胞に見捨てられ
ます。 つまり病気に成ります。

どんなに辛い境遇であり既に病気であっても、自分の心に
居る神様を信じる事です。


自分の心の神様と共に、向こうから訪れる困難が有れば、
受け切る決意をするのです。


困難が来ないならば、なお更に現状への感謝を心の神様に
しておく事です。
これからの時代は、各人の心に住まう神様が現実界へ具体的
に作用し始めます。
絶対に裏切らないし、あの世へも共に同行してくれます。

既に私達は、神様の中に包まれた大安心の状態が本当の
姿です。 それに気が付く為に、色々と起こるだけなのです。



2009-05-30 09:51:50 | Weblog

皆さんも、他人の怨みの生霊や実際の嫌がらせを受けた場合
恐怖しては駄目です。
怖がれば自分自身により大きく影響します。

自分の反省する部分が有れば改めて、後ろめたくない状態にしていることです。
安心感と愛情を恨んで来る相手に向けますと、相手が自分に
向けた内容が逆に還ります。
相手が発した物が好意ならば、好意が返りますし、
悪意ならば悪意が発信者である相手に返ります。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 21:31:09|
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人生に置ける悩みの殆どは、時間が解決してくれます。今、この現実界の時間経過が加速し始めてます。過去に無いことが始まってます。これからは、どんな悩みも直ぐに変わって行き、大したことはありません。

人生に置ける悩みの殆どは、時間が解決してくれます。
と、 有って当然? の記事で書きました。
これは、この厳しい現実界で私達が生きて行く為に神が私達にくれた贈り物です。

自分なりの最善を尽くして生きてさえいれば、自殺まで思い詰める様な苦しい
問題も後年に思い出して、結果は別としても”良くやったなあ”と懐かしむ時が必ず来ます。


ところが、この現実界以外の世界では、時間の経過が異常に遅いのです。
この現実界で、余りの苦しさから逃れようと自殺する人がいますが、これは大きな勘違いです。

自殺する直前の、肉体的な激痛と精神的苦痛が長い期間継続します。これは、堪りません。
しかも、肉体を無くして居る為に、感覚が敏感になり苦痛が増幅されます。

自殺する前は、死んでからも子供に迷惑を掛けまいと誓っていても無駄です。
苦しさの余り、身近な子孫にすがり憑きます。

このような苦しい波動を出す霊が居ると、子孫も同じような精神状態になります。
人間は、死ぬ50日前から直前までの、精神状態が大変重要です。

この、死ぬ前の50日間を安らかな心で過ごせるように成れるために、長い人生を経験して
るのかも知れません。
一番重要なのは、死ぬ直前の心の状態です。


人間の運命は変わります。
努力により、良くも変えれるし、悪くも出来ます。
普段から、生かされている と認識し、現状への感謝想起をしながら、この娑婆世界を旅して行くと、
紆余曲折があろうとも最後のイヨイヨの死ぬ間際は、今までの感謝想起の蓄積により、
肉体的苦痛には脳内麻薬が産出されて楽になり、心は感謝に満たされた状態になります。

この状態で死ぬと、同類の法則により、同じような感謝に満たされた世界へ引き寄せられます。
大往生、間違いなしです。
今、この現実界の時間経過が加速し始めてます。
過去に無いことが始まってます。

これからは、どんな悩みも直ぐに変わって行き、大したことはありません。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 21:27:39|
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せっかくの時間が在る世界では、何が有っても心(内在神)を傷めるほど悩まないのがお得です。必ず区切りと終わりが来るからです。だから死んでも楽しむ視点は大切であり、生き方の究極です。

生きていれば色々なことが有ります。これも、「生きているからこそ」です。
限られた人生時間の中で起こることは、避けようとして悩むよりも、静観することが大切です。
起こる事は、目に見えない縁の集積により起こります。
芽(め)を出してしまった嫌な縁は、「静観するのが1番早く通り過ぎる秘訣」なのです。

この秘訣を知らなければ、右往左往して余計な深みにハマり、嫌な芽を増々育てる肥料と成ってしまいます。
出てしまった嫌な芽を、いまさら分析してもムダです。
今後に繰り返さない注意として、覚えて置けば良いだけのことです。

これを有料先生に頼って、商売の為のデタラメな嘘を聞かされるのに金銭を使えば、ますます違う嫌な芽も出てきます。優良(有料)なリピーター客に成らされ、相談に行きたく成る嫌な事が、霊的な作為により発生します。

この世で出た嫌な芽は、昇華(しょうか:無害なものへの変化)するまでの時間が必ず必要です。
この世で「生まれる」「発生する」「出る」とは、生命であれ、事態であれ、社会問題であれ、いったん出た限りは、消えるまでの「時間」=生命を次元(神)から与えられるのです。

この世はある意味、「有限な時間」=生命をすべての存在が与えられる世界です。
だからどんな嫌な事も、期間限定に過ぎません。
だから、最終的には全員が大丈夫に成ります。
そして、「時間が無い」次の次元へと旅(死)をします。

せっかくの時間が在る世界では、何が有っても心(内在神)を傷めるほど悩まないのがお得です。
必ず区切りと終わりが来るからです。
だから死んでも楽しむ視点は大切であり、生き方の究極です。(吉本興業ではないですが~)


嫌な事があるならば、黙って静観をするのが1番早く因縁の昇華をするのを助けます。
これは、自分にとっての嫌な他人にも、静観する視点は非常に有効です。
相手が、だんだんと苦に成らなく成ります。


静観(せいかん)とは、
1:静かに観察すること。また、行動を起こさずに物事の成り行きを見守ること。「しばらく事態を―しよう」
2:事物の奥に隠された本質的なものを見極めること。

静観を正しく、「明るく」自分の視点に持てば、この世はかなり生き易い世界へと変わって行きます。
知って置くべき、法則の1つです。
  1. 2018/10/19(金) 21:25:46|
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自分が出来ることをしているならば、後は「お任せ」「任せ切る」ことも、人生には必要です。

私たちが不安に成るのは、何も信じられない、頼りに成らないと思い込んでいる面が気持ちの根底にあります。
何も信じられないのならば、
「神は自分自身を助けようとする者を、神が”黙って”助ける」
という真理からも、その分、自分が出来る努力をする人は大丈夫です。

しかし、特に最近の社会では、何も信じられないから「何もしたくない」と思い込み、初めからあきらめて自分自身(自神)をも見捨てている人が多いのです。
これは、ほんとうに勿体無いことです。

肉体は、いずれ必ず無くなるのですから、せめて短距離走(人生)の間ぐらいは、自分なりに思いっ切り走れば後で後悔をしません。

あなたの心は、死後も必ず継続をするのですから、肉体を脱いだ時に
「なんだ。大したことでは無かったんだ。もっと恥をかけば良かった。もっと親孝行すべきだった。もっと他人に思いやりを持てば良かった。・・・」
と、誰もが自分なりの規模で振り返って思うものです。私はリアルに覚えています。

そして、あれほど絶望して嫌だった短距離走のコース(人生)を振り返り、申し訳なかった、有り難いことだったなと「バルドォ」期間(http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20090907)を進んで行きます。

私たちは自分が生まれた奇跡を、もっと信じましょう。

自分が出来ることをしているならば、後は「お任せ」「任せ切る」ことも、人生には必要です。
  1. 2018/10/19(金) 21:17:39|
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嫌なことさえも、「シビレさせてくれるなあ」 と冷静に見ることが出来れば大丈夫です。 これが1番、嫌なことが去る秘訣です。

嫌なことさえも、「シビレさせてくれるなあ」
と冷静に見ることが出来れば大丈夫です。
これが1番、嫌なことが去る秘訣です。
  1. 2018/10/19(金) 21:15:44|
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本当に大きな苦しみほど、真に臨界点を超えれば、ニタニタと笑う狂喜が人に出ます。この時に人は、神仏のことも分かり始めます。でも、まだまだ、そこまでに行かない人が大半であり、中途半端な迷いの最中です。まだまだ行けます。心配せずに、歩いて行きましょう。行け行け、進め進め。

価値観の反転に備えること
2018-10-19 11:36:10 | Weblog
今年の日本人のノーベル賞の受賞者の言葉に、
「教科書に書いてあることを信じるな」
というものが有ります。
医療行為や科学の分野でも、10年後、20年後には「アレは間違いだった」という問題が出るものです。

・ その価値観を疑うこと。

コノ世で人間が欲しがるモノ・嫌がるモノでも、コノ世とアノ世を比較しますと、
・ 今、大切にしているソレは、アノ世ではゴミで重いお荷物なのに。
・ その今の、悩みや苦しみこそが、アノ世で貯金しているのに。

このような感じで、価値観が反対・真逆になる世界というものを、日頃から想像して置くほうが、死後に迷いません。
コノ世では、他人をイジメてでもかき集めた金銭を後生大事に人は貯め込みますが、それを背負ったまま他の惑星に行くと想像してください。

宇宙人に大金を見せたところで、「それが何か??」というようなものです。
でも人間は、「え?これが欲しくないの?」という感じです。
価値観がまったく違う訳です。

自分が死んで、肉体を去った後の価値観、これを想像しながら今から生きる人は、天国に行けます。
では、どんな生き方が良いのか? となりますと浮かぶのは、宮沢賢治氏の

・ 東に、病気の子供あれば、行って看病してやり
・ 西に、疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
・ 南に、死にそうな人あれば、行って「怖がらなくてもいい」と言い
・ 北に、喧嘩や訴訟があれば、「つまらないから止めろ」と言い

・ 日照りの時は、涙を流し
・ 寒さの夏は、おろおろ歩き

という生き方に成ると思います。
抵抗が出来ないことには「仕方がない」と受けながら、自分が出来る良心の指し示すことを、駆け引き無く精一杯にして行くだけです。

そして、今日の言いたい事はここからです。
人は、様々な悩みを抱えているものです。
仕事のこと、人間関係、家族の問題、健康や金銭のこと、・・・もう死にたい、と思うほど悩んでいる人がおられることでしょう。

でも、死ぬほど悩まないで欲しいのです。
誰もが死に向かって歩いている最中なのが人生です。
だから、慌てないで欲しいのです。


自殺せずに、最後まで生き切れば、アノ世では価値観が恐ろしいほど逆転するからです。
今の苦しい最中こそが、アノ世での貯金の最中なのです。

コノ世で他人をイジメて、イケイケの最中の人こそは、アノ世で大きな借金を増やし中です。

悪口を言われてもOK.
自分が言わないことが大切です。

本当に大きな苦しみほど、真に臨界点を超えれば、ニタニタと笑う狂喜が人に出ます。
この時に人は、神仏のことも分かり始めます。
でも、まだまだ、そこまでに行かない人が大半であり、中途半端な迷いの最中です。
まだまだ行けます。
心配せずに、歩いて行きましょう。 行け行け、進め進め。


(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 12:24:44|
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この世は鏡の国

この世は鏡の国

この現実界は、私たちのホンの少しの考え方の違いで人生が変る世界です。人間の幸運や不運も、人が思う以上に単純な物事に分かれ道があるものです。
この世には、自分が他者へ与える「気持ち」と「行為」が、自分自身に反映する法則が在ります。
この法則を認識して生きるか否かで、その人の人生は分かれるものです。
この法則を知っていれば、他人と喧嘩をしたとしても、自分の心を痛めるまで執念深くは成れないものです。アホらしく成って、自分からは止めようと思います。その反動を知っているからです。

先祖供養も自分の希望や病気改善の為に行う間は、何も変化が起こらないものです。「自分の為」だから反映が起こらないのです。上記の「他者の為の行為が自分に帰る」法則に則っていないからです。
これを先祖という「身近な他者」の魂の為に、供養する行為をしますと、結局は自分自身が癒される事が起こるのです。
ここに、この世の幸運が与えられる秘訣があります。これは現実界の色々な物事全てに貫徹している法則です。

自分自身の心の内在神=良心を大切に維持しながら、他者に対して自分が発している内容を考えましょう。この謙虚さを忘れなければ、人生は大丈夫です。
柔(やわらかさ)は、強さをも溶かして行きます。
  1. 2018/10/18(木) 23:58:02|
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霊的磁気の被爆

今日の話で私が伝えたい事は、私たちの普段の思いが如何に大切かと言う事です。
内在神を宿す人間が短い一生の中で思う事は、とても重要であり、次元空間にも影響をするかと言うことです。

でも、人間は生活の中で不満や心配を思ってしまいます。心配したところで、心配の磁気が身の回りに蓄電して行くだけです。
心が回復しても、過去に自分が蓄積した不安磁気が再び自分自身の足を引っ張ります。だから心の安定が継続しないのです。
では、どうすれば良いのか?


良い思いの磁気で上書きをして行けば良いのです。でも、遣り方が分からないでしょう。
誰でも仕事に集中している時は、不安を忘れているものです。暇に成りますと、色々な思いが湧いて来ます。だから、心に仕事をさせておけば良いのです。
「生かして頂いて ありがとう御座位ます」または、
聖なる言霊「天照太御神 アマテラスオホミカミ」を繰り返して居れば、その磁気の新たな蓄積が未来を変えて行きます。
  1. 2018/10/18(木) 23:53:54|
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一休が他界する直前に書いた手紙

一休が他界する直前

「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら
この手紙を開けなさい。ただし、本当に最後の絶体絶命だと
全員が思う時だけだ」

と、厳しく釘を刺して、弟子達に1通の手紙を残しました。



・・・・・そして数年後



弟子達が今こそ師の知恵が必要だと思える
重大な局面が訪れました。


息を殺しながら固唾を呑んで開封して、弟子達の目に映った
手紙の言葉は、次の一言でした。



「大丈夫 心配するな 何とかなる」
  1. 2018/10/18(木) 23:45:13|
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時が解決する

悩む人は、その状況を眺めることも大切です。
悩みの中に没入している間は、考えが狭くなるからです。


悩みの対象ばかりに気を取られて、大切な他の物事が疎かに成っています。
これが次なる悩みを形成させる種と成ります。悩みからの二次被害を出さないことが大切です。
たくさん悩んでも答えが出ずに迷う間は、考える事を止めておいて、目の前の出来る仕事に没入することです。


物事には、時の経過が必ず必要な面が在るのです。
他の因果とのカラミの関係からです。
この「時の経過」を待ち切れずに動いたとすれば、余計にダメな結果を呼ぶものです。


これは、登山で迷った場合と似ています。
深い森林で迷えば、むやみに動かずにビバーク(待機保守)して、体力を温存するものです。不安に駆られて動きまわりますと、遭難する確率が高まります。
これは、生活の中でも悩めば、静観する事と相通じます。

悩むという行為を経た後に、悩みを忘れるのでは無く、いったん置いておいて別の行為に集中しますと、その時から自分の無意識下で悩みへの対応が霊的に始まっているものです。

人間の悩む「執着心」は、実際には解決の足を引っ張るという皮肉が在ります。
少し手放すことによって、見えない霊的な作用が起こり始めます。
無意識下で発動する物とは、自我から離れた自分の良心からの干渉力です。

与えられるべきものは、与えられるでしょう。

要は、普段から良心を大きくしている人間ほど、無意識下の作用力が強く成ります。
自分の良心を捨てておいて、引き寄せだ、瞑想(迷走)だ、パワーなんちゃらでは、人生が弱く悪く成るばかりです。

良心を育てるには、自分で情けからの行為を実践することです。
これが、先祖の「ため」の感謝供養であり、神様へ家族(人類)を代表して感謝を行う事なのです。

この世の成功者は、自分の良心を最後まで捨てなかった人です。
  1. 2018/10/18(木) 23:41:56|
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今の現状を感謝の気持ちで味わう「覚悟」を決めた時から その人に改善と幸運が訪れ始めます。

伊勢白山道さんの記事からの引用

来るものは味わう
2010-09-06 11:05:11 | Weblog

この世に魂が生まれ出る目的は、いろいろな「経験をする事自体」にあります。
物事の成功や失敗、この世的な幸福や不幸と言う「途中の状態」には、本当の自分の魂(不死の存在)が求めている物は無いのです。だから、必ず物事に飽きますし、なんとなく不安感は消えないのです。
この世だけで消える途中の物に、執着しては生けません。

だから成功している幸福な人でも、その「経験をさせて頂いている」と言う視点が無ければ、本当の成功者では無いのです。その視点が無ければ、執着するものが多い気の毒な魂と成ります。死後に苦しみます。

今が苦しくて他人から不幸に見える人でも、その経験を静観して楽しむことが出来れば、魂の面では成功している人だと言えます。
もっと言えば、見えない物事にも感謝が出来る事が、もっとも尊い生き方です。この世とあの世を通して幸福な魂です。

日本では昔から「お陰さまで」と感謝を述べますが、これは真理です。
自分が知覚・認識できる物事のみに反応するのは、それはロボットであり、動物の霊性しか無いのです。
良いことが有れば、自分が知らない気付かない人々の働きの上でのことだと「思いやれる気持ち」が大切です。
これを突き詰めますと、そもそも自分が生きて、いろいろな経験が出来ること自体が、見えない存在=神からのプレゼントだと分かります。

悩む人々を観ていますと、この大切な「経験」をすること自体を避けよう、上手く逃げようとする方が多いのです。
魂が生まれて来る目的が、神示が示す「経験をするため」で本当にあるならば、これは恐ろしいことです。
経験を嫌がるならば、この世に存在する理由が薄れる方向に流れるからです。

だから、自分は不幸だ、運が弱い、と思う人は
今のその現状で経験する事を嫌がらない事です。


自分が注意をしても起こる事には「仕方がない」と覚悟をしましょう。
そして、それを静観するのです。


もし出来れば、嫌な人物や物事に対して「良い経験をさせてくれるヤンケ~」と、嫌味でも良いから感謝想起(生かして頂いて ありがとう御座位ます)をしましょう。

必ず物事は流れ変わって行きます。

今の現状を感謝の気持ちで味わう「覚悟」を決めた時から
その人に改善と幸運が訪れ始めます。
  1. 2018/10/18(木) 23:38:29|
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期間限定のプレゼント

伊勢白山道からの記事の引用

最中を楽しむ
2010-09-30 11:00:00 | Weblog

今が苦しいと思っている人が多いですが、それは勘違いです。それは貴重な期間です。
なぜなら、物事は必ず流れて変わって行き、そして終わる時が来るからです。

後から早回しの映像で見た時、苦しかった時が自分にとって一番大切で、貴重で、有り難い時だったのが分かります。
そして、その時の自分の魂が輝いていたことも知ります。

私は生まれる前からの記憶と意識の断片を残したまま誕生し、この世の0歳からの記憶も維持しています。
昔話をすれば、建物の詳細から出来事まで、一番覚えているのは家族の中でも私です。
よく親に成人してから言われたのは、私が3歳まで日本語を覚えないので心配したとのことです。
ずっと意味不明な外国語のような言葉で親に話しかけていたのです。
まるでインド風な言葉だったと。
この時の自分自身のもどかしさを今でも覚えています。
懸命に日本語に「同調」しようとするのですが、口から出る言葉は過去生の言葉しか出ませんでした。
そして、生まれてから利き腕が左利きだったのを、小学校に上がる前に右利きに矯正されてから、過去生の言葉は完全に消えてしまいました。

赤子の時の景色を見ていた自分と、今の中年の肉体をまとう自分は、心がまったく同じなのです。
成長も退化もしていない、まったく同じ状態です。
ただ、今の文明の知識と垢が身についただけであり、生活の景色を眺(なが)めている自分の心は不変な一定なのです。
今生の私が(自我)死んでも心は残り、今のままでしょう。
なぜなら過去生もまったく同じ心だったのを覚えているからです。
これは皆さんも、まったく同じなのです。忘れているだけです。
死後に必ず思い出す法則になっています。

心とは、成長も退化もしない一定不変な神性なのです。
だから、今の自分の状態を眺めましょう。
もし今が苦しければ、自分の永遠不滅な心でもって静観をしましょう。

この世のどんな刺激も、自分の心を傷付けることは絶対に不可能なのです。
傷付いているのは、自分の自我だから大丈夫なのです。
だから逆に見届けてやれば良いのです。

すべてが必ず良い思い出に変わります。
この世の時間は短く、必ず終わりが来ます。

あの世は時間が止まった、退屈な変化の無い世界です。
この世の苦しみや楽しみ、悲しみ、ハラハラドキドキこそが時間限定の、「神からの貴重なプレゼント」なのです。
今の生活状態に成り切りましょう、没入しましょう。
                                                                  引用ここまで

今日の記事は、ほっとする内容でした。
又、読み返したい記事でしたので、ブログに引用させてください。

毎回毎回よくも、これだけの文章が書けるものだと感心します。
リーマンさんや、ふぐり玉蔵さんのような、文章力があれば、魂を震わせるような文章が書けるならば、この組織的犯罪の広報力となるのに。。。。
残念ながら私にはありません。

一つには、批評論評じゃなく、自分の体験から語っているのが、読者を引き付ける要素になっているのかなと感じます。

「苦しかった時が自分にとって一番大切で、貴重で、有り難い時だったのが分かります。そして、その時の自分の魂が輝いていたことも知ります。」

確かに、私の体験からも精神的に苦しい時というのは、自分の心構え一つ、取り組み方一つで、霊的に飛躍的に成長できるというのは確かですね。

当時は、苦しかっただけだったですけれど、今思い起こすととても懐かしく貴重な期間であったことを知ります。

今経験してることもいつかきっと、そういうふうに思える時が来るのでしょう。
私も、最中を楽しみます。
「必ず終わる時が来る」ことだけは確かなことですからね。
  1. 2018/10/18(木) 23:33:16|
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「なるように成る」事を受け入れる勇気

「なるように成る」事を受け入れる勇気

琴線に触れる記事ですた。

黄金の金玉を知らないか?
から引用


あなたは誰かのためになっていますよ。
あなたは知らないかもしれませんが、あなたの恩恵を受けている人はたくさんいますよ。
ありがとうございます。
そう声をかけてあげたくなりますた。

苦しくても、報われなくても、何かしら一生懸命他を生かす生き方をしている人というのはどこか輝いて見えます。
悩み苦しみながらも生きる姿。
光がさしている。
君死にたもうこと急ぐべからず。
物事の解決には、時の経過が必ず必要な面が在るのです。
ワタスも何かしら頑張ってみよう。
何か勇気を貰った気がします。


2010年2月18日過去記事から引用抜粋

(本文)

この世は、全てが振動している世界に私の霊眼では観えます。
つまり、動き続けて変化し続ける世界です。確定し固定化された世界では無いのです。
だから逆に、物事が好転するのは簡単な事なのです。


この様な沸き起こる感情は、情熱の発散として起こるままに「流して」生きます。
ここで大切なのは、思いを「貯め無い」ことです。

嫌な思いの磁気は、切断しなければ生けません。
その方法が、感謝の神祭りや依り代による先祖供養なのです。

どんな悪い物事でも、「流れる」限りは大丈夫です。
これは、思考の話だけでは無く、この世のあらゆる森羅万象に通じる事です。

生活の中で沸き起こる思いは流して、これでは生けないと「思い直す」習慣を一日の中で何度も持てば良いです。
そして、細かい心配をせずに「生かして頂いて 有難う御座います」とマントラの様に繰り返しながら作業をするのは非常に有効です。こうしていますと、悩み問題の解決法が考えてもいないのに浮かんで来る事が起こります。
人間の脳(=宇宙)は、思考により考えようとしなくても、もっと脳の奥深い領域において、必要な対策を無意識にするものです。執着して考えない方が、良い答えが「来る」のです。

苦しく成れば、自分のリキみを解いて「内在神に御任せ」の心境で進んで行けば良いです。
それが自分にとっての最善の道と成ります。



人生には、「なるように成る」事を受け入れる勇気も必要です。

自分が出来る事を努力したならば、それで十分です。

裸で生まれて、裸で死んで「行く」のですから、慌てる必要はありません。     

  1. 2018/10/18(木) 23:26:24|
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皆さんが抱える悩みは、それは本当に悩みなのか?ということです。自分の悩みを、そもそもから疑って欲しいのです。 自分の先入観が創りだした、思い込みを悩んでいる可能性に気付いて欲しいのです。・ 本当は、感謝するべきことを見落としていないか?ということに目覚めて欲しいのです。

人は先入観で他人を嫌います。「今の」相手を正しく見ません。
2018-10-18 11:30:50 | Weblog
人類の進化を止めている悪いサガが色々と有ります。
老子や釈尊が生きた2500年前の人々の悩みや失敗点と、現代人は何も変わっていないことを見ましても明らかです。
人類は、何も成長していません。

でも、知識や科学は進化したのではないか?
と思う人はおられることでしょう。しかし、これこそが悪いサガの1つなのです。
この悪いサガの1つ1つは、非常に大きなテーマなので、今日はその内の1つについて書いて置きたいと思います。

・ 人間は、自分が持つ知識内に、答えを探す悪い癖が有る。
・ 自分が持つ知識に、対象(相手や答え)を当てはめる。

要するに、本当の正解は違うのに、自分の知識内に当てはまったものを答えとして満足している、ということです。
これが有るために、進化はしません。

宇宙は数学で表現が出来ると言い切る学者がいますが、自分が知る数学という道具を後追いで当てはめたに過ぎません。
宇宙のほんの表面が数学に当てはまっただけであり、真実でも何でもありません。

だから人間は、他人でさえも、自分の知る範囲の知識だけで見ます。
対面して見ている相手も、最初に会った時の映像を取り込んで、
・ 「あの人はこんな姿だ、顔だ」という「自分の思い込み」により、脳内に映像化して見ているのが実際です。

2回め以降に会った時も、相手の顔を見ているようで見ていないのです。
1回めに自分の脳が記憶した相手の顔の映像に、今日の服に着せて見てしまっています。
「あの人はこういう人だ」という先入観のホログラム(人工映像)と、人は交友しています。

・ 正しく今の相手を見ることが出来ない。
・ 最新の今という真実を、人類は見ていない。
・ 寝たまま、過去の映像と思い込みの中を生きている夢の中が、人類の真相。
・ 目覚めていない。

う〜ん、話が難しくなって来ました。また、家族に怒られます、笑。
要するに今日の言いたいことは、
・ 皆さんが抱える悩みは、それは本当に悩みなのか?
ということです。
自分の悩みを、そもそもから疑って欲しいのです。

自分の先入観が創りだした、思い込みを悩んでいる可能性に気付いて欲しいのです。
・ 本当は、感謝するべきことを見落としていないか?
ということに目覚めて欲しいのです。


例えば、子供の生活のことで悩む親が多いですが、
その一方で、子供を持てないことに死ぬほど悩む人もおられます。
真実は、この両方ともに、悩みでは無いのです。

自分が生活が出来て、当たり前では無い健康が有る上で、子供のことで悩んでいます。
勤務のことで悩む人も多いですが、無職の人には、それも羨ましい悩みです。

人間は自分の先入観が創り出した世界と対峙して、悩んでいます。
でも、そういう先入観の世界に居る間は、転生(生まれ変わり)がどんな形になっても、繰り返して終わりません。
神様は気長に、私達が目覚めるのを待っています。


宇宙の真相は、
・ 空海さんが指摘された、金剛界(見える世界)と胎蔵界(見えない世界)。
・ 老子が指摘した、陰と陽の世界。
2つセットで成立しています。

今の世界は、誰もが見える世界だけで生きて、悩み、考えています。
でも自動的に、
見えない世界でも、自分が並行して存在し、陰(胎蔵界)を生きている自分も実在しています。

コンピュータのハードディスク(記憶装置)が、2重に「同時に」並行して記録して行くようなことが、人類の脳(右脳・左脳)に行われています。
右脳は、陰・胎蔵界へ。
左脳は、陽・金剛界へ。

今の科学は、見える世界だけを数式に当てはめて満足しています。
でも、胎蔵界までリンクさせない限り、本当の進化はまだまだ起こりません。

でも、今の子供たちには、胎蔵界の右脳が起き始めた人類を見掛け始めています。
老人でも、見えない世界に感謝を始める人は、目覚めが起き始めます。
そういう地球の振動数の時節に入っています。
災害は起こりますが、未来は明るいです。前向きに生きましょう。

(読者からの感想)
なるほど、今まで、何度も、人類は2500年前から進歩していない、と指摘されてましたが、そういう意味だったんですね。
確かに、今の人間は、先入観にどっぷりつかって、その中で悩んだり苦しんだりしていますが、その大前提である「今生きている」という事のありがたさへの感謝が、日常生活で全くなされてないとおもいます。

今生きていることへの感謝を忘れて、そこから派生するおまけである、様々なこの世の現象の大小ばかりに全力で注目しているのが現状ですね。
私も、テレビで、この人は、良いひとだ、あの人はあかん人だと、色々過去に囚われて判断しますが、これって、幻影の世界への没入ですね。

ああ、あの人も、色々なカルマの幻影の中でも、あの人なりに、頑張って生きようとしているんだ、素晴らしいことだと、全ての人を見てこう思えたら、少しは目を覚ませるんじゃあないかと思いました。
結局は、雑念、邪念が出そうになったら、「生かして~」の聖句に変換していく精度を上げていくのが、今の自分には一番合っているんじゃないかと思います。
もちろん、先祖供養、氏神参拝があっての上ですが。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/18(木) 21:49:03|
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禅の求道で大切なことは、・今だけを、正しく見ること(正見・正視)過去も未来も心配しません。今が、過去も未来も合わせた全てだからです。先ずは自分の思いが、済んだ昨日に住まないこと。今日に住むこと。これを実践して見ることを参考にして頂ければ幸いです。

日々に「生まれ直し」が出来ることが目的です
2018-10-07 11:13:53 | Weblog
人間は、苦しい最中や、心配している時の過ごし方で、運命が変わると感じます。
新入社員を見ていましても、

・ 仕事が大変で苦しい時でも、怒られても「薄い笑い顔」で淡々と仕事を頑張る人は、なんとか勤務が継続して、昇進して行く様を見掛けます。

・「思い詰めた表情で」余裕無く仕事をする人は、継続せずに途中で辞めて行く人が多かったと思います。

自分が「怒られた時」「注意された場合」に、
・ 私はダメだと、反芻(はんすう:繰り返し場面を思い出すこと)する人と。
・ 反省すべき点は反省した上で、仕方がないと、前向きに受け取る人。いつまでも思いを反芻しない人。
これで、運命が分かれても行きます。


済んだことを繰り返し思い出して、自分自身で現状を低下・悪化・放棄をして行く人が増えています。
これは、過去に食われている最中の人、過去に負けた人だと言えます。


人の運命を悪くする原因は、自ら過去にしがみつくこと、自分の過去に負けていることが多いのです。
でも、その人は、過去を反芻し続ける自分の責任に思えずに、他人を原因にして気付けません。
・ 済んだ嫌な過去は、ブラックホールと化して、今に有る明るい光をも食って行くこと。


宇宙のブラックホールは、光を吸収して行く空間です。蟻地獄のようにです。
悩む多くの人の心には、「嫌な過去というブラックホール」が実在しています。
これが心に存在する限り、「新規」の良い光(芽)も食われています。

結婚、就職、勉強、様々な良い光の新規の芽を、自分が過去を反芻するために出現したブラックホールに食われている人が多いです。
その人の運命に影響しています。


自分に注意したり、怒った他人という者は、
・ その時の、その人の、気分であること。
・ 自分が心配するほどの深意は無いこと。
・ 他人は無責任であり、もう相手は忘れているかも知れないこと。

でも自分はいつまでも心配して、勝手に心にブラックホールを創って行っています。
こういう可能性が多いことも参考にしてください。

禅の求道で大切なことは、
・ 今だけを、正しく見ること(正見・正視)

過去も未来も心配しません。
今が、過去も未来も合わせた全てだからです。


昨日までの自分は、もう死んだ。
今日は新規の自分です。
太陽は夕方に死に、朝に生まれ直します。
これを毎日繰り返します。
この太陽の「生まれ直し」を学ぶことが、太陽神を拝む神道の原点です。

「生まれ直し」の循環が出来ていない人が大半です。
これが運気も、運命も悪くしています。
もし、日々に「生まれ直し」が出来た人は、無限の新規の可能性が広がります。運命が変わります。

先ずは自分の思いが、済んだ昨日に住まないこと。
今日に住むこと。
これを実践して見ることを参考にして頂ければ幸いです。


誰もが必ず肉体を去る宿命ですから、コノ世のことに負けないことです。
ダメでOK。 気にしないことです。

すべてはハラハラ・ドキドキさせるための時間限定のアトラクション(余興)なのです。
これに負けないで生きましょう。

生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/18(木) 19:18:41|
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これは気が付かなかった!【死への恐怖感】

大切な死への恐怖感
2018-10-12 11:21:33 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
何者をも恐れないライオンのごとく、

どんな欲望の対象にも惹かれることなく毅然と立つゾウの王様のごとく、

一人で修行に歩く、釈尊の尊顔を拝しようではないか。

そして、いかにして死の恐怖から自由に成れたのか?

聞こうではないか。

(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.166)

(感想)

神霊でも気にする要点が、
・ いかにして死の恐怖から自由に成れたのか?
ということです。

人間として受肉した者であるのに、「死の恐怖から解放された御方」という釈尊への風評が、本当なのか?
と神霊は興味津々な訳です。
それほど人間にとっては、「死への恐怖感」というものが、人生の最後まで支配する大命題なのです。
人間の本能として最後まで残るのが、死への恐れなのかも知れません。

人間が苦労して働くのも、交通事故を注意するのも、定期検診をするのも、そのすべては、
・ 死ぬかも知れない。
という本能から行うことです。
もし、人間の本能から「死を恐れる」というサガを除去した場合、人類はどうなるのでしょうか?

ヒャッハー!と嬉々として殺し合いを行い、簡単に絶滅することでしょう。
強い死への恐怖を抱く今までの人類でも、戦争という大量殺戮を行って来たのです。
この上に「死を恐れない」という人類になれば、もう際限のない悲惨な世界が到来するのは間違いのないことです。

釈尊は、創造神が人類に植え付けた「死への恐怖」という本能を断ち切ったという訳です。
神霊も、それは本当なのか?
では、どうやって釈尊は死の恐怖から自由に成れたのか? 
が知りたいのです。

神霊にすれば、肉体を持たない自分たち不死の神々と、人間との決定的な大きな差は、死への恐怖感の有無だと思っていたのです。
それが、生きる人間のままで、死への恐怖を無くした者が出現したと聞いて不思議に思っているのです。

神霊にしても、受肉の転生が過去に有ったとしても、神霊として自由自在に成れたのは死後の話だからです。
ここで思い出しますことは、釈尊の発言に有ります、

・ 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)
宇宙には自分一人だけが、独りで存在している。
宇宙全体が自分だった。
すべては1つだった。
他人も、自分自身だった。

この境涯に釈尊は達していたのです。
すべてが自分だった、これが深く腑に落ちた時に、
生と死という区別は無かった。
生と死は、連続した1つだった。

これが理屈を超えて、分かってしまいます。
その時に、「死は無かった」ということが本当に分かります。

更に言えますことは、
・ 誰もが必ず死ぬ。
これほどの大きなヒントはありません。
歴史上の人物も、全員が死んでいます。私たちの先祖も、知る家族も皆死んでいます。

これを正しく考えた時に、死を恐れることは一切無い。
これに気付いて頂ければ幸いです。
でも、自殺は厳禁であり、大きな例外であり、意味が違います。
その死後の行き先も、まったく別物です。

神霊たちと、釈尊の面会を楽しみにして、更に読み進めましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/12(金) 21:39:16|
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・ 何とかしたい、という思いを捨ててみること。・ それでも、仕方がない。と覚悟をして見ること。・ 流れに任せて、無抵抗で静観して見ること。

降伏と幸福の関係とは
2018-09-27 10:15:51 | Weblog
・ 抵抗するから苦しく成る。
今朝は、このように響いて来ます。

また台風が近付いて来ていますが、今回も大雨と風害に注意が必要です。
道路に30cm以上の深さの「流れ」が出来ますと、これを遡って歩くことは人には出来ないそうです。

たった30cmの深さの流れに見えましても、その中に入りますと、想像を超える圧力が掛かり、身動きが出来なく成ります。
浅く見える水の流れにも、抵抗しないほうが良いです。

人間関係に苦しむ人が多いですが、
・ 自分で何かに抵抗していないでしょうか?
自分のプライドが、相手に抵抗しているのか。
自分の理想が、組織に抵抗しているのか。
自分の見栄や欲心が、他人に抵抗しているか。


様々なケースが有ることでしょう。
そこで試すことは、自分の心が感じる、どんなストレスや心配にも、
・ 何とかしたい、という思いを捨ててみること。
・ それでも、仕方がない。と覚悟をして見ること。
・ 流れに任せて、無抵抗で静観して見ること。

このような心境も「時には」参考にして頂ければ良いと思います。
流れに従って見ることは、自分の負けでは無くて、チャンスを呼ぶための期間だと思って欲しいのです。

押してもダメな時は、逆に抵抗せずに受け入れること。
これが次の良いカードを、自分に呼び込むための準備期間と成ります。
何とかしたいと押す一方では、より大きな抵抗を生んで、苦しく成るばかりです。


そうでは無くて、すべてに対してサレンダー (surrender:降伏すること)を自分の中でしてみることです。
「抵抗しません」、と自分の中で誓って見ることです。
これが運気を変える気を呼びやすくします。

自分の自我(ワレよしの心)が、この世の問題に抵抗している犯人です。
悩みを創っています。

考えて見ますと、正しい参拝ほど、まさに心からのサレンダーなのです。
素直になって、すべてを神様にお任せしますという、覚悟なのです。


その時に人は、死も超えることに成ります。
深刻な病気でも、気にならなく成ります。
このサレンダーが深い人ほど、奇跡、問題が霧散する現象、が起こることに成ります。


自分の自我(ワレよしの心)が、この世の問題に抵抗している犯人です。
悩みを創っています。
無抵抗でいること、降伏することは、その自我を破壊することに成ります。


ただし注意点は、無抵抗や降伏をして、何も努力をしないということでは無いのです。
無抵抗の降伏の心境でいながら、出来る最大の努力をしていること。
これが重要です。


その「降伏」の継続は、「幸福」を呼びます。
コウフクという不思議な日本語(神界言語が真相)の言霊は、大切な示唆を教えてくれていたと言えそうです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/09/27(木) 12:31:05|
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今の自分が感じるストレスの内容を見ることで、色々なことを知ることが可能です。そこには重要な、・ 自分が変わるべき方向のサインと、・ 神様が望む指令書が有ること。神様が仕込むパズルは完璧だったのです。一厘の狂いも生じていません。「すべては自分のために存在してくれている」

すべては自分のために存在してくれている
2018-09-19 11:13:27 | Weblog
多くの人々を観ていて感じますことは、
・ 誰もが自分なりの、為しがたきを成すために、生まれて来ている。
ということです。
そのテーマが、個人で違うだけなのです。

だから人は、コノ世でストレスを感じるのも正常なことなのです。
ストレスを感じることで、成長が起こる訳です。
これは生物の進化の過程を見ても言えることであり、まさに生存ストレスと外敵から身を守る苦しみが、生物の形態の変容を生み出して来ています。
色々な嫌なストレスが、生物の形状をも変化させて来た地球史が有ります。

今の自分が感じるストレスの内容を見ることで、色々なことを知ることが可能です。
そこには重要な、
・ 自分が変わるべき方向のサインと、
・ 神様が望む指令書が有ること。
このように考えると楽しいかも知れません。


同じ介護の仕事をしていましても、Aさんは嬉々と行い、Bさんには苦痛で仕方がない。
これは、Bさんが介護に向いていないということではないのです。Bさんに不足していること、成長したほうが良い点、これをストレスを感じることで知らされています。
こういうことが様々な職業で言えます。

自分がストレスを感じること、嫌なこと、嫌いな他人、これを冷静に見ることで、今の自分に足りないモノが観えて来ます。
「こんな自分はダメな人間だ」
このように自分自身にもストレスを覚える人は、まだまだ変われる可能性が有ります。

でも、そう感じましても「改善への行動」が無いと、自分を痛めるだけで退化します。
ストレスを感じるだけでは、自傷行為となります。ただ思うだけは生けないのです。
ストレスが期待しているのは、改善への「行動」なのです。
考え込むな! 動くんだ!


更に進化の流れを見ますと、ストレスを感じない部位は、退化して欠落が起こっています。
使わない臓器は、萎縮して行きます。
歩くことも、足の筋肉への日々のストレスが、退化を防止していると言えます。

そこで、嫌いな家族、嫌いな上司、嫌いな隣人、嫌な仕事などなど。
本当に良い修行をさせてくれるものだと、
自分を鍛える先生だと思って、
ニヤリとしていましょう。


すべては自分のために存在してくれている。
このように考えることも一興(いっきょう:面白いこと)です。
でも、自分の死後に、
・ すべては自分がしでかした借金(因果)を消すために、
・ 自分に来生への善徳貯金をさせるために、
用意された人々であったことを思い知ります。


神様が仕込むパズルは完璧だったのです。一厘の狂いも生じていません。
「すべては自分のために存在してくれている」

これだけでも、覚えていてくだされば幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/09/26(水) 12:55:00|
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内在神が発露するには、自分の中でのギリギリを体験した後に、突き抜けるように心身が変わることが人に起こります。


可哀想な自分からの卒業
2018-09-26 10:24:46 | Weblog
「判官びいき」
(ほうがんびいき、はんがんびいき:理屈や正当性を関係なく、とにかく弱者を応援する気持ち)

最近に気になる言葉が上記のこれです。
まず、「はんがん」よりも「ほうがん」と読むほうが歴史の裏付けが有るようです。

問題は、
・ 「判官びいき」を利用すること。
・ 脅されたという被害者を自称すること。
・ 弱者を演じること。
こういうことが、公的な場面では無いことが望ましいと感じます。

プロレスなどは、まさにこの手法が昔から有ります。
最初に負ける寸前まで痛め付けられて、後半で逆転勝利というパターンです。
観客は、もうダメだと思った。 → しかし挽回して勝つ。
観客はこの過程を見て、自身のストレスを昇華させていると言えます。
強者が最初から一方的に勝利しても、盛り上がらない訳です。

でも、このようなことが、公的な選択の場面で有ってはダメだと思います。
例では、いかにも偉い立場の会社の役員から、組合の選挙から降りろと脅されたと自演する社員。
 ↓
では、誰に言われたかを聞きますと、
 ↓
言われた人の立場を更に危険にするから、聞くほうが悪い。
被害者を傷付けるな、と言われる。
 ↓
この真相は、なんと社員の後輩から言われただけだった。
会社の役員から言われたのでは無かった。
でも、会社の役員たちは、社員全員から敵意の目で見られていた。

こういうことが、色々な業界で発生しているような気がします。
ここで思い出す言葉が、老子が示唆した、
「弱は、強に勝つ」
まさにこれの悪用が、現代社会にも起こっていると感じる昨今です。

では、こういうことは日本特有のことなのか?
と調べますと、外国にも有りました。

・ アンダードッグ効果:投票予測や勝敗予測で劣勢だったほうを応援する傾向が出てくること。
苦しい経験をしたことがある人には、とくに「判官びいき」をしやすいと言えます。

でも、交通事故でも、喧嘩でも、陰で笑顔で舌を出しながら弱者を演じたほうに有利に働くような「判官びいき」ではダメです。

現場に駆けつけた警察官でも、被害者のほうが大柄ですと、被害者を押さえつけている間に、小柄な犯人を逃してしまうことも有るかも知れません。
先入観や、アンダードッグ効果というものが、簡単に影響を及ぼすと言えます。

ただ、本当の弱者が、問題を提起していることも有りますから、上記のようなことは一概には言えないことです。
今日の私が言いたいことは、ここからです。

人間は、「自分は弱い人間だから・・・」「私はダメな人間だから・・・」
という感じで、自分を慰める、自分を納得させる、〜〜をしない、ということが無いでしょうか?

これも自分自身への判官びいき、アンダードッグ効果をしていると言えそうです。
でも、自身に内在する神様は、これをどう見ているのでしょうか?

内在神が発露するには、自分の中でのギリギリを体験した後に、突き抜けるように心身が変わることが人に起こります。

でも、アンダードッグ効果を自演している間は、その人は何も変われません。
同じパターンの渦の中をいつまでも過ごすことに成ります。

内在神は、常に観ています。その人なりに、精一杯に頑張り続けた時に、すべての喜怒哀楽を超えた心の平安が訪れます。

可哀想な自分を卒業して、前向きに明るく安定した自分を生きることが、誰もが可能です。
可哀想な自分から、たとえ前向きに倒れても笑っている自分へ。
本当の自分を発露させたいものです。


(伊勢白山道)
  1. 2018/09/26(水) 12:33:58|
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今の自分の生活環境にストレスがありましても、逆にそれは「ゾーン現象」を起こす機会でもあります。ゾーンの経験に到達しますと、自分の思考が実現化しやすいという副産物がかってに付いて来ます。これから何でも「明るく」自分の為の修行に変えて行きましょう。

無の体験
2016-09-14 11:37:40 | Weblog
(読者)

記事を読んで思い出したことがあります。学生時代にホテルの宴会場でバイトしていました。その日のパーティは300人のフルコースの接客でした。お客様の乾杯の挨拶などを聞いている間、集中していたらだんだん身体の感覚がおかしくなってきて、体調が悪いのかと思いました。

(1)しかしコース料理の配膳が始まるとなぜか心の中が『今』だけになり、
(2)会場はざわざわしているのに自分の周りだけ静寂に包まれてゆっくりになりました。
(3)何一つミスをしないし、360°周りが見渡せている感覚になり、実際に自分の後ろの方にいるお客様に呼ばれていないのに、白ワインをお代わりしたがっていることなどがなんとなくわかったりしました。
(4)2時間ずっとそんな感じだったのですが、体感は 10分しかたってなくて不思議でした。

もしかしてあの感覚が完全同化現象なのでしょうか。真剣にバイトしていたので、あの時ぐらい真剣に家事をしてみます。当時はまだ知り得なかった感謝想起もしながら。

(感想)
これはオリンピックに出るような選手の多くが知らずに体験している「ランナーズ・ハイ」「ゾーン現象」と呼ばれる境地に見られる特徴です。

* 時間が止まったような。時間が消える感覚。
* 周囲の雑音が遠方に微かに存在するのは分かるのですが、静寂の中に居る感覚。または、雑音も完全に消えます。
* 他人の気持ちが自分の心に直接に伝わって来る。分かる。
* 自分の視線が天井から全体を見ている。


このような特徴が色々な分野の成功者に、共通して見られます。
そして興味深い特徴は、
* 1人の時よりも、集団で活動する時、相手が、「競う」他人が、存在する時の方が体験しやすい。
ということです。

実はこれこそは、釈尊が自分一人で死ぬほど苦行を重ねても悟れなかったのが、働く女性と出会った時に悟りに「落ちた」理由でも有ります。
人間とは、一人暮らしでも良いのですが、仕事としてでも、生活行為としてでも、他人と接する機会が出来るだけ有るほうが良いのです。

仕事でも社内や取引先に、腹が立つ他人が存在することは、実は本当は自分自身の為に成るのが霊的真相なのです。
神秘家グルジェフは大金を稼いでも、多数の行き場の無い老人や子供たちを自宅に囲っていました。 
その中には、嫌味な、非協力な変わり者が居たのです。

面倒を見る人たちが、「あの人を追い出してください!!」と集団で直訴して来た時にグルジェフは、
「いや、アノ人に給与を支払ってでも居てもらう」
と言い放ちました。
すべては、周囲の人に心の葛藤、相剋、あきらめ、その先に在る「自身の明け渡し」「心の解放」を促す為でした。

だから自分が勤務する会社や、または家族の中に困った問題がありましても、すべては「自分の為」に転換が出来る機会だと思ってください。
家族に障がい者がおられて、世話をするうちに観音顔に進化されている人も見掛けます。生きながら「観音様」に「結晶化」が始まるのです。

その人は、自分の死後に受け取る宝の多さに驚嘆することでしょう。そして、障がい者だった家族のことを思い出します・・・・。
会社の変な上司などは最高の宝の元です。変な上司が来るたびに「ニヤリッ!」としていれば良いです。しかも給与付きで修行が出来るのですから言う事無しです。

今の自分の生活環境にストレスがありましても、逆にそれは「ゾーン現象」を起こす機会でもあります。
また、人は死ぬ直前には誰もが「ゾーン」に入ります。従って、周囲の家族の今の思考・過去の不倫や所業もすべて瞬間的に幻視されますから注意して置きましょう。
「早く死んで」などは絶対に思っては生けません。

ゾーンの経験に到達しますと、自分の思考が実現化しやすいという副産物がかってに付いて来ます。
これから何でも「明るく」自分の為の修行に変えて行きましょう。


(伊勢白山道)
  1. 2018/09/23(日) 23:03:08|
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・ 心の中のお喋りを止めて、心を沈黙させる試みをすること。 これに今日から挑戦することを参考にしてください。

沈黙がもたらす恩恵は大きい
2018-09-18 11:59:13 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
雪山に住む神霊が問い掛けます。

「釈尊という者は、仏陀(ぶっだ:目覚めた人、完成者)の条件である沈黙の聖者と言える行動と、話す行為を完成させているようだ。

バラモン(最高の司祭者・祭主)にふさわしい叡智と修行を完成させた、真理の体現者として釈尊を認定するのか?」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.163A・B)


七岳山(しちがくさん)の神霊が、雪山の神霊に対して答えました。

「まさに、そうだ。

あの釈尊という沈黙の聖者は、沈黙の聖者と言える行動と、話す行為を完成させている。

バラモンにふさわしい叡智と修行を完成させている。

さあ、真理の体現者として仏陀たる釈尊に会いに行きましょう」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.164)

(感想)

この項の学びは、「沈黙」ということが、非常に重要であることを示しています。
人間は、沈黙が苦手である、更には沈黙が出来ない人が大半である。
これが言えることを感じます。

沈黙とは、口で話さないことだけでは無いのです。
心の中でも、沈黙を守ることが大切なのです。

大半の人間は、口では沈黙するほど、心の中では罵詈雑言、叫んでいる人も多いと思います。

真の沈黙は、口を慎むことにプラスして、心の中も沈黙していることなのです。
悟り=口も、心も、完全に沈黙した静寂の状態
このようにも言えます。

心身が病み出すほど、心は沈黙が出来ません。
独り言の多発は、心の制御が破れている状態を示し、爆発する兆候でもあります。
自分でも独り言が出ていることに気付ければ、休んだほうが良いというサインだと思いましょう。

誰もが口では黙っていましても、心の独り言と、心中でのお喋りが止まっていません。
・ 心の中のお喋りを止めて、心を沈黙させる試みをすること。
これに今日から挑戦することを参考にしてください。

心の中のお喋りが止まる恩恵には、凄いものが有ります。

・ まず、心の漏電が止まります。

多くの人が、自分の希望が叶い難いのは、心の中のお喋りにより漏電しているからです。
意志力のエネルギーが、心中のお喋りにより漏れ出ています。
これを止めれば、物事を実現させる心のエネルギーが蓄電を始めます。
これには「心の沈黙」が必須条件です。

・ 心が沈黙しますと、見るモノの正体が分かり始めます。観え始めます。

心のお喋りが継続している人は、非常に迷いやすい、ダマサれやすい、不運な方向を自分で選択しやすく成るのです。

自分の心が沈黙しますと、見る対象(人物・会社・商品・投資・何でも)が馬脚を現す(ばきゃくをあらわす:隠していた本性や悪事がばれることのたとえ)
のが観え始めます。

私の経験では、心中でお喋りをしている人を観ますと、その人の未来は非常に心配であり、右往左往、コロコロと変わってしまうこと(転職・離婚・引っ越しなどなど)を繰り返すことを感じます。

こういう人にアドヴァイスをしましても、後から本人に感謝されないことも分かっています。
自ら、悪い方向に行ってしまうからです。
心中でお喋りが止まらない人は、何でも他人の責任にして、逃避する人でもあります。

ところが、心中のお喋りが少ない人は、その人が今に思っている計画や思いを後押ししてあげることで、ほぼその通りに進みます。
・ 心中のお喋りを止める練習=幸運度が上がる結果を呼びます。

この項では、神霊が完成した人間に要求していることが、沈黙の聖者と言える「行動」と、沈黙にふさわしい「話す行為」の実現でした。
他人の陰口・悪口を言って、心中で思って、気分を発散させているようでは、まだまだ不運が憑いて回るということです。
心中の沈黙に挑戦することを思って頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/09/18(火) 12:53:24|
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今のここに住み切った人から、自由に成れる秘密がコノ世に在ります。過去の聖者たちが、誰もが経験した過程に、・ 今の瞬間しか実在では無かった。・ 今の瞬間以外は、自我が創造した「前」・「後」という時間の観念であり、これは幻想。・ 時間は無かった、存在しない。今という瞬間に生き始めた人間が思う意志力は、コノ世で非常に透き通るように貫徹しやすい力を持ち始めます。自分が思う力が、創造力を持ち始めます。「こうなれば良いな」、と自分が思ったことが、願わなくても叶い始めます。・ 自分の今の現状を、逃げずに正しく見ましょう。・ 過去も未来も頼りに生きずに、今日も今のこの瞬間・瞬間を生きてやろうと思うことです。・ 今のこの瞬間に生き切ることが出来れば、時間が止まり、心身の若返り現象も起こることです。

創造力を保有し始めるには
2018-09-15 11:24:51 | Weblog
昨日の記事「今の相手だけを見る大切さ」におきまして、
・ 相手の、いつの時代を見ているのか?
・ 今の相手を正しく見ているのか?
という命題(めいだい:文章が主張する重要な意味内容)がありました。

では、私達は、
「自分自身のいつの時代を見ながら、生きているのか?」
これも人により、様々であり、その人の人生に影響を与えている重要な視点なのです。

* 過去の苦しかった時の、自分から抜け出せない人。
その時の関係する人物を、今でも恨みながら、見続けながら生きている人。

* 過去の幸せだった時の自分を見ながら、それを頼りに生きている人。
今よりも、過去の中に住んでいる人。

* 若者ならば、ただ未来を夢想しながら、今の状態を抜け出すように生きているかも知れません。

とにかく言えますことは、
・ 今の中に生きている人は少ない。
・ 今は、ただ時間が経過するのを待っている、見ている人が多い。
・ 早く終われ、と思っている人も居ます。

人類は、今という瞬間の中に生きることが出来ずに、
・ 過去の時代に住もうとする癖を持つか、
・ 今という瞬間を惰性で生きながら、その素晴らしさを見ようとはしない・出来ない。

でも、答えは今のここに在ります。
今のここに住み切った人から、自由に成れる秘密がコノ世に在ります。
過去の聖者たちが、誰もが経験した過程に、
・ 今の瞬間しか実在では無かった。
・ 今の瞬間以外は、自我が創造した「前」・「後」という時間の観念であり、これは幻想。
・ 時間は無かった、存在しない。(アインシュタインもこれを物理学から主張した)


以上は難しく思われることでしょう。
それでも、だって、という疑問が湧いて来るものです。

では、今という瞬間しか無いことが分かれば、何か良いことが有るのか? 金でも儲けられるのか?
と思う人もいます。
その答えは、それが無きにしもあらず、なのです。

その理由は、今という瞬間に生き始めた人間が思う意志力は、コノ世で非常に透き通るように貫徹しやすい力を持ち始めます。
自分が思う力が、創造力を持ち始めます。
「こうなれば良いな」、と自分が思ったことが、願わなくても叶い始めます。


過去の時間に住む人は、いくら祈願しようが、思うことも、何も実現力が持てないのです。
終わった過去に、自分の意識が住むからです。
今の自分も、停止をすることに成るのです。
これでは生けません。

・ 自分の今の現状を、逃げずに正しく見ましょう。
・ 過去も未来も頼りに生きずに、今日も今のこの瞬間・瞬間を生きてやろうと思うことです。
・ 今のこの瞬間に生き切ることが出来れば、時間が止まり、心身の若返り現象も起こることです。


過去に生きる人は、老けるのも早まります。心身の弱体化も起こります。
まして、済んだ過去を恨みながら、気にしながら生きることは、これを加速させます。
この理由は、済んだ過去には、魂の原子炉がもう無いからです。

魂の原子炉は、常に今の瞬間に燃え続けています。
今の重要性に気付くことを繰り返すことは、原子炉にさらに燃料を注入します。
芸術は爆発だ〜〜!と叫んだ芸術家がおられましたが、
生きる誰もが今のこの瞬間に、生命の輝きの爆発を繰り返しています。

これに気付くことが、自分の創造力をもたらします。
自分が思うことが叶い始める、これを体験する人がこれから増えます。

(伊勢白山道)
  1. 2018/09/15(土) 18:59:38|
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真理を深く理解した者は、悪徳な利益は続かないから、そういう機会から更に離れて捨てに捨てて行きます。


個人の道徳観の有無が、その未来の色々な富裕さを決める
2018-08-29 11:43:05 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第四十八章『行為は思考に勝る』

「老子の人生論」第四十八章

人は、学問を身に付けるほど、利益を生む機会が増えて行くものだ。

でも、真理を身に付ける人は、真理が身に深く浸透して行くほど、あれもこれもという利益の機会を逆に捨てて行き、絞ることが出来ます。

そして真理を深く理解した者は、悪徳な利益は続かないから、そういう機会から更に離れて捨てに捨てて行きます。

その結果は、学問を苦労して身に付けた者よりも、真理の心境を身に付けた者は、莫大な成功を働かないでも得られる立場まで行き着きます。

だから社会を正しく収める者こそは、何かを成し遂げようとしては逆に収まりません。
利益を追求しても、その利益はたかがしれているのです。しかも安定して継続しません。
だから善徳という真理を身に付けた者で無ければ、社会は収まりません。

(感想)

この章を読みましても、老子が軟弱なただの理想主義者では無いことが良く分かります。
恐ろしいほどの様々の競争の現実を見て来た御方であることが分かります。

今の社会では、色々な資格が有るものです。
勉強すればするほど、高給がとれる資格(医師・弁護士など)から、公務員の資格まで、個人で幾つもの資格を持つことが可能です。

でも、その人が中年に成った時に、社会的に裕福に成功しているのでしょうか?
現実は、そうでは無いことが大半です。
勉強だけが得意な冷たい変わり者ならば、たくさんの資格を持っていましても、それを収入に結び付けることは出来ません。

対人的な、話術、交渉力、安心感を他人に与える人柄、他人との協調性。
こういう面も無ければ、勤務も、起業も、出来ないのが社会です。
資格だけで無理に経営者に成っても、継続した収益を上げるのは未知であり、無理なのです。

個人の人生を決めるのは、最後には個人の善徳貯金の有無と、この章で老子は「真理を身に付けること」だと断言しています。
勉強に勉強を重ねた者よりも、真理を身に付けた勉強の出来ないアホのほうが、莫大な成功を社会で収めている可能性を指摘しています。

・「真理を深く理解した者は、悪徳な利益は続かないから、そういう機会から更に離れて捨てに捨てて行きます。」

この部分を読みましてもピンと来ない人が多いかも知れません。
例では、魚屋をしている家の長男の子供が、勉強が非常に良く出来たとします。
有名大学まで行き、様々な就職先も多数有って、選び放題だったとします。

その一方で次男は、勉強がまったく出来ないが、祖父母を大切にして家業もよく手伝い、いつも笑顔でした。
次男は、中卒と同時に「まったく迷いが無く」、家業の魚屋という商売の道に入ります。
自分に出来ない勉強の道はあっさり捨てて、家業1本に猛進した訳です。

さて、この兄弟の50年後の生活はどうなっているのでしょうか?
魚屋が大企業に成っているかも知れません。
兄には、成りたい職業を選ぶことが多数可能でしたが、その50年後は?

こういう事例を読んだ上で、再度、最初の柔訳を読んでください。
老子が言わんとすることが、何となく分かることでしょう。
個人の人生でも、その成功の有無は善徳量と、真理(心の良心の世界の法則)への理解だという視点を参考にしてください。

その上で、社会の上に立つ人は、更にその御方の善徳と真理に沿った生活の有無で、なぜか社会全体が決まって行く不思議を老子は指摘しています。
色々な権力者たちの興亡(こうぼう:栄えることと滅ぶこと)を見た上での結論なのでしょう。

勉強も大切だが、道徳の時間はもっと大切だったという、今の社会の子供たちへのメッセージと言えそうです。
学校の道徳の時間の勉強態度は、その子の50年後の姿を予言することでしょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/08/29(水) 19:28:30|
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多くの人が、過去の自分が経験した記憶で苦しんでいます。 そのために、今の貴重な時間を浪費しているかも知れません。 だから、神様の大きな脳へと、早く嫌な記憶だけをわたせば良いのです。 そして、良い記憶だけを抱えて生きれば良いです。


集団で神様の記憶データを創って納めている最中
2018-08-27 10:45:32 | Weblog
知人との会話で、

・ 同居をする知人の親は、生まれ故郷を離れて長年暮らしてきました。
・ 故郷の墓参りをしたいと、何度もお願いをするように言われるそうです。
・ 親は、100歳に近い年齢であり、車椅子での移動がやっとの状態。

・ 知人は、知り合い2名に日当を支払い、運転手とサポートをして頂きながら親を含めて4名で、2泊3日の旅行のような墓参を行いました。
宿泊代も含めて、かなりの費用が掛かった墓参になりました。

・ ところが無事に帰宅した1ヶ月後、親は故郷の墓参りをしたいと、また繰り返し言うようになりました。
・ 墓参りをして来た記憶を、もう忘れてしまっていたのです。
・ せっかく大金を使って墓参りをした知人は、あ然としました。

知人は、これでは何度墓参りをしてもムダだと笑っていました。
人間の記憶とは、いったい何なのでしょうか?

私達も、あれが欲しい、あれに乗って見たい、あの国へ行って見たい、こんなものが食べたい、と色々な欲求が有るものです。
でも、実は自分が忘れているだけで、先月に自分がそれを体験している可能性を否定できるのでしょうか?

自分の欲求を叶えましても、その記憶が無ければ、飢餓状態は継続する訳です。
例えば、1時間前に食べた記憶を無くした老人は、更に食事を欲しがる現実も有ります。

すべては記憶だけの問題だった。
では、脳が満足をすれば、実際の行動をしなくても、人は満ちたりてここに存在することが可能だと言えるのでしょうか?

ここで今回の墓参の記憶について考えますと、老女の記憶は無くても、周囲のサポートをした人々には、墓参旅行の記憶が残っています。
老女の代わりに記憶をしています。
老女の希望が始まりとなり、実現した墓参旅行の記憶は、周囲の人々だけに残る訳です。

ここでパソコンの話になりますが、
・ パソコンには「データ共有」という、1つのデータを複数の端末で利用すること。
・ 入力を行ったパソコン(老女の脳)にはデータを残さずに、別の場所に在る「データ共有」に記憶を残す。
こういうことが行われています。

このことを考えますと更には、
・ 私達人類は、集団で大きな1つの記憶(神様の脳)を作っている最中の可能性。
・ 私達が記憶とは一人ひとりのものだと思い込んでいるだけであり、実際には大きな1つの脳(神様の記憶)へと記憶が吸い上げられている可能性。

その結果、1つの大きな脳(神)の記憶において、善悪の配分の比率が「今回の人類は」どうなのか?
悪い記憶が多くなりそうな今なのか? 良い記憶が多くなりそうな今なのか?
今の私達に懸かっています。


多くの人が、過去の自分が経験した記憶で苦しんでいます。
そのために、今の貴重な時間を浪費しているかも知れません。
だから、神様の大きな脳へと、早く嫌な記憶だけをわたせば良いのです。
そして、良い記憶だけを抱えて生きれば良いです。


神様の善悪の記憶配分は、自分の死後に良い思い出の記憶をわたすことで、許されます。
自分の嫌な記憶データを、天に昇華させましょう。

記憶だけの問題だった。

でも良い記憶は、行動(=入力)を伴わないと残りませんから、今を頑張りましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/08/27(月) 12:58:15|
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もし今の自分の生活環境において、「これは良い、これは悪い」という思考を完全に取り去って生活してみますと、新しい視野が広がることでしょう。

「これは良い、これは悪い」という分別思考について
2018-08-01 10:50:25 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
七岳山の神霊に対して、雪山の神霊が問い掛けます。

「釈尊という者は、

・ すべての生き物に対して、本当に公平に慈悲深くいることが出来ている人なのだろうか?

・ これは良いとか、これは悪いとか、このような分別の判断から、完全に卒業が出来ることに成功した人間なのだろうか?」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.154)


七岳山(しちがくさん)の神霊が、雪山の神霊に対して答えました。

「釈尊は、

・ すべての生き物に対して、完全に公平に慈悲深くいることが出来ている人である。

・ これは良いとか、これは悪いとか、このような分別の判断から、完全に卒業した人です」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.155)

(感想)

二神の神霊が問答する内容を、逆の視点で分析して見ましょう。

・ 人間や動物たちや、すべての生き物を、真に公平に見ることが出来る人間は、まず居ない。

・ 神々は、どんな生き物も公平にしか見ない。
しかも、どんな生き物に対しても、慈悲深くしか見ない。

・ これは良いとか、これは悪いとか、このような分別の判断から、完全に卒業していることが、人間と神霊の違いである。

このように言い換えることも可能です。
考えて見ますと、普通の人間の行動原理とは、買い物にしても、対人関係、勤務する会社名、学歴名称、食べ物、好きな有名人、自分の好きな趣味、住んでいる場所、・・・・。

そのすべての根底に在りますのは、
・ これは良い、これは悪い、というような分別の判断を誰もが無意識にしている可能性。
これが確かに言えます。

神霊は、このような分別思考が有る内は、まだまだ転生する魂である。
釈尊は、このような分別を本当に卒業した人間なのだろうか?
と判断する重要なポイントに上げています。

もし今の自分の生活環境において、「これは良い、これは悪い」という思考を完全に取り去って生活してみますと、新しい視野が広がることでしょう。

・ 自分の容姿の優劣を気にする人ほど、実は、他人を容姿で分別したい人かも知れません。

・ 自分の収入が少ないことに劣等感を思っている人ほど、自分が大金を得れば態度が変わる人かも知れません。

赤ちゃんには、このような分別が一切なく、何かの違いを気にすることも無く、笑っているか、泣いているかです。

・ 人間であるとか、猫であるから、犬だから、という生命体への分別も、神霊には一切無い。
すべてが1つなる根源存在の分神である。

これにつきましては、動物好きな人は簡単に「私もそうなの!」と同意をするかも知れません。しかし、「慈悲」(じひ:情け心・愛情力)の視点では、その「深さ」が問題なのです。

神霊の視線では、すべての生物の外見が消え去って、「光のカタマリ」としか見えないから、生命体への区別が無いとも言える訳です。
動物好きな人は、ペットの外見のモフモフ感を好きと言っているレベルかも知れません。
光だけの生命体になっても、それを好んで本当に愛することが出来るのか?
これが問題に成ります。

要するに人間は、生命体にしても、自分の好みにしても、その「見かけだけ」「外側の輪郭だけ」「外側の皮膚だけ」で分別をしたり、公平に見ることが出来ると主張している可能性に注意してください。

その中身を愛しているのか?
これが神霊レベルに成りますと、これしか無い訳です。
二神の神霊が釈尊を審神(サニワ:判断すること)する問答が、まだまだ続きます。
神霊が見るポイントを順番に見て行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/08/01(水) 19:29:55|
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「自分の心は、他人を見ている時に何を思っているのか?」 これを見て行きましょう。


嫌な自分は消えて行くから大丈夫です
2018-07-16 11:19:40 | Weblog
誰もが、今の自分という者を分かっていないものです。
他人への評価をすることが出来たとしても、
自分自身を正確に評価できる人はいないものです。

自分自身を見ずに、他人ばかり人は見ています。
自分とは何者か?
私とは誰か?

これが分かった時が、悟りです。
でも、そう言われても分からないものです。
「私は誰か?」

これの答えは、
「そのような自分は、本当は居なかった」
これが真相です。

ここに居ると思い込んで来た自分とは、今までの人生を歩んで来た自分とは、
あんな辛い経験をした自分とは、あんな楽しかった自分とは、
自分、自分が、私の、私・・・・私。

宇宙からの視点での真実は、大きな大きな1つが存在するだけであり、「この私」はその表面の流れて行く模様の1つだったのです。
流れて消えて行く模様を私だと思い込んで、他人と喧嘩したり、他人の中で競り勝ち、悲しんだり、ひがんだり、を一生懸命にしていたのです。

どんなに嫌いな相手も、流れて消えて行く模様です。自分と同じ大きな1つの中の模様だったのです。
模様同士で喧嘩しても、ツマラナイものです。

でも、このようなことを言われましても、こんな自分がココに居ると思ってしまうのが人間です。
そこでヒントが有ります。

「自分の心は、他人を見ている時に何を思っているのか?」
これを見て行きましょう。

これを自分で観察することで、自分の心の本性を人は自覚することが出来ます。
他人を見て「嫌な人」だと思っている自分とは、他人からも「嫌な人」に見えているのが真相かも知れません。

他人を「愛情深く見ることが出来る人」は、他人からも「良さそうな人」に見えているものです。
「腹が立つ」と思いながら他人を見ている人は、本当はそれが周囲にバレているのに、自分自身では上手く隠していると思っています。

嫌な自分の個性がどんどん消えて行くに従って、
大きな1つの存在の中へ中へと自分の個性が、溶け込んで行きます。
すると、色々なことが自然と分かり出します。

他人のことも、動物の気持ちも、自然の意志も、
更には地球の気持ちも、神様のことも分かり始めます。
この時に、自然と自分の生活の自由度も変わって行きます。
これを霊的な浄化の過程と呼んでも良いです。

この時に成れば、「私とは誰か?」と問われれば、
「そんな自分は居なかった」
「大きな大きな大いなる存在1つだけが在る」
という答えが、心底から分かります。

以上は難しい話を書きましたが、自分の心が進んで行く方向性の参考に成れば幸いです。
山の頂上にたどり着くには、無数の登り方が在るものです。
自分のペースで、明るく登って見ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/07/16(月) 19:31:12|
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睡眠に落ちている時以外は、 無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)を思いつつ、 いつでもこの愛情の中に、自分の心を住まわせるようにしましょう。


自分の心を住まわせる場所に注意を
2018-07-11 11:14:44 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
立っている時も、
歩いている最中も、
座っている時も、
横になってくつろぐ時も、

睡眠に落ちている時以外は、
無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)を思いつつ、
いつでもこの愛情の中に、自分の心を住まわせるようにしましょう。


仏教の教えとして、この状態こそが、梵(ぼん:宇宙の法則)に住む最高の心境なのです。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章8節-No.151)

(感想)

果たして人は、自分の心を住まわせる場所を、自分で選択が出来るのでしょうか?
釈尊は、それが出来ると仰っています。
しかも、それが宇宙の法則に従った、最重要なことだと指摘されています。

考えて見ますと、自分の心をどこに置くのか?人は意識をしていません。
私達は、自分の感情のおもむくままに今日も、
・ ああ、仕事が嫌だ。
・ 学校に行きたく無い。
・ あの人に腹が立つ。あの人が嫌いだ。あんなことを言われた。
・ 今日も元彼のことを考えてしまう。

などなどと、自分の心を、ある特定の場所に確かに置いているのです。
今日も、怒りの世界に心を置くのか? 色情の世界に今日も心を置くのか?
妬みの世界に自分の心を置くのか?
知らず知らずのうちに、人は色々な世界に、自分の心を置いています。

そこで釈尊は、
・ 無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)の思いの中に、自分の心を住まわせるようにしましょう。置きましょう。

と提案されています。
そして、この状態に心を住まわせることが、仏教における最高の梵の境地、涅槃(ねはん:天国)に生きながら住む状態だと指摘しています。


この雑多な欲望と色情の社会の中でも、人は自分の心だけは、愛情という慈悲の世界に住むことが可能なのです。
自分の心は慈悲(思いやり)に住んだまま、この社会の中を歩いて行きますと、どんなダメな人を見ましても、
・ 毛嫌いする気持ちに成れません。
・ それも、仕方がない、と思える。
・ 大きな視点で、眺めることが出来る。
・ 自分の心が、影響を受けることがありません。


さあ今日も、皆さんはどんな心境に自分の心を住まわせるのでしょうか?
色々な感情の世界に、人は自分の心を置くことが自由に出来ます。
それが、怒りの世界で無いように、
ただ心配だけをする世界では無いように、
出来れば愛情や思いやりの世界に、自分の心を置きたいものです。

これが出来ない場合は、
・ 無心で、行動に専念することが大切です。
・ 動いていれば、行動していれば、漏電する心配を抑えることが可能です。

とにかく今日は、
・ 自分の心を置く場所を選択するべき。
・ それを意識したほうが良い。
という指摘を参考にして頂ければ、幸いです。

これは、悪い憑依を避けることにも成ります。
人間は一時的にでも、自分が思っている最中の世界に住んで居る。
これは重要なことなのです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/07/11(水) 19:21:12|
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それを自分の修行とするのだ!


すべては自分の為の修行だった
2018-06-28 11:47:19 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
コノ世に住むすべての人々と存在に対して、

無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)を持って接することを、

自分自身の修行とします。

自分よりも上方の世界に住む人々にも、下方に住む人々に対しても、

いかなる世界に住む人々に対しても、

境界線をもうけることをせずに、

対立の心を持つことをしないこと。

これを自分の修行とします。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章8節-No.150)

(感想)

・「どんな相手にも、無限に広がるような大きな愛情(慈悲・情け心)を持って接しましょう!」

このように言われましても、多くの人々の内心では、
「ハイハイ、それは良いことですね〜。 でも、現実には、そんなこと出来るかい!」
と思われるかも知れません。

でも釈尊が仰りたいのは、ただのキレイ事では無くて、
・ それを自分の修行とするのだ!
ということなのです。

魂の本当の修行とは、聖地へ行ったり、滝に打たれたり、書かれた御経を読んだり、瞑想したりと、ということではありません。
こんなことはアノ世に帰れば何の修行にも成らな「かった」のです。
自分一人で楽しんだ、ただの我慢比べ、山で行うアスレチック運動をしていた、というレベルなのが霊的な真相です。

それよりも真の霊的な修行とは、
・ 雑多な欲望渦巻く社会の中で。
・ そういう中でも、どんな嫌な他人にも、愛情の視線を持って接すること。
最初は嫌でも、これを自分自身の「修行」とする訳です。

これは自分の魂にも霊体にも、よく効く、よく響く、「本当の」修行と成り得ます。
以上の話は、コノ世に非常に多い「霊的な勘違い」「間逆な行為」を指摘しています。

・ 真の霊的な修行は、日常生活の中にこそ在る。

これが家族同士の間にも、大きな課題として誰にも言えます。
家族関係も、苦痛で悩む人が多いものです。
でも、それを「自分のための修行」という視点で、見ればいかがでしょうか?

嫌な会社ほど、実は霊的には最高の修行場だった。
これが「霊的には」言える訳です。
アノ嫌なお局様の女性も、直ぐにどなる色情の上司も、地獄の中の鬼のように、自分の魂を鍛えてくれたと思いますと、後からは良い思い出に変わるものです。

私も仕事において、昔の上司や、雪国で育った厳しい社長の発言などを思い出すことが今でも有ります。
「売上のない営業マンなどは、他の社員のお情けで食わせてもらっているOOOだと思え!」
など放送禁止用語を連発されたものです。

しかし、今となっては、社会の現実を教えてくれた、その後に私が甘い道へと迷わなかった恩人だという、良い思い出に変わっています。
山に行く必要も、聖地に行く必要もありません。

・ 今の自分の生活環境を、最高の修行場・道場にすること。

これならば、今から直ぐに自分のための真の霊的な修行を始めることが可能です。
心配な自分の子供も、「本当に良い親修行をさせてくれるものだ」という視点で見直しますと、これから見る世界が変わって行くものです。

釈尊の視点は、現代にも十分に通用する実践的に役立つ内容であり、
・ 今の自分の環境の中で在っても、「そこに」天国を実現させる可能性に満ちています。
今の自分の生活の中で、「自分なりに」頑張って見ましょうか。

(伊勢白山道)
  1. 2018/06/28(木) 13:33:55|
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霊力の正体は、実は「相手の身に成り切れる能力だった」という側面が、秘伝のエッセンスの1つです。 感応力は、正しく使いますと、奇跡を起こす観音力も保持させることに成ります。

「相手の身になって、観ること」
2018-06-26 10:33:45 | Weblog
「相手の身になって見る」
相手の立場に立って考えることが、実際に色々な「気付き」「ヒント」「霊感」を教えてくれます。

英語でも、
・「put yourself in ~’s shoes 」(相手の靴に自分を入れて見なさい)

故事でも、
・「先意承問」(せんい じょうもん)
相手の気持ちを先に察して受けとり、その要求を満たしてあげること。

・「惻隠之心」(そくいんのこころ)
他人を思いやったり、同情する心のこと。

これを参考にしますと、どんな良いことが有るか?

(1)自分の嫌な「怒り」や、執着が薄らぐことが起きます。

最初の自分は、相手への非難と怒りばかりに取り憑かれていたのが、ふと「相手の立場」に自分が成ったと想像しますと、もし相手の私生活の問題なども知っていれば、「まあ分かるけど・・・」「でも、それでもアレは無いわ」と、沈静化への葛藤が始まります。
時間経過と共に、「相手の身に自分が立つ」と観えて来るものが有るものです。

(2)金儲けや、自分に有利なことも、観えて来る可能性を生む。

他人の気持ちに立って、自分の仕事を見直しますと、今までに気付けなかった弱点や盲点、自分が直すべきことが分かることが有ります。
これは投資先のヒントを教えてくれたり、するべき商品開発も教えてくれることが起きます。
「他人の身になって考えるだけで」、新たな気付きを自分にもたらします。

(3)相手が生き物だけでは無くて、機械製品や、電子部品、自動車などにも、「自分が成ったつもり」を想像しますと、
・ 何となく「気持ちが良く無い箇所」が分かる。
・ 修理して「欲しい」所が分かる。

という不思議な現象が個人差で生じます。
これは、霊的な「感応力」を育てる練習にも成ります。
対象は、生物、建物、部品、商品、買い物等に、など何でもOKです。

(4)霊力の正体は、実は「相手の身に成り切れる能力だった」という側面が、秘伝のエッセンスの1つです。
感応力は、正しく使いますと、奇跡を起こす観音力も保持させることに成ります。

ただし霊的な対象の場合、対象への感応に自分が呑み込まれる、取り込まれる、食われる。
そして、「自分が霊媒にされる」「使役される」という注意点が生じます。
これは、祈願することや、有料で他人の相談に乗る、ことをしなければ問題はないです。

正しい霊力、感応力、観音力は、他人への無償の慈悲心、愛情力の大きさで決まって行きます。

つまり、まず(1)〜(3)を参考にして頂ければ幸いです。
興味が有れば、(4)という未知にも繋がる可能性を秘めるのが、何と、
* 「相手の身になって考えて見ること」

ということだったのです。
単純に見えて、実は奥が深いということです。
皆様の参考に成れば幸いです。
  1. 2018/06/26(火) 13:20:05|
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考えて観ますと、私達の悩みも「自分が」「自分は」「自分の」という悩みばかりです。・ 誰もが「自分が」という自我の自分を失くし、・ 本当の自分(内在神と一体)に気付くまで旅行中です。これを楽しみながら、静観して生きましょう。

「自分が」が消え去ると、本当の自分(神性)が出ます
2018-06-16 11:13:46 | Weblog

(晩年の山岡鉄舟:ウィキペディアより)

山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう:1836年〜1888年)という幕末から明治に掛けて、明治維新の裏で活躍した剣の居合・座禅・書道の達人が居ました。

この御方は神仙界(しんせんかい)という、陰でコノ世に影響を残すために派遣される集団が神界の下方次元に在るのですが、そこの出の御方だと感じます。
なかなかの稀人(まれびと:めったに来ない客人)です。

ここ500年間の禅僧を観ましても、この御方ほど丹田(たんでん:ヘソ下と恥骨の間の中間のツボ)が鋼鉄のように視える御方が他に浮かびません。
禅を極めすぎて、早めにコノ世を去った器用な達人だったと言えそうです。

この御方の発言に、
・ 自分を忘れるために、禅を組め。
・ 自分が、という者を意識する間は、何をしても芽が出ない中途半端。
・ 落語家ならば、自分の舌を意識する間はダメだ。「無舌」に成ってこそ、話が初めて活きる。
・ 画家ならば、筆を持っている意識で描いた絵は死んでいる。自分と筆が一体となって、手に持つ筆を忘れている間に描いた絵は活きている。
・ 自分が、と思っている間の人間は死んでいる(ロボット)

(以上は私のリーディングによる加筆有り)

以上のようなエピソードを散見します。
考えて観ますと、私達の悩みも「自分が」「自分は」「自分の」という悩みばかりです。

・ 自分という者を抜きにして、その悩みを見直して見ること。
これだけでも、今の悩みの半分は消え去るかも知れません。


高い次元の視点では、自分という個性は、本当の実在では無いのです。だから永遠の存在では無いのです。
時間限定(人生期間)で、コノ世に現れる影・泡なのです。
次に出る泡の形は(来生のこと)、今回の人生の反射が「映る」という映画館の仕組みです。

「自分が」という個性の反射を生む生き方をする限り、未来永劫にわたり陰と陽という「やったことは・やられる」という映画が再生を続けます。
「死で終わり」は無いのです。誰もが連続中です。

そこで鉄舟が指摘した、
・ 自分を忘れること。
が大切に成ります。

自分が生きているのでは無くて、人類全体が生きている。
更に大きな視点は、聖者ラマナ・マハルシのように、
自分という地球が生きている。
このように自分が思えて消えた時に、生き方が変わります。


今は難しい話かも知れません。
でも、誰もが「自分が」というモノを消すために、失くすために、何度でも映画館(コノ世)で再生されている可能性に気付いて頂ければ幸いです。

次の映画館では、私の文章は登場しない上映かも知れません。
すべては今回1度切りの旅をしながら、
・ 誰もが「自分が」という自我の自分を失くし、
・ 本当の自分(内在神と一体)に気付くまで旅行中です。
これを楽しみながら、静観して生きましょう。


(伊勢白山道)
  1. 2018/06/24(日) 19:32:27|
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どんな環境の「今」でも、その中で嬉々と楽しむ人が最高です。どんな今の自分でも、生きているだけで最高!なのが真実です。(死後に本当に分かり、後悔します)神様という存在は、喜びの気のカタマリです。神様の気が入りますと、または自分の内在から発露しますと、嬉々とした生命のリズム・鼓動が全身から躍動を始めます。その時に、コノ世のどんな苦しい途中過程であっても、「まあ、ええじゃないか」と今を楽しむ視点を自然と持てます。今日も何が有っても「まあ、ええじゃないか」。今の中で嬉々と暮らして見せましょう。え、誰に?神様のほうが、私達が神様を見詰める何倍も何倍も、見てくれています。

嬉々とした鼓動のリズムを思い出すこと
2018-06-22 11:17:25 | Weblog
人間は、生まれた時から、
・ こう成らなければ生けない。
・ あれが出来てから、オヤツね。
・ それが出来るまでは、ダメ。

または、
・ 定年に成れば、楽しめるだろう。
・ 結婚すれば、幸せに。 
・ 子供が居れば、・・・だろう。

だから、それまでは、
・ ダメだ。
・ 苦しくても仕方がない。
・ 我慢する。

〜〜するまでは、楽しくない、楽しめない、と自分の心の深奥で決めています。
でも、考えれば人生は「〜〜するまでは」「〜〜が叶うまでは」の期間の方が膨大に長いのです。
その途中の期間のすべてを我慢期間と、自分が無意識に見てしまっているのはもったいないことです。

我慢のまま、いつのまにか、自分の人生が過ぎ去ってしまいます。
これは、間違っているのです。
「〜〜に成ったら、楽しめる」、これは幻想の間違いです。

・ どんな状況でも、
・ 〜〜が達成していなくても、
・ 途中過程こそを、楽しむ視点に切り替えることが最重要です。


どんな環境の「今」でも、その中で嬉々と楽しむ人が最高です。
「〜〜が叶ってから」なんて関係無い。
どんな今の自分でも、生きているだけで最高!なのが真実です。(死後に本当に分かり、後悔します)
何ともったいない時間の消費をしていたのか。

どんな中でも嬉々と務める真面目なバイト人や、
病気でも嬉々として懸命に生きようとする人を見掛けますと、
「あの人は、持っている」
と私の心の奥が告げます。

何を持っているのでしょうか?
神様という存在は、喜びの気のカタマリです。
伊勢でも笑顔のお多福さんが神様の面影として大切にされています。
神様の気が入りますと、または自分の内在から発露しますと、嬉々とした生命のリズム・鼓動が全身から躍動を始めます。

その時に、コノ世のどんな苦しい途中過程であっても、
「まあ、ええじゃないか」
と今を楽しむ視点を自然と持てます。


今日も何が有っても「まあ、ええじゃないか」。
今の中で嬉々と暮らして見せましょう。
え、誰に?
神様のほうが、私達が神様を見詰める何倍も何倍も、見てくれています。


誰もが神様と一心同体です。
今日も大自然を見ながら、嬉々と暮らしましょう〜。

(伊勢白山道)
  1. 2018/06/22(金) 19:31:04|
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社会で生きる上での重要な幸運を呼ぶ「心の持ち方」が説明されています。・ 相手が劣っている、と思わないように。・ 自分が勝っている、と思わないこと。・ 他と比較した優劣の思いを持たないこと。・ 他者に対して、やっつけてやりたい、という意図を持たないこと。・ 他に対して憎悪の心を持たないこと。・ 他の存在に対して、絶対的に慈悲(情け)の心で居ること。このような心の持ち方と生活態度が、自分自身の運命を改善して行きます。


弱者に対する自分の思いが、自身の運命を創ります
2018-06-20 11:22:18 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
他人から非難されるような悪い行為を、わざとしては生けません。
すべての生き物が安楽で、平和でありますように。

動物も植物も、細長い生き物も、巨大な動物も、大中小と微細な生物も、

今のここに存在するすべての生き物、過去、未来に存在する生き物、遠方に、近場に、存在する生きる生命たち。
すべての生きる生命が安楽であることを思います。

どんな生命の間でも、お互いの間において、
・ 相手が劣っている。
・ 自分が勝っている。
という優劣の思いを持っては生けません。

・ 他者に対して、やっつけてやりたい、という意図を持たないこと。
・ 他に対して憎悪の心を持たないこと。
これを自分が持たないことが重要です。

まるで母親が、自分の子供のために命を捨てる覚悟を持つように、
すべての生き物に対して絶対的な大きな慈悲(情け)の心を持つように、
コノ世で修行することが重要です。


(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章8節-No.145〜149)

(感想)

一読しても、「良いことが書いて有るね」「いかにも釈尊が言いそうなことですね」と通り過ぎる人が大半かも知れません。
しかし、釈尊が、そんな当たり前のことを、ただ言い残すことはありません。

霊的には、非常に重要な、
・ 開運方法
・ 自分の運命を改善させる方法
・ 幸運を呼ぶ秘訣
・ 来生に生まれ出る環境に影響を与えるポイント
が明記されています。

人間に対しては、柔和な対応をする人が大半です。
でも、それで溜まった自分のストレスを、動物への虐待に向ける人が社会でも報道されています。
これでは、社会的には真面目であってもダメなのです。
今生でも因果を残し、来生は自分が動物に対して行ったような仕打ちをされる立場を体験することに成ります。

・ コノ世で私たちは、自分が弱い小さな動物に対して行った行為も、観察されています。
・ 完全に管理された飼育装置の中に自分自身が置かれて、自分の目の前に、自由に好きにしても良い小さな弱い生物を置かれて、さあどうするのか? を見られている。

このようなコノ世の側面を想像してください。
子供への虐待死が社会問題に成っていますが、天に観察されていたのは「親だった」ということです。
これで本性が見られた親は、今生と、更に来生において、完璧に自業自得を淡々と自分が体験することに成ります。

そして、社会で生きる上での重要な幸運を呼ぶ「心の持ち方」が説明されています。
・ 相手が劣っている、と思わないように。
・ 自分が勝っている、と思わないこと。
・ 他と比較した優劣の思いを持たないこと。

・ 他者に対して、やっつけてやりたい、という意図を持たないこと。
・ 他に対して憎悪の心を持たないこと。
・ 他の存在に対して、絶対的に慈悲(情け)の心で居ること。
このような心の持ち方と生活態度が、自分自身の運命を改善して行きます。


重要なことは、自分がもし、上記と反対の思いを持てば、
・ 運命が悪くなる。
・ 健康を失くして行く。
・ 幸運を逃す。
・ 来生に生まれ出る環境と条件が、更に悪く成る。
ということです。
これからの生き方の参考に成れば幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/06/20(水) 13:06:04|
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誰もが配られたカードで勝負するしかないのさ

「配られたカードで勝負するしかないのさ!」
2018-05-09 09:38:04 | Weblog
スヌーピーは、アメリカの新聞漫画『ピーナッツ』(1950年〜2000年)に登場したビーグル犬です。
スヌーピーは、主人公チャーリー・ブラウン少年の飼い犬で、草野球チームの名選手であり、偉大な作家でもある犬です。
『ピーナッツ』の登場人物の発言には、非常に哲学的な内容が多く、大人の読者層も多いようです。

登場人物の女子・ルーシー:
「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々わたしは、どうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ・・・・。)

スヌーピー:
「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(誰もが配られたカードで勝負するしかないのさ・・・それがどういう意味であれね。)

まさに真理です。見事にコノ世の真相を、カッコよく見抜いています。
誰もがコノ世に生まれた時点で、親も兄弟も性別も、その時点での家庭収入も決まっています。
生まれた赤子には、どうすることも出来ない、決められた絶対条件です。

「でも、そんなことは、それで良いのだ。
自分は、配られたカード(条件)で、コノ世で思いっ切り勝負をするんだ!
カード(命)が自分に配られたことに、先ず感謝をしたい


このような魂の叫びが聞こえて来そうです。
生きている私達は、まだカードプレイの最中です。
これから先の展開次第で、どんな悪い手も良い手に変えたいものです。

配られてしまったカードの意味を考えるよりも、追求するよりも、
「これからの」手を模索することに勝負のだいご味が有ります。
最初は悪いカードだと思ったものが、それが最善手に変わることが、自分の努力で起こり得るのが人生です。

この漫画では、スヌーピーだけでは無くて、登場人物の誰もが
・ 良い一言
・ 考えさせる言葉
を、日常のなにげない風景の中で発言します。

特に、少しおてんば娘のルーシーの発言には、面白いものがあります。

・ 友達ができないのも無理ないわ…あなたって気難しすぎるもん!

・ 成熟した人間は、我慢強い人間よ…今、何もかも欲しいなんて思わないわ!

・ まず自覚することが、バカ状態を抜け出す第一歩なんだからね!

・ 誰かが私を好きか嫌いかなんてどうでもいいの…だから私は人気があるのよ!

・  新しい哲学ができたわ・・・一日に一回しか心配しないことにするの。

まるで禅のマスター(指導者)のように、
・ 単純な言葉で、
・ 物事の「結果」「理由」「最善策」を見抜いている言葉です。

今日は、「あの」有名なスヌーピーが出てくる漫画が、このような哲学を含んだものだったと、知って頂ければ幸いです。
(実は私もよく知らなかったのです〜)

(伊勢白山道)
  1. 2018/05/11(金) 18:25:02|
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* 分からないことは、本当の自分に聞け。* 本当の自分が、知っている。本当の自分自身からの、やっとのサインは、・ 「何となく」という感情で受け取ること。これだけでも知って置いてください。

自分の本当の思いに聞き耳を立てること
2018-05-01 11:26:36 | Weblog
心理学者のユングは、

・ 人間の無意識の深層には、過去の人類の体験が集合・結集した「叡智」(えいち)が在る。

・ 人生の自然な終点・目的地点は、老いることではなくて自身に内在する叡智に行き着くことである。

このような示唆を、医学的・科学的な心理分析から発言していたようです。そこで、
* ユングがいう「叡智」=「内在神」
このように言い換えますと、まさにピッタリと来ます。

以上の内容は、難しいことではありません。
普段の起きている私達は、色々な選択を迷い、どうすれば良いか悩み、自分に無いものに苦しんでいます。

そこで、ユングが示唆することは、
・ 私達の本心は、すべてを知っている。
・ 人生の目的は、自分の本心を思い出すことである。(これが「悟り」です)
このように言い換えることも出来ます。

私達は、太古からの過去のことも、これから起こる未来のパターンも、誰もが「既に」知っているはずなのです。
でも、分からないから、喜怒哀楽を繰り返しています。
以上から言えますことは、

* 分からないことは、本当の自分に聞け。
* 本当の自分が、知っている。

でも私達は、自分の思いを信じることが出来ません。
どうしても、自信(自神)が持てないし、自分こそが信じることなど出来ません。
こんなダメな自分を信じられるはずが無い。今までも失敗ばかりではないか!
これが優先しています。

でもそれは、自分の思いよりも、「他人を見ること」を優先して決めたからです。
自分の思いを、知ろうとも、聞こうともしなかった結果なのです。

本当の自分自身からの、やっとのサインは、
・ 「何となく」という感情で受け取ること。
これだけでも知って置いてください。


深層心理(叡智・人類の集合意識・内在神)からの御知らせは、耳に聞こえるのではありません。
「何となく」という自分の思いで、通知が誰でも来ています・ing。
これからは、他人を見ることよりも、

・ まずは、自分の本当の思いは何か?

これを聞こうとする耳を立ててください。
これにより、運気が変わり始めるヒントがあります。


また、ユングが言う叡智=過去の先祖たちの遺伝子DNAが持つ思い。
とも言えます。
先祖(遺伝子の集合体)に感謝をすることは、「何となく」の感度が上がることでしょう。
皆様のヒントに成れば幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/05/01(火) 16:04:33|
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弱は強に勝つ。 ・ 相手を倒す時は、弱者の振りをしなさい。 ・ 弱い人は、心だけは柔軟さを維持しなさい。そうすれば、いつか必ず強に勝つ。

知恵が深い見本です
2018-04-23 11:28:51 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第三十六章「慌てなくても大丈夫ですよ」

「老子の人生論 」第三十六章

何かを(会社、嫌な相手、など)「小さく」してやりたいと密かに思うならば、
その対象を「大きく」するように振る舞いなさい。

相手を弱めてやりたいと密かに願うならば、その相手が「強い」と持ち上げなさい。

何かを根底から禁止にさせたいと思えば、それをしばらく黙って流行らせなさい。

相手から何かを奪ってやりたい時は、しばらくは逆に「それ」を相手に与えなさい。


以上をもって、これこそが奥深い洞察力がなせる人間科学である。

弱い人でも、心さえ柔らかければ、非常に屈強でも心が固い相手には必ず勝ちます。

魚は水の深みから出ては生けません。
得意分野から離れれば、捕まるということです。

以上のような管理者にとっての秘密の策略方法を、民衆には絶対に教えては生けません。
内緒にしておいてね。

(感想)

「とにかく頭が良い」、と唸るしかない項が「第三十六章」です。

・ 人間が持つ欲望のサガ(性)を知り尽くした上で、
・ 目先でなくて、長い視点を持って、確実に相手を倒す知恵。
・ 自ら手を下さなくても、相手が勝手に自滅する方法こそが真の勝利。

このような内容が説明されています。
このような知恵に掛かれば、まるで「詰将棋」のように、弱い駒でも相手を自滅させることでしょう。

企業間の競争、上司と部下、人間関係、投資で勝つ方法、詐欺の極意、色仕掛け、などなど色々な分野に当てはまる手法が説明されています。
日本人は、特にこのような策謀に弱いと思います。
後で気が付けば「遅かった」「まさか」という事態に成ることが目に浮かびます。
現代社会でも十分に通じる戦略です。

弱は強に勝つ。
・ 相手を倒す時は、弱者の振りをしなさい。
・ 弱い人は、心だけは柔軟さを維持しなさい。そうすれば、いつか必ず強に勝つ。

あれ? 
執着をしない、意固地に成らない、柔らかい心を持った女性には、男性は一生勝てないということです。
結果的に、「そうなる」ということです。これは確かに言えそうです、笑。

今が苦しい人は、男女共に自分の心だけは、「柔軟性」「自由な視点」を忘れないで居ましょう。
そういう心の人には、いつか「動くべき時」「動くべき内容」が見え出すものです。
何も見えない間は、柔軟な心で待つということです。


この項で私が特に面白いと思った箇所は、
「魚は水の深みから出ては生けません。得意分野から離れれば、捕まるということです。」
ここです。

老子=魚、と置き換えますと、
「このような秘密の本音をバラすことは、非常に危険が伴います。
だから私は、国家の図書官僚という立場を離れません。
もし一般人に戻れば、捕まるかも知れません」
このようにも言い換えられます。

そして更に、「これを他人に言ってはダメだぞ」「秘密だぞ」と念押しする訳です。
そう書かれますと、逆に人に言いたく成るのが人間のサガです。
「押すなよ、押すなよ」と言われれば、人は押してしまうのです。
内緒話は、逆に広まるということです。
しかも、知るべきポイントの相手にです。

老子は自分の身を守りながら、社会の秘密を民衆に言いたかったのでしょう。
しかも遊び心を持って、「秘密だよ」と言いながら逆に拡散させるための宣伝手法も、老子自らが取っています。
知恵が深いとは、こういうことか、という項でした。

(伊勢白山道)
  1. 2018/04/27(金) 15:29:53|
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