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集団ストーカーと電磁波攻撃Ⅱ【自分用のデータ保存】

こちらのサイトはあくまで私的なものです。 自分用のデータ保存のためのブログです。

MEMOはじめ


いつまでも少年の心を忘れずにいたい

・火事も起こそうと狙ってますね。
・無理な言いがかり・因縁付け(2014/11より虚偽の電話を警察にしている 部屋で暴れていると嘘の電話 毎日警察官が来る 多い日は1日に朝、晩2回 3ケ月続く)⇒被害届⇒逮捕させるという流れ
・瞼の裏に腫瘍を作る電磁波照射
・目への電磁波照射 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)
・左の頭への電磁波照射⇒右半身不随 高輪クリニックにて確認済(確認できるデータ残ってます)

【読了書籍】
森羅万象2
  1. 2020/02/13(木) 22:18:03|
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10年後の自分から、今の自分の状況を見てみよう。

未来に居る自分からの視点が助けます
2018-12-09 11:35:33 | Weblog
(読者)

記事「丁度よいように必ず成るから、挑戦することが大切」のお話で、
自分を苦しめたり、悩みをもたらすワレヨシ心に、
「もうその手は効かんぞ。その悩みから卒業させてもらうぞ。」
と立ち向かえる気持ちになりました。
全てが自分にとって丁度いいという真理は、ワレヨシ心には相当な痛手だと思います。
昇華して薄くするは今、と心得たり。 (以上)

(感想)

人間は、嫌なことに遭ったり、病気や、事故や事件に遭いますと、その最中は非常に苦しみ、心配し、悩みます。
もうだめだ、と何度も思うものです。


でも、冷静に考えますと、上記のすべては10年も経った時は、「そんなことが有った」「あの時は大変だった」に、それなりに変わります。
もっと言えば、その内容次第では来月には、「何でも無かった」「誤解だった」「早とちりだった」に変わっていることも有るものです。


でも、何かに遭っている最中は、心が右往左往します。また、非常に苦しいものです。
もし、今まさにそういう最中だという人が居られれば、

・ 10年後の自分から、今の自分の状況を見てみよう。

こういう思い方も、想像の仕方も、参考に成れば幸いです。
10年後の自分から、今に起こっている事態を眺めますと、
・ 守護霊からの視点
・ 先祖霊が思う見方

こういう示唆に、気付きやすく成れるのです。

冷静に成れますし、知恵が浮かびやすく(啓示です)成るのです。
そして、色々なヒントに気付く人も居れば、そうでない人も居る。個人で様々です。

でも、なにも知恵が浮かばなくても大丈夫です。
10年後の自分から今の嫌な事態を観て見て、
・ 冷静に成れれば、御の字です。
これだけでも重要なことです。


でも、誰もの先祖霊が思うことは、共通しています。
・ 生きていれば、それで十分だよ。
・ 慌てないこと。

これが、どなたの先祖霊も思っていることです。


どんな事態も事案も、流れる映像の場面に過ぎません。
誰もが、いずれ死ぬ。
だから、何を慌てる必要があろうか?
ここに崇高な答えが有るのです。
流れている映像には、ダマされないように居ましょう。


(伊勢白山道)
  1. 2018/12/09(日) 15:01:17|
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口内菌と口臭と健康
2018-12-08 11:41:16 | 健康アレコレ
テレビの健康番組で、口臭への対策を放送していました。
ある男性芸人の家族が言われるには、男性が朝に起きてソファーに座って居る「3m」以内に入りますと、歯磨き前の息が臭くて近寄ることも嫌だという深刻な相談でした。

病院の歯科には、口臭の度合いを測定する機器が有り、その男性の測定結果は平均値の7倍を超えるものでした。
番組では他の口臭が気になる一般人数名も含めて口臭を測定しますと、歯槽膿漏の有る人も非常に高い口臭数値を示していました。

平均値の10倍を超える口臭では、気を使って人から1m以上も離れていても、相手にはきつい口臭の不快感を与えているようです。
これでは段々と普段の生活が萎縮して行き、対人恐怖症からの引きこもりにも口臭が原因で成りかねません。

そこで口臭の研究者が提唱した方法が、
・ 寝る前に、歯磨きをした後に、
・ 大さじ1杯のオリーブオイルを口に含んで、クチュクチュして吐き出す。
・ 理想は、口をゆすがずに、そのまま寝る。
・ 気持ちが悪ければ、1回だけ、口をゆすぐ。
(ただし、排水管への油分の影響を考慮して、キッチンペーパー等に吐いて、ビニール袋に包んでゴミ箱に捨てることを参考に)

これだけでした。
これを行った翌日から変化を感じ始め、1週間後の全員の口臭測定値は、数分の1以下に激変していました。
特に男性芸人さんの改善は凄くて、基準値の約10分の1という超低い数値であり、口臭はゼロに等しいものでした。
顕微鏡による口内菌の撮影でも、明らかに激変していました。

外国人の指摘に多いのが、日本人の口臭です。
これは食生活の違いかも知れません。
上記の理屈から言えば、
・ オリーブオイルを常食する国ほど、口臭が少ない可能性。
これが言えると感じます。

でも、和食生活では、オリーブオイルとほぼ縁がありません。
パンの小麦の心配が有りますが、それはパンの量の問題です。
・ 朝は、食事の最後にフランスパンの小さい欠片に、オリーブオイルを付けて、含ませて、食べる。
こういう方法も参考になるかも知れません。

口臭が気になる人への参考に、

* 安価なオリーブオイルで、寝る前の大さじ1杯のクチュクチュを試して見ること。
ガルシアエクストラバージンオリーブオイル ペット 1000ml 
(https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B005I0DG76/isehakusandou-22)

・ 寝る前の微量のオリーブオイルは、翌朝の便通にも興味深いです。

* アグリ浜名湖オリーブ園 オリーブリーフハミガキ
国産浜名湖産オリーブ葉粉末配合、赤穂の焼塩配合、自然派石けん素地使用。歯磨き粉。
(https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B015F6I0NW/isehakusandou-22)
(https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01DHKVIRI/isehakusandou-22)

成分を読んで調べて自己判断して下さい。参考にしてください。医師の診断と指導を優先してね。このAmazon.co.jpアソシエイト・リンクの紹介は、効果効能を示唆する意味ではありません。

口内菌は、常に全身に影響を与える「窓口」です。
この窓口に悪玉菌が多ければ、全身に回る可能性が有ります。
・ 歯周病(歯槽膿漏)と心臓病の関係
これは研究者から様々な指摘がされています。

更に踏み込んで、ガンと嫌気性の菌の体内感染の関係性が今は不明ですが、もしこれが証明されれば、ガン患者と歯周病の統計を調べることは意味をなす可能性を感じます。

・ 口内環境が寿命に影響する可能性
これに注意します。

老化が進むほどに、歯が欠損して行くことも、実はこれは理にかなった天の延命策かも知れません。
寝込んで歯のメンテナンスが出来なくなった場合、歯は菌の巣窟に成りかねません。
これから寝込んだ高齢者において、インプラント義歯の問題が発生しなければ良いなと心配です。

以上は、私の根拠の無い推測と想像です。
皆さんなりの、参考になれば幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/12/08(土) 15:06:19|
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何も悩むことでは無い。 希望が叶わないことを苦しんでは生けない。 ダメならばダメを、その中でも楽しんで見せましょう。 これが自分が負けていない印に成ります。 え、何に負けてないか? すべては、自分の自我(ワレよしの心)の思いとの、葛藤で誰もが苦しんでいます。 嫌な他人が原因では無いのです。 その証拠に、自分の自我が薄くなるほどに、すべてを心温く眺めることが出来ます。 嫌いな他人も消えて行きます。 すべてを「愛おしく」見ることが出来ます。

丁度よいように必ず成るから、挑戦することが大切
2018-12-07 11:31:16 | Weblog
ふと、良寛さん(りょうかん。1758年11月2日〜1831年2月18日。江戸時代後期の曹洞宗の僧侶。号は大愚・たいぐ:非常におろかな人)
の言葉を思い出していました。

・「花、無心にして蝶を招き
  蝶、無心にして花を訪れる」


花は、何も思わなくても、蝶が寄って来ます。
蝶は、何も考えずに、花を訪れます。

私達は、〜が欲しい、〜に成りたい、と思うことは大切なのですが、それで苦しみます。
やはり、自分の希望で、苦しんではダメなのです。
希望を持つこと、希望がなかなか叶わないことも、逆にこれを楽しむことが大切です。


受かりたいのに受からない、結婚したいのに出来ない。金が欲しいのに、貧乏のまま。
これは、コノ世だけの現象であり、非常に喜怒哀楽が生じる真剣なアトラクション(娯楽の冒険)経験の機会です。


「だめだー」「そうなんだー」「そっかー」「なんだとー」「くっそ〜」。
真剣に没入すれば良いと思います。

でも、心の深奥では、知って置くこと。それが、

「花、無心にして蝶を招き
  蝶、無心にして花を訪れる」

花は、ただ一生懸命に咲こうとしています。
蝶は、懸命に花の蜜を探しています。
そして、お互いが自然と引き合います。

この意味が分かるには、やはり努力した経験が大切です。
失敗した経験も大切です。

その上で、自分が努力した分の相応が、自然と自分に返ることを知ります。

何も悩むことでは無い。
希望が叶わないことを苦しんでは生けない。
ダメならばダメを、その中でも楽しんで見せましょう。
これが自分が負けていない印に成ります。


え、何に負けてないか?
すべては、自分の自我(ワレよしの心)の思いとの、葛藤で誰もが苦しんでいます。
嫌な他人が原因では無いのです。


その証拠に、自分の自我が薄くなるほどに、すべてを心温く眺めることが出来ます。
嫌いな他人も消えて行きます。
すべてを「愛おしく」見ることが出来ます。


この上で、良寛さんは、何を言ったか?

・ 顔も 身体も 名前も 姓も お前にそれは丁度良い。

・ 息子の嫁も その孫も それはお前に丁度良い。

・ 幸も 不幸も 喜びも 悲しみさえも 丁度良い。

・ 歩いたお前の人生は、悪くもなければ 良くもない お前にとって 丁度良い。

・ 地獄へ行こうと 極楽へ行こうと 行ったところが丁度良い。

・ 死ぬ月日さえも丁度良い。      (以上)

こういうことが、真理の面から言えます。
なんだ、今の自分で丁度良いのだ!
でも、当たって砕けろ!
を経験するために、短い人生がコノ世なのです。

何かを恐れることも、心配することも不要です。
すべては、今の自分に「既に」「最善に」丁度よいのです。
だから、安心して、挑戦しましょう。


当たって砕けても、失敗も、問題はないのです。
経験して行くことが大切なのです。

動けば動くほどに、「自分に丁度よいように」運命も結果も変わって行きますから、安心して頑張りましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/12/07(金) 15:40:25|
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神馬(しんめ)の美しさは、 ・ その身を任せ切った美しさ。 ・ あるがまま、を体現している美しさ。 これを感じます。 大いなる存在(神様)に自分の命を任せて、あるがままの中にたたずむこと。 今の自分が置かれた場所を受け入れて、その中でも心が優しく有りながら、楽しむこと。 永遠性を見詰めた視線は、どんな動く景色にも動じない。 こういう状態に心が成れた時に、静かなる美しさを醸(かも)し出すことでしょう。

沈黙の中の美しさ
2018-12-06 10:53:34 | Weblog

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(ブログに投稿された、伊勢神宮外宮の笑智号「えみともごう」)

動物の目は優しいです。
この美しさは何か? どこから来る静けさなのか?

それは、
白い色から来るのか。肉体の形から来るものなのか?
いいえ、どれも違うと感じます。

神馬(しんめ)の美しさは、
・ その身を任せ切った美しさ。
・ あるがまま、を体現している美しさ。

これを感じます。

でも、次元の低い思考は、これを否定し、逆に利用しようとします。
無抵抗は、弱さの象徴であり、何をしても良い。
管理して、利用してやろう。
自分で何とかしようとしないのは、罪だ。

人間には、このような悪いサガの面が有ることを、小学生を観ましても、国際的な大企業を観ましても、感じることが有ります。
弱い者を、管理して利用しようとする社会、その陰影を世界中の様々なことに垣間見ることが有ります。

その最先端が、インターネットの利用なのでしょう。
もう既に世界中で、インターネットの膨大な天文学的な利用履歴と内容の、個人ごとの集計が数年前から始まっているようです。
そのデータを見れば、国ごとの、年代別の、次の流行や金が動く先を読み取り、先行投資をすることが可能です。

でも、こういう社会が行き着く先は何なのでしょうか?
誰も、勝者は居ない。
ミイラ取りがミイラになる。
荒んだ人類と、荒廃した地球だけが残る気がします。
その時に、神馬の身を任せ切った美しさが分かるのでしょう。

大いなる存在(神様)に自分の命を任せて、あるがままの中にたたずむこと。
今の自分が置かれた場所を受け入れて、その中でも心が優しく有りながら、楽しむこと。
永遠性を見詰めた視線は、どんな動く景色にも動じない。
こういう状態に心が成れた時に、静かなる美しさを醸(かも)し出すことでしょう。


静かなる動物は、本当に美しく発光しています。
これから静かなる人々が、黙っていても発光する時代を感じます。
黙っていても楽しそうな人々が増えて行く気がしています。

(伊勢白山道)
  1. 2018/12/07(金) 15:39:44|
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悟りに近付く方法(1)心がいつも安心しており、動揺しない心を心掛けること。 (2)自分の心の根源存在(内在神)に対して、自分の意識が常に向いていること。 (3)自分の心を、過去にも、未来にも置かずに、今という瞬間だけを見て生きることを意識すること。 この3つを遂行すれば、どんな環境や条件下に住んで居ても、悟り(さとり:自我と真我の差を取る)に到達し、何度も生まれ直す転生の海を卒業することが出来ると釈尊が示唆されています。

いつも心を安心させていることが大事
2018-12-04 08:29:57 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
(記事「井戸の中のカエルが、本当の世界を知る方法は?」の続き)

釈尊が返答されました。

「いかなる時にも崩れ去らない、完全なる悟りの知恵を持って目覚めていること。

心が安心感の海に浸かっており、いつも心が動かない心境でいること。

自分自身の心の根源存在に対して、自分の意識が常に向いていること。

あるがままの今という、この瞬間の自分を意識し続けていること。

このような人物ならば、この雑多な社会の中に住みながら、

輪廻(りんね:生まれ変わり)の激流を無事に卒業することが出来るのです。」


(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.174)

(感想)

雪山に住む神霊が、釈尊に問い掛けた、
「どんな人間ならば、何度も生まれ直す転生の海を、もう二度と生まれ変わることが無きように卒業ができるのか?」

に対する釈尊の返答がこの項です。
でも、釈尊の最初の返答が、
・ 完全なる悟りの知恵を持って目覚めていること。

いきなりガ〜ンです。つまり、悟った者であることが前提条件なのです。
でも、釈尊はこの後に、悟りに近付く方法を開示されています。

(1)心がいつも安心しており、動揺しない心を心掛けること。

(2)自分の心の根源存在(内在神)に対して、自分の意識が常に向いていること。

(3)自分の心を、過去にも、未来にも置かずに、今という瞬間だけを見て生きることを意識すること。


この3つを遂行すれば、どんな環境や条件下に住んで居ても、悟り(さとり:自我と真我の差を取る)に到達し、何度も生まれ直す転生の海を卒業することが出来ると釈尊が示唆されています。

この3つを読みますと、漠然とした悟りというよく分からない「境地」ではなくて、今の自分の生活の中で、心掛けるべき、目指すべき「心境」がよく分かります。

皆さんの生活の中で出会う人の中にも、
・ いつも安心している人。
・ 自分の心を観察しながら生活している人。
・ 今を一生懸命に生きている人。
このような人物も、居られるかも知れません。

もう紙一重で、悟りの一歩手前という人が、現代人には多いと感じます。
過去の時代には無かった、約束された時代が今だと私は感じています。
現代人には、何度も転生を経験した魂が、今という時代に極まっているのです。

もうそろそろ、今度こそ、という思いが、何となく分かる、感じている読者も多いと思います。

「生まれ生まれ生まれ生まれて 生の始めに暗く」
(何度となく転生を繰り返しているのに、生の始まりさえ分かっていない)

「死に死に死に死んで 死の終りに冥(くら)し」
(何度となく死を繰り返しているのに、死の終わりさえ知らない)
空海の著書『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)より。

この転生の海を卒業する方法は何か?
更に釈尊の返答が、もう一話続きます。 (続く)

(伊勢白山道)
  1. 2018/12/04(火) 17:09:05|
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これからは誰もが、 ・ 自分の心を曇らせないように。 ・ 心だけは、明るく居るように。 心掛けることを参考にしてください。

心だけは曇らせないで、明るく居れば大丈夫
2018-12-03 01:25:06 | Weblog
老子は、
「無用の用」(むようのよう)、役に立たないと思われているものが、実際には大きな役割を果たしているということを示唆しました。


老子の影響を受けた、後世に生まれた荘子(そうし)も、
「有用の用」(ゆうようのよう:目に見える直ぐに役に立つ物)ばかりを人は求めて苦労しているが、無用に見える物事の真の価値を知ったほうが良いと示唆しています。

盲腸や、ノドチンコも、不要な物だと勘違いされていますが、実際には未知の役割をしていると感じます。

会社を辞めたいと言う人に多いことが、
・ 自分は、役に立っていないから。
・ 自分なんか居ないほうが、皆んなには良いと思うから。

家庭でも、
・ 私なんか居ないほうが家族には良い。

なんと、人間とは、
・ 自分が役に立っていないことが、苦しい。
と、心のどこかで思ってしまうようです。

でも、自分が役に立てないと諦めますと、その次は反発、反骨、攻撃性へと変わってしまう悲しいサガを、人生を諦めた人から感じます。

人間は、誰もが最初は性善説(せいぜんせつ:人間の本性は基本的に善であるとする)。

いや、人間は、性悪説(せいあくせつ:人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶという説)

と古くから2つの説が有りますが、私は誰もが心の奥は善だが、心の表面が曇ることが起きると感じます。

心の表面を曇らせますと、心の奥にも光が差さずに、病気や不運が憑いてまわるという現象が生じます。
でも生きる人は、見える表面のその病気や、不運を取り去ることが大事だと思い込んでいます。

でも、そうでは無いのです。
自分の心を曇らせないことが大切なのです。
今の自分にどんな苦境が有っても、心まで曇らせないこと。
心だけは、明るくして居ることが重要です。


でも、こういう理論は、病気や借金の前では、まさに「無用の用」。
なんの役にも立たないと人は思ってしまいます。
でも人は、明るい心から、すべてが生じる、産み出せる、ことを信じて欲しいのです。

日本神話では、天照太御神が閉じこもっていた暗い洞窟から、岩戸を開いて、出て来て周囲を照らしたことで、世の中が変わった話が有ります。
これからは誰もが、
・ 自分の心を曇らせないように。
・ 心だけは、明るく居るように。
心掛けることを参考にしてください。


昭和時代ならば、なんの変化も無かったかも知れませんが、これからは違う時代の波動に入りつつあります。
「無用の用」が、「有用の用」に変わる時代です。

本当に、そうなるか?
皆さんと一緒に見て行きましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/12/03(月) 14:41:05|
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カンナガラとは、自分は常に神様と共に生きていると自覚して生きることです。この自覚が深まりますと、自分の行動が神様の意思を現すように実際になっていくのです。目の前のことに自分なりの最善を尽くしていれば、何も心配が不要な心境になり、環境も現実に変化し始めます。カンナガラとは、神様と共に『なるようになる人生』に感謝しながら、生を楽しむ心境です。

カンナガラとは、自分は常に神様と共に生きていると自覚して生きることです。あなたも神様を内在して、すでに生きているのです。
ただ、常に神様と共に生きている自覚が出来ますと、神様に対して恥ずかしい生き方は出来ません。自分の良心に正直になります。

この自覚が深まりますと、自分の行動が神様の意思を現すように実際になっていくのです。目の前のことに自分なりの最善を尽くしていれば、何も心配が不要な心境になり、環境も現実に変化し始めます。

カンナガラとは、神様と共に『なるようになる人生』に感謝しながら、生を楽しむ心境です。


(伊勢白山道)
  1. 2018/12/02(日) 21:31:04|
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心臓病の予防について~伊勢白山道から引用

昼食後の15分から30分間の昼寝は、心臓のかつど言うサイクルをリセットして大変に有効です。

コエンザイムQ10は、最初は狭心症の薬として開発されたようですが、私の感覚では、歯槽膿漏、白内障などの目の毛細血管に関する病気、糖尿病、特に心臓への予防に有効だと思います。このサプリの注意点は、疲れづらくなるのでオーバーワークになることです。

  1. 2018/12/02(日) 21:07:43|
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弱の効果効能

弱い部分が、長生きをさせている可能性
2018-12-02 00:00:19 | Weblog
外国の研究者が、人の受精卵の遺伝子を改変して、エイズウイルス(HIV)感染者の父親からの感染を防止した双子の女児を誕生させたと発表したことが、世界中で論議を呼んでいます。

まず、本当にその子たちは、エイズウイルスに対して抵抗力を有しているのか?
無事に成長が出来るのか?
が疑問です。

モグラたたきゲームのように、「あちらを立てれば、こちらが立たず」という懸念を感じます。
遺伝子を触ったばかりに、「まさかの部分が」「止められない問題が生じる」ということが無ければ良いなと心配です。

この件で、非常に気に成りますことは、「排除の理論」「弱い部分を取る」「弱を強に入れ替える」という発想です。
深遠なる生命には、
・ 弱い部分が、全体を生かしている。
・ 弱い部分が、長生きをさせている。
ということを感じるのです。


例えば、若夫婦と子供2人、高齢の両親2名の6人家族が居るとします。
若夫婦が激しい夫婦喧嘩をすれば、
・ 子供がワ~ンと泣いて、親の喧嘩を止める。
・ 側で喧嘩を見ていた老親が、急に心臓が苦しくなって、夫婦喧嘩をするどころでは無くなった。

家族の中の弱者が、夫婦の喧嘩が殺し合いに行く前に止める。
家族全員が元気な大人ばかりならば、全員で乱闘に成るかもしれない、笑。

上手く説明が出来ませんが、細胞同士、遺伝子同士、の間にも、弱と強が混在して「調和」させている側面が有ると感じます。
国の中にも、色々な弱者も強者も居ることで、なんだかんだと言いながら「継続する」面が有ると感じます。


弱者を排除すれば、強者同士が争って内乱が起こるか、早く自滅の道へ進むかも知れません。
強制的に強者ばかりにした世界では、いったい何が起こるのでしょうか?


更に、これが一人の人間の中でも言えることだと感じます。
自分の弱い部分が、実は自分自身を長生きをさせている。
自分の弱い部分が、危険を避けさせている。


だから、心身が今弱っていると思う人は、
・ 自分の弱い部分を、嫌がらないこと。
・ 自分のダメな部分も、仕方がないと思って見ること。
・ ダメな自分を嫌うことが、すべての不運の原因。


遺伝子を操作して、細胞のすべての弱点を無くしたとしても、
強いがゆえに無理をすることが、事故や短命に繋がる。
更に人生の幸福感はまったく別問題であり、自殺が増える可能性。

昔話では、人魚の肉を食べたために、決して死ねない不老不死の人間となり、周囲の人間が皆、老いて順番に亡くなっていく中で、寂しく泣きながら暮らしたという話もあります。

弱には弱の効果効能が有ると思うことで、自分自身のことや家族、他人を見る視点が変わって行くことでしょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/12/02(日) 20:59:55|
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いやいや、私はお金もあるし。時間もある。 何でも持ってる。 ワタスは大丈夫。 ありがとうございます。 くほほほほほほ くほほほ 余裕モード。 余裕の心で行動すると、余裕の現実が映し出されるのではないでしょうか。 斎藤一人さんの動画などを見るとそういう雰囲気が確かにあるのが分かる。

金持ちケンカせずの余裕はどっから来る?ゆったり波動

さて、ちょっと前ですが。
都内に行った時のお話です。

ワタスが駅のホームでゴミを捨ててると

えっとペットボトルはこっちで缶はこっちで。。
一個一個分別してゴミを捨ててたら

ぇえ?

横からどっかのおばちゃんがやってきて
ちょっとどいてよっ!
そんな感じでいっぱいのゴミ袋を目の前でねじ込んで去っていきますた。

ぇーー。
ゴミ箱の横入り。

なんと都内ではゴミ箱の横入りがあるのか。

朝方の通勤時間にゆっくりやってたからいけないのか。

なんでしょう。
このせかせかした雰囲気。
なんと余裕のない。

ゴミ捨てぐらいちょっと待てばよいのに。

ワタスはその人を見て思ったのですた。
なんというか。
こう言っては申し訳ないですが。。

いつもせかせかした雰囲気を出してる人は
なんとなく見た目が貧乏そうというか。

パートを掛け持ちして心の余裕がないのかもしれませんが。。

なんというか。
車でもなんでも、人の横入りを許さないとか。
クラクションをならしてプップー。
人を煽るとか。

すぐ怒るとか。
些細なことにクレームを入れるというか。
キリキリした波動を出してる人は、それなりの生活をしてる気がします。

裕福な人というのは逆に心の余裕がありますよね。

そうですか。
ゴミ捨てですか。お先にどうぞ。
くほほほ~

ってなもんです。


うーん。
それは生活に余裕があるから心に余裕がでるのか。

いや、むしろ逆では?

心が先で現実が後。
心に余裕があるから裕福な現実を引き寄せるのでは。

とかなんとか。

量子力学でいう色即是空。
何もないところに、心の波が現実を作り出す。
実は、観測者の波と対象の波が共鳴してるところを、人間の脳が解釈して現実と見えてるだけ。


余裕のない心が余裕のない現実を作り出す。

時間がない。お金がない。余裕がない。
私は何ももってない。

そういう波動でいるとそういう現実が何もないところから生まれてきてしまう。


毎日頑張ろう。
頑張ってなんとかその日を生き抜こう。
そういうサバイバルモードでいるからサバイバルモードな日常を体験しているのかもしれません。

まぁ、それが大抵の現代日本人の日常なのかもしれませんが。
そういう心で頑張って生きてるから、さらに頑張らなきゃいけない現実を作りだすのでは?


いやいや、私はお金もあるし。時間もある。
何でも持ってる。

ワタスは大丈夫。
ありがとうございます。

くほほほほほほ
くほほほ

余裕モード。
余裕の心で行動すると、余裕の現実が映し出されるのではないでしょうか。

斎藤一人さんの動画などを見るとそういう雰囲気が確かにあるのが分かる。


ありがとうございます。
いつも私は大丈夫。
守られてる。

そっちの波を選択しよう。
そっちの波は楽で楽しい。

どうしようどうしようと頑張りそうになる時。
一度、深呼吸して

ふーーー。
大丈夫。
余裕。余裕。

自分の心が現実を映し出してる。
自分が作ってる。
それを思い出して行動すれば現実が変わっていくかもしれません。

本当にありがとうございますた。

(黄金の金玉を知らないか?より引用)
  1. 2018/12/01(土) 15:42:30|
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やはり、普段からニコニコ笑顔の人はお得です。 ニコニコ笑顔の人をイジメれば、大変なことに成ります。 ニコニコ笑顔のエビス神が怒れば、その裏の顔は怖い大黒天です。 だから、社内でイジメられる人は、暗い顔をしていれば、余計にイジメを呼びます。相手が、イジメたくなるのです。 ニコニコ笑顔を心掛けて見ましょう。

ニコニコ笑顔は恐ろしく、強い
2018-11-27 11:51:16 | Weblog
大相撲で若い力士が優勝されて、本当に良かったと思います。
相撲界で日本人の力士が伸び悩む光景を長く見ていまして、日本人の体は弱くなってしまったのだろうか?
と心配していました。

優勝された力士も、決して大きな体格では無いのですが、肉体の軸の強さ、体幹、肉体の芯からの力、というものを感じる力士です。
報道で聞いたエピソードでは、

・ 生まれて初めてカップ麺を食べた時に、プラスチックを食べている気がして吐いた。

というものがありました。親が愛情を込めて作る自然の食材からの食事が、力士の肉体を芯から育てたのでしょう。
今では海の海水にもプラスチックが溶けており、海産物や塩からもプラスチック成分が検出されることが問題になっています。

プラスチックを食べて育った平成の子供たちは、昭和の力士とは違うようです。
でも、もう食材の容器からも含めて、既にプラスチックを避けることは難しい時代です。
プラスチック成分が人体に与える影響から感じますことは、

・ 性ホルモンに影響して、男女ともに中性化を促進させる。
男性ならば、精子の減少傾向。
女性には、多毛と、男性化。

・ 不妊の時代を促進。
少子化は食材からの宿命だった。

逆の意味では、中性の観音様を生む時代の始まり。
ミロクの世への布石。
とも言えそうです。

人類が石油を触り始めたことは世紀の宿命であり、100年後には、今のようになる事態が予定されていたとも言えそうです。
これからますます、人工授精と、自然妊娠の比率が逆転して行くのでしょう。

SFの未来社会を想像しますと、
・ 富裕層だけが、人工妊娠・人工出産を行い、街で子供を見掛けますと、それは富裕層を意味しており、人々が好奇な視線を向ける姿。
・ 自然性交しても妊娠しない人類になってしまっており、乱れた性産業と致死性の性病の蔓延。
このような映画のシーンを見たような気がします。

カップ麺につきましては、陶器のドンブリをお湯で温めておき、そのお湯を捨ててカップ麺の中身を入れて、熱湯を注いで陶器の皿でフタをします。
これだけでも、カップ麺のプラスチック味は消えます。
このような工夫をして、自衛をしましょう。

このような心遣いが、将来のガン因子を抑える気がします。
食材と食べ方で、人の運命も変わると言えます。

ところで、優勝をされた力士の親方を観ますと、
丸い・円い・◯い人。 ドラエモンのような優しい人。
縁起が良い人。 福を呼べる人。 控えめな人。
このように感じました。なかなか居ない御方です。

今回の優勝には、新しい親方の運気も関係しているようです。
その一方で、非常に心配な御方も居ます。
北一輝(きた いっき)という霊的存在が、三島由紀夫氏を連れ去ったように、憂国だと見せかけて、その本質は別にある霊界が、いまだに有名人を選んでは干渉しています・・・・。

ここで、福を呼べる人物で思い出す人は、

(ウィキペディアより:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%9B%9B%E9%83%8E)

仙台 四郎(せんだい しろう)です。
言葉をほとんど話すことは出来ませんでしたが、とにかく子供が遊ぶ姿をニコニコして眺める優しい人物でした。良寛さんと同じです。

この人に食べ物を上げた人には、後から数倍になって返った。
この人が勝手に食事の店に入り、ただニコニコして立っているので、店主が追い出さずに仕方がないと思って、無料で何か食べさせて帰してから、その店が異常に繁盛した。
怒って追い出した店は、潰れた。
などなどが続いたようです。

「四郎馬鹿(シロバカ)」、アホの子、と言われながら、その悪意の無いニコニコ笑顔から誰からも好かれたようです。
後に、福の神の化身だったと言われて死後に祭られています。


やはり、普段からニコニコ笑顔の人はお得です。
ニコニコ笑顔の人をイジメれば、大変なことに成ります。
ニコニコ笑顔のエビス神が怒れば、その裏の顔は怖い大黒天です。


だから、社内でイジメられる人は、暗い顔をしていれば、余計にイジメを呼びます。相手が、イジメたくなるのです。
ニコニコ笑顔を心掛けて見ましょう。

  1. 2018/11/27(火) 13:16:23|
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正神界の神様から与えられるご利益とは、どんなものでしょうか?

正神界の神様から与えられるご利益とは、どんなものでしょうか?


それは後になって振り返ると、「なんとかやってこれたなあ」とか、「どうやってこなしてきたんだろうか?」と考えるような、後から考えて初めて分かるようなご利益の与え方を神様はされます。

ギリギリの状況を経験し、本人は必死の思いはしたけれども、現在は可もなく不可もない状況があるものです。正神は、必ず経験を私達にさせてから穏便な形に導くものです。本当の神様は、最初から嫌な経験自体を避けることを良しとはしません。

正神がなぜ、分かり難い形でのご利益を与えるかの訳は、我々が過去生の因縁借金を返し、そして成長する目的のために生まれてくるからです。人間の魂が成長するように仕向けさせて、導くのが正神のやり方です。人間は苦しい状況では、神様から守護されているのに感謝できない愚かさがあります。

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/26(月) 14:53:47|
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自己の因縁を消化するために、自分で家系を選択して私達は生まれでます。

自己の因縁を消化するために、自分で家系を選択して私達は生まれでます。根源神からの恩寵として、人生を体験するために借りた家系の霊線内にいる先祖霊を、たくさん安心成仏させると因縁の消化も軽く楽にできます。

自分自身を縛る因縁がなくなると、この現実界では夢が叶いやすくなります。

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/25(日) 23:11:58|
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他を助けるものは助けられる

神様は、弱い人間を直接助けるのではなく、弱い人間を助けようとする人間をサポートして守護することにより、その弱い人を助けさせるのです。

神様に助けられたい人は、他人を助けようとすれば、神様に助けられます。

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/25(日) 20:52:42|
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還暦60歳を過ぎれば、真面目に変化の無いパターン生活を長く継続した上に、そこに善徳を積む行為が有る人は、赤子へと心身が若返るという変化を生む可能性が有る訳です。・ 自分だけが生きることに執着をしない、妖気が無い生活を継続したこと。・ 自分の欲望の気持ちを活発にしただけの、悪い「頑張り」が無い生活を継続したこと。・ 何も変化が無いパターンを繰り返す生活の継続をしながら、善徳を積む行為が有る場合に。

変化の無い同じパターンの生活こそが、真に有り難いことだった
2018-11-25 11:52:41 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第五十五章『自然で在ることが大切』

「老子の人生論」第五十五章

善徳が大きく豊かな人ほど、赤ん坊に似て行きます。
赤ん坊には、毒虫類や毒蛇たちも咬むことがありません。
猛獣類も、襲うことをしません。
空の猛禽類も、つかみ掛かることがありません。

赤ん坊は、骨は弱くて、筋肉も柔らかい。でも、こぶしを握る力はとても強い。

赤ん坊はまだ、男女の性交に興味も抱かないのに、性器がよく立っています。
これは、精気が充満しているから起こることです。

赤ん坊は、一日中も泣き続けましても、声が枯れることがありません。
和気あいあいの気を持つからです。

心身の和の状態を知っていることこそが、「一定的で変化が無い」という理想の極致なのです。
「一定的で変化が無い」生活を継続させることが、崇高な内在する叡智からの知恵が在ると言えます。


自分だけが生きることに執着することを、妖気が有ると言います。
自分の欲望の気持ちを活発にすることを、「頑張り」と言います。

コノ世では、勢いが良く強くなるという変化が起こってしまうことは、それは衰退が既に約束されています。
変化が起こること自体が、それは既に真の道理から外れています。


道理に叶っていないことは、早く衰退します。

(感想)

老子の視点とは、非常に面白いことを指摘します。
常人には、思いも付かない、逆の解釈ばかりが多いです。

「アノ子は美人に成った・変わった」と言われた時点で、既にその子の将来の老化は必ず約束されていると言う訳です。
急成長した会社は、それと同時に衰退も決まってしまっている。

つまり、
・「大きな変化を見せた」 = 「一定的から離れた、理想から離れた状態。衰退が約束された」
・「常に一定的で変化が無い生活」 = 「和の理想が在る、崇高な叡智からの加護が在る生活」


でも私達は、毎日通勤と帰宅という変化が無い生活を、情けない人生だと思って悲観します。
こういう人生は、嫌だと不満をつのらせます。
でも老子は、それは違うと。
それこそが、真に平和である証拠であり、大きな叡智により稀有にもたらされた状態だと絶賛しています。

そういわれますと、人類は定期的に戦争の時代を経験しますが、何も無い日常の繰り返しこそが、本当に平和で有り難い循環が生じている状態だと言えます。
でも人は、定形パターンの繰り返しを、まるでカッコの悪いダメなことのように思ってしまっています。

ここで老子は、繰り返す安定した変化が無い生活を継続しながら、その中でも善徳を積んで行った人間は、赤子に若返ると示唆しています。

人間は、赤子に返るほどに、悪い虫にも蛇にも咬まれず。
害獣にも襲われることが無く。
元気の精気がみなぎり。
心身の力強さも増すことに成ると指摘します。


そして、このような状態こそが、何も変化が無いパターンを繰り返す生活の継続をしていてこそ、
そこに善徳を積む行為が有る場合に、
赤子へと心身が若返ることに成ると示唆しています。


還暦60歳を過ぎれば、真面目に変化の無いパターン生活を長く継続した上に、そこに善徳を積む行為が有る人は、赤子へと心身が若返るという変化を生む可能性が有る訳です。
でも、ここで矛盾が生じます。

上記の、
「アノ子は美人に成った・変わった」と言われた時点で、既にその子の将来の老化は必ず約束されていると言う訳です。
急成長した会社は、それと同時に衰退も決まってしまっている。

変化を見せてしまった時点でダメだと指摘しながら、赤子に戻る示唆がされています。
この違いは何なのでしょうか? それは、

・ 自分だけが生きることに執着をしない、妖気が無い生活を継続したこと。
・ 自分の欲望の気持ちを活発にしただけの、悪い「頑張り」が無い生活を継続したこと。
・ 何も変化が無いパターンを繰り返す生活の継続をしながら、善徳を積む行為が有る場合に。


赤子へと自然と人が変化するのは、問題はない訳です。
このような継続を持たないまま、我執(がしゅう:自分の執着)から美人に成れても、会社が急成長しても、ダメなのです。
継続がしないのです。


このような指摘が、皆さんの生活の参考に成れば幸いです。
同じパターンの生活でも、嬉々として楽しめる心境に成れれば、それは真に平和で素晴らしいことです。

生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/25(日) 14:42:13|
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嫌いな自分のままでも良いから、自分の右胸(中央から右へ3cmのポイント)に内在する大いなる存在を意識すること。

自分の右胸にも注目すること
2018-11-24 10:47:32 | Weblog
悩んでいる人、すべてを苦に感じてしまう人、ツイてない出来事が多い人、・・・・。
こういう人を観ていますと、
「こんな自分なんか嫌いだ」
「自分は存在していて良いのだろうか?」

などという心の声が、伝わって来ることが有ります。
でも、そう感じてしまう御本人の心は、その嫌いな自分によって生かされているのです。

どんな人も、存在しているだけで、その人生の90%は既に達成していると啓示されます。
後の10%は、自由なオマケです。

人がコノ世に存在することが、これ自体が奇跡の証明であり、大いなる存在の実在を証明していることに成ると感じます。

・ どんな形でも良いから、生きていることが素晴らしい。
・ 嫌いな自分のままでも良いから、自分の右胸(中央から右へ3cmのポイント)に内在する大いなる存在を意識すること。
・ こんな自分でも、コノ世に存在していることに、大いなる意味が有った。

・ 嫌いな自分とは、オマケの10%を他人と比較して、悲観しているだけだった。

人は、どんな自分であっても、自分に内在する存在を大切に思い続けた人から、運気が変わります。
人生が変わるのは、想像よりも簡単に起こることです。

参考にして頂ければ幸いです。

ここで話が変わりますが、
2014年6月13日記事「マグマも人の血液も鉄分があるために磁気の影響を大きく受けます」に、

これからは軽井沢の近くに在ります浅間山(活火山)、焼岳(やけだけ:活火山)、富士山(活火山)、この三点を結んだ大三角形とその内側の地域の火山活動と地震に注目します。
今の段階は、日本列島の中央部の深奥の温度が上昇を始めた感じがします。
これからは富士山よりも先に、焼岳と浅間山の地表の変化に注目したいです。
2015年~2016年には、この大三角形内になんらかのサインが出ると思います。
この大三角形内には温泉が多いのですが、その湯量と温度の変化も重要なサインと成ります。 (引用以上)

焼岳についての懸念をしていましたが、とうとう始まった感がしています。
これから、濃尾地震(1891年10月28日に発生した、日本史上最大の破局的な大地震)「破局噴火とは何?」
についても、岐阜・長野・名古屋を注目します。

何事も、自分自身のことも、子供のことでも、注目することで未来は改善します。
日本列島の中央の大地の深部を静観しましょう。

(カレンダーの印の意味は、「11月の自然観察日」を参照)
*【あなご君】(http://www.sinjidai.com/~miyagi/anago-hi-net.html)
* 地球上空の電子状態(http://www.swpc.noaa.gov/products/goes-electron-flux)が激しく乱れています。その乱れた瞬間の時間から27時間後を注意します。

・明日11月25日から、火山も気が抜けないです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/24(土) 18:35:42|
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「明るく期待しないこと」の次に、知って置いて欲しいキーワードは、 ・ 「本当は何も起こってはいない」 これを、難しいかも知れませんが、覚えて置いて欲しいのです。

すべての人類の心の奥には、絶対安心の意識体が存在します
2018-11-23 09:31:27 | Weblog
・「明るく期待しないこと。でも、自分の最善は尽くす」
これは様々なことに対しても有効であると、記事「勤務の有る有るパターンも知って置くこと」への読者さんの反応を観ても分かります。

私達は、自分の子供、伴侶、家族へ。友人に。恋人に。隣人に。同僚にも。
・ こうであって欲しい
・ こうあるべきだ
と、自分からの視点で無意識に、自分の期待する姿を観ているのです。

でも、実際には、他人は自分の思い通りの行動には成らない訳です。
そこで、自分で怒り、心配し、悲しむという喜怒哀楽のストレスを溜めて行きます。

自分で勝手に期待して、
自分で喜怒哀楽のストレスを生んで行く。
すべては、自分の世界の中での葛藤をしているだけなのです。
現実には、「何も起こってはいない」のが真相です。

自分の自我(ワレよしの心)が見せる成り行きに、人は勝手に苦しんでいるのです。
霊的には、コノ世では深い意味で、「何も起こっていないのが真相」という見方があります。


意識の表層では、様々な喜怒哀楽が発生して、事件も、感動も、ドラマも日々起こっていると私達は思っています。
赤子が成長して、いずれ老人になって死ぬとも思っています。

ところが、真我(しんが:意識の最奥。自分の神性の領域)の部分では、
・ 何も起こってはいない。
・ 私達は、不変である。
・ 生老病死ということも、本当には起こってはいない。
・ 私達は死なない。いえ、死ねない。
ということが、覚醒すると分かってしまいます。

分かりやすく言いますと、
・ 海の表面では、荒波も、凪(なぎ)も、台風も起こっています。
・ でも、最奥の深海では、安定した状態と静寂だけが存在する。
これと同じことが、私達の意識の正体として言えます。


「明るく期待しないこと」の次に、知って置いて欲しいキーワードは、
・ 「本当は何も起こってはいない」
これを、難しいかも知れませんが、覚えて置いて欲しいのです。


悲しい事件や、死、というものが、コノ世には付きものです。
意識の表面では、これが重要な現実です。
でも、意識の最奥では、誰もが完全な安心、不動な心で、今も生きています。

生きている最中は、これに気付けずに99%の人が亡くなって行きます。
でも、アノ世で、この真相を誰もが知ります。
「なんだ、死は無かったのか」
と愕然とします。

そして、コノ世で自分がした行動・行為こそが、恐ろしく重要だったことを思い知り始めます。

コノ世に現れる、幸運や、健康、寿命も、自分の意識の最奥に在る不動の領域から転写して来ます。
どんなに辛いことに遭っても、自分の心の最奥は、一切の影響を受けない絶対安心の領域が有ると思って、頑張りましょう。


これを妨害するのが、自分の自我(じが:ワレよしの心)です。
自我が大きい人ほど、後で苦しむ現実が転写して来ます。


このような法則を知っているだけでも、意識の表面が見せる・体験させる現実をも改善させる可能性があります。
大いなるマジック(奇跡)は、可能なのです。
病気に対しても、奇跡は起こり得ることです。


昭和のある教祖が、以上の理論を「一切の病気は幻想である」「病は無い」という内容を本にして配布したところ、読んだ人から奇跡が起こり、本を手に持つだけでも改善が起こる現象が、昭和の幽界時代に続出しました。

でもその結果、その本の朗読の会は昭和の大教団となってしまいました。
背後で走り回った、天照太御神に仕えた黄金の稲荷は、今は何を思っているのかを、たまに思い出すことがあります。

ただ、本当の真理は、どんな形であってもコノ世で発動するという典型例だと解釈します。プログラミングは、正しければ起動する訳です。

誰もが、自分の最奥に在る絶対安心の意識(内在神)を信じたほうが良いです。
これを信じ切った時に、コノ世でいう奇跡は起こるのです。


・今日の満月を、健康と、防災意識で静観しましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/23(金) 18:19:19|
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「眠くなるまで呼吸法ができる」くらいの軽い気持ちで呼吸を静めていると、いつのまにか寝ていることが多いようです。

「眠くなるまで呼吸法ができる」くらいの軽い気持ちで呼吸を静めていると、いつのまにか寝ていることが多いようです。

気の呼吸法から
  1. 2018/11/22(木) 23:30:56|
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・ 苦痛も、悪い意味だけでは無いこと。 ・ 自分の執着を断ち切らせる、大いなる恩寵(おんちょう:神様からのプレゼント)である。 ・ ただの苦痛は一切なくて、すべて善意で起こることである。 人間に起こることに、一切の無駄は無さそうです。 神様がなさることは、どこまでも完璧だったのです。 もし今の仕事が苦しければ、家庭が苦痛ならば、勉強がイヤイヤならば、 その苦痛も自分の何かを昇華・消化・解放させるためであり、未練を絶つためであり、 一切のムダは無いことを信じて欲しいのです。

苦痛も、自分自身のためだった
2018-11-17 11:59:48 | Weblog
ドイツの偉大な哲学者、ニーチェの言葉に、

「 大きな苦痛こそ

精神の最後の解放者である。

この苦痛のみが、

われわれを最後の深みに至らせる。」  (以上)


生物として、最後の臨終を迎える時に、大きな苦痛に顔を歪める人も中にはおられます。
それを見ている家族は、色々と心配します。
「お父ちゃんは、何か悪いことでもしたから、こんなに苦しむんだろうか?」
「成仏出来るのだろうか?」
と心配します。

これは個人差が大きな問題であり、その苦痛の意味は人により様々です。
死ぬ間際の苦悶の表情の意味、

・ その1:
本当に今生で自分が犯した罪が大き過ぎた場合、人は死ぬ直前に、走馬灯のように連続で短時間(1分間ほど)の内に、人生のすべての罪を脳内で見せられる現象が起きます。

実験では、その最中の人間を特殊なカメラで撮影しますと、美しい青い色で頭部が微かに発光している様子も撮影されています。
脳内で起こる記憶のフラッシュバックは、頭部表面にまで光が漏れ出るほど強烈な現象のようです。

ちなみに、死ぬ間際の「青い光」は、ミジンコや線虫など昆虫類でも、紫外線を当てて観察した時に確認されており、生命体が死ぬ時に解放されるエネルギーに関することだと感じます。
(イギリス・UCL大学による『PLOS Biology』誌への論文など)

臨終の際に、過去の罪を凝縮して連続で思い出している人の表情は、苦痛に歪む人もいれば、閉じた目から涙が溢れ続ける人もいます。

・ その2:
コノ世や家族への執着が強すぎて、「まだ死にたく無い」という死との苦闘からの苦痛の顔。
コノ世とは不思議な次元であり、コノ世への執着が強いほど、生物として脳内で苦痛も増すように出来ているのです。

だから、この場合の人は、ある意味で執着するほどコノ世の人生が良かった人だと言えそうです。
ある意味で、幸福が過ぎたのです。

逆に、不幸な人生の人ほど、コノ世への執着は無いのです。
臨終の際は、ニコニコとして「やっと終わる〜」と解放感に満ちた笑顔かも知れません。
つまり、生きる私達は、臨終の時の人物の苦悶の表情を見れば心配しますが、

・ 苦悶の表情の人ほど、苦労知らずの良い人生過ぎた。コノ世に執着するほど、人生が良かった人。まだ苦労するべきこと、謝罪するべきことが残っていた人。
・ 本当に、今生で犯した罪が大きい人。
このように言えます。

次に、死に顔が、幸福な笑みに包まれた御顔の人は、
・ 人生で大変な苦労をして、もうやり切った、生き切った、と人生に未練が無い人である。
ある意味で、不幸で辛い人生だったかも知れません。
知らない次の世に逝くのも、大いに結構な御方。

・ すべてに満足して、良心に恥じることも無く、思い残すことも無く、感謝の気持ちでコノ世への執着も無い御方。

以上のように、死ぬ時の顔について言えます。
ここで最初のニーチェの言葉に戻りますと、
・ 苦痛も、悪い意味だけでは無いこと。
・ 自分の執着を断ち切らせる、大いなる恩寵(おんちょう:神様からのプレゼント)である。
・ 痛みと解放という、落差体験で天国に誘導するために。
・ ただの苦痛は一切なくて、すべて善意で起こることである。


人間に起こることに、一切の無駄は無さそうです。
神様がなさることは、どこまでも完璧だったのです。


もし今の仕事が苦しければ、家庭が苦痛ならば、勉強がイヤイヤならば、
その苦痛も自分の何かを昇華・消化・解放させるためであり、未練を絶つためであり、
一切のムダは無いことを信じて欲しいのです。


人生とは、苦痛を感じながら、自分の執着を無くして行く旅だとも言えそうです。
苦痛をも楽しみながら、人生を過ごして見ましょう。


生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/18(日) 12:21:39|
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大きな神様の前では、自分の細かい願いなどは言わなくても叶うのです。それも、すべて丸ごとです。 ただし、自分だけのこと、を願う人はダメなのです。だからもうテクニックとして、作法として、神前では「何か全体のこと」を素直に思っているのが最善です。 それが良い内容ならば、伏せていた自分の願いは勝手に自然に叶えられて行くのが、正神の現れ方です。交換条件も有りません。

素直って、いいなあ〜〜
2018-11-15 11:46:46 | Weblog
素直(スナオ)とは、お得(善徳)だなと今朝に思いました。
素直の意味は、
・ ありのままであること。
・ 飾り気のないさま。
・ 穏やな性質・態度で、ひねくれていないさま。
・ へそ曲がりでは無いこと。

素直の漢字を観ていますと、
・ 素に直面すること。
・ 素に向かい合うこと。
と浮かびます。

ここで、「素=神様」と読み替えますと、素直とは
・ 神様と、直に向き合うこと。
・ 素直に成るほど、神様に近付く。
・ 素直とは、神様に直接に会うことに至る。
このように感じます。

だから神社に参拝する時も、素直に手を合わせることが大切です。
参拝する時に、神様に色々な私的な頼みごとを聞かせるのは、素直な参拝でしょうか?
素直どころか、油ギトギトな思いを捧げています。
これでは叶う訳がありません。

・ 正神に対して、素直に成って、生かされて来たことを感謝します。
・ これからも、精一杯に生きることを、神様の前で思います。
このような参拝だけで、もう十分です。

ただ、日本のすべての神社の親神である伊勢神宮に参る時は、もう1つ、特別な思い方の参拝方法が有ります。
外宮、内宮、に参拝する時は、
・ 私は、多くの人々のために成ることをしたいです。
・ 私は、日本と、地球のために良いことをしたいです。


私が大学生の頃に、このような4つの思いで内宮に参拝した時に、「分かった」という思いが返って来たことが有りました。

今でも内宮に参拝しますと、多くの参拝者一人ひとりに、福よかな女性の声で、
「あなたは、何をしたい人なの〜?」
「国のために、何をしてくれる人なの〜?」
と呼びかける様を幻聴します。


大きな神様の前では、自分の細かい願いなどは言わなくても叶うのです。それも、すべて丸ごとです。
ただし、自分だけのこと、を願う人はダメなのです。

公平な正神が、個人欲に加担する訳は無いのです。

個人欲に加担するのは悪魔だけです。ただし、高金利です。
後から必ず高額な請求書が来ます。
家族も含めて、取れるものは何でも持って逝かれます。

だからもうテクニックとして、作法として、神前では「何か全体のこと」を素直に思っているのが最善です。
それが良い内容ならば、伏せていた自分の願いは勝手に自然に叶えられて行くのが、正神の現れ方です。交換条件も有りません。


素直であれば、上記のようなテクニックも不要です。
善意の気持ちで、ただ南無阿弥陀仏、ただ南無妙法蓮華経、ただ大祓詞を奏上すること。
ただ、「生かして頂いて 有り難う御座います」と神前で思うこと。
素直な気持ちで思えば、1つなる創造神に通じます。

これから水晶のような世の中が始まります。
膿(ウミ)を出すべきならば、隠れていた膿が出ることでしょう。

正神に感謝だけの参拝をした後に、もし破談になることがあれば、それが最善だったと後から分かります。
出るべき病気があれば、早めに出ることでしょう。

すべては最善に向かうための、大峠が来年から始まります。
その中に在っても、素直であれば、すべては自然と通り過ぎます。
素直のスは、スサノオ神の素です。すべてを祓い清めます。
素直に成って生きて見ましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/16(金) 22:55:44|
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気が抜けない仕事とは、まさに信仰であり、それを行う人は修行者なのです。 そして老子は、代表者ほど、自分の仕事はただの仕事では無くて、信仰を行っていると思ったほうが良いと、この章で示唆をしています。 自分の仕事を信仰にまで高めることが、競技のアスリートにしても、会社の代表者にしても「長く継続するには」必要だと感じます。 中途半端では、継続は出来ません。


信仰の意味は、広いです
2018-11-16 11:59:23 | 老子の人生論
参考記事:老子の言葉 第五十四章『老子が先祖供養を絶賛する』

「老子の人生論」第五十四章

しっかりと正しい信仰を持つ者は、引き倒されることは無い。
しっかりと正しい信仰を胸に抱く者は、道を外れることが無い。
そうすれば、その子孫も、その祭事を続けて絶やすことが無い。

正しい信仰を個人の身に修(おさ)めますと、その人の人徳がより充実します。
家の代表者が、正しい信仰を持ちますと、その家は豊かに繁栄します。

村の代表者が正しい信仰を村内で行いますと、その村の成長は継続します。
地方全体を治める者が、各地域で正しい信仰を修めますと、その地方は繁栄します。
国家全体を治める御方が、正しい信仰を維持しますと、その恩恵は民衆の生活の全体に行き渡ります。

つまり、それがどんな信仰かと言いますと、
「自分を観察するという信仰」によって、自分自身をよく観察することに成ります。
「家を代表するという信仰」を行うことによって、自分の家をよく観察することに成ります。
「村を代表するのだという信仰」を行うことによって、その村をよく観察することに成ります。
「地方全体を治める責任感という信仰」を行うことによって、その地方全体をよく観察することに成ります。
「国家全体を治めるための信仰」を行うことが、その国の全体をよく良く観察することに成ります。

だから私(老子)は、何によって国家全体の現状と未来・行く末(いくすえ)のことが分かるのかをタネ明かしをしますと、
「国家全体を治めるための信仰」を行う御方が、その信仰をしっかりと行っているか否かを観察することによって、分かってしまうのです。

(感想)

老子が何を信仰していたのか?
老子が書いた文章には「道」とだけ表記されて、それが何を指すのかは話の内容ごとに、様々な意味を持たせています。

その大半は、道=道徳、を意味します。
しかし、ここでは、
・ 正しい信仰=その信仰の対象をよく観察することに成る。
という示唆がされています。

たしかに仏教を信仰する人は、釈尊に関することは一言一句漏らさずに、非常によく観察しています。
キリストを信仰する人は、聖書の隅々までキリストのイメージを観察するように読み込んでいます。
たしかに、信仰=その対象を観察すること、に成ります。

この章では、それぞれの立場の仕事を、信仰に例えています。
でも仕事ならば、「その仕事の責任感」などと言えば良いことを、老子は「信仰」としています。
それは、なぜでしょうか?

何かを代表するという責任が有る仕事は、ただ事務的に行って上手く行くのでしょうか?
多くの人命を預かるような立場の仕事には、常に不安感が付き物です。
すると、それはただの仕事では無くて、祈りたいような不安感を、その責任を認識するほどに代表者は持つものです。


そうなれば、それはもうただの仕事では無くて、信仰を行う修行者だと代表者は言える訳です。
そして、ただの仕事ならば、夕方6時を過ぎれば「ブッハア〜」とビール、などと仕事を忘れることが出来ます。

でも信仰ならば、24時間、食事内容も制限して信仰することが外国でも見られることです。
気が抜けない仕事とは、まさに信仰であり、それを行う人は修行者なのです。


そして老子は、代表者ほど、自分の仕事はただの仕事では無くて、信仰を行っていると思ったほうが良いと、この章で示唆をしています。
日本という国が、今まで長く継続が出来たのは、「祈るような気持ちで」努力をされた様々な分野の代表者が居られたからでしょう。

自分の仕事も信仰として、修行者として、真剣に働く人が今後も出るのでしょうか?
自分の仕事を信仰にまで高めることが、競技のアスリートにしても、会社の代表者にしても「長く継続するには」必要だと感じます。
中途半端では、継続は出来ません。


家族の健康を預かる家庭の主婦も、24時間終わらない家事という信仰者であり修行者です。
家庭の神官として、正しい信仰も併せ持てば、主婦道から悟ることも可能です。
自分が受け持つ仕事を、信仰にまで高めることが出来れば幸いです。

でも、こんな安月給だから嫌だ、というのも人間であり分かります。
では、自分は何を信仰(注目)するのか?
何もしないのか?
時間限定・厳守の人生期間に、1度でも考える機会が有れば魂には幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/16(金) 21:34:41|
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心が苦しい時ほど、プライドも見栄も捨てて、謙虚な下から目線に自分を切り替えて見ましょう。 落ちたゴミでも拾いたいと思える、弱い自分。 自分はゴミでも弱くても良いから、他人のために成ることがしたい。 こう思えた時に、その人は自分自身を底から救い上げることに成ります。


良心の有るゴミは、光り出します
2018-11-13 11:19:20 | Weblog
オリンピックを何度も制覇した元選手へのインタビューを聞いていますと、
「試合前には、道に落ちているゴミも拾って歩くほどの、神頼みの心境になってしまいます」
と話しておられました。

どんなに練習をしましても、試合への不安感は消えなかったようです。
「どうしても勝ちたい!」という執念と不安は、道に落ちているゴミでも拾いたいと思わせるほど、選手を謙虚にさせたのでしょう。

自分が不安に駆られた時は、上から目線では、腹が立つことばかりで余計にダメだと思います。
そうなった場合、自分をゴミにまで落として見るのも一理あります。

道に落ちているゴミは、迷える自分の姿であり、これを拾い上げるのです。
これは、落ちた自分を救い上げるという、転写の型に成ることを感じます。


自分がゴミにも成れないプライドが、上から目線が、勝負でその人を負けさせると感じます。
プライドの高い人間ほど、本当はもろくて弱いものです。
プライドが高い人ほど、他人からどう思われているか? を気にするものです。
これが更に高じれば、プライドの高い人間から心を病んで行くものです。


こういう場合は、自分はゴミでも良いという下から目線に成れれば幸いです。
でも、ただのゴミでは腐るばかりです。
良心の有るゴミに成れれば幸いです。
良心の有るゴミとは、観音様とも言えます。


迷える人々、悪い環境でも、自らそこに溶け込み困る人々を助けたいというのが観音様です。
ゴミの中にこそ、観音様がウロチョロしていると言えそうです。
蓮の花は、泥沼の中でこそ大きく咲きます。
澄んだ池には、蓮の花は咲きません。
蓮の花の根っ子を探す時は、泥の中を見ましょう。

心が苦しい時ほど、プライドも見栄も捨てて、謙虚な下から目線に自分を切り替えて見ましょう。
落ちたゴミでも拾いたいと思える、弱い自分。
自分はゴミでも弱くても良いから、他人のために成ることがしたい。
こう思えた時に、その人は自分自身を底から救い上げることに成ります。


生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/13(火) 13:04:32|
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今日は、どんなことも善にしか受け取らないアホに成ってやるぞー。 これが大切です。 徹底的に成り切れば、天国に引かれて行くのは間違いがありません。 何でも、やる前から、どうせダメだ。失敗する。 本当にそうなのか? これを体験して確かめる勇気も大切です。 やってやろうではないか。 成功も失敗も無い。 体験が出来ること自体が大歓喜なのです。 自分なりに当たって砕けろ!

体験が出来ること自体が大歓喜
2018-11-09 11:29:22 | Weblog
・ 嫌な仕事の中でも、楽しむことが出来る自分か?

これは、大切な能力だと私は思うのです。
どんな嫌なことの中でも、楽しんでしまう人。
こういう人を、たまに見掛けます。

地獄の閻魔大王もビックリすることでしょう。

新入社員を見ましても、
・ 初めから泣きそうな顔をしている人。
(おいおい、まだ始まってもいないぞーー)

・ なぜかニコニコしている人。
(まさか天然のバカボン君ではないだろうな?)

様々な人が居るものです。
でも、ダメなことは、
・ どんなことも、苦痛に感じ取る人。
こういう人も居ます。
これは人生を損します。


人間は自分次第で、同じ出来事に対しましても、
・ すべてを善に受け取る人。
・ すべてをマイナスに、苦痛にしか、受け取らない人。
このように分かれてしまいます。
この違いから、その後にたどる人生も、本当に違って行きます。


そもそもが、ダメとか、良いとか、成功とか、失敗とは何でしょうか?
これはすべて、自我(自分のワレヨシの心)が生み出す分別(ぶんべつ)です。その実体は無いのです。
真我(本当の自分・内在神)のレベルでは、どんなことにも失敗は存在せず、大成功のみが実在に成ります。


在ることだけで大成功、経験が出来るだけで最高、という成功・失敗・善悪という分別以前の状態だけが真実の実体だと霊的に言えます。
その影を見ては、成功だとか失敗とか、もう終わりだ、という自我の分別を人はして苦しみます。
そんなことを苦痛に感じる必要は無いのが真相です。


すべては大いなる存在により、既に許されて存在し、大成功が継続中なのが、すべての人間の正体です。
悟った瞬間に人は、祝福された大歓喜の中に自分が「既に居た」ことに気付くという体験をします。


厳しく辛いと思っていたコノ世の中でさえも、今のままで、喜びが爆発している世界だったことに気付きます。
偉大な芸術家も、この大歓喜を垣間見て作品にします。

でも違う人は、コノ世に地獄しか見ません。
同じ世界を見ましても、大歓喜しか見ない人と、見るものすべてに地獄しか感じない人。
このように人は分かれます。
大なり小なり、どんな人にもこの傾向が出ています。

生きる間に、大歓喜に近付くことが大切です。
死後に自分が引かれる世界を、自分が存命中に決めている最中なのが今なのです。
今まで地獄しか感じられない人も、これから大歓喜を見ていこうと決意すれば変われます。


大歓喜は道端にも落ちているし、箸(はし)が転んでもおかしい大歓喜です。
自分が罵倒されるなんて、凄い生命力の爆発です。
なんだとー。このやろうー。負けるものか!
こういう体験が出来るのも、生きていればこその大歓喜です。


今日は、どんなことも善にしか受け取らないアホに成ってやるぞー。
これが大切です。
徹底的に成り切れば、天国に引かれて行くのは間違いがありません。


何でも、やる前から、どうせダメだ。失敗する。
本当にそうなのか?
これを体験して確かめる勇気も大切です。
やってやろうではないか。

成功も失敗も無い。
体験が出来ること自体が大歓喜なのです。
自分なりに当たって砕けろ!
行け行け、進め進め。


(伊勢白山道)
  1. 2018/11/09(金) 12:26:06|
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・ 気持ちとは、常に流して行くことが大切。 ・ 事あるごとに止まった気持ちは、中身が悪く成って腐って行く。 だから私達は、日常生活で色々なことが有りますが、それに心を止めずに、 ・ 前向きに心を流して行こう。 このように常に意識したほうが良いです。

気持ちも流して行くことが大切
2018-11-01 09:36:04 | Weblog
水流は、流れていなければ、滞(とどこお)って水質が悪くなって行きます。
そこで、「水流=意識の流れ」として考えて見ましょう。

・ 意識の流れは、流れていなければ、滞って意識の中身が悪くなって行く。
このように言い換えることが出来ます。

これを更に言えば、
・ 自分の意識が過去の嫌な出来事に何時までもこだわって、止まっていれば、今の意識まで悪く成る。今の生活まで悪影響を起こす。
このようにも言えます。

・ 気持ちとは、常に流して行くことが大切。
・ 事あるごとに止まった気持ちは、中身が悪く成って腐って行く。

だから私達は、日常生活で色々なことが有りますが、それに心を止めずに、
・ 前向きに心を流して行こう。
このように常に意識したほうが良いです。
やはり意識しないことには、前向きに流せない人が多いのです。


でも人は、このようなことを常に改めて意識しないものです。
心を流すことを忘れて、起こる嫌な出来事に日々止まってばかり、思い出してばかりいるものです。
だから気持ちを流すことを忘れないように、日々に気持ちを流す習慣が大切です。

思うだけでは無くて、行動として、気持ちを流す習慣が無いと人は忘れます。
では、どうすれば良いのでしょうか?
そこで浮かびますことは、神棚の水交換なのです。

榊立ての容器を洗い、水を交換すること。
神棚に捧げる御水の入れ物、水玉(みずたま)を洗い新しい水に交換すること。
これをする時に、
・ 自分の気持ちも流したい。
・ 自分の気持を新たに交換しよう。

このように思いながら、神棚の水交換を日々に淡々と致しますと、あら不思議!
自分の意識の滞りの解消も、この神棚の水交換という行為により、無意識下で起こります。


コノ世は、思うだけでは弱く、何かの行為と合わせることで、効力を現す世界なのです。
今日は、11月1日です。
心を新たにするのには、縁起が良い日です。
今日から、心新たにまた頑張りましょう

(伊勢白山道)
  1. 2018/11/01(木) 12:36:27|
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・ 11月は、自作自演と、それを利用する者。 に注意。

・ 11月は、自作自演と、それを利用する者。
に注意。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/28(日) 12:58:46|
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・ 人生を振り返ると、他人を助けたいと思ってした仕事は、どれもみな成功した。 ・ 自分のために、儲けたいと思ってしたことは、ことごとくダメだった。 人間は、小欲(自分だけのための欲)を抱くほど、運気が落ちます。 大欲(他人のため、全体のための欲)を抱く人間ほど、何気なく思う自分のための個人的な希望が叶います。

大欲(たいよく)を抱くこと
2018-10-25 11:54:34 | Weblog
昨日と違う話題を書こうとしましたが、更に気になるTVドラマのセリフが脳に残り、書き残して置きたいと思います。

ドラマの中で主人公の老女が言うには、
・ 人生を振り返ると、他人を助けたいと思ってした仕事は、どれもみな成功した。
・ 自分のために、儲けたいと思ってしたことは、ことごとくダメだった。

人生とは、こんなもんですわと笑っていました。

これを聞いた人が、それは聖書の言葉に有る、イエス御自身が、
・『受けるよりは、与える方が幸いである』
と言われた言葉そのものだと指摘しました。(使徒言行録20章35節)

しかし、老女はそれを否定し、
・ 私みたいな者は、本当に欲深い人間だから、そうなっただけですわ、笑。
という、このような感じの会話をしていました。

仏教研究の大家である、鈴木 大拙(すずき だいせつ、1870年11月11日 - 1966年)も、仏教的な「大欲」(たいよく)の重要性について語っていましたが、この老女の欲は、大欲だったと言えます。

大欲とは何か?とイメージで説明しますと、
・ 宮沢賢治の童話を大切に抱えた、童貞のような純粋な青年が、
・ 人類全体が幸福に成れるまで、ワタスの幸福は無い!
と言い切る様子を想像してください。

要は、自分個人だけの欲望は、つまらない小欲なのです。
大欲とは、他人のため、大きな全体のために、という大きな夢のような欲のことです。

「青年よ、大志を抱け!」よりも、
「青年よ、大欲を抱け」が、本当かも知れません。

人間は、小欲(自分だけのための欲)を抱くほど、運気が落ちます。
大欲(他人のため、全体のための欲)を抱く人間ほど、何気なく思う自分のための個人的な希望が叶います。


だから、ここで「逆説のテクニック」としての参考に、
・ 病気の人は、もし改善すれば、自分のための〜〜したいと思う希望よりも、
・ 家族のために〜〜をしたい。他人のために、成ることをしたい。
という「思い方」も参考にしてください。


このように、自分の願望を願うよりも、霊的には叶いやすいです。
これは、神社でも同様です。
・ 神社に祈願したことは、叶いません。
・ 神様に感謝をしていれば、願わなくても、個人希望は順番に自然に叶います。

全知全能である神様に、細かい希望を説明するほうが失礼です。
まるで幼児が、母親に一生懸命に説明するようなものです。
そんなことはしなくても、「ママありがとう」と言っていれば、母親は幼児が望むことが分かりますので、提供します。
親に命令(祈願)すれば、「親の周囲に居る親族」(眷属神)に怒られるかも知れません、笑。

欲には、大切な欲も有るという今日のお話でした。
参考にして頂ければ幸いです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/25(木) 12:59:38|
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何を企んでいるのでしょうか?

今日21日から不安定な中潮が連続し、25日の満月を大きなイベント(出来事)として、その前後も注意します。今週が無難に過ぎた場合、
・ 28日からの中潮が要注意です。
今週か、来週、どちらに事象が出るのかを静観します。

(伊勢白山道)

25日(マンションの断水日)
その前後で何かを仕掛けてくるのか
そこを無難に過ぎた場合には28日からに要注意ということです。
  1. 2018/10/21(日) 19:06:01|
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人間には、「知っている」ということが、想像以上に未来を変えることを自覚しておいたほうがお得です。様々なことにおいて、知ると知らぬでは、人生が大違いだということです。

人間が事前に意識することは、必ず変わって行きます。
知らないことは、変われないのです。

人間には、「知っている」ということが、想像以上に未来を変えることを自覚しておいたほうがお得です。様々なことにおいて、知ると知らぬでは、人生が大違いだということです。
古くから、古今東西で勉学が重視されて来たことは、知識は身を助ける、自分を守る、生活を助ける、という意味があったと思います。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/21(日) 18:04:55|
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人は無理やりに安心しようとしてもダメなものです。やはり、自分の良心(内在神)に背く点が有りますと、安心することは不可能なのです。逆に言えば、どんなダメな状態に自分が在りましても、* 自分の良心に対して一切の曇りが無い人は、必ず安心が出来ます。コノ世に居る時に、本当の自分(良心)と向き合う・ing人は、コノ世でどんな状態であっても必ず天国に行きます。親鸞さんが、南無阿弥陀仏と唱え続ければ100%浄土・天国に行くと言われた真相は、* 心を向け「続ける」から行けるという真理からです。今日も、本当の自分(良心)を見詰めながら、安心を心掛けて生活を致しましょう。必ず、すべてが変わって行きます。

悪人正機(あくにんしょうき)。どんな悪人も真に後悔して泣けば救われます。
2016-03-13 11:12:52 | 釈尊の言葉 Ⅰ
コノ世の色々なハンディを抱えながら、
困難な道を渡り、
繰り返す輪廻転生(死後)や物事へ心配する気持ちを乗り越えて、

冷静に物事を静観し、激昂すること無く、自分に怪しい行動が無く、何事にも執着せずに、
その上で安心している人。

そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。

(原始仏典 ダンマパダ26章-414)

(感想)
この項を読みますと、2500年も前の人々もまさに、
* 色々なハンディを抱えながら、
* 険しい人生を歩き、
* 生まれ変わりや、死後の状態、霊や見えない事を心配する。
このような生活を送っていたのです。
今の多くの人々とまったく同じなのです。

そのもろもろの上でも、
* 最終的には安心しながら生活する人が、最高の人間だ。
と釈尊は示します。


何が有ろうとも、子供がグレても、仕事がダメでも、それでも心から安心して生活をする人が、コノ世の真の勝利者だと言えそうです。
自分が出来る最高の努力を本当に尽くし切ったならば、自分の良心(内在神)が許せばどんな状態でも安心は来ます。
お金持ちでも、常に心配しながら生活をする人が多いです。これではダメなのです。

どんな苦境でも、すべてがコノ世だけでの状態なのです。必ず過ぎて終わって行きます。
アノ世で自分が死後の状態を体験しますと、コノ世での苦しく、嫌な物事、理不尽な災難、・・・・そのすべてが意味と価値の有ることだったことを誰もが理解します。

そして、コノ世での自分の人生を冷静に振り返りますと、
* まだまだ自分は頑張るべきだったのかも知れない。
* アノ時に素直に謝っておくべきだった。
* もっと感謝をしておけば良かったな。

と誰もが思うことを私は確信しています。
私も毎回の人生で必ず思って来たことだからです。
何とも言えない「申し訳なさ」に、泣く魂が大半です。
自ら地獄に行く魂は、まだまだ素直には泣けない魂でもあります。
心が素直に泣けた時が、天から許される時でもあります。

人は無理やりに安心しようとしてもダメなものです。
やはり、自分の良心(内在神)に背く点が有りますと、安心することは不可能なのです。
逆に言えば、どんなダメな状態に自分が在りましても、
* 自分の良心に対して一切の曇りが無い人は、必ず安心が出来ます。

コノ世には多くの他人がいますが、本当の真実の真相は、
* 自分の心と、良心(内在神)との、1対1の真剣勝負を誰もがしているのが答えです。
すべての見える他人も環境も条件も、真実は自分自身の反射で、自業自得で出現するスクリーン映像なのです。

ここでも釈尊の「天上天下 唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)が言えます。
誰もが自分一人の中での勝負をしています。
残りの人生を、本当の自分自身(良心・内在神・真我)と向き合って生きましょう。

コノ世に居る時に、本当の自分(良心)と向き合う・ing人は、コノ世でどんな状態であっても必ず天国に行きます。
親鸞さんが、南無阿弥陀仏と唱え続ければ100%浄土・天国に行くと言われた真相は、
* 心を向け「続ける」から行ける
という真理からです。
この方便も、霊的には正しい真実なのです。

今日も、本当の自分(良心)を見詰めながら、安心を心掛けて生活を致しましょう。
必ず、すべてが変わって行きます。


(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 23:34:51|
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人間は、自分の内在神への自覚を持てない限り、よそ見ばかりして迷うことに成ります。 死ぬ時は、身体1つ裸で死んで行く真理を見ても、他所には頼るべきでは無いことは絶対なのです。 他所に頼る習慣は、いざいざと言う時には大きな不安となり、必ず迷うことに成ります。 今の普段から、自分の心の良心=内在神を見つめる習慣が大切なのです。

人間は、自分の内在神への自覚を持てない限り、よそ見ばかりして迷うことに成ります。
死ぬ時は、身体1つ裸で死んで行く真理を見ても、他所には頼るべきでは無いことは絶対なのです。
他所に頼る習慣は、いざいざと言う時には大きな不安となり、必ず迷うことに成ります。
今の普段から、自分の心の良心=内在神を見つめる習慣が大切なのです。


(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 21:35:01|
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本当の真相は、絶対に大丈夫な中で、ハラハラドキドキを試されています。 やはり期間限定ならば、どんな苦労が有っても、最後まで自分のプライドと良心を守り抜いて死んで行きたいものです。

本当の真相は、絶対に大丈夫な中で、ハラハラドキドキを試されています。
やはり期間限定ならば、どんな苦労が有っても、最後まで自分のプライドと良心を守り抜いて死んで行きたいものです。


(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 21:34:17|
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日常の悩みは、生死の観点から考えると、 大半の悩みは大した事では無く、消えていきます。 

日常の悩みは、生死の観点から考えると、
大半の悩みは大した事では無く、消えていきます。 


物事への執着心も消えて行きます。 
そして、日常に隠れている小さな感謝するべき事に気が付いて行くのです。
  1. 2018/10/19(金) 21:32:25|
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苦しい生活の中でも、内在する神仏は常に同行しています。これに心から気が付いた人には、大きな安心感が訪れます。どんなに辛い境遇であり既に病気であっても、自分の心に居る神様を信じる事です。自分の心の神様と共に、向こうから訪れる困難が有れば、受け切る決意をするのです。既に私達は、神様の中に包まれた大安心の状態が本当の姿です。 それに気が付く為に、色々と起こるだけなのです。

2009-05-15 10:34:35 | Weblog

単純で退屈な生活の中にこそ、正しい神仏の働きが隠れて
いるのです。
アタリマエの日常に「満足する」事が大事です。


苦しい生活の中でも、内在する神仏は常に同行しています。
これに心から気が付いた人には、大きな安心感が訪れます。


死ぬ時は、たった一人です。 集団ではありません。

心に預かる神様を「意識しながら」歩んだ人生は、最良の
人生です。 苦しく厳しい人生ほど、自己の魂を高みへと
連れて行きます。




2009-05-20 10:12:18 | Weblog

信仰とは、強制的な決まりや金銭強要が無いほど、癖の無い
無垢な信仰に成ります。
一番癖の無い信仰は、「既に在る」自分の心の神様に向かう
信仰です。

雑多な日常生活の中でも、何時も内在神と一緒
です。

自分の心の動きを観察するだけでも、余計なイライラ
磁気は軽減し始めます。

2009-05-23 09:45:18 | Weblog

自分を見捨てた人間は、自分の肉体の細胞に見捨てられ
ます。 つまり病気に成ります。

どんなに辛い境遇であり既に病気であっても、自分の心に
居る神様を信じる事です。


自分の心の神様と共に、向こうから訪れる困難が有れば、
受け切る決意をするのです。


困難が来ないならば、なお更に現状への感謝を心の神様に
しておく事です。
これからの時代は、各人の心に住まう神様が現実界へ具体的
に作用し始めます。
絶対に裏切らないし、あの世へも共に同行してくれます。

既に私達は、神様の中に包まれた大安心の状態が本当の
姿です。 それに気が付く為に、色々と起こるだけなのです。



2009-05-30 09:51:50 | Weblog

皆さんも、他人の怨みの生霊や実際の嫌がらせを受けた場合
恐怖しては駄目です。
怖がれば自分自身により大きく影響します。

自分の反省する部分が有れば改めて、後ろめたくない状態にしていることです。
安心感と愛情を恨んで来る相手に向けますと、相手が自分に
向けた内容が逆に還ります。
相手が発した物が好意ならば、好意が返りますし、
悪意ならば悪意が発信者である相手に返ります。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 21:31:09|
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人生に置ける悩みの殆どは、時間が解決してくれます。今、この現実界の時間経過が加速し始めてます。過去に無いことが始まってます。これからは、どんな悩みも直ぐに変わって行き、大したことはありません。

人生に置ける悩みの殆どは、時間が解決してくれます。
と、 有って当然? の記事で書きました。
これは、この厳しい現実界で私達が生きて行く為に神が私達にくれた贈り物です。

自分なりの最善を尽くして生きてさえいれば、自殺まで思い詰める様な苦しい
問題も後年に思い出して、結果は別としても”良くやったなあ”と懐かしむ時が必ず来ます。


ところが、この現実界以外の世界では、時間の経過が異常に遅いのです。
この現実界で、余りの苦しさから逃れようと自殺する人がいますが、これは大きな勘違いです。

自殺する直前の、肉体的な激痛と精神的苦痛が長い期間継続します。これは、堪りません。
しかも、肉体を無くして居る為に、感覚が敏感になり苦痛が増幅されます。

自殺する前は、死んでからも子供に迷惑を掛けまいと誓っていても無駄です。
苦しさの余り、身近な子孫にすがり憑きます。

このような苦しい波動を出す霊が居ると、子孫も同じような精神状態になります。
人間は、死ぬ50日前から直前までの、精神状態が大変重要です。

この、死ぬ前の50日間を安らかな心で過ごせるように成れるために、長い人生を経験して
るのかも知れません。
一番重要なのは、死ぬ直前の心の状態です。


人間の運命は変わります。
努力により、良くも変えれるし、悪くも出来ます。
普段から、生かされている と認識し、現状への感謝想起をしながら、この娑婆世界を旅して行くと、
紆余曲折があろうとも最後のイヨイヨの死ぬ間際は、今までの感謝想起の蓄積により、
肉体的苦痛には脳内麻薬が産出されて楽になり、心は感謝に満たされた状態になります。

この状態で死ぬと、同類の法則により、同じような感謝に満たされた世界へ引き寄せられます。
大往生、間違いなしです。
今、この現実界の時間経過が加速し始めてます。
過去に無いことが始まってます。

これからは、どんな悩みも直ぐに変わって行き、大したことはありません。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 21:27:39|
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せっかくの時間が在る世界では、何が有っても心(内在神)を傷めるほど悩まないのがお得です。必ず区切りと終わりが来るからです。だから死んでも楽しむ視点は大切であり、生き方の究極です。

生きていれば色々なことが有ります。これも、「生きているからこそ」です。
限られた人生時間の中で起こることは、避けようとして悩むよりも、静観することが大切です。
起こる事は、目に見えない縁の集積により起こります。
芽(め)を出してしまった嫌な縁は、「静観するのが1番早く通り過ぎる秘訣」なのです。

この秘訣を知らなければ、右往左往して余計な深みにハマり、嫌な芽を増々育てる肥料と成ってしまいます。
出てしまった嫌な芽を、いまさら分析してもムダです。
今後に繰り返さない注意として、覚えて置けば良いだけのことです。

これを有料先生に頼って、商売の為のデタラメな嘘を聞かされるのに金銭を使えば、ますます違う嫌な芽も出てきます。優良(有料)なリピーター客に成らされ、相談に行きたく成る嫌な事が、霊的な作為により発生します。

この世で出た嫌な芽は、昇華(しょうか:無害なものへの変化)するまでの時間が必ず必要です。
この世で「生まれる」「発生する」「出る」とは、生命であれ、事態であれ、社会問題であれ、いったん出た限りは、消えるまでの「時間」=生命を次元(神)から与えられるのです。

この世はある意味、「有限な時間」=生命をすべての存在が与えられる世界です。
だからどんな嫌な事も、期間限定に過ぎません。
だから、最終的には全員が大丈夫に成ります。
そして、「時間が無い」次の次元へと旅(死)をします。

せっかくの時間が在る世界では、何が有っても心(内在神)を傷めるほど悩まないのがお得です。
必ず区切りと終わりが来るからです。
だから死んでも楽しむ視点は大切であり、生き方の究極です。(吉本興業ではないですが~)


嫌な事があるならば、黙って静観をするのが1番早く因縁の昇華をするのを助けます。
これは、自分にとっての嫌な他人にも、静観する視点は非常に有効です。
相手が、だんだんと苦に成らなく成ります。


静観(せいかん)とは、
1:静かに観察すること。また、行動を起こさずに物事の成り行きを見守ること。「しばらく事態を―しよう」
2:事物の奥に隠された本質的なものを見極めること。

静観を正しく、「明るく」自分の視点に持てば、この世はかなり生き易い世界へと変わって行きます。
知って置くべき、法則の1つです。
  1. 2018/10/19(金) 21:25:46|
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自分が出来ることをしているならば、後は「お任せ」「任せ切る」ことも、人生には必要です。

私たちが不安に成るのは、何も信じられない、頼りに成らないと思い込んでいる面が気持ちの根底にあります。
何も信じられないのならば、
「神は自分自身を助けようとする者を、神が”黙って”助ける」
という真理からも、その分、自分が出来る努力をする人は大丈夫です。


しかし、特に最近の社会では、何も信じられないから「何もしたくない」と思い込み、初めからあきらめて自分自身(自神)をも見捨てている人が多いのです。
これは、ほんとうに勿体無いことです。

肉体は、いずれ必ず無くなるのですから、せめて短距離走(人生)の間ぐらいは、自分なりに思いっ切り走れば後で後悔をしません。

あなたの心は、死後も必ず継続をするのですから、肉体を脱いだ時に
「なんだ。大したことでは無かったんだ。もっと恥をかけば良かった。もっと親孝行すべきだった。もっと他人に思いやりを持てば良かった。・・・」
と、誰もが自分なりの規模で振り返って思うものです。私はリアルに覚えています。

そして、あれほど絶望して嫌だった短距離走のコース(人生)を振り返り、申し訳なかった、有り難いことだったなと「バルドォ」期間(http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20090907)を進んで行きます。

私たちは自分が生まれた奇跡を、もっと信じましょう。

自分が出来ることをしているならば、後は「お任せ」「任せ切る」ことも、人生には必要です。
  1. 2018/10/19(金) 21:17:39|
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嫌なことさえも、「シビレさせてくれるなあ」 と冷静に見ることが出来れば大丈夫です。 これが1番、嫌なことが去る秘訣です。

嫌なことさえも、「シビレさせてくれるなあ」
と冷静に見ることが出来れば大丈夫です。
これが1番、嫌なことが去る秘訣です。
  1. 2018/10/19(金) 21:15:44|
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本当に大きな苦しみほど、真に臨界点を超えれば、ニタニタと笑う狂喜が人に出ます。この時に人は、神仏のことも分かり始めます。でも、まだまだ、そこまでに行かない人が大半であり、中途半端な迷いの最中です。まだまだ行けます。心配せずに、歩いて行きましょう。行け行け、進め進め。

価値観の反転に備えること
2018-10-19 11:36:10 | Weblog
今年の日本人のノーベル賞の受賞者の言葉に、
「教科書に書いてあることを信じるな」
というものが有ります。
医療行為や科学の分野でも、10年後、20年後には「アレは間違いだった」という問題が出るものです。

・ その価値観を疑うこと。

コノ世で人間が欲しがるモノ・嫌がるモノでも、コノ世とアノ世を比較しますと、
・ 今、大切にしているソレは、アノ世ではゴミで重いお荷物なのに。
・ その今の、悩みや苦しみこそが、アノ世で貯金しているのに。

このような感じで、価値観が反対・真逆になる世界というものを、日頃から想像して置くほうが、死後に迷いません。
コノ世では、他人をイジメてでもかき集めた金銭を後生大事に人は貯め込みますが、それを背負ったまま他の惑星に行くと想像してください。

宇宙人に大金を見せたところで、「それが何か??」というようなものです。
でも人間は、「え?これが欲しくないの?」という感じです。
価値観がまったく違う訳です。

自分が死んで、肉体を去った後の価値観、これを想像しながら今から生きる人は、天国に行けます。
では、どんな生き方が良いのか? となりますと浮かぶのは、宮沢賢治氏の

・ 東に、病気の子供あれば、行って看病してやり
・ 西に、疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
・ 南に、死にそうな人あれば、行って「怖がらなくてもいい」と言い
・ 北に、喧嘩や訴訟があれば、「つまらないから止めろ」と言い

・ 日照りの時は、涙を流し
・ 寒さの夏は、おろおろ歩き

という生き方に成ると思います。
抵抗が出来ないことには「仕方がない」と受けながら、自分が出来る良心の指し示すことを、駆け引き無く精一杯にして行くだけです。

そして、今日の言いたい事はここからです。
人は、様々な悩みを抱えているものです。
仕事のこと、人間関係、家族の問題、健康や金銭のこと、・・・もう死にたい、と思うほど悩んでいる人がおられることでしょう。

でも、死ぬほど悩まないで欲しいのです。
誰もが死に向かって歩いている最中なのが人生です。
だから、慌てないで欲しいのです。


自殺せずに、最後まで生き切れば、アノ世では価値観が恐ろしいほど逆転するからです。
今の苦しい最中こそが、アノ世での貯金の最中なのです。

コノ世で他人をイジメて、イケイケの最中の人こそは、アノ世で大きな借金を増やし中です。

悪口を言われてもOK.
自分が言わないことが大切です。

本当に大きな苦しみほど、真に臨界点を超えれば、ニタニタと笑う狂喜が人に出ます。
この時に人は、神仏のことも分かり始めます。
でも、まだまだ、そこまでに行かない人が大半であり、中途半端な迷いの最中です。
まだまだ行けます。
心配せずに、歩いて行きましょう。 行け行け、進め進め。


(伊勢白山道)
  1. 2018/10/19(金) 12:24:44|
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この世は鏡の国

この世は鏡の国

この現実界は、私たちのホンの少しの考え方の違いで人生が変る世界です。人間の幸運や不運も、人が思う以上に単純な物事に分かれ道があるものです。
この世には、自分が他者へ与える「気持ち」と「行為」が、自分自身に反映する法則が在ります。
この法則を認識して生きるか否かで、その人の人生は分かれるものです。
この法則を知っていれば、他人と喧嘩をしたとしても、自分の心を痛めるまで執念深くは成れないものです。アホらしく成って、自分からは止めようと思います。その反動を知っているからです。

先祖供養も自分の希望や病気改善の為に行う間は、何も変化が起こらないものです。「自分の為」だから反映が起こらないのです。上記の「他者の為の行為が自分に帰る」法則に則っていないからです。
これを先祖という「身近な他者」の魂の為に、供養する行為をしますと、結局は自分自身が癒される事が起こるのです。
ここに、この世の幸運が与えられる秘訣があります。これは現実界の色々な物事全てに貫徹している法則です。

自分自身の心の内在神=良心を大切に維持しながら、他者に対して自分が発している内容を考えましょう。この謙虚さを忘れなければ、人生は大丈夫です。
柔(やわらかさ)は、強さをも溶かして行きます。
  1. 2018/10/18(木) 23:58:02|
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霊的磁気の被爆

今日の話で私が伝えたい事は、私たちの普段の思いが如何に大切かと言う事です。
内在神を宿す人間が短い一生の中で思う事は、とても重要であり、次元空間にも影響をするかと言うことです。

でも、人間は生活の中で不満や心配を思ってしまいます。心配したところで、心配の磁気が身の回りに蓄電して行くだけです。
心が回復しても、過去に自分が蓄積した不安磁気が再び自分自身の足を引っ張ります。だから心の安定が継続しないのです。
では、どうすれば良いのか?


良い思いの磁気で上書きをして行けば良いのです。でも、遣り方が分からないでしょう。
誰でも仕事に集中している時は、不安を忘れているものです。暇に成りますと、色々な思いが湧いて来ます。だから、心に仕事をさせておけば良いのです。
「生かして頂いて ありがとう御座位ます」または、
聖なる言霊「天照太御神 アマテラスオホミカミ」を繰り返して居れば、その磁気の新たな蓄積が未来を変えて行きます。
  1. 2018/10/18(木) 23:53:54|
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一休が他界する直前に書いた手紙

一休が他界する直前

「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら
この手紙を開けなさい。ただし、本当に最後の絶体絶命だと
全員が思う時だけだ」

と、厳しく釘を刺して、弟子達に1通の手紙を残しました。



・・・・・そして数年後



弟子達が今こそ師の知恵が必要だと思える
重大な局面が訪れました。


息を殺しながら固唾を呑んで開封して、弟子達の目に映った
手紙の言葉は、次の一言でした。



「大丈夫 心配するな 何とかなる」
  1. 2018/10/18(木) 23:45:13|
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時が解決する

悩む人は、その状況を眺めることも大切です。
悩みの中に没入している間は、考えが狭くなるからです。


悩みの対象ばかりに気を取られて、大切な他の物事が疎かに成っています。
これが次なる悩みを形成させる種と成ります。悩みからの二次被害を出さないことが大切です。
たくさん悩んでも答えが出ずに迷う間は、考える事を止めておいて、目の前の出来る仕事に没入することです。


物事には、時の経過が必ず必要な面が在るのです。
他の因果とのカラミの関係からです。
この「時の経過」を待ち切れずに動いたとすれば、余計にダメな結果を呼ぶものです。


これは、登山で迷った場合と似ています。
深い森林で迷えば、むやみに動かずにビバーク(待機保守)して、体力を温存するものです。不安に駆られて動きまわりますと、遭難する確率が高まります。
これは、生活の中でも悩めば、静観する事と相通じます。

悩むという行為を経た後に、悩みを忘れるのでは無く、いったん置いておいて別の行為に集中しますと、その時から自分の無意識下で悩みへの対応が霊的に始まっているものです。

人間の悩む「執着心」は、実際には解決の足を引っ張るという皮肉が在ります。
少し手放すことによって、見えない霊的な作用が起こり始めます。
無意識下で発動する物とは、自我から離れた自分の良心からの干渉力です。

与えられるべきものは、与えられるでしょう。

要は、普段から良心を大きくしている人間ほど、無意識下の作用力が強く成ります。
自分の良心を捨てておいて、引き寄せだ、瞑想(迷走)だ、パワーなんちゃらでは、人生が弱く悪く成るばかりです。

良心を育てるには、自分で情けからの行為を実践することです。
これが、先祖の「ため」の感謝供養であり、神様へ家族(人類)を代表して感謝を行う事なのです。

この世の成功者は、自分の良心を最後まで捨てなかった人です。
  1. 2018/10/18(木) 23:41:56|
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今の現状を感謝の気持ちで味わう「覚悟」を決めた時から その人に改善と幸運が訪れ始めます。

伊勢白山道さんの記事からの引用

来るものは味わう
2010-09-06 11:05:11 | Weblog

この世に魂が生まれ出る目的は、いろいろな「経験をする事自体」にあります。
物事の成功や失敗、この世的な幸福や不幸と言う「途中の状態」には、本当の自分の魂(不死の存在)が求めている物は無いのです。だから、必ず物事に飽きますし、なんとなく不安感は消えないのです。
この世だけで消える途中の物に、執着しては生けません。

だから成功している幸福な人でも、その「経験をさせて頂いている」と言う視点が無ければ、本当の成功者では無いのです。その視点が無ければ、執着するものが多い気の毒な魂と成ります。死後に苦しみます。

今が苦しくて他人から不幸に見える人でも、その経験を静観して楽しむことが出来れば、魂の面では成功している人だと言えます。
もっと言えば、見えない物事にも感謝が出来る事が、もっとも尊い生き方です。この世とあの世を通して幸福な魂です。

日本では昔から「お陰さまで」と感謝を述べますが、これは真理です。
自分が知覚・認識できる物事のみに反応するのは、それはロボットであり、動物の霊性しか無いのです。
良いことが有れば、自分が知らない気付かない人々の働きの上でのことだと「思いやれる気持ち」が大切です。
これを突き詰めますと、そもそも自分が生きて、いろいろな経験が出来ること自体が、見えない存在=神からのプレゼントだと分かります。

悩む人々を観ていますと、この大切な「経験」をすること自体を避けよう、上手く逃げようとする方が多いのです。
魂が生まれて来る目的が、神示が示す「経験をするため」で本当にあるならば、これは恐ろしいことです。
経験を嫌がるならば、この世に存在する理由が薄れる方向に流れるからです。

だから、自分は不幸だ、運が弱い、と思う人は
今のその現状で経験する事を嫌がらない事です。


自分が注意をしても起こる事には「仕方がない」と覚悟をしましょう。
そして、それを静観するのです。


もし出来れば、嫌な人物や物事に対して「良い経験をさせてくれるヤンケ~」と、嫌味でも良いから感謝想起(生かして頂いて ありがとう御座位ます)をしましょう。

必ず物事は流れ変わって行きます。

今の現状を感謝の気持ちで味わう「覚悟」を決めた時から
その人に改善と幸運が訪れ始めます。
  1. 2018/10/18(木) 23:38:29|
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この世のどんな刺激も、自分の心を傷付けることは絶対に不可能なのです。 傷付いているのは、自分の自我だから大丈夫なのです。 だから逆に見届けてやれば良いのです。

伊勢白山道からの記事の引用

最中を楽しむ
2010-09-30 11:00:00 | Weblog

今が苦しいと思っている人が多いですが、それは勘違いです。それは貴重な期間です。
なぜなら、物事は必ず流れて変わって行き、そして終わる時が来るからです。


後から早回しの映像で見た時、苦しかった時が自分にとって一番大切で、貴重で、有り難い時だったのが分かります。
そして、その時の自分の魂が輝いていたことも知ります。

私は生まれる前からの記憶と意識の断片を残したまま誕生し、この世の0歳からの記憶も維持しています。
昔話をすれば、建物の詳細から出来事まで、一番覚えているのは家族の中でも私です。
よく親に成人してから言われたのは、私が3歳まで日本語を覚えないので心配したとのことです。
ずっと意味不明な外国語のような言葉で親に話しかけていたのです。
まるでインド風な言葉だったと。
この時の自分自身のもどかしさを今でも覚えています。
懸命に日本語に「同調」しようとするのですが、口から出る言葉は過去生の言葉しか出ませんでした。
そして、生まれてから利き腕が左利きだったのを、小学校に上がる前に右利きに矯正されてから、過去生の言葉は完全に消えてしまいました。

赤子の時の景色を見ていた自分と、今の中年の肉体をまとう自分は、心がまったく同じなのです。
成長も退化もしていない、まったく同じ状態です。
ただ、今の文明の知識と垢が身についただけであり、生活の景色を眺(なが)めている自分の心は不変な一定なのです。
今生の私が(自我)死んでも心は残り、今のままでしょう。
なぜなら過去生もまったく同じ心だったのを覚えているからです。
これは皆さんも、まったく同じなのです。忘れているだけです。
死後に必ず思い出す法則になっています。

心とは、成長も退化もしない一定不変な神性なのです。
だから、今の自分の状態を眺めましょう。
もし今が苦しければ、自分の永遠不滅な心でもって静観をしましょう。


この世のどんな刺激も、自分の心を傷付けることは絶対に不可能なのです。
傷付いているのは、自分の自我だから大丈夫なのです。
だから逆に見届けてやれば良いのです。


すべてが必ず良い思い出に変わります。
この世の時間は短く、必ず終わりが来ます。

あの世は時間が止まった、退屈な変化の無い世界です。
この世の苦しみや楽しみ、悲しみ、ハラハラドキドキこそが時間限定の、「神からの貴重なプレゼント」なのです。
今の生活状態に成り切りましょう、没入しましょう。
                                                                  引用ここまで

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/18(木) 23:33:16|
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苦しく成れば、自分のリキみを解いて「内在神に御任せ」の心境で進んで行けば良いです。 それが自分にとっての最善の道と成ります。

「なるように成る」事を受け入れる勇気

琴線に触れる記事ですた。

黄金の金玉を知らないか?
から引用


あなたは誰かのためになっていますよ。
あなたは知らないかもしれませんが、あなたの恩恵を受けている人はたくさんいますよ。
ありがとうございます。
そう声をかけてあげたくなりますた。

苦しくても、報われなくても、何かしら一生懸命他を生かす生き方をしている人というのはどこか輝いて見えます。
悩み苦しみながらも生きる姿。
光がさしている。
君死にたもうこと急ぐべからず。
物事の解決には、時の経過が必ず必要な面が在るのです。
ワタスも何かしら頑張ってみよう。
何か勇気を貰った気がします。


2010年2月18日過去記事から引用抜粋

(本文)

この世は、全てが振動している世界に私の霊眼では観えます。
つまり、動き続けて変化し続ける世界です。確定し固定化された世界では無いのです。
だから逆に、物事が好転するのは簡単な事なのです。


この様な沸き起こる感情は、情熱の発散として起こるままに「流して」生きます。
ここで大切なのは、思いを「貯め無い」ことです。

嫌な思いの磁気は、切断しなければ生けません。
その方法が、感謝の神祭りや依り代による先祖供養なのです。

どんな悪い物事でも、「流れる」限りは大丈夫です。
これは、思考の話だけでは無く、この世のあらゆる森羅万象に通じる事です。


生活の中で沸き起こる思いは流して、これでは生けないと「思い直す」習慣を一日の中で何度も持てば良いです。
そして、細かい心配をせずに「生かして頂いて 有難う御座います」とマントラの様に繰り返しながら作業をするのは非常に有効です。こうしていますと、悩み問題の解決法が考えてもいないのに浮かんで来る事が起こります。
人間の脳(=宇宙)は、思考により考えようとしなくても、もっと脳の奥深い領域において、必要な対策を無意識にするものです。執着して考えない方が、良い答えが「来る」のです。

苦しく成れば、自分のリキみを解いて「内在神に御任せ」の心境で進んで行けば良いです。
それが自分にとっての最善の道と成ります。




人生には、「なるように成る」事を受け入れる勇気も必要です。

自分が出来る事を努力したならば、それで十分です。

裸で生まれて、裸で死んで「行く」のですから、慌てる必要はありません。     

  1. 2018/10/18(木) 23:26:24|
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皆さんが抱える悩みは、それは本当に悩みなのか?ということです。自分の悩みを、そもそもから疑って欲しいのです。 自分の先入観が創りだした、思い込みを悩んでいる可能性に気付いて欲しいのです。・ 本当は、感謝するべきことを見落としていないか?ということに目覚めて欲しいのです。

人は先入観で他人を嫌います。「今の」相手を正しく見ません。
2018-10-18 11:30:50 | Weblog
人類の進化を止めている悪いサガが色々と有ります。
老子や釈尊が生きた2500年前の人々の悩みや失敗点と、現代人は何も変わっていないことを見ましても明らかです。
人類は、何も成長していません。

でも、知識や科学は進化したのではないか?
と思う人はおられることでしょう。しかし、これこそが悪いサガの1つなのです。
この悪いサガの1つ1つは、非常に大きなテーマなので、今日はその内の1つについて書いて置きたいと思います。

・ 人間は、自分が持つ知識内に、答えを探す悪い癖が有る。
・ 自分が持つ知識に、対象(相手や答え)を当てはめる。

要するに、本当の正解は違うのに、自分の知識内に当てはまったものを答えとして満足している、ということです。
これが有るために、進化はしません。

宇宙は数学で表現が出来ると言い切る学者がいますが、自分が知る数学という道具を後追いで当てはめたに過ぎません。
宇宙のほんの表面が数学に当てはまっただけであり、真実でも何でもありません。

だから人間は、他人でさえも、自分の知る範囲の知識だけで見ます。
対面して見ている相手も、最初に会った時の映像を取り込んで、
・ 「あの人はこんな姿だ、顔だ」という「自分の思い込み」により、脳内に映像化して見ているのが実際です。

2回め以降に会った時も、相手の顔を見ているようで見ていないのです。
1回めに自分の脳が記憶した相手の顔の映像に、今日の服に着せて見てしまっています。
「あの人はこういう人だ」という先入観のホログラム(人工映像)と、人は交友しています。

・ 正しく今の相手を見ることが出来ない。
・ 最新の今という真実を、人類は見ていない。
・ 寝たまま、過去の映像と思い込みの中を生きている夢の中が、人類の真相。
・ 目覚めていない。

う〜ん、話が難しくなって来ました。また、家族に怒られます、笑。
要するに今日の言いたいことは、
・ 皆さんが抱える悩みは、それは本当に悩みなのか?
ということです。
自分の悩みを、そもそもから疑って欲しいのです。

自分の先入観が創りだした、思い込みを悩んでいる可能性に気付いて欲しいのです。
・ 本当は、感謝するべきことを見落としていないか?
ということに目覚めて欲しいのです。


例えば、子供の生活のことで悩む親が多いですが、
その一方で、子供を持てないことに死ぬほど悩む人もおられます。
真実は、この両方ともに、悩みでは無いのです。

自分が生活が出来て、当たり前では無い健康が有る上で、子供のことで悩んでいます。
勤務のことで悩む人も多いですが、無職の人には、それも羨ましい悩みです。

人間は自分の先入観が創り出した世界と対峙して、悩んでいます。
でも、そういう先入観の世界に居る間は、転生(生まれ変わり)がどんな形になっても、繰り返して終わりません。
神様は気長に、私達が目覚めるのを待っています。


宇宙の真相は、
・ 空海さんが指摘された、金剛界(見える世界)と胎蔵界(見えない世界)。
・ 老子が指摘した、陰と陽の世界。
2つセットで成立しています。

今の世界は、誰もが見える世界だけで生きて、悩み、考えています。
でも自動的に、
見えない世界でも、自分が並行して存在し、陰(胎蔵界)を生きている自分も実在しています。

コンピュータのハードディスク(記憶装置)が、2重に「同時に」並行して記録して行くようなことが、人類の脳(右脳・左脳)に行われています。
右脳は、陰・胎蔵界へ。
左脳は、陽・金剛界へ。

今の科学は、見える世界だけを数式に当てはめて満足しています。
でも、胎蔵界までリンクさせない限り、本当の進化はまだまだ起こりません。

でも、今の子供たちには、胎蔵界の右脳が起き始めた人類を見掛け始めています。
老人でも、見えない世界に感謝を始める人は、目覚めが起き始めます。
そういう地球の振動数の時節に入っています。
災害は起こりますが、未来は明るいです。前向きに生きましょう。

(読者からの感想)
なるほど、今まで、何度も、人類は2500年前から進歩していない、と指摘されてましたが、そういう意味だったんですね。
確かに、今の人間は、先入観にどっぷりつかって、その中で悩んだり苦しんだりしていますが、その大前提である「今生きている」という事のありがたさへの感謝が、日常生活で全くなされてないとおもいます。

今生きていることへの感謝を忘れて、そこから派生するおまけである、様々なこの世の現象の大小ばかりに全力で注目しているのが現状ですね。
私も、テレビで、この人は、良いひとだ、あの人はあかん人だと、色々過去に囚われて判断しますが、これって、幻影の世界への没入ですね。

ああ、あの人も、色々なカルマの幻影の中でも、あの人なりに、頑張って生きようとしているんだ、素晴らしいことだと、全ての人を見てこう思えたら、少しは目を覚ませるんじゃあないかと思いました。
結局は、雑念、邪念が出そうになったら、「生かして~」の聖句に変換していく精度を上げていくのが、今の自分には一番合っているんじゃないかと思います。
もちろん、先祖供養、氏神参拝があっての上ですが。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/18(木) 21:49:03|
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禅の求道で大切なことは、・今だけを、正しく見ること(正見・正視)過去も未来も心配しません。今が、過去も未来も合わせた全てだからです。先ずは自分の思いが、済んだ昨日に住まないこと。今日に住むこと。これを実践して見ることを参考にして頂ければ幸いです。

日々に「生まれ直し」が出来ることが目的です
2018-10-07 11:13:53 | Weblog
人間は、苦しい最中や、心配している時の過ごし方で、運命が変わると感じます。
新入社員を見ていましても、

・ 仕事が大変で苦しい時でも、怒られても「薄い笑い顔」で淡々と仕事を頑張る人は、なんとか勤務が継続して、昇進して行く様を見掛けます。

・「思い詰めた表情で」余裕無く仕事をする人は、継続せずに途中で辞めて行く人が多かったと思います。

自分が「怒られた時」「注意された場合」に、
・ 私はダメだと、反芻(はんすう:繰り返し場面を思い出すこと)する人と。
・ 反省すべき点は反省した上で、仕方がないと、前向きに受け取る人。いつまでも思いを反芻しない人。
これで、運命が分かれても行きます。


済んだことを繰り返し思い出して、自分自身で現状を低下・悪化・放棄をして行く人が増えています。
これは、過去に食われている最中の人、過去に負けた人だと言えます。


人の運命を悪くする原因は、自ら過去にしがみつくこと、自分の過去に負けていることが多いのです。
でも、その人は、過去を反芻し続ける自分の責任に思えずに、他人を原因にして気付けません。
・ 済んだ嫌な過去は、ブラックホールと化して、今に有る明るい光をも食って行くこと。


宇宙のブラックホールは、光を吸収して行く空間です。蟻地獄のようにです。
悩む多くの人の心には、「嫌な過去というブラックホール」が実在しています。
これが心に存在する限り、「新規」の良い光(芽)も食われています。

結婚、就職、勉強、様々な良い光の新規の芽を、自分が過去を反芻するために出現したブラックホールに食われている人が多いです。
その人の運命に影響しています。


自分に注意したり、怒った他人という者は、
・ その時の、その人の、気分であること。
・ 自分が心配するほどの深意は無いこと。
・ 他人は無責任であり、もう相手は忘れているかも知れないこと。

でも自分はいつまでも心配して、勝手に心にブラックホールを創って行っています。
こういう可能性が多いことも参考にしてください。

禅の求道で大切なことは、
・ 今だけを、正しく見ること(正見・正視)

過去も未来も心配しません。
今が、過去も未来も合わせた全てだからです。


昨日までの自分は、もう死んだ。
今日は新規の自分です。
太陽は夕方に死に、朝に生まれ直します。
これを毎日繰り返します。
この太陽の「生まれ直し」を学ぶことが、太陽神を拝む神道の原点です。

「生まれ直し」の循環が出来ていない人が大半です。
これが運気も、運命も悪くしています。
もし、日々に「生まれ直し」が出来た人は、無限の新規の可能性が広がります。運命が変わります。

先ずは自分の思いが、済んだ昨日に住まないこと。
今日に住むこと。
これを実践して見ることを参考にして頂ければ幸いです。


誰もが必ず肉体を去る宿命ですから、コノ世のことに負けないことです。
ダメでOK。 気にしないことです。

すべてはハラハラ・ドキドキさせるための時間限定のアトラクション(余興)なのです。
これに負けないで生きましょう。

生かして頂いて 有り難う御座います

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/18(木) 19:18:41|
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これは気が付かなかった!【死への恐怖感】

大切な死への恐怖感
2018-10-12 11:21:33 | 釈尊の言葉 スッタニパータ編
何者をも恐れないライオンのごとく、

どんな欲望の対象にも惹かれることなく毅然と立つゾウの王様のごとく、

一人で修行に歩く、釈尊の尊顔を拝しようではないか。

そして、いかにして死の恐怖から自由に成れたのか?

聞こうではないか。

(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章9節-No.166)

(感想)

神霊でも気にする要点が、
・ いかにして死の恐怖から自由に成れたのか?
ということです。

人間として受肉した者であるのに、「死の恐怖から解放された御方」という釈尊への風評が、本当なのか?
と神霊は興味津々な訳です。
それほど人間にとっては、「死への恐怖感」というものが、人生の最後まで支配する大命題なのです。
人間の本能として最後まで残るのが、死への恐れなのかも知れません。

人間が苦労して働くのも、交通事故を注意するのも、定期検診をするのも、そのすべては、
・ 死ぬかも知れない。
という本能から行うことです。
もし、人間の本能から「死を恐れる」というサガを除去した場合、人類はどうなるのでしょうか?

ヒャッハー!と嬉々として殺し合いを行い、簡単に絶滅することでしょう。
強い死への恐怖を抱く今までの人類でも、戦争という大量殺戮を行って来たのです。
この上に「死を恐れない」という人類になれば、もう際限のない悲惨な世界が到来するのは間違いのないことです。

釈尊は、創造神が人類に植え付けた「死への恐怖」という本能を断ち切ったという訳です。
神霊も、それは本当なのか?
では、どうやって釈尊は死の恐怖から自由に成れたのか? 
が知りたいのです。

神霊にすれば、肉体を持たない自分たち不死の神々と、人間との決定的な大きな差は、死への恐怖感の有無だと思っていたのです。
それが、生きる人間のままで、死への恐怖を無くした者が出現したと聞いて不思議に思っているのです。

神霊にしても、受肉の転生が過去に有ったとしても、神霊として自由自在に成れたのは死後の話だからです。
ここで思い出しますことは、釈尊の発言に有ります、

・ 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)
宇宙には自分一人だけが、独りで存在している。
宇宙全体が自分だった。
すべては1つだった。
他人も、自分自身だった。

この境涯に釈尊は達していたのです。
すべてが自分だった、これが深く腑に落ちた時に、
生と死という区別は無かった。
生と死は、連続した1つだった。

これが理屈を超えて、分かってしまいます。
その時に、「死は無かった」ということが本当に分かります。

更に言えますことは、
・ 誰もが必ず死ぬ。
これほどの大きなヒントはありません。
歴史上の人物も、全員が死んでいます。私たちの先祖も、知る家族も皆死んでいます。

これを正しく考えた時に、死を恐れることは一切無い。
これに気付いて頂ければ幸いです。
でも、自殺は厳禁であり、大きな例外であり、意味が違います。
その死後の行き先も、まったく別物です。

神霊たちと、釈尊の面会を楽しみにして、更に読み進めましょう。

(伊勢白山道)
  1. 2018/10/12(金) 21:39:16|
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・ 何とかしたい、という思いを捨ててみること。・ それでも、仕方がない。と覚悟をして見ること。・ 流れに任せて、無抵抗で静観して見ること。

降伏と幸福の関係とは
2018-09-27 10:15:51 | Weblog
・ 抵抗するから苦しく成る。
今朝は、このように響いて来ます。

また台風が近付いて来ていますが、今回も大雨と風害に注意が必要です。
道路に30cm以上の深さの「流れ」が出来ますと、これを遡って歩くことは人には出来ないそうです。

たった30cmの深さの流れに見えましても、その中に入りますと、想像を超える圧力が掛かり、身動きが出来なく成ります。
浅く見える水の流れにも、抵抗しないほうが良いです。

人間関係に苦しむ人が多いですが、
・ 自分で何かに抵抗していないでしょうか?
自分のプライドが、相手に抵抗しているのか。
自分の理想が、組織に抵抗しているのか。
自分の見栄や欲心が、他人に抵抗しているか。


様々なケースが有ることでしょう。
そこで試すことは、自分の心が感じる、どんなストレスや心配にも、
・ 何とかしたい、という思いを捨ててみること。
・ それでも、仕方がない。と覚悟をして見ること。
・ 流れに任せて、無抵抗で静観して見ること。

このような心境も「時には」参考にして頂ければ良いと思います。
流れに従って見ることは、自分の負けでは無くて、チャンスを呼ぶための期間だと思って欲しいのです。

押してもダメな時は、逆に抵抗せずに受け入れること。
これが次の良いカードを、自分に呼び込むための準備期間と成ります。
何とかしたいと押す一方では、より大きな抵抗を生んで、苦しく成るばかりです。


そうでは無くて、すべてに対してサレンダー (surrender:降伏すること)を自分の中でしてみることです。
「抵抗しません」、と自分の中で誓って見ることです。
これが運気を変える気を呼びやすくします。

自分の自我(ワレよしの心)が、この世の問題に抵抗している犯人です。
悩みを創っています。

考えて見ますと、正しい参拝ほど、まさに心からのサレンダーなのです。
素直になって、すべてを神様にお任せしますという、覚悟なのです。


その時に人は、死も超えることに成ります。
深刻な病気でも、気にならなく成ります。
このサレンダーが深い人ほど、奇跡、問題が霧散する現象、が起こることに成ります。


自分の自我(ワレよしの心)が、この世の問題に抵抗している犯人です。
悩みを創っています。
無抵抗でいること、降伏することは、その自我を破壊することに成ります。


ただし注意点は、無抵抗や降伏をして、何も努力をしないということでは無いのです。
無抵抗の降伏の心境でいながら、出来る最大の努力をしていること。
これが重要です。


その「降伏」の継続は、「幸福」を呼びます。
コウフクという不思議な日本語(神界言語が真相)の言霊は、大切な示唆を教えてくれていたと言えそうです。

(伊勢白山道)
  1. 2018/09/27(木) 12:31:05|
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