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集団ストーカーと電磁波攻撃Ⅱ【自分用のデータ保存】

こちらのサイトはあくまで私的なものです。 自分用のデータ保存のためのブログです。

考えて観ますと、私達の悩みも「自分が」「自分は」「自分の」という悩みばかりです。・ 誰もが「自分が」という自我の自分を失くし、・ 本当の自分(内在神と一体)に気付くまで旅行中です。これを楽しみながら、静観して生きましょう。

「自分が」が消え去ると、本当の自分(神性)が出ます
2018-06-16 11:13:46 | Weblog

(晩年の山岡鉄舟:ウィキペディアより)

山岡 鉄舟(やまおか てっしゅう:1836年〜1888年)という幕末から明治に掛けて、明治維新の裏で活躍した剣の居合・座禅・書道の達人が居ました。

この御方は神仙界(しんせんかい)という、陰でコノ世に影響を残すために派遣される集団が神界の下方次元に在るのですが、そこの出の御方だと感じます。
なかなかの稀人(まれびと:めったに来ない客人)です。

ここ500年間の禅僧を観ましても、この御方ほど丹田(たんでん:ヘソ下と恥骨の間の中間のツボ)が鋼鉄のように視える御方が他に浮かびません。
禅を極めすぎて、早めにコノ世を去った器用な達人だったと言えそうです。

この御方の発言に、
・ 自分を忘れるために、禅を組め。
・ 自分が、という者を意識する間は、何をしても芽が出ない中途半端。
・ 落語家ならば、自分の舌を意識する間はダメだ。「無舌」に成ってこそ、話が初めて活きる。
・ 画家ならば、筆を持っている意識で描いた絵は死んでいる。自分と筆が一体となって、手に持つ筆を忘れている間に描いた絵は活きている。
・ 自分が、と思っている間の人間は死んでいる(ロボット)

(以上は私のリーディングによる加筆有り)

以上のようなエピソードを散見します。
考えて観ますと、私達の悩みも「自分が」「自分は」「自分の」という悩みばかりです。

・ 自分という者を抜きにして、その悩みを見直して見ること。
これだけでも、今の悩みの半分は消え去るかも知れません。


高い次元の視点では、自分という個性は、本当の実在では無いのです。だから永遠の存在では無いのです。
時間限定(人生期間)で、コノ世に現れる影・泡なのです。
次に出る泡の形は(来生のこと)、今回の人生の反射が「映る」という映画館の仕組みです。

「自分が」という個性の反射を生む生き方をする限り、未来永劫にわたり陰と陽という「やったことは・やられる」という映画が再生を続けます。
「死で終わり」は無いのです。誰もが連続中です。

そこで鉄舟が指摘した、
・ 自分を忘れること。
が大切に成ります。

自分が生きているのでは無くて、人類全体が生きている。
更に大きな視点は、聖者ラマナ・マハルシのように、
自分という地球が生きている。
このように自分が思えて消えた時に、生き方が変わります。


今は難しい話かも知れません。
でも、誰もが「自分が」というモノを消すために、失くすために、何度でも映画館(コノ世)で再生されている可能性に気付いて頂ければ幸いです。

次の映画館では、私の文章は登場しない上映かも知れません。
すべては今回1度切りの旅をしながら、
・ 誰もが「自分が」という自我の自分を失くし、
・ 本当の自分(内在神と一体)に気付くまで旅行中です。
これを楽しみながら、静観して生きましょう。


(伊勢白山道)
  1. 2018/06/24(日) 19:32:27|
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